むらさきの にほえる……



byドミ



(参)事件の顛末



 新一が突き止めた、「内田麻美伯爵令嬢を害そうとした犯人」は、沢井伯爵家の御曹司・学だった。学の犯行動機は、何と、麻美の気を惹くためであった。

 彼は次男であり、沢井伯爵の跡取りにはなれないが、内田伯爵のひとり娘である麻美の婿入りするには充分な身分を持っている。昔から麻美の事をにくからず思っていたのであるが、その麻美嬢は何と、工藤伯爵家の跡取りである新一に熱を上げ、学には目もくれなかった。

 麻美は婿取りをしなければならない立場なのであるし、この時代、普通は、伯爵令嬢が自分の意思で相手を選べるものではないが。麻美嬢を目に入れても痛くないほど可愛がっている祖父の内田伯爵は、麻美が望むのなら工藤伯爵家へ嫁に出しても良いと言い出したのである。
 と言っても、当の工藤家からその縁談は丁重に断りを入れられ、その話自体は消えた。けれど、だからと言って、麻美は学を一顧だにしようとはしなかった。

 そこで、沢井学が考えたのが、麻美を危機に陥れ、それを自分が助ける事で麻美に惚れさせる作戦だったのだ。

 けれど。
 麻美を突き落とし、一旦その場を離れ、舞い戻って麻美を助ける作戦は、失敗した。学が舞い戻る前に、麻美が助けあげられたのである。

 結局、未遂に終わった事もあり、伯爵家の息子である彼は訴えられる事なく無罪放免された。


「本当は僕が助ける筈だったのに。邪魔をして」

 そう言って新一を詰る沢井学に、新一は呆れ返って言った。

「あのな。落ちそうになっている人を助けるのって、思ったより力が要るんだぜ?麻美さんがベランダの柵に何とか捕まったのと、毛利男爵令嬢が素早く麻美さんを押えたのとで、麻美さんは落ちずに済んだんだ。下手したら、取り返しのつかねえ事になっていたって事、よく覚えておくんだな!」


 新一は、調査に協力してくれた蘭の方を見た。
 蘭は眉を寄せて唇を噛んでいた。

「蘭さん?」
「私自身も貴族で、身分に守られているのだから、偉そうな事は言えないのですけど……伯爵家の息子だからって、悪い事をしてもお咎めなしって言うのは、何だか悔しいです……」
「ああ……そうだな……」

 新一も苦い想いを噛み締めた。自分自身が、特権階級として守られている意識は、十二分にある。
 かと言って、自分1人の力で社会を引っ繰り返して変われる訳でもない。

 新一としては、善良な人、弱い立場の人を出来れば守りたいという意志があった。その為にはむしろ、自分の身分でも何でも、利用出来るものは利用してやると開き直っている所があった。

「子爵様を責めている訳ではありませんわ。子爵様は、ご自分の身分を振りかざして理不尽な事をしようとはなさいませんし、それだけでなくて、正義の為にご自分に出来る事をやろうとなさっていますよね。それってとっても、素敵な事だって思います」

 蘭が心もち頬を染めて言ったので、新一はすっかり舞い上がってしまっていた。
 出会って間もないのに、蘭は新一の本質的なところを見てくれて、理解し褒めてくれる。

 新一は、蘭が欲しいと、心から思った。けれど、その為に「工藤家の権力」を使いたくはなかった。

 蘭の心を動かし、身も心も自分のものにしたいと。その為に「自分の力で」何でもしようと。
 そう思ったのである。


   ☆☆☆


 その後、新一は、舞踏会に極力参加し、蘭を見かけたら必ずダンスに誘った。
 蘭は、内田麻美の事件で打ち解けてくれた為か、新一の誘いを断る事なく素直に応じてくれるようになった。

 蘭の肩と腰に手を回す。
 服越しに僅かに触れるだけでも、新一の心臓は跳ね上がり、平静さを装うのはかなりの労力を必要とした。その所為もあって、言葉を出す事も出来ず、自然とぶっきら棒な態度になってしまう。

 蘭も、ダンスの際には無口だ。別れの際にも、お互いに何も言わない。

 けれど、新一は気付いていた。蘭が新一以外のダンスの申し込みには応じていないという事実に。
 最初の出会いの時、蘭は新一の申し込みも、けんもほろろに断っていたから、元々そうなのであろうと思う。蘭も新一と同じく、親の言う事に逆らえず舞踏会に参加はするものの、良く知らない男性と触れ合う行為が嫌であるらしい。

 ダンスに応じるのは、新一に対してだけ。
 その事実は、新一の心を躍らせたけれども、だからと言って蘭に好かれているとまで自惚れる事もなかった。単に、蘭は内田麻美の事件をきっかけにして、新一に心許してくれるようになったに過ぎないと、新一は思っていた。
 言葉を交わす事もなく、たまのダンスで触れ合うだけ、それでは何の進展もありはしない。

 新一は徐々に焦り始めたが、この時代、男性が女性をデートに誘うなどという事が出来る訳でもない。
 工藤家の権力を使う、という事はしたくなかったし、それをやると蘭に嫌われかねないとも思っていたけれど。やはり「家を通して」の申し込みが必要だろうかとか、弱みを握られるのはシャクだが有希子に相談してみようかとか、悶々と考えている内に。


 当の蘭が、舞踏会に全く顔を出さなくなったのだった。

 その頃までには新一は、蘭が女学校の同級生である鈴木伯爵家の次女・園子と親しい事実を知っており。蘭がどうしたのか知りたくて園子にそれとなく水を向けてみたのだが、園子は新一に対して妙に敵意剥き出しの態度を示して来た。

「工藤子爵、あなたって、女性に興味が無さそうに見えてたけど。あなたも、身分を傘に着て蘭に無体を働こうってクチ?」
「あなたも……ってのは、どういう意味だ?」
「……蘭は、あの可愛らしい美貌と抜群のスタイルを目当てに、第二夫人第三夫人として望まれる事が多いわ。伯爵とか侯爵のご当主とか御曹司にね。だけど、蘭は美貌だけが取り得の女とは訳が違うのよ。そんな風な扱いをして良い子じゃないの!」
「オレは、別に彼女をどうこうする積りはねえ。ただ……」
「ただ、何?」
「前に、事件を解決する時、彼女に力になって貰ったから。だから、その……」
「事件?」
「ああ。未遂だったのと、身分があるヤツが犯人だったから、公にはならなかったけどな」
「ふうん。そうね、確かに身分がある男は、好き勝手やって、お咎めを受けないわよねえ」
「あのな。君も、伯爵令嬢だろ?」
「まあ、そうだけどね。蘭は、身分の差なんか関係なく、真っ直ぐに向き合ってくれる大切な友人なの。だから、蘭の見た目だけを目当てに近付いてくる男達には腹が立つ。まあ、あなたは推理馬鹿の唐変木で変わり者だけど、そういった男達よりはマシかも知れないわね」

 園子の敵意剥き出しの態度は随分和らいだものの、だからと言って園子が蘭の現状を教えてくれる訳でもなかった。


 そして、そうこうしている内に、新一はひょんな事から新出医師と知り合い、新出家で蘭と再会する事になったのであった。


   ☆☆☆


 新一は、何かと理由をつけては、しばしば新出家を訪れるようになった。
 蘭の笑顔を見、声を聞く為に。

 それは甘くも苦い時間。
 蘭が幸せそうなら、それで良いと自分に言い聞かせながらも。どうしても、蘭が欲しいという気持が消えず、悶々とする日々。

 蘭が自分に向ける笑顔も、料理の腕を振るってのもてなしも、全てが「夫の友人」に対してのものだと、胸切り裂かれる思いで自分に言い聞かせながら。
 新一はどうしても、蘭への想いを断ち切る事が出来なかったのである。


(肆)に続く

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<後書き>

 このお話、本にするのを断念したのは、予定までに書きあがらなかったから。なのですが。
 実は、書きあがらなかったのは、新蘭出会いのこの部分もなのです。幼馴染じゃない二人がどのようにして出会い、どうやって心惹かれ合ったのか、出会いはともかく「惹かれ合う」部分が、パラレルでは本当に難しいです。別の意味でやり易い部分もありますけどね。
 内田麻美さんを出したので、その犯人役には、原作でも麻美さんに懸想をしていたあの人に登場して貰いました。名前を覚えていなかったので、単行本を引っ張り出して(笑)。

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