Sweet Pain



byドミ



(5)5年前に伝えたかった事



次の日。

わたしは、気もそぞろだったけれど、授業と昼食を何とか普通にこなした。
時々、高橋君が、何か言いたげにこちらを見ているのに気付いたけれど、敢えて視線は合わせないようにしていた。

心苦しいけれど、彼の好意には応えられないし。
昨日、話は終わっている筈だから。

わたしは園子に、今日も門限ギリギリになる旨、あらかじめ伝えておいた。
そして、部活が終わり着替えたわたしは、女子寮の方向に向かって歩いて行く。
途中、林に入って、工藤先生の職員宿舎に向かう積りなのだ。

すると、林の入口に入ったあたりで、突然声を掛けられた。

「毛利」

高橋君だった。
女子寮への道は、帝丹高校性女子が通るので、人目があるけれど、林に一歩入ってしまうと、人目につきにくくなる。
わたしは、何となく警戒心を抱きながら、高橋君に向かい合った。

「高橋君。どうしたの?」
「昨日の返事。聞かせて欲しいんだけど」
「え・・・?昨日の返事って・・・」

わたしは戸惑う。
お断りした筈なのに、何を返事しろと言うのだろう?

「毛利の好きな男が誰かって事」
「そ、それは・・・!」

昨日、高橋君に問われて。
でも、返事をしないままだったんだ。

どうしよう。
わたしが好きなのは、工藤先生。
でも、工藤先生の名前は言えない。
迷惑を掛けてしまう。

高橋君が、わたしの方に歩み寄って来る。
わたしは思わず後退る。
背中に木が当たり、わたしは止まった。

「毛利。好きなんだ。大事にするから・・・」
「た、高橋君」

高橋君の顔が近付いて来て、わたしの目の前に迫る。

「いやっ!」

高橋君が何をしようとしているのか、気付いたわたしは、思わず高橋君を突き飛ばしてしまっていた。
不意を突かれて高橋君はよろけ、地面に尻もちをつく。

「毛利!」

高橋君の呼び声が後ろから聞こえたけれど、わたしは一目散に林の中に駆け込んで行った。

『蘭!』

工藤先生がわたしを呼ぶ声が聞こえたような気がしたけど、そんな筈はない。
わたしは、必死に走っていた。
そして。

目の前に、見覚えのある木が見え、やばいと気づいた時には、あの崖を滑り落ちそうになっていた。
そして・・・わたしはまたも、温かい腕に支えられていた。

「闇雲に走るなよ。危ねえだろ?」」

心地良い声が聞こえ、わたしは夢中で、支えてくれた腕にしがみつく。

「蘭?」
「先生。先生。先生!」

必死でしがみついている私を、工藤先生は、優しく包むように抱き締めてくれた。

先生の腕の中は、すっごくドキドキして。
でも、とても安らげる。

「蘭、大丈夫だ。大丈夫だから・・・」

先生の言葉に、わたしは身を震わせた。
つい今しがたの事を思い出し、吐き気がしそうになる。

「・・・とにかく、オレの部屋に行こう。飲み物でも飲んで、落ち着け」

先生に促されて、わたしは先生の寮に向かった。
ソファーに座らされ、先生はお茶を淹れに立つ。

目の前に、ミルク入り紅茶が出された。

「ティーバッグだけどな。蘭には、コーヒーよりこっちのが良いだろ?」
「あ、ありがとう・・・ございます」

ミルクティーは、少し甘くしてあって。
嬉しいんだけど、何だか子ども扱いされたような気もしてしまう。
わたしは、紅茶に口をつけながら、涙を流していた。

先生がわたしの隣に座り、わたしに向かってハンカチを差し出し、よしよしするように頭を撫でてくれた。
わたしは、紅茶のカップをテーブルに置き、ハンカチで顔を覆い、涙を拭いた。

ハンカチから顔を出すと、先生の顔が思いがけない近さにあって、わたしはドギマギする。


わたしのファーストキスは、先生とが良いな。
他の男の人とのキスなんか、絶対嫌。
でも、先生とだったらきっと、嫌じゃない。

そういう風に、思ってしまう。

でも。


「先生から見たら、わたし達なんか、てんで子供だよね?」

思わず、そんな言葉が、口を突いて出て来てしまった。
ああ、わたしのバカ!
こんな事を言っちゃったら、余計子供だってバカにされるだけなのに。

先生は、ちょっと困ったような顔をした。

「あ?まあその・・・もう少し経てば5歳の差くらい、どうって事ねえだろうけど・・・今は・・・そうだな。オレは成人してて、オメー達はまだ少年少女という範疇で。教師と、生徒だから・・・」

大人になりたい。
ううん、そうじゃない。
先生に釣り合う立場になりたい。

「・・・ごめん」

突然、先生が顔を覆って言った。
何で?
何で先生が、謝るの?

「オレは・・・オメーの前に、教師として現れるって事が、どういう意味なのか、分かっていた筈だったのに。それでも、選んでしまった」
「先生?」
「今更、どう転んだって、オメーの同級生になれる訳じゃねえからな。帝丹学園にいるお前と、ずっと一緒にいたいと考えたら、この方法しかなかった」


わたしには、先生が何を言っているのか、よく分からなかった。
まるで、先生がわたしの傍にいたいと思ってたかのような・・・わたしに都合の良い解釈を、しそうになる。

「先生?」
「・・・オレにとっちゃ、帝丹高校の生徒全員、ただの生徒でしか、ない」
「え・・・?」

舞い上がりかけたわたしの心に、冷水がザバッとかけられた気分だった。

「けど・・・お前は、最初から、特別だからな。どうしても、生徒としては、見られない」
「先生・・・」

わたしは、訳が分からなくて、頭が混乱しそうだった。

「オメーに、先生って呼ばれるたびにさ。オレ、すげー複雑な気持ちになっちまうんだけど」
「あ!ごめんなさい!先生って呼ばれるの、嫌だった?」


先生は、それには答えず、何となく苦笑いの表情で、わたしの方を見た。


「・・・もう、そろそろ時間だ」

そう言って、先生は立ちあがる。
もうすぐ、8時。
部活が終わってから門限までなんて、あっという間だ。


「せ、先生・・・わたし・・・」
「・・・蘭は、明日、自宅に帰るのか?」

明日は土曜日で授業は休み。
部活も、午後の早い時間に終わる。

多くの生徒が、明日は外泊して自宅に帰る。


「わたし・・・ここに残る」

今は、お父さんとも毎日顔を合わせるし。
別に、無理に外泊しなくて良い。

今迄だって、週末家に帰らない事は、それなりにあった。

「じゃあ。手伝ってもらえねえか?」
「えっ?」
「事件の捜査」

ああ。
そうだった。
元々、先生には「それ」を頼まれていたんだった。


お父さんは、どうするんだろう?
他の仕事もあるし、たぶん、週末は家の方に帰るだろうと思う。


「先生が、わたしを部屋に呼ぶのは、捜査の手伝いの為?」

わたしも立ち上がって先生の後を追いながら、尋ねた。
先生は振り返って、少し笑う。

「内緒」
「ええっ?」
「・・・いずれ、話すよ」


先生はそれ以上何も言おうとしない。
本当に門限が迫っている。
わたしは、仕方なく、先生に続いて宿舎を出た。


先生は、林の入口までわたしを送ってくれた。

「明日。待ってっから」

先生はそう言って、踵を返した。
わたしは先生を見送ると、急いで寮の方に向かった。



   ☆☆☆



翌日。
園子は、迎えに来た車に乗って、昼前に帰って行った。
わたしは、午後の部活を終えた後、林の方へ向かった。

事件の捜査って言ってたから、現場の方かなと思って。


方向音痴のわたしだけど、何度か通った道なので、何とか現場に辿り着こうとしていた。
すると。

話し声が聞こえて、わたしは思わず、木の陰に隠れた。



「・・・ここに教師として来るなんざ、一体、何考えてんだ!?オメーは探偵じゃなかったのか?」

お父さんの声?

「だから。探偵としてここに呼ばれたんですよ、あなたと同じです」

お父さんと話をしているのは、先生だ!
わたしは、心臓がドキドキ言い始めていた。

「蘭には近付いてねえだろうな?」
「近付いちゃ、いけないんですか?」
「当たりめーだ!オメー、あの時の約束を忘れたのか?」
「約束を忘れているのは、おじさんの方でしょう」
「何っ?」
「あの時おじさんは、まだ、責任も負えない高校生のオレが、お嬢さんの周りをうろつくのはあいならんと、おっしゃった。成人して仕事に就いてから出直して来いと。今のオレは、成人して、大学は卒業して、仕事も持っています。だから、ここに来た。なのに・・・約束を違えているのは、おじさんの方でしょう」
「き、貴様・・・!」

2人の間に、見えない火花が散って、わたしは息を飲んだ。
すると、ふっと、先生を包む空気が、変わったような気がした。

「それに・・・勘違いしないで下さい。オレは教師で、蘭は生徒。蘭だけに、特別に近付いているワケじゃないですよ。あくまで、教師と生徒としての距離です」
「特別じゃねえって言いながら、その呼び方!」
「ああ・・・知り合った時、彼女は子供でしたし、オレも教師ではなかったし。皆の前では毛利と呼んでます、お望みとあらば、あなたの前でも、彼女の事は毛利と呼びますよ、森先生?」

お父さんの怒りは、ますます酷くなっているようだ。
わたしには、お父さんが見当違いの事で怒っているとしか、思えない。

「教師として3年間、社会人修行を積んで。改めて探偵として開業します。ここに来たのは、阿笠理事長のコネがあったから。お嬢さんがここにいるなんて知らなかったし、他意はありません」
「どうだか。・・・ま、蘭は近々、転校させるから、オメーに纏わりつかれる事も、ねえだろう。残念だったな、はっはあ!」
「・・・・・・」

先生は、黙っていた。
物陰にいたわたしから、その表情は窺えない。

荒々しい足音が去っていく。
そっと窺うと、お父さんの後ろ姿が見えた。

振り返った先生と、目が合う。
慌てて引っ込んだけど、もう、遅かった。

お父さんの姿が見えなくなってから、わたしは木の陰から出て、先生の所まで行った。

「・・・聞いてたのか?」
「うん・・・ねえ、先生。お父さんに、わたしに近付くなって、言われてたの?」
「ああ。まあな」
「何で・・・?先生は、わたしを助けてくれた恩人なのに!」
「・・・父親として、娘を心配してんだよ。オレは、恨む気はない。ただ・・・オレも未熟だから、つい、反発したり皮肉言ったり、しちまうけどよ」

先生が苦笑する。

「お父さんに言われたから、アメリカに行っちゃったの?」

先生は、目を丸くした。
そして、優しい目になって言った。

「元々、大学はアメリカに行こうと思ってた。予定より早めたのは、色々理由がある。おっちゃんから言われたから、って訳じゃ、ねえんだよ」

先生の優しい口調に、やっぱり、お父さんの言葉も、少し・・・ううん、かなり関係あったんだと、わたしは思う。
しらず、わたしの目から、涙が溢れて落ちた。

「ら、蘭!?どうしたんだ!?」
「お父さんも、先生も、酷い!わたしは、わたしは・・・探偵さんに、一目、会いたかったのに!お礼を言いたかったのに!自分達だけで勝手に決めて・・・酷いよ!」

先生が、不意にわたしを抱き締めた。それは一瞬で、すぐに離れて行く。
そして先生は、ハンカチを取り出して、わたしの涙を拭き取った。

「ごめん・・・」
「先生?」
「オレは・・・オメーに会っちまうと、決心が鈍りそうで、会わないまま行く事にした。オメーがどんな思いでいるかなんて、考える余裕、なかったんだよ」

わたしは、目をしばたたいて、涙を納め、先生の目を真っ直ぐに見て、言った。

「じゃあ、今、言わせて」
「ん?」
「探偵さん。わたしを助けてくれて、ありがとう」


あの時、伝えたかった事を、今、言葉にして。
わたしは、少しだけ、胸のつかえが取れたような気がしていた。



(6)に続く



++++++++++++++++++++


<後書き>

ここから先。
旧バージョンと、大きく変わります。

旧バージョンでは、ここで、新一君が蘭ちゃんへの気持ちを言ってしまうのを、蘭ちゃんが聞いてしまう、って展開になっていたんですね。

自分の知らない所で告白を聞いてしまうってのも、ありかなと思ったのですが。
どうしても、ここの部分が引っ掛かって、うまく先を続けられなくなってしまったのでした。
ので、大幅修正です。

この先の展開も、旧バージョンより焦れ焦れになるかと。
といっても・・・作中時間は、さして待たせている訳ではありません。
10話くらいかけて、1ヶ月位しか進まないんです。


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