魔探偵コナン



byドミ



File03:精霊


今夜も、工藤邸の2階は、灯がともり。
隠微な水音と息遣い、ベッドがきしむ音と喘ぎ声が響いていた。

「あ、あん・・・しん・・・いち・・・」
「はあっ・・・すげ・・・いいぜ、蘭・・・」

ゆっくりと動く新一に、蘭が焦れて、はしたないおねだりを口に出す。

「あああん・・・新一・・・来て・・・もっと奥を突いてぇ・・・っ・・・!」

その言葉に、新一は応え、激しく動き出す。

「ああ。行くぜ、蘭!くっ・・・くああっ!」
「あっああっあああああっ!!」

やがて上り詰め、双方共に満ち足りて。
そして静寂が訪れる。


淫魔の蘭と退魔師の新一が一緒に暮らすようになってから早ひと月が過ぎた。

蘭は毎晩新一に抱かれ、新一に快楽を与えると同時に自身も快楽を味わい、そして淫魔にとっては糧となる新一の精気を得るという、充実した生活を送っている筈だった。
それなのに最近、新一に抱かれて頂点に達した瞬間、大きな快楽と精気を得て満たされると同時に、何とも言えない寂しさと空しさを味わうのは、どういう訳なのだろう?


事が終わった後、新一はいつも蘭に腕枕をして抱え込む。
蘭は新一の肩に頭を摺り寄せながら、言った。

「ねえ。新一って、すごいスケベだよね」

新一は少し黙った後、ちょっと憮然としたように言った。

「・・・淫魔に言われたかねえが、まあ、そうかもな」
「私と会う前は、一体どうやってたの?」

蘭の問いに、新一はちょっと蘭を離し、目を丸くして蘭をマジマジと見た後、ニヤリと笑った。

「ふ〜ん。蘭、気になんのか?」

蘭は新一の問いが何故か悔しく感じて、くるりと新一に背中を向けて言った。

「き、気になってなんかないもん!」

蘭は新一以外の男を知らないし、今のところ知りたいとも思わない。
蘭には、新一以外の男とはまぐわえないよう術がかけられているのだが、そうでなかったとしても、他の男と交合したいと思わないからだ。

けれど、淫魔である蘭を毎晩抱く程の好色である新一は、過去色々な事があったに違いないと思えた。
新一は今迄決まった相手を作った事が殆どないようであるから、この大きなベッドで、一体何人の女が新一に抱かれて来たのだろうか。

そして・・・過去の事は仕方がないが、この先は?

淫魔の与える快楽は強力だけれども、新一は決してその「魔力」に溺れては居ない。
新一が蘭を自分に縛り付けているのは、蘭が他の男を襲わないようにする為で、新一にしてみれば、蘭は欲望のはけ口として便利な存在に過ぎないのだ。

であれば、新一がこの先も気に入った女性を戯れの相手にしたり、あるいは恋人や伴侶に選んだりする事も有り得る。

そのような事を考えている内に、蘭の胸が締め付けられるように痛み、目に涙が滲んで来た。

「どうした?蘭、何考えてる?」

新一が優しい口調で言って、背後から蘭を抱きしめて来た。

新一は意地悪な事をするかと思えば、こうして妙に優しい時もある。
蘭は、その優しさが嬉しいと同時に、何故か、辛かった。

「ずるいよ、新一・・・私は術をかけられて、新一しか相手に出来ないのに・・・新一は、その気になればいくらでも、人間の女性も淫魔も、抱けるんだもの」

蘭がそういう風に新一を詰ると、新一は妙に寂しそうな哀れむような瞳で蘭を見た。

「蘭・・・オメーに術をかけてオレに縛り付けてる間は、人間だろうと魔性だろうと、オレは他の女は絶対抱かない。蘭だけだ。約束する」

そう言って新一は、蘭を抱きしめた。

蘭は黙っていた。
新一には新一なりのけじめの付け方があるのだろうが、蘭には納得が行かなかった。
どうしても新一がずるいと思えてならなかった。

何故新一をずるいと思い、納得行かないのか。
蘭は自分でも良く分かっていなかったのである。


   ☆☆☆


ある日、工藤邸玄関の呼び鈴が鳴った。
蘭が玄関まで客を出迎えた。
そこには、やや険があるが、すらりと背の高い美貌の若い女性が立っていた。

「いらっしゃいませ」

そう言って頭を下げた蘭に、客人の女性は何も言わず、値踏みをするような視線で蘭の頭のてっぺんからつま先までジロジロと見た。

「あ、あの・・・」

何故そういう態度を示されるか分からず戸惑う蘭に、その女性はつんと冷たい声で言った。

「新一さんはご在宅?」
「あ、あの、書庫で調べ物を・・・」
「そ。通させていただくわ」

そう言ってその女性はさっさと上がりこんだ。

「あ、お待ち下さい、新一は・・・」

まだ新一の了解も得ずに客を家に上げるなど憚られて、蘭が慌てて引き止めていると、客人は足を止め、欄を振り返ってギロリと睨み付けた。

「しつけがなってない使い魔ね。主人を呼び捨てするなんて」

蘭は戸惑っていた。
その客人の女性が何故不快感を露にするかも理解出来なかったし、第一蘭は新一の使い魔でも配下でもない筈だったから。

「あなたもここで働くなら、覚えておく事ね。私は顔パスの客なの」
そう言い捨てて、その女性は新一の居る書庫へと向かった。



「槙子お嬢さん。困りますね、勝手に入られちゃ」

新一は目を通していた本から顔を上げて、苦りきった表情で客の女性に言った。

「もう、新一さんのイケズ。そんな事言ったら、槙子、泣いちゃうからぁ」

新一の言葉にそう返した客人の女性は、先程の険のある表情はすっかり影を潜め、媚態を含んだものに変わっていた。
新一に甘えるような仕草でしなだれかかる。
その変わりようを目の当たりにして、蘭は唖然としていた。

「蘭。すまねえが、お客さんとオレ2人分のお茶を頼む」

新一に言われて慌てて蘭は、お茶を淹れる為にキッチンへと下がった。

胸の中で、何とも言えないざわつく感じがあって、蘭は戸惑う。
槙子と呼ばれたあの女性が、新一にしなだれかかるようにして、新一がそれを拒んでいなかったのが、すごく嫌な感じがした。

蘭は胸の前でぎゅっと手を握り締め・・・そして気持ちを何とか落ち着けると、お茶の支度にかかった。


   ☆☆☆


「ところで、いつの間に使い魔を雇いましたの?」

蘭が出て行ってすぐに、槙子は新一にそう尋ねた。

「蘭は使い魔ではありませんよ。同居人です。家の事を色々やってくれるのでつい重宝してますが、別にそれが目的だった訳ではありません」

新一は、槙子から渡された書面に目を通しながら、そう言った。

槙子の父親・芦屋権斎(ごんさい)は有名で有能な陰陽師の直系である。
新一は一応、有力な陰陽師とは付き合いを持っていて、為に槙子をあまり邪険にも出来ないという事情があった。
権斎は、子供は残念ながら槙子1人しか恵まれず、今は血筋を繋げる為の婿探しをしているところだった。

槙子が持って来た書面は、その芦屋権斎からのもので、新一はその用件にほぼ予測がついていたのだが、あまりにも予測どおりだったので思わず溜息をついてしまった。

「槙子さん。オレはね、今のところ婿入りするつもりなど全くない。そうお父上にお伝え下さい」
「何故・・・?この槙子では不満ですの?槙子は今夜、全てを新一さんに捧げるつもりで、参りましたのに」
「いやだから、あなたに不満だとか、そう言う問題ではなくてですね・・・第一、オレには戸籍が存在しない。芦屋の力を持ってすれば戸籍を作るぐらい簡単でしょうが、色々と面倒かと」
「子種だけで、宜しいのです。名目上の婿だけでも喜んでなってくれる男は、父の弟子にいくらでも居ますわ。子育ても、お任せ下さい。あなた様は、この槙子を抱くだけで、宜しいんですのよ」

新一は溜息をついた。
だが流石に、「相手があんたじゃ勃つものも勃たねえんだよ」と本音を言う訳には行かない。
新一の力は芦屋一族に充分対抗できるものであったが、かと言って、あえて敵に回したくはなかった。

「まさかとは思いますが、あの淫魔に囚われてしまっている訳ではありませんわよね?」

槙子が挑戦的にそう言った。
やはり陰陽師の娘、蘭の正体はとうに看過されていたようだ。

「あれは・・・他所で悪さをしないようにここに捕らえているだけです。オレは時々精気を分け与えているが、それも悪さをさせない為にそうしているだけで。まあ、恋人を作る暇もないオレの男性生理の処理を兼ねているのは事実ですよ。槙子さん、オレはこの通り品性下劣な男なんだ、悪い事は言わないから、他を当たったが良い」

そう言った新一にめげる様子もなく、槙子は新一に擦り寄って言った。

「私は、気になどいたしませんわ。殿方の浮気は当たり前の事、父も、いくつも通いどころを持っていましたもの。新一さんは淫魔に精気を分け与えてもなお、お元気で居られるほど、精気溢れている方なのですね。ますます子種を頂きたくなりましたわ」

新一は、自分にまとわりついてくる槙子の手をさり気なくどけながら、言った。

「槙子さん。オレはね。実は、正直言うと子供を作りたくないんだ。だから、魅力的な申し出だけれど、申し訳ないがあなたを抱く事は出来ない」
「そう・・・。今日は帰りますわ。でも私、諦めません事よ」

そう言って、槙子は去って行った。



   ☆☆☆



蘭は結局お茶を出しそびれて、ドアの外で2人の会話を聞いていた。
新一が槙子の誘惑を退けた事にはホッとしたが、新一が「子供を作りたくない」と言ったのが正直ショックだった。

魔性である蘭は、新一との間に子を成す事が出来ない。
新一は子供を作りたくないが為に、人間の女性でなく魔性の自分を抱くのかと、蘭は悲しい思いでそう解釈したのである。



   ☆☆☆



「工藤〜〜、遊びに来たったでえ」

語尾にハートマークが付くような勢いで工藤邸の玄関ドアを開けて飛び込んで来たのは、色黒で太くりりしい眉をして目元涼しげな若者だった。
今時珍しい着物と袴姿が良く馴染んでいる。

「いらっしゃいませ」

蘭が玄関に出迎えてお辞儀をすると、その若者は驚いて跳び退った。

「何や何や工藤、いつの間に使い魔を・・・!しかも淫魔使うやなんて工藤らしくないやないか!」
若者は蘭を指差してそう叫んだ。


突然、家の中から玄関に向けてサッカーボールが飛んで来て、若者の顔に当たりそうなところを、若者はすんでの所で避けた。
その後、新一が玄関の所まで歩いて来て、冷たい視線で若者を睨み付け、冷たい声で言い放った。

「服部、誰もオメーなんか呼んでねえ。オレの同居人を使い魔呼ばわりするんなら、帰れ!」

そこへ、今迄玄関の陰に居たらしい女性がひょこっと顔を出した。
同時にふわりと、良い香りが漂う。
ポニーテールに、釣り目がちの大きな目、和服姿が板に付いた、なかなかにキュートな女性である。

その女性が苦笑いしながら頭を下げた。

「工藤くん、こんちは。堪忍や。平次が口の利き方知らんのは今に始まった事やないし。それにしても、可愛らしいお嬢はんやね。工藤くんは今迄女っ気全然やったし、きっと理想高いんやろ思うてたけど、その通りやったわ」

絶対0度の冷たさだった新一の態度が、女性の出現でかなり緩んだ。

「仕方ねえ。今回は和葉ちゃんに免じて許してやる。ま、上がれよ。蘭、わりぃけど、この2人にお茶を淹れて貰えねえかな?」


3人の掛け合いを、目を丸くして見ていた蘭は、新一の言葉に頷くとキッチンへと消えて行った。



   ☆☆☆



新一は客間にお客2人を通すと、ソファーに促し、客2人は並んで腰掛けた。

「で?服部、何しに来たんだよ?」
「暫く江戸の方に居るんで、ま、挨拶や」
「・・・何の用だ?表の方か、裏の方か?」
「まだどっちか、わからへんのや。混じり合っとる可能性もあるようやけど」
「そうか・・・」


新一が顎に手を当てて考え込む。
服部と呼ばれた男は、表情を変えて悪戯っぽく笑いながら声のトーンまで変えて言った。

「ところであの姉ちゃん、いつの間に引っ掛けたんや?使い魔やないって・・・狩られようとしたんを助けて拾ったんか?」
「ああ。蘭は・・・オレの妻だ」
「ななな何やて〜〜〜〜〜っ!?」

服部と呼ばれた男は、ソファーを蹴倒す勢いで立ち上がった。
連れの女性も、目をまん丸にして新一を見ている。

「と言っても、そう思っているのはオレだけで。蘭は・・・」
「つう事はあれか?あの淫魔と毎晩乳くりおうとんのか?」
「下世話な言い方するな!」

新一が真っ赤になって叫んだ。

女性の方が苦笑して口を開いた。

「平次、もう、変な言い方はやめときや。せやかて工藤くん、アタシもビックリしたで。あの子が淫魔やからやのうて、工藤くんが女の人に本気になる日が来るなんて思わへんかったしな」
「オレだって、そんな日が来るとは夢にも思ってなかったさ」

新一がちょっと苦笑して返す。
新一は、女性には基本的に優しいフェミニストであるが、それと女性に恋をする事とは、根本的に違うのだ。

「せやけど工藤、お前にとって妻、けど姉ちゃんにとっては違うってどういう事や?」
「ああ、それはな・・・」

その時、タイミング良く、あるいは悪く、と言うべきか。
ドアがノックされ、蘭がお茶を乗せたお盆を持って入って来た。

「どうぞ」

蘭がお茶とお茶菓子を、お客の前と新一の前に置く。
香り高い煎茶と、蘭手作りの水羊羹だった。

「あ、美味しそうやわあ」

そう言った女性客に、蘭は気遣わしげな目を向けた。

「あの・・・このような飲み物と食べ物で、大丈夫だったでしょうか・・・?」

蘭の言葉に、和葉は面白そうな目を向ける。

「流石にアンタには分かるんやね。けど、心配要らんよ。アタシは、人間の食べられるもんやったら、基本的に大丈夫やから」

和葉はそう言って微笑んだ。

「生き物は皆、他の命をいただいて、生かされてるんや。人間かて動物かて植物かて・・・それに、魔性かてそうやろ?
アタシ達精霊も同じなんや。森の精霊かて、他から命をいただいて生きとるのは一緒や。
それに植物は、動物と違うて、一部刈り取ったからって全体が死んでまう訳やない。お茶の木は、葉を刈られても木は生きとるし。小豆にしても、次代に命を繋ぐんは、たくさんの種の内一握りでええ。
そうやって、他のもんに命を与えながら、命を繋いで行くのんが植物や。アタシも、ありがたく、いただかせて貰うで」

新一がちょっと咳払いして言った。

「あ〜、えと。お互い、紹介がまだだったよな。服部、和葉ちゃん。この子は、淫魔の蘭。縁あって少し前からオレの同居人だ。蘭、こっちは服部平次、オレと同じで、探偵と退魔師の2足の草鞋を履いている。で、こっちは和葉ちゃん。森の精霊で、服部の連れ合いだ」
「連れ合い・・・?」
「ま、夫婦・・・って事だな。お互いに戸籍が存在しねえから、事実上の、って事だけど」

まだ人間界の仕組みがよく分かっていない蘭は、戸籍云々のあたりには首を傾げながら新一の説明を聞いていた。

「姉ちゃんは、工藤と一緒に住んどんのやろ?どないな関係なんや?」

平次が、悪戯っぽい目で蘭に向かって尋ねた。
新一が平次を睨み付けるが、平次は知らん振りをしている。

「私と新一ですか?そうですね・・・持ちつ持たれつ、ギブアンドテイク。確か人間界ではそういう風に表現するみたいです。私は新一に快楽を与え、そして新一から精気を貰う、そういう関係ですね」

蘭があっけらかんと言い放ち、新一は憮然としたようにそっぽを向き、平次と和葉はお腹を抱えて笑っていた。

「平次は工藤くんと2人で話し合いたい事があんのやろ?アタシ、蘭ちゃんとお話したいんや、ちょお借りてってもええか?」
そう言った立ち上がった和葉に、新一は笑顔で頷き・・・和葉は蘭を連れて客間を出て行った。



   ☆☆☆



工藤邸には、ちょっとした中庭がある。
和葉は蘭を誘ってそこの東屋に向かった。
さして広くはない庭だが、季節の花が目を楽しませてくれる。

蘭は改めて新しいお茶を、和葉と自分の分も淹れて、東屋に運んだ。

「蘭ちゃん・・・あ、改めてよろしゅう。アンタの事、蘭ちゃんって呼んでええ?蘭ちゃんもアタシの事、和葉ちゃん呼んでくれたら嬉しい」

そう言って和葉がにっこりと笑う。

「あ、こちらこそよろしく、その・・・和葉ちゃん」

蘭も笑顔で返した。

和葉からふわりと立ち上る香り、それが桜の花のものだという事に、蘭は不意に気付いた。
それを口に出すと、和葉は笑って言った。

「せや、アタシは吉野の山桜の精やもん」

元は山桜から生まれた和葉であるが、今はそこから離れて生きて行く事が可能なのだと言う。

「アタシは、遠く離れとっても、いつも吉野山の蔵王権現様に守られとるんや」

そう言って和葉は微笑んだ。

「ところで。なあ蘭ちゃん、持ちつ持たれつ言うけどな。工藤くんはその気になれば女には不自由せえへんのやで?」
「それは、多分そうだと思うけど。でも、新一が言うには、そういう相手を探して口説くのも面倒臭いんだって。それに・・・新一がお客さんの女性に言ってたの、聞いちゃったんです。子供を作りたくないって。だから、新一との間に子を成せない魔性の私を抱くんだって私は思うんです・・・」
「ホンマに、そう思うてる?」
「え・・・?」

和葉の思いがけない真摯な問いかけに、蘭は改めて和葉を見やった。

「アタシは、工藤くんとは結構長い付き合いやから、分かる事もあんのや。女の子には基本的に優しいお人でな、多くの女の子がつい勘違いして、惚れてまうんや。工藤くんの女の子への優しさは、騎士道精神の優しさで、惚れた女への優しさとは根本的に違うんやけど。せやなあ、アタシには平次がおるから、そういうんが分かるんかも知れへんのやけどな」

蘭は黙って聞いていた。

目の前の和葉が、新一と(変な意味ではないが)付き合いが長くて親しい女性と思うと、何とも言えないざわざわした感覚が体を駆け巡る。
蘭の知らない新一の姿を、知りたいけれど、知りたくない。

「で、こっからが本題なんやけど。工藤くん、アタシの知る限り女の子とねんごろになった事はあらへんで。ま、見張っとる訳やないから、火遊びみたいなんがちょっと位はあったかも知れんし、そこまでは分からへんけどな。けど、ホンマ淡白な方や思うで。女の子連れ込んだんは、アタシの知る限り、蘭ちゃんが初めてやもん」
「え・・・?あの、超絶スケベな新一が・・・?」

蘭が目を丸くして言うと、和葉はお腹を押さえて笑った。

「はは、あの工藤くんをスケベや言うたんは、蘭ちゃんが初めてや!それ、蘭ちゃんやからって思うで」
「え・・・?で、でも・・・新一には、淫魔の魔力は全然通じていないんだけど」

和葉が笑いを収めて柔らかく微笑み蘭を見る。

「ちゃうよ。魔力でそうなったんやない。工藤くんが蘭ちゃん相手にスケベになるんは、蘭ちゃんに惚れとるからやないん?」
「・・・惚れてる?新一が?」
「せや」

和葉が頷く。
蘭は、今迄考えてもみなかった事を言われて、呆然としていた。
もしも、新一が蘭にそういう感情を持っていたとしたら。

不快ではなかった。
いや、それどころか、新一がそうであってくれる事を望んでいる自分が確かにいた。

蘭は、首を横に振る。

「もし、そうなら・・・嬉しいけど・・・でも・・・」

今の蘭には、そこまで自信がなかった。

「和葉ちゃんの方こそ・・・服部くんと、どうやって知り合ったの?そして、どうやって・・・連れ合いに?」

蘭のぶしつけとも言える質問に、和葉は柔らかく微笑んだ。

「今のアタシが生まれたんは、吉野のお山の中やった。まだ、言葉も意識も曖昧やった、生まれたての頃にな。突然、『和葉!』って強い声で呼ばれてん。それでアタシの名前は和葉になったんや。
呼んだんは、平次やった。平次にすごい力で抱き締められて、『和葉、和葉』って呼ばれてな。アタシはされるがままで呆然としとるだけやったなあ。
で、平次に連れて行かれてな、そのまま一緒に住んどる。平次に言わせると、アタシは平次の愛した人間の女性の生まれ変わりなんやそうや。平次は『和葉が見つかった』言うてえらい喜んで。
アタシにはその和葉さんの記憶は全然あらへんし、実感なかったんやけどな。人間の和葉さんを葬ったその場所で、生まれ変わったアタシを見つけたんやて」

そう言って和葉は、香り高い煎茶をひと口飲んだ。

蘭は、何と言って良いのか分からなかった。
ただ、今穏やかに笑い合っている2人に、色々な事があったのかと思い、蘭まで少し切ない気持ちになってしまい、思わず涙ぐんでいた。

「蘭ちゃん・・・アンタやっぱり、優しい子ぉやね。工藤くんが蘭ちゃんに惚れたんは、そないなところや思うで」
「え・・・?でも、だって・・・あの時は単に私が精気を取る人間を探してて、偶然新一に会っただけで・・・」
「工藤君も、平次も。瞬時に相手の事が理解出来る力があるんや。魔性は人間より純粋な分、多分ひと目で本質を見抜けるんやって思う。
まあ、工藤くんは平次に似たとこあって、結構意地っ張りやから、多分蘭ちゃんが自分の気持ち隠したままやったら、素直に教えてくれへん思うけどな」
「私の・・・気持ち・・・?」
「好き、なんやろ?工藤くんの事」
「・・・分からない・・・これが、好きって気持ちなのか・・・」

蘭が困惑して言うと、和葉はまた柔らかく微笑んだ。

「焦らんかてええ。時間はある、お互いゆっくり自分の気持ちと相手の気持ちとに向き合うたらええんや」

和葉の言葉に、蘭は気持ちが軽くなるような気がした。
蘭もお茶を一口飲む。
香り高いお茶を飲むと心が落ち着くのは、魔性でも同じだった。

「ねえ。和葉ちゃんは、本当にその人間の和葉さんの生まれ変わりなの?もしかして身代わりかも知れないって思った事は、なかったの?」
「せやなあ。悩んどったなあ。平次が嬉しそうに、昔アタシがこう言うたとかどうしたとか、いっつも言うてたんやけどな。そう言われたかて実感ないんやから。ある時爆発したんや。『アタシにそないな記憶はない、アタシはその和葉さんとは違う!』てな」
「・・・そんな事が・・・」
「平次が謝って来て、もう昔の事は言わんって約束したんやけど・・・アタシはアタシで考え直したんや。アタシは平次が好き。初めて会うた時から。せやから、たとえ身代わりでも構へんって」
「・・・・・・」
「けどそん時、工藤くんに言われたんや」


『君は間違いなく、あの和葉ちゃんだよ』
『何でそないな事が分かるん?アタシは精霊や、元々名前もなかったんやし、姿形も無意識の内に平次の気持ちに合わせて変わっただけかも知れんやろ?アタシはその和葉さんが葬られたとこでただ偶然生まれただけや。きっと平次の勘違いや』
『そんな事はない。昔の君は、若くして世を去る時、服部に約束してた。この次はきっとずっと傍に居るって。服部は、蔵王権現に願いを込めて、吉野の山に君を葬った。2人の願いが届いて、君は精霊として生まれ変わったんだよ、和葉ちゃん』
『だから何でアタシがその生まれ変わりやって分かるん!?』
『分かるさ。服部にも、オレにもな。それは君が、服部が命がけで愛した女性だからだ。記憶はなくても、その魂の輝きは間違いねえ。君は紛れもなく、あの和葉ちゃんの生まれ変わりだ』


「確証のない事は絶対断言せん工藤くんが、あの強い目ぇをしてそう言うた。これはもう、信じるしかないと感じたんや。
工藤くんは、ホンマに優しいお人やな。工藤くんは平次には、普段は冷とうてしゃあないんやけど、そないな時に、ああやっぱりこのお人は、平次の信頼する無二の友やって思う」

感情移入してうるうるとなりながら聞いていた蘭だったが、不意にある事に気付いた。

「ね、ねえ、和葉ちゃんって・・・精霊だったら年取らないよね?今、いくつなの?」
「ん?アタシは精霊では若い方やな、まだ百年には満たんよ。蘭ちゃんは魔性やから年とらへんやろけど、蘭ちゃんはアタシより多分ずっと若いんちゃう?精々20年位と見たんやけど」

蘭はこくこくと頷く。
蘭は魔性には珍しく、男女の交わりで生まれたので、赤ん坊から育って行った。子供の蘭に精気を分け与えていたのは、母親だった。
そして、人間界に現れるようになってからそれ程年月が経っていない。
今の蘭は、人間であればの見た目と、年齢とが、ほぼ一致していた。

「ね、ねえ。新一と・・・服部くんって・・・人間だよね?」

蘭の言いたかった事が分かったのか、和葉は面白そうな顔をした。

「あの2人は、生まれはれっきとした人間らしいんやけど。少なくとも、アタシの前世を良く知る位、長生きしとんのは確かやな。多分2人とも、日本がまだ鎖国というものをしてた頃の生まれの筈や」
「え?ええええええっ!?」

日本が鎖国をしていたのは、江戸時代。
淫魔である蘭も、今はその程度の知識はあった。

どう見ても20代前半位にしか見えない新一と平次が、実際には人の寿命を軽く超えた年齢であると蘭は知り、思わず仰け反っていた。

「蘭ちゃん、仙人は知っとるやろ?」

問われて蘭は、こくこくと頷く。

「人間の中にも、若くして仙人並の力をつけ、魔性と変わらへん寿命と永遠の若さを手に入れる人も、たま〜に居るんや。あの2人はそういう人達やな。
やから、逆に普通のお人と恋をしたら、どうしても取り残されてまう、そういう意味では連れ合い探しが難しい人達やな。
アタシの前世の和葉は、お互いそういう事は覚悟の上で夫婦になったらしいんやけど、天寿をまっとうせえへんで若死にしてもうたんや。せやから、次こそはずっと連れ添いたい、その想いがアタシを精霊に生まれ変わらせたんやろなあ」


和葉の話に、蘭は呆然としていた。

けれど、新一が人でありながら、自分とずっと一緒に生きて行けるだけの寿命を持っているのに気がついて。
自然と頬が緩むのを感じていたのである。



   ☆☆☆



蘭と和葉が出て行った後、新一は真面目な顔をして平次に向き直った。

「で、服部。その事件の事だけど・・・」
「ああ。あらましは、こういうこっちゃ・・・」

暫く2人、上方と関東にまたがる、人間の事件か人外の事件かはたまた両方にまたがるのか今のところ不明な事件について、真面目に話し合っていた。

「工藤にも力借りる事にある思うで、そん時はよろしゅう頼んまっせ」
「ああ、分かった」

話が一区切りついたところで、平次がにやりと笑って身を乗り出して来た。

「ところで工藤。女抱いたんは、あの姉ちゃんが生まれて初めてやってんやろ?うまく出来たんか?」
「ななな・・・!」

新一は真っ赤になった。
平次は、いつも自分より優位に立っている新一の泣き所を見つけて、楽しそうである。

「オメーだって、和葉ちゃんしか知らねえ癖に・・・!」
「せやけど、童貞暦は工藤よりずっと短いで」
「・・・やり方位の知識はあったさ。それはオメーだって同じだろ」
「けど、あの姉ちゃんは淫魔や。溺れ過ぎて精気が足りんなんて事にならへんよう、せいぜいセーブしいや」
「ああ、わーってる」

新一は赤くなりながら頷いた。
蘭がもし人間だったら、いや、そうでなくても属性が淫魔でなかったら。
それこそ、一晩中際限なく蘭を抱いていたかも知れないと新一は思う。


新一は女性に対して非常に淡白であったのだが、蘭を知ってからはまるきり変わってしまった。
蘭に対してだけは、強い欲望を抱く自分を自覚していた。
そしてもう1つ自覚したのは、嫉妬心である。

今迄は誰かに強く入れ込む事もなかった為か、嫉妬という感情を覚える事はなかった。
退魔師の能力も、探偵としての力も、あるいは体術においても、努力しない訳ではないが割合何でも良くこなす方だったし、自分を超える能力の持ち主がいたら目標にはしても嫉妬する事はなかった。

けれど今は、蘭が誰か他の男性へ目を向ける事を想像しただけで、心かき乱されるようになってしまったのだ。



   ☆☆☆



平次と和葉は、東京に来た時には工藤邸を常宿にしている。
2人が泊まる部屋も決まっていて、新一の寝室とは遠い、少し離れになったような客間と決まっていた。

「あの2人の夫婦水入らずを邪魔しない為にそうしたんだが・・・今になってみるとそれが正解だったな」

新一がひとりごちる。

「どうしたの?新一、ブツブツ言って」

蘭が不思議そうな顔で新一を覗き込んだ。
新一は悪戯っぽい顔をして手を伸ばし、服の上から蘭の胸の果実を撫でる。

「はん!」

蘭はその一瞬で高い声を上げる。

「この声・・・服部に聞かせる訳には行かねえからな」

そう言って新一が薄く笑った。

蘭はそのまま続けられた新一の愛撫に我を忘れてしまい、新一が言った意味を考える余裕もなかった。



   ☆☆☆



平次と和葉が工藤邸に来て、2週間ほどが過ぎた。

新一は時々平次と共に事件の調査に出かける。
最初に危惧した通り、人間の事件と魔性絡みの事件が交じり合ったものであったが、探偵としても退魔師としても有能な2人が取り組んでいる為、それなりに順調に調査は進んでいる様子だった。

蘭はよく、和葉と共に買い物に行ったり出かけたりしていた。
2人はすっかり仲良しになっていた。



ある日の事、新一と平次は調査に向かい、和葉は東京での知人の元に出かけ、蘭が工藤邸の留守を預かっていた。
和葉は蘭を誘ったのだが、蘭は留守番の事もあるので遠慮した。


工藤邸は、新一が許可を与えた以外の魔性は入り込めないように結界が張り巡らされているし、なまじの人間には魔性の蘭を傷付けること等無理であるから、蘭を1人で留守番させる事に、新一も平次達も、全く不安に思っていなかった。


それがまさか、とんでもない事態になろうとは、誰も、夢にも思っていなかったのである。



「こんにちは。新一さんはいらっしゃる?」

蘭が1人で留守番をしている時に、陰陽師・芦屋権斎の娘・槙子が、訪ねて来たのであった。


「いらっしゃいませ。生憎、新一様は不在で、帰りは今夜遅くなるとの事でしたが。如何なさいますか?」
「そう。じゃあ、待たせて頂くわ」

槙子はそう言って、工藤邸にずかずかと入って行った。
蘭は本来、別に新一の「使用人」でも「使い魔」でもなく。
客をもてなす義理もないし、新一からは新一の不在時には別に客の応対などしなくて良いと言われていたのだが。
更に、勝手に入ってくる客が居れば追い出してもほったらかしでもどっちでも良いと、言われていたのだが。
蘭は妙に律儀な性格であったので、応接間に入った槙子に、香り高いお茶と手作りの和菓子とを持って行った。



   ☆☆☆



応接室のソファに身を沈めた槙子は、顔を顰めた。
以前ここに訪れた時は、屋敷はハウスキーパーの手で綺麗に整えられていたものの、このように女性の影を感じさせるものではなかった。

蘭という魔性の女が、実質上この家の中を取り仕切り、ほぼ工藤邸の「主婦」と化している事を、見抜けない槙子ではなかったのである。
新一は家の中の事などに無頓着だから、単に拾った魔性を重宝しているのかも知れないと、自分に言い聞かせながら、槙子は面白くなかった。


ずっと新一を手に入れたいと思っていたのに、どう誘惑しても指一本触れようとはしてくれなかった。
1度、新一の飲み物に媚薬を仕込んでみた事すらある。
けれど、新一はそれを飲み干した後に、人を食った顔で言ったものだった。

「オレに、薬など効きませんよ、お嬢さん?」

工藤新一という男、殆ど仙人と同等であるから、滅多に薬も術も通じるものではないのは確かな事である。
けれど、槙子が持ち込んだ薬は父・権斎から分け与えられた特別製で、それすらも効かなかったのは誤算だった。

仙人化した彼らは、そちらの欲望がない訳ではないが、希薄になる者が多いとは聞く。
だからおそらくこの工藤新一という男も、そちらの欲望がかなり希薄なのであろうと、そう思って何とか自分を宥めていた。


ところが、この前工藤邸を訪れたら、あろう事か、淫魔が屋敷に居た。
淫魔は人間の精気を糧としなければ生きて行けない。
そして新一は「他所で悪さをしないようにここに留め置いて、時々自分の精気を分け与えている」と言った。
新一自身が精気を分け与えている――すなわち、新一がこの淫魔を幾度も抱いているのは間違いない事であった。
しかも、強大な力と魔性への耐性を持つ新一は、蘭という淫魔の「魔力」に誑かされている訳ではない。
槙子はすごく面白くなかった。

槙子は新一の元から蘭を引き離そうと思い、まず、自分の使い魔の1人である男性淫魔を呼び出し、蘭を陵辱するように命じた。
しかし、その淫魔は蘭を一目見るなり、身を震わせて断って来た。

『それだけは、勘弁してくれ!あの女は、邪な心を少しでも抱いた他の男が近付けないよう、幾重にも強力な術で守られてる。確かに魅力的な女だが、無理だ』
『その術って、あんたの力で解けないの?』
『とんでもない!あの女に術を掛けたのは、魔探偵コナンだろ?ヤツに対抗出来るのは、魔王クラスの者だけだ!好き好んでヤツと渡り合おうなんて魔性はまずいねえよ!』
『そう・・・新一さんがそこまでする程、あの淫魔は人間界で悪さを繰り返してきたのかしら?』
『いや違うね。あの女の精気の輝きは、全部、魔探偵コナンのもので・・・あの女は魔性・人間問わず、他の男に抱かれた事が1度もないんだ。1度も他の男とまぐわった事がない淫魔に術を掛けて我が物とするなんて、全くヤツらしくねえやり方だ。そんだけヤツが執着してる女だって事は間違いねえ。傍に近付いた男は間違いなく、魔探偵コナンから粛清されちまう!』

認めたくなかったけれど、蘭という淫魔が新一にとって、とても大切な存在らしいという事に、槙子は気付いたのであった。



考え込んでいると、蘭がお茶と和菓子を載せたトレイを持って、応接間に入って来た。
流石に淫魔だけあって、服の上からでもスタイルの良さが分かる。
そして、あどけない美貌。
男性にとっては、体は成熟しているのにあどけなく可愛らしい美貌というのはこたえられないのだろうと、槙子は思う。


一礼して去ろうとする蘭を、槙子は呼び止めた。

「こちらにいらして、一緒に頂きません事?」
「え・・・?で、でも、私は・・・」
「あなたも、人間の飲食物は口に出来る筈よ。それとも・・・自分では口に入れられないようなものを、私に出したと仰るの?」
「い、いえ・・・そのような事は・・・」
「じゃあ、お座りなさい」

蘭が一礼して、槙子の向かいに腰掛けた。

「それにしても、新一さんも大したものよねえ。あなたに精気を分け与えて、それでもお元気なのですもの。1回の精気の補充で、どの程度もつものなのかしら?あの強大な精気を持つ新一さんなら、かなり長持ちするでしょう?」

槙子の問いに、蘭は戸惑っている様子だが、素直に答えて来た。

「えっと・・・よく分かりません。多分、かなり長い事大丈夫だろうと思うのだけれど、新一は・・・新一様は、毎晩私に精気を下さるので」

槙子は自分で、頭に血が上るのを自覚していた。
魔性である蘭が、深く考えもせずにごく素直に実情を話している事が良く分かっていたから、余計にだった。
手を膝の上で握り締める。

新一が、この淫魔に溺れているのだという事実を、突きつけられ・・・けれどここに至っても、女性として敵わないとは決して認めたくない槙子なのであった。

『新一さんをこの魔性の女からお救いしなければ。それは、権斎の娘であるこの私だからこそ、出来る事だわ』

槙子は嫉妬と憎しみに歪んだ自分の心をそう正当化して。
そして、行動に移した。


「蘭さん」

槙子が声をかけると、蘭は驚いたように目を見開いて、首をちょっとかしげて槙子を見詰めた。
その表情の可愛らしさに、槙子の憎しみはいや増す。

「これ・・・先だって手に入れたハーブティなんですけど。珍しいもので、人にも魔性にも素晴らしい効き目があるという事なんですのよ。新一さんに是非飲んでいただきたいと持って来たのだけれど、私もまだ飲んだ事がないの。淹れて下さらないかしら?2人で味見をしましょうよ」



   ☆☆☆



蘭は、色々な意味で戸惑っていた。

突然訪れて来た槙子が、以前と変わりなくつんけんしていたかと思えば、突然さん付けして呼んだり、優しい言葉をかけたりする。
魔性も結構気まぐれなものだが、槙子は単に気まぐれなのではなく、蘭に敵意を持ちつつそれを隠して妙に優しく接しようとして来る。
それが、理解出来なかった。
人間の「裏表」というものが、蘭にはまだ良く分かっていなかったから。

槙子の不機嫌さが大きくなり、それに反比例して態度が優しくなったのは、蘭が「新一から毎晩精気を分け与えられている」事を話した時からだった。
蘭は、槙子の不興をこうむっても別に構いはしなかったが、その事で新一に何か悪い影響があったらと、それが心配だった。
けれど、人間界の事も人間の裏表も良く分かっていない蘭には、適度な嘘や誤魔化しなど、出来そうになかった。


「それにしても・・・毎晩新一さんの精気を貰うなんて、ちょっと贅沢なのではありません事?」

槙子の問いに、どう返したら無難なのか、蘭には分からない。

「それは・・・そうかも知れませんけれど。でも、あの・・・新一・・・様は、とても助平でいらっしゃるようなので。毎晩鎮めないと居られないようなのです」
「・・・あの方が?それは、あなたが淫魔の魔力で誑かしているからではなくって?」

槙子の言葉に、蘭はムッとした。
新一は、蘭の魔力で誑かされるような男ではない。
槙子の言い草は、新一を馬鹿にしたものとしか思えなかったのだ。

「新一様は、私ごときの力で誑かされるような方ではありません」

蘭は、キッパリとそう言った。
それが槙子の憎しみを更にかき立ててしまう言葉だとも知らずに。


槙子は、蘭が淹れた持参のハーブティを、一口含んでから、言った。

「素晴らしいわ。疲れが洗い流されていくような・・・あなたも、お飲みになったら?もっとも、淫魔であるあなたに、疲れというものがあるのかは、存じませんけれど」

そのハーブティは、素晴らしい芳香を放っている。
蘭は、その香りを嗅いだだけで、アルコールとはまた違う酔い方をし始めていた位だった。

槙子が先に口をつけたので、蘭も礼儀と思いそのお茶を口に含んだ。
素晴らしい芳香とまろやかな味。
けれど――。

そのお茶を飲み下した途端に、周りの景色が回りだし、蘭は座っている事すら出来なくなった。

虚空に、魔界に居る父と母の顔が浮かび。
そして、端整な人間の男性の顔が浮かんだ。

「助けて・・・新一・・・」

蘭は無意識の内に呟くと、そのまま床に崩れ落ち、意識を手放してしまった。




to be continued…





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