私を攫って、探偵さん



byドミ



(5)私を攫って、探偵さん



覚悟をしていた筈なのに、いざとなったら思わず永松を空手技で吹き飛ばしてしまった蘭は、我に返って青くなる。

「ど、どうしよう・・・!私、何て事を!これで、何もかもお終いだわ!」

顔を覆って身を震わせていた蘭は、ふとバッグに目が留まり、その中に携帯を入れていた事を思い出した。

バッグから取り出し、昨日密かに登録していた番号の短縮ボタンを押す。

「新一、新一・・・!助けて・・・!」



蘭が短縮ボタンを押すと、程なく携帯のコール音と同時に、部屋の中で別の携帯の着メロが鳴り出す。

けれど蘭は永松の携帯の音かと思い、そっちには気も留めなかった。



蘭の携帯が相手と繋がり、今誰よりも会いたい愛しい人の声が聞こえてきた。

「はい、工藤です」

携帯のスピーカーからの機械化された声と同時に、すぐ傍から、新一の生の声が聞こえ、蘭は呆然となった。

クローゼットが突然開いて、中から紛れも無い新一が出て来た為、蘭は心臓が止まるかと思う程に驚いた。

「し、新一!何でそんなとこに!?」
「何でって・・・蘭、おめーを攫いに来たんだよ」

新一の台詞に、蘭の頭は暫し真っ白になっていた。



新一は蘭を取り戻す為に、それこそフルスピードで調査を行い、蘭が工藤邸を出てからの数時間で、蘭の相手が永松である事も、今日このホテルで相手と会う事も、突き止めたのだった。
そして見合いの後、蘭と永松の後を付け、素早くこの部屋の中に忍び込んで潜んでいた。

「蘭が本当に危なくなったらさ、出て来てこのヤローを締め上げて蘭を助ける筈だったのに、出番が無くなったな」

新一がちょっぴり残念そうにそう言って、蘭は呆れるやら嬉しいやらで頭がぐちゃぐちゃになり・・・けれどやはり新一が来てくれた事が嬉しくて堪らなくて、涙で顔もぐちゃぐちゃになっていた。


「さあ、蘭。行こうぜ」

新一が蘭に手を差し出す。蘭はその手を取ろうとして・・・肝心な事を思い出した。

「新一・・・私・・・行けない・・・私、この男のお嫁さんにならなきゃ・・・お父さんの会社が・・・ああ、でも、もう何もかもお終いかも・・・」

新一は少し顔を顰めていった。

「蘭は父親の為に人身御供になる気だったのか?」
「借金が家だけの事で済むなら、そんな事はしないよ!でも、お父さんの会社で働く人たちがこの不況の中で職を失ったりしたら・・・皆それぞれに奥さんとか小さな子供さんとか居るんだよ?」

蘭が涙で顔をぐちゃぐちゃにさせながら言った。

新一はテーブルの方に歩み寄る。
そこには蘭をここ最近苦しめ続けて来た書類のコピーが置いてあった。
新一は仔細にそれを見る。

「蘭。心配すんな。毛利探偵にはな、借金はねー事はねーけど、あくまで普通の経営者が資金繰りに借りる程度の健全な範囲だよ。借りた先も公的資金だし。この書類は、偽造だ」
「え!?だって、だって、その署名はお父さんの字だもん!」
「蘭、これがコピーだって事、忘れてねーか?良く見ると不自然な点や、微かにだが切り張りした後がある。専門家なら一発で偽造と見抜くだろうな。おそらくは全く別の契約書類か何かの署名捺印と組み合わせて作ってあるんだ」
「じゃあ、お父さんが友人の儲け話に乗せられて莫大な投資をした挙句借金だけが残ったって言うのは・・・」
「この男がおめーを陥れる為の嘘だな」
「よ、良かった〜〜っ、私、私、この人のお嫁さんにならなくても、大丈夫なのね!?」

蘭は新一の胸に飛び込んで泣きじゃくった。
新一は優しく蘭を抱き締め、あやすように背中をポンポンと叩いていた。

「あ〜あ、せっかく綺麗な着物着てるってのに、涙で台無しだな」
「だって、だって・・・」
「それにこのヤローに蘭の綺麗な着物姿を先に見られたってのが何とも口惜しい」
「・・・綺麗なんかじゃ無かったよ。だって・・・今日の私の顔、最初からグチャグチャだったもん・・・」

今日、蘭が着付けを終えて鏡を見たとき、我ながらひどい顔だと思ったのだった。
当然だろう、「人身御供」になる決意をした相手に会いに行こうというのだったから。

新一がそっと蘭の頬に手を当て、上向かせて唇を重ねる。

「蘭、綺麗だよ・・・」
「嘘。だって、新一だってたった今、涙で台無しだって言ったじゃない」
「本当だよ。今の顔も・・・そして蘭が昨夜俺だけに見せてくれた顔・・・最高に綺麗だったよ」

蘭は真っ赤になって俯いた。

「・・・馬鹿っ!」

新一が蘭を抱き締め、今度は深く口付ける。
やがて新一の唇が蘭の首筋におとされる。

「あ・・・駄目、いや!こ、こんなとこじゃ・・・」

蘭が新一を押し退けて言った。
壁際にはまだ気絶したまま永松が転がっているし、永松に身を任せようとした忌まわしい部屋で新一と愛を語らうのは躊躇われた。

「じゃあ、場所変えるか?」

新一が別の部屋のルームキーを蘭に見せて尋ねる。
蘭は新一の用意周到なのに一瞬呆れたが、満面の笑顔を見せて頷いた。

「うん!新一、私を攫って行って!」



  ☆☆☆



さて、小五郎と英理は、蘭が永松に連れて行かれたままいつまでも戻って来ない為、イライラが頂点に達していた。

やがて気絶から覚めた永松が騒ぎ出す。
小五郎達は永松が蘭を部屋に連れ込んだ挙句、蘭の空手技で伸された事を知る。

「俺にこんな事をしやがって!お前達の娘、訴えてやるからな!」

激昂して言った永松に、英理は冷たい声で返した。

「やってみなさい。まだ高校生の娘をホテルの部屋に連れ込んだという事で罰せられるのはそっちよ」
「婚約者と契りを結ぼうとした事の、どこが悪い!今時の高校生の生活は乱れ切ってるだろうが!」
「やってみるが良い。俺達は全力で娘を守る。既に成人になっているという事で、不利になるのはそっちだぞ!」

小五郎も低く冷たい声で言った。

空手技で伸された事で頭に血が上っていたらしい永松だったが、こうなると自分に取って分が良い話ではない事に気付き始めたようだった。

「覚えてろ。お前達みんなただじゃ置かない!」

ヤクザの三下のような捨て台詞を吐いて、永松はその場を去って行った。


「それにしても、蘭はどこに行ったんだ?」
「さあね。でも、高校生にもなった娘が土曜の午後どこかに行ってしまったとしても、そんなに目くじら立てる事ないんじゃなくて?」

英理は母親の勘で何となく判っていた。
こういった時、年頃の娘が親以外に頼る相手と言えば、自分の愛しい相手と相場が決まっている。
どこの誰かは判らないが、他ならぬ蘭が頼って行った相手である。
信じて任せても良い様な気がしていた。

「それにしてもよお・・・空手で伸してしまう程あの男が嫌だったくせに、何で蘭はあの男との結婚話を一旦は受ける気になったんだ?」

小五郎にはそれが謎だった。
英理にもその答えは判らなかった。



  ☆☆☆



「あ・・・新一・・・っ!」

両親が心配していたその頃、蘭は生まれたままの姿で新一の腕の中に居た。

「蘭、蘭、俺の、俺だけの蘭・・・!」

一旦は自分の手からすり抜けて行こうとした愛しい女性を、新一は何度も抱き締める。
もう絶対に何があろうと離さないと心に誓う。




新一に愛され、何も考えられない程の快楽に酔った後、蘭は安心したように寝息を立てていた。

「昨夜から今日にかけて、殆ど寝てないだろうからな」

新一が愛しげに蘭の髪を撫でる。

昨夜から殆ど寝てないのは新一も同じだが、蘭の隣で眠る前に彼にはやる事があった。
新一が今日急遽借りた米花シティホテルの一室は、スイートルームだったので、続き間になっている。
新一は隣のリビングルームに移り、そこで電話を掛けたりネットでどこかにアクセスしたりと、何やら忙しく動き始めた。



  ☆☆☆



警視庁捜査一課の佐藤刑事と高木刑事は、いつも捜査に協力してくれる高校生探偵の工藤新一に呼び出されて、米花シティホテルのスイートルームまで赴いた。

「工藤くん、こんな場所への呼び出しとは、また珍しい事もあるもんだね。家からさほど遠くない場所なのに、何故わざわざこの部屋を?」

殺人事件でも起こらない限りまず踏み込む事も無いだろうその部屋を、高木刑事はもの珍しそうに見回した。

「ああ、この部屋を取ったのはちょっと訳ありで・・・ちょ、ちょっと佐藤刑事!」

新一が慌てた声を出す。
あろう事か佐藤刑事は好奇心のままに隣の寝室を覗こうとしたのだった。

「ねえ工藤くん、女の子連れ込むのに高校生の身でスイートルームとは、ちょっと贅沢過ぎない?」

チラリと室内を一瞥しただけで佐藤刑事は戻って来たが、しっかりとベッドに女の子が居る事は認識した様だ。

「くくく工藤くん!君はそんな男じゃないと思っていたのに、ホテルに女の子を連れ込むなんて、そんな・・・!」

高木刑事が赤くなって慌てふためいたように言う。
佐藤刑事があっけらかんと言った。

「あら、工藤くんだって普通の高校生の男の子よ?今時の高校生は随分進んでるし。工藤くんは女の子に興味無さ過ぎの様に見えてたから心配だったけど、やっぱり普通の男の子だったのね。まあちょっとばかり贅沢過ぎるけど」

新一は真っ赤になって俯き、頭を抱えていた。
やる事はやってるのだから、全てが誤解とも言い切れない。

場所を変えれば良かったのだろうが、新一は蘭を片時でも一人きりにしたくなかったのだった。



  ☆☆☆



一時経って場が落ち着いた頃、新一は佐藤・高木両刑事にこれまでの事を話した。

蘭の事も・・・既に女の子を連れ込んだのはばれてしまっているのだから、新一は包み隠さずに二人に打ち明けた。

二人は、優秀な探偵をたくさん抱えて警察にも多大な貢献をしている「毛利探偵事務所所長」の一人娘が詐欺男の毒牙に掛かろうとしていた事実を知って、少なからず驚いていた。(佐藤刑事は先ほど女の子の顔まで見た訳ではなかったので)

「捜査一課が専門外なのは判っています。でも、この件に付いては是非ともお二人の協力を頂きたくて」
「工藤くん、けど、詐欺罪の立証は難しいよ?性犯罪も被害者が訴えるのは嫌だと言えばそれまでだし」

新一は例のコピーを取り出して高木刑事に見せた。

「調べれば、元の書類が何かはすぐに判る筈です。そして多分、余罪やボロがたくさん出てくると思う。俺は・・・蘭の優しさに付け込んで騙して体を奪おうとしたこいつが絶対に許せない」
「そうね、同感だわ。女をこういう風に食い物にする男をこれ以上のさばらせては置けないわ。出来る限りの協力をするからね、工藤くん!」

佐藤刑事が拳を握り締めて言った。
高木刑事も頷く。

「そうだね。専門外なんて言っていられない。この男、捕まえない限りこの先も同じ事を繰り返すだろう。僕も出来る限りの事をするからね」



  ☆☆☆



「んんっ・・・新一?」

蘭が目を開けて身じろぎした。

「蘭。疲れてるだろ?もうちょっと眠れよ」

新一が蘭を抱き締めながら声を掛ける。

「もうたくさん寝たもん。・・・新一、お腹空いた」

蘭は安心した為か、今までに無く甘えモードに入っており、新一は苦笑しながらも優しく蘭の髪を撫でて答える。

「じゃあ、どこかに御飯食べに行くか?」
「ううん。ここで新一と二人っきりが良い」
「じゃあ、ルームサービスでも取るか?」
「うん!」


後になってこの時の事を話題にすると、その度に蘭はすごく恥ずかしがる事になる。
滅多な事では見られない、甘える蘭の姿であった。



時計を見ると時刻は夜の八時を回っている。
佐藤・高木両刑事が去ってから新一も蘭を抱き締めながら一眠りして、疲れはほぼ取れていた。
まだ夜は長く、二人で過ごせる時間はたっぷりある。

『佐藤刑事と・・・そして鈴木さんには感謝しなきゃな』

新一は、蘭の両親も訳が判らず心配しているだろうし、取り敢えず今日は、夜あまり遅くならない内に一眠りした蘭を家に帰す積りだった。
それを聞いた時、佐藤刑事が言ったのだ。

「あらら、今日位は蘭さんとずっと一緒に居てあげたら?蘭さんの精神衛生上、そっちの方が良いと思うけど」
「そんなもんですかねえ。僕はご両親を安心させる方が先決だと思いますけどね」

高木刑事が首を傾げながら言ったが、佐藤刑事がそれを一蹴した。

「女心が判ってないのね、高木くん。そんなじゃ、恋人出来ても振られちゃうぞ?」

密かに佐藤刑事に憧れている高木刑事は、その佐藤刑事にそういう風に言われて、しゅんとなって黙り込んでいた。

「でも、この先の事考えたら、毛利探偵たちを心配させたり怒らせたりしたくはありませんし・・・」

新一が言うのに、佐藤刑事は

「私に任せて!」

と胸を張った。
そして自ら蘭の友人である鈴木園子に渡りを付け、毛利小五郎に連絡を入れてくれた。
自分が描いたシナリオに沿った嘘まで吐いて。




蘭は永松から体の関係を迫られて、思わず空手技を掛けて気絶させ、部屋から逃げ出したものの、どうしたら良いか判らず途方に暮れていた。
そこへ、顔見知りである佐藤刑事が偶然通り掛った為、助けを求めて来た。
佐藤刑事は蘭が興奮していた事と、身の安全を図る為、蘭の友人である鈴木園子の家へ蘭を送り届けた。

そういう筋書きである。

「今後、いずれは毛利さんたちにも永松がやろうとしていた事を知らせて協力を仰がなければならないけど、取り敢えず今夜は、ご両親に無用な心配掛ける事無く蘭さんを安心させる事が先決でしょ?」

そして今、新一の腕の中に蘭が居る。
新一は無上の幸福を噛み締めていた。





ルームサービスの食事と飲み物が届く。
新一と蘭は、ベッドから起き上がってホテルの浴衣をはおり、食事を取った。

少し落ち着いた頃、蘭が室内をきょろきょろと見回す。

「ねえ新一、この部屋ってすごく高いんじゃないの?」
「急で予約してなかったからな、土曜日だし、空いてる部屋が他になかったんだよ。両親が一人息子を置いて外国に行っちまったお詫びに、金は好きなように使わせてくれるから、心配ないよ。あ・・・言っとくけど、今回は非常時だったからで・・・普段はこんな贅沢してないから」
「ねえ・・・何で一人日本に残ったの?あんな大きなお屋敷に一人暮らしで寂しくない?」
「あ・・・いや・・・それは・・・」

新一が赤くなって俯き、蘭がきょとんとした顔をする。
新一は、幼い時に結婚の約束をした初恋の少女が日本に居たから・・・という「日本に残った理由」を、恥ずかしくてとても蘭に言うことは出来なかった。


「あのさ・・・あの家、一人で暮らすには確かにちょっと大きくて寂しいって思うし・・・出来れば近い内に二人で暮らしたいな、と・・・」
「え?誰か一緒に住む友達か親戚の人が居るの?」
「あ、いや、だ、だ、だからっ・・・!俺今さ・・・プ、プロポーズ・・・してる心算なんだけど・・・」

新一は顔から火が出そうになりながらようやく言った。
蘭はちょっとの間きょとんとしていたが、次いで真っ赤になった。

「新一・・・!」
「あのさ・・・出来るだけ早くが良いんだけど、色々難しい事もあるだろうし・・・高校卒業したら、結婚しよう」

蘭の目に涙が盛り上がる。
無言で何度も頷き、新一に飛び付いて来た。
新一は蘭をしっかりと抱き留めると、唇を重ねた。

「ところでさ・・・蘭。『安全日』だって言ったのは、嘘だろ?」
「あ・・・」

新一に指摘されて、蘭は真っ赤になる。

「う、うん・・・だって・・・どうせならあの男より、新一の子供が欲しかったんだもん・・・」

蘭の告白に、新一はグッと来る。
女の覚悟の決め方というのは男とは違うものなのだなと、改めて思う。
嫌いな男の妻になっても、出来る事なら好きな男の子供が欲しい、そこまで蘭は考えていたらしい。

「だけどさ、どうするよ?もしもの時、俺、出産後しか責任取れないぜ?」
「その時は、私産むよ。だって・・・新一の子供を葬るような真似、絶対に出来ないもん!」
「うん。俺も、授かった命を摘み取るような事も、蘭の体と心を傷付ける様な事も、絶対にしたくない。その時は俺、一緒に育てるから。毛利探偵は怒るだろうけど、きっとそうなったら協力してくれるって気がする。俺の両親も、呆れるだろうけど喜んでくれると思うよ」


結果的にこの問題は杞憂に終わるのだが、真面目に真剣に話し合った二人の絆が、より深まった事は言うまでも無い。



(6)(最終回)に続く



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