緑の日々



byドミ



《エピローグ》



 東京都米花市の、大きな家が立ち並ぶ閑静な住宅街の一角に、古い洋館がある。
 そこには、二人とも大学に入ったばかりの、初々しい学生若夫婦が住んでいる。
 夫の工藤新一は、高校時代から探偵として名を馳せていたが、今は報酬を得て探偵活動を行っている。妻の工藤蘭は、学生をしながら主婦業と探偵事務所の事務的な仕事も受け持ち、空手の部活動も頑張っている。
 工藤邸には、老若男女の友人達がよく出入りして、幽霊屋敷と呼ばれた昔と違い、賑やかだった。

 そして今日は。

「綺麗に掃除してありますね〜」
「やっぱ、蘭姉ちゃんが居ると違うよな」
「ホント、男の人の一人暮らしと、奥さんがいるのとでは、こんなに違うもんなのね」
 工藤邸の応接室で、出された紅茶を飲みながら、きょろきょろと室内を見回している三人の子供たちが居た。

「オメーら、また来たのかよ?」
「あ〜、その口調、ボク達を子供だと思ってなめてますね?」
「少年探偵団の存在なくして、工藤探偵事務所は回らねーぜ」
「そうよ!」
「ああ、悪かったな……そういう意味じゃねーんだがよ」
「それにしても、工藤新一さんって、マスコミに出る時は、すましてカッコつけて話しているのに」
「何だか言葉が乱暴だよな」
「……悪かったな……」
「何だか、そういうところもコナン君みたい」
「あ〜、コホン。コナンと言えば、実は、コナンから君達宛の手紙を預かってるんだ」
 そう言って新一は、封筒を取り出した。
 歩美がそれを受け取って開き、三人で覗き込んだ。



「歩美、元太、光彦。げんきか?
 おれは、げんきだ。
 しんいちにいちゃんから、きいたよ。少年たんてい団、大かつやくだったってな。
 おれは、とおいところにいたから、蘭ねえちゃんがあぶなくなっても、なにもできなくて、くやしかった。でも、元太たちが、しんいちにいちゃんと力をあわせて、わるものをやっつけて、蘭ねえちゃんを助けたんだよな。うれしかったよ、ありがとう。

 おれは今、アメリカのしょうがっこうに行ってる。アメリカだけど、日本人がっこうっていって、せいとは日本人ばかりだ。
 クラスのみんなとは、なかよくなった。でも、少年たんてい団のなかまみたいな、しんゆうはまだいない。
 ときどき、さびしくなる。でも、みんなといっしょにがんばったことを、いつも思い出して、がんばってる。
 少年たんてい団といっしょだったとき、とてもたのしかった。思い出は、おれのたからものだ。

 おれも、灰原も、いつまでもずっと、少年たんてい団のなかまだ。
いつか、また会おうぜ。じゃあな。 江戸川コナン」




「コナン君……いつかまた、会えるよね……」
「アメリカは、遠いからな。でもさ、大人になったら、一人で飛行機に乗って帰って来る事も出来るようになるよな」
「僕達が三人で、コナン君や灰原さんに会いに行く事だって、出来ますよね」

 三人が、遠い目をして語るのを、新一は少しばかり胸を痛めながら聞いた。

 コナンと哀は、それぞれがアメリカの別の場所に行っている事になっている。それぞれの両親の元で生活していると、少年探偵団には伝えてあった。
 今、阿笠博士のところに居る阿笠志保は、「灰原哀の従姉妹」として、少年探偵団に紹介されていた。


 いずれ少年探偵団のメンバーが大人になったら、新一と志保は、本当の事を語る積りでいる。
 けれど、とりあえず今は。遠い国にいる事になっているコナンから、メッセージを伝える事にする。

 新一の携帯が鳴り始め、新一はおもむろにそれを取った。

「ハイ、ハイ……少しお待ち下さい。……わりぃ、警察からだから……ちょっとごめんな」

 そう言って新一は、部屋から出て行った。

 少年探偵団が、所在無げにして待っていると。今度は、蘭が電話の子機を手に、顔を出した。

「蘭お姉さん!」
「良かった。幸せそうですね」
「オレ達、蘭姉ちゃんの役にたったかな?」
「ええ。みんなのお陰よ。本当に、感謝してるわ。ありがとう」

 蘭は微笑みながら、電話の子機を歩美に渡す。

「コナン君から、電話よ」
「ええ!?」

 歩美は慌てて、蘭から電話を受け取り、耳に当てた。

「コナン君!」
『歩美ちゃんか?久し振りだな』
「手紙、読んだよ。コナン君、いつかまた、会えるよね!?」
『ああ。いつかきっとな』
「ねえ、コナン君。あたし、コナン君の事、待ってて良い?」
『……ごめん、歩美ちゃん。オレの事は絶対に、待たないでくれ』
「コナン君!?」
『少年探偵団のみんなは、大事な仲間だ。オメーの事も、大事な仲間、友達だって思ってる。でも、それ以外の意味で、待たれると、困る。オレは……オメーの気持ちに応えられねえから……』

 歩美の手が震え、涙が零れ落ちた。

「でも、コナン君、蘭お姉さんは……」
『ああ。わーってるよ。最初から、分かってた。蘭姉ちゃんの事は、ちゃんと諦めるよ。でも、それでも、オレは……オメーのところに帰って来るって約束は、ぜってー出来ねえから……ごめんな』
「ふっ……うえ……」
『泣かせちまって、ごめん。歩美ちゃんなら、いつかきっと、素敵なナイトが現れる。でもそれは、オレじゃねえんだ』
「コナン君!」
『遠く離れていても、オメー達が元気でいる事を祈ってるよ。……元太と光彦に、代わってくれねえか?』

 歩美は、涙をボタボタ落としながら、元太に受話器を手渡した。

「コナン!おめー、歩美に何言ったんだ!?何泣かせてんだよ!?」
『元太。歩美の事、頼む。オレは……歩美の事、大切で好きだけど、それは元太や光彦や灰原に対してと、おんなじ意味でしかねえんだ。歩美を守る事も慰める事も、オレには出来ねえ。だから……』
「勝手な事、言うなよ!戻って来いよ、悔しいけど、歩美にはお前がいねえと駄目なんだからよ!」
『元太。オレは、帰って来られねえ。でも、ずっと、友達だよ』
「コナン君!今は無理かも知れませんが、大人になったら帰って来てくれますよね!?」
『光彦か?オレも、いつかまた、会いたいって思ってるよ。少年探偵団の仲間としてな。歩美の事、頼む。オレはどうしたって、歩美ちゃんの事をそういった対象では見られねえからよ』
「コナン君!!それは、あんまりですよ!」

『元太、光彦、歩美。後は頼んだぞ』

 お互いに、一方通行のまま。電話は切れて。後は、通話が切れた事を示す無機質な電子音が響いていた。
 元太は憮然として、光彦は呆然として、立ち尽くしていた。

「コナン、あいつ、せっかく電話かけてきたかと思ったら、勝手な事ばっかり言いやがってよ」
「まったくです!もうこれは、裏切りですよ!」
「元太君、光彦君。少年探偵団は、もう、あたし達三人だけになっちゃったのよ。コナン君と哀ちゃんは、遠くに行ってしまった。いつまでも、友達だけど。でも、もう、二人を頼っちゃいけないの」
「歩美……」
「歩美ちゃん……」
「これからは、三人で頑張ろ?いつかまた、二人に会えた時に、た〜くさん、あたし達の冒険を話してあげるんだから!」

 涙を拭って笑顔になった歩美を、二人の小さなナイトが、少し眩しげに見詰めていた。
 そして、その三人の様子を。いつの間にか部屋に戻って来た新一と、ひっそりとその場に佇んでいた蘭が、気遣わし気に見詰めていたのであった。


 歩美がコナンとの電話を通して、言葉にはならなくても、失恋した事実を受け止めたのだという事を。周囲の者が分かるのは、また、後の事になる。


   ☆☆☆


「これで、良かったのかな?」
「それは分からないわよ。一辺で何もかも、上手く行くとは思わないで、少しずつ積み重ねて行くしかないんじゃない?」

 新一の言葉に、志保はそう返した。

「コナンと哀は、幻の存在だったけど。あいつらの前に確かに居たんだ。結局、あいつ等には残酷な事をしたんじゃねえかって思うよ」

 新一の言葉に、志保とは別の声で返事があった。

「与えられて取り上げられるのと、最初から与えられなかったのとでは、どちらが良かったかなんて、誰にも分からない事だわ」
「蘭……」
「あの子達は、コナン君や哀ちゃんと出会う事がなければ、事件に出会う事も滅多になく、辛い失恋も経験する事なく……その方が幸せだったんじゃないかって、新一は言いたいのかも知れないけれど。そういったifを言い立てるのって、とても不遜な事だと思うのよ」
「ふふふ。工藤君、蘭さんの言う通りよ。それに第一、あなたがウォッカの後をつけて取引現場を目撃する事なく、ジンから薬を飲まされる事なく、体が縮む事がなかったとしても。じゃあ、黒の組織は存在しなかったの?数々の犯罪は行われなかったの?
それに、工藤君がたとえ江戸川君にならなくても、いずれは黒の組織と関わる事になっていたわよね。何しろ、ベルモットと個人的に関わりがあったのだから」
「……だな。んな事、今更考えても仕方がねえ。悪かったよ」

「工藤君。世の中には、どんなに願ってもどうしようもない事もあるの。人を好きになるって事も、そのひとつ。どんなに好きでも、相手に想われない事はある。
歩美ちゃんは、幼いのにそれを知ってしまって、辛い思いをしたけれど。江戸川コナンがあの子の前に現れなければ、そんな事を考えたって、仕方がない事よ。失恋の苦しみは、殆ど誰もが一度は経験する事。あなた達のような例が稀有な存在なのだから」

 そう言って、志保は蘭が淹れたコーヒーを口に運んだ。

「想う相手に想われるって、それだけでとても幸福な事。あなた達二人のように、生涯たった一度の恋が実るなんてのは、奇跡に近い事。何故か、あなた達の周囲には、その奇跡がゴロゴロしているから、分からないのかも知れないけれどね。ま、大事になさいな。色々な人の協力もあって手に入れた、あなた達二人の幸せをね」
「宮野、えらく含蓄のある言葉だが、オメーは、誰かを想って切なくなった経験なんて、あんのか?」

 新一が心底不思議そうに言って、志保は危うくコーヒーを吹くところだった。

「……鋭いのか、鈍いのか。それが、工藤君らしいといえば、らしいけど?」
「はあ?」

 志保はそれ以上何も言わずに、黙ってコーヒーを飲んだ。


 快斗と青子は、アメリカに居る。快斗は元気にマジシャン修行をしているようだ。
 平次と和葉は大阪で、大学生活を送っている。平次は新一と同じく、学生と探偵の二足の草鞋だ。
 真はまた武者修行に海外へ出かけており。園子は園子で、学生生活の傍ら様々な事を手がけて多忙な日々を送っている。
 そして志保は、再び渡米する事になっている。続けたい研究があるからだそうだ。

 皆それぞれにバラバラになっていても、いつまでも友達だから。また会えるから。寂しいと思う事はあっても、辛いと思う事はない。
 それを蘭が口に出すと、志保が笑って言った。

「でも、寂しいと思う暇はなくなるでしょう?あなた達はもうすぐ、家族が増えそうだしね」
「ええ?志保さん、何で分かったの?」

 蘭が赤くなった。蘭のお腹には、新しい命が宿っていたのだが。まだ初期で、お腹も目立たないし、まだ気付いた人は殆ど居なかったのだ。

「これでも、医学知識は多少あるからね。まだ若いけど、二人は正式な夫婦なんだから、いつそうなっても不思議はないでしょ?最初の情報通りに、蘭さんが他の男の子供を身篭ってるなんて話より、よっぽど嬉しいし安心出来る話じゃないの」

 志保の言葉に、新一も蘭も、頬を染めながら頷いた。本当に愛し愛される相手との子供を授かって、蘭はとても幸せだったのだ。

「工藤君、あなたが江戸川君になってしまった経験は、確かに無駄ではないと思うけれど。今のあなたは、二人分の責任を背負う一家の大黒柱なんだから。せいぜい、自重なさいな」
「ああ。わーってるよ」
「新一の『分かってる』は、ちっとも当てにならないけどね」

 蘭と志保が笑い、新一は憮然とした。


   ☆☆☆


 この工藤邸にもやがて、子供達の笑い声が響き渡る日々がやって来る。
 これから先も、人生には色々な事があるだろうけれど。辛い想いを乗り越えて、皆の協力と祝福を受けて、繋いだこの手は。これから先も生涯決して離さないと、二人は誓いを新たにして、空を見上げた。




Fin.




(6)「大団円」に戻る。