心の旅路



By ドミ



第二部 過去からの呼び声



(六)蘭



 アーサー・アラン社は、ついに、画期的な製品開発に成功した。

 αマインドというその製品は、一見デジタルオーディオプレイヤーに、ごついヘルメットが繋がったように見えるが。実はそのヘルメットをかぶり機械を操作すると、たちどころに脳からα波が出て、いつでもどこでもリラックス状態になれるという優れものなのだ。
 発売前から世間では大評判になり、アーサー・アラン社では一気に業績を伸ばす事が出来ると、大いに期待をかけられた。

 正式発売を前にして、明日はそれを祝ってパーティが行われる事になっていた。



「ジミー?どうしたの?灯もつけないで?」

 帰宅したレイチェルは、ソファにうずくまっているジミーをいぶかしんで、声をかけた。

「レイチェル……」

 顔を上げたその目に、涙がある訳ではないが、今にも泣きそうな表情をしている。

「レイチェル…オレは、オレは……オメーと結婚出来ねえ……」

 再び頭を抱え、搾り出すようにジミーの口から出て来た言葉に、レイチェルは小首をかしげた。

「ジミー?」
「オレはジミーじゃねえっ!!」
「え……?」
「オレは、オレの本当の名は、工藤新一で。オレには、妻が居る……」
「ジミー……」

 レイチェルは、そっとジミーの向かい側に腰掛けた。そして柔らかく声をかける。

「話して……?」

 ジミーは再び顔を上げた。そして、拳を握り締めながらポツポツと話を始めた。

「オレは……オメーと結婚したかった。オメーを正式に妻にしたかった。だけど、どこの誰とも分からねえままでは、勿論正式な結婚など出来はしねえ。だから……調べたんだ、オレがどこの誰か。そして、新聞記事を見つけた……」

 ジミーが広げた書類の中に、
「日本人の高校生探偵、迷宮入りを阻止!」
という見出しの新聞記事があった。写真の工藤新一は、今のジミーより少しばかり幼いだけで、同一人物であろう事は間違いないと思われた。

「それを手がかりに、オレは、自分の身元を調べた。そしてとうとう突き止めた。
 オレは……記憶を失う少し前に、ある女性と結婚していた。オレはその事実を知っても……今オレが愛しているのはレイチェルだから、戸籍上の妻に謝って、離婚してもらうしかねえと思った。けど……」

 レイチェルは、身じろぎもせずに聞いている。

「蘭。それが、妻の名だ。その名を見た途端、オレの魂が震えた。心がたぎった。蘭、蘭。その名前だけで分かっちまった。オレが……オレの魂に、刻み込まれた、オレが愛している女性の名……だ…と…」
「ジミー……」
「レイチェルを愛している、この気持ちに偽りはねえのに……っ!蘭を……蘭と別れる事など、出来ねえっ!レイチェルを愛してる!けど、蘭も愛してる!魂が二つに切り裂かれそうだっ!!」

 ジミーは、頭を抱えてかきむしる。

「しんいちっ!!」

 突然その名で呼ばれ、ジミー……いや、新一は顔を上げた。

 涙を流すレイチェルの顔に、胸が切り裂かれたように痛む。

「逃げないで。真実に背を向けないで。そんなの、そんなの……新一じゃないよ!!」

 レイチェルの叱咤の声に、顔も覚えていない筈の、愛した女性・蘭の面影が重なる。
 新一は憑き物が落ちたような気持ちになった。そして、静かに言う。

「ああ、そうだった。ゴメンな、レイチェル。きちんと過去と……真実と向き合うよ。たとえどんな結果になろうとも」

 そして新一は、レイチェルを抱き寄せ口付けた。

 その夜。
 もしかしたらこれが最後かも知れないと思い、けれど今この瞬間の気持ちは真実だと感じながら、「新一」は、思いのたけを込めて、「レイチェル」を抱いた。
 夢か現か。新一の腕の中で、レイチェルが囁く声が聞こえた。

「私こそ、嘘ついてごめんね、新一……」


   ☆☆☆


 そして、パーティ当日。
 新一は、エドガー・ドイルの片腕、ジミー・パトリックとして、パーティに出席していた。

「ジミー。この国では、女性をエスコートしてパーティに参加するのが普通なのだがね」

 エドガーが皮肉とも責めとも取れる言葉を吐いた。

「いやオレは……」

 新一が口ごもると、いきなり新一の腕を横から捕らえた女性が居た。

「ハーイ。ドイル社長、初めまして。ジミーの愛人、ジョディ・サンテミリオンで〜す」

 新一は心底驚いて、口をパクパクさせる。

「おや?君には同年代の可愛い日系人の恋人が出来たと、風の噂に聞いたのだが。間違いだったのか?」

 エドガーがジョディをぶしつけな目付きで見て言った。ジョディは美人でスタイルも良いが、どう見ても日系人にも新一と同年代にも見えないのは確かだったからだ。
 新一は素早く立ち直って言った。

「あ〜、その彼女には、実はつい昨日、振られちまいましてね。今日は別の彼女にお願いしたんですよ」
「そういう事です、では〜」

 ジョディがしっかりと新一の腕を握り、ヒラヒラとエドガーに手を振って、その場を後にした。

「ジョディ。あなたはFBI捜査官か?」

 その場を離れた新一が、小声の日本語でジョディに囁くと、ジョディはにっと笑って返した。

「流石、クールガイ。記憶はなくても判断力は衰えてないですね〜」
「なら……レイチェルには護衛がついてるな」
「ふふ〜ん。やはりクールガイはそれが一番気になりますか〜。心配しなくても、あなたの愛する女性は無事で〜す」
「上等!なら心置きなく動ける」

 突然ジョディが足を止めた。振り返った新一を、真摯な目で見て言った。

「クールガイ。駄目ですよ〜。自分自身を守れなければ〜、最愛の人も無事では居られませんから〜」
「え……?」
「愛するクールガイを失って〜、子供も居ないのに〜、まさか〜一人で耐えて生きろとは〜言いませんよね〜」
「ジョディさん……」
「駄目ですよ〜、クールガイも絶対生きて戻らないとね〜」

 新一は一旦目を閉じ、また開けた。その瞳には強い光が宿っている。

「ああ。わーった。ぜってー、生きて戻る!」

 ともあれ、パーティそのものは滞りなく進んでいる。会場では、招待された多くの人達が談笑していた。

「ジョディさん。今日ここで、何らかの行動があると思うか?」
「さあ、それは何とも分かりませ〜ん。私達がどれだけ調べても〜、ここの会社の裏は取れていませんからね〜」
「FBIの捜査力を持ってしても、尻尾を掴ませない、か……。オレも時々、この会社が怪しいってのが、自分の妄想かと思っちまう事があんだ。ここの内部でどれだけ動いても、何の怪しいところも見つけられなかったからな」
「けど、ここが怪しいのは確かで〜す。絶対で〜す。例の組織が崩壊した時〜、そのデータの一部が流出して〜、その先がエドガー・ドイル氏だったのは〜、確かなのですからね〜」
「例の組織……?」
「オウ、クールガイがそれを忘れている事、忘れていました〜」
「アンタな……本当にFBI捜査官かよ……?」
「オウ、私がFBI捜査官、そう言ったのはクールガイの方ですね〜」

 二人は、夜風に当たる為を装い、ベランダへと向かう。

「オレはずっと考えてた。一年半前のホテルの爆破事件、実行犯はおそらく……本当の意味での犯人ではねえんだ」
「クールガイ……?」
「エドガーは、自分で直接手を下せるヤツじゃねえ。けど、自分の手を汚しさえしなければ、罪の意識を持たねえ様なヤツは、実行犯よりずっと悪辣だ。しかもそれが誰かを操ってとなると……」
「クールガイ、やはりマインドコントロールの技術が〜、ここで研究されているのですか〜?」
「ああ……おそらくはな」
「エドガーと同居していた時〜、手がかりは見つかりませんでしたか〜?」
「あそこには手がかりになるものは何も置いてなかったさ。同居解消の時、本当はオレを一人あそこに残して監視する心算だったんだろうが、盗聴器と隠しカメラだらけのあそこに誰が残るものかよ」
「クールガイ、最初っから色々考えてたんですね〜」
「……アンタなあ。まさかオレが、本当にやつを信用してたとでも思ってたのかよ……?」
「うふふ〜、そうですね〜、クールガイとエンジェルは〜、お人好しは共通ですけど〜、クールガイの方が疑り深いですね〜」
「……エンジェル……?」
「あ、ここですね〜、エドガー社長の客室は」

 二人は、パーティ会場をこっそりと抜け出して、エドガーが借りている客室へ忍び込んだのだった。今日ここで何かの手がかりを得られるか、確証はない。ただ、このパーティが、エドガーの目的に対して何らかの節目になっているのは確かだという予感があった。

「あれは、αマインドですね〜」
「……一つ試作品の段階でかっぱらって、調べて貰ったんだが別に怪しい点はなかった」
「オウ、クールガイも〜、やっちゃったですか〜、実はそれ〜、FBIでもやっちゃってます〜。一応その道のプロに〜調べさせたけど〜何も出なかったですね〜」
「ん……?でもこれは……試作品と、どこか違う……?」

 その時、部屋の灯がついた。
 新一とジョディは身構える。

「オウ、クールガイ。私を庇う必要はないですよ〜、ちゃんと訓練位、受けてま〜す」
「うっせーなー、女性子供は自然と庇うように体が動いちまうんだよ!」
「紳士ですね〜、女達が勘違いして惚れるの〜、分かっちゃいます〜」

 敵である筈の存在を目の前にして軽口を叩き合う二人だった。

「ようこそ、ジミー、いやさ工藤新一。それにそちらはジョディ・サンテミリオンか?FBIの潜入捜査官といったところだな」

 二人に向き合って立っているのは、エドガー・ドイル、アーサー・アラン社の社長だった。

 新一は思わずフッと笑う。エドガーは顔を歪めた。

「何がおかしい!?」
「ああ。失礼。あんた、電子工学には長けていても、それ以外の能力は本当にまるでねーんだな。ブレーンも居ねえし、調査能力がある訳でもねえ。一人で何が出来るってんだ?」
「……ブレーン?そんなもの。私自身以外、一体誰が信頼出来ると言うんだ?兵隊などは、作れば良い。相手を私の意のままに操る事が出来れば、調査能力など必要ない。ここで君達二人を私の兵隊に出来れば、調査するまでもなく君達の事が分かるのだからね」

 ジョディが静かに銃を構えるのを、新一が制した。

「……ヤツは、実体じゃねえから無理だ。あれはホログラフィ。ヤツには直接オレ達と対峙する勇気も能力もねえよ」
「オウ。本当に電子工学だけは優秀のようですね〜、訓練した私の目にも〜ホンモノに〜見えちゃいますです〜」
「……どうでも良いけど、日本語になった時のその喋り方、何とかならねえのかよ!?」
「……クールガイ、小さかった時の方が紳士でしたね〜」

 二人、軽口叩けたのもそこまでだった。客室の入り口から、正装した人々が、わらわらと二人に向かって襲い掛かって来たのである。

「……会場に置いてあるαマインドは、全部完成品か!ちっ、まさかこういう人海戦術で来るとは」
「この人達、操られているだけですね〜、攻撃する訳には行きません〜」
「ああ、そういう事だ。……とりあえず、今は逃げるしかねえなあ」

 ジョディは素早くドレスを脱ぎ捨てた。その下はウェットスーツのような黒装束である。
 防弾仕様で、ちょっとやそっとでは壊れない筈の窓ガラスにジョディが仕掛けをしている間、新一は無表情で攻撃してくるパーティ客達に怪我させない程度に軽く応戦して防ぐ。

 窓ガラスに開けた穴から、二人素早く飛び出した。高層ホテルの壁を、吸盤のような道具を使って伝い降りる。
 ジョディは、新一に投げて寄越した道具を新一がすぐさま使いこなし、軽い身のこなしで降りて行くのを、口笛を吹いて見守った。

「もう、ジミーとして戻るのは無理ですね〜。レイチェルさんは保護してますから〜、安心して〜逃げるのに〜専念して下さい〜」
「とりあえず、今日のところは。やっぱαマインドは、マインドコントロールの機械だって分かっただけで充分か」
「世間に出回る前に〜何とかしませんとね〜」
「ああ……この先は……オレは、工藤新一に戻る。そっちの方が動けるだろう」
「クールガイ?」
「じゃ、またいずれ」

 そうして二人は別々に、暗闇の中に消えて行った。


   ☆☆☆


 新一は、レイチェルとジミーが暮らしたアパートの窓を見上げていた。
 灯はついていない。レイチェルが保護されて無事なのも分かっている。
 もう二度と、ジミーとしてそこに戻る事はない。

 新一は、暗闇の中、セントラルパークに向かって歩いていた。
 セントラルパークから、あるマンションを見上げ……そこに灯がついているのを認めて微笑む。

「待ってろ……今、帰っから……」

 彼の脳裏に浮かぶのは、新一が「ただ一人」愛した女性の面影。
 そして新一は、自ら封印していた記憶を、再び自ら、開放した。


 ただこの時、封印していた記憶を取り戻すのと引き換えに、ジミーとして過ごした日々の記憶を心の奥底に押し込めてしまう結果となったのは、彼の予想外の事だったのであった。




 ◇     ◇     ◇     ◇     ◇




 工藤新一は、目を開けた。
 ジミーだった時の一年半をも全て思い出して。レイチェルと二人で暮らしたアパートの前に立っていた。

 背後から足音が聞こえ、振り返る。
 そこに立つ女性の姿を認めて、微笑んだ。

 新一とジミーが愛した女性が、そこに立っていた。

「ジミー……」
「レイチェル……」

 二人は歩み寄ってしっかりと抱き合い、熱く口付けを交わした。



to be continued…




戻る時はブラウザの「戻る」で。