むらさきの にほえる……



byドミ



(拾参)騎士戦



 園子が閉じ込められた部屋は、広く居心地は悪くなかったが。廊下との間を隔てるのは、頑丈な板戸で。中庭に面した障子窓も、特殊な構造で外す事も開け閉めする事も出来ない、堅牢な造りのものだった。
 一見そうとは見えないが、座敷牢の一種であるようだった。

『その身が、本当にキズものになっているのか、後でじっくり確かめさせて貰う』

 風戸京介が言った事の、意味するところは、明白で。園子は、蒼白となったが。取り敢えず、京介は何らかの事情で忙しいらしく、「すぐに」という事ではなかったので、ホッとした。

「真さん……」

 あの位で、真がどうにかなるなどとは、思っていない。全く根拠も何もないけれど、園子は、真は無事で、きっと助けに来てくれると、固く信じていた。

 食事や飲み物は、板戸についている小さな開閉窓から差し入れられた。その開閉窓すら、園子側からは開け閉め出来ないようになっていた。

 膳で運ばれた食事は、まずまず良質のもので。園子は食欲もないし、薬が盛られている可能性を考えないでもなかったが、「腹が減っては戦が出来ぬ」とも言うから、無理にでも食べる事にした。


「ううっ……真さん……」

 園子が半泣きになって、食事を口に運んでいると。

「はい」

 思いがけず応えの声があり、園子は驚いて、箸を取り落し、きょろきょろとあたりを見回した。と、突然、上から飛び降りて来た人影があった。

「真さん!」
「園子さん、申し訳ありません。お迎えにあがるのが遅くなりました」

 園子は、涙ぐんで真にしがみ付いた。きっと無事だと信じていたが、こうして目の前に現われてくれた事で、心の底から、ホッとした。

「真さん、怪我は!?大丈夫!?」
「はい、どこもどうもありませんよ、園子さん。すり傷程度です」
「きっと無事だって信じてたけど……心配だったわ。でも、さすがに真さん、あんな穴に落ちて、大丈夫だなんて」
「あの穴ですか?さすがに落ちたら、無事では居られないでしょうね。深さも相当ですが、下に竹槍が仕掛けてありましたし」

 園子は、ぞっと身震いした。

「私は咄嗟に、床板を支える根太に捕まって、やり過ごしたのですよ」
「……」

 園子には想像もつかない。ただ、真が尋常でない体力を持ち、体術を会得している事は、分かった。

「あの後、天井裏に潜んで、隙を窺っていたのですが。先ほど、ここの当主が出かけるのを見かけましたので」
「じゃあ、この屋敷には、今は誰も居ないの?」
「いえ。ここで働いている方達が居られたので、気の毒ですが、少々、手荒な真似をしてしまいました」

 どうやら、屋敷の者達は、皆、昏倒させられているようだ。園子は、ここで働く羽目になった者達に、少しばかり同情する。

「では、園子さん、今の内に逃げましょう」
「え?で、でも、どうやって?わたしはとても天井までは登れないし、扉には鍵が ……」

「ドウリャアアアア!」

 園子が、言い終わらない内に、堅牢な筈の木製の扉が、粉々になって飛び散った。真が強いのは知っていたが、目の前で行われた技に、園子は息を呑んだ。

「す、すごい……」
「では、参りましょう」
「はい、真さん」
「では、失礼を」

 真が、屈んで園子に背中を向けた。

「え?真さん?」
「私が走ってお連れします。あなたを抱きかかえていると、不測の事態に備える事が難しいので、失礼ながら、私の背中にお願いします」

 要するに、真は園子を背負うと言うのだ。園子は、幾分戸惑いながら、おずおずと真の背中に貼りつく。
 何せ、時代が時代だから、風戸京介には「真の妻になっている」と大嘘をついたものの、実際には、園子と真は、たまに勢いに任せて手を握った事がある程度の仲だったのだ。このように密着するのは、初めてだった。
 園子は、真の背中の広さたくましさに、ドキドキしながら、縋りついた。すると、真の体が一瞬ビクンと硬直した。

「真さん……?どうかなさったの?」
「あ……ええっと……いえ、何でもありません。では、行きますよ」
「ええ」

 園子は、真の耳が真っ赤になっているのに気付いたが。それが何故かまでは、分からなかった。真は、園子を背負って立つと、韋駄天の速さで駆けだした。

 もう、外はスッカリ暗くなっていた。夜道を、真は迷う事無く、すごいスピードで駆け抜けて行く。
 と、突然、前方から凄まじい音が聞こえ、妙に眩しい灯りが見えた。真は、委細構わず、真っ直ぐ突き進み、灯り近くを走り抜けた。

「な、何、あれ!?」

 園子が、叫んだ。見えたのは一瞬だったが、人間らしいモノが黒く大きな何かにまたがって、凄いスピードで駆けて行ったのだった。

「あれは、米国で作られた、オートバイというものですよ、園子さん」
「そう……真さん、やっぱり物知りなのね」

 園子は後ろを振り返り、恐ろしい光景を目にした。一旦すれ違った筈の、その「オートバイ」が、何と向きを変えて、追って来ているではないか。

「ままま、真さん!そのオートバイが、追って来る!」

 いかに真が健脚と言えど、機械に敵うものではない。後ろから聞こえる爆音が大きくなり始め、真は、くるりと振り向いた。そしてそっと園子を下ろし、身構える。
 オートバイは、2人の目の前で止まり、またがっていた人物が降りた。

『お、女?』

 その人物が来ている服は、革製だが、体のラインがかなりハッキリとしていた。男性に比べ細い肩、細いくびれ、そして胸の隆起と豊かな腰回り。
 帽子からはみ出した長い髪が、背中に流れ落ちている。

「ふう」

 その人物が、帽子とゴーグルを外し、園子は目を見張った。

「工藤の小母様!」

 オートバイにまたがっていた人物は、工藤伯爵夫人の有希子だったのである。

「やっぱり、園子ちゃん達だったわね。一瞬だったから、自信がなかったの」
「ど、どうして、ここに!?」
「蘭ちゃん達が、園子ちゃんを助けに、風戸邸に乗り込んで行ったようだったから、手助けしようと思って。でも、一足早く助けが来たみたいね。ところで、蘭ちゃん達は?」

 園子は、真の方を見た。真が首を横に振る。

「風戸京介は、先ほど出かけるのを見ましたが。屋敷に居るのは、働いている者達ばかりで、蘭さんらしいお姿は、見かけておりません」
「な、何ですって!?」

 有希子が目を見開いた。

「園子さんが行方不明と言う知らせを受けた後に、蘭ちゃんは、遠山和葉さんと共に、乗馬服で出かけて行ったの。きっと、園子さんを助けに行ったのに間違いないと思うのに……」

 さすがの有希子が、狼狽している様子に、園子は驚く。有希子が新一の「嫁」である蘭の事を、本当に大切に思っている事は伺えたが、さて、どうしたら良いものだろうか?

「では、蘭さん達は、港に向かっているのかも知れません」

 真の言葉に、有希子も園子も目を見張った。

「あの男は、杯戸港に停泊中の、風戸家所有の船に向かうような事を言っていました。蘭さんが、何らかの情報を得ているのなら、園子さんがそちらに囚われていると、思ったのかも知れません」
「……有り得るわ。蘭ちゃんには、風戸の犯罪は、麻薬密輸の件だけしか教えてなかったんだけど。遠山和葉さんは、大阪警察服部部長の息子さんが、風戸の件で動いているのを、見聞きしていたから、今日、女の子達を乗せた風戸の船が外国に向かう話を、聞いたのかも知れない」
「ええ!?小母様、それってどういう!?」
「風戸京介はね。貿易品と共に、女性を海外に売り、阿片を買って持ち込み、それで財を成したのよ」

 園子は息を呑んだ。風戸が、後ろ暗い事に手を染めている事は、予測がついていたけれど。女達が海外に売り飛ばされていたとは、さすがに予想外の事だった。

「多分、蘭ちゃんは、園子さんが今夜の船に乗せられてしまうと焦って、そちらに行ったのね」

 有希子が、難しい顔をして考え込んだ。

「伯爵夫人、では急ぎ、港の方へ」
「……あなた達はどうするの?」
「私は、園子さんをご自宅まで送り届けた後、近衛隊に、風戸京介の所業を報告します。さすがに、この事態を報告すれば、いかな侯爵家であろうと、公安も動かない訳には参りますまい」
「京極真さん、だったかしら?あなた、オートバイには乗れる?」
「え?は、はあ……多分」
「では、このハーレーを使って。一緒に近衛隊に行きましょう。園子さんを送り届けるのは、その後で」
「ええっ!?小母様、だって蘭は!?」
「蘭ちゃんなら、大丈夫。今夜、新一と優作と、警察関係者が、杯戸港に詰めているから。それよりも、近衛隊への報告の方が先。今迄、二の足を踏んでいた公安も、動かざるを得なくなるでしょうし、これで、風戸京介を追い詰められるわ!」

 結局、ハーレーを真が運転し、本来一人乗りのサイドカーに、有希子と園子が二人で無理矢理乗り込む形で、一行は近衛隊本部へと向かった。


   ☆☆☆


 夜の帳が降りた、杯戸港では、一隻の船が出航準備を行っていた。船出準備中の船員達以外は、無人の筈のこの場所だが、実は、物陰に大勢の者達が詰めていた。

「あん中に、娘さん達が閉じ込められとるちゅう訳やな」
「ああ。一応、海軍の赤井秀一大佐に頼んで、こっそり港は封鎖して貰っているが。娘さん達が海に投げ出される危険性を考えると、やはり、錨を上げる前に阻止したいところだ」

 物陰に隠れた工藤新一と、服部平次は、そのような会話を交わしていた。

「まあ、とりあえず、こん船は抑えて、娘さん達は解放せんとアカンけど……」
「ああ。多分、京介は、部下が勝手にやった事で知らぬ存ぜぬを押し通すだろうな。証拠がまだ充分じゃねえが、仕方ねえ。取り敢えずは救い出す方が先だ」


 ふと、車が止まる音が聞こえた。
 風戸の部下はとっくにここで仕事をしているし、風戸本人も、最後のチェックの為だろう、ここに先程姿を現した。今の時刻こんな場所に、一体、誰がと訝しんでいると。人影が二人、船に向かって駆けて行くのが見えた。

 新一も平次も、あげそうになった声をかろうじて抑えた。その場から二人とも飛び出そうとするのを、後ろからグイッと、大きな力で押さえられた。

『新一君、平次君、落ち着きなさい。今お前達まで飛び出したら、かえって彼女達を危険に晒す』
『伯爵の言わはる通りや。ここは辛抱や!』

 二人を押さえたのは、それぞれの父親である。大阪府警察部の部長である服部平蔵は、本来、東京に出張って活動する事は認められていない筈だが、今回は、白馬警視総監直々の「依頼」という形で、参加しているのである。

 とは言え、いくら普段頭が上がらず尊敬している父親の諌めであっても。他の者ならともかく、今、船に乗り込んで行ったのは、彼らの一番大切な女性。新一も平次も、とても落ち着いてなど居られなかった。

『予定より少し早ようなったが、最初の手はず通り行くで!』

 平蔵に言われ、新一と平次は、ようやく頷いた。彼らは、艀を通らずに、搦め手から船に乗り込む算段を最初から考えていたのである。

『新一君、平次君、船の中の事は頼む』

 暗闇の中、新一と平次は、平蔵配下の警察官数人を伴い、少し離れた桟橋まで移動し、そこに停泊させていたボートに乗って漕ぎ出した。


   ☆☆☆


 蘭と和葉は、周りをきょろきょろ見回して人影がない事を確かめてから、艀を使って船に乗り込んだのであるが。少し広いホールのような船室に入ったところで、突然灯りが向けられ、眩しさに立ちつくした。

「ほう。これはこれは。招かれざる客は、また随分と可愛らしいな」

 ホールの中二階手すりから、二人を見下ろして立っていたのは、風戸京介侯爵令息であった。
 蘭達がいる広間からそこへ、直接行ける階段のようなものは見当たらない。たとえ二人がどれほど腕が立ったとしても、京介の居る所まで乗り込む事は不可能だった。
 安全圏から、二人を見下すように見下ろしている京介に、蘭は腹が立って来た。

「園子を、どこにやったの!?」
「園子……?」

 京介は、本気で分からない様子で、一瞬考え込んだ。

「とぼけないで!あなたが妻にと望んだ相手じゃないの!」
「……ああ。鈴木伯爵の次女の事か。男爵の娘ごときが、格上の相手を、呼び捨てか?元は下賤の出のクセに、工藤伯爵の息子の正妻になった事で、気が大きくなったのかな?」

 蘭は怒りのあまり、肩で息をしていた。

「園子は、友達よ!身分の差を超えて、対等にわたしと接してくれる、大事なお友達よ!そ、園子にはね!身分はあなたより低くても、あなたよりずっと素敵な恋人が、居るんだから!」
「ふん、どうやらそうらしいな。犬猫じゃあるまいし、恋愛なんぞと言う、下賤な感情で動くとは、彼女にもガッカリしたよ」
「園子を、どうしたの!?」
「君が知る必要など、ないだろう。彼女が本当に傷物になっているのなら、私には不要の存在だ。だが、傷物ではないのなら、彼女には私の子を産んでもらう。正当な風戸侯爵家の後継ぎをね」

 京介の言葉に、とりあえず今は園子は無事でいるらしいと察して、蘭は少し息をついた。けれど、怒りはいまだ収まらない。園子だけではなく、この船には、沢山の女性が外国に売り飛ばされる為に囚われているのである。

「あ、あなたには!他の人間は、道具でしかないの!?」
「おや、人聞きの悪い。私にだって、大切にしたいと思う存在位、あるのだがね」
「……風戸侯爵家に富をもたらしてくれた、あなたの奥さんを、金さえ手に入れば用はないとばかりに、あなたは手にかけたんでしょう!?それも、あなたの子供ごと!」

 今迄、嘲るような笑いを浮かべていた京介だったが、その目の色が一変する。

「あの、雌豚か」
「な……何ですって!?」
「私は私なりに、身分はなくても風戸の台所を救ったあの女を、大切にしていたよ。あの女の父親は、身分を欲していた。両者の利害は一致していた筈だ。なのに!あの女は、他の男の子供を孕んだのだ!」

 蘭が知らなかった事実に、さすがに蘭は息を呑んだ。

「父親に命じられて泣く泣く嫁いで来たあの女は、既に傷物だった。私は、それも我慢して、あの女を大事に扱ったよ。けれど、結婚後もあの女は、男と切れていなかった。恥知らずにも、他の男の子供を、我が風戸家の後継ぎに据えようとしたのだ、あの女は!」

 京介が絶叫する。けれど、蘭も黙っては居られなかった。

「あなたは、奥さんを少しでも愛して慈しんであげたの?」
「何!?」
「大事にしたって言うけど、それは、形式上の事でしょ?愛を与えないのに、愛が返って来る訳、ないじゃない!」
「愛など!私が望んだのは、貞淑な妻と、私の血を引く子供だ!」
「……あなたは、可哀想な人ね……」

 京介のやった事、やっている事は、到底許せる事ではないけれど。蘭は、京介の事が心底可哀想だと感じた。彼は、愛される事も、愛する事も、きちんと知る事のない、孤独な男なのだった。

 蘭の隣に居た和葉も叫ぶ。

「せ、せやけど!この船の中に囚われとる娘さん達は、あんたに何したって訳やあらへんのやろ!?あないな目に遭わす謂れはあらへん筈や!」
「……彼女等は、そこそこ毛並みも良く、けれど家が貧しい女達だ。どうせ元々、身分はないが金持ちの男に買われるような形で嫁入るか、誰かの愛人になるしか、生きる道はない。その先が外国になるだけの事だ」
「そんな勝手な理屈!見も知らぬ国で、言葉も通じない相手の慰み者にされる事が、どんなに辛い事か!そ、それに、その莫大な対価は、彼女達の親の元にではなく、あなたの懐に入るんでしょ!?」

 突然、銃声が鳴り響き、放たれた銃弾が蘭の髪の毛を掠めた。

「知った風な口を!お前に何が分かる!?」
「……分からないわ。わたしには、分からないわ。あなたの手前勝手な理屈なんか!」

 銃弾が掠めて、震えながらも、蘭は一歩も引かずに、京介と対峙していた。

「風戸はん!もう止め!アンタの所業は、もう、平次達に……公安に掴まれとるで!いかな風戸侯爵の後継ぎでも、もう終わりや!アンタが守ろうとした侯爵家が、お家取りつぶしになってまうだけやで!」

 和葉が、叫んだ。

「そうだな……では、お前達の言う、愛とやらを、試させて貰おうか?」

 京介が、顔を歪めて吐き捨てるように言った。

「えっ!?」

 蘭と和葉は、京介の言った意味が分からず、首を傾げる。

「お前達の言う通りなら、工藤の息子と、そっちの……平次とやら言う、公安関係の者か?は、お前達を大切に思い、守ろうとする筈。だったら、お前達を人質にすれば、私を追い詰める事など、出来ないと言う事だな」
「なっ!?」
「そいつらの愛とやらが本物かどうか、私にとっても賭けだな。君達も、祈っているが良い」
「そ……そんな事は、させない!わたしの所為で、新一を窮地に立たせたりはしない!」
「ふん。見かけによらず、貴様の腕が立つ事は、分かっている。おそらくそっちの女もそうだろう。だが、手足を失ってアヘン中毒にでもなれば、オイタも出来まい」

 京介は、銃を構えたままに、言った。蘭は、京介が、蘭達が決して届かない欄干に立っていた意味を知る。

「成程、確かに貴様達の間に、愛とやらは存在しているようだ。貴様は、友への愛の為に、乗り込んで来たのだろうからな。けれど、私から見れば、それは無鉄砲、考えなしの行動と言うのだよ!」

 嘲うように言った京介が、引き金を引き絞り、蘭は思わず和葉の前に庇うように立って、目を閉じた。

 再び銃声が響き、続いてすぐ近くの床で何か金属の物がぶつかる音と、離れたところで微かなうめき声が聞こえた。しかし、銃弾が蘭達の脇を掠めた様子もなく、蘭は恐る恐る目を開けた。

「えっ!?」

 蘭の前に、見慣れた逞しい後姿が立っていた。

「新一……?」
「ったく。オレは命がいくつあっても足りねえ」
「ご、ごめんなさい……」

 新一に並んで、もう一人、二人を背後に庇うように立つ姿があった。

「和葉。姉ちゃんを止めるどころか、お前まで無茶やらかしてからに」
「平次、堪忍な」



「ぐっ……」

 欄干の上に目を転じると、京介が、手を抑えている。その手に銃はなかった。ホールの床の上に、京介が持っていたらしい銃が転がっており、新一の右手に握られていた銃から、煙が上がっていた。


「貴様……侯爵令息たる私を、撃ったな!?」

 京介が、ぎらついた眼で新一を睨んで、言った。

「おや。人聞きの悪い。僕が撃ったのは、あなたではなくて、あなたが持っていた銃ですよ、風戸京介子爵殿?」

 新一が、冷ややかな声で告げた。

「……銃の腕が一流なんは認めるけど、人に向けて、当てんと撃つなんて芸当、よう出来るもんや。大した度胸やな」

 平次が横から茶々を入れる。

「ほう。私を銃で撃つ積りはないと、言うのかね?それでどうやって、私と闘うのだ?」

 余裕を取り戻したらしい京介が、嘲るように言った。

「僕達には、銃で撃つ以外に、あなたを攻撃する手段がないと、思っていらっしゃるのですか?」
「何!?」
「服部、頼む!」
「よし来た!」

 平次が、手にしていたボーガンを、撃つ。
 そこから飛び出した矢は、後ろに紐のような物が付いていた。矢は欄干の上を越して落ち、紐が欄干に引っ掛かる。

「工藤、行ったで!」
「ああ、バッチリだな、服部」

 新一が、紐の端を手で握り、何かのスイッチらしいものを押すと、紐が縮まり、新一の体は宙に浮き、そのまま欄干まで達した。
 新一は身軽な動きで、欄干を掴んで飛び越え、あっけに取られている京介の前に降り立った。

「新一!」
「おうおう、いつもながら、身軽なやっちゃ」
「平次、あれは一体何やのん?」
「工藤んちの運転手の阿笠いう老人は、発明の天才でもあんのや。あれは、そん博士が発明した、伸縮自在ベルトっちゅう、優れもんなんや。ま、運動神経のある工藤やから、あないな使い方もでけるんやけどな」


「皆!何をしている!曲者だぞ、出会え、出会え〜〜〜!」

 京介が、左右背後を見回して、叫んだが。京介の部下は、誰一人出て来る様子がない。


「アホ。オレらが何の手ぇも打たんと、ここに乗り込む筈あらへんやろ?」

 平次が呆れたような声で言った。

「な、何ぃ!?」
「……既に、捕まったり投降したりしてるよ、あんたの『忠実な』部下達はね」

 新一の言葉に、京介は血走らせた目を向けた。

「あんた、よっぽど部下からも信頼されてねえんだな。皆、さして抵抗もしなかったぜ」

 京介は、ジリジリと近寄る新一から、後退る。

「なっ!き、貴様っ!」
「もう、終わりだよ、風戸京介!」
「貴様!まだだ、この俺様が、こんな所で終わって、たまるかあ!」

 京介の手が懐に入り、取り出されたその手には、ナイフが握られていた。けれど、突き出されたナイフを、新一は軽い動きでかわす。

「やれやれ、往生際の悪いヤツだな」
「まだ、俺は終わらんぞ!貴様達の息の根は、ここで止めてやる!貴様達がいなければ、証拠など、どうにでもなる!」

 京介の眼は血走り、もはや、まともな判断能力は失われているようだった。
 と、そこへ。

「そんなとこで、止めとくんですね」

 妙に穏やかでのんびりした声が、広間の入口から聞こえた。そして、工藤優作伯爵、服部平蔵大阪府警察部長、その他の者達が姿を現した。
 優作が、穏やかな口調で告げた。

「今、公安から、知らせが届きました。君の罪状は既に明らかで、正式に逮捕される事になっています」
「な……な……か、仮にも、侯爵家の嫡男たる私に向かって!」
「そして……風戸侯爵より、息子の罪を認め、廃嫡する旨の表明がありました」
「は……はい……ちゃく……だと?」
「もはやそれしか、風戸侯爵家を救う手立ては、残されていませんからね。既に、君が母方から受け継いでいた子爵位も、剥奪処分を受けています。君はもはや、只人の風戸京介だ。観念するんだね」

 京介は、暫く呆然としていた。

「あの、無能な親父め!自分が風戸の台所を傾けたクセに、爵位が取り上げられそうになったら、風戸家を建て直したこの私を、切り捨てるだと!?ふざけるな〜!」

 京介は再びナイフを構えなおした。

「こうなればせめて、貴様だけでも道連れだ〜!」

 再び新一に向かって来る京介の姿は、鬼気迫るものがあった。もはやなりふり構っていないだけに、なかなかに厄介だ。新一が、軽やかな動きで避けながら、ここは一旦、もう一度ホールに飛び降りて逃げるが勝ちかと、思いめぐらしていると。

「工藤、これ使えや!」

 平次が、黒と白の模様の、毬より一回り大きいボールを投げ上げる。

「お、サンキュー、服部。行けええっ!」

 新一が、そのボールを、渾身の力を込めて蹴ると、狙い過たずにそれは京介の顔面に吸い込まれた。
 京介は、声もなく意識を手放すと、その場に倒れた。


 

(拾肆)に続く

++++++++++++++++++++++++


<後書き>


やっと、ここまで来ました。
長引いた理由の一つが、どうやって風戸を追い込むか、きちんと決まってなかったから・・・ってのが、ありますね、はっはっは。(←笑って誤魔化す)
後、残すは、新蘭の結婚式とか、平和真園のちょっとしたエピソードとか・・・で、次辺りが最終回になると思います。
当時の「最新流行」だった、「(神道の)神前結婚式」になるかと思いますが、ごめん、何しろ詳しくないもんで、適当に端折る事になるかなあと思います。