私を攫って、探偵さん



byドミ



(4)蘭の決意



「結婚って・・・何だよそれっ!」

新一が蘭の肩を掴み、激昂して叫んだ。

「・・・もう決めてるの。私があの人と結婚すれば、父も、父の元で働く人たちも助かるから・・・だから・・・」
「蘭。俺は、おめーの過去は問わねーって言った。けど、おめーの未来に付いては知らん振りなんて出来ねーぞ!男だったら、こんな関係になってハイさようならでも傷付かねーとでも思ってんのかよ!?」

蘭が大きく目を見開き、大粒の涙が零れ落ちた。

「ごめんなさい新一・・・私、私・・・だって、初めてがあの人だっていうのが嫌だったの。どうしても嫌だったの。それ位なら、誰か通りすがりの人にバージンを上げた方がマシだって思って、誰かに声を掛けてもらう為にあそこに立ってたの。声を掛けて来たのがずっと憧れていたあなただったから、とっても嬉しかった、死ぬほど嬉しかった。バージンをあげた相手があなたで、本当に幸せだった。でも、新一を傷付ける積りじゃなかったの、辛い思いをさせる積りじゃなかったの。本当に、ごめんなさい」

蘭の言葉に、新一は声も出せなくなる。
事情は良く判らないが、蘭は他人の事ばかりを考え、「自分さえ犠牲になれば」と思い、好きでもない男に嫁ぐ決意を固めている。



その夜、新一はそれ以上何も言わず、ただただ泣き続ける蘭を抱き締め、優しく激しく何度も何度も蘭とひとつになった。




「冗談じゃねえ。このまま指咥えて諦めてたまるかよ」

次の朝、蘭が帰った後に新一は一人ごちる。
蘭が好きでも無い相手に、何かの事情があって嫁ごうと決意しているというのなら、その事情とやらを探り、解決し、蘭をこの手に取り戻す。新一はそう決意を固めていた。
蘭が昨夜焦っていた事を考えると、時間的な余裕は殆ど無いと思われる。
おそらくこの土日で話が進むのだろう。

好きでもない相手と結婚、となれば、昔から政略結婚と相場は決まっている。
蘭の父親・毛利小五郎は、確か警察官を引退した後自分で探偵事務所を開き、現在は経営者として三十人ほどのスタッフを抱える企業となり、それなりの実績を上げていた筈だ。
けれど、普通で言う「政略結婚」をするような大会社ではない。
となると、考えられるのは・・・。

新一の頭脳は蘭の為にフル回転していた。



  ☆☆☆



米花シティホテルにある料亭の一室で、振袖を着た蘭は、自分の許婚となる筈の男と相対していた。
自分の傍には父親・小五郎と、別居中の母親・英理が居る。

向かい側には正式に仲人を立て蘭に結婚を申し込んで来た男・永松隆宏が居る。
その両親は仕事が忙しいと来る事が出来ず、仲人を頼まれた中年夫婦が申し訳無さそうな様子で代わりに座っている。

永松隆宏の両親は、従業員が百人ほどの一見大して大きく無さそうな会社を経営する身。
しかし、その業績はこの不況下にあっても伸び続け、資金繰りは順調である。
多大な黒字を少なく見せ掛け「節税」する事にも長けている。

その一人息子である隆宏も、まだ二十代前半の若さであるが両親と一緒になって事業拡大して来ただけあって、ただのお坊ちゃまではない。
しかも先方から惚れ込んで、仲人まで立てての正式な申し込みとあらば、条件的には申し分が無い。

しかし父親の小五郎も母親の英理も、この話には良い顔をしなかった。
小五郎は一人娘の蘭の事を目の中に入れても痛くない程に可愛がっているので、たとえ相手が誰であっても気に入らないのかも知れない。
母親の英理が言ったのは、ただ一言だった。

「虫が好かないわ」

理屈ではなく、生理的に好かないのだと言う。

「蘭、こう言うのは理屈じゃない部分があるの。母親の私が虫が好かないと思うのだから、多分あなただって生理的に耐えられない筈。そういった相手と結婚生活を送るなんて、自殺行為よ。考え直した方が良いわ」

蘭は母親には、

「永松さんは良い方よ。そんな言い方って失礼じゃない?」

と言って笑って誤魔化したものだが、実は英理が言う事は、蘭には良く理解できていた。

永松隆宏という男は一見好青年で柔和そうだが、その瞳の奥にある冷酷そうな彩りに、蘭は何とも言えない嫌悪感を感じてしまい、ゾッとするのである。

『でも、私さえ我慢すれば、お父さんの会社は・・・』

蘭は表面では笑顔を保ちながら必死で拳を握り締めて耐えていた。



「お話はありがたいのですが、蘭はまだ子供でしてなあ。あなた程の人が蘭如きを相手にされなくても、もっと大人で素晴らしい女性は回りにいくらでも居られるでしょうに」

小五郎は流石に言葉を選んでいたが、表情と声には隠しようも無く刺があった。
永松は苦笑して答える。

「蘭さんは素晴らしいお嬢さんですよ。もう二、三年もしたらそれこそ大輪の花が開くように美しくおなりでしょう。そうなってからでは、手遅れになりかねませんからね。結婚は蘭さんが高校を卒業後で構わないのですが、今の内に私の婚約者としておきたいのです」

小五郎と英理はまだ渋い顔をしていたが、肝心の蘭がこの話を受ける決意をはっきりと表明している為、それ以上に何も言う事は出来なかった。

お決まりの「では後は若い二人だけで」の仲人夫婦の言葉に、蘭と永松が去っていく。
後に残された小五郎と英理は、お互いに苦い顔をしていた。

「何か気に入らねえんだよなあ」

小五郎が嘆息して言うと、英理が肯いて言った。

「奇遇ね。私も同感だわ。どう見たって蘭の好みじゃないし、だけど、蘭が計算や条件で結婚を承諾するような子だとも思えないし」

別居して十年が経つ夫婦だが、切れそうで切れない不思議な仲である。
そして今日の二人は全く呼吸がピッタリだった。
しかしその二人も、自分の娘に伸びようとしている魔の手には気付いていなかった。

後日全てを知って慄然とする事になるのだ。



  ☆☆☆



蘭は永松に促され、ホテルの客室の一つに入る。
その一瞬、思わず身を震わせた。
両親はまさか、蘭がホテルの一室で永松と二人きりになっているなどと、想像もしていないだろう。

永松が蘭の顎に手を掛けて振り向かせ、唇を重ねてこようとするが、蘭は思わず顔を背けてしまった。

「良いのかい?そんな態度を取って?君の父親の会社がどうなったって構わないんだね?従業員達だって路頭に迷ってしまうんだよ」

永松の言葉に蘭は体を震わせる。
目をきゅっと瞑り、唇を噛み締め、押し寄せてくる嫌悪感に堪えようとする。

「ふん。まあ良い、時間はたっぷりある。ゆっくりとお前の体に教え込んでやるよ。お前の父親の会社の運命がお前の態度にかかっていると言う事を、わきまえて置く事だな」

永松がテーブルの方を顎でしゃくって見せる。
そこには蘭を絶望の底に陥れた悪魔の書類のコピーが置いてあった。

「毛利探偵も、本業だけに精を出していれば良いものを。友人の儲け話に乗ったりするからこのザマだ。このままだと探偵事務所はつぶれてしまい、この不況下、従業員は皆路頭に迷うぞ。それを、お前の身一つで俺が肩代わりしてやろうと言うんだ。しかもちゃんと嫁にしてやろうってんだからな。今時女一人をそんなに高く買ってくれる奴なんて他に居ないぞ。感謝されこそすれ、疎まれる謂れは無い筈だ」

書類は、毛利小五郎が莫大な借金をした事を示す借用書のコピーであった。
蘭も見知った小五郎の署名・捺印がしてある。



蘭の親友・園子がこの事実を知った時、

『私パパに頼んで何とかしてもらう!』

と言ってくれた。
いかに財閥会長を父に持つ園子といえど、個人的に何とか出来るような金額ではなかった。
けれど蘭は園子にそんな事をしてくれるなと頼んだ。
園子の父親・鈴木史郎がそんなに甘い人物とは思えなかったし、何よりそんな事をされれば、蘭はそれと引き換えに、園子という一生の親友を失ってしまうと思ったのだ。

園子は蘭に何もして上げられない事を悔やみ、せめても同じ痛みを分かち合いたいと言った。
それに付いては、蘭がどんなに言っても園子は自分の意志を曲げなかった。そして二人で同じ夜にロストバージンをしようと誓うに至った訳なのだが・・・。

その日、蘭と園子がそれぞれに憧れていた相手から声を掛けられたのは、運命の導きとしか思えなかった。





永松が蘭の肩に手を掛けて抱き寄せようとした。
蘭は目を瞑り、耐えようとする。
瞼の裏に浮かぶのは、昨日の夜愛し合った人の面影。

『新一・・・っ!』

蘭は覚悟を決めていた筈、だった。

しかし――。

次の瞬間、永松の体は吹っ飛び、壁に叩き付けられ気絶していた。



(5)に続く



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(4)の後書き

若干補足です。
ラストで永松をぶっ飛ばしたのは蘭ちゃんの空手。
新一くんの助けがあった訳ではありません。
(本だとすぐ次の章だったので補足の必要がなかったのです)

さて、新一くんは今どこに?


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