誰にも内緒



byドミ



(1)内緒の始まり



「蘭。今日は、早く帰れそう?」
「園子。うん。採点がもう少しで終わるから、そしたら今日は帰れるわ」
「この前の、小テストのヤツね。蘭ってば、マメねえ」
「マメって・・・テストの採点するのは、教師なんだから、当たり前でしょ?」
「わたしがマメって言うのはね。音楽教師の蘭が、いつも小まめに、筆記の小テストをやってる事についてだよ。作るの、大変じゃない?」
「うん。まあ、それに、結構、生徒達からはブーイングもあるんだよね。音楽の授業なんて、暇つぶしか、休憩時間か、他の教科の勉強をする内職の時間としか考えてない子も多くて。筆記の小テストなんか、何でやるんだ?って感じで。でも、今は、普段の小テストの累計で成績を付けて、学期末のテストを行わない事で、納得してくれるようになったわ」

わたしは、声をかけて来た園子に、苦笑する。
わたしと園子が、大学卒業後に、それぞれ音楽と国語の教師としてこの帝丹高校に赴任して来てから、1年以上が過ぎた。

国語は、特に文系では、受験に重要な科目だから、授業やテスト作りに手抜きが出来ず、その分大変だと園子はぼやく。
わたしは逆に、受験に関係ない音楽の授業だから、生徒達もお気楽に構えている。

それはそれで良いと、わたしは思う。
少しばかり、憩いや手抜きの時間があっても良いと思うしね。

帝丹高校では、音楽と美術と書道から、選択して授業を受ける事になっている。
その選択は、毎年度変更出来る。

音楽を選択する生徒は、音楽が得意な者ばかりじゃなく、単に、美術や書道が面倒だから選んだという者も多い。

園子が、採点中のテストを、横から覗き込む。


「へえ。工藤君、音楽の筆記テストも、満点取ってんだ。ああ憎たらしい、授業はすぐにふけるクセして、何やらせてもソツがないんだから」
「そうでもないわよ。彼、最初の頃は、筆記テストも及第点ギリギリだったし、歌は音痴だから、実技ではかなりお情けで通しているようなもんだし」

園子が覗きこんだ時に採点していた小テストは、工藤新一君のものだった。
昨年、わたしと園子とが、新卒教師として帝丹高校に赴任して来た時、入学生だった工藤君。
入試の成績はダントツだったそうだし。
入学後すぐに、探偵としてデビューした彼は、推理に外れがなく、あっという間に、警察から頼りにされるようになって。
今や、「日本警察の救世主」だの、「平成のホームズ」だの、「迷宮なしの名探偵」だのと呼ばれる、全国的に有名な高校生探偵。

警察から事件解決の為に呼び出されて、公欠扱いで欠席早退する事も多いけど、それでも、成績トップを維持している。

園子は、決して彼の事を嫌っている訳ではないようだけど、しょっちゅう、「可愛げがない」だの「憎たらしい」だのと、文句を言っている。

「へ!?音痴なの、彼?」
「うん。よくそこまで音を外して歌えるなと感心する位。なのに……耳は良いのよね。この前聴音テストをやってみたら、彼だけが満点で。すごい、ビックリしたわ」
「へええ。なのに、何で彼が音楽を選んだかって……きっとあれね。美術や書道の実技が面倒、っていうか、時間が惜しかったからじゃない?」
「うん、わたしも、そう思ってんだけどね。音楽が苦手だったせいか、筆記テストの方もかなり悪かったんだけど……ここ最近は、歌の実技はともかく、ペーパーの方は結構いい成績を取るようになったわ」
「分かった!彼、蘭に一目惚れして、だから音楽にしたんだわ!」
「……もう。園子、そんなバカな事、ある訳ないじゃない」

苦笑しながら、そう返したわたしだけど。
心臓は、これ以上ない位に、バクバクいっていた。


わたしが初めて彼と会ったのは、わたしが大学を卒業してすぐの頃。
たまたま、事件現場に行き合わせてしまったわたしは、これまた偶然に、彼の探偵デビューと遭遇する事になったのだった。

その時の彼は、警察から邪魔者扱いされながらも、見事に事件を解決した。
そしてわたしは……。

彼の、事件に取り組む際の真摯な姿勢に、揺るぎない正義感に、その奥にある優しさに……強く惹かれてしまったのだった。
わたしの、遅い初恋。
気付いた時には、どうしようもなかった。

そして、わたしはと言えば。


『はあああああっ!』

工藤君に、見事に犯罪を暴かれた犯人が、一瞬の隙をついて逃げ出そうとするのを、咄嗟の蹴り技で、阻止した。

『すげえ……』

その場に昏倒する犯人を見下ろし。
目を丸くして感心する工藤君の表情に、わたしは何だか、恥ずかしくて、いたたまれなかった。
何でか知らないけど、わたしって、すごくおしとやかに見えるらしいのよね。
それで、空手の達人と知られると、勝手に幻滅される事も多かった。

今迄は、幻滅するような男はこっちから願い下げよ!と思っていたんだけど。
もし、工藤君から呆れられてたらどうしようって、すごく心配だった。



そして。
入学式で、工藤君と再会した時は、思わず天を仰いでしまった。

会えたのは、素直に嬉しかったけど。
きっと彼には、乱暴な女だって思われてるだろうし。
それに……教師と生徒という壁が、立ちはだかっている事を思うと、目眩がしそうだった。


といっても。
そもそも、彼の方はわたしのような歳もうんと上で空手技をかけるような女の事なんて、きっと……歯牙にもかけてないだろうって思うんだけど。


文武両道で見た目もカッコイイ工藤君は、とっても、もてる。
わたしのような年増女の出る幕なんて、きっとない。
ああ、切ない。


「失礼します」

突然。
耳にしっとり馴染むテノールの声が、職員室の入り口から聞こえて。
わたしは飛び上がりそうになった。

「お、工藤、今日、週番だったのか?」
「いや。前に早退した時、代わってもらったんで、今日は僕が代わりに」
「そうか。ま、探偵としての活動も大事だろうが、高校生活も大事だ。頑張ってくれ」
「はい」

「……噂をすれば、何とやらだね」
「そ、園子!」

園子は、小声で囁いたのだけど、工藤君は耳が良い。
やっぱり聞きつけたらしく、こちらに近寄って来る。

わたしは、慌てて俯き、採点の続きを始めた。

「鈴木先生、毛利先生、一体、何の噂をしてたんですか?」
「事件にかまけているクセに、いつもテストの点数が良い、どこかの誰かさんが憎たらしいって話よ」
「ひどいなあ。これでも、それなりに努力はしてるんですよ」
「当たり前でしょ。努力もせずに成績が良いなんて、そんな事、許せないわよ」

園子の言葉は、すごい毒舌みたいだけど、目は笑っている。
結構、この2人、仲は良いのだ。

工藤君は、「それなりに努力してる」って言ったけど。
彼が生来頭が良いのは、事実だろうけど。
でも、多分、水面下で、相当な努力をしている。
だけど、その努力を絶対、表に出して見せようとはしない。


「でも、君にも弱点があるって知って、安心したわ」
「弱点?」
「工藤君、音痴なんですってねえ!」
「……毛利先生。ばらしましたね」
「良いじゃない、別に、わたしにバレても。工藤君、わたしに惚れてるって訳じゃないでしょ?」
「は?当たり前の事、聞かないで下さい」
「今度、カラオケ行こうねえ」
「ったくもう」

園子と工藤君が、屈託なく会話している。
お互い、何の感情もないから出来るんだって、分かっているんだけど。
何となく、寂しい。

「蘭。今度の日曜とか、どう?」
「あ、その日は予定が……」

わたしはつい反射的に、まともに返事してしまって、ハッとした。
工藤君は仮にも生徒。
教師と個人的に遊びに行く訳には行かないのだから、園子も、本気で工藤君をカラオケに誘っていた訳じゃないのに。


「あー!蘭は、その日、お見合いだったっけ!」

園子は、今、思い出したかのように、素っ頓狂な声を上げた。

「ちょ!園子!」

わたしは慌てて顔を上げた。
恐る恐る、工藤君の顔を見る。
彼は、能面のように無表情だった。

「……毛利先生は、お見合いなんかしなくても、引くてあまただと思いますけど。それに、焦らなくちゃいけない程の歳でも、ないでしょ?」

彼の事務的な冷たい声が、わたしの胸に突き刺さる。
園子は、工藤君を煽ろうと、こんな事を言い出したんだろうけど。
工藤君がわたしなんかに、関心を持ってる訳、ないじゃない。

むしろ、片思いなのは、わたしの方なのに。

「そうよ、蘭は、もてるのよ!蘭を見染めたどこぞの御曹司が、蘭のお母さんに、是非にって、申し込んで来たらしいのよねえ。でも、蘭が直接知らない相手だから、お見合いって形を取る事になってさ」
「へえ。そうなんですか。毛利先生、近々、結婚って事になりそうですかね」
「……断るわよ。好きでもない人と結婚する程、飢えてなんかないもん」
「でも、会ってみたら、案外、良い人かもよ」

工藤君は、冷たく素っ気なく言うし、園子は、面白がって焚きつける。


わたしは、小学時代からの馴染であるこの親友にも、わたしの抱える想いは告げていない。
だから、仕方がないんだけど。

工藤君の前で、お見合いの事を、口に出して欲しくはなかったな。
彼の冷たい無表情を見るの、すっごく辛い。

わたしが必死でテストの束を見ている内に、工藤君は、いつの間にか、職員室から出て行ってしまっていた。


「きひひっ。ホント、面白い位、顔色変えるんだから」
「えっ?」
「工藤君よ。やっぱり、あの子絶対、蘭にホの字だわ」
「ええっ?そんな事ないでしょ!全然、顔色変わってなかったよ!」
「いやいやいや。いつもだったら、営業スマイルなのに、今のヤツの顔は、取り繕う余裕、なかったね♪」
「そ、そんな筈……!」

そ、園子のバカッ!
期待させないでよ。
諦めなきゃって、ずっとずっと、頑張ってるのに!


……頑張っても頑張っても。
工藤君の面影は、わたしの中でドンドン大きくなってしまう。

ああ。
何でこんな、不毛な恋をしてしまったんだろう。



   ☆☆☆



そして、日曜日が来た。
気が重い。
けど、取りあえず、義理だけは果たさなきゃ。

わたしのお父さんとお母さんは、決して、仲が悪い訳じゃない……というか、むしろ、仲が良過ぎていつも喧嘩ばかりで、わたしが子供の頃から別居中だった。
でも、わたしが大学を卒業して、1人暮らしを始めると同時に、お母さんは、お父さんの所に戻った。

……と言っても、お母さんのマンションはやっぱり別にあって。

「心配だから、時々様子見に行って、ついでに泊まってるだけよ!」

と、主張するんだけどね。
まあ、その「時々の泊まり」が、週に5日はあるんだから、ほぼ同居してるようなもんなんだけど。
それでも、意地張って認めようとしないのよね〜。


でまあ、今日は、お母さんが買ってくれた服を着る為に、お母さんのマンションに向かった。
ただ。
何か、朝、家を出てから、視線を感じてしまうのは、気のせいかしら?

買ってもらったドレスは、淡い桃色で、結構上品な感じだった。
教師になってそれなりに収入があるわたしだけど、普段はカジュアル服ばかりで、あまり高い服を買う事はない。
改まった場でもなければ、そうそう必要ないしね。

「今日会う相手は、若手で将来有望な弁護士だけど……ま、別に、誰か偉い先生の紹介とかじゃないから、気楽にね」
「お母さん?」
「ま、でも、たまには良い経験になるでしょ。さすがに、もう24になるのに、全く男っ気なしってのもねえ」
「……多分、その気にはなれないと思う、わたし」
「蘭?もしかしてあなた、誰か好きな人がいるの?」
「い、いないわよ、そんな人!」

妙に固い所があるお母さんに、7つも下の高校生の男の子が好きだなんて、とても、言えない。


わたしは、高校大学と、どういう訳か、恋愛とは無縁だった。
それなりに、声はかけられたんだけど、どうしてもその気になれなくて。
恋人が出来ている友人を羨ましいとも思えなくて。

特別、男嫌いって訳じゃないけど、友人としてなら良いんだけど、それを超えて親しくなりたいと言われても、応える事が出来なかったのだ。


だから、工藤君に出会ってすぐの頃、いつも彼の事を考えてしまう事とか、心臓がドキドキして止まらない事とか、授業でつい苛めてしまう事とか、自分でも戸惑っていて。
それが何を意味しているのか分かるまで、時間がかかってしまった。



ホテルの個室レストランで、目の前に座った男性は、きりっとした感じの、見た目も悪くない人だった。
正式なお見合いではないからと、お母さんはレストランの前で別れて、同席してない。

料理は美味しいんだろうけど、何となく気づまりで、味もよく分からない。
彼は、弁護士だけあって、話す事には慣れているようで、色々と如才なく話を振って来る。
わたしは愛想笑いを浮かべて、それに応じていた。


彼は今日、どうしているだろう?
もう、サッカーは止めてしまっているから、部活はない。
事件で警察に呼ばれているのか、それとも、知識を仕入れたり体を鍛えたりしているのか、推理小説でも読みふけっているのか?


いつの間にか、食事は終わっていて。
目の前の相手が立ちあがったので、わたしも立ち上がる。


「今日は、ありがとうございました」
「蘭さん、この後、予定はないんでしょ?だったら、もう少し付き合ってもらえないかな?」

わたしが別れの言葉を言うより先に、相手に言われてしまう。
そりゃ、暇と言えば暇だけど……でも、この人とこれ以上、一緒に過ごすのは、嫌だな……。
嫌いって程ではないけど、2人きりであんまり長い事一緒にいたい相手じゃ、ない。


もう少し付き合ってと言われても……もう2度と、会わない積りだし……。

それに……誰とも付き合っている訳じゃないから、浮気って事ではないんだけど。
工藤君を裏切っているような気がして、すごく後ろめたい。
裏切るも何も、彼の方はきっと、わたしの事なんて、何とも思ってないんだけどね。


考え事をしていたら、ドアが閉まる音がして、わたしは我に返った。

「え……?」


ここって、ホテルの個室じゃない?
何で?


背後から抱き締められそうになって、気配をいち早く感じたわたしはそれを避けた。
振り返って距離を取る。

「何するんですか!?」
「ここまでノコノコついて来て置きながら、それはないだろう?」
「わたしは……!」

上の空だったので、まさか個室に連れ込まれているとは、気付かなかっただけ、なんだけど。

「ごめんなさい。考え事してたので、本当に気付かなかったんです。でも、あなたとお付き合いする気はないので……」

相手は、少し焦った表情になる。

「そういう風に決めつけないでよ。ベッドでの相性を確かめてからでも良いんじゃない?俺は、君をうんと気持ち良くさせる自信があるよ」
「嫌です!」

わたしの中に、少しはあった気遣いも、段々なくなって行く。
少し強引に行けば、女は簡単に落ちるって思っているのかしら、この人。

あ……でも、そうね。
簡単に落ちる女性も、いるのかも。
人の好みはそれぞれだし。

でも、わたしは……。


なんて事を考えていると、彼は強引にわたしを抱きすくめようとして来て、わたしはまた距離をあける。

「……無理やり行動に出ようっていうんなら、母に顛末を言いますよ」
「無理やり?そんな事はしないよ。蘭さんも絶対、その気になるんだから」

やだもう、超勘違い男!
女は誰でも、自分に惚れるとでも、思っているのかしら?

どうしよう。
やだなあ。
素人相手に空手技は出したくないけど、背に腹は代えられないかも。


わたしは仕方なく、息を吸って、構えようとした。
と、突然。


「先生!」


ドアが開いて、飛び込んで来たのは、工藤君だった。


「な……何だお前は!?」
「工藤新一。探偵さ」

不敵な笑いを浮かべている……と言いたいところだけど。
何となく、顔が引きつっているような、焦った感じがある。

わたしは、工藤君がここにいるという思いがけない事態に、頭が真っ白、思考停止状態になっていた。


「……聞いた事がある。高校生探偵と持ちあげられている工藤新一……確か、帝丹高校生だったな。なるほど。察するところ、憧れの毛利先生が、他の男のものになるって聞いて、乗り込んで来たってワケか。けど、お前のような坊やの出る幕じゃないんだよ。帰った帰った」
「くっ……!」

えっと……。

工藤君は、顔を悔しそうに真っ赤にさせている。
何が何だか、分かんない。
一体、どういう事なんだろう?

「毛利先生は、結婚するんだ。君のような坊やの出る幕じゃない。これから、毛利先生と俺とは、大人の時間を過ごすんでね……」
「先生……この人と結婚するの?」

お見合い相手の勝手な言い分と、工藤君の傷付いたような顔に、わたしは我に返った。
間違っても、工藤君に勘違いなんか、して欲しくない!

「か、勝手な事、言わないで!わたしは、結婚なんてしない!そもそも、あなたとお付き合いなんか、する気ありませんし!」
「へえ?蘭さんって、純情そうな顔して、教え子まで、たぶらかしてたんだ?」
「なっ……!」
「失礼な事、言うな!先生はそりゃ、帝丹高校生徒達の憧れの的だけどな!先生の方は、生徒達を分け隔てなく見てる!」

わたしが反論するより先に、工藤君が、顔を真っ赤にして怒鳴った。
あの……嬉しいんだけど……工藤君、わたしの事、買い被り過ぎよ……。
だってわたし、生徒を分け隔てなく見てなんか、ないもの。

今日、工藤君がこの場に現れたのは、わたしを守る為、らしい。
それは、正直、とても嬉しかった。

でも、ちょっと拙いような気がする。
工藤君も、高校生探偵をやっているだけあって、そりゃ弁は立つけど。
目の前のこの男性は、何と言っても弁護士。
相手をやり込める弁論術は、工藤君を上回ってるかもしれない。


「まあ、実際のところ、君達が出来てるなんて、思ってないけどね。君がただ一方的に、綺麗で優しい毛利先生に憧れているだけで。毛利先生のお見合いと聞いて、乗り込んで来ただけだろう?」
「そうだよ。毛利先生が、合意の上でなら、オレも乗り込む気はなかったけど。アンタは、強引に先生を……そんなの、許せないからな!」
「なるほどね。だが、あんまり、俺を侮らない方が良いと思うよ?俺の機嫌を損ねたら、どういう事になるか。蘭さんが色よい返事をしてくれさえしたら、俺は何も言わないが。ここで、断るなら、蘭さんと工藤君とのスキャンダルをでっち上げる事も、簡単なんだよ、俺にはね」
「……脅す気ですか?アンタ、最低だな」
「何とでも。って事で、蘭さん。どうする?」
「えっ?」
「ここは、大人しく従った方が、あなたの為だって思うよ」
「あ、あの……?」
「大丈夫。蘭さんのようなイイ女、一度寝たらポイ、なんて事はしないから。これからも大事にする」

わたしにも、ようやく話が見えて来た。
工藤君とのスキャンダルをでっち上げられたくなかったら、大人しく抱かれろって事なのね?

冗談じゃないわ!
わたしの気持ちは、そりゃ、あれだけど。
ずっと、気持ちを押し隠して我慢して、頑張って来たのに!
それに、工藤君は潔白なのに!

後々面倒な事になるかもしれないけど、ここはいっそ、空手技を使った方が……と、わたしが構えようとすると。

工藤君が携帯を取り出し、ボタン操作を始めた。
そして、画面をこちらに向けて見せる。

画面には、動画らしいものが映っていた。
何しろ、携帯画面なので、よく分からないけど、薄いピンクのワンピースを着た長い髪の女性と、スーツを着た男性がいた。
この壁紙とこの服、どこかで見たような……と考え、ハッと気づく。

映っているのは、わたし達だ!

『何するんですか!?』
『ここまでノコノコついて来て置きながら、それはないだろう?』

つい先ほどの、ここでの出来事が、録画されている!
一体、どこから?
工藤君が、わたしの疑問に答えるように、室内にあったスタンドの方に歩いて行った。
そこに、小さなビデオカメラが、設置されていた。

「……どうです。よく撮れているでしょう?台詞も全部、バッチリ納めてありますよ。いくらあなたが有能な弁護士でも、この状況を言い抜けるのは困難だと思いますが?」

工藤君が、口の端を上げて、言った。
男性は血の気の引いた顔で、くっと声を漏らした。

「……盗撮なんかして、タダで済むと思うのか?」
「さあね。でも、オレより先にアンタの方が、窮地に陥ると思いますけどね」

男性は、ガックリとうなだれた。
確かに、部屋の中に勝手にビデオカメラを設置して録画していたのは、違法なんだろうと思う。
でも、この映像が公になったら、盗撮の罪を暴くより先に、彼の言動の方が問題になりそうだ。
悔しそうに歯噛みする男性に、わたしは、頭を下げた。

「……今のわたしは、教師という仕事が大切です。恋愛にも結婚にも、興味なんかありません。お会いしてみて、あなたの事、友達以上には見られないと思いました。これ切り、会う積りはありませんので、どうぞご了承ください」

わたしは、なるべく冷静にと心がけながら、男性に告げた。

「それじゃ、失礼しますね。工藤君も、行くわよ」

わたしは、ドアを開けた。
男性は忌々しそうな表情だけど、何も言わなかった。
そして、工藤君はわたしに着いて出て来た。


わたしは、大きく息をついた。
すごく、疲れたような気がする。

工藤君の方を振り返って、わたしは告げた。

「工藤君。今日は、どうもありがとう。でも、一体、どうして?」
「そ、それは、あの……た、たまたま、こっちの方に用があって……そこでドレス姿の先生を見かけたから……お見合いの事を思い出して……」
「それにしては、ビデオカメラをあらかじめ設置してたり、ドアに自動ロックが掛からないよう細工してたり、手際が良過ぎない?」

わたしが指摘すると、工藤君は、うっと詰まった。
そして、顔を赤くしながら、言った。

「すみません!本当は、最初から見張ってました!あの男の後をつけて、部屋を取っている事を知って……オレは……!」
「わたしを、守る為に?でも、わたし、空手技があるから、大丈夫だったのに」
「だって……先生が空手技使ったら、あの男の事だ、暴行を受けたとして先生を訴えたでしょう?」

そうね。
確かに、そうだわね。

工藤君が来てくれなかったら、わたしは、彼に空手技を掛けていた。
その場合、今回の工藤君の「盗撮」程度では済まない事に、なっていただろう。

わたしは、先に立って歩き出した。
彼は、後をついて来る。

わたしは何となく、人込みを避けて。
ホテルの近くにある、ビルの屋上の緑地庭園へと、足を向けていた。


「……うん。彼は弁護士としての腕は確からしいし。何にしても、助かったわ」
「先生。今回は、その気になれなかったみたいだけど……わざわざお見合い話を受けたって事は、相手次第では結婚しても良いって思ってた?」
「違うわ。ただ、断れなかっただけ。1回食事したら、それで終わらせる積りだったのよ」
「……先生……好きな人って、いないの?」


わたしは、思わず立ち止った。
工藤君の表情は、何だか頼りなげな感じで。
一体、何を考えてこんな事を言ったのか、想像がつかない。

「……いないわ……」

わたしは、彼の目をしっかりと見て、嘘をついた。
だって、本当の事は言えないし。
だからと言って、好きな人がいるって言ったら、その後、誤魔化しなんて、出来なくなる。

「でも、結婚は、したいって思ってるよね?」
「……まあ、そりゃ、いずれはね。出産とか子育てを考えると、出来れば、20代の内に、って思ってるけど。まだ5年位あるし、焦らないで置こうと思うの」
「そ、そうか……」

工藤君が、ホッとしたような表情になった。

「でも、工藤君、何でそんな事、きくの?」
「オレさ。頑張って早く一人前になるから……だから……」
「えっ?」

わたしは、彼が何を言っているのか分からず、思わず変な声を出していた。
振り返って立ち止まったわたしの前に彼が迫って来て、すぐ間近に立った。

こうやって、間近で向かい合うのは初めてで。
彼の顔を見上げながら、すごくドキドキしていた。

「だ、だから、その……」

彼が、真っ赤になって、口籠る。

「駄目だよ、結婚しちゃ!」
「はぁ?」

わたしは、きっとものすごく、間抜けな顔をしていたと思う。
工藤君の言ってる事は、矛盾だらけで、よく分からない。

「何で?」
「オレが、困るから……!」
「だから!わたしが結婚したら、何で工藤君が困るワケ!?」
「……先生が20代の内に、必ず迎えに来っから!待っててよ」
「えっ?」


工藤君は、必死な表情で、その目が心なしか揺らいでいる。

人影もまばらな屋上庭園を、風が吹き過ぎて行く。
葉ずれの音がして、濃い緑の間から優しく眩しい日の光が射す。

どれ位の間、2人黙って、立っていたのか。

「あ……な、何か……プロポーズみたいだね。先生、ちょっと焦っちゃった」

あははと、笑い声を立てようとする前に。
わたしは……温かく逞しい腕と胸に包まれていた。

工藤君に抱き締められているのだと認識するまで、少し、かかった。


「く……工藤君?」
「……っ!ごめん……」

わたしが思わず彼の名を呼ぶと、彼は息をついて、そっとわたしを離した。

「……みたいじゃなくて……プロポーズだよ……」
「えっ?」

彼は、真正面からわたしを見た。
その眼差しが揺れている。

「好きだ……」
「く、工藤君……」
「ごめん。迷惑だったよね?」

工藤君は、辛そうに目を伏せた。


わたしが、彼の言葉を認識出来るまで、少しの間があって。

それから、驚きが訪れ。

少しずつ、歓びが、わたしの心を満たして来る。


わたしは、一歩前に出ると、そのまま、彼に体を預け、背中に手を回した。


「せ……先生?」
「嬉しい。わたし、ずっと片想いだって、思ってた」
「毛利先生……?」
「好き。初めて会った時から、ずっと」

わたしは、彼に縋りついたまま、顔を上げた。
彼が、目を見開いてわたしを見ている。


「蘭って、呼んで?」
「……蘭……?」

わたしの体を、甘やかな幸福感が突き抜ける。

「なあに、新一?」

工藤君は……新一は、わたしをギュッと抱きしめ、頬擦りした。
わたしの唇に、ぎごちない口付けが降りて来る。



初夏の風の中。

こうして、わたし達の、「誰にも内緒」の関係が、始まった。




to be continued…?






+++++++++++++++++++



始めてしまいました、新一君生徒と蘭ちゃん教師のパラレル。
この二人は、幼馴染ではなく、教師と生徒という立場で、初めて出会ったのです。

色々な意味で、現実的ではないですが、そこはご容赦ください。禁断の関係の二人。ですが、このお話では、あんまり、シリアスにしたくないので。
色々とハプニングはあっても、2人が本気で苦しむようなあれこれは、やりません。

季節がずれているのも、ご容赦ください。
次はクリスマスのお話で、クリスマスには間に合わせたいと考えています。

この第1話は、裏に隠す程のものではないですが。
その内、そういうお話になります。

最初に考えたタイトルでは、ネタばれになってしまうので、別タイトルをつけました。

戻る時はブラウザの「戻る」で。