Sweet Pain



byドミ



(11)もうひとつのプレゼント



車は東名高速道路に乗り、時折休憩を挟みながら、伊勢志摩の方へと向かっていた。
高速道路はかなり混雑していたけれど、それでも、昼を回った頃には、伊勢自動車道に入った。

「今日は、伊勢神宮の方に行こうかと思うけど、良いか?」
「うん!」
「じゃあ、公営駐車場に車止めて、そこからシャトルバスに乗るぞ」
「えっ?」
「正月とかゴールデンウィークのお伊勢さんに、直接車で乗り付けるのは、無謀以外何ものでもねえからな」
「・・・・・・」

たぶん、すっごく混雑してて、辿り着けないし、駐車場も空いてないって事なのかな?

「先生、伊勢神宮って何度も車で行った事あるの?」

わたしが尋ねると、先生は前を向いたまま苦笑した。

「ある訳ねえだろ。オレが日本を離れたのは何歳の時だと思ってる?帰国したのは、帝丹学園に赴任する直前だったし、その後は土日も事件捜査だったし。お伊勢参りなんかする暇、あるもんか」
「あ・・・そ、そうだね。事情に詳しいみたいだったから・・・」
「そりゃ、お前を連れて行くんだからな。下調べ位、するさ」

あ。
ダメだ。

わたしは、赤くなる顔を見られたくなくて、慌てて横を向く。
わたしを連れて行く為に、下調べしてくれていたなんて。
胸がキュウンとなって・・・嬉しいんだけど、とっても嬉しいんだけど・・・期待しそうになって、何だか辛い。

「蘭?どうかしたのか?」
「・・・ど、どうもしないよ。何で?」
「いや。何もねえなら、良いんだけどよ」
「ごめんなさい。ちょっと・・・ちょっとだけ、車酔い、しちゃったみたい」
「そ、そっか。ごめんな、長距離で結構辛かったかもな。もう少しだから・・・」

先生に気を遣わせたくない為についた、ちょっとした嘘で、先生はかえって、申し訳なさそうにしている。
本当にダメだなあ、わたしって。



駐車場に車を止め、シャトルバスに乗り込む。
そして、伊勢神宮。
話に聞いた事はあったけど、行くのは初めてで。

まずは順序どおり、外宮から参拝したのだけれど。
外宮と内宮って、続いているのかと思ったら、随分離れているんだって事も、初めて知った。

連休中という事もあって、人もすごく多くって。
先生が、わたしの手をきゅっと握って来た。

「はぐれっと、いけねえからな」
「う、うん・・・」

携帯を持たないわたしは、先生とはぐれてしまった場合、連絡手段がない。

手を繋がれてドキドキするけど、先生には深い意味はないんだろうと思う。


伊勢神宮は、最近、パワースポットとして有名らしいんだけど、鳥居を超えると確かに、清々しい独特の気が満ち溢れているような気が、する。
神社は茅葺屋根が多いけれど、伊勢神宮の建物は、茅葺屋根ってだけじゃなくて、古代日本を思わせるような独特の形をしていた。

「先生、伊勢神宮って、昔からずっとあの形を伝えているのかな?」
「うーん。伊勢神宮が正式に記録に出始めたのは多分7、8世紀の頃だって思うけど、その頃からずっと建て替わってねえのか、建て替わっても同じ形を伝えているのか・・・何だよ?」
「ううん。先生って、何でも知ってるのかと思ってたけど。やっぱりさすがに、そこら辺になるとうろ覚えなんだね」
「・・・まあ、推理には関係ねえからなあ。かのホームズだって、自分に不要と思った知識は、なるべく排除していたんだぜ。逆に、推理に役立ちそうな知識はなるべく取り入れてるから、今回はたまたま英語教師になったけどよ、大抵の教科は、教師をやれる自信がある」
「えっ?先生って、英語が専門って訳じゃなかったの?」
「外国語は、専門にしてる訳じゃなくて、会話の為に覚えただけ。推理には絶対必要だから、オレは、理数系も得意だぜ?ホームズも、いつも化学実験なんかやっててだな・・・」

そこから、先生のホームズ談義が始まった。
その熱弁は止まるところを知らず、伊勢神宮を後にする頃には、わたしもいっぱしのホームズフリークになれたんじゃないかって位だった。


シャトルバスに乗って駐車場に戻った頃には、日もかなり傾いていた。

「疲れたか?」
「うん、少しね。でも、なんか、楽しいというか、良かった」
「明日は・・・多分、スゲー人だろうけど、カスティリア村に行ってみよう」
「・・・うん・・・」
「蘭?もしかして、興味ねえか?」
「ううん!そんな事ない、楽しみだよ!でも、先生は・・・?」
「え?」
「だって、遊園地だよ。先生が楽しめそうな感じじゃ、ないじゃない?」
「んなこた、ねえよ。オレだって楽しんでる。1人で楽しめる場所じゃなさそうだけどな」

先生は笑顔で言ったけど、わたしは何となく、釈然としないものを感じていた。

車は一般道を、宿泊予定のホテルに向かって走っている。
海が見えたり田園風景が見えたり、わたしは移り変わる景色を堪能していた。

わたしは、道端の看板を見て、声をあげた。

「あ!先生!さくらんぼだって!」

大きな温室が続いていて、その脇に看板が立っていたのだ。

「ん?ああ・・・欲しいなら、寄ってくか?」

先生は車を止めた。
そこは、さくらんぼ狩りをやったり直接販売をしたりしている農園のようだった。
近くには、イチゴ農園なんかも多いようだ。

「時期が早いから、早生の品種を温室栽培してるんだろうな。味はイマイチかもしれないぜ」

籠に盛られているサクランボは、綺麗な薄紅に輝いていて、とても美味しそうだ。
でも、さすがにまだ早いこの時期、値段もよくて、わたしは迷うような目を先生に向ける。
先生は笑って、「欲しいなら買ってやるよ」と言った。

小さなひと籠を買って、車に乗り込む。
一つ取って、口に含んだ。
瑞々しい甘酸っぱさが口に広がる。

「先生、甘くて美味しいよ」
「・・・ああ。スゲー、美味そうだな・・・」

先生の熱い眼差しが、わたしの口元のサクランボに注がれる。

「先生も欲しいの?ハイ」

わたしが、先生にサクランボを差し出すと、先生は苦笑した。

「いや、オレは良いよ」
「だって、先生、今、美味そうだって・・・」
「オレが欲しいチェリーは、それじゃねえんだ」

???
変なの。
先生、もしかして、サクランボに対して、すごいグルメだったりするのかしら?

気の所為か、先生の眼差しが熱っぽく、息が少し荒いような・・・熱があったりしないかな、大丈夫かな?



宿に着いた時は、初夏の長い日も、もう沈んでしまっていた。
ホテルなんだけど、和室も多い。
団体旅行客などは、和室を利用しているという事だった。

先生は、特別チケットを貰ったという事だけれど。
今回、隣り合わせのツインの部屋二つを取ってあった。
ビジネスホテルとは違い、シングル部屋なんて、ないらしい。

先生、わざわざ別の部屋を取るなんて、相当無理したんじゃないのかな?


宿について、チェックインして。
わたしは、ツインの部屋に荷物を置いた。

何だか、1人だと広過ぎて、戸惑ってしまう。

洋室の場合、部屋食ではなく、食堂での食事になる。
浴衣に着替えても良いけど、夕御飯の時間までいくらもないので、わたしはそのまま先生が来るのを待った。
荷物を置いてすぐに迎えに来た先生も、まだ、着替えていなかった。

旅館の中だし、人ごみでもないし、はぐれる心配はないと思うけど、先生はわたしの手をギュッと握る。

「いつか・・・」
「えっ?」
「部屋でご飯を食べられる和室の旅館に、泊まろうな」

先生が何だか熱っぽい目でそう言って、わたしは意味が分からなくて戸惑った。

「先生。熱があったりしない?」
「は?何で?」
「・・・何となく、風邪っぽいように見えたから」
「大丈夫だよ。風邪薬なんか飲んだら運転出来ねえし」
「ねえ先生。今回は、洋室しか取れなかったの?」
「お前な・・・ゴールデンウィークに、1人客を和室に泊まらせる旅館はねえよ」
「だったら、一緒の部屋にすれば良かったのに」

先生は足を止め、振り返って、わたしをマジマジと見る。
そして、顔を抑えながら俯き、大きな溜息をついた。

「・・・体は成長してても、ホントにまだ子どもなんだな、お前って」
「な・・・そりゃ、先生から見たら子どもかもしれないけど、そんな言い方、ないでしょう!?」
「別に、バカにして言った訳じゃない。ほら、行くぞ」

先生が苦笑して、わたしの肩に手を回し、歩くよう促す。
肩に手を置かれた途端に甘やかな痺れがわたしの体を貫き、わたしは思わず身を強張らせていた。
先生がそれに気付いたのか、すぐに手が離れて行く。
そして、先に立って歩き出した。

わたしは・・・何でか分からないけど、胸の奥がツキンと痛む。


食堂で座席に案内される。
出て来る料理は、海の幸をふんだんに使った和食で、すごく美味しかった。

先生は
「成人だから少しだけな」
と笑って、ビールを頼んでいた。
と言っても、お父さんのように浴びるほどには飲まなかったけどね。

「部屋にもお風呂は付いてるけど、最上階にある大浴場の方が温泉の湯を引いてあるし、露天も付いているし、そっちがお勧めらしい」
「そうなんだ。わたし、露天風呂って初めてだから、楽しみ♪」

考えてみたら、物心ついてから、お父さんとお母さんと3人で温泉宿に泊まる旅行なんて、した事がない。
園子の家族旅行に誘われてとか、お父さんと友人達ととか、お母さんと友人達ととか、そういう組み合わせはあったけれど。

「……オレも、色々な場所に行ったけど。案外、日本国内の温泉宿とかには、無縁だったなあ」
「そうね。先生は、5年間アメリカにいたんだし。これから、色々と行ってみたら?」
「ああ。その時はまた、お前と一緒に……」

先生が優しい目でわたしを見詰めながら言った。
わたしは、息を呑んで慌てて目を伏せる。

やばい。泣きそう。
先生、そんな事、言わないで。
わたしをこれ以上、期待させないで。

その後は、たわいない話をして、食事が終わり。


食堂から部屋へ帰る時も、また、手を繋いで歩く。
ドキドキする幸せな時間は、すぐに終わってしまう。

先生は、わたしの部屋まで送って来ると
「じゃあ、明日、またな。お休み」
と言って、去って行った。


わたしは、ひとり、最上階の大浴場に向かう。
お年寄りから子どもまで、色々な年代の人がそこにいた。

今日はこの後、何の予定がある訳でもない。
一応、考えている事はあるけど、それはまだ、時間に余裕があるし。

わたしは、隅々まで体を洗い、ゆっくりとお湯につかった。
露天風呂の方にも行ってみる。

暗い夜の海が見える。
夕暮れとか朝方とか、景色が良いだろうな。


お風呂からあがり、浴衣を羽織り、髪を乾かす。
旅館のパンフレットが置いてあって、手に取った。
先生が言った通り、和室の部屋が結構あって、洋室より趣がありそうだった。中には、小さな露天ぶろ付きの客室もある。

「うわ。高・・・」

客室の値段も見てしまい、驚いてパンフを棚に戻してしまった。
今回は、昔、先生が事件解決に力を貸した相手の方が、旅館の宿泊券を下さったという事だけど。
そういう事情でもなければ、とても泊まれそうにないと、思った。


「露天風呂付き客室とか、家族連れがのんびり過ごす為に泊まるんだろうな・・・」

そんな部屋に泊まるなんて、どんなお金持ちの家なんだろう。
その時のわたしには、そういう想像しか出来なかった。


部屋に戻ると、テレビを見ながら時間をつぶした。
壁一枚だけ隔てた隣の部屋に、先生がいると思うと、落ち着かない。
テレビの映像も音も、殆ど素通りして行く。

夜中、11時50分。
わたしは、部屋を出て、隣の先生の部屋に向かった。
先生の宿泊部屋の前で、1回深呼吸すると、ドアチャイムを鳴らす。

『はい?』
「先生。わたし・・・」
『蘭?』

すぐにドアが開いた。
先生は、旅館の浴衣を着ていて、何だかドキリとする。

「どうした?何かあったのか?」
「あ、あの、1人で寂しいし退屈だし、先生とちょっとお話したいなって」

先生は、眉根を寄せ、渋面を作っていて、何となくよそよそしい感じがした。
もしかして、迷惑だったのかな?

でも、でも、あと数分で迎えるその時だけは、先生と一緒にいたい。

「ちょっとだけで、すぐ帰るから。ダメかな?」

先生は、溜息をつくと、ドアを大きく開けて中に入るように促した。
やっぱり、迷惑だったんだろうか?
わたしの胸はズキリと痛む。

「ご、ごめんね・・・」
「は?ごめんって、何が?」

先生は素っ頓狂な声を出した。

「・・・わたしが来たの、迷惑だったんでしょ?」
「何で?」
「だって・・・嫌そうな顔してたもの」

先生は目を丸くした。
そして、苦笑する。

「バーロ。迷惑なんて、思ってねえよ」
「・・・ホント?」
「ああ。オメーの事が迷惑なんじゃない。ただ・・・」

わたしは、先生の言葉の続きを待ったけど、それはついに先生の口から出る事はなかった。
先生の部屋にあるデジタルクオークが、午前0時を示した。

「先生!」
「ん?何だ?」
「ハッピーバースデイ!」

わたしは、後ろ手に持って用意していたプレゼントの箱を、先生に差し出した。
先生は、目を丸くしている。

「今日は、5月4日。先生の、21歳の誕生日。でしょ?」
「あ・・・ああ・・・そう言えば・・・スッカリ忘れてたぜ・・・」

え?
そう言えば、男の人は記念日に疎い事が多いって、聞いた事はあったけど。
先生、本当に忘れてたんだ。

じゃあ、別に、誕生日をわたしと過ごそうとか、考えてくれてたんじゃなかったのか。
ちょっと、ガッカリ。

先生が、わたしの差し出した箱を取る。

「もしかして、蘭、これ、オレに?」
「う、うん・・・」
「その為に、夜中にこの部屋へ?」
「うん。だって、ちょうどその時にお祝いしたかったんだもん・・・」

先生は、少し目を丸くしていたが、徐々に表情が綻んで来た。

「何か・・・感動。蘭がオレの誕生日を気にかけてくれて、プレゼント用意してくれてたなんてな」
「先生?」
「開けても、良いか?」
「うん」

先生が、包みを開ける。
わたしは、息を詰めて見守った。

「ネクタイか。仕事ではスーツ姿が殆どだし、いくらあっても、重宝するぜ。ありがとな。連休明けに早速使わせてもらおう」
「良かった、喜んでもらえて」

先生は本当に笑顔で、喜んでくれている風で、わたしはホッとした。
一応、お父さんに父の日にプレゼントするものよりは、若向けのデザインを選んだ積りだけど。
園子からは、「ネクタイは好みもあるし難しいかもよ」と言われてたから、ちょっとだけ心配だったの。


先生は、ネクタイを丁寧に荷物の中に仕舞い込んだ。
その後、わたしの方に向き直る。
わたしを見る目が熱を帯びているように見えて、わたしは心臓が大きく音を立てるのを感じた。

先生が、ゆっくりとわたしに近づいて来た。

「なあ、蘭」
「な、なに、先生?」
「オレ、もうひとつ、欲しいもんがあんだけど」
「え・・・?」

たったさっきまで、自分の誕生日って事を忘れてた先生から、別のプレゼントがリクエストされるなんて、思いもしてなかったので、わたしは茫然とした。

「あ、あの・・・わたし高校生だし、あんまり高いのは・・・」
「お金の心配はいらない。チェリーが、欲しい」
「えっ?」

わたしは、目を白黒させた。
昼間、わたしにサクランボを買ってくれた時に、欲しそうな様子も見せなかったし。
先生が、そんなものを誕生日プレゼントに欲しがるなんて、思ってもいなかった。

「だ、だってこんな夜中だし、店も閉まってるだろうし。あ、朝になったら買いに行っても良いけど、でも、車じゃないと・・・場所も・・・」
「たった今、オレの目の前にある。極上の瑞々しいチェリーが」

わたしは、訳がわからなくて、首をかしげた。

「お金は要らない。というか、お金に換えられるもんじゃない。世界でたったひとつだけの・・・」

先生が、熱のこもった目で、わたしを見詰める。
先生の左手が、わたしをぐっと抱きこんだ。
そして、先生の右手がわたしの頬と顎にかけられ、親指がわたしの唇をなぞる。
その感覚に、わたしの体はゾクリと震えた。

先生の顔が、近付いて来る。

「もらうよ。蘭の・・・」

わたしの頭は思考停止寸前だった。
先生が欲しがっているチェリーが何なのか、さすがにわかったように思うけれど。
まさかという思いも、頭をよぎる。

先生は、至近距離まで顔を近づけて、かすれ声で言った。

「目、閉じて」

わたしは、反射的に目を閉じる。
わたしの唇を、温かく湿ったものが覆った。




(12)に続く


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<後書き>

伊勢神宮も、伊勢志摩の他の場所も。
筆者はまだ、行った事がないんです、はい。
なので、描写がおざなりになってしまうのはご容赦ください。

っていうか、行った事がない場所を書いたのって、今までも、結構多いんですよね。

今回の旅行をそこに設定したのは、程良く遠方って事と。
志摩カスティリア村(笑)が、映画「瞳の中の暗殺者」でのトロピカルランドのモデルになったという話から、です。


ようやく、2人の初チュウ。今回は、告白よりチュウが先です。


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