魔探偵コナン



byドミ



番外編:御吉野の



(3)約束



けれど、遠山東町奉行は、一人娘について、別の事を考えていたようである。
その日、仕事から帰って来た奉行が、和葉を呼んで言い渡した事は、和葉を絶望の淵に追い落とすに充分だった。


「お前の嫁ぎ先を、決めて来た。相手は、望月源九郎、俺がいっちゃん信頼する部下や」

晩餐の席で、そう言った父の言葉に、和葉は息を呑んだ。
母親も、もの言いたげに父の方を見やった。

「・・・嫁ぎ先・・・て・・・お父ちゃん?」
「いつまでも、子供ぉや思うとったお前も、気が付いたらもう十八(注:数えなので、満で言えば16〜17歳)や。何ぼ何でも、もうそろそろ嫁き遅れになってまうで」
「け、けど、お父ちゃん、アタシは、平次の事が!」

いつもは和葉や妻には温厚な奉行が、底光りのする眼差しで和葉を睨むように見据え、厳しい声で言った。

「平次君は、普通の女子(おなご)が、連れ添える相手やあらへん。和葉、諦めや!」
「せ、せやけど・・・どうでも平次がアカンのなら、アタシせめて、尼さんに・・・」
「いつまで、夢のような事を言うとる!和葉に尼の生活なんぞ、勤まる訳はあらへん!祝言は来月。もう、決まった事や。ええな、和葉!」
「お、お父ちゃん・・・!」

いつもは優しい父親の、容赦のない厳しい言い付けに、和葉は呆然とするしかなかった。


   ☆☆☆


寝床に入った奉行に、妻が声をかけた。

「あんた。あれでは、和葉が可哀想や。せめて、もう少し待ってあげられへんの?」
「・・・和葉がホンマの子供やった頃から、もう充分、待ったで。あん子の頑固さを考えると、待っとったら完全に嫁き遅れや」
「せやけど!」
「和葉の幸せの為や!最初は辛くても、嫁いでまえば、覚悟も出来るやろ」
「あんた・・・」
「源九郎は、誠実で優しいええ青年や。きっと和葉を大事にしてくれる。和葉も、普通に連れ添うて子供を育てる平凡な幸せの方が、ええんや」

和葉の母は、それ以上夫に何も言えなかった。
奉行とて、本当にこれで良いのかという迷いはある。
それでも、和葉の想いを無理にでも断ち切らせる事が、和葉の幸せだと、親心で考えていたのである。


それから、数日が過ぎた。
奉行所から戻った遠山は、妻に声をかけた。

「和葉は、まだ諦めとらんのか?」
「あんた、そうそう簡単に諦めがつくもんやおまへんで?」
「・・・今宵・・・」

遠山の計画を聞いて、妻はさすがに息を呑んだ。

「あんた!それは!」
「もうすぐ祝言、少し早うなるだけや。そうなったら何ぼ何でも、和葉も諦めるやろ」


   ☆☆☆


その夜も、和葉は眠れなかった。
ここ数日、ろくに眠れていない。

「平次・・・」

愛しい人の名を呼んで、枕を濡らした。
ふと、襖が静かに開く音がし、人が入って来た気配がある事に気付く。

「だ、誰!?」

本能的に、家族ではない事に気付いて、和葉はガバッと身を起こした。

「望月はん?どうしてここに?」

眠れずにいた為、既に夜目に慣れている和葉が見たのは、自身の「いいなずけ」である、望月源九郎の姿であった。
ジリジリとにじり寄って来る男に、本能的な恐怖を感じて、和葉は後退る。

「和葉ちゃん。今宵、俺をアンタの夫にして貰おう思うてな」
「な・・・!アホな事!アタシは、アンタのお嫁はんには、ならへんで!」
「大事にするで。せやから、あないな化けもん男の事は、忘れや!」
「嫌や!近寄らんといて!誰か、お父ちゃん、お母ちゃん!」
「無駄や。俺が今宵ここに来たんは、奉行も御承知の上・・・いや、奉行のご命令なんや」
「お、お父ちゃんが!?」

和葉は、驚愕に目を見開いた。
父がそこまでして、和葉を嫁がせる気なのかと、目の前が真っ暗になった。


パッと立ちあがろうとした和葉は、裾を捕えられてその場に転がった。
強引に抱きすくめて来ようとする源九郎の腕を、必死で拒む。

「イヤやあ〜!平次、平次〜〜!」

和葉は泣き叫ぶ。
すると、源九郎が薄く笑って言った。

「服部はんは、今宵の事、知ってんで?」
「・・・そ、そないな事、嘘や!」
「嘘やあらへん!和葉を頼む、幸せにしたってや、それがあん人の答やったで?」

和葉は、絶望に打ちひしがれた。
けれどそれでも、目の前のこの男に身を委ねるのは、死んでも嫌だった。


助けを求めて必死で動かした和葉の手に触れたのは、枕だった。
それを掴み、力いっぱい、源九郎の顔を殴る。

「ぐあっ!」

当時の枕は、固いものだから、ダメージは大きい。
源九郎は、顔を押えてその場に転がった。
和葉は、寝間着姿で裸足のまま、転がるようにその場を飛び出し、夜道へと飛び出して行った。


   ☆☆☆


その頃の平次は。
新一と共に飲み屋で一杯ひっかけた後、夜道を歩いていた。

最近は、飲んでも飲んでも、酔えない。
もっとも今夜は、新一が一緒だったから、本当に一杯で止められた。

「酒くらい、飲まさんかい!」
「飲むなとは言わないが。後は、家に帰ってからな」
「工藤、いけずやなあ」
「・・・バーロ。オメーが酔っぱらってみろ、魔性達の返り討ちに遭うぞ?オレは、オメーを守る気ねえからな」

新一に冷たく言われると、平次もそれ以上はワガママも言えない。
そして今、2人は、平次の住まう家に帰る途中だった。


平次の悩みは、勿論、和葉と望月源九郎との「縁談」の事である。
理性では祝福すべきだと考えながら、感情では納得出来ず、どうしても、思い切れないでいた。

ただ、平次は、今夜遠山邸で何が企まれているのか、そこまで知っていた訳ではない。
けれど、何とはなしに、嫌な予感に胸がざわついて仕方がなかった。


ふと、橋の上に人影があるのに気付いた。

「女・・・?」

寝間着姿で裸足の女が、橋の欄干に寄り掛かり、暗い水面を見詰めるような恰好で立っていた。
平次と新一は、提灯を掲げて近付いた。

女が、灯りに気付いて、こちらを向き、目を見開いた。
平次達も、驚愕に目を見張る。

「か、和葉!?お前、こんなとこで何を・・・!」
「イヤ!近付かんといて!」

和葉は叫び、身を翻した。
そして。


「か、和葉〜〜〜!!」

バランスを崩した和葉は、そのまま欄干から川面に落ちて行き、大きな水音がした。


平次はすぐさま、水に飛び込み、和葉を引き上げた。
和葉は気を失っていたが、水深があった為か、怪我もなく、水も飲んでいないようだ。
岸辺で待っていた新一が、自身の上着を脱いで和葉にかける。


「服部!オメーんちに急ごう!」
「けど、奉行の家に・・・」
「こっからなら、服部の家の方が近い。それに、多分だけど、今奉行の家に連れてくのは、拙いような気がする」


平次は頷き、和葉を抱きかかえ、服部邸へと急いだ。


服部邸の玄関に着いた時、新一が平次に訊いた。

「服部。オメー、無条件で手伝いを頼める女性は居っか?」
「・・・隣いに、未亡人のお八重はんが住んどる。お八重はんやったら、頼んでも大丈夫や」
「未亡人?」
「未亡人言うても、60の坂を越えた婆さんや、工藤、勘繰りなや」

新一も平次も、その「婆さん」より、長く生きてはいるが。
この際、新一が言っているのは、「和葉に妬くような存在ではないか」という意味だったので、新一はそれで納得したようだ。

新一はすぐに隣家に行き、八重に応援を頼んだ。
彼女は、平次の家に出入りしている和葉の事を、幼い頃から知っており、夜遅くで既に寝入っていたにも関わらず、快く来てくれた。

「工藤はん、アンタの事も、よう覚えてるで?相変わらず若うてええ男やなあ」
「そ、そりゃどうも」

さすがの新一が、たじたじとなっていた。
こいつは、案外年配の女性に弱いのかも知れんと、平次は心中で思う。

八重は、手早く和葉の濡れた体を拭き、着替えさせてくれた。
布団に横たえた和葉を、平次は心配そうに見やる。
体が冷え切っているのか、唇の色が蒼白だ。

「ホンマやったら、お風呂に入れてやるんが一番なんやけど、気い失うとるから、そうも行かんわな」

八重は、釜茹でして温めた石を、布にくるんで和葉の足元に置いた。

「目え覚めたら、あったかい葛湯でも、飲ませてやったらええ」

そう言い置いて八重は自宅に戻り、平次は感謝しつつ見送った。

「・・・和葉ちゃんも、いずれは、ああなるぞ」

新一が、八重を見送る平次の横でボソリと言った。

「あ、当たり前の事、言うなや!工藤お前、何が言いたいんや!?」
「別に。和葉ちゃんと生涯を共にするとは、そういう事だとちゃんと分かってっか、気になっただけだ」

赤ん坊だった和葉が、もう、結婚をする年頃になったように。
いずれ、和葉は平次を置いて年老い、その生涯を閉じる。

「分かっとるわい!せやから、悩むんやろが!」
「和葉ちゃんの一生を守る自信がねえから、今和葉ちゃんを傷付けてでも、切り捨てるか」
「・・・お前、和葉の事で妙に絡むやないか!まさか、和葉に懸想しとんやあらへんやろな!」
「どうして発想がそっちに行く?オレには全くその気はねえよ。それより、和葉ちゃん大丈夫なのか?風邪をこじらせると大事だぞ」


平次が和葉の枕もとに戻ると。
石の効果か、和葉の唇には僅かに赤味がさしたが、やはりまだ体が冷えている様子だった。
新一が、妙に真剣な声をかけて来た。

「服部。冷え切った体を温める方法は、知ってるよな?」

新一が何を言いたいのか、すぐに分かり、平次は狼狽する。

「く、工藤!せやけど!」
「四の五の言わずに、とっとと和葉ちゃんをあっためてやれ!オメーがやらねえなら、オレがやるぞ。それでも良いか!?」

それだけは絶対に許せないと、平次の腹はすぐに決まった。
新一は、妙に優しい目で平次を見て、部屋を出た。

「和葉!危急の時や、許せ!」

平次は、自身の着物を脱ぎ捨てると、和葉の隣に身を滑らせ、和葉の帯を解き、着物を広げ、直接肌を合わせて和葉を抱きしめた。
和葉の体は氷のように冷え切っていたが、少しずつ温かみを取り戻して、平次はホッと息をつく。

和葉の体が温まり、その肌が赤味を取り戻して行くと。
ねじ伏せていた平次の煩悩が、顔を出しそうになるが。
平次は必死で理性をかき集めて自身を抑えていた。


まんじりとも出来ない夜が、明けかけた。
和葉は、熱を出す事もなく、どうやら落ち着いたようだ。

平次は、すっかり大人の女性の体になった和葉から、必死で目を反らし、袷を出来る限り元通りに直し、帯を結んだ。
そして、そっと床から抜け出し、自身の着物を羽織って部屋から出た。


「服部、おはよう」
「ああ・・・工藤・・・」
「よく、我慢したな」

新一がからかうように言って、平次は自分の顔が赤くなるのを感じていた。

「工藤!和葉は体が冷え切って意識がなかったんや、そないな無体な真似、出来るかいな!」
「ま、そりゃ、そうだろうな。けど・・・服部、和葉ちゃんが目を覚ましたら、抱いてやれよ」
「な!く、くど・・・何言うて!」

平次は、狼狽した。
この友はまた、どうして挑発するような事ばかり言うのだろうと、平次は考える。


「服部。これは冗談でも何でもねえ。昨夜和葉ちゃんが川に落ちたのは偶然だが、彼女だったら本当に身投げ位やりかねねえぞ」

新一が真剣な顔で言ったので、平次も、自然と顔が引き締まった。

「昨夜な。遠山奉行が、望月源九郎を唆して、和葉ちゃんに夜這いをかけさせた。で、和葉ちゃんは必死で逃げ出したんだ」
「な、何やて!」

平次は息を呑んだ。

推理力と魔力を併せ持つ新一は、この程度の事を調べるのは造作もない事なのだ。
それは、平次も同様である。
昨夜、平次が和葉を温めている間に、新一が調べをしてくれた事に、平次は素直に感謝した。

「服部。オメーが和葉ちゃんを抱いて、遠山奉行を諦めさせるか。和葉ちゃんをこのまま帰して、和葉ちゃんを苦しめてでも決別するか。今、その決断をすべき時だと思うが?」

平次は、頭を抱えた。
しかしもう、結論は出ていた。


「・・・工藤が、ただ温める為に和葉と肌を合わせるんでも、許せへんと思うた。源九郎が和葉の純潔を奪うやなんて、絶対許せへん。そんだけやのうて、和葉は、源九郎に抱かれるんを、嫌がって逃げ出したんや。他の男に汚される位やったら、オレが和葉を貰う」
「そっか。良く言った、頑張れ」
「工藤・・・お前、誰も好きになった事はあらへん言うたけど、ホンマなんか?」
「オレは・・・確かに、どの女性にも心動かされた事はねえが。1人の女性を愛するという感覚は、心の奥深くのどこかで、分かっているような気がすんだよ」
「工藤。おおきに」
「服部。先に辛い別れがあるのを覚悟しなきゃなんねえだろうけど、生きている限り、精一杯、幸せになれ」
「ああ。分かったで」


平次は、迷いを全て吹っ切った顔で、頷いた。


   ☆☆☆


和葉が、目を覚ました時。
平次の心配そうな顔が、近くにあった。

「平次・・・」
「和葉、大丈夫か?気分、わるないか?」
「うん・・・」

何となく、ふわふわした気分で、はにかみながら頷いた和葉だったが。
昨夜の事を思い出し、跳び起きて平次から逃れるように体をずらした。

しかし、平次に袖を掴まれ、そのまま引き寄せられて、抱き締められる。

「平次!離してや!」
「離さへん!絶対離さへんで!」
「へ、平次!」

和葉はもがいたが、力いっぱい抱きしめる平次の腕からは逃れられない。

「和葉!白髪の皺くちゃの婆さんになって、先立っても、構へんから!和葉の生涯、オレにくれや!」

平次の思いがけない言葉に、和葉の全身から力が抜けた。

「へ、へい・・・じ・・・?」
「他の男には、絶対渡さへん!和葉は、オレのんや!」
「平次!」

和葉は、喜びに満ちて、平次にしがみ付いた。
平次の手が和葉の顎を捉えて上向かせ、和葉の唇に平次のそれが重ねられる。
平次の舌が、和葉の口内に侵入して和葉の舌を捕えて絡め、吸い上げた。

陶然となる和葉の帯が解かれ、袷が広げられて、和葉は生まれたままの姿になった。


「あ・・・や・・・平次・・・待って・・・」

障子が閉められていて、外からは覗けないようになっているが、朝日が射す明るい中で裸になって、和葉は羞恥に震え、僅かに抗う。

「待たん。和葉は、オレのんや。もう、待たんで」
「へ、平次・・・!」

やや乱暴で性急な平次の愛撫に、和葉は甘い声を上げ始める。
ずっと想っていた相手から受ける行為は、全てが嬉しく甘い。

「あん・・・はあ・・・あああっ・・・へい・・・じ・・・」
「和葉・・・和葉!」

平次の逞しい男根が、和葉の身を刺し貫いた時、和葉は痛みに悲鳴を上げながら、必死で平次にしがみ付いた。


   ☆☆☆


平次が、遠山東町奉行に頭を下げると、奉行は苦り切った顔をしながらも、結局2人の事を許した。
そして、2人は祝言を上げた。

後に和葉が、母親から聞いたところでは。
父親としては、和葉が源九郎の妻になっても平次に嫁いでも、どっちでも良いと考えていたのだという事だった。

「腹据えて、覚悟決めて、幸せになってくれたら、それでええ。あん人は、そう考えてたんや」

確かに、源九郎との縁談を遠山が性急に進める事をしなかったら、和葉と平次は、お互いに想いを抱えたまま、いつまでも進む事が出来なかっただろう。
遠山の、容赦のない厳しさが、和葉と平次に覚悟を決めさせたのだ。

「お父ちゃん・・・ありがとう・・・」
「何も言うな。嫁いだからには、和葉はもう、服部家の人や。帰る所はもうないと腹括って、頑張りや」
「うん、うん・・・」


平次は、寿命が常人とは違うとは言え、大阪奉行の捕り物に協力し、闇に蠢く魔を退治する、人々の畏敬を集める存在だった。
満開の桜の中で挙げられた2人の祝言は、多くの人の祝福を受けた。


平次のような存在は、子供に恵まれにくいと話には聞いていたが、和葉は一向に懐妊する気配はなかった。
けれど、それを除けば、2人は睦まじく、時に痴話喧嘩を繰り返しながらも、幸せな日々だった。


「平次、いつかホンマに、吉野のお山の桜、見に連れてってえな」
「おう、任せとけや!」

時折そう言いながら、2人とも焦ってはいなかった。
まだ、時間があると、2人共に思っていたから。


しかし。
その幸せは、10年と続かなかったのである。

和葉は、まだ若くして、流行病に倒れた。
約束が果たされないままに。


「和葉、逝ったらあかん!」

およそ、涙とは無縁の筈の平次が、涙を落しながら和葉の手を握り締めて叫ぶ。
和葉も、泣いていた。

よぼよぼの老婆になるまで、平次の傍に居る筈だったのに、こんなに早く、平次を1人にしてしまうとは。

「平次・・・アタシ、幸せやった・・・」

堪忍な、堪忍な。
こんなに早く平次を残して逝ってしまう、その事が辛くて申し訳なくて。

「アタシの事は、早う忘れて、し、幸せに・・・」
「アホ!そないな事が出来るかいな!和葉!」

アタシの事を忘れて幸せになってや。
アタシの事、ずっと忘れんといてや。
和葉の心を、矛盾した気持ちがかき回す。

「吉野の桜、見に行こ言うたやないか!和葉、オレに約束破らせる気か!?」
「お山全部桜の花・・・アタシ、見たかった・・・平次と一緒に・・・」
「あかん!和葉、逝ったらあかん!」
「平次・・・堪忍な・・・アタシ・・・白髪が生えて・・・よぼよぼのお婆さんになってまうまで・・・一緒やって・・・誓ったんに・・・」
「和葉!」
「アタシ、幸せやった・・・アタシ、きっと生まれ変わるから・・・必ずアタシを見つけてな・・・」


平次の慟哭を耳にしながら、和葉の意識は暗黒に呑まれて行った。



   ☆☆☆



次に和葉が気付いた時は、全ての記憶が空白だった。

「和葉!」

叫んで抱き締められ。
何が何だか分からない内に、平次の腕に抱かれていた。


「あ・・・!やあ!・・・んあああっ!」

見知らぬ筈の男に、いきなり抱かれ、貫かれて。
嫌悪感は、全く感じる事もなかった。
いつの間にか、感じるままに、男にしがみついて、声を上げていた。


今にして思えば、魂の奥で、平次の事を覚えていたのだと、思う。


桜の木々がざわめく。
花びらが舞いあがる。
仄かな香りが、漂ってくる。


和葉は、吉野山の蔵王権現の懐で、平次に抱かれながら全ての記憶を取り戻して、涙を流した。
遠い約束は、とっくに果たされていたのだった。


「平次・・・アタシの事、信じて待ってくれて、ありがとう。見つけ出してくれて、ありがとう・・・」
「和葉?」
「思い出した・・・昔の・・・アタシが、人間やった・・・時の事・・・」
「和葉・・・」
「もう、お父ちゃんもお母ちゃんも、とおに、この世には、おらんのやね・・・」


親に先立つ不孝をしてしまったけれど。
その親も、もう、既にこの世には、居ない。

涙を流す和葉の頬を、平次が両手で優しく包み込んだ。

「いつか、遠山奉行殿達とも、またきっと、会える。せやから・・・」
「うん。蘭ちゃんも、工藤君も、巡り会えたんやしね・・・」


吉野の山に、風が吹き荒れ、桜の花びらが舞いあがり、ざわめく。


今生の和葉は、平次とは既に数十年連れ添っているが。
薄命だった前世の和葉の記憶を取り戻し、万感の思いで、交わる2人だった。


   ☆☆☆


翌日。

桜の精である和葉は、別に平次の精気を吸い取る訳ではないが。


「ええっ!?和葉ちゃん、一晩中の行為で、服部君の足腰が立たなくなった!?」
「ら、蘭ちゃん、あんまり大きな声で、言わんといてや・・・」

和葉が、真っ赤になって身を縮めながら、言った。

「ところで蘭ちゃん、工藤君は?」
「それが・・・」

蘭も赤くなって、困った顔をする。
蘭は淫魔だから、いかに精力のある新一とて、ひと晩に2回が限度の筈なのに。


「何やて!?4回もやって、精気が足りのうなって、立てへん!?」
「か、和葉ちゃん、声が大きい!」
「あ。か、堪忍・・・」


どうやら、吉野山の桜は、2人の男性を思いっきり惑わせてくれたものらしい。

「はあ・・・蘭ちゃん、こら、4人一緒に、今日色々見て回るんは、無理やね・・・」
「うん・・・そうね、和葉ちゃん・・・」


仕方なく、女2人で観光に出かけた。
普段は、それぞれの連れ合いの神通力で、目立たぬようにされていた女2人だが、今日の男達は、神通力の欠片もなかった。
けれど、吉野山の蔵王権現が、2人を、不埒な男達の目から隠してくれたのであった。


和葉が、前世からの念願であった平次の子供を、ここで授かった事を知るのは、またもう少し後の事になる。





Fin.



+++++++++++++++++++++++++++++


<後書き>


このお話、魔探偵コナン本編終了後のお話なので、大したネタばらしはしておりませんが、ブログにのみ掲載し、ラブ天の方に上げるのはしばらく見合わせていました。
本編が無事終了したので、すぐにアップしても良かったのですが、どうせなら、桜の季節の春にしようという事で、こうなりました。


和葉ちゃんが桜の精という設定があったので、最初から、平和メインの予定だったのですが。
和葉ちゃんの前世は、書いてる私も切なくて、涙を流しながら書きました。


前世の和葉ちゃんが亡くなった後の、平次君は。
遠山のおやっさんに頭を下げて、和葉ちゃんの亡骸を引き取りました。
車も何もないその頃、平次君は和葉ちゃんを背負って吉野のお山に登りました。
その時、平次君の事を心配していた新一君も、同行しています。

そして平次君は、再び巡り会える事を願って、和葉ちゃんの亡骸を桜の根元に埋めました。

その後も平次君は毎年、吉野のお山へ登り、和葉ちゃんを埋めた桜の木を訪ねます。
やがて、生まれ変わった和葉ちゃんと再会するまで、実に100年以上の時を過ごすのです。
その歳月は、和葉ちゃんが桜の精霊としての霊力を得る為に必要な時間でした。

ただ、それをお話にする気はありません。辛くてとても書けそうにないので。


魔探偵コナンというお話は、最初、本当に軽いノリで始めたものだったのですが、書いている内に、思いがけない広がりを見せました。
自分でもビックリです。

今後もし、ネタが降りて来たら、他のカプのエピソードや、新蘭前世であるアダムとリリムの物語も、書くかもしれません。
その時には、また宜しくお付き合い下さい。


(2)「遠い記憶」に戻る。