tach雑記帳

岡崎京子
とは
誰か?


ふと気がついてみると、このサイトには「ここだけ読めば岡崎京子について知るべきことは一応分かる」というページがありませんでした。
作れば、結果として、知ってる人は知ってるに決まっている内容ばかり羅列することになってしまうのだけど、でも、このサイトにやってくる全ての人が「知ってる人」だとは限りません。
というわけで、試作してみます、知らない人のための岡崎京子入門。或いは、「すぐ分かる岡崎京子」…かな?

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since 2006.05.15
by tach




岡崎京子(おかざき きょうこ)
Helter Skelter1980年代半ばから1990年代半ばにかけて活躍したマンガ家。
鋭い時代感覚に満ち溢れる作品を数多く発表し、従来のマンガのジャンル分けには当てはまらない新しい境地を切り開いた。
1996年交通事故に遭い瀕死の重傷を負う。以後、新作の発表は途絶えたが、2002年頃から旧作の再刊・未刊行作品の出版等が相次ぐ。2004年には未完の長編「ヘルタースケルター」が雑誌連載より7年ぶりに単行本化され、「文化庁メディア文化芸術祭 優秀賞」と「第8回手塚治虫文化賞 マンガ大賞」を相次いで受賞。休筆から10年を経過した現時点(2006年5月)でも主要作品は入手可能。新作がすぐに絶版になる昨今の出版事情を考えれば、これは驚異的なことではあるまいか?
代表作:「リバーズ・エッジ」(1993)、「Pink」(1989)等々。(詳しくは本サイトの「岡崎はこれを読め!」を参照のこと。)



略歴

1963年12月13日、東京都世田谷区下北沢に生まれる。実家は当地の理髪店。

1983年、短大在学中に大塚英志が編集するロリコン系エロ漫画雑誌「漫画ブリッコ」で商業誌デビュー。
初期はマイナーな男性向け漫画誌を中心に埋め草的な小品を発表していたが、すぐにメジャー系男性向け雑誌にも進出し、作品も徐々に本格化。やがて女性向けファッション誌やレディース・コミックス誌へと活動の舞台を広げ、作品を量産。

1989年、マガジンハウス社の男性向け雑誌「NEWパンチザウルス」(注)に「Pink」を発表して注目を集める。
以降、傑作・問題作を連発。怒濤の快進撃を続け、知る人ぞ知るマンガ家に変身。
(注)「NEWパンチザウルス」:1960年代から70年代にかけて一世を風靡した代表的男性向け週刊誌「平凡パンチ」の後身

1993年、宝島社の若年層向けファッション誌「CUTiE」に超弩級の傑作「リバーズ・エッジ」を発表して世のマンガ読みを驚愕させる。

1996年5月19日、近所を散歩中に車にはねられ意識不明の重体。以後、現在まで療養中。(詳細は星野さんの岡崎サイト。その後の消息に関しては本サイトの「岡崎京子ニュース(過去データのキャッシュ)」を参照のこと。)

2002年頃より、旧作の復刊、未刊行作品の出版等が相次ぐ。

2004年、雑誌連載より7年ぶりに単行本化された「ヘルタースケルター」が「文化庁メディア文化芸術祭 優秀賞」と「第8回手塚治虫文化賞 マンガ大賞」を相次いで受賞。


2005年、人気テレビドラマ「野ブタ。をプロデュース」に「リバーズ・エッジ」が「引用」され、休筆から10年を経た今日でも依然として強い影響力を維持していることを示す。(と、主張するのはやや強引かも…)


略歴関連URL:
岡崎京子年表イケダさんのサイト
年表星野さんのサイト



岡崎京子一般関連URL:
はてなダイアリー
Wikipedia
その他は「岡崎京子関連リンク集(過去データのキャッシュ)」をご参照下さい。


以上は出来るだけ客観的事実に基づいて記述しましたが、それだけでは全然つまらないので、以下の項目に関し、思いっきり主観的な個人的見解を「岡崎を勝手に語るための非常に主観的な仮想Q&A」として「岡崎京子雑感」のコーナーにアップロードしました。

岡崎を勝手に語るための
非常に主観的な
仮想Q&A

Q1.岡崎京子って少女マンガ家なんですか?
Q2.岡崎京子ってオシャレマンガ家なんですか?
Q3.岡崎京子って女の子のエッチマンガ家なんですか?
Q4.岡崎京子ってサブカルマンガ家なんですか?
Q5.岡崎京子って引用作家なんですか?
Q6.岡崎京子って要するにどんなマンガ家なんですか?
Q7.岡崎京子ってどうして再評価されたんですか?
Q8.岡崎京子って永遠に不滅なんですか?

(2006.5.16追記)

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