出発(たびだち)の夜



byドミ



「もう!新ちゃんったら!いったい、いつになったら、かわいい孫を見せてくれるのよ!?」
「か、母さん……。オレまだ、やっと成人したばっかだぜ。結婚にはまだまだ早い年頃だと思うけど」
「そーんなこと言ってるとねえ。あっというまに三十路越えよ!だいたい、女の子なんて影も形もないじゃないの。ほーんと、甲斐性ないんだから!」

母さんの声を背中で聞きながら、オレは家を飛び出した。
このまま母さんの繰り言に付き合ってると、マジで会社を遅刻してしまう。

オレは工藤新一、21歳の会社員。
アメリカでスキップして大学を卒業したため、社会人になって3年が経つ。

アメリカで大学まで出してくれた親には感謝している。
しかし、最近の母親の「結婚しろ、孫を抱かせろ」攻勢には辟易していた。

あ、オレは別に親と同居している訳ではない。
昨夜はたまたま、実家に泊まっただけだ。
いつもは会社に近いマンションに暮らしている。
独り暮らしだがマンションはファミリータイプの2LDK。
本が多いためワンルームマンションでは無理があるのだ。

母さんの言う通り、オレは生まれてこの方、彼女という存在ができたことはない。
別にそれで良いと思っていた。
社会人になる前は。


3年前、18歳で大学を卒業したオレは、日本に帰国して就職した。
そこで出会ってしまったのだ。
彼女――毛利蘭に。


彼女は1年先輩だが、普通に日本の大学を卒業したため、年齢はオレより5歳上で、今年26になる。
年齢相応の落ち着きと、年齢を感じさせない可愛らしさが同居している綺麗な女性。
たおやかな外見に似合わぬ空手の実力者。

努力家で仕事はでき、優しく、しかし言うべき事は言い、後輩への思いやりを持つ、その女性に……オレはしょっぱなから参ってしまっていた。

ただ。
当然のことながら、彼女はもてもてで、その上、恋人が、いた。
今年30歳になる山口課長が、彼女と公認のカップルだった。


それでもオレは、諦める積りはなかった。
なので、めげずにデートに誘っていたのだが。
彼女は多分、オレの気持ちなんぞ、お見通しなのだろう、いつもやんわりと交わされていた。



   ☆☆☆



そんなある日の朝。
職場に、激震が走った。

「大変大変!みんな!山口課長が結婚するわよ!」
「あー。やっとか。ちょっと長過ぎた春だったわよね」
「でも、そのくらいじゃ、そんな大変というほどじゃ……」

女子社員達の話を、オレは、冷水を浴びせられたような気持ちで聞いていた。

オレは、諦めるつもりはなかった。
けれど、今ですら暖簾に腕押しなのに、結婚してしまうと、更に難しくなるだろうと思えた。

「だからっ!相手は、毛利さんじゃないのよ!!」
「「「「「ええええええっ!!!?」」」」

何人もの怒号がこだました。
オレは……想像外のことに、頭が真っ白になっていた。

そこへ。

「おはよう。どうしたの、みんな?」

にこやかに現れたのは、オレの想い人。
女性陣が、思わず顔を見合わせる。
ちなみにオレはといえば、話を聞いてない振りでパソコンに向かっていた。

そりゃ、オレは彼女を自分のものにしたいと願ってはいたが。
他の女性に恋人を取られることを願っていた訳ではない。

「あ、あの、毛利先輩……」
「ん?なに?」
「山口課長が……その……」
「ああ。結婚されるわね。総務の森田さんと」
「で、でも!課長は、毛利さんと……」

オレは、彼女の様子が気になって、そっと顔をあげて彼女を窺い見た。
すると、何故か目が合って、慌ててまたパソコンの方を向く。

「気まずくてまだみんなには言ってなかったんだけど、実はもう、別れてたんだ」
「えっ!?」

オレは思わず、声を出してしまい。
慌てて口を抑えたが、それより先に女性陣の「ええええっ!?」という声が響き渡って、オレの声は多分聞かれずに済んだ……と思う。

「わ、別れたって、何で!?」
「ごめん。理由は言えないけど……私が悪いの。だから、その……彼が他の人と結婚するからって、わたしを裏切った訳じゃないんだから……彼を責めないでね」

毛利さんは、淡々と話をしていて。
そこに感情が激した様子はないし。
ちらりと見た時、表情も暗くはなかった。

でも、何となく、彼女の言葉に嘘が混じっているような気がして、オレは落ち着かなかった。

「結婚式は1カ月後かな」
「えーっ!?そんなに早く!?」
「仕方ないわよ。赤ちゃんができちゃったんだもん」

デキ婚か!

もしかして、これは、あれか?
山口課長が出来心で森田さんと浮気して、子どもが出来てしまった……で、優しい毛利さんは身を引き、2人は結婚すると。
そういうことか!


オレは、複雑な思いで毛利さんを見た。

彼女は、フリーになった。
だから、チャンスであると言えるのだが。
傷心の彼女を思えば、手放しで喜べるはずもなかった。



   ☆☆☆



「工藤さん。山口課長の結婚式二次会、行きます?」
「いや。行く積りないけど」

同じ課の新人後輩(といっても同い年)の杉田由香に声を掛けられた。
最近、よく声を掛けられている。

「えー!?行かないんですかあ?」
「ああ。披露宴に参加したら義理は果たすだろ」
「じゃあ、あたしも、行くのやめようかなあ」
「……」

好きにすれば、という言葉は、飲み込んだ。
彼女も戸惑っていることが、よく分かったからだ。

「元々、二次会ってのは、披露宴に招待できなかった友人たちを別の形で招待するって意味で始まったものだから。仕事関係の義理で披露宴に参加する人たちは、逆に二次会に参加しなくたってかまやしないんだよ」
「えっ!?そうなんですか!?」

事実ではある。
が、昨今は、披露宴に参加した人たちがそのまま二次会に移動する場合が多く、詭弁だということは自分でも分かっていた。

やり手で出世頭の山口課長と優しく美人で仕事もできる毛利さんは、社内で誰もが羨むカップルだった。
それが、突然の、別の女性との結婚話。
しかも「でき婚」。
毛利さんは「わたしが悪かった」と言って場を収めようとしたけれど、皆の同情の気持ちが毛利さんに向かっている。

さすがに、招待された披露宴を欠席するような者はいないが、二次会は結構行かない者が多く、山口課長も森田さんも困っているらしい。

「じゃあ。工藤さん、披露宴の後、ご飯に行きません?会場の近くに美味しいイタリアンのお店が……」
「いや。披露宴でめいっぱい食べさせてもらうつもりだし、遠慮しとくよ」

途端に杉田さんは泣きそうな顔になった。

おそらく彼女はオレに好意を持っているのだろう。
とても分かりやすい反応をする。
だからこそオレは、彼女の誘いを全て断っている。

基本的に、女性からの食事やお茶の誘いには応じないことにしている。
別に女嫌いなワケではないし、女性と2人で食事をするのが嫌という訳ではない。
さすがに「仕事で外に出たついでに一緒に行った同僚と二人でご飯を食べに行く」ことまで断るほど野暮ではない。
ただ、食事やお茶の誘いに応じると、相手を期待させてしまうことが分かっているので、少しでも誤解を招くようなことはしないように心掛けている。

学生時代、サークルや同期の女性からの誘いに気軽に応じていたら、勘違いされて酷い目に遭った過去があるからだ。
大学はアメリカだったが、日本でもその傾向はある、いや、もっと強いらしいことは、分かっている。

「工藤さんって、まだ内田さんのことが好きなんですか?」

オレは危うく、飲みかけていたコーヒーを噴きそうになった。
内田さんというのは、オレの3年先輩で、年齢はオレより7歳上。
仕事ができる美人(と皆が褒め称えるが、毛利さんには敵わないとオレは思っている)で、言い寄る男性には事欠かなかった。
オレのように美人だからとちやほやしない男が逆に新鮮だったらしく、妙に気に入られ、告白された。
その時オレは、すでに毛利さんの事が好きだったから、「好きな人がいるから」と言って断ったのだった。

その後何故か、オレが「身の程知らずにも内田さんに懸想し告白し玉砕した」という噂が流れた。
けれどそれは杉田さんが入社する前の事だから、まさか彼女がその噂を知っているとは思わなかった。

ほったらかしておいてもいいのだが、変な風に毛利さんの耳に入っても困る。

「オレが内田さんを好きだったって噂があったのは知ってるけど。別にそんな事実はないよ」
「え……でも……」
「それより、そろそろコピーが終わってる頃じゃねえのか?」
「あ!いっけない。行ってきます!」


オレは、フロアの向こうにいる毛利さんの方に目を向けた。
杉田さんがいつもオレのとこでお喋りをしていくのを、彼女は気付いている筈だ。
それを、どう思っているだろう?

「仕事中に油を売って」と苦々しく思っているのならともかく、何とも思っていないのであれば、少し堪えるなと、ちょっと考えていた。



   ☆☆☆



取引先の会社に出向き、帰社したのは、5時半を回っていた。
今は特に繁忙期でもなく、この時間だと多くの社員は帰っている。

オレは、報告書を作成し、帰る前に自分が使ったカップを洗いに給湯室に向かった。
すると、中から話し声が聞こえ、オレはドアの前で止まった。
声は、山口課長と毛利さんだった。

「あなたはもう、森田さんと結婚するのでしょう?話をすることなんか、何もありません」
「俺は騙されたんだ!あいつは、妊娠したけど、子どもは流れてた。それを黙って……」
「……だから何!?子どもが出来るようなことをして、妊娠したのは事実でしょう!?流産したからって、なかった事になんかできないわ!」
「大体、俺が酔ったところで誘惑してきて……浮気する積りなんかなかったんだ!あの女が……!」
「そんなの卑怯よ。森田さんの所為にするなんて!」
「俺はあいつとは結婚しない!好きなのはお前だけなんだ、蘭!」
「イヤ……ッ!」

オレは慌ててドアを開けて給湯室に踏み込んだ。
そこには、抱き合っている……というか、抗う毛利さんを無理に抱き寄せている山口課長の姿があり、オレはカッとなった。
オレの登場で力が抜けた山口課長から奪い取るように毛利さんを引きはがし、庇うようにオレの後ろに回す。

「課長!会社の中で、嫌がる女性相手に、何やってんですか!」
「く、工藤君……これは……」
「セクハラ行為として、訴えますよ!」
「やめて、工藤君!」

いきり立つオレに、背後から制止の声が掛かった。
振り返ると、毛利さんが泣きそうな顔をしていて、オレは胸が詰まる。

「毛利さん……」
「元々、悪いのは、わたしなの……だから……訴えるのは、やめて……」
「だけど!」
「工藤君のおかげで、何もなかったから……だから……お願い……」

毛利さんの涙を見て、オレは矛を収めることにした。
山口課長は唇を噛んで悔しそうな表情をしていたが、荒々しい足音を立てて去って行った。

「毛利さん。大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
「今日は外回りのために車で来ているから、もし良かったら送りますよ」

毛利さんは特に逆らうことなく、オレの車に乗った。
助手席で俯いている毛利さんの手を握りたくなったけれど、まだそれはできない。

オレは車を出した。

「真っ直ぐ帰りますか?それとも、どこかで食事でも……」
「……」

毛利さんが黙ったままだったので、そんな気分ではないのだろうとオレは解した。
しかし、ややあって毛利さんが言葉を返す。

「本当だったら飲みに行きたいところだけど……工藤君、運転だものね」
「毛利さんが飲みたいんだったら付き合いますよ。オレはソフトドリンクで」
「そういう訳には行かないわ」

やり取りの末、オレ達はカジュアルなイタリアンレストランに入った。
食事の時には、毛利さんの表情もずいぶんほぐれ、笑顔を見せるようになった。
話は他愛ないことが殆どで。
ホームズの話題になるとついつい熱が入ってしまったオレに、毛利さんは苦笑し、オレがハッとして話をやめるという一幕もあった。

「ところで工藤君。杉田さんと付き合ってるの?」
「ぶほっ!」

オレは思いっ切りむせた。

「付き合ってませんよ!何でそう思うんですか!?」
「結構親しく会話しているみたいだから……」
「オレは彼女の指導係だし、年が一緒で、席も近いから自然と話をするだけで、プライベートでの付き合いは全くありません」
「そ、そうなんだ……」

はあ。
勘弁して欲しい。
オレは彼女なんかいねえし、好きなのは目の前のあなたですよと言いたくなってしまう。

しかし、杉田さんと付き合ってはいないというオレの言葉を、毛利さんは信じてくれたのだろうか?
多くの男が浮気をするとき「彼女はいない」だの「彼女とは別れる寸前」だのと言い訳をするものだから。
もし毛利さんがそういう男の傾向を知っているのなら、オレの力説は無駄かもしれない。

まったく、勘弁して欲しい。

「飲みたい気分」と言った毛利さんだったが、オレが飲めないのに遠慮してか、お酒を頼むことはなかった。
毛利さんがトイレに立っている間に、オレは会計を済ませた。

「じゃあ、帰りましょうか」
「え?お会計は?」
「もう済ませてます」
「あ……じゃあこれ、わたしの分」

毛利さんが自分の分を支払おうとするが、オレは固辞した。

「今日は、オレが誘ったんだから、払わせてください」
「でも……工藤君はわたしを慰めようとして……」
「違いますよ。オレが毛利さんと食事したかったからです」
「じゃあ……今日はご馳走様。この次は、わたしが奢るわね」
「……期待しています」

オレは心の中でガッツポーズをした。
これは、次があるということだ。
社交辞令かもしれないが、絶対に次につなげて見せる!
もちろん、毛利さんに奢らせる積りはないけれど。


毛利さんは特に警戒する様子もなく、独り暮らしをしているというアパートまでオレは送って行った。

「工藤君。ちょっとあがってお茶でも飲んで行く?」

警戒もされていない事実に、オレは男として見られていないらしいとガックリきたが、正直、家に上がり込むとオレの理性がいつ飛ぶか分からなかったので、固辞し、未練を残しながら帰って行った。



   ☆☆☆



山口課長の結婚式当日。

何となく、不貞腐れてやつれた感じの山口課長と、笑顔だが何となく痛々しくあまり幸せそうに見えない花嫁:森田さん……いや、もう山口さんか。
気の毒ではあるが、浮気した山口課長と、恋人がいることを知っていながら寝取った森田さんの自業自得だとも思う。

今日の披露宴は毛利さんも参加していた。
まあ、会社関係者が皆招待されているのだから、毛利さんだけ外すのも変だし、毛利さんもここで欠席するような大人げないことはできなかったのだろう。

凛として前を向いている毛利さんは、下手な同情など受け付けないという雰囲気があった。

披露宴が終わったあと、何となくちらちらとこちらを見ている杉田さんに気付いていたが、あえて気付かない振りをした。
彼女は、二次会を欠席すると言い切ることができなかったらしい。
何となく断れずに二次会に参加する人たちの群れに、彼女も含まれていた。

「工藤。お前、二次会に参加しないのか?」
「義理の付き合いは披露宴で終わりと決めているんで」

手を振って去っていく。
オレは、この前教えてもらった毛利さんの携帯メルアドに連絡を入れていた。
「OK」
という返信が入っており、オレは心躍った。
短い素っ気ない言葉だが、「披露宴の後に飲みに行く」ことを了承してもらったのだ。

今日は土曜日なので、夜遅くなっても問題ない。
ゆっくり過ごせそうだ。


待ち合わせの約束をしている店に入る。
しかし、彼女はいつまで経っても現れない。

まさか、すっぽかすとは考えられないが……と、悶々とし始めた頃、メールが入った。

『工藤君、ごめんなさい!店の場所が分からなくて迷っちゃった』

後に知った事だが、彼女は重度の方向音痴だった。
誰もが良く知っている待ち合わせに最適の店だと思っていたが、これは計算外だった。

オレは慌てて店の人に謝って外に出た。
そして、電話を掛ける。

『工藤君……ごめんね、ごめんね』
「毛利さん、今いる場所、分かりますか!?」

色々聞いて、毛利さんの居場所を推測し、動かないように言って急いでその場所に向かった。
幸い、そんなに離れていない場所で、毛利さんはすぐに見つかった。

「ごめん……ごめんね……」

目を赤くして謝る毛利さんに、もちろん文句など言える筈もなく……オレは思わず毛利さんを抱き締めていた。

「く、工藤君?」
「泣くなよ、頼むから」
「う、うん」

オレは彼女を解放した。
そして、手を取って歩き出す。

「工藤君?」
「迷子になるといけねえから」
「う、うん……」

先ほどの店に戻ろうかと思ったが、少し経って彼女の歩き方がおかしいのに気付いた。

「毛利さん。もしかして、足を傷めた?」
「靴擦れができちゃったみたいで……」

毛利さんが、言いにくそうに言葉を出した。

「じゃあ、残念だけど、今日はもう帰る?」
「そ、それは駄目!」
「えっ……?」
「だって!楽しみにしてたんだもん!」

涙いっぱいの目でそう言われると、どうしたら良いか分からなくなる。
多分、毛利さんは、山口課長の結婚式が行われたこの日、何らかの慰めが欲しかったのだろうと思う。

「工藤君、もし良かったら……わたしの家に来ない?」
「へっ!?」
「わたし、ご飯作るから……」
「け、けど!」
「お口に合うか、分からないけど……」

や!
その!
嬉しいけど……めっちゃ嬉しいけど!
警戒心がないにも程があるだろう!

「……やっぱり、迷惑だったかな?」

泣きそうな目でそう言われると、オレは全力で首を横にブンブンと振るしかなかった。
ご招待に応じる旨を伝えると、彼女は輝くような笑顔になった。
オレ、これに弱いんだよな……考えてみれば、オレが彼女に一目惚れしたのは、オレが入社して間もない頃に、彼女のこの笑顔を見たからだったんだ。

「帰りに、買い物に付き合ってくれる?」
「良いですよ。っていうか、買うものを教えてくれれば、オレが買って回りますから」

独り暮らしをしていても、正直、自炊することは滅多になく、買い物もあまり経験がないが、毛利さんのためならそのくらい、こなしてみせよう。
毛利さんには駅そばの喫茶店で待っていてもらい、駅近くのスーパーで買い物をすることにした。
毛利さんの指示はかなり具体的に細かく(何が何グラムくらいとか)、色々迷いながらも何とか買い物を済ませる事ができた。
そしてオレは……多分、必要ないだろうと思いながらも、万一の時に備え、駅前のドラッグストアで下着の替えとある物を購入した。



   ☆☆☆



毛利さんのアパートは、こぢんまりしているが、可愛い感じに整えられていた。

「ちょっと散らかっているけど……」
「全然綺麗ですよ。オレのとこに比べれば。あ、男の1人暮らしと比べるのも変ですけど」

彼女は洗面所で室内着に着替えて、料理を始めた。
オレは……着替えはないので、上着を脱ぎネクタイを外した。

「何か手伝う事ありますか?」
「いいよ、座ってて。お客さんだし、スーツが汚れちゃうから」

彼女の手際はかなり良く、オレが手伝うとかえって邪魔になりそうだ。
仕方なく、小さなテーブルに座って待つこととする。

部屋全体に、ほんのり彼女の匂いが染みついているようで、落ち着かない。
頭の中でオレは何度も彼女を凌辱した。
頭を振って他のことを考えようとしても、どうしても思考がそちらに向いてしまう。

しかし、オレのヨコシマな夢想は、毛利さんが料理を運んできたときに吹き飛んだ。
オーソドックスなハンバーグとサラダ・スープの組み合わせだが、すげえ美味そうな匂いが漂ってきたのだ。

「どうぞ召し上がれ」
「いただきます」

ハンバーグは手作りのためやや形がいびつで、少し焦げ目がついていたりしたが、むっちゃ美味しかった。

「うまい!」
「ほんと?」
「ああ。これだったら、店に出してもぜってー大丈夫!」
「ありがとう。でも、見た目が店に出せるレベルじゃないから……」
「いやいや。美味けりゃぜってー客がつく!」
「ふふっ。お世辞でも嬉しいわ。家族以外に料理を作った事ってなかったから……」

オレは、ふっと違和感を持った。
恋人は、家族とは言えない。
山口課長は彼女の手料理を食べたことがないのだろうか?

まあ、スマートな外食でのデートばかりで、おうちデートってヤツをしたことがないだけかもしれないが。

で、ご飯を食べている間は良かったのだが。
その後、仲良く皿洗いをしたまでは、良かったのだが。

「さあ。飲みましょう」

今日、彼女に言われるままに買い込んだワインの瓶が、食卓に並んだ。
これ以上ここにいると、オレの理性は間違いなくブチ切れる。
頭の中に警鐘が鳴り響く。

けれどオレは、勧められるままに、グラスを手にしていた。

オレが一口飲むより早く、彼女は豪快にグラスを空けた。

「も、毛利さん!」
「ふ。にゃに、くどうくん」

あ。
やべ。
彼女は意外と酒が弱そうだ。
そういえば、会社の飲み会の時は、最初の乾杯のみビールで、その後はソフトドリンクで上手に繋いでいたのを思い出した。

オレは、二杯目を飲もうとする彼女の手を抑えた。
逆らおうとする彼女を抱きすくめ、グラスをテーブルの上に置いた。
彼女が抗議するようにオレを見て、オレは彼女の目を見詰め返した。
途端に、動けなくなる。


トリガーが、引かれた。



   ☆☆☆



「んっ……!」

深く抱き込んで、彼女の唇を貪る。
毛利さんは僅かに震えていたが、逆らわなかった。

舌を彼女の口腔内に差し入れて蹂躙する。
彼女は、たどたどしい動きで合わせてきた。


付き合っていた男が他の女と結婚する今夜、彼女は一晩の慰めが欲しかったのかもしれない。
だがオレは、一晩だけの付き合いで終わらせる積りは毛頭ない。

力が抜けたところを抱き上げて、ベッドまで運ぶ。
思っていたより軽かった。


ベッドに下ろすと、ワンピースを脱がせる。
シンプルだが目にまぶしい下着姿。
全体的に華奢で細いのに、胸とお尻は適度に盛り上がり、綺麗な曲線を描いている。

オレは思わず生唾を呑みこんでいた。
そのまま下着に手を掛け、取り去ろうとする。

「ま、待って!工藤君!」
「……ここまで来て、待てって言われても無理ですよ」
「ち、違うの!しゃ、シャワー、浴びさせて……!」
「えっ!?」
「お願い……」

正直、ここで離したら、彼女は正気に戻り、拒絶されるかもしれないと不安だったが。
彼女の泣きそうな目を見て、それ以上強行できる筈もなく。

オレは一旦、彼女を解放した。
彼女がお風呂に入っている間に、オレは今日買って来たものを準備する。

今日は、彼女にとって、元彼との決別の日だ。
そのためにオレに縋ってくれるのなら、構わない。
彼女の気持ちがいつかオレに向いてくれる日を待とう。
一晩だけで終わらせる積りはないが、先に繋げるためには今夜は大切な夜だ。

……と言っても、ずっと焦がれてきた女性を初めて抱くのに、オレがどこまで優しく気遣いできるものか、それはまったく自信がなかった。

彼女はシャワーの後、同じ部屋着をそのまま来ていたが、胸のラインが違っていた。
胸の頂が尖っているのが服の上から分かる。
ということは、胸の下着を外したままなのだ。
オレは鼻血を噴きそうになった。

オレの下半身が欲望をあらわにしているのを、何となく前かがみになって誤魔化しながら、オレは彼女と交代で浴室に急いだ。
浴室でオレは、シャワーを浴びながら、1回熱を放出する。
でないと、飢えた獣のように襲いかかってしまいそうだったからだ。

彼女からは、男もののパジャマを渡された。
前に両親が泊まりに来たときに父親用に準備していたものだということだ。
まあ、山口課長が着ていた物を渡すなんて無神経なことはしないだろうから、おそらくそれは本当の事だろうと思う。
一旦パジャマに袖を通し、オレはベッドのところに戻った。

彼女は俯いてベッド脇に腰かけ、何か考え込んでいる様子だった。
落ち着く時間が出来たことで、今になってやめたいと思っているのだろうか?

「毛利さ……」
「ねえ、工藤君」
「はい?」
「工藤君、今、恋人、いないの?」
「……何でそんなこと、訊くんですか?」
「だって。もし恋人がいたら、その人に悪いもの……」

そうか。
彼女は恋人を寝取られた立場。
だから、同じことをしたくないと、思っているんだ。

「いません。オレは……毛利さんからどう見られているか知らねえけど、もし恋人がいたら、その人を裏切るような真似はぜってーしません」

言いながら、彼女の隣に腰かけ、肩を抱き寄せて唇を奪う。
口付けながら手さぐりで、彼女の室内着を脱がせた。

そのままベッドに押し倒し、服を全部脱がせる。

唇を解放して、横たわった彼女を上から見下ろした。
今、彼女は、パンティ1枚だけを着けた状態だ。

想像してたよりずっと綺麗な裸体に、オレは思わず生唾を飲み込んだ。
白い体が、風呂上りのせいかうっすらとピンクに染まっている。
胸は綺麗な形に盛り上がり、その頂には赤く色づいた果実が乗っている。

腰はくびれ、お尻にかけてなだらかな曲線を描いている。

「すげー綺麗だ……」

そっと胸に触れる。
柔らかな感触。
オレは色づく果実に顔を寄せ口に含んだ。

「あんっ!」

毛利さんの体が跳ね、甘い声が飛び出す。
ここは女性の感じやすいところとはいえ、とても感度が良いようだ。

蘭の肌、柔らかくてスベスベでもちもちで……すごく触り心地がいい。
触れるたびに反応してビクビクとなって色っぽい声を出して……こっちまでゾクゾクしてくる。

山口課長が初めての男だったとも思えない。
今まで何人の男がこの体に触れて行ったのか。
それにこだわる積りはないけれど。

オレを「最後の男」にして欲しい。
他の男との体験を全て「上書き」し消し去りたい。
そう願いながら、体中に触れていく。

「んんっ……あっ……工藤君……」
「蘭」

オレは、今まで呼ぶことのなかったその名で彼女を呼んだ。

「蘭……新一って呼んで……」
「し、新一……?」
「そう……」

お互いに名前を呼びながら、オレは彼女の肌に刻印を刻んでいく。

蘭の肌はシミひとつなく、ここ最近男が触れた様子はない。
まあ、そりゃそうだろうな。
山口課長が森田さんと「浮気」していたことを知った時から、彼女はもう山口課長に肌を許さなかっただろうから。
彼女には久しぶりの行為の筈だ。

蘭の体がびくびくと跳ねる。
あられもない声が上がる。
今までに見たことがない妖艶な顔。

彼女を覆う最後の布が湿り気を帯び中が透けて見えていた。
オレは最後に残った布を取り去った。
そこはもう既に潤い、甘い匂いが漂っている。

久し振りだろうから結構きついかもしれないが、オレはもう我慢できず、自分のモノに準備していた避妊具を装着すると、彼女の中に入ろうとした。
しかし。

「……っ……つう……っ!」

思いのほか彼女の中はきつく、オレのモノは入り口から奥に入って行けない。

「……くっ……蘭、力抜いて……」
「ど、どうしたらいいか、わからない……」
「えっ!?」

思わぬ彼女の言葉に、オレは思わず起き上がる。

「……ま、まさかっ!……蘭、初めてなのか!?」
「や、やめないで……お願い……」

潤んだ目で懇願されると、どうしようもない。
オレもとても今からやめられるような状況じゃねえし、沢山あるはてなマークは横に置いて、オレは行為に専念した。

苦戦の末、オレのモノは彼女の中に入った。

「アウ……ッ!」
「……はあっ……蘭……全部、入ったぜ……」

蘭は目をぎゅっと閉じながら、その眦から涙をこぼしながら頷いた。

初めて入った彼女の中。
トロトロで、熱くオレのを包み込んで……超気持ちイイ!

蘭が落ち着いたのを見計らって腰を動かし始める。
最初は気遣ってゆっくりする積りだったが、そんな余裕はなく、すぐに激しく突き上げ始めた。
ギシギシとベッドがきしみ、お互いの息遣いが激しくなっていく。

「んっ……うっ……んんっ!」

蘭は最初、辛そうな声を上げていたが、段々その声は艶めいたものに変わって行く。

「ああん……んあん……はああん……!」
「蘭……蘭……ッ!!」

やがて、蘭がのけ反って大きな声を上げた。

「ああっ……イクっ……いっちゃう……!」
「くう……ッ……ッはあっ!蘭……ッ!」

そして、蘭の中がオレのをキュッと締め付け、たまらずオレも熱いものを放出した。
ややあって、呼吸を整えると、オレは蘭の中からおのれを抜き出した。
オレが放ったものは避妊具の中に納まっているが、蘭の中から血液が混じった蘭の体液が溢れだした。

オレは、手近にあったティッシュを取って、蘭のそこを丁寧に拭った。
蘭はグッタリとなって横たわっている。

オレは、避妊具の始末をすると、蘭を抱き込んで隣に横たわった。
蘭を見ると、ちょっと恥ずかしそうに微笑む。
オレは、蘭の顔中にキスの雨を降らせた。

落ち着いたころを見計らって、オレは声を掛けた。


「蘭……山口課長とは……その……」
「……わたし達は、皆が思っているような付き合いじゃなかった……」
「そ、そっか……」


思えば、オレだって、先輩の内田さんや後輩の杉田さんと噂になったこともある。
山口課長との仲は、彼女本人に確かめた訳ではなかった。
だから、付き合っていなかったのかと思ったのだが。

「でも、実は、付き合ってなかったって訳でも、ないの」
「は!?」
「わたしが入社したばかりの時に、指導係だった山口さんから告白されて……わたし、学生時代は男の人に興味なくて付き合った経験なかったし、ためしにと思って付き合ってみたんだけど……」
「……」
「何回目かのデートでキスされそうになった時、顔が近づいて来ただけですごく嫌で、思いっ切り突き飛ばしちゃって……だから、無理だから別れたいって……」
「うん……」
「でも、山口さんからは、嫌だ、わたしがその気になるまで待つから、絶対別れないって言われて、そのままずるずると……」
「そ、そうだったのか……」
「わたしも、どうしたら良いかわからなかった。山口さんを受け入れられる日は絶対来ないって分かってて……だから何度も別れたいって言って……でも、そのたびに拒否されて……」
「うん……」
「だからね。森田さんが山口さんの子を妊娠したって聞いた時、悪いけど、これで別れられるって……最低よね、わたし……」
「いや。それはだって、仕方がないでしょ。恋人同士は、片方が付き合う気を無くしたらそこで終わりなんだから……」

蘭は律儀なところがあるから、相手がうんと言わない限り別れられないと思い詰めていたんだろう。

「じゃあ……その。今夜は、何でオレと……?」
「初めての相手は、工藤君が……新一が良かったから」

彼女の究極の告白に、オレは胸打たれた。
思わず体を起こし、彼女を上からマジマジと見る。

「あ……し、心配しないで。一度寝たからって、この先迫ったりしないから……!」
「一晩だけのことに?できるワケねえだろ、そんなこと!」
「新一ってまだ21歳でしょ?アラサー女に責任を感じる必要はないんだから」
「あのな!勝手に話を進めるなよ!オレは、初めて会った時から、ずっと蘭の事が好きだった!」
「えっ!?」

蘭が目を見開いて、オレを見た。

「だから、今夜蘭を抱けて、しかも蘭が初めてで……スゲー嬉しかった。オレ、一晩だけで終わらせる気はまったくねえから!」
「し、新一……」

2人見つめ合い、どちらからともなく顔を近づけ、唇を重ね……そして、微笑み合った。

「嬉しい……わたしの片思いだって、思ってた」
「それは、オレの方もだよ」
「最初は、能力あるけど超生意気な後輩君、って思ってたんだけど。意外と気配りの人で、さりげなく気付かれないように他の人の仕事をフォローしているのを見てから、新一への見方が変わって行ったの……」
「そ、そうだったのか……」

オレとしては、仕事が滞っても困るし。
けれど、年上の後輩や、能力のない先輩のフォローをあからさまにやってたんじゃ反発を食うだけって分かってたので、気付かれないようにフォローしてた積りだったんだが。
それを蘭が見ていてくれてたってのは、驚いたけど嬉しかった。

「新一から食事に誘われた時は、嬉しかったんだけど……もし山口さんに知れたら、新一がどんな目に遭わされるかって怖くて……」
「もしかして。それでオレに素っ気なく?」

蘭が頷く。
うわー。
めっちゃ可愛い。
めっちゃ嬉しい!

「最初、山口さんがどんな人か知らなくて、うっかりお付き合いを了承して、山口さんが結構粘着質で嫉妬深くて執念深いって分かって来て、すごく後悔した。新一のことを好きになって……でも、それが山口さんに知れたらって思うと怖くて……」
「んなの。オレは自分の身位ちゃんと守れるって」
「でも……!」
「知らなかったとはいえ……蘭を守れなくて、ごめん……」
「……そんなことないよ。守ってくれた。ちゃんと」

オレ達はまた、口付けをかわした。

「なるべく早く、結婚したい」
「し、新一?いきなり……」
「いきなりでもねえよ。だって3年間片思いしてたんだから。他の男に取られる前に、オレのもんにしてしまいてえし」
「新一……」
「嫌か?」
「い、嫌じゃないよ。嬉しい……けど……」
「子作りも早い方が良いだろ?何ならこれから避妊せずに……」
「だ、ダメッ!でき婚は、絶対駄目!」

まあ、ここで蘭がオレの子を妊娠してデキ婚なんてことになったら、会社の中で何と言われるか。

「だよなあ。だったらやっぱ、早い内に結婚しようぜ」

蘭は驚いて目を見開いていたけど、満更でもなさそうだった。


元彼との結婚式のあと傷心の女性を慰める夜の筈が。
お互いの気持ちを確認して恋人同士……いや、婚約者としての出発をした夜に変わったのだった。




Fin.


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色々と書きかけの物があるのですが、思いついた新蘭パラレルを書かずにいられなくなって。
オフィスラブのシリーズだと、絶対、裏行きになりますね。
まあ、その場面の描写は大したことありませんけれども。

タイトルは、センスがなくてすみません。

元々は、あるレディスコミックを読み、それを新蘭変換しようと思ったのですが……こねくり回し他の漫画ネタもミックスしている内に、あら不思議、殆ど原型をとどめなくなりました。
なので、元ネタ話を提示しても「うそ〜ん。どこが?」ってなると思います。


途中まで書いたところで夫(東海帝皇会長)に見てもらったら「生々し過ぎる」と言われちゃいました。
ん〜。自分では分からないけど。何かあるんでしょうね。

でもまあ、最終的には、やっぱりドミですよね〜。
どんな世界でも、蘭ちゃんの初めてのお相手は新一君、これは譲れません。

このお話の新一君について、過去、他の女性と関係を持ったことがあるかどうかは、読者の皆様の判断にゆだねます。


2016年5月30日脱稿
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