【脚注1】 『VIEWY』誌は武蔵美の学生同人誌。1982年9月刊。投稿雑誌『ポンプ』を見た学生が岡崎に原稿を依頼。当時岡崎も短大1年生の18歳。岡崎にとって「原稿用紙にコマを割って描いた二作目のマンガ」だったという。因みに第一作は1979年高校1年生15歳の夏休みに白泉社『花とゆめ』まんがスクール投稿用に描いた16枚。結果はCクラス認定で鈴木光明少女マンガ教室へのお誘いが来た由。(ソース:ばるぼら『岡崎京子の研究』アスペクト2012.07.23刊P.10及びP.16)(2021.06.30追加) |
【脚注2】 実は、当時、「東京おとなクラブ」のスタッフであった中森明夫に迫られ、袖にしたという噂があった由。そうした背景の反映かもしれない。真偽の知れないゴシップであるが、面白い(京子ちゃんカッコイイ)のでここに追記。尚、ソースはこちら→「岡崎京子のバージンください」(「スタジオ・ボイス」1985年11月号インタビュー) (20000116追加) ----- ついでの話。この「東京おとなクラブ」の編集発行人「エンドウユイチ」は誰あろう、後の「月刊アスキー」編集長遠藤諭。アングラ・サブカル系ミニコミ誌(本人はカルトマガジンと称している)編集人が後に超メジャーなパソコン雑誌の編集長になったというのは何だか俄に信じがたい話のような気がするが、本人が書いていた(2000年2月5日朝日新聞夕刊コラム「遠藤諭の電脳術」)から間違いない。遠藤諭、偉い!(2000.02.06追加) |