石川珂旦は、美の哲学者であると思う。

哲学の出発点が既成概念への懐疑から始まるのであれば、石川珂旦はまさに既存の技術に対しての認識を疑うことから、その創意が起こっているからである。

美の真理の探究という、哲学的姿勢こそが陶芸をはじめ、ジュエリーや絵画にまで、

その創意を広げている原動力となっているのである。

これまで、誰も考えなかったことを思考し、誰も成し得なかったことを自ら実践することによって、美の理念の変革を起こし、全く新しい美術概念を創造し、構築することができたのである。

作家は語る、「このような作品は今までに見たことがない。

しかし、何故今まで無かったのかが不思議に思えるような作品を創りたい。

自分にとって作品は生きている結果であり、それはこの世に存在する理由を認識していく行為なのだ。

この過程の中で新しい真理を見つけ出したものだけが、歴史を作り、歴史に残っていくのではないか」。

そこにはただ目新しさだけを追い求めるのではない、真の美への探究心がうかがわれる。

本当の美しさとは何か、既存の模倣に終わっていないか、といった厳しい哲学的批判を受けながら創り上げられた珂旦作品は、作家の思考行程の激しさとは裏腹に、穏やかで重厚な佇まいをみせる。

抽象作品でありながら、日本人の持つ非対称への美意識や、全体の調和を大切にする秘めやかな温もりが感じられる。

美の革新者としての石川珂旦のまっすぐな眼差しは、遠く未来を見通し、その心はとどまることなく、

ひたすらに自らの理想とする場所を希求してやまない。