むらさきの にほえる……



byドミ



(弐)出会い



 工藤新一が、いやいやながら、母親の有希子から半ば脅されるようにして舞踏会に参加したのは、桜が満開の頃であった。

「新ちゃん、今日当たりは夜桜がとても綺麗だと思うわ。桜の中で、素敵なお嬢さんと出会えると良いわね~」
「ケッ!偶然の出会いなんか、ある訳ねえだろ?大体貴族社会では皆、家同士で縁談がまとまるんだからよ」
「あら~。そりゃ、基本的にそうだけど。新ちゃんが気に入った女性が居たら、工藤家の権力で縁談をねじ込んでやるから、何にも心配しなくて良いのよ~」

 新一は思わず脱力した。
 父と母が、この時代に珍しく大恋愛の末の結婚であった事は、新一も知っている。母親は藤峰子爵のひとり娘で、有希子の父親が亡き後、今は新一が子爵称号を受け継いでいた。将来は新一の子供に二つの称号を引き継ぐ事になる。
 有希子は、格上の伯爵家に嫁いだ事に対しての周囲のやっかみを、ものともしないだけのバイタリティを持ち合わせていた。優作を家柄抜きにこよなく愛しているのだが、必要とあらば、「工藤家の権力」を行使する事にいささかの躊躇いも持たない。
 有希子は、もう直ぐ二十歳になろうと言うのに浮いた噂の一つもない新一の事を、最近酷く心配しており、機会さえあれば「出会いの場」を設けようとしている。新一としては、ありがた迷惑もいいところだった。

「別に、女嫌いな訳じゃねえけど・・・特に女性と仲良くしてえとか、女が欲しいとか、思わねえもんな・・・」

 第一、父親の優作にしても、有希子と出会うまでは浮いた噂の一つもなかった筈だと新一は思う。
 新一としては、その時までは「どうせ誰と結婚しても一緒」と思っていたし、わざわざ苦手な舞踏会になど出なくても、さっさと両親に結婚相手を決められても構わないと思っていた。
 別に愛や恋を馬鹿にしていた訳ではない。ただ、新一自身がそのような感情を知らなかったのである。

 幸か不幸か、新一は一度会った人の顔や名前を憶えている方である。ただ、以前それが災いして、「覚えていてくれた」のが好意の表れと勘違いされ、酷い目に遭った事があった。工藤家と同格である内田伯爵家の麻美嬢に、熱を上げられてしまったのである。
 新一の意を汲んで、内田家からの縁談申し込みを上手に断ってくれた両親には感謝しているのだが。

「だから、私の顔を立てて、舞踏会に顔位出して頂戴ね、新ちゃん♡」

と有希子に言われてしまうと、とても困る。そもそも、最初から舞踏会になど顔を出さなければ、麻美の勘違いもなかった筈だったのだから。

 ともあれ、今日は桜が美しいのは確かだった。新一は誰もダンスに誘わず、こそりとテラスまで行き、灯りに浮かび上がる夜桜を見、冷たい位の夜風を浴びた。風は弱いものだが、時折強くなり、花びらが舞い上がる。強い風が吹いた瞬間、女性の声が聞こえた。

「うっ……寒っ」

 新一がそちらを見ると、ベランダの反対端に一人の女性が立っていた。新一が初めて見る顔だ。
 まだ十六、七歳位であろうか。大きな黒目が印象的で、ふっくらとした桜色の唇の、あどけない雰囲気を残した美少女だった。長い黒髪を結い上げず背中に垂らしており、大きなリボンを結んでいる。リボンとドレスは、今の季節を意識したのか桜色をしていた。それは、少女の清楚な美貌をとてもよく引き立てていると、新一は感じた。
 夜会用のドレスは、今の季節に上着も羽織らずそのままベランダに出るには、肩と背中が冷え過ぎる。その少女も、自分の肩を抱いて震えていた。
 視線を感じてか、少女がこちらを向いた。新一の胸が一瞬高鳴る。新一と同年代以下の若い女性を美しいと感じた事も初めてなら、胸をときめかせた事も初めてだった。

「舞踏会に来ているのに、踊らないのかい?」
「……殿方と踊るのは、好きではないのです」

 新一が話しかけると、その少女は少し後退り、やや警戒するような眼差しで新一を見て答えた。新一にはその態度も、その少女の慎ましさを感じさせて好感が持てた。

「君、名前は……?」
「人に名を尋ねる時は、ご自分から名乗るのが礼儀ではありませんか?」

 少女の態度は高飛車な訳ではないが、決して相手におもねる事のない誇り高さを感じさせる。

「ああ、これは失礼。オレは、工藤新一」
「……では、工藤伯爵様の?」
「ああ。今は母方の爵位を継いで子爵だが、いずれは伯爵位を拝命する事になるな。で、君は?」
「毛利小五郎男爵のひとり娘で、蘭と申します」

 蘭は礼儀正しく答えたが、新一の身分を知っても慌てるでもなく媚びるでもない。新一は、身分と容色目当てに新一に寄って来る女性達には、いい加減うんざりしていたので、蘭の態度は、ますます好感が持てるものだった。

「毛利蘭さん、オレと一曲、踊って頂けませんか?」
「……悪いけれど、他を当たって下さいませ。私は、殿方と踊るのが嫌いなんです」

 新一の申し出は、けんもほろろに断られた。蘭の態度は新一の好感度を増すばかりだが、さてどうアプローチしたものかと新一は考え込んだ。
 蘭がそそくさとその場所を去った後も、新一はボーっと蘭の事を考えていた。
 その時突然、女性の悲鳴が響き渡った。新一はすぐさま神経を研ぎ澄まし、どちらの方角か見極めて駆け出した。

 新一が見たものは、ベランダの外側にぶら下がった形で柵に必死で捕まっている女性と、その手を必死に掴んで抑えている蘭の姿である。
 新一は駆け寄り、蘭の脇からその女性の手を捕まえて、ぐっと引き上げた。二人で力を合わせた為、すぐに女性をベランダに引き上げる事が出来た。
 助け上げられた女性は足が立たない様子でうずくまって震えながら、肩で大きく息をする。蘭が落ち着かせるようにその背中をさすった。新一はその顔に見覚えがあった。内田伯爵家の麻美嬢である。

「大丈夫か?どこか怪我は?」

 新一の問いに、麻美はかぶりを振った。新一は振り返って蘭の方を見る。

「君は?」
「え・・・私・・・?」

 戸惑ったように新一を見上げる蘭の瞳がとても綺麗だと、新一は見とれる。

「麻美さんが落ちようとしたのを咄嗟に助けたんだろう?ああ、やっぱ、腕すりむいているし……足を見せて」
「……つうっ!」
「捻ったみてえだな。暫く冷やした方が良い」

 女性は二人とも、かすり傷程度。新一は手際良く手当てを済ませた。

「どうしてこのような事に?」

 新一は麻美に尋ねた。
 普通だったら、ベランダの柵を乗り越えて落ちようとするとは考えにくい。ましてや、良い家の女性がそのようなお転婆をするとは更に考えにくい。新一が疑問に思うのも無理からぬ事だった。

「……私にも、よく分かりません。いきなり、突き飛ばされて」
「ふむ。一応警備員は居ても、舞踏会には様々な人が出入りするからな。参加者とは限らねえか。蘭さん、君は?」
「え?」

 突然話を振られて、蘭は戸惑ったようだった。

「君は、麻美さんを突き飛ばした人物を、見かけなかったか?」
「……残念ながら。私が悲鳴を聞きつけてここに来た時は、この方がベランダに捕まって助けを求めていらして。他には誰も居なかったです」
「そうか。ありがとう。これ以上ここで夜風に当たっていては体に障る。二人とも、室内に入った方が良い。麻美さん、あなたは、あなたと知って誰かに狙われたのか、それとも無差別に狙った愉快犯だったのか、分からないが。取りあえず今日は、護衛の人に付き添って貰って、早く帰った方が良いだろう」

新一が、警護に当たっている者を呼び出してテキパキと指示を与え、麻美は内田家の護衛に付き添われて帰って行った。
蘭の事も、医師に手当てしてもらうよう、取りはからった。
そして新一は、麻美が落ちかけていたベランダに戻り、現場を調べ始めた。

「あの……」

鈴を転がすような声をかけられ、新一は振り向く。

「毛利男爵令嬢?どうしたんだ、足は大丈夫か?」
「ええ。子爵様に手当てをして頂きましたから。お医者様も、心配ないとの事です」
「そうか。それは良かった。けれど、内田麻美嬢を害そうとした何者かが潜んでいるかも知れねえから、君もあまりうろつかない方が良いだろう」
「先ほどは、ありがとうございました。私1人の力では、伯爵令嬢を支え続けるのが難しく、とても助ける事が出来ませんでした」
「いや。君がいなければ、彼女は大怪我をしていたか、下手すると命を落としていたところだ。君の勇敢さが、彼女を救ったんだよ」
「それに、私の手当てまでして頂いて……」
「そりゃ……ご婦人が怪我をしたら助けるのは当然の事だろう?しかも君は、人助けをして怪我をしたのだからね」
「子爵様……」
「わざわざ、それを言う為にここへ?」
「いえ。子爵様は、ご令嬢を害そうとした犯人を捜していらっしゃるのでしょう?何か私にお手伝い出来る事はないかと」
「……それは、ありがたいが。あんまり危険な事に首を突っ込まない方が良いぞ」
「それは、子爵様もでしょう?」
「オレは、良いんだよ、一応男だし、自分の身位は守れるし何とでもなる。けど、君のような女性を危険な目に遭わせる訳には……」
「私、子爵様を誤解していました。事件とあらば首を突っ込む子爵様の噂を聞いた事はありましたけれど、それは単なる好奇心か、売名行為が目的だとばかり、思っていたのです。でも、そうではないのですね。先ほどの件で、子爵様は、正義感と勇気をお持ちだという事が、分かりました。先入観で見ていた私が、恥ずかしいです」

新一の心臓は跳ね上がり、それを表に出さないようにするのに苦労した。
蘭を一目見た時から心惹かれていたが。蘭が麻美を助けようとした行動や、新一の質問に適切に答えた様子、そして、今ここに来てくれた事、全てが好ましく。もはや後戻りしようがない程に蘭に心奪われかけているのを、新一は自覚していた。

(参)に続く

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<後書き>

新蘭出会い編、これは(参)まで続きます。
次回は事件解決編、ですが、新一君がどのようにして犯人を突き止めたのかは、スルーで(笑)。

今回の蘭ちゃんは、新一君の事件に取り組む姿勢に関しては、誤解が解けていますが。
女性に関しての態度は、この先も誤解し続けます。
蘭ちゃんには、新一君からダンスに誘われるのが特別な事であるという自覚はないですから。そこが、1話の「覚えていて下さったのですか?」に続く訳です。


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