心の旅路



By ドミ



第二部 過去からの呼び声



(五)レイチェル



「いらっしゃいませ」

 東洋人の女性がワクドナルドのカウンターに立ち、笑顔で迎えた時。ジミーの周囲全ての色彩が変わった。

「ご注文は、何になさいますか?」

 ジミーは注文も忘れ、ボーっとなって見惚れていた。
 黒曜石の大きな瞳、きめ細かな象牙の肌、桜色のぽっちゃりした唇、長い艶々した黒髪が背中で束ねられている。
 清純な可愛らしい美しさ。単に美人というだけなら、彼女以上の美人を見た事は、ないでもない。けれど、ここまで心惹かれる女性に、今まで会った事はなかった。とは言っても、ジミーの記憶は精々二ヶ月半位しか遡れないのであるが。

「あの…?お客様、ご注文……」
「あ、ごめん……君……」
「え?」
「君が欲しい」

 思わず口から日本語で出た台詞に、ジミーは慌てる。彼女に今の言葉が伝わっていない事を祈ったが、その祈りは聞き届けられなかった。
 その女性が日本語で返して来たのである。

「あの。今は仕事中なので困ります」

 断られたかとガックリ肩を落とすと、その女性は困ったように顔を赤らめながら、言葉を続けた。

「あと二時間で今日の仕事が終わるから、それからなら……」

 ジミーは内心思わずガッツポーズをしていた。とりあえず晩御飯を買って帰り、二時間後に再びワクドナルドを訪れた。

「お待たせ」

 私服に着替えて出て来たその女性に、ジミーはボーっと見惚れる。赤いワンピースは、彼女によく似合っていた。そして、先程見た時思ったよりも、更にスタイルが良いのが見て取れる。
 並んで歩きながら、ジミーは上ずりそうな声を押さえつつ、声をかけた。

「オレは…ジミーっていうんだ。ジミー・パトリック。っても、仮の名だけどね。オレは母国語が日本語みてえだから、多分、日系アメリカ人でもなくて純然たる日本人らしいし」
「え?ジミー……って、自分の身元が分からないの?」
「ああ、記憶が二ヵ月半分しかないんでね。君は?日本語が上手だけど、日系アメリカ人なの?」
「私……?え、えっと……私は……レイチェル。レイチェル・嵯峨野。父が日系アメリカ人で、母が日本人よ。私、日本での生活が長くって、母国語は日本語。一応、アメリカ国籍はあるんだけど、あんまり英語が得意じゃないの」

 語りながら二人は、あるアパートの前まで来て立ち止まった。
 レイチェルが訝しげに建物を見る。

「ここは……?」
「オレが借りてるアパートだよ。さあ」

 ジミーはレイチェルの手を引いてアパートの中へと入って行く。拒まれたらどうしようと内心ドキドキものだったが、レイチェルは逆らう事もなく素直について入ってきた。

「……結構良いとこね」
「ああ、こっちのアパートは家具つきだから生活に不自由もしねえし。ただ、なかなかルームメイトが見つかんなくて、家賃がいてえんだよな」

 そう言いながらジミーは、お茶の準備をする。ジミーの好きなコーヒーしか置いてないが、冷蔵庫を見ると牛乳があったので、レイチェルにはその方が良いかと思ってカフェオレにした。
 レイチェルの前にカフェオレを置き、自分はブラックのコーヒーを口にした。

「レイチェル。オメーは…その……恋人とか、いねえの?」
「いきなり単刀直入に訊くわね」
「そりゃ……興味持った女には確認しねえとな。オレは……一回限りの遊びで関係持つ気ねえし」

ジミーの言葉にレイチェルが息を呑む。そして、面白げな目付きになって言った。

「もし私に恋人がいたら、お友達のままでいるつもり?」
「いや。諦める気はねえけど、戦略考えねえとな」

 ジミーはカップを置くと、立ってレイチェルの傍に移動した。見上げるレイチェルの顎を捉え、唇を重ねる。レイチェルは僅かに身じろぎしただけで抗わなかった。ジミーがレイチェルの唇を割って舌を差し入れると、レイチェルの舌が絡まって来た。
 レイチェルにはそれなりに男性経験があるようだ。しかしジミーは全く気にならなかった。レイチェルの唇の柔らかさ・唾液の甘さをたっぷりと堪能する。
 やがてレイチェルの全身から力が抜け、くず折れるようにジミーにしがみ付く。ジミーはレイチェルを横抱きにして、寝室へ向かった。


   ☆☆☆


 ジミーはレイチェルをそっとベッドに横たえた。レイチェルのまなじりから涙が零れ落ちるのを見て、ジミーは慌てた。

「レイチェル?どうかしたか?……ホントは嫌……だったのか?」

 レイチェルは顔を覆ってかぶりを振った。

「ううん。嫌なら、最初から着いて来たりしない……」
「じゃあ…何で…泣いてんだ?」
「……自分でも、よく分からないわ……」

 ジミーは優しくレイチェルの手を顔から外すと、まなじりに唇で触れ涙を拭った。

「ねえ……ジミー。今迄何人の女の子をこうやって連れ込んだの?」
「あのなあ。昔の事を訊かれても、オレはマジで覚えてねえんだよ。けど少なくとも、ここ二ヶ月半、記憶にある限りでは、レイチェル、オメーが初めてだ」
「ホント?」

 レイチェルが目を見開いてジミーを見詰めた。

「ああ。オレは一度限りの遊びで関係は持たねえって言ったろ?昔どうだったかまでは知んねえけどよ、少なくとも今はな」

 そう言ってジミーはレイチェルに口付けた。レイチェルに覆いかぶさったまま、間近で顔を覗き込んで問う。

「オメーの方は?オレはまだ、さっきの答、聞いてねえぞ」

 レイチェルは、少しの間黙った後、口を開いた。

「今は、恋人と呼べる存在はいないわ」
「今は……?」
「私には、とてもとても大切な人がいたの。でも彼は……居なくなってしまったから」
「……居なくなった……?亡くなったって事か?」
「正確には違うけど……そうね、似たようなものかも」

 ジミーは胸が苦しくなるのを感じていた。レイチェルの心を今も占めているだろうその男に、強い嫉妬を覚えていた。
 けれど今はそれ以上何も言わず、レイチェルの首筋に唇を落とした。

「あっ……」
「レイチェル……」

 身につけたものを少しずつ取り去って行く。
 レイチェルが生まれたままの姿になった時、想像以上の美しさにジミーは息を呑んだ。おずおずとその肌に触れると、レイチェルがぴくりと反応する。柔らかく弾力があり、しっとりと吸い付くような手触りに、ジミーの理性は完全に吹き飛んでいった。
 柔らかく大きな胸を掌で揉みしだきながら、その赤い頂を口に含み舌で転がす。そこはもう固く立ち上がっていた。

「あん……ああああっ!」

 レイチェルが身悶えし、背中を反らせる。
 ジミーの手が唇が、レイチェルの肌に触れる度に、レイチェルは声を上げて反応した。しみひとつないその体に、ジミーは赤い痣を散らして行く。

 今のジミーには、女性と交わった体験の記憶は全くないが、レイチェルの感度がすごく良いのは何となく分かった。レイチェルの感覚を呼び覚まし開発した男の存在を感じる。

『けど、今レイチェルを抱いているのは、このオレだ!』

 レイチェルの過去がどうであろうと、拘る心算は毛頭ない。いつかその陰を消し去って自分だけのものにしてみせると、ジミーは考えていた。

 レイチェルの両足を広げると、そこにある妖しく赤い花が芳香を放ち、淫らに蜜を滴らせて光っていた。

「綺麗だ……レイチェル……」

 ジミーは己の猛った分身を、レイチェルの秘められた花につき立てた。充分蜜を滴らせたそこは抵抗もなく、音を立ててジミーのものを飲み込んで行く。

「ああっ、ああああああんん!!」

 レイチェルが高い悲鳴のような嬌声を上げ、ジミーの背中に手を回してしがみ付く。ジミーは、レイチェルの内部の熱さを感じ、信じられないほどの快感に天にも昇る心地に浸る。
 ジミーはたまらず、腰を激しく動かし始めた。

「くっ……すげ…熱くて……すげーいいぜ……オメーん中……」
「あっ…はあっ……あああん!はあっ…し…ん……」
「レイチェルッ……くあっ……」
「あ…あ……っ…私…もうっ…」
「いいぜ…いけよ…オレも……もう…」
「ああっはあっ……××っ…!はああああん!!」
「くっ…はっ…レイチェルッ!」

 絶頂の中で、レイチェルが呼んだのは他の男の名前だった。


   ☆☆☆


 イッタままに意識を手放したレイチェルを、ジミーはそっと抱き締めた。まだ今日初めて会ったばかり。どうしてここまで惹かれてしまったのか、自分自身にすら説明がつかないのだ。こうやって抱く事が出来ただけでも御の字であろう。
 焦らず関係を作って行こうとジミーは思う。

 ふっと、レイチェルが目を開けた。

「レイチェル…?」
「××……帰って来たのね。嬉しい……」

 レイチェルが夢うつつにそう言って微笑み、また瞳を閉じた。
 ジミーはしっかりその体を抱き締める。

「気長に、行くしかねえよなあ……」

 ジミーはそう言って溜息をついた。


   ☆☆☆


 次の朝。目覚めたレイチェルに、ルームメイトにならないかと持ちかけると、レイチェルはあっさりと承諾した。

「実は私も。今のところを一人では維持出来なくて。どうしようかと思っていたの」

 レイチェルは、高校までは日本の高校に通ったが、大学はこちらの大学に行くつもりで、今は資金を貯めている所なのだと言う。

「ジミーは?今後どうする心算なの?」
「今はアーサー・アラン社で仕事をして行く。今後どうするかは……流動的だな。けどとにかく今は。急成長しているあの会社で、社長に取って欠く事の出来ない存在にならないといけねえと思ってる」
「それは……?社長をそれだけ信頼しているから?」
「イヤ……自分でも良く分かんねえんだけど。まあ確かに、会社を成長させて業績を伸ばして、自分がそこである程度の実績を上げれば収入には結びつくだろうが。どうもオレの狙いはそこじゃねえみてえだ」
「自分の事なのに、分からないの……?」
「うん、そうだな……確かに変だ、自分で自分の意図する事をよく分かってねえ。何だか…自分自身に対してすら隠し事をしているみてえだ」
「ん〜、よく分からないけど。焦る事はないんじゃないかな?ただ、どっちにしろハンバーガーばかりだと栄養が偏るわよ。御飯は私がなるべく作ってあげるから、きちんとしたもの食べてね」
「へ……?」

 レイチェルは言った通りに、御飯を作ってくれるようになった。レパートリーも広く、何よりジミーの口に合う。
 しかも、家事全般をこなせるので、悪いと思いつつ自然とジミーはレイチェルに甘えるようになってしまった。

『何かこれって新婚みてえじゃねえか?とと、いけねえいけねえ、状況に甘んじて、レイチェルの気持ちを得る努力を怠っちまったら』

 そう自分を戒めようとしつつも、頬が緩んでしまうジミーだった。


   ☆☆☆


「やあ、久し振りだね」
「あ、八木さん」

 ジミーは、セントラルパークで日系人紳士・八木司に久し振りに出会った。

「ふむ。ジミー君、何か良い事でもあったのかね?」
「へ……?」

 ジミーは赤くなった。どうも八木相手にはポーカーフェイスが出来ず、嫌いな訳ではないが苦手である。

「恋……かな?」
「……ええ、まあ……」
「で、成就したのかね?」
「成就って言うか…微妙なんですが、今、一緒に住んでいます」
「微妙……?と言うのは?」
「やれやれ。何か、八木さんには隠し事が出来ないなあ」

 ジミーは八木の座っているベンチに並んで腰を下ろした。

「ふむふむ、成る程。過去の男の影が。それは大変だねえ。精進するしかないね。一つ言っておくが、過去の男の悪口だけは言っては駄目だからね。女性に取って、嫌いで別れた訳ではない男の悪口は、鬼門だ」
「はい……それは……肝に銘じます」
「時に、ジミー君。君は確か記憶喪失なのじゃなかったかね?であれば、もし何かきっかけがあって記憶を取り戻したとき、逆に今の記憶が失われる恐れがあるよ。それを考えた事はあるかね?」
「え……?」
「私の事が忘れられる位は大した事じゃないから構わない。けれど、レイチェルさんが心の底から君を愛した時、君自身がレイチェルさんの事を忘れてしまったら。その時はどうするね?」

 ジミーは衝撃を受けた。考えた事もなかった。
 確かに、今のジミーには過去の記憶が全く空白なように。記憶を取り戻したら、逆に今のこの感情が全て、なくなってしまうのだろうか?

「記憶を取り戻すのは、いつ何がきっかけか、分からない。勿論、生涯今のままという事も有り得る。今の君は、ずっと爆弾を抱えた状態に等しい」
「そうですね……」
「レイチェルさんが本当に大切で守りたいのなら、今後色々な事態が起こり得る可能性を考えて備えておく事だ」

 ジミーが、八木と別れてリフティングをしながら考え込んでいると、今度は文代に出会った。

「あら、ジミー君。お久し振り。どうしたの、元気ないようだけど?あ、そうだこれ、いつもハンバーガーのジミー君に」

 そう言って文代が差し出したのは野菜の煮物とポテトサラダの詰め合わせだった。

「いつもありがとうございます……でも、これえらく分量が多いですね」
「え?あ、あら。そうかしら。じゃあ味が落ちるけど冷蔵庫にでも…」
「あ、いや……今は同居人が居るんで、二人で頂きます」
「あら〜。じゃあ、ルームメイト、決まったのね。ジミー君のセックスアピールに落ちない人が居たんだ」
「あ……えっと…その子には、オレの方が落ちちゃったんですよ…」
「まあ、おめでとう。じゃ、今ラブラブなんだ〜」

 ジミーは赤くなりながら、何でこの女性には何だか敵わない感じがするのだろうと考える。

「ハーイ。お久し振り、クールガイ」

 セントラルパークでの友人の一人、眼鏡をかけた金髪女性、ジョディ・サンテミリオンが声をかけてきた。彼女は体を鍛えているらしく、時折ここでジョギングをしているのだ。

「ジョディさん。こんにちは」
「クールガイ、今日はいつものクールさが崩れてるわ。恋でもしたの?」
「……やれやれ。オレってそんなに分かり易いんですかね?」
「ううん、そんな事ない。普段ポーカーフェイスのクールガイだから、表情崩れる原因ってその位かなあと思って」

「よう、ボウヤ。久し振りだな」

 今度は日本語で声をかけられ、ジミーは振り向く。

「ハーイ、シュウ!」

 叫んだのはジョディである。
 そこに立っているのは日系アメリカ人の赤井秀一だった。赤井とジョディとは顔見知りらしいが、二人が恋人関係なのかどうかはジミーにもよく分からなかった。
 赤井はハンサムだが目付きが鋭い精悍な男で、ジミーはいつも何となく油断ならないものをこの男に感じるのである。敵だという感じはしなかったけれど。


   ☆☆☆


 ジミーが公園を去った後。
 犬の散歩をしている日系の婦人と、ジョギング姿の若い金髪眼鏡美人と、金髪美人の恋人(?)らしい日系人の男性が、英字新聞を広げた紳士の前を通り過ぎる。

 日本人ではない者も混じっているが、何故か日本語で会話が交わされた。

「……驚きましたな。上手い事、彼女をルームメイトとして潜り込ませるだけのつもりだったのに」
「まあ私としては、何となくこうなる予感はしてましたよ」
「親は忘れてても……ってところがちょっと妬けるけどね」
「違いますね〜、クールガイは〜、覚えてるんじゃなくて〜、新たに恋をしてるんで〜す」
「う〜ん、こうなると二人は運命の仲という事なのね」
「けれど、全く知らぬ振りさせるのも、あの娘(こ)に酷な事をさせているようで、心苦しいな」
「『八木』さん、それは違いますで〜す。惚れた男の為なら強くなる、それが『ヤマトダマシイ』ですね〜」
「ジョディ、それを言うなら『やまとなでしこ』だろうが。知ってるくせに、わざと間違えるな」

 短い会話を交わした四人はそれぞれに、また別の方向へ散って行く。ジミーも他の誰も、ここで囁き交わされた言葉を知らない。


   ☆☆☆


 そして、更に一年以上の時が流れた。

 アーサー・アラン社は急成長を遂げ、ジミーは社長の片腕となり忙しく働いていた。もう、アパートの家賃を一人で払っても痛くないほどの収入を得るようになった。
 レイチェルとはずっと一緒に暮らしている。夫婦同然の生活であるが、ジミーは徐々に、レイチェルとの正式な結婚を意識し始めるようになった。



to be continued…




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