むらさきの にほえる……



byドミ



(伍)罪に堕ちた夜



 新一は、足繁く新出邸に通い、泊まる事も多かった。

 蘭は、新一が訪れた時には細やかに気を配って面倒を見る。ひかるがそういう風に配慮をしてくれている面もあるが。ひかるは身重なので、その方が負担がかからないという事実もあり。
 新出医師も、ひかるから蘭の気持ちを聞いているのか、喜んで任せてくれるようになった。

 新一は、しばしば訪れる事で新出家の負担になるのではないかという事は、気にしている様子で。新出医師が金銭の礼は受け取らない(と言うか気を悪くする)為、「自分が食い扶持を減らしているから」と食材や、時に「いつもお世話をかけている蘭さんに」と呉服などを持って訪れるようになった。

「まあ、素晴らしい着物!蘭様、子爵様はやっぱり絶対、蘭様の事、憎からずお思いですわ」
「ええ?だってこれ……こちらに泊まってお世話になっているからって事だし……」
「何を仰います、そんなの『口実』ですよ。だって、そうでも言わなきゃ、蘭様はお断りなさるでしょ?」


 新一が持って来た着物は、娘でも既婚者でも使える小紋だが、上等な生地であるのは、すぐに分かった。鮮やかな紅の生地に、白い花模様が美しい着物である。工藤伯爵家は、身分が高いだけではなく、経済力もあるので、この程度のものは痛くも痒くもないのかも知れないが、このような高価なものは、気が引けた。しかし、返すのも失礼であるのは、分かり切っていた。

 新出医師が、少しからかうような目付きになって言った。

「蘭さん、気をつけた方が良いかも知れません。工藤子爵は、欧州や米国に滞在した事もあるし、西洋の文化にも明るい方だが。あちらでは、『女性に服を贈るのは、それを脱がすのが目的だ』という言葉があるそうですよ」

 新出医師の言葉に、最初きょとんとしていた蘭は、ぶわっと真っ赤になった。

「ま、まさかそのような。あの方は、紳士でいらっしゃるし」
「基本的には、そうですね。でも、男の欲望というものを、甘く見ない方が良いですよ。工藤子爵がいくら紳士でも、惚れた女性に対してどこまで抑えが利くものか、私には保障出来ませんね」

 新出医師は真面目くさってそう言ったが。蘭は、まさかという思いしか抱かなかった。



「あ、あの……」

 蘭が、贈られた着物を着て新一の前に現れると、新一は目を細めて蘭を見た。

「ああ。呉服屋に選んで貰ったんだが。良く似合うよ、蘭さん」
「このような上等なものを頂いて、構わなかったのでしょうか?」
「勿論。いつも、この家でお世話になっているお礼だし」

 新一はいつも結構素っ気無いのに、今日はストレートに褒めてくれたりしたので、蘭の胸はドキドキと高鳴った。


 新一が、湯浴みをしている間に。
 蘭はいつも、新一の着替えを更衣室に置き、洗濯物を持って行き、新一の部屋の寝床を整える。

 いつもだったら、新一が自室に引き上げるまでにその作業は終えてしまうのだが。蘭は、作業を終えた時に、目に映った着物の模様に目を奪われ、甘やかな思いに酔って、新一が寝泊りする寝台に寄り添ってぼんやりとしていた。
 新一は、単に礼として贈って来ただけなのだと、どんなに自分に言い聞かせてみても。甘やかな思いは胸に広がったままだった。

「蘭さん?」

 自分の夢想に浸っていた蘭は、声をかけられて飛び上がる。

「し、子爵様!申し訳ありません!」
「何故、謝るんだ?オレの部屋の寝床を整えていてくれたのだろう?……ここに泊まる度に、世話をかけるね」
「い、いえっ!そのような事!」
「ああ。やっぱ、その色、オメーに良く似合うな。呉服屋で、この色が良いって思ったんだが、正解だった」

 蘭は大きく息をした。新一が蘭の為に見立てて選んでくれた、そう思うと、鼓動が速くなるのを止められなかった。

「……にしても。男の部屋の寝台に寄りかかっているなんて。んな無防備な姿、晒さねえ方が良いぜ」
「え……?」


 新一が蘭の傍に屈みこんで。
 次の瞬間。蘭は何が起こっているのか、分からなかった。

「ん……ふっ……」

 蘭は、自分自身のくぐもった声で、我に返った。
 蘭の体は、優しく力強く温かく、拘束され。唇が温かく湿ったもので覆われていた。
 
 新一の逞しい腕と胸板で抱き締められ、口付けられて居るのだと気付いて、蘭の全身が震えた。唇が熱く熱を持ち、頭が痺れるような快感が走る。その自身の感覚にも、蘭は戸惑っていた。

 ようやく新一の唇が離れた時、蘭は肩で大きく息をした。

「し、子爵様……?ど、どうしてこんな……」
「……オメーがあんま無防備で可愛いからさ」
「お、お戯れを!からかうのはお止め下さい!」
「からかってなんかねえさ。戯れでもねえ」
「じゃあ……んっ!」

 蘭は再び抱き締められて、唇を奪われた。唇が触れ合うだけの、ついばむような口付け。蘭は逆らえず、徐々に力が抜けて行く。
 新一の手が、着物の上から蘭の胸に触れた。蘭はビクリと身を震わせる。

 その時。

「蘭様?どこにいらっしゃいます?」

 ひかるが蘭を呼ぶ声が聞こえ、新一と蘭は誰かに見られた訳でもないのに、思わずぱっと離れた。
 蘭は逃げるように新一の部屋を後にした。


   ☆☆☆


「やべえよなあ……」
 蘭が去った部屋の中で、新一は独りごちた。
 蘭に触れて抱き締めて、自分のものにしたいと。その欲望がある事は、はなから自覚していたけれど。ああいう風に、行動に出る積りはなかったのに。

 思わず触れてしまった蘭の唇は、想像以上に柔らかく甘く。思い返すだけで、新一の体の芯が熱を帯びてくる。

「拒んでは、嫌がっては、居なかった……よな?それとも突然で、対応出来なかっただけか?」

 蘭が今の出来事を、新出医師に話す事はないだろう。そのような事をすれば、蘭自身が困るだけだろうから。

「それにしても、あいつは、何でああも無防備なんだよ?」

 新一は溜め息をついた。
 初めて会った時の蘭は、簡単に男性を近寄らせないところがあった。男性の事をきちんと分かっている風ではなかったが、おそらく無意識にだろう、無防備そうに見えてそうではなかった。
 けれど。良く考えてみると、内田麻美突き落とし事件の後、蘭は新一に対して警戒心をすっかり解いたようである。

「親しくなると、ガードが緩む……か……。蘭は、だから新出さんと?医師と患者という関係で、無防備になって、その身を任せたって言うのか?」

 蘭が駆け落ち同然に(と新一は思っている)新出氏の元に来たのは、その前に蘭が新出氏に身を任せたからであろう。蘭と新出氏を見ていると、新婚の割に淡白な雰囲気なので、2人は深く愛し合ったというよりは、流されて関係を持ってしまったというのが、本当のところなのではないかと新一は考えた。
 蘭が新出氏に身を任せる姿を想像してしまい、新一は慌ててそれを頭から追い出した。

 蘭が、新出氏のものになる前に。舞踏会で、蘭とダンスを踊った、ベランダに連れ出して口付け、そのまま休憩室に連れ込んでいれば、蘭は今頃、新一のものになっていたのだろうか?

 そこまで考えて、新一は頭を振った。今更過ぎた事をくよくよ思い悩んでも、どうなるものでもない。

 蘭が、既に他の男にその身を捧げていたとしても、構わない。改めて、奪い取るまで。それがどんなに人倫にもとる事であったとしても。
 思い詰めた新一の目に、暗い情念の炎が浮かんでいた。


   ☆☆☆


「おはよう」
「おはようございます」
「子爵様、良くお休みになれましたか?」

 朝、目覚めて身支度を整えた新一が、食堂に現れると。
 新出医師とひかるは、いつもどおり屈託のない笑顔で迎えた。そして蘭は、目を逸らし、俯いていた。昨夜は眠れなかったのだろうか、目が少し赤く腫れぼったい。

「子爵様、今日は早い時刻から、患者さんが待っているので。私はもう、病院の方に失礼します。子爵様は、お時間の許す限り、ごゆるりとどうぞ」

 朝食が済むと、新出医師はそう言い残し、ひかるを伴って医院の方へと去って行った。

 その後姿を見送りながら、やはり新出医師は蘭から何も聞かされていないようだと新一は思った。自分の妻にけしからぬ振る舞いをした男と、妻とを、2人だけで残す筈がない。どうしても病院に行かなければならないのであれば、連れて行く筈だ。


「子爵様。お茶のお代わりは?」

 蘭が、新一の方を見ないままに、問うて来た。
「いや、もう良いよ、ありがとう。オレも、これから行かなければならない所があるから」

 蘭が、あからさまにホッとしたような様子で頷いたので、新一はムッとする。自業自得だと分かってはいたけれど。


 新一は、台所で片付けものをしている蘭の背後に立って声をかけた。

「蘭」
「キャアッ!」

 蘭はビクリと身を震わせ、その瞬間に手から茶碗が滑り落ちた。
 床は土間で柔らかいが、流石に茶碗は割れてしまう。

「つっ!」

 蘭が慌てて茶碗のかけらを拾おうとして、指を押さえた。

「おい、大丈夫か?」

 新一は駆け寄って、蘭の手を取り、指を見た。

「傷は大した事ねえな、良かった。この位だったら、舐めときゃ治る」

 僅かな切り傷と、ホンの少しの出血。新一は、蘭の指を自分の口に含んだ。蘭が息を呑む気配が伝わってくる。
 新一は、蘭を抱きこんで、目を覗き込んだ。蘭の体が震え、逃れようとするかのように身を捩る。しかし、蘭も本気で振りほどこうとはしていない。新一は、決して力尽くで押さえつけている訳ではないのだ。

「蘭。何で、オレを避ける?」
「だ、だって……昨夜、あんな……」
「あんな?」
「子爵様、遊びなら私は……!」

 蘭が目に涙を溜めて、頬を紅潮させて新一を睨む。

「本気なら、良いのか?」
「だって、本気なんてそんな事、ないでしょ!?」
「何でだよ」
「だって、子爵様、ずっと……素っ気無かったし……」
「ああ。そりゃ、オレも……どういう態度取ったら良いのか、分かんなかったからさ」
「え……?んんっ!!」

 新一が、蘭を深く抱き込んで口付けても。
 蘭は、一瞬身を強張らせたが、抗う様子はなく。そのまま新一にしがみ付いて身を預けて来た。

 新一はついばむように角度を変えながら口付けを繰り返し。
 そっと蘭の唇を舌でなぞると、蘭がぶるりと身を震わせた。そして、僅かに開いた蘭の唇の隙間から、舌を侵入させ、蘭の口内を犯す。震えて奥に逃げようとする蘭の舌を捕らえ、自分のそれを絡めた。

「んん……ふっ……んっ!」

 新一が、ようやく、理性を総動員させて蘭の唇を開放した時。蘭はうるんだ目をして、大人しく新一の胸に抱かれていた。
 少なくとも、拒絶はしていないし嫌がってはいないと、新一は確信する。それはまた、蘭が「夫が居ても簡単に他の男に流されてしまう女性」である事を意味している(と新一は思い込んだ)のだから、手放しで喜べる事ではなく、別の意味で苦いものが胸に満ちていたのだが。
 新一は、蘭を優しく抱き締め、髪を撫でながら言った。

「蘭……オレは、舞踏会なんか苦手で、母親にきつく言われて嫌々通ってたんだが……オメーと出会ってからは、オメーと会う為だけに、それだけを楽しみに、通うようになったんだ」

 蘭が、はじかれたように顔を上げ、目を見開いて新一を見詰めて来た。

「遊びなんかじゃねえ、本気だ。本気で、オメーが欲しいんだ、蘭」
「子爵様……」
「オメーが舞踏会に顔を出さなくなって、オレは随分心配して、探してたんだぜ。もっと早く、モーションかけとけば良かったと、どれだけ後悔したか。それがまさか、ここで再会するなんて、夢にも思わなかった」
「……」
「今日は、残念だが時間切れ。これからどうしてもこなさなきゃならねえ用事があるからな」
「子爵様」
「また、来るよ」

 そう言って新一は、蘭に今度は軽く口付けた。
 蘭は抗う事なく、黙ってそれを受け入れた。



 新一は、後ろ髪引かれる思いで新出邸を後にした。
 伯爵令息といっても、遊んで暮らしている訳ではない。新一は父親の事業を手伝っており、人と会うのも遊びではなく接待が殆どだ。
 おまけに、工藤優作新一親子は、その推理力と立場を生かして、密かに公安関係の手伝いもしている。身分が高く警察が簡単に手出し出来ない家の不正を暴く仕事だ。
 加えて新一は、事件が起これば首を突っ込まずには居られない。

 新一はそのような多忙な生活の中で、新出邸に遊びに行く時間を捻出していたのだが。今日はせっかく蘭と二人きりで過ごせるチャンスだったのに、どうしても外せない仕事があったのだ。
 しかもこの先、数日は、とても新出邸に遊びに行ける状況ではない。


 風戸侯爵家が、表向きの資産や事業以上に、非常に羽振りが良い状況であり、何らかの後ろ暗い商売に手を染めている様子である。工藤家より格上の家柄の不正だから、調査は慎重を極めている。
 今日は、表向きは取引相手の接待として、新一は風戸伯爵家の御曹司・風戸京介子爵を含めた数人と、会う約束になっていたのだった。


   ☆☆☆


 蘭が新一に口付けられた後、暫く新一の訪れはなく。
 蘭は、やはり新一の行動は戯れだったのだろうかと悲しく思い始めていた。

「私には……初めての口付けだったのに……子爵様には、きっと、どうという事もないのだわ」

 新一が、蘭を捜していたと知って、凄く嬉しかった。あの、激しさも熱さも、言葉も。全て嘘だったとは思いたくない。

 いや、たとえ戯れでも嘘でも構わなかった。新一にとって、遊びでも気紛れでも、それでも良い。けれど、あれきりだというのが、悲しかった。


 新一が次に新出家を訪れたのは、1週間ぶりだったが、待つ身の蘭にとっては、とても長く打ち捨てられていたように感じてしまった。


 その日は特に蒸し暑く、夕暮れ時は暗く、天候が不安定だった。そのような中ひかるは、診察中の新出医師に代わり、かかり付けの患者のもとへ、薬を届けに出かけた。
 しかし空が暗くなり天候が崩れ始めても、ひかるは帰って来ず、新出医師も蘭も、そして新一も、いたく心配し始めた頃。一人の男が、新出医院に駆け込んで来た。

「先生!うちのヤツが夕方から急に苦しみだして……!今、ひかるさんが看てくれてんですが、急いで先生を呼んで来るようにと言われて……!」
 新出医師はすぐさま、往診用の道具を整えた。
「工藤子爵、蘭さん。天候も悪いし、今夜は帰って来られないかも知れない。まことに済みませんが、留守をお願いします」
 そう言い置いて、新出医師は出かけて行った。

 雨が降り始めた中、新一と蘭は、お互い押し黙ったまま、食事を取った。
「先生達、大丈夫かしら……」
 蘭がポツリと呟くように言った。
「ああ。新出さんは若いが、腕は確かだし」
「それに、ひかるさんも……最近体調は良いようだけど、普通の体じゃないのに……」
「……新出さんがついてる。それに、患者を診てて新出さんを呼び出した位だから、大丈夫だろう」
「ええ、そうですね。雨が降り出したし……患者さんが落ち着いても、先生達は泊まって来るでしょうね」

 今夜は、新一と二人きり。蘭はドキリとする。
 けれど。

「くよくよ心配しても、仕方がない。蘭さん、今夜はあなたも早く休みなさい」
 新一はそう言って。
 蘭を抱き締め、かすめるように一度だけ口付けると、蘭に自室へ入るよう促し、自身は客用寝室へと向かった。


 蘭は、自身に割り当てられている部屋で浴衣に着替え、横になった。
 一応、蘭を預ける立場の毛利家から、蘭の生活に当てる費用といくばくかのお礼は新出家に支払われているものの、こうやって良い部屋をあてがわれ、新出家には多大な迷惑をかけていると、蘭は申し訳なく思う。

 自分自身は、看護婦として新出医師の手伝いが出来る訳でもない。家事は一通りこなせるし、多少の手伝いはするものの、かえって気を使わせてしまう面もあるし、ひかるの主婦としての立場を考えると、あまり出しゃばった真似も出来ない。

 早いところ、どうにか手立てを考えて、これ以上迷惑をかけない内に新出家を出て行かなければと思う。けれど、ここ最近は、時々新一が訪れるのが楽しみになっていて、迷惑と思いつつも新出家を離れ難かった。

 往診先で身重のひかるが大丈夫か、それも気になっているけれど。
 今夜、同じ屋根の下に新一と二人と思うと、蘭は落ち着かなかった。

 新一は、別に動揺している様子もなく、落ち着いたものだと蘭には思えた。
 この前は、このまま奪われるのではないかという激しさで口付けて来たのに、今夜は軽い口付け一つで蘭を開放した。つまるところ、新一の蘭への興味はその程度なのだろうと、蘭は悲しく思った。
 新一は、女を道具として扱ったり弄んだりする人ではないと、信じているけれども。通いどころの一つ二つ位は持っており、女に不自由はしていないだろうと、蘭は思い込んでいた。


 蘭は不安そうに、時々光り出した夜空を見る。
 毛利家では、数少ないが使用人も寝泊りしていたし、同じ屋根の下に両親が居た。それに、蘭の部屋は鎧戸を閉めると稲光も見えず雷も随分和らぐので、このような夜でも安心してやすむ事が出来たが。新出邸の蘭の部屋では、鎧戸を閉め窓の内側の障子を閉ざしていても、暴風雨の様子が伝わって来る。

 蘭は、段々近付いてくる雷鳴に怯え、布団をかぶって震えながら、新一の事を思い浮かべて必死で耐えていた。

 けれど、ひときわ近くで雷鳴が轟いた時、蘭は耐えられなくなり、布団を飛び出して、廊下を新一が居る筈の部屋に向かって走っていた。
 新出夫妻が不在のこの家で、夜、新一の部屋を訪れたらどうなるのか、重々分かっていたが。蘭は、むしろそれを望んでいる自分を自覚していた。


   ☆☆☆


 新一は、眠れないままに溜め息をついて寝返りを打った。
 この一週間、風戸侯爵家の不正調査で、ロクに寝る間もない位忙しかったのに、眠気は襲って来ない。

 風戸侯爵家は、いまだに尻尾を掴ませなかった。新一とて、数日でけりがつくと思っている訳ではなかったし、長丁場の戦いを覚悟している。工藤家が逆に窮地に立たされないよう、慎重にやらなけらばならない気疲れもあった。

 ようやく、時間を作って、蘭の顔を見に来て。蘭に会えた事で確かに疲れも吹っ飛んだのだが、あろう事か今夜は一つ屋根の下に蘭と二人きりになってしまった。
 この状況で、眠れる訳がない。新一の下半身はどくどくと脈打ち、その存在を誇示する。

 何度も、想像で蘭を犯す。泣き叫ぶ蘭を押え付けて力尽くで奪う夢想を、繰り返す。
 けれど、現実にそのような事が出来る訳がない。

 あれ以上、蘭と二人きりで居たら、きっと自分を止められなかった。食堂の床に蘭を押し倒して、無理矢理に奪おうとしてしまったかも知れない。そして、蘭に泣かれたら、抵抗されたら。その時点で、新一にはそれ以上の事は出来ず、蘭に完全に拒絶されて全てが終わりだ。
 新一は、蘭を手に入れたいと思っていたし、荒れ狂う程の欲望はあるけれど。それでも、蘭の体を力尽くで奪い、一時の快楽だけに溺れ満足する積りはなかった。
 それに、どんなに蘭を手に入れたくても、蘭を大切に思う気持ちの方が大きく。蘭がもし泣いて嫌がったならば、それ以上の事は決して出来ないだろう事も、新一には分かっていた。


 新一は、何度目になるか分からない溜め息をつくと、とにかく体を休めようと目を瞑った。

 夜半。
 雷鳴が轟いた音の少し後に、新一は、ドアのあたりで微かな物音を聞き、身を起こした。もしや侵入者かと飛び起き、ドアに近寄って一気に開ける。

「あ……」
 そこに立っていたのは、浴衣を着た蘭で。思いがけない事態に、新一は頭が真っ白になった。

『おいおい!オレが、どれだけ理性を総動員させて、我慢してると思ってんだ!?』

「ご、ごめんなさい……!」
「や、別に謝る必要はねえけど。どうしたんだ?」
 新一が、必死で煩悩を自制しながら、なるだけ優しく蘭に声をかけた。

「あ、あの……」
 蘭が思い詰めたような表情で新一を見上げる。と、その時、先程よりもっと近くで雷鳴が轟いた。

「きゃあっ!」
 蘭が悲鳴をあげ。あろう事か、新一に抱き着いて来た。胸の柔らかい膨らみと、その頂の果実の感触を、モロに感じてしまい、新一は思考停止寸前だった。
 蘭の体が小刻みに震えているのに気付き、新一は理性を総動員させながら、そっと怖がらせないように蘭を抱きしめた。
「蘭。もしかして、雷が怖いのか?」
 蘭が震えながらコクコクと頷いた。新一は、蘭を抱きしめる腕に僅かに力を込め、耳元で囁いた。
「蘭……今夜、オレの部屋を訪ねるという事が、どういう意味か、分かってんのか?この屋敷には、オメーとオレの二人きり。雷よりもっと怖いかも知れねえんだぞ」
「……それは……あの……」
「オレが理性を保っている内に、自分の部屋に戻った方が良い。でなけりゃオレは……」
 新一は、蘭の頤に手をかけると、戸惑ったように見詰めて来る蘭に、そっと触れるだけの口付けをした。
「子爵様……?」
 蘭が真っ赤になって自分の唇を押さえながら、震える声で言った。
「これ以上オメーがここに居たら、キスだけではすまねえぞ。オメーにその覚悟がねえんなら、オレの押さえが利く内に、部屋に帰んな。でねえと……」
「……構いません……」
「なに?」
「はしたない女とお思いでしょうね。でも……私は……」
 そう言って新一を見詰めてきた蘭の顔は、覚悟を固めているように見えた。新一は、今迄抑えていた欲望が、たがを外して暴れだしそうになるのを自覚していた。
 新一は、今度は強く蘭を抱きしめた。蘭の体は震えていたが、抗う様子はない。
「じゃあ、遠慮はしねえぞ、蘭?」
 新一は、かすれた声で言った。蘭は、何も言わずに震えながら頷いた。
 新一は左腕で深く蘭を抱きこんだまま、右手で蘭の顎をとらえ上向かせると、今度は深く唇を重ねた。
「ん……」
 吐息まで奪われた蘭がくぐもった声を漏らす。
 新一は、深く口付けしたまま蘭を抱え上げると、部屋の中に入り、自分にあてがわれた寝台に蘭を横たえた。

 見上げてくる蘭の瞳には、恐れと戸惑いもあったが、覚悟は定まっているようである。新一は蘭の帯を解くと、浴衣の襟を広げようとした。
 蘭が身震いし、大きく息をついた。
「……子爵様。このような事、罪、なのですよね……」

 新一の胸に、また苦いものが満ちてきた。蘭と新出家で再会してから、何度も覚えている感覚だ。
 新一と友人である筈の新出智明の家で、智明の妻を抱く。それが罪である事は先刻承知で。それでも新一は蘭を抱きたかった。

「ああ、そうだな。罪だ。一緒に堕ちよう」
 そう言って新一は、蘭に深い口付けを与えながら、蘭の浴衣の合わせを広げ、柔らかな胸の膨らみに手を這わせた。



(陸)に続く

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<後書き>

はい。
とうとう、です。

蘭ちゃんが積極的。嵐をきっかけに、てのは、以前別の話でも書いちゃいましたが。

新一君の言う「罪」と、蘭ちゃんの言う「罪」は、勿論、意味合いが全く異なります。
次回、どういう展開かは、予想がつきますよね?

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