Sweet Pain



byドミ



(6)特別に、なりたい



少しの間だけ、幼いわたしに戻って、あの時の心残りを果たした後、今のわたしに、気持ちを切り替える。

「先生。手伝ってって言ったよね?何をすれば良いの?」
「一旦、宿舎に戻って、分かってる事を検証しようと思うんだけど、話聞いてくれねえか?」
「う、うん。そんなんで、役に立つの?」
「ああ。一人だけで考えてっと、結構思考が行き詰まるんだ。誰かに聞いてもらう事で、うまく突破口が見つかる事がある。けど、そういう時、やたらな相手では、無理だから」

話しながら、わたし達は、先生の宿舎の裏口に近づいた。
メゾネットタイプの宿舎だけれど、お互いの裏口の間には、囲いと垣根があり、そこに続く林の木々が結構視界を遮っているので、かなりプライベートが守られる作りになっている。

ただ、特に近道になる訳ではないし、足場も悪い上に迷い易い林の道を、わざわざ通る人は、少なそうだ。
それこそ、後ろめたい事でも、ない限りは。

後ろめたい事・・・。

わたしは彼の事、「先生」と呼んではいるけれど。
実際のところ、先生だとは思っていない。
好きな男性、なんだ。

だから、正直、後ろめたい。
こんな林の中を通るのは、後ろめたい事があるから・・・。

そもそも、生徒が立ち入ってはいけない、職員宿舎に入るのだから、後ろめたいと言えば、その通りだ。

「どうした?蘭?」

彼が振り返ってわたしを見る。
わたしは、色々考え込んで、彼の宿舎の裏口から中に入れないでいたのだった。

わたしはかぶりを振って中に踏み込んだ。

先生は、わたしの分もコーヒーを淹れてくれて。
学園全体の地図を、テーブルに広げる。

わたしは、地図を読むのが苦手なんだけど。
先生に色々説明を受けながら、頭の中で、建物や風景を思い浮かべ、イメージを掴んだ。


「この林って・・・学校から直接宿舎に帰る時に通る道じゃないし、普通は誰も通らないよね」

地図を見ながら説明を受けて、ようやく分かった位置関係について、わたしは感想を述べた。
女子寮と先生の宿舎とを誰にも見られず行き来するのには、都合が良い道だけど。
見通しも悪く、珍しい花が咲く木がある訳でもなく、散策に向いているとも言えないし、普通は、足を踏み込むとは思えない。

「ああ。ただ、亡くなった中山先生の宿舎はここで、倉橋先生の宿舎はここだから。出入りを人に見られないよう付き合っていたとしたら、やっぱり林の中を通る事になると思うぜ」
「え?でも、先生同士は、別に、他の人の宿舎に立ち入る事は、禁止されてないんでしょ?何で見られないように出入りするの?」
「そりゃまあ。付き合いを周囲に秘密にしたいとか、あるんじゃねえの?」
「内緒にしたいって・・・どうして?」
「・・・職場恋愛は、色々あんだよ。温かく見守るヤツばかりじゃねえし。特に教師同士ともなれば、お互い成人しているし何の問題もねえ筈だけど、生徒の教育上宜しくないだの何だの、言われる事もあるしさ。だから、結婚が決まるまでは、隠すヤツが多いだろうな」
「そういうものなの?」


教師同士の恋愛は、後ろめたい事ではない筈。
なのに、世間に隠さなくちゃいけないの?


教師と生徒の恋愛だったら、余計にダメだよね。
絶対に、世間にばれたら問題だよね。

って、何考えてんのかしら、わたしったら。
わたしはともかく、先生はそんなんじゃないのに。


「コーヒー、お代わりいるか?」
「え・・・?あ・・・お願いします」

考え事をしている間に、いつの間にか、わたしのコーヒーは空になっていて。
先生はわたしのコーヒーカップを持ってキッチンへと向かった。


「蘭。ホラ」

考えている内に先生はコーヒーをついで戻って来ていて。
わたしに向かってカップを差し出した。

「あ・・・ありがとうございます」

わたしは、カップを受け取ろうと手を伸ばす。
そして・・・先生の手にわたしの手が触れた。
その途端、甘い疼きのような感覚が走って。


「キャッ!」

わたしは、カップを取り落としていた。


「あつっ!」


わたしのスカートに熱いコーヒーがこぼれる。


「蘭っ!」

先生がいきなり、わたしのスカートをまくりあげた。
そしてわたしは、先生に抱きあげられていた。

「やっ!!」


思いがけない事態に、わたしの頭はパニックになり、恥ずかしくてわたしは先生の腕の中で暴れてしまう。


「蘭!おとなしくしてろ!」


何が何だか分からないでいる間に、わたしは浴室に連れ込まれて、冷たいシャワーがわたしの足に掛けられていた。

スカートはまくりあげられたままで。
わたしの下着と太ももとが、先生の目にさらされている。

「う・・・ひっく・・・」

わたしは震えて涙を流していた。
やがて、シャワーが止められ。

「良かった。少し赤いけど、じき治る。痕は残らねえだろう」

先生がわたしの太ももに軽く手を触れ、安堵のため息をついて言ったのが、聞こえた。


服の上から熱い液体(油以外)がかかった場合、急いで服をはぎ取らないといけない。
そしてすぐに、水道水を流しかけて冷やすのが、一番だ。

だから先生は、私のスカートをまくり、風呂場に連れて来てシャワーをぶっかけたのだ。
応急処置としては、正しい。

でも。


「ら、蘭!ごめん!」

先生が泣いている私に気付いて、慌てていた。
そして、まくりあげられたスカートが下ろされる。

「そ、その・・・すぐに処置しねえと、火傷の痕が残っちまうから・・・ご、ごめん!」


ううん。
先生は悪くない。悪くないの。

それに。
他の男の人でなくて良かったという思いが、どこかにあった。


いつの間にか、風呂場の隣の洗面所にわたしは立たされていて。
先生がバスタオルを羽織らせてくれる。


「・・・着替えになりそうなもん探してくっから、ちょっと待ってろ」

そう言って先生は足早にその場を去った。
そう言う先生も、ずぶ濡れだった。
わたしを抱き抱えたまま、シャワーを掛けたんだものね。


わたしは、太ももの具合を自分で見ようとして、スカートをまくりあげて、絶句した。
わたしの下着がびしょびしょで、透けて見える。

先生に見られたと思うと、恥ずかしくてたまらない。



ややあって、先生は、ジャージの上下を持って戻って来た。
わたしはジャージに着替え、わたしの服は水洗いした後乾燥機に入れ、スカートはプレッサーにかけて、リビングに戻った。
先生も、ラフな格好に着替えていた。


わたしの為に、淹れたての紅茶が用意されている。

「体温めるには、コーヒーより紅茶が良いから。ティーバッグだけど」
「は、はい・・・ありがとうございます」

わたしは、俯いて腰かけた。
先生の顔が、まともに見られない。


ちらりと先生の方を見ると。
先生は、こちらに背を向ける様にしてソファーに座っていた。

先生、わたしに悪い事をしたと、思ってる?
先生は、わたしを助けてくれただけなのに。


「せ、先生?」
「あ?」
「さ、さっきは、ありがとうございました・・・動転しちゃって、失礼な対応をして、ごめんなさい・・・」
「いや。蘭が謝る事はねえさ。オレがデリカシーなかったのは事実だから」

先生はやっぱり、向こうを向いたままで。
わたしは少し悲しくなる。


「先生?さっきの続き・・・」
「ん?」
「あの・・・事件の検証を・・・」
「あ、ああ・・・」

やっと先生がこちらを向いた。
先生のポロシャツの胸元を見て、わたしは目を見開いた。
慌てて先生の傍に駆け寄り、ソファの上に飛び乗って、先生の前に座り込んだ。

「せ、先生!どっか怪我を!?」
「へっ?」

わたしは、先生の胸元についている血を指さした。

「あ、これはさっき鼻血が・・・」
「鼻血っ!?大丈夫なの!?」
「ああ、いや、何でも。鼻の粘膜が弱いらしくて、時々・・・」

先生が苦笑しながら、やっとわたしを見た。
その眼差しはいつも通り優しいもので、わたしはホッとした。

そして。
ふと、今の体勢に気付く。
わたしは、ソファーの上に乗っていて。
先生の胸元に手を当て、まるで迫っているかのようだ。

わたしは、顔が熱くなり、慌てて先生から離れようとした。
だけど。

「えっ?」

先生にぎゅっと抱きしめられてしまう。


わたしの心臓はバクバク言っていて。
そして・・・先生のすごく速い動悸も、伝わって来た。

先生が、わたしを抱きしめたまま、掠れた声で言った。

「オメー・・・あんま、煽んな・・・」
「えっ?」
「無防備過ぎなんだよ、オメーは」
「先生?」
「無防備な姿をさらされると、男は襲いたくなっちまうもんなんだ。もう子供じゃねえんだから、その位、分かっとけ」

な、何か、話が見えないんだけど?

「だって・・・先生は、高校生のガキになんか興味ないって・・・言ってたじゃない・・・」
「・・・あの場では。ああ言うしかねえだろ?高校生が若い教師に憧れるなんざ、昔からよくある事で。相手の中身をきちんと知っての恋愛とは、違うんだから」
「先生・・・」
「早く、大人になって欲しい。でも、まだ大人になって欲しくない。すげー矛盾しているよな、オレも」

????
ますます、話が見えない。

先生は、少しだけ力を緩めると、わたしの顔を間近で見詰めて来た。
吐息がかかりそうで息もまともに出来ない。
心臓がますますバクバク音を立てる。

「あ、あの。先生?」
「ん?」
「わたし・・・初めて先生と会った時と、同じ歳になったんだよ・・・」
「・・・ああ。そうだな。5年前だったもんな」
「先生は?その時、高校の美人教師に憧れたりしたの?」
「は?」

先生の目が点になった。
わたし、そんなにおかしな事を言ったのかしら?
先生は、わたしの体を離し、渋面を作った。

「何で、んな話の流れに、なんだよ!?」
「だって・・・さっき、そんな風な事、言ったじゃない・・・」
「オレの話じゃねえよ!周りの同級生がそんな風だったからよ!亡くなった中山先生なんか、大学卒業して赴任したばかりで、憧れたヤツは多かったな」
「え?」
「彼女が亡くなった事を知ったら、当時の同級生で嘆くヤツは多いだろうな」
「先生も・・・?」
「オメー。全然人の話、聞いてねえな。オレは別に、中山先生に憧れたりなんか・・・!」
「わたしが言ってるのは、そういう事じゃないもん!先生は、好きな相手じゃなくたって、人が死ぬの、嫌でしょ?」

わたしの言葉に、先生の目が見開かれた。

「ああ。オレは・・・やっぱり、衝撃を受けたよ。中山先生が寿退職する為の代替要員だった筈なのに、殺されたかもしれなくて、その捜査をする羽目になったのは・・・」
「先生・・・」
「やっぱ、オメーは変わってねえな。安心した」

そう言って先生が苦笑する。

「やっぱり、わたしって子供?」
「そういう意味じゃ、ねえよ」
「先生?」
「まあ、人が死ぬのは嫌だが、病気や事故は、仕方がねえよな。オレは今でも、中山先生がせめて事故死であればなと、思うよ。けど、やっぱりそうじゃなさそうなんだよな、悲しい事だけど」
「うん・・・」

先生は、ソファーから立ちあがった。
そしてまた、キッチンへと向かう。

わたしは、ドキドキしている胸が、まだ落ち着かない。
さっきの出来事も、抱き締められた事も、きっと・・・先生にとってわたしはまだ、「守るべき子供」だからなんだろうと、思う。

「ほら。腹減ってるだろ?」

先生が、わたしの前に、パイの乗ったお皿とコーヒーを置いた。

「えっ?」
「貰いもんだけどさ。レモンパイ」
「貰いものって?」
「3年の内田から、差し入れがあったんだ」

内田さんって・・・あの、内田麻美先輩?
わたしは、すごく綺麗に出来ているけど、どう見ても手作りのパイを前に、固まってしまった。

「内田麻美先輩って・・・才色兼備で、素敵な人ですよね」
「ん?ああ、まあ、そうかもな」
「先生、内田先輩が去年アメリカ留学してた時、会ったんですって?」

わたしの言葉には、棘が混じっていたかも、しれない。
たとえ先生が誰と親しくなろうと、付き合ってようと遊んでようと、文句を言える立場じゃないのに。
先生は、目を見開いて言った。

「すげえな。オメーの情報網ってどうなってんだよ?高校生の調査能力ってのも、侮れねえな」
「わたしの友達が、情報通だから。友達の話では、かなり親しいって・・・」
「親しい・・・って程でもねえけど。彼女がたまたま帝丹高校生だと知って、少し興味を持ったかな?」
「それは・・・先生の出身校だから?」
「いや。違うよ。彼女は生徒会役員をやってたし、近況を知りたかったから、結構話はしたけど。それが、どうかしたのか?」
「ううん・・・差し入れを受け取る位だから、やっぱり噂通りなのかなって思って」
「差し入れは、オレ個人あてじゃねえよ。職員室全体にだ。でなきゃ、受け取らねえ」

先生は、内田先輩の行動を、自分へのアプローチと受け取っていないみたい。
でも、ただ単に職員全員への差し入れを持って行くなんて、考え難い。
内田先輩は、きっと先生の事が・・・と思う。


わたし、何をしてるんだろう?
あんな綺麗な人だって、努力してアプローチしているのに。

先生だって、あの内田先輩にアプローチされたら、心動かない筈はない。
なのに、わたしは、何もしていない。
これじゃ、先生がわたしを好きになってくれなくても、当たり前だよね。


「蘭?どうした、レモンパイは好きじゃねえのか?」
「え?ううん、そんな事ない。いただきます」

わたしは、内田先輩手作りのレモンパイを口に入れる。
甘酸っぱい味が広がった。

「美味しい・・・」
「そうか?」
「うん、すごく美味しいよ。先生は食べてないの?」
「いや、蘭に毒見させる積りだった訳じゃねえけど、1個しかねえし。何しろ、あっちで差し入れられたのが、不味かったからなあ」
「えっ!?」
「FBIの捜査を手伝っている時にさ。彼女が差し入れって持って来たんだよ。アメリカ人は正直、味音痴のヤツが多いから、喜んで食べてたけど、オレひとり、正直に不味いって言っちまったんだよな」
「はあ!?」
「そしたら彼女、むきになって、オレが美味いって言うまで、毎日差し入れを持って来てよ。かなり辟易したけど、最後の辺りは大分美味くなってたな」


わたしは、先生の別の面を見て、思わず噴き出しそうになった。
でも。
きっと、内田先輩は真剣だったんだよね。
あんな綺麗で優秀な人が、工藤先生に気に入られたくて、美味しいお菓子を作ろうと、何日も頑張ったんだ。


「でも、1個しかないなら、わたしが食べてしまうの、悪いな・・・」
「んな事ねえよ。オレは今、腹減ってねえし」

わたしが言ったのは、そういう意味じゃなかったんだけど。
多分、内田先輩が食べて欲しかったのは、工藤先生1人だけ。
なのに、わたしが食べてしまうのは、内田先輩に悪いと、感じていた。


「わたしね。内田先輩に嫉妬してたかな?」
「は?何で?」
「だって・・・あんなに綺麗なのに、性格良くて人望もあって、成績も優秀で、お菓子作りも得意なんて言ったら、もう、羨むしかないじゃない?」
「蘭・・・」
「でも、内田先輩は、ただ天与のものを持っているだけじゃなくって、ずっと色々な事を努力しているんだって事が分かったから。それをただ羨むなんて、バチが当たっちゃう」
「別に、他人と比較する事はねえだろ?オメーにはオメーの良いところがいっぱいあるんだしよ」
「先生、園子と同じ事、言ってる」
「園子?鈴木家のお嬢さんか。あの時、オメーが身代わりになった・・・」
「うん!」
「あの時、あの子は、涙ダラダラで・・・お願い、蘭を助けて、お願い!って繰り返してたよ」
「お嬢様だし、ミーハーだし、誤解され易いけど、とても人情に厚くて、なのにサバサバしてて、本当に良い子なんだよ」
「そっか。人生の早い内に良い友達に巡り会えるって、素晴らしい事だよ。大事にしなきゃな」


レモンパイで一息ついた後、事件の検証に戻って行った。
気がつくと、日が大きく傾いている。

「・・・今日は、これ位にしよう。明日、行きたい所があんだけど、付き合ってくれるか?」
「うん」
「車で出かけるけど、一緒に出るのはまじいから。10時に、ロータリーの所で待っててくれねえか?」

わたしは頷いた。
学園入口を出た近くに、バスや大型車の折り返しが出来るロータリーがあるのだ。

寮に帰って、久し振りに食堂で夕ご飯を摂って、自室に戻る。
今日、園子は外泊しているので、わたし1人だ。
わたしも、今迄いつも、週末には外泊していた。

今日は久し振りに、寮で1人で過ごす週末だ。
けれど何故か不思議と、寂しいとは思わない。


喧嘩して何年も別居している、お父さんお母さんのどちらかとだけ一緒にいるより、先生とそう遠くないところで寝泊まりする今の方が、何だか、幸せ。

お父さんとお母さんが、早く、別居解消してくれたら、良いなあ。
でも、わたしが帝丹学園に入学してからも、その願いが叶う事は、なかった。
2人、今でもお互い思い合ってて、ただ意地を張ってるだけだって事は、分かってるんだけど。


先生の特別に、なりたい。

でも。
先生が少しでもわたしを気にかけてくれているのは、多分、昔、助けた女の子、だから。

告白して、何もかもが壊れ、先生に避けられるのは、嫌だとも、思っていた。


特別になりたいのに、勇気が出ない。
わたしってずるいなと、自己嫌悪から抜けられなかった。



(7)に続く


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<後書き>

旧バージョンでは、ここで、お互い告白、2人のファーストキス!だったんですけど・・・すみません、すみません。

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