魔探偵コナン




byドミ



File10:集結



「お父さん、お母さん!どうしたの、その格好!?」

蘭は、いつの間にか衣服を身にまとった姿になって(淫魔たるもの、たとえ無意識でも、常に衣服を纏える位の魔力は、あるものだ)、二頭身小人姿の両親に向かって叫んだ。

小五郎と英理は、顔を見合わせる。
暫く逡巡した後、小五郎が口を開いた。

「あ、ま、そ、その・・・無防備で居る所を不覚を取られちまったって言うか・・・」
「今の私達は、意識体がかろうじて実体化した為、力不足でこんな姿になってるの。本体は、私の城の寝室で、石化してしまっているわ」
「え・・・?お母様の寝室で?」

その意味するところを、蘭は理解し、頬が染まった。

「で、でも・・・!いくら、その・・・無防備な状態だったとは言っても、仮にも魔王であるお父さんとお母さんを、同時にそんな風に出来るなんて、一体・・・」

蘭の問いかけに、小五郎と英理は再び顔を見合わせた。

「・・・顔のない魔王、変幻自在の王、ニャルラトテップよ」

英理が、躊躇いつつ答えた。
その名前位、聞いた事がある蘭は、息を呑んだ。

「全ての魔王よりも、大魔王ルシフェル様より強力とされている、あの・・・?な、何故?」
「さあな。ヤツも、気紛れだから、何らかの遊びなのだろうよ」

小五郎が吐き捨てるように言った。


「ところで蘭。お茶を入れて貰える?」

飲食物は、元々魔性には不要な物、まして、今の小五郎と英理は意識体、とは言え、お茶を楽しみリラックスするというのは、魔性にも時に見られる事だった。


「あ、珈琲で良かったらオレが・・・」
「私は、蘭の淹れてくれた、お〜いし〜い紅茶が、飲みたいの」

英理に、冷たい眼差しと声でそう言われ、新一としては苦笑するしかない。

「もう!お母さんったら、新一のせっかくの好意に何て事言うのよ!」

蘭がプリッと怒っても、英理はつーんと顔を背けるだけだった。

「仕方ないわね!」

蘭が、再び台所に向かい。

「あ、手伝うよ」

新一が、その後を追おうとした。
その時。

『新一君、お願いがあるの』

英理の声が、新一の頭の中で直接響いた。
新一は、驚いたが、無言で英理のテレパシー(?)に頷き、蘭の後を追って台所に入った。


ほどなく、蘭が全員分の珈琲や紅茶を淹れ、新一がトレイにそれを乗せて運んで来た。

蘭が、自分の分の紅茶を持ち、クンと匂いを嗅ぐ。

「蘭、どうした?」
「うん、良い香りだけど・・・いつもと少し違うような?」
「そうか?お茶っぱが古くなったかな?」
「そんな感じじゃない・・・それに、この香り、何か・・・覚えがある?」

蘭は首を傾げた。

「ああ。やっぱり、蘭の淹れてくれた紅茶は、美味しいわ・・・」
「お母さんったら、わざわざ人間界から取り寄せた紅茶を、いつも飲んでたものね」

英理の笑顔に、蘭も釣られて笑顔になり。
そして、紅茶への不信感を忘れて、口をつけた。


   ☆☆☆


「英理女王。あれ、本当に蘭に害はないのでしょうね?」
「あら。当たり前じゃないの。母親である私が、蘭に害をなすような事を、あなたに頼むと思って?あれは、ドライアードの樹液から作られた、リリム族にとって眠り薬となる物。後遺症の心配は、全くないから」

新一と英理、小五郎は、ソファで眠りこけてしまった蘭を見詰めながら、会話をしていた。
英理は、前回遊びに来た時に、蘭に気付かれないよう、台所にいくつかのものを隠しており、その一つが、これだったのである。

新一は、英理にテレパシーで頼まれた通り、蘭の飲む紅茶に、それを一滴垂らしたのである。

「それより新一君。夢は、別次元に存在するもの。ヤツが再び蘭の夢に接触して来ないように、蘭を抱きかかえていてちょうだい」


小五郎も英理も、今の時点では、新一と同じく、ニャルラトテップの件に関して蘭に伝えるのを良しとはしなかったようである。
蘭に、心構えと自衛をさせたところで、意味がない、たとえ蘭をつんぼ桟敷に置いてでも、恐怖感を味わわせたくない、その点で蘭の両親が新一と気持ちを一つに出来る程に、敵は強力なのだと言えた。


「あいつは、我らりリム族の祖、ルシフェル様とリリス様がこの世に現れた時に、既に存在していた。神に匹敵する力と寿命を持っているとも、言われているわ」
「神・・・」

新一は呟いた。
この世界に置いては、天使や魔と呼ばれる存在は、人間に関わって来る事があるけれど。世界を作りたもうたとされる神は、直接人間達に関わる事は、皆無だった。

「けれど、ヤツの力と寿命の源は、数多の命と力を犠牲にし吸収した上に、成り立っているもの。元々、ヤツが再生の苗床に選んでいたのは、様々な種族であったけれど。ここ数万年は、直系に近いリリム族を狙うようになった」
「はい・・・」
「おそらく、リリム族の特性に大きく関わっているだろうと思うの。直系に近いほど、本能的に、大きな霊気を持つ男性の子供を身籠るから、胎児が男児だった場合、大抵は、桁外れの潜在力を持っている。その胎児の力を食らって我がものとすれば、強大な力を得られる。
そして、妊娠中のリリム族の胎内は、また、再生の為に植え付けた種が育つには、非常に良い環境らしいの。そういった事から、ヤツは再生に直系に近いリリム族が男児を身籠った時を狙うようになった」
「男児?では、今、蘭のお腹にいるのは・・・」
「ええ、多分、男の子ね」
「で?英理。どうやったら、蘭と子供を、そいつから守れるんだ?」

何も出来ない焦燥感に駆られてか、苛々したように小五郎が言った。

「私にも、分からない。何しろヤツの能力は桁外れだし、次元を移動できるから、普通の結界など、物の役にも立たない」
「何か、方法はねえのかよ!?」
「多くの人の、知恵と力を借りるしかないと、思うわ。新一君。黒羽快斗君と、中森青子さんを、ここに呼んで貰える?」
「!は、はい!」

快斗と青子の内なる存在は、まさしくリリム族の祖。確かに、この事態に力を貸してくれるだろうと思われた。


   ☆☆☆


蘭は、夢を見ていた。
淫魔は、夢を操る能力もあり、自身が夢を見る事は滅多にない。

夢だという自覚はあったが、先ほどのように嫌な感じも恐怖感もなかった。
何となく、懐かしい感じがした。

目の前に現れた女性の見知った風貌に、蘭は声をかけた。

「青子ちゃん?」

その女性は、中森青子と同じ顔、同じ姿をしている。
けれど、歳よりやや幼いあどけない風貌とは裏腹に、威厳と落ち着きを持っていた。
放つ霊気は、青子のものに似ているが、桁違いに強大だ。

その女性は微笑んで、蘭に手を伸ばし、頬を撫でた。

「吾子(あこ)よ」
「えっ?」
「ルシフェルどのとわらわとの唯一の子、我が娘、リリムよ」

その言葉に、蘭は、目の前の女性が、全てのリリム族の祖である、リリスその人だと、理解する。
リリムとは、ルシフェルとりリスとの間に生まれた娘であり、名の通り、リリム族の第一世代なのである。

「リリム様?ご先祖の?あの、私は蘭と言って・・・その方とは違います」
「そなたは、吾子リリムの生まれ変わり。眠りの中で転生を重ねるわらわと異なり、そなたとそなたの夫は、長い寿命を全うして、一旦土に返った。その後に、何度も転生を繰り返している」
「え?夫?」
「転生の度に、必ずそなたの傍に居る筈。今生でも、そなたの夫となっておろう」
「新一が?前世からの、わたしの夫?」
「そなた達は、長い寿命の中で、沢山の子供達を世に送り出し、人間とリリム族の祖としての役目を果たしたのだ」

蘭は、新一の言葉を思い出していた。

『オレはいつも、何かが欠けている気がして、ならなかった。漠然と、何かを探していた。オレに欠けていたもの、オレが探していたもの、それは、オメーだ』

二人の絆は、二人の愛は、魂に刻み込まれたもので。
今生、蘭より400年ほど早く生まれた新一は、ずっと、無意識の領域で、蘭を探してくれていたのだ。

「新一・・・」

早く生まれてあげられなくてごめんね、傍にいてあげられなくてごめんね、これからはずっと一緒だからねと、蘭は心の中で呟く。

「リリムよ。そなたの身に危険が迫っている」
「え・・・?」
「ただ単に、命を失うならば、まだ良い。いずれまた、転生して巡り会える。けれど、ヤツに捕まってしまえばそなたは、ヤツに魂ごと縛られ、転生すらも叶わなくなる」
「リリス様!?それは、一体!?」
「吾子よ。わらわは、わらわの存在をかけて、必ずやそなたを守る。だから、気をしっかり持っていて欲しい」

蘭が更に何かを問おうとしたが。
映像が揺らぎ、夢から覚め始めた事を蘭は悟った。

「待って!リリス様・・・お母様ああ!」

蘭は手を伸ばしたが、リリスの姿は、そのまま掻き消えてしまった。


   ☆☆☆


「お母・・・様・・・」

蘭が呟いて身を起こし。
英理は驚愕に目を見開いた。

「蘭!?まだ、眠っている筈なのに!?」

ソファーで新一が蘭を抱えている状態で。
新一の手には、携帯電話が握られていた。

蘭は、そっと新一の頬に手を滑らせる。

「新一・・・一体、わたしの身に、何が起ころうとしているの?」
「ら・・・蘭!?」
「覚悟は出来ているから。話して?」
「けど・・・」

新一はなおも、言い淀んだ。

「ねえ、新一」
「ん?何だ、蘭?」
「もしもの時は、どうしても駄目だって時は。わたしを、あなたの手で、殺して」
「な・・・!蘭、何を!?」

新一は目を見開いた。
蘭は、ほんのりと微笑んでいる。

「あなたの手にかかって死ねば、また、きっと、未来で巡り会える。お互いに忘れ果てているだろうけど、どちらかがまた、何百年か待たせる事になってしまうかも知れないけれど、それでも、必ず、見つけるから・・・」
「蘭・・・?」
「もしも、捕われたら、わたしは・・・縛られて、転生も叶わなくなってしまうんですって」
「な・・・!?一体、誰が、そのような事を!?」

新一は、思わず声をあげて。
そして、「蘭が狙われている」事実を、蘭に告げてしまった事に、気付いた。

「今、眠りの中で、お母様にあったの」
「え!?」

今度は、英理が声を上げた。

「今のお母様じゃない、別のお母様・・・今は、青子ちゃんの内に封じられている・・・」

その場にいる全ての者が、息を呑んだ。
中森青子の内に封じられている存在は、リリス。
リリスを母親と呼べる存在は、この世でたった一人しか、居ない。
いや、正確には、「血を分けた存在」ではないけれど、息子と呼べる者が、他に一人居るのだが。


「・・・あなたが、リリム様の転生であるのなら、あなたにドライアードの眠り薬が効く筈は、ないわよね・・・」
「ええ。だから、以前、ドライアードの毒を受けた時も。もし、助けが間に合わなかった場合には、わたしはリリムである事に目覚めていただろうと、思うの」
「記憶も、全て?」

英理の問いに、蘭は首を横に振った。

「ううん・・・記憶は、断片的にしか思い出せない。でも、前世でもずっと、あなたはわたしの傍に居たわ、新一」
「蘭・・・?」
「あなたは、光と闇のアダム。わたしは、リリム。ずっと、一緒に居て。わたしは沢山の、あなたの子を・・・人間の男の子と、リリム族の女の子を、産んで。世に送り出したわ」
「アダム?人類の祖と言われている、あの・・・?」
「ええ・・・」

新一は、複雑な顔をした。
自分自身が、過去世でアダムだったと言われても、全くピンとこない。

もとより、神話や伝説が、真実の全てを伝えている訳ではない位は、承知している。
だが、アダムがイヴと夫婦になって、人間を増やしたという言い伝えは、全くの出鱈目なのだろうか?

第一、人間のアダムとリリム族のリリムの組み合わせでは、「人間の女性」は生まれないではないか。

すると、新一の疑問を感じ取ったのか、英理が口を開いた。


「新一君。アダムと言うのは、人間の祖となった5人の男性の、総称なの」
「えっ!?」
「炎の熾天使ミカエルが、炎を整えて命を吹き込んで作ったのが、炎のアダム。風の熾天使ラファエルが、風を揃えて命を吹き込んで作ったのが、風のアダム。水の熾天使ガブリエルが、水を固めて命を吹き込んで作ったのが、水のアダム。土の熾天使ウリエルが、土をこねて命を吹き込んで作ったのが、土のアダム。そして・・・リリム族の祖でもある、暁の大天使、光と闇の熾天使ルシフェル様が、光と闇を編み上げ、命を吹き込んで作ったのが、光と闇のアダム」
「じゃ、じゃあ・・・オレは、その、光と闇のアダムの、転生?」
「蘭の話が本当なら、そういう事になるわね」

英理が、やや陰りのある表情で、言った。

「私達、リリム族の女王に、代々伝えられている事がある。それはおそらく、人間の伝説よりは正確に、事態を伝えていると思うわ。それぞれのアダムには、対になるそれぞれのイヴが、作られた。そして、彼らは人類の祖となった。けれど、光と闇のアダムのみ、対になる筈だったイヴが作られる事なく、別の女性・・・リリムを、娶った」

英理が語る思いがけない過去に、新一は息を呑んだ。


「今こそ、分かったわ。ルシフェル様とリリス様が、何故、新一君を気に入って、贔屓するのか。
光と闇のアダムは、リリム様のように血を分けた子供ではないけれど、自らの手で作ったという意味で、ルシフェル様達の息子なのよ。顔も、ルシフェル様に似せて作っているしね」
「成程な・・・オレが黒羽に似ていて、蘭が青子ちゃんに似ているのは、偶然ではなかったという訳か」
「アダム達は、伝説のように、いきなり大人の姿で存在した訳ではないらしいの。それぞれのアダムは、それぞれの熾天使の元で、光と闇のアダムは、ルシフェル様とリリス様の元で、育てられた。おそらくは、リリム様と一緒にね」

新一は想像してみる。
新一がもし、蘭と共に育てられたとしたならば、それはもう、他の女性など、全く目に入る余地などある筈がない。
長じたアダムが、リリムと愛し合い結ばれたのは、おそらく自然の成り行きであったのだろう。だから、光と闇のアダムには、対になるイヴが、作られなかったのだ。


「ドライアードの木は、リリス様が、リリム様の為に植えた、自然界から精気を集める木なのよ。リリム族の女王になった者のみ、人間の男性との交わりや淫夢を見せる方法を取らず、ドライアードの木から精気を受け取って生きて行く事が出来る。その葉の毒も、その樹液の眠り薬も、女王にのみは、効かなくなるの。リリム様がお生まれになった時、精気を奪える人間の男が、まだ存在していなかったしね」
「え?ちょ、ちょっと待て!じゃあ、リリス様は、淫魔じゃねえのか?」
「ええ。ルシフェル様とリリス様は、我らリリム族の祖であり、一族の崇敬を受けているし、リリス様は我ら全ての大女王と見なされているけれど。リリム族の特性をもった第一世代は、リリム様なの。淫魔であり、そして子供が、男女によってそれぞれの種族に分かれる、そういった特性が始まったのは、リリム様からなの」

「あ〜、だから、リリスは貧乳なのね・・・」

突然、声がして、皆そちらを向いた。
苦笑いをしている中森青子が、そこに立っていた。
そして、その傍らには、黒羽快斗が居た。

「リリム族は皆ナイスバディなのに、リリスがお子様体型なのは、淫魔じゃなかったからかあ」
「オメー、妙にそこに拘るな」
「だって。コンプレックスだもん。快斗だって、お子ちゃまお子ちゃまって、バカにするし」
「あー、いや、それはだな。色々訳があって、本気でそう思ってる訳じゃ・・・」

ほって置くとそのまま痴話喧嘩に発展しそうな二人を制したのは、新一であった。

「黒羽、青子ちゃん、来てくれたんだな。ありがとう」
「何を水臭い、オレとオメーの仲じゃん」
「・・・どういう仲だよ!?」
「現世では、工藤の方がオレよかずっと年上だけど、まさか前世ではオレのムスコだったとはね〜。お父さんって呼んで、甘えてくれてイイんだよ」
「オメー、どっから話を聞いてたんだよ?」
「ええっと・・・英理さんの『ルシフェルが光と闇のアダムを作った』って辺りから」
「オメーには、どの程度、記憶があんだ?」

新一に、からかいを完璧スルーされて、快斗は一瞬いじけるが。
そういう場合ではない事は、弁えているらしい。

「ああ、前にも言ったけど、断片的にしか・・・ただ、オレの中のルシフェルは、事態を見守っていて、出て来るタイミングを伺っているらしいぜ」
「青子の中のリリスもだよ」

「ねえ、青子ちゃん。さっき、夢を見なかった?」

新一の腕に抱えられたままの蘭が、青子に向かって言った。

「さっき?快斗の運転する車の中で、うたた寝してたから、その間の事かな?残念ながら、青子の記憶にはないんだ。って事は、リリスが蘭ちゃんに会いに来たのね?」

蘭は、黙って頷いた。

「ところで、工藤。人を呼びつけて置いて、自分は奥さんといちゃついてるって、どういう了見だ?」

快斗の指摘に、新一は蘭を抱えたままだった事に気づき、赤くなった。

「い、いやこれは・・・夢の中でヤツが蘭に接触しねえように・・・」

そう言いながら、新一は蘭を離し、自分の隣に腰かけさせた。

「新一。ヤツって・・・?」

蘭が問う。
新一は、窺うように英理と小五郎を見た。
小五郎はそっぽを向き、英理は頷いた。


新一は、意を決して。
今の時点で分かっている事を全て、蘭に話した。
さすがに青褪めて身を震わせる蘭の肩を、しっかり抱き寄せる。


「蘭。ヤツがどんなに強大だろうと、オレは必ず、どんな手段を取ってでも、必ずオメーを守る」
「新一・・・うん、新一を信じてる。でも、でも、どうしてもどうしても駄目な時は・・・さっきも言ったけど、新一の手で、わたしを殺して」
「ら、蘭!」


蘭は静かに、信頼を込めた眼差しで新一を見詰めた。

蘭を自分の手にかけるなど、常であるなら勿論、絶対に出来る事ではない。
けれど、今回、蘭がニャルラトテップの手に落ちたら。
ただ、蘭が凌辱されて終わりという訳ではない。
蘭と子供の存在が、未来永劫失われる事になってしまうのだ。


「わーった。ギリギリまで頑張るけど、もしもの時は、オレが・・・」
「うん」
「・・・独りで逝かせは、しねーから・・・」
「うん・・・」

蘭が瞼を閉じ、涙が一滴流れ落ちた。

「その時は、また、未来でわたしを見つけてね・・・」
「・・・バーロ!それは、もしもの時だって言ってるだろうが!」
「うん・・・」

無意識の内に、二人の顔が近付いた。

そこへ、咳払いの声が聞こえた。
快斗が、頬をあからめ、顔をしかめながら、言った。

「あのさ、工藤。別に邪魔する気はねーんだけど、まあ、とりあえず、ヤツへの対抗策を、考えてみても良いんじゃねえか?」
「同感だ。その為に、その・・・黒羽を呼んだんだろうが」

小五郎と快斗の表情が同じで、一同は何とも複雑な気分になる。
快斗(正確にはその内に封じられている存在)と、小五郎とは、蘭に対して似たような立場であり、似たような感情を持つのも道理であったのだ。
ただ1つ違うのは、ルシフェルにとっては、アダムも、自分が作り育てた息子であるという事である。


「と言ってもねえ、ルシフェルとリリスならともかく、快斗と青子には知識がないんだよね」

青子が、腕を組んで渋面を作って言った。
協力したいのは山々だけれど、どう協力したら良いのかすらも分からない状況なのだ。
と、そこへ。

「ただいま。おや、お客さんかい?」

妙にのんびりとしているように聞こえる、穏やかな声がした。
現れたのは、工藤邸の当主である新一の父親・工藤勇作である。
その傍らには、リリム族の女王である英理に勝るとも劣らない美貌を誇る、リリム族の「妻」、有希子がいた。

「父さん、母さん、お帰り。・・・どうだった?」

優作は、新一には答えず、2頭身ミニサイズになった小五郎と英理に向き直った。

「おお、英理殿、暫くぶりですなあ。しかし一体、その姿は、どうなさったんです?」
「・・・情けない事に、不覚を取ってしまったわ」
「ニャルラトテップ相手では、無理からぬ事でしょう」
「ああ、やっぱり、優作さんには、お見通しですわね」


かつて、有希子が新一を妊娠している時に、ニャルラトテップに狙われて。
かろうじて退けた、その時に、英理も出来る限りの助力をしたのである。


「恩をアダで返すとは、まさに、この事」

突然青子の口から洩れた言葉に、一同は思わず振り返る。
青子自身が目を丸くしていた。
どうやらこの言葉は、青子の口を借りたリリスからのメッセージらしい。


「アヤツは、数万年の昔、異なる次元宇宙から、この世界を訪れた。魔王達と同等の力を持っていたが、その存在は全く異質だった」
「・・・恩をアダで・・・と言うのは、そのニャルラトテップを指しての言葉ですか?」

新一が、何となく敬語を使ってしまいながら、尋ね返した。

「強大な力を持ちながらも、故郷を離れて次元をさ迷ったアヤツは、その頃、弱っていた。何も知らぬまだ幼いリリムが、アヤツを拾って献身的に世話をした」
「へっ?」
「リリムのお陰で回復したアヤツが、最初にしようとした事は。まさしく恩をアダで返す行為。ようやく、童女から少女に成長したばかりのリリムを襲い、わがものとして種を植え付けようという、とんでもない仕打ちだったのだ」
「な、何だって!?」

新一は、思わぬ過去話に思わず拳を握りしめた。
蘭も蒼白になる。

「その頃は、ヤツの力も、今の数分の1しかなかった。だから、リリムを守り得たのだ。
その時、・・・事態に気付いたわらわ達も、勿論、必死で戦ったが。ヤツがリリムに襲いかかろうとした時、すぐさま身をもってリリムを守り、ヤツを退けたのは。ルシフェル殿が光と闇を編み、命を吹き込んで作り出した、その時はまだ少年だった、光と闇のアダム、だった」

新一と蘭、そしてニャルラトテップの、思いがけない前世からの縁としがらみに。
一同は、大きく息を呑んだ。


「幼い頃から、アダムとリリムが想い合っていた事は、知っていた。けれど、アダムには人間の祖となるという役目があり。そしてリリムは、その人間の男子を惑わして精気を奪い取る存在。だから、2人を結ばせる訳には行かないと、思っていたが。
アダムがリリムを守り得た事で、ルシフェル殿は、光と闇のアダムにはイヴを作らず、リリムを妻として与える事に、決めたのだ」

青子の口を借りたリリスは、淡々と語るが。
おそらく、そこには、多くの出来事とそれぞれの想いがあった事だろう。

「ニャルラトテップは、別宇宙から来た存在・・・?」
「そうだ。それ故、特殊な力がいくつもある。前回の時には、ヤツの再生母胎となり得る存在がなかなか現れなかった為、ヤツは弱っており、その能力が発揮出来なかった。そして、さすがのヤツも、有希子殿の胎内に居たのが、かのアダムの転生である事を知らなかった。その僥倖故に、ヤツを退ける事が可能だったのだが。
今回は、ヤツも万全の態勢で来る。リリムの生まれ変わりである蘭を守るには、ヤツの特殊能力を封じる為に、多くの協力が必要なのだ」

一同は、思わず頷き合う。

「現在、サタン殿の転生も、この世界には存在している筈。アダム・・・いや、新一。そなたには、サタン殿の転生を探して欲しい」
「サタンの転生・・・って?ルシフェル様とは違うのですか?」
「人間の伝説ではしばしば混同されているが、サタン殿とルシフェル殿は、別存在なのだ」

新一は考え込む。
ある程度力のある人間なら、新一の頭のリストに載っている。

『服部は、ぜってー違うよな。他に力がある人間と言えば・・・』

リストの中から、次々と削除されて行くが。
ふと、閃くものがあった。
共に生まれ出た大きなダイヤに、悪魔の名前がついていたという、力ある人間の存在を思い出したのだ。

新一は、手に持っていた携帯で、連絡を取る。


『はい。工藤さん?』
「白馬、よくオレからだって、分かったな」
『ボクは、携帯越しにでも、相手の霊力を感じ取る事が出来ますからね』
「・・・オメーに協力して欲しい事があるんだが、今から家に来てもらえるか?」
『工藤さんがボクに頼みごととは、珍しいですね。・・・紅子さんは同行した方が良いですか?』
「それは、オメーに任せる」
『分かりました。すぐに伺います』


電話を切った後、新一は思い出す。
白馬探と共に生まれ出た巨大ダイヤ「アモン」は、ニャルラトテップに奪われてしまった筈だ。

けれど、それが吉と出るのか凶と出るのか。
新一は、何となくだが、前者の予感がしていたのである。


突然、工藤邸の玄関が大きな音を立てて開けられた。


「工藤君、お久し振りです!」
「京極さん。来てくれたんですか」

駆け込んで来たのは、空手道着を着た色黒長身の男。
退魔師仲間の、京極真であった。


「工藤君が私に助力を頼むとは、尋常ではないと思いまして。タイの山奥に居たのですが、飛行機では間に合わないだろうと」
「・・・もしや、山を駆け下り、海を泳いで、帰って来た?」

真は頷いた。
彼も、力ある退魔師であるが、このような時に魔方陣を使おうとせず、体力に任せて移動するのが、彼らしいと、新一は考えた。


「真さん!帰って来たなら、わたしに連絡してくれても良いじゃないのよ!」

真を追うように、玄関から飛び込んで来た女性の姿に、新一は頭を抱えた。
真の連れ合いである白狐の園子は、蘭の親友であるけれど、今回、園子には蘭の危機に関して何も伝えていなかったのである。
何しろ、蘭自身にも隠していた事だから、仕方のない事と言えた。

しかし、蘭を守る為には、出来る限りの助力を頼む必要がある事は分かっていたので、外国で修行中の「退魔師・蹴撃(しゅうげき)の貴公子」こと京極真には、連絡を取っていたのである。

「園子さん、申し訳ありません!しかし、工藤君の連れ合いに、危機が迫っていて、手を貸して欲しいという依頼でしたので」

そもそも真は、新一が連れ合いを作った事すら知らなかった筈であるが、律儀な彼は、新一が助けを求めて来たというそれだけで、駆けつけてくれたのだった。

「えええ!?蘭に!?それって、どういう事なの!?」

園子が、新一の胸倉を掴まんばかりに迫って来て、新一は目を白黒させた。

「園子、ごめんね・・・あなたの大切な人を、わたしの為に呼びつけるような真似させてしまって・・・」

蘭の申し訳なさそうな声に、園子は毒気を抜かれた顔で蘭に向き直った。

「う、ううん・・・蘭・・・蘭はわたしの親友だもん!蘭の為に、真さんの力が必要だって言うんなら、わたしだって協力するよ。でも、一体、何が起ころうとしてるの?」


蘭が園子に、説明をしている間に。
有希子は、台所で人数分のお茶を淹れていたが。

また、玄関の戸が大きな音を立てて開けられた。

「工藤!遅うなって済まん!ようやく上方(かみかた)の事件に、けりつけて来たで!」

駆け込んで来たのは、和葉を伴った平次だった。

「服部、和葉ちゃん、済まねえな」
「水臭い事言いなや」
「アタシは微力やけど、出来る事は何でもするで?」


と、更に玄関の戸が大きな音を立てて開けられる。

「工藤君!目暮警部には事情を話して、休暇を取って来ました!」
「私にも、協力させてちょうだい!」
「高木刑事・・・それに、美和子さんまで」

駆け込んで来たのは、退魔師仲間だが、表向き「警視庁捜査1課の刑事」となっている、高木渉と、その連れ合いである、猫又の美和子であった。


蘭を、強大な敵・ニャルラトテップから守る為に、次々と仲間達が工藤邸に集結して来たのである。




to be continued…


+++++++++++++++++++++++++++++


<後書き>


説明部分が多く長い、第10話になってしまいました。

さてさて、「蘭ちゃんを守り隊」に、今迄出番のなかった方達も含め、最強メンバーが集結して来ました。

次は、決戦の始まり、ですね。
この最強メンバーを集めてさえ、ニャルはそれを出し抜いて来る能力を持っています。

多分、それほど長くはならない筈だと、思われます。
最終回まで、あと1〜2話ってところかな?



「File09:凶(まが)き手」に戻る。  「File11:決戦」に続く。