恋を知らない
byドミ
『ちょっと聞いてよ蘭!真さんってばさ〜』
「今度はどうしたの園子?」
『台湾にすごく強い選手がいるって聞いて、飛んでったのよ〜!まるで……まるで、その人に恋してるって勢いで目を輝かせちゃって〜!』
「それは……ないでしょ。京極さんには、その手の趣味はないと思うよ」
『分かってるわよ!そんなことは!だってあれだけ、格闘技一途な真さんだもの、その趣味があったら、わたしのことなんか見向きもしなかっただろうって!』
「園子……」
『ところで、蘭の方は?大学に入って、浮いた話のひとつやふたつ、ないの?』
「う〜〜〜ん。そうねえ……」
『何よ!ハッキリしないわね!』
「だってわたし……恋がどんなものか、分からないんだもの……」
『もう蘭ってば……わたしなんかよりずっとモテモテだったくせに、勿体ないんだから〜〜』
「何が勿体ないって言うのよ?」
『蘭の大学に、イイ男、居ないの?』
「素敵な男性は結構いるけどね〜」
電話を切ったわたしは、ふうと息をついた。
わたしの名前は毛利蘭、東都大学教育学部1回生。
今、電話で話していた相手は、鈴木園子といって、わたしの幼馴染の大親友。
物心ついた頃から、ずっと一緒にいた。
大学は別になってしまったけれど、それぞれ大学で友人は何人も出来たけれど、今も一番大切な友達だ。
園子の恋人は、わたしと同じく空手選手の京極真さん。
なんでも京極さんは、わたしの試合の時に、一所懸命応援している園子の姿に、一目惚れしたのだそうな。
空手が強く誠実な人柄の京極さんと園子がお付き合いを始めた時は、心の底から祝福した。
けれど、京極さんは、強くなるための修行で世界中を飛び回っていて、園子の愚痴を聞かされる羽目になる。
でもま、園子は、愚痴を言いながらも幸せそうだ。
文句を言いたくなるのも、京極さんの事が本当に好きだからなんだろうなと思う。
わたしはと言えば、彼氏いない歴=年齢。
男の人から告白されたことはあるけど、どうしてもその気になれず、誰ともお付き合いしたことがない。
わたしは、初恋もまだで、恋がどんなものかも知らない。
ただ……園子や周りの子たちの話を色々聞くうちに、わたしも誰かとお付き合いしてみたいと思うようになってきた。
でも、やっぱり、告白された人には「ごめんなさい」をしてしまう日々で。
わたしって、贅沢なんだろうか?
☆☆☆
「毛利さん。工藤君とデートしてたんですって?どういうお積り?」
「え……?」
大学で同期の坂木洋子さんに詰め寄られて、わたしは一瞬何のことか分からなかった。
工藤君って、高校生の頃に探偵デビューして、平成のホームズだの迷宮なしの名探偵だのって称号を受け、大学生になった今も、警察に大いに頼りにされている、工藤新一君のことだ。
彼は、わたしのサークル仲間。
わたし達のサークル「ミステリー研究サークル」は、元々、推理小説の分析なんかをやってたらしいけど、工藤君がサークルに入った途端に、本格的な探偵活動を行うサークルになってしまった。
そのせいで、籍を置いている人はそれなりにいる筈だけど、実際のサークル活動にやって来る人は激減。
工藤君に憧れて入って来た女の子も沢山いたけど、すぐについていけなくなってやめてしまった。
で、わたしはと言えば。
そもそも、ミステリー研究サークルに入ったのは、父が私立探偵をやっていたので、少しは探偵のことをちゃんと理解したいって思ったのが動機で。
高校生探偵だった工藤君がいるのは知っていたけど、別に工藤君に憧れて入ったワケじゃないし、むしろどちらかといえば、最初の頃、工藤君のこと大嫌いだった。
だって、工藤君って、すっごい上から目線の偉そうな物言いだし、気障な言い回しが鼻につくしで、有能だけど人格最低!って思ってたんだもの。
でも、ミステリー研究サークルの活動を共にして、彼の助手みたいな形で動いている内に、最初に考えていたほど最低なヤツじゃない、むしろ、出来る限り人の命を守ろうとちゃんと考えてる、だからこそ殺人が許せなくて真剣に探偵をやっているんだってことが、だんだんわかって来て。
今は、嫌いじゃない。
まあ、好きって言っても良いかもって感じに変わって来てる。
あ、あくまで、友だちというかサークル仲間として、だけどね!
で、何でか知らないけど、工藤君とわたしとの仲をやっかんでいるらしい女子が多く、そのたびにわたしは、「ただのサークル仲間」だって説明してるんだけど(事実だし)。
サークル活動で一緒に過ごしたことはあるけど、プライベートで2人で過ごしたことなんてないのに。
今回、「デートしてた」なんて言いがかりをつけられたのだった。
「工藤君とデートなんて、したことないわ」
「ウソ!だって……この前の日曜日、鳥屋町公園で2人でいるところを、見たもの!」
「……鳥屋町?ああ……あれは……」
言われてようやく思い出した。
そういえば、工藤君と2人、確かに、傍からはデートとしか見えない行動を取った。
でもそれは……。
「……警察に依頼されたおとり捜査で、カップルの振りをしてただけ。本当のデートじゃないわ」
「おとり捜査!?なんで素人のあなたが!?いい加減な嘘を言ってんじゃないわよ!」
「本当よ。だって工藤君は、平成のホームズと呼ばれて警察から頼りにされ信頼されている人よ。囮捜査の依頼があることもある。で、わたしは、お父さんが元警察官で捜査一課の刑事さん達と顔見知りだったし、空手やってるし、工藤君のサークル仲間だってことで、今回、依頼されただけ」
そのあとも、洋子さんは色々言っていたんだけど、何とか納得してもらって、わたしは息をついた。
よく考えたら、わたしが本当に工藤君と付き合ってたとしても、洋子さんに何か言われる筋合いなんて、ない筈よね。
正直、洋子さんの気持ちなんて、まったくわからない。
わたしには、男の人を好きになる気持ちなんて、理解できないし。
ただ。
工藤君に幻想を抱いて熱をあげている女の子たちから、サークル仲間ってだけのわたしに矛先が向かうのは、勘弁して欲しい。
洋子さんにしろ誰にしろ、そこまで工藤君が好きならサークルに入ればいいのに。
もっとも、過去、工藤君に憧れてサークルに入った女の子たちは、大抵、工藤君に幻滅するか心折れるかして、サークルを去って行った。
幻滅した子に言わせれば、工藤君って、「事件にかまけて女の子をないがしろにする最低男」なんだそうだ。
そこがわたしにはよく分からない。
男の人を好きになるって、そういうことなんだろうか?
園子も、修行のためとか強い相手との試合を求めてとかで世界中を飛び回っている京極さんへの愚痴を、色々言っていた。
ただ、園子は、それに怒っても、幻滅はしなかったみたいだし。
よく、分からない。
☆☆☆
講義が終わってサークル室に顔を出すと、案の定、工藤君1人がそこにいた。
「毛利。ちょうど良かった。付き合って欲しいところがあるんだけど」
「……いいけど。今度はどんな事件?」
「いや。映画のペアチケットが当たっちまってよ。誘える適当な相手がいなくて」
そう言って工藤君が見せてくれたのは、今はやっている映画。
ラブロマンス要素も大きいけど、基本は推理物という、工藤君も女の子も楽しめそうなものだった。
わたしは溜息をついた。
「工藤君だったら、喜んで付き合ってくれる女の子、いっぱい、いるんじゃない?」
「そうか?」
「そうよ!ファンレターとか、いっぱいもらってたでしょ!?」
「ん〜、けどなあ。よく知らねえ相手と一緒に映画に行っても……」
顎に手を当ててそう言う姿も、絵になる。
この人って、母親が女優だけあって、無駄に顔が良いのよね。
彼がせめて平凡な容姿だったら、こんなに女の子に騒がれることもなかっただろうに。
女の子にもてること自体が嬉しくない訳じゃないだろうけど、今までのサークル活動では、足を引っ張るような子が多かったから、彼もうんざりしているかも。
そう考えると、ちょっとだけ気の毒。
「わたしは、嫌よ」
「えっ!?なんで?」
彼が目を丸くしている。
この人、自分が断られるなんて、考えもしないのかしら。
どこまで自信過剰なの?
だんだん、ムカムカしてきた。
「だって!この前、囮捜査に協力したのを見られてて、工藤君ファンの女の子からすごく責められたんだから!」
「……そ、そうだったのか……ごめん……」
「付き合ってもいない男のために、色々言われるなんて、ごめんだわね。工藤君もいい加減、女の子1人に絞ったらいいのに。だったら誰も何も言わなくなるんじゃない?」
「だったらさ、毛利。オレと付き合わねえ?」
さらりと言われた工藤君の言葉の意味が分からなくて。
わたしはしばし、呆然としていた。
そして、ようやく、言葉を絞り出す。
「なんで?」
「何でって……オレとオメーが正式に恋人同士になれば、一緒に居たって何も言われなくなるんだろ?」
「そ、それは……でも……」
「囮捜査の時も、手伝ってもらう時も。恋人同士だったら、一緒にいて当たり前だから」
ああ、そうか。
「便利な女」って言葉があるけど。
彼にとってわたしは、「探偵の助手」として便利な女、なんだ。
で、わたしは、ちょっと考えてみる。
恋人が欲しいとか、男の人と付き合ってみたいとか、そういう気持ちがなかったと言えば、ウソになる。
それでも、今まで告白されたときは、どうしてもその気になれなかったけれど。
彼だったら、良いかもしれない。
少なくとも、一緒に居るのが嫌じゃない。
彼は、恋人という口実で、わたしを探偵の助手として傍に置きたい。
わたしは、彼氏いない歴=年齢のこの現状を、打破したい。
いいかも。
「わかった。工藤君と、付き合うわ」
「えっ!?マジ!?」
わたしがイエスの答を出すと、工藤君は慌て始めた。
ちょっと、どういうこと!?
「なに?工藤君、冗談だったの!?ひどくない!?」
「いや、冗談なんかじゃねえけどさ!まさか、受けてもらえるとは思わなかったんだよ!」
「どうして?」
「だって……毛利がオレの事好きだなんて、思えねえから」
「それは工藤君だって一緒でしょ!」
「オレは……好きだよ、毛利のこと」
「ふうん」
「ちぇ。冷たい反応でやんの」
工藤君がわたしのことを「好き」というのが、嘘だと思ったわけじゃない。
ただ、たぶん……あの子もこの子も好き、って感じの、軽い気持ちなんだろうと、わたしは思ったのだった。
「なんとなく。付き合ってもいいかなって思ったの」
「ふうん」
今度は、工藤君の方が「ふうん」と言った。
「工藤君のこと、好きかどうかなんて、まだ分からないけど」
「ちぇ。だろうと、思ったよ」
工藤君が苦笑いした。
「付き合ってみて、答出すんじゃ、ダメ?」
「……いいけど」
不意に、彼がわたしの方に一歩踏み出した。
彼の顔が至近距離にあって、わたしはドギマギする。
「キスしてもいいか?」
「……っ……!」
わたしは思わず息を呑んだ。
そっか。
恋人同士になるってことは、そういうこと?
わたしは首を縦にも横にも振れなかった。
工藤君の顔が間近に迫る。
頬に手が掛かる。
その手が、気のせいか、わずかに震えてる?
拒もうと思えば、拒めた。
でも、わたしは拒まなかった。
唇に触れる、柔らかく湿った温もり。
初めての感触。
嫌じゃ、なかった。
ううん……白状すると、気持ち良かった。
☆☆☆
誘われた映画を見に行って。
工藤君は行く先々で事件を起こす……い、いや、事件が起こる事件体質なんで、デートしていても事件捜査に切り替わってしまう事はよくあったけど。
まあ、デートもして、事件解決のお手伝いもして、あっというまに1週間が過ぎた。
洋子さんも他の工藤君ファンも、わたしを激しく詰ったけど、わたしは気にしなかった。
工藤君は、誰のものでもない。
わたしのものでも、ない。
工藤君は、彼自身のもの。
彼は彼の意志で、相手を選ぶ。
選んだ女性が、洋子さんや、他の工藤君ファンじゃなく、わたしだったからって、責められる筋合いはない。
でも……彼女たちの気持ちが分からないわたしって、やっぱり、人を恋する気持ちを知らないから、なんだろうな……。
工藤君と一緒にいると、意外と楽しい。
いつもホームズの話ばかりで、女の子の扱い方を全然分かってないけど。
わたしは、彼が、女の子の扱いが下手なのは、そこまで気にならない。
どうも工藤君は、すごくもてる割に、女の子を扱いなれていないみたい。
今まで付き合ったことがないのか、すぐに別れてしまったのか。
多分だけど。
工藤君とあまり親しくない女性は、彼の見た目の良さとか、気障な言い回しとか、紳士的な優しさとかに騙されちゃうんだよね。
彼に幻想を抱いて近づいた女性たちは、彼の女扱いの下手さに、すぐに幻滅して離れて行ったんじゃないかって気がする。
わたし?
まあ、工藤君にあんまり幻想を抱いていなかったというか……いつの間にか助手のようになっている内に、彼の素を散々見たから今更っていうか……。
なので、特に幻滅したりもしなかったし、離れようとも思わなかった。
デートの途中で殺人事件が起き、デートが事件解決に切り替わる時は、「工藤君と一緒に居るとろくなことない!」って詰るわたしだけど。
殺人事件なんか、大っ嫌い!だけど。
実は、事件解決する彼を見ているのは、嫌いじゃない。
彼が本当に真摯に事件に取り組んでいることを知っているから。
それに、彼が「気が利かない」「女扱いが下手」な理由も、何となくわかって来た。
彼は、事件を解決しようとするとき、ものすごい集中力を発揮する。
その分、他に気を回すことができない。
彼の集中力は、探偵能力に特化しているのだ。
だからこそ、探偵としていい仕事ができる。
女扱いが上手になってしまったら、探偵としての能力は無くなるんじゃないかという気さえする。
それに……工藤君は、本質的に優しいから、それで良いんだと思う。
うわべだけの優しさとか女扱いの上手さより、そっちの方が大事なんだと、わたしは思う。
彼の中には、「人を傷つけたり殺したりすることは許さない」という揺るぎない正義感があり、弱い立場の相手を守ろうとする優しさがある。
とはいっても、やっぱり、デートの最中に、「こいつって最低〜!」と腹立てたり愚痴言ったりすることはあるんだけどね。
でも、根本的に愛想を尽かすには至らない。
それは多分、わたしが工藤君のことをそこまで好きじゃないから。
期待、していないから。
洋子さんとか、他の工藤君ファンとかは、たぶん、工藤君と付き合ったらすぐに熱が冷めてしまうんじゃないかって思う。
もちろん、工藤君のこと本気で好きになる女性がいないなんて言っている訳じゃない。
ただ、たぶん、そういう女性は少数派。
もし、そういう少数派の女性が現れ、工藤君もその女性のことが好きとなったら、その時は、潔く工藤君とお別れする積り。
そういう女性が、現れればね。
……という話を、親友の園子とご飯食べに行った時にしたら、思いっ切り仰け反られてしまった。
「蘭ってば。やっと、男の人とお付き合い始めたと思ったら……あんた、何考えてんのよ!?」
「だって。彼氏いない歴=年齢を、ちょっとどうにかしなきゃって思ったから……」
「はあ。軽い気持ちで付き合い始めて……その工藤君のことは、別に特に好きでもないってこと?」
「う、うん……まあ、そんな感じ?」
「ま、わたしは別に、軽い気持ちで付き合い始めるのが悪いって訳じゃないと思うのよね。でも、蘭はあんまり器用な方じゃないと思うから、大丈夫か、ちょっと心配かなあ」
とか言ってる園子だって、見た目と言葉遣いは軽そうに思えるのだけど、実は結構ウブでシャイで一途だったりするのだ。
「本当なら、初彼、おめでとう!って言うところなんだろうけど、なんか、微妙だね」
「……まあ、なるようになる、かな?いい経験と思えば」
「でもさー。蘭だったら言い寄る男には不自由しないだろうに、あんま適当なところで手を打たない方が良かったんじゃないの?」
「あら。工藤君は、結構モテモテで、それなりにスベック高いと思うんだけど」
「でもー、蘭の好みじゃ、ないんでしょ?」
「……好みじゃないっていうか……だってわたし……まだ恋ってものをしたことがないから、どんな人が好みなのかも、よく分からないのよね」
「でさ、蘭。あっちの方は、まだ、だよね?」
「あっちって?」
わたしは別に、カマトトぶってたんじゃなくって、この時は真剣に、園子の言っている意味が、分かっていなかったのだ。
「もう!エッチしたかってことよ!」
「そ、そんなこと……!」
わたしは思わず大きな声を上げかけて、ここがカフェということを思いだし、慌てて口を閉じた。
「ま、蘭の言葉を聞く限り、多分、まだだろうって思ってたけど。でも、イイの?」
「い、イイのって……?」
「だって。お付き合いしてたら、その内、求められるんじゃない?その時、どうするの?」
「……うーん。別に、大事に取っておいた、ってワケじゃないけど。正直、その時になってみないと、分からないわ」
「ま、蘭を力尽くで無理やりどうこうできる男は、そうそういないだろうから、大丈夫と思うけどさ」
そろそろ彼氏が欲しいと思っていたのは本当で。
そろそろ、処女を捨てても良いかも、と、心のどこかで思っているのも、本当。
だけど、いざその場面になった時に、わたしは自分がどうするかなんて、見当がつかなかった。
そもそも、工藤君は、わたしとそうなりたいって思ってるだろうか?
思わずその疑問を口に出したら、園子から鼻で笑われてしまった。
「当たり前じゃない。清いお付き合いだけで我慢できる男は、そもそもお付き合いなんてしないと思うよ」
「そ、そうなんだ……」
ただ、デートをして、楽しい時間を過ごすというだけじゃ、男の人は我慢できないものらしい。
キスの先にあるもの。
わたしには、想像もつかない。
「ま、奥手の蘭が一歩踏み出したことに、乾杯と行きますか」
そして、園子がワイングラスを合わせてきた。
わたしは、ちょっと苦笑しながら、それを受けた。
☆☆☆
「……ん?おい、蘭!?聞いてんのか!?」
突然、わたしの思考は現実に引き戻された。
例によって、デートの筈が、事件でおじゃんになり。
事件解決の後、工藤君と一緒に帰っているところだったんだ。
「え!?工藤君、今、蘭……って呼んだ!?」
「しゃあねえだろ!毛利って何回呼んでも、返事もしやしねえし!」
「あ……ご、ごめん……」
「で?どうする?メシ、食いそびれちまったけど……今からじゃ、居酒屋かファミレスしか……」
そう。
今日は、工藤君とのデートで、一緒にご飯を食べる筈だったんだけど、すぐ近くで殺人事件が起こってしまったために、結局、ご飯を食べそびれたのだった。
「でも、今からじゃ、いくら明日は休みっていっても、帰るの遅くなっちゃうし……」
「だな。仕方ねえ、諦めるか」
洋子さんだったら絶対に、青筋立てそうなことを、彼はサラッと言った。
「ねえ。工藤君、送ってくれる気、あるんでしょ?」
「あ?ああ、もちろん」
何となく、雲行きが怪しくて。
今夜は、雷雨になるかもという天気予報を、思い出していた。
「じゃあ、うちでご飯食べてく?」
「毛利んちで?毛利探偵に怒られねえか?」
「今日は飲みに行ってるから、まだ帰ってこないと思う」
そう言っても、彼の顔はいまいち冴えない。
多分、食べてる最中にお父さんが帰って来たら何か言われるんじゃないかって、気になってるんだろうな。
「大丈夫。もしお父さんに会っても、何も言わせないから」
そしてわたしは……既に何度かわたしの家の前……正確には毛利邸が入っているビルの階段前まで送ってくれたことのある工藤君を、3階の自宅まで連れてあがった。
☆☆☆
工藤君は、「お客様」じゃないので、ご飯づくりを一緒にやってみたけど、まあハッキリ言って使えない。
包丁を使えばキュウリが繋がったままになってるし。
なので、包丁を使わない簡単な作業をさせることにした。
「工藤君って、独り暮らしなのに、料理、してないの?」
「いや……一応、してるんだけどよ。簡単なものしか作らないというか……」
工藤君は、両親が海外生活で、滅多に帰ってこない。
だから、家事は慣れてるんじゃないかと思っていたけど、そうでもなかった。
「あ、あのよ……呆れたか?」
「ん〜、まあねえ。でも、わたしのお母さんだって、料理の味付けだけは破壊的だから……」
「妃弁護士かあ……バリバリのキャリアウーマンて感じで、家事は出来なさそうかも」
「んもう!他の家事は完璧なのよ!ただ料理だけが苦手なの!」
軽口を叩きあいながらご飯を作る。
何だかそれが楽しい。
考えてみればわたしは、いつも家で1人でご飯を作っていたから……。
慣れて何とも思わなくなっていたけど、やっぱり寂しかったのかも。
ご飯を食べて。
一緒に後片付けをして。
「じゃ、オレ、そろそろ……」
「まだ、良いじゃない?」
「雷雨になりそうだから、今の内に帰るよ」
外は、ぽつぽつと雨が降り始めていた。
帰ろうとする工藤君の服の裾を、何で引っ張ってしまったのか。
わたしにも、よく分からない。
「毛利?」
「帰らないで……」
「けど……」
「お父さんは、今夜、帰ってこない」
「は?」
「わたし……雷、嫌いなの……」
「毛利……?」
「1人に、しないで……お願い……」
さすがに、「わたしが」トリガーを引いた、「わたしが」誘ったという自覚は、どこかであった。
☆☆☆
そろそろ、ロストバージンしてもイイって思ってたし。
それに、わたしたち、お付き合いしているんだから、だから、いいよね?
わたしは、自分で自分にいっぱい言い訳をしながら。
工藤君に身をゆだねていた。
工藤君に抱え上げられて(こういうの、お姫様抱っこっていうんだっけ?)、わたしの寝室へ入る。
ベッドの上に下ろされ、唇を塞がれた。
キスは、初めてじゃない。
でも、彼の舌がわたしの口腔内に押し入り、かき回し、貪られ……こんな激しいキスは初めてだった。
頭がボーっとなって何も考えられなくなる。
彼の唇がわたしの口を離れ、のど元をたどって行く。
彼の手が、わたしの胸の上に置かれ、蠢く。
「あ……っ!」
ゾクゾクとして、思わず、声が出た。
下腹部がきゅんとなって、熱くなり、何かとろりと溢れ出るものがある。
わたしって、自分で思っていた以上にエッチなんだなと、頭のどこかで考えていた。
わたしが着ていたのは、シンプルなワンピースタイプの部屋着。
彼の手がわたしの背中を這い回り、ファスナーを探し当て、引き下ろされる。
ブラのホックも、外された。
工藤君は、女性の服を脱がせることに手馴れているような気がする。
当たり前か。
女性に不自由しなかっただろうし。
わたしとお付き合いするときは恋人がいなかったとしても、経験は豊富かもしれない。
今、二股しているとかじゃなかったら、文句言える筋合いはないんだけど……何となく面白くなかった。
なんてことを考えている間に、胸がはだけられてしまう。
彼が体を起こして、露わになったわたしの上半身を、舐めるように見る。
何だか恥ずかしくて、思わず胸を両手で隠してしまった。
すると、彼の手が伸びて、わたしの手を両脇にどける。
「やだ……そんな、見ないで……」
「すげえ綺麗だ……思ってたより胸大きいんだな」
「お、思ってたよりって……!」
「オメー、結構、着痩せすんだな」
「そんな……あんっ!」
彼の手がわたしの胸にじかに触れる。
電流が走ったような感覚があって、また、声が出た。
工藤君がわたしの上に屈みこみ……そして、胸の頂が彼の口に含まれる。
「あああん!」
すごく感じてしまって、高い声が上がる。
こんなこと、初めてなのに、こんなに声が出ちゃって……工藤君はいったい、どう思っているだろう?
わたしの胸に刺激を与えながら、彼の手はわたしの下半身の服を脱がせていく。
わたしが生まれたままの姿になった時、彼はもう一度体を起こした。
そして、わたしの足が彼の手で大きく広げられる。
わたしは思わず息を呑んだ。
「やあっ!こ、こんな……っ!」
「今更嫌だって言われても、無理だぜ?」
「ち、ちが……っ!だってこんな……っ!」
自分でも見たことがない秘められた場所が、彼の目の前にさらされている。
すごく恥ずかしくて、たまらなかった。
彼の手が、わたしのあそこに触れる。
「すげえ、濡れてんじゃん。感じやすいんだな……」
「……ッ!」
彼は屈みこむと、わたしのあそこに口を寄せ、舐め始めた。
ビックリしたけど、敏感なところを舐められて、感じてしまう。
「んあッ……!はっ……ああんんっ!」
カチャカチャと金属音がした。
わたしの秘められた場所に、熱く猛ったものが当たる。
「いくぜ、蘭」
次の瞬間。
身を引き裂かれるような痛みに、思わず悲鳴を上げた。
「つうっ……ううっ!」
「蘭!?」
「……っ!」
「まさかオメー……初めてなのか!?」
彼の動きが止まる。
「そ、そんなこと……どっちでもイイでしょ!?」
「だけど……」
「早く終わらせて……お願い……」
「そうは行かねえ。初めてが、辛いだけの体験に終わっちまうのは……ちゃんと、やり直そう」
「えっ?」
工藤君は身を起こすと、シャツとズボンを脱ぎ始めた。
今まで彼は、局所をはだけただけで、服を身に着けたままだったのだ。
裸になった彼に、抱き締められる。
そして、顔中に優しい口づけ。
今更ながらに、この人って優しいんだなと、思った。
女扱いは下手くそだって思っていたけど、ベッドの中では違うみたい。
彼の手と唇が、わたしの全身に触れて行く。
さっきまでのような、きついほどの快感ではなく、ゆるやかな快楽が湧き上がって行く。
「蘭……」
「工藤君?」
「新一って呼んでよ」
「し、新一……」
工藤君が……新一が微笑み、わたしの唇に優しい口づけを落とす。
「愛してる……」
彼の言葉が、耳に心地よく響く。
ベッドの中での睦言を本気に取った訳ではないけれど。
彼がわたしを気持ちよくさせようと、気遣ってくれたことが嬉しい。
再び彼がわたしの中に入って来たとき、痛みはやっぱりあったけれど、さっきよりスムーズだった。
「蘭……全部、入ったぜ。分かるか?」
「よ、よく、わかんない……」
「そ、そっか……大丈夫か?」
「うん。大丈夫だよ」
「動くぞ?」
「う、うん……」
新一が腰を動かし始める。
最初はゆっくりだったけど、すぐに激しい動きに変わった。
ベッドがギシギシと音を立てる。
落ち着いていた痛みがぶり返して、最初は辛かったけれど、段々馴染んでくると、痛みではないものが体の奥から湧き上がってきた。
「あ……ああ……んんっ……」
「蘭……蘭……っ!」
「ああ……新一……わたし……わたし……っ……!」
体を貫く強烈な感覚に、わたしの頭は真っ白になり……。
わたしの奥に彼の熱が放たれると同時に、わたしは背中をそらしながら彼にしがみ付き、痙攣したように体がビクビクとなり、大きな声をあげて果てた。
そのまま、わたしは意識を失ってしまった。
☆☆☆
意識が浮上しかけた時。
わたしを包む温もりと、髪を撫でる優しい手の感触、頬や額に優しく触れる柔らかく温かいものがあった。
このまま、まどろんでいたい、とすら思えた。
目を開けると、すぐ前に、工藤君の端正な顔があり……一瞬驚き、そして昨夜のことを思い出した。
夢でなかった証拠に、下腹部に鈍い痛みが残っている。
「おはよう、蘭」
「お、おはよう……くど……しんいち……」
お互い裸のままで、新一に抱きしめられている。
彼は一晩中、こうしていたのだろうか?
わたしは、気を失った後、そのまま眠ってしまったみたい。
でも、安心して眠れたような気がする。
「ありがとう、蘭」
「えっ?ありがとうって、なにそれ?」
「いや……何となく……」
「わ、わたしは別に……新一にバージンを捧げたんじゃないからね!た、ただ、そろそろロストバージンしたかったし……昨夜は、雷で、1人でいたくなかったから……だから……」
「ああ。わーってる。でも、オレは、蘭を抱けて、嬉しかったから……」
彼が優しく微笑み、思わずドキリとしてしまった。
そして、優しく口付けられる。
そのまま、彼の手と唇が、わたしの体を這い回り始めた。
「あ……っ……」
「蘭……もう一度……」
新一の愛撫を既に知っている体は、彼に触れられると反応してしまう。
そのままわたしは逆らえず、新一を受け入れた。
「んんっ!」
「ごめん。痛いか?」
「少し……でも、大丈夫……」
本当に、昨日よりは、かなり楽になっていた。
そして、快感が湧き上がるのは、昨日より早かった。
「あっあっ……ああーーーッ!!」
「蘭……蘭……ッ!!」
わたしが背中を逸らして果てると、彼のものが脈打ち、わたしの中に熱が放たれた。
新一は大きく息をつくと、少し余韻を楽しむようにしたあと、わたしの中から出て行った。
わたしのあそこから、ドロリと流れ出るものがある。
わたしと新一の体液が混じったものだろう。
「蘭」
「ん?なに?」
新一が、次の言葉を言おうとする前に、玄関がガチャリと開く音がして、新一とわたしは抱き合って固まってしまった。
お父さんが、帰って来たのだ。
しかし、徹マンの後だからだろう、お父さんも疲れている風で、トイレに寄った後、そのままお父さんの部屋に帰って寝てしまったようだった。
大きなイビキが聞こえてきて、わたし達はホッと息をつく。
それから新一とわたしは何も言わず……まあ、お父さんが起きるとは思えなかったけれど、声も音もたてないようにして、服を身に着け、わたしの部屋に持って来ていた新一の靴を持って玄関に行き、そのまま別れた。
☆☆☆
わたしもそのまま、身支度をして、家を出た。
大学の講義に出るためだ。
新一もおそらく、事件とかじゃなかったら講義に出ているだろうと思う。
法学部の新一と文学部英文科のわたしとでは、専門部に進学した後、講義での接点が殆どない。
サークルだけが、2人を繋ぐものだったのだ。
午後の講義が終わった後、わたしはサークル室に寄ってみた。
事件で呼ばれていなければ、新一はそこにいる筈。
ドアを開けると、新一がすぐそこに立っていたので、わたしは驚いた。
新一は、ドアを閉めると、内鍵をかけた。
「えっ?鍵かけたら、他のメンバーが……」
新一は、言いかけたわたしを抱きすくめ、荒々しく口付けてきた。
「どうせ、誰も来ねえよ……」
「で、でも……んんっ!」
もう一度深く口付けられ、わたしは腰の力が抜けて、思わず新一にしがみ付く。
新一はわたしを抱え上げると、ソファーの上におろし、圧し掛かって来た。
「ちょ、ちょっと待って!こんなところで……!」
「両隣のサークル室は体育系だから、誰もいねえよ……」
そのまま、服を脱がされ、わたしはまたも新一を受け入れていた。
昨夜から3回目だ。
声を我慢しようとしたけど、無理だった。
無茶苦茶感じてしまって、何も考えられなかった。
ことが終わった後、彼はわたしの中から出て……そして、彼のものにかぶせていた避妊具を始末していた。
いつの間にあんなものを準備していたのだろう?
彼は、わたしを抱き締めて、言った。
「蘭。結婚しよう」
「えっ!?何で!?」
唐突なプロポーズに、わたしは驚いた。
「毎晩、好きなだけ、蘭を抱きたいから」
「……」
てっきり、「責任を取る」って言うのかと思ったのに、思いがけない言葉が返って来て、わたしは言葉に詰まった。
「も、もしもの時は、そうして」
「ん?やっぱ、危険日だったか?」
「違う。違うけど、絶対は、ないから……」
「ああ。そうだな」
昨夜と今朝、中出しされたことを責める気はない。
彼にその積りはなかったのを、誘ったのは、わたしだから。
もし、子どもが出来たなら、産みたい。
宿った命を葬るなんて、絶対、できない。
そしてその時は、子どものためにも、父親がいた方が良い。
「でも、子どもが出来てなかったら、今すぐ結婚して縛られるのは、嫌」
「そ、そっか……」
彼の残念そうな顔。
でも、「新一がわたしの事を好きだから」なんて、勘違いしちゃいけない。
毎晩、性欲を鎮める相手が欲しいだけだろうから。
「でも……他の男と、こんなことすんなよ?」
「そりゃ、一応、付き合っている間は、浮気する気はないわよ。新一も、他の女の人とこんなことしないでね」
「ああ。わーってる」
新一が苦笑して、わたしに口付けてきた。
そしてそのまま、また、求められる。
わたしもまた、知り始めたばかりの快楽に、溺れて行った。
☆☆☆
それからのわたし達は、タガが外れてしまったみたいに、機会さえあれば交わった。
新一って淡泊なのかと思ってたのに全然そんなことなくって、すごく求められていつも激しく抱かれる。
わたしと付き合う前って、どうしてたんだろう?
それを考え始めると、何でだかムカムカしてくるので、あんまり考えないようにした。
そしてわたしも、彼が求めるままに体を開いた。
昔は、なんでみんなセックスに夢中になるんだろうって思ってたけど、今は、夢中になるのも無理ないって思うようになった。
痛みは殆どなくなったし、わたしの中はすっかり新一のものに馴染んで、抱かれるたびに快楽の波が何度も押し寄せる。
場所は、たまに新一の家に泊まることもあるけど、サークル室が多い。
新一の家だと、周りも時間も気にしなくていいので、すごく楽だけど、毎日お泊りという訳には行かない。
ほどなく、わたしに月のものが訪れた。
子どもはできていなかった。
ホッとしたけど、どこかでちょっとだけ残念な気持ちも、あった。
月のものが来たと言った時の新一の表情はとても微妙で……子どもが出来てなくて良かったのか悪かったのか、それとも単にエッチできなくて残念なのか、判別つかなかった。
忙しい毎日の中、新一とわたしは短い逢瀬を殆どセックスに費やし、デートをすることも少なくなった。
別に、それが不満なわけじゃないけど……不満な筈は、ないんだけど……この、もやもやする気持ちは、いったい、何だろう?
ベッドの中で(っていうか、ソファーの上での方が多いけど)、新一はいつもとても丁寧に優しくわたしを抱いてくれているのは感じるし、いつも耳元で「愛してる」と囁いてくる。
そして時々、「結婚しよう」と言ってくる。
それはとても心地良いし嬉しいし……でも、新一の愛の囁きはその場の戯れに過ぎないって、醒めている自分もいるのだ。
まあ、わたしの方も、別に新一のことを好きってワケじゃなかったんだから、文句を言えた筋合いじゃないんだけど。
彼氏が欲しいって思ってて、新一と付き合い始めた。
ロストバージンしたいって思ってて、新一に抱かれた。
お互い、たまたま相手がそこにいただけで。
気持ちがないのは、お互い様。
何も、問題はないし不満もない筈なのに、どうしてモヤモヤするんだろう? そんな風にして、数か月の時が過ぎた。
☆☆☆
夏の長期休暇を迎えようという、ある日。
新一が言った。
「しばらく、アメリカに行かなきゃいけない」
「アメリカ?何で?」
「FBIの手伝いを頼まれて」
新一の表情は誇らしげで。
FBIに認められたってことを、本当に喜んでいるんだなと思った。
わたしも、それは何となく、嬉しい。
でも。
アメリカ?
「し、しばらくって、どのくらい?」
「3ヶ月か……半年くらいになるかも」
「えっ!?じゃ、大学はどうするの!?休学!?」
「留学扱いで行けるよう、手続きした」
「……!」
寂しくなんかない。
寂しい筈がない。
なのに、何でこんなに、ショックなの?
ああ、そうか。
「体が」寂しいのかも。
「そ、そう。じゃあ、仕方がないわね」
「蘭……」
新一が切なそうな表情になった。
え!?
行くって言ったのは、アンタでしょ!?
何でそんな顔をすんのよ!?
「待っててくれるか?」
「……そんなの、分かんないわ。体が寂しかったら、他の相手を作るかも」
「蘭……!」
「それが嫌なら、行かなきゃ良いじゃない」
新一が傷付いたような顔をする。
だから何で、わたしを置いて行ってしまう方のアンタが、そんな顔をするのよ!?
まるでわたしが、新一を苛めているみたいじゃない。
「……じゃあ、行くのを止める」
「は!?ふざけないで!新一って、そんな無責任な人だったの!?」
「じゃあ、どうすれば良いんだ!?」
「どうすればって、わたしに聞かないで!」
その後も、色々と言い合って。
結局、喧嘩別れみたいな形になって、ムカムカしながら家に帰って来た。
家に帰ると、珍しくお父さんが家でご飯を待っていた。
わたしは手早く夕ご飯を作り、久しぶりにお父さんと向かい合わせで食卓に着く。
「お前の大学に、ほら、昔、高校生探偵って持ち上げられてた、探偵坊主がいるだろ?」
ちょうど今日、喧嘩してきた相手のことが、お父さんの口から出たので、わたしはむせ込みそうになった。
「その、元高校生探偵が、どうしたの?」
「3年前、ヤツが高校生の頃、大きな闇の組織と関わり合いになって、まあ、何とかかんとか、公安だの警察だのFBIだのが一緒になって、何とかそれを潰したんだけどよ……」
「……」
そんなことがあったなんて、知らなかった。
「その組織の残党がアメリカで色々やらかしてて、日本の警察にも正式に協力依頼が来ているらしい。目暮警部から俺にも、アメリカに行かないかと打診があったが、まあ俺は家庭があるからと、断ったよ……もう、警察官じゃねえしな」
「そ、そうだったの……」
ピンときた。
新一が誘われたのは、その件だ。
そして彼は……。
『結婚しよう』
時々囁く彼の言葉が、脳裏に蘇る。
単なる軽口と思っていたけど、そこには彼なりの意味があったのだろうか?
わたしは頭を横に振った。
何度も囁かれるプロポーズは、どうしても軽口としか思えなかった。
新一がアメリカに行く直前。
新一は、わたしを「デート」に誘って来た。
この前の喧嘩が何もなかったかのような態度の彼に、わたしはまたもムカついてしまったけれど。
それでも、会いたかったし、文句は言わずに彼の誘いに応じた。
彼が提案してきたデートコースは、水族館→映画→食事というもので。
映画も女性が好みそうな恋愛映画で。
まあ、今までの「女扱いの下手な」彼からは、想像がつかないオーソドックスなものだった。
わたしが喜びそうなコースを一所懸命考えてくれたのだとしたら、それはそれで嬉しい。
ただ、悲しい事に。
彼は外を歩くと、事件を呼ぶ……というか、事件に呼び寄せられる人なので。
久し振りのデートはやはりというか何というか……しょっぱなの水族館で、殺人事件に当たってしまった。
わたしは文句を言いながら、久しぶりに彼が事件解決に当たる姿を見て、嬉しかったし、胸がきゅんとなった。
え?この胸キュンは、恋じゃないわよ。
お父さんが探偵だし、真面目に探偵をやっている姿に感動するだけよ!
で、映画は見そびれ、食事は居酒屋になり……そして彼は、わたしをベッドに誘うことなく、わたしを家まで送って来た。
まあそりゃ、今夜はお父さんいるし、泊まりも無理なのは分かるけど……しばしの別れの前に、エッチする気はなかったのかしら?
「蘭……」
「待つ気は、ないからね」
「ああ。待たなくて良い。他に男を作ってても……帰ってきたら、またオメーを奪い返すだけ」
そう言って、彼はわたしを階段下の暗がりで抱きしめ、少し乱暴な口付けを残すと、去って行った。
よく分からない。
新一がいったい、何を考えているのか。
この前は喧嘩してしまったし、もう、1週間以上抱かれていない。
この状態で、わたしを置いて、アメリカに行ってしまうなんて。
家に帰ったわたしは、ベッドの中で、生まれて初めて自分で自分を慰めてみた。
でも……新一に抱かれたときのような満足感は、得られなかった。
☆☆☆
アメリカに行ってしまった新一からは、マメに連絡があった。
といっても、時差もあるし、殆どメールだけど。
わたしは、新一が大切な役目のためにアメリカに行ったことに文句を言う気は全くないのだ。
それでも、置いて行かれたことにモヤモヤしてしまっているのも事実で。
さみしさを持て余したわたしは、学友からの合コンの誘いに乗ってみることにした。
「蘭が合コンに来るのって、珍しいじゃん?」
「そっかなー」
「そうよう。良い男性がいたらお付き合いしたいって言ってた割に、何だかんだで断ってたじゃん?」
よく考えると、大学に入学したばかりの頃は、何回か合コンに参加したことがあるけど。
そして、男性からそれなりに誘われたりもしたけど。
なんだか今一、その気になれなくて、合コンの後に男性とお付き合いはおろかデートにも至ったことがなかったのだった。
そうやって考えてみると、新一とあっさり「お付き合い」に至ったのって、何だか不思議な感じがする。
タイミング?お互いの都合がたまたま一致したから?
縁があったから……?
よく分からない。
合コンでは、そこそこイケメンの男性たちがいた。
でも、新一以上の人はいない。
考えてみたら新一って、レベル高かったんだよね。
女性扱いはヘタだったけど、イケメンでそこそこ背が高くスポーツマンで頭もイイって、三拍子揃ってたし。
隣に座った男性は、見たことがある。
確か、学友の誰かの彼氏として、前に写メを見せられたような気がする。
「蘭ちゃんって呼んでいい?」
「ダメです」
「えー!?何で?」
「付き合ってもない男性から、下の名前で呼ばれたくないです」
「固いこと言わなくてもイイでしょ?」
「でも……」
「だったら、オレと付き合いなよ。そしたら、解決」
前に、似たセリフを聞いたことがあった。
あれは、新一と付き合うことにした時……。
でも、新一の時と違い、なんだか、ぞわりと嫌悪感が走ったのは、何でだろう?
「でも、あなた、萌々香の彼氏じゃなかったっけ?」
「えー!?何だ、知ってんの!?」
「だって……萌々香から写メ見せてもらったもの」
「そんなの、昔の話だよ。それに、萌々香の方が熱をあげて来たからちょっと付き合ったけど、もう別れてる。蘭ちゃんの方がずっと美人だよ。蘭ちゃんだったら、オレの方から口説いて彼女にしたい」
言われる言葉が全部気持ち悪くて。
萌々香が可哀想で腹が立って。
肩に手を回されると、嫌悪感でぞわりとして、どうしようもなくて。
わたしは殆どお酒も飲まずに、適当にいなして、早目に帰ってしまった。
新一だったら、どうだろう?
少なくとも、元カノの悪口を言うようなことはないんじゃないかな?
そうだ。
イケメンかどうかとか、良い大学に行ってるとか、そんなこと以上に大切なのは、人間性。
少なくとも新一の「人間性」は、本当にレベルが高い。
気障で自信たっぷりの態度の裏で、事件に真摯に向き合っているし、努力しているし、熱い正義感を持っている。
新一以上の人間性の男性なんて、なかなかいないような気がして、気が滅入って来た。
そしてわたしは……尊敬できない男性とは、一晩の行きずりだろうが遊びだろうが、触れ合えないってことに気が付いた。
ああ、そうか。
新一とあっさりお付き合いすることになってのは、わたしが新一を「尊敬」しているからだったんだ。
じゃないと、付き合えない。
そんな単純な事だったんだ……。
その後も、何回か合コンに参加してみたけど、どの男性から誘われても、肩を抱かれるだけで気持ち悪くて、全然ダメだった。
いくら寂しくても、体が男性を求めても、抱かれる相手は新一が良い。
でも、数か月は新一に会えない。
それを思うと、気が滅入って来た。
園子に久しぶりに会ってお茶した時、愚痴るわたしに園子が言った。
「蘭。だったらさ、工藤君に会いに行ったら?」
「アメリカまで!?」
「うん。夏の休暇に入ってすぐ、空手部の合宿があるだろうけど、それが終わったら1か月以上時間があるじゃない」
「でも……バイトもあるし……」
「ええっ!?1週間くらい、休めないの!?」
「難しいかなあ……」
わたしは言葉を濁したけれど、本当のことを言えば、1週間くらい時間が取れない訳じゃない。
アメリカまで新一に会いに行くことを、考えてみたこともある。
でも、先立つものがないのだ。
園子の前でそれを言うと、お金持ちのお嬢である園子は「わたしが出すわ」と言いかねないので、黙っている。
園子は、一生友だちでいたい、大切な親友。
だから、お金が絡むようなお付き合いはしたくない。
その夜、8時ごろ、新一から「電話」があった。
「新一!?大丈夫なの!?そっちは今、朝の6時でしょ!?」
『いやあ。サマータイムだから、今、こっちは7時だな』
「そ、そう。で、なに?」
新一の声が聞けて嬉しい筈なのに、冷たく素っ気ない態度を取ってしまう。
ああ。
わたしって、素直じゃないなあ。
『あのさ。時間が取れるなら、ちょっとこっちに遊びに来ないか?』
「簡単に言うけどね!」
『飛行機のチケット代金はこっちで払うから。泊まる場所も、心配要らねえし』
「え……だって……お金出してもらう義理なんか……」
『あるよ。オレが、蘭に会いたいから』
「……!」
一瞬、息が詰まった。
胸がキュンと苦しくなる。
これは一体、何だろう?
でも、次の新一の言葉で、ムッとなった。
『禁欲生活もそろそろ限界』
わたしは額にぶちっと青筋を立てて、怒鳴った。
「なによ!だったら、そっちで相手作れば良いでしょ!?わたしに遠慮なんかする必要ないし!」
『んなこと言ってもなあ。蘭以外の女だと勃たねえし』
「何バカなことを……!」
『蘭以外の女は抱きたくない』
わたしは……新一のその言葉に、呆れたのか感動したのか、自分でもよく分からなかった。
ただ……結局、新一に会いにアメリカに行くことになったのだった。
☆☆☆
「蘭ちゃ〜ん。いらっしゃ〜い」
「え?あの……」
「あらあ。蘭ちゃん、わたしのこと、分かんない?」
「い、いえ!わかります!女優の藤峰有希子さん、本名は工藤有希子さんで、しんい……工藤君のお母様……」
空港でゲートを出たわたしを待っていたのは、新一本人ではなく、なんと、新一のお母様だった。
新一のご両親が、世界的な推理作家の工藤優作さんと、元・世界的大女優だった藤峰有希子さん夫婦だということは、知っていた。
ただ、直接お会いしたことはなかったし……まさか、わたしを迎えに来て下さるなんて、思いもしなかった。
「ごめんねー。新ちゃんが迎えに行く筈だったのに、都合がつかなくなって、代わりを頼まれたの」
「わざわざ来ていただくなんて、恐縮です」
「そんな、かしこまることはないのよ。小五郎君と英理は、帝丹高校時代の同級生で、英理とは大親友だったんだもの!」
「えええっ!?」
それは、初めて知った。
そういえば、両親の高校時代のアルバムなんて見せてもらったことはなかったなと、改めて思う。
有希子さんの運転する車で、わたし達は空港を後にした。
「新ちゃんが、FBIの依頼を受けてこっちで仕事をしてるのは、知ってる?」
「あ、はい。ちょっと聞きました」
「蘭ちゃんに来てもらうことを決めた時は、まだそうでもなかったんだけど、今ちょっと、新ちゃんが手を離せない状況になっちゃって……」
「そ、そうですか……」
せっかくアメリカに来て、新一に会えそうもないのは、すごくすごく残念だけど。
新一のお母様がこうやって気を使ってくださっているのに、ガッカリした顔なんかできない。
まして、わたしのために、ブロードウェイのお芝居だの、一流レストランのお食事だの、手配してくださったのだから、なおさらだ。
食事の時に、わたしは有希子さんに聞いてみた。
「あ、あの……く、工藤君は、わたしのこと、何て……」
「ん?お付き合いしている女性だって、言ってたわよ。でもま……新ちゃんの方が片思いだって言ってたかな?」
「えっ!?そ、そんな……片思いだなんて……」
わたしは思わず、否定の言葉を口にしかけて、口ごもる。
新一がわたしに「片思い」なんてことは、ない。
だって、お互いに、軽い気持ちで付き合い始めたんだから。
ただ、新一のお母様の前で、「わたしは新一のことなんて、何とも思ってません」なんて、失礼なことが言えるわけもない。
食事が終わった後、わたしが案内されたのは、ホテルの一室だった。
広いダブルベッドの部屋だった。
「新ちゃんと一緒の部屋だけど……いいわよね」
「えっ!?」
お母様に、すでに体の関係があることも知られているのかと思うと、顔が火照ってしまった。
でも……。
「新一は……工藤君は、忙しいのでは?」
「いくら忙しくても、不眠不休じゃどうにかなってしまうわよ。だから……今夜はどうか分からないけど、その内、泊まりに来るわ」
「……」
なんだか複雑な気分で、わたしは部屋に入った。
外国のホテルは、日本のように、寝間着が準備してあるワケじゃないから、わたしは持参した自分のパジャマに着替え、広いベッドに潜り込んだ。
時差の所為もあって、あんまり眠れていない。
ベッドに入ってすぐに、わたしは眠りに落ちていた。
☆☆☆
寝入ったらなかなか起きないわたしだけど、体を這い回る感触に、意識が浮上する。
「あ……ん……」
ハッキリ覚醒できなくて、もどかしい。
触れられる手や唇の感触に不快感がなく、久し振りの快楽が呼び覚まされている。
「らん……」
耳にしっとりと馴染む声で、名前を呼ばれる。
「しんいち……」
わたしは半分夢うつつのまま、相手の首に手を回す。
唇が覆われ、わたしの口腔内に蠢くものが入り込み、深く貪られる。
息が苦しくなって、わたしはハッキリと覚醒した。
すぐ目の前に、懐かしい顔がある。
何故だか、涙が一筋、頬を流れ落ちた。
「蘭。最初に謝っとく。すまん」
「え?な、何を……?」
「余裕ない。手加減できねえ」
「えっ!?ああっ!」
新一がわたしの胸の頂を口に含み、強く吸われる。
もう片方の乳房は新一の手で揉まれていた。
わたしのあそこからは、とろりとしたものが溢れ出ている。
新一がわたしの体中を愛撫するのに、無茶苦茶感じてしまって、声が上がる。
わたしの腰が自然と揺れ、早く新一のものが欲しいって思ってしまう。
新一が入って来たとき、久しぶりだったので少し痛みが走ったけど、それをはるかに上回る気持ち良さで、どうにかなりそうだった。
ぐちゅぐちゅと、粘着質の水音と、体がぶつかる音が響き渡り、ベッドがギシギシと鳴る。
わたしが高い声を上げ背を反らせて果てるのと、新一が呻き声をあげわたしの中に熱を放つのは、ほぼ同時だった。
そのまま、新一はわたしの中から出るかと思ったのに、わたしの中にとどまったまま腰を揺らす。
そして、わたしの中に熱を放って萎えた筈の新一のものが、また力を取り戻してわたしの中いっぱいになった。
再び始まる律動。
「あ……や……ま、待って、新一……!」
「ダメ。待てない。止まれない」
「そ、そんな……ああん!」
結局、繋がったまま、立て続けに3回、わたしの中に彼の熱が放たれた。
3度目の正直で、ようやく新一はわたしの中から出て行った。
わたしのあそこは痺れて、感覚もなくなっている。
新一はわたしを抱き締めると、顔中に口付けた。
「蘭……結局、他の男とは、やらなかったんだな……」
「え!?な、なんで、そんなこと、分かるの!?」
「いや、何となく……」
新一が優しく微笑む。
「し、仕方ないじゃない。さすがに、誰でもイイってワケじゃないし……その気になれる相手が、いなかったんだもん……」
「じゃ。少なくともオレは……蘭にとって、その気になれる相手、ってことか?」
わたしは、不承不承、頷いた。
なんとなく、新一に弱みを握られたみたいで、癪に障ったけど。
「よかった……」
「な、何よ!?わ、わたしは別に……!」
「ああ。わーってるよ。蘭は別に、オレにぞっこんってワケじゃない。その位のことは……」
新一にそんな風に言われると、何だかそれも、引っ掛かってしまう。
「オレは、蘭を独り占めしたい」
「えっ?」
「他の男に、蘭を渡したくない。蘭のこの綺麗な体を見せたくないし、触れさせたくない。だから……蘭と結婚したい」
「……」
新一に、顔を覗き込まれて、真剣な眼差しで言われて。
なんだか、錯覚しそうになる。
新一がまた深く口付けてきた。
そしてまた、わたしたちは、快楽の海に溺れて行った。
何度、交わった事だろう?
ようやくひと段落したのか、新一がわたしの横に身を横たえた。
「……いくら久しぶりだからって……」
「蘭?」
「こんな……わたし、壊れちゃいそう……」
「ごめん」
「これから数日これじゃ、身がもたないわ」
「蘭。オレもう、行かなきゃならないから……」
「えっ!?」
やっと会えたのに。
また、行ってしまうの?
「オレの仕事は今大詰めで、本当は取れない時間を無理やり取って来た」
「……だったら、わたしを呼んだりしなきゃ良かったじゃない……!」
「オレの方が、蘭に会えなくて限界だったんだよ……」
「……」
新一の切なそうな眼差しに、わたしは何も言えなくなる。
錯覚、しそうになる……。
「しばらく、また会えない」
「……」
「蘭が帰国する前に、また、会いに来てえけど……もしかして、無理かも……」
たった一晩、わたしを抱くために、新一は、アメリカ往復費用とホテル代を出したっていうのかしら?
バカみたい……。
仕事だという新一を引きとめる気は、ない。
やがて身を起こし、身支度して去る彼を、わたしは黙って見送った。
それから数日間。
有希子さんが毎日やって来て、芝居だミュージカルだフットボール観戦だと、わたしを連れ出してくれた。
もう本当に、申し訳ない。
それを言うと、有希子さんはちょっと苦笑した。
「新ちゃんの大切な人のためだもの、このくらい、何てことないわ」
新一の大切な人なんて言われると、余計に心苦しい。
だって新一は……だってわたしは……。
すごく、モヤモヤする。
アメリカで新一に会えて、いっぱい抱かれて、満たされたと思ったのは一瞬で。
また、何だかモヤモヤする日々が続いていた。
☆☆☆
そんなある日。
有希子さんに連れられて行ったブロードウェイのお芝居で、人ごみの中に、新一を見かけた。
いつもと違い、眼鏡をかけているけど、一目で彼だと分かった。
そして……新一は、金髪の女性をエスコートしていた。
「おばさま。あそこに、しんい……工藤君が……」
「え?……ああ、あれは違うわよ。似てるけど、新ちゃんじゃないわ」
有希子さんが素っ気なく言ったけれど、そこに「ウソ」があるって、わたしは気付いた。
新一にはわたしの他に付き合っている女性がいて、有希子さんはそれを知っていて……だから、わたしに隠しているの?
「で、でも……!」
「あの子は、こういったお芝居には興味がないから……」
大勢の人の中で、2人の姿を見失ってしまい、わたしはそれ以上何も言えなかった。
その後は上の空で、まともにお芝居を見ていられる状況じゃなかった。
芝居が終わり、外に出ようとする時に、わたしはまた、新一の姿を見つけた。
隣にいる金髪の眼鏡美人の女性が、新一の腕に腕をからませて寄り添っている。
その姿を見て、わたしの頭に血が昇った。
わたしだけだと言っておきながら、大事な捜査の途中だと言いながら、こんなところで、他の女性と浮気をしているなんて……!
わたしは、そちらの方に駆け寄って行った。
「あ、待って、蘭ちゃん!」
後ろの方で有希子さんの制止の声が聞こえるけど、委細構わずそちらに向かう。
でも、人ごみの中、慣れないハイヒールで、思うように走れない。
会場を出て少し行ったところで、わたしは街灯の下にいる2人の姿を見つけた。
「新一!」
叫ぶと、新一がこちらを振り返るのが見えた。
女性の方が何か叫んでいる。
わたしはそちらに駆け寄って行った。
「来るな!蘭!」
新一の叫び声に、浮気現場を見つかったというのではない切羽詰まったものを感じて、わたしの足が止まる。
途端に銃声が聞こえた。
新一の隣にいた女性が拳銃を構え、どちらかに向けて撃つ。
新一も拳銃を取り出し構えていた。
わたしは……ことここに至って、新一がデートなんかではなく「任務中」であることを認識した。
わたしの背中を冷たいものが流れ落ちる。
わたし……新一の邪魔をしたんだ……。
今更だけど、どう動いたらこれ以上邪魔にならないのか考え、取り敢えずその場に身を伏せる。
立っていると銃弾が当たりやすくなるから。
そして少しずつ、邪魔にならなそうな物陰へと移動した。
わたしは空手ができるけど、接近戦はともかく、銃撃戦ではモノの役に立たない。
移動している内に、建物の陰から新一たちに狙いをつけている2人組に気付き、わたしは反射的にその2人に空手技を掛けた。
2人とも呻いて倒れる。
新一がこちらに気付いて目を向けた。
ようやくひと段落したようだ。
わたしは、思わず新一の方に駆け寄って行った。
「すげえじゃん。腕に覚えがある大男2人を一瞬で倒すなんて、やるな」
「こちらに気付いてなかったから、たまたまよ」
新一が柔らかく微笑む。
次の瞬間、新一が顔色を変え、わたしを引き倒した。
続いて起こる銃声。
「ぐ……っ!」
新一が倒れる。
それがまるでスローモーションのようで……わたしは、自分の口から出る悲鳴を、どこか現実離れした出来事のように聞いていた。
また銃声が響き、わたしは思わず新一の上に覆いかぶさって庇ったけれど。
それは、新一に銃弾を放った相手を倒した、味方の銃弾だったらしい。
わたしたちに銃弾が当たることはなかった。
顔をあげると、ライフルを抱えた長身の男性が近寄って来た。
「ジョディ。お前がついていながら、何てザマだ。敵が全員倒れたことを確認するまで気を許すな」
「シュウ、ごめんなさい」
「あ、あの!新一を病院に……!」
「蘭。大丈夫だから心配すんな」
わたしの下から新一の声が聞こえ、わたしは思わず飛び起きた。
「いてて」
「新一!?怪我は!?弾が当たったんじゃないの!?」
「大丈夫。防弾チョッキは身に着けてたから、無傷じゃねえけど深手は負ってねえ」
「よ、良かった〜」
わたしは腰が抜けて、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
☆☆☆
新一は病院に連れて行かれたけど、一晩だけで帰されるらしい。
わたしは、金髪の女性に連れられて、新一に会いに行った。
彼女は、FBI捜査官のジョディ・スターリングと名乗った。
「動転していて気付かなかったけど、日本語、お上手なんですね?」
「ふふふ。会話が英語じゃなかったことに、今頃気付きましたか?」
「え、ええ……」
「好きな男性が日本人だから、日本語の勉強をしたのよ」
「えっ!?」
わたしは思わずマジマジとジョディさんを見た。
新一と一緒にいたのは、捜査のためだったと、今は分かっている。
でも、もしかして……。
すると、ジョディさんはくすりと笑って言った。
「好きな男性って、クールキッドのことじゃありませんよ?」
「えっ!?クールキッドって……新一のことですか!?」
「ふふふ。まあ、好きって言えば好きだけど、LoveじゃなくてLikeね。弟みたいで、かわいいけど、恋する相手じゃないわね」
すごく、ホッとした。
「あなた……蘭ちゃんは、クールキッドのこと、好きでしょ?それも、Loveで」
「……好きです……」
素直に、言えた。
わたし、新一のことが、好きなんだ。
それを自覚したのは、さっき新一が撃たれた時。
もし、新一が命を落としてしまっていたら、わたしは自分の気持ちを伝えなかったことを、生涯、後悔しただろう。
ふっと気付いた。
ジョディさんの他にもう1人、日本語で会話していたFBI捜査官がいた。
「ジョディさんの好きな日本人男性って、もしかして、ライフル抱えていたあの人?」
「そうでーす。彼の名は、赤井秀一。……悲しい事に、わたしの片想いだけどね」
「……ジョディさん……」
「わたしのことは良いから。蘭ちゃん、クールキッドにちゃんと気持ちを伝えてあげてね。あの子は好きな女性に片想いだって言ってたから」
片想い。
有希子おば様もそう言っていた。
でも、新一が本当にわたしのことを好きかなんて、わたしには自信ない。
病室に入ったらすぐにジョディさんが気を利かせて出て行った。
「新一……」
「蘭。別れよう」
「えっ……!?」
突然の新一の言葉に、わたしは固まった。
新一は、わたしの方を見ようとしない。
「な、何で!?」
「また、こんなことがあるかもしれない」
「わ、わたしが……新一の邪魔をしたから?あ、足手まとい、だったから……?」
「そう思ってもらっても、構わねえよ」
わたしの足元が、グラリと崩れ落ちそうな気がした。
たったさっき、自分の気持ちを自覚して。
告白、しようと思っていたのに……。
「わ、わたし……わたし……バカみたい……こんなところまで……」
笑顔でお別れしなきゃと思ったのに、ダメだった。
そして、悲しみと共に怒りも湧き上がって来ていた。
「や、やっぱり、新一の『好き』とか『愛してる』とかって、軽口だったんだね……わ、わたしは……」
「蘭に四の五の言われる筋合いはねーだろ?だってオメーは……」
そっぽを向いていた新一が、わたしの方を見て、目を見開いた。
「蘭?オメー……?」
「わ、分かった!もういい、サヨナラ!」
言い捨ててわたしは、病室を駆け出して行った。
バカみたい、バカみたい、バカみたい!
ううん、本当に、バカなのは、わたしだ……。
新一だから、お付き合いにOKした。
新一だから、キスされても拒まなかった。
新一だから、抱かれた。
新一が、好き、だから……。
今頃、自分の気持ちに気付いて。
自覚した途端に、振られるなんて……。
わたしが早くに自覚して新一に告白していれば、新一は、ほだされて、お付き合いを続けてくれただろうか?
ううん、それよりも、本気で好きだと気付かれていれば、重くてお付き合いには至っていなかったかも、しれない。
わたしは泣きながら走った。
街中で迷ってしまったらどうなるかなんて、考える余裕もなかった。
もうどうなってもいいとすら、思っていた。
けれど、突然、後ろから腕を掴まれて、わたしは焦って振り向いた。
そこにいたのは、息を切らしている新一だった。
「し、新一……?」
「オメーな!怪我人を走らせるな!」
「だ、だって、追っかけて来なけりゃ良かったじゃない!」
「方向音痴のオメーがアメリカで迷子になったら、あぶねーだろうが!」
「ほうっておいてよ、わたしのことなんか!」
「放っておけるか!本当に面倒くさい女だな、オメーはよ!」
「だから!面倒くさいなら……!」
「ったく!オメーは最大級の、厄介な難事件だっつーの!」
その途端。
わたしの頭の中で、何かが繋がった。
新一は、難事件が好物だ。
厄介であればあるほど、燃えるって言ってた。
つまり、最大級の厄介な難事件って……。
新一がずっと口にしてた「好き」って、嘘じゃなかったんだ……。
「わ、わたし、わたし……」
「あん?」
「新一が撃たれたって思った時、わたしの心臓がぎゅっと掴まれたみたいに苦しくて……」
「……蘭?」
「い、今更だけど……やっと自覚したの……新一のことが好きだって……」
「蘭……」
新一がわたしの腕を掴んでいた力が抜ける。
わたしは新一に向き直った。
「だ、だから……別れたくない……別れるなんて、言わないで……迷惑かけないようにするから……だから……」
「バーロ。オレが別れようって言ったのは、迷惑だからとかじゃねえよ。オメーをまた危険にさらしてしまうかもしれねえから……」
「新一……でも、わたしは……!」
次の瞬間、わたしは新一に抱きしめられた。
「でも、オメーがオレのことを好きだって言ってくれるなら、オレはもう、遠慮はしねえ」
わたしは、新一の名前を呼ぼうとしたけれど。
その前に、新一に唇を塞がれてしまった。
☆☆☆
事件は殆ど解決したため、わたしが帰国してから間もなく、新一も帰国してきた。
新一とわたしは結婚の約束をし、新一はお父さんのところに挨拶に来た。
最初の内は、けんもほろろに断っていたお父さんだったけど、ほどなくわたしの妊娠が分かり(ニューヨークで避妊せずやりまくった時にできたのは間違いなかった)、お父さんも渋々折れた。
その代り新一は、お父さんとお母さんからそれぞれ背負い投げを食らってしまった。
すぐに結婚式を挙げたけれど、子どもが生まれたのが早かったので、周囲からは「デキ婚」と散々言われまくった。
園子からは
「新一君、蘭があまりにもつれないもんだから、わざと仕込んだんじゃないの?」
と言われてしまった。
わたしは、「まさか」と笑ったけど、新一にその話をしたら明らかに焦っていたので、本当だったんだと驚いた。
ちょっとどころでなく呆れたけど、新一がそこまでしてわたしを捕まえたかったんだって思うと、少し嬉しかったりもして……って、わたしも相当新一バカなんだな……。
新一は親しい人には、
「バーロ。結婚決めたあとに妊娠が分かったんだから、デキ婚じゃねえ!」
って言い訳してたけど。親しい人たちは逆に、新一の「策略」が見抜かれていたらしい。
結婚式の時に来日してくれたジョディさんは、わたしが妊娠していることを知り
「着けるもの着けずにやりたがるのは日本人の悪いクセです」
と呆れていた。新一の策略と知るともっと呆れていた。
結婚式には、赤井さんも来日してくれていた。
ジョディさんも赤井さんも、3年前の事件で、新一と親しくなったんだそうだ。
見ている限り、赤井さんとジョディさんって、お似合いだと思うんだけどな〜。
といっても、わたしにできることは、2人が上手く行くように祈るだけ、だけど。
新一を見るたびに愛しさが沸き起こる。
今から考えれば、新一とお付き合いを決めた時には、もう、新一のことが好きだったのは間違いないのに。
どうしてわたし、ずっと自分の気持ちに気付かなかったんだろう?
新一が初恋なのは、間違いない。
初めての気持ちだったから、気付けなかったのかもしれない。
わたしは、恋を知らなかった。
ううん、恋をしているという自覚が、なかったのだった。
Fin.
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<後書き>
このお話は。
蘭ちゃんに(新一君への)恋の自覚がないお話を書いてみたいな、というところから始まったお話です。
しかし、思っていた以上に難しかったです。
書き始めたのは昨年の内だったのですが、いつの間にかもう2月も終わり。
忙しかったのもあったけど、難産でしたねー。
いや、最初の辺りはわりとサクサク書けていたのですよ。
ただ、どのような形で自覚させるかってのが、結構難しかったです。
片想い新一君を見るに見かねたジョディさんのお芝居とかも考えていたのですが、しっくり来ない。
新一君と別れて傷心のまま帰国した蘭ちゃんが妊娠に気付いて……という案もありましたが、2人とも可哀想なのでボツに。
迷走しましたが、書いていて楽しかったです。
さて。
次は、連載の続きを書かなければ。
そして、裏ばかりの更新なので、たまには表の話も書かなければ。
脱稿:2017年2月27日戻る時はブラウザの「戻る」で。