むらさきの にほえる……



byドミ



(拾)友情



「工藤伯爵の跡取り息子が、毛利男爵の一人娘と、結納を交わしたと!?ば、馬鹿な……!」

 風戸侯爵の御曹司である風戸京介子爵は、知らせを聞いて、吠えるように言った。

「子爵様……どうなさいます?」
「……さすがに、工藤伯爵家に簡単に手出しは出来ぬ。特に今は、奴らに嗅ぎ回られているのだから、迂闊に動く訳には行くまい」

 京介は、忌々しそうに言った。

「しかし、あの娘、駆け落ちしたなどと毛利男爵はほざいてたが、それは嘘だったという事だな。この、風戸侯爵家をたばかるとは……!いずれ、目にもの見せてくれる!」
「どうして、嘘だと……?」
「お前は馬鹿か!?ただでさえ、工藤家と毛利家では、家格の差が歴然としている。もし、毛利の娘が生娘ではなかったら、工藤が花嫁とする筈がなかろう!」

 京介は、そんな簡単な事すら分からないのかと、部下を睨みつけた。

「明治の御維新以降、貴族と言っても、名ばかりで没落する家、事業に成功し益々栄える家、元は卑しい出なのに、金で爵位を手に入れた成り上がり者、色々ある。
 わが風戸家は、家格は高くても、無能な祖父と父の所為で傾きかけていた。それを立て直したのは、私だ。
 工藤家は、風戸家より家格は下のクセに、事業は順調で経済状態はすこぶる良い。貴族でも下層の毛利家だが、台所事情はそれなりに順調で悪くない。むしろ、少し前の我が家よりずっとマシだ。
 工藤は、縁組で家を栄えさせる必要がないのさ。だから、毛利の娘を正妻にする事も可能なのだよ。
 ようやく、立て直しが成功しそうなわが風戸家を、奴らに潰されてたまるものか!」

 京介は、拳を握って激白した。
 側近の者は、そっと顔を見合わせた。京介の逆鱗に触れたらどのような目に遭うものか、重々分かっているので、皆、オドオドビクビクと、京介の顔色をうかがっていた。


 風戸侯爵家は、維新の頃は、膨大な財産を持っていたのだが。大した事業の才能もないクセに、華やかに金を使うばかりの代々の当主の所為で、あっという間に身代を食い潰して行った。
 完全に破産状態だった風戸家の身代を持ち直させたのは、次期当主である京介だった。
 彼はまず、金は有り余っているが身分を欲しがっている富裕な商人の娘を妻にしたのだが。まず、妻の父が、次いで妻が、相次いで「病死」し、京介の元に莫大な遺産が転がり込んだ。
 死んだ妻は身籠っていたのだが、京介は悼みもしなかったと言う。

 その遺産を元手に、京介がはじめた「商売」は、阿片の密売と、人身売買である。
 一応、表向きのまっとうな貿易商もやっているが、そちらはトントンか、悪くすれば赤字であった。しかし、まともな貿易品と共に行き来する、白い粉と女性とが、風戸の莫大な財産の元だったのだ。風戸の権力のお陰で、風戸の船は、積み荷の検査も殆どされた事がなかったのである。


 京介が毛利男爵の娘・蘭に目を付けたのは、ほんの気紛れに過ぎなかったのだが。拒絶された事でいたくプライドを傷付けられた。しかも、どこの誰とも知れぬ卑しい男と駆け落ちしたと聞いたら、余計に腹が立った。腹いせに、いつものルートを通じて、外国の金持ちに売りつけようと考えた。生娘の方が高く売れるが、生娘ではなくても、それなりの売り先はある。


 しかし、さすがに工藤の花嫁を差し出せと、言えるものではない。京介は、どうやって工藤と毛利を陥れてやろうかと、どす黒い思いに囚われていた。


   ☆☆☆


「ん……蘭?」

 新一が目覚めた時、隣に眠っていた筈の姿がなかった。新一は起き上がり、身支度を整えると、居間に向かった。
 そこで有希子と共にお茶の準備をしていた蘭が、新一の姿を認めて、ふわりとした笑顔を見せた。

「おはようございます、新一様」

 蘭の笑顔に、新一は頬を染めて見入っていた。

 ――紫の にほえる妹を にくくあらば……

 不意に新一の脳裏に、あの和歌が、浮かんだ。

「なあに、新ちゃん?自分の妻に、見惚れているの?」

 有希子がからかうような声音で言った。

「か、母さん!」
「お義母様!?」
「でもまあ、無理ないわよねえ。蘭ちゃん、元々綺麗で可愛かったけど、この数日で見違えるほど綺麗になったもの」
「……」

 確かにそうだと、新一は思う。蘭はこの数日、花が咲きほころぶように、急速に変わって行った。

「初々しい人妻が、何故、他の男を惹きつけてしまうのか、分かる?女は、身も心も愛される事で、より美しく花咲くの。蘭ちゃんを美しく咲かせたのは、新一なんだから。これから蘭ちゃんには、他人の花を手折りたがるような、不埒な男が群がるだろうけど、決して許してはいけないわよ」
「……わーってるよ……」

 母の言葉は、ほんの数日前に、他人の花を手折ろうとした新一にとって、心臓に悪かった。(他人の花と思っていたのは、実際は誤解だったが)
 けれど。

『今だったら、オレにも分かる。あの時の蘭は、まだ女になってなかった。[人妻ゆえに]と思い詰めて焦がれた蘭は、まだ男を知らない生娘だった……』

 今の蘭の、におい立つような色香は、まさしく人妻のもの。新一の愛を受けて、美しく花開き始めたのだ。

 まだ固い蕾だった頃から、新一を惹きつけてやまなかった、手折りたい欲望を募らせていた、「蘭」の花。新一に抱かれた事で、より美しくなり、新一を以前にも増して惹きつけ、さらに大きな欲望をかきたてる。

『蘭は、オレだけのもんだ。ぜってー、他の男に手折らせてたまるものかよ!』

 新一は、蘭に関して、自分が如何に勝手で矛盾した事を考えているのか、重々自覚していたけれども。それを改める気は全くなかった。


 母である有希子が、新一の前に(日本ではまだ珍しい)芳香を放つ珈琲を置きながら、言った。

「今日は、新ちゃん達の結納の日よ。まあ、結納ってのは、家同士の儀式だから、新ちゃんと蘭ちゃんは、特に何をする訳でもないんだけどね。いよいよ、世間に対して蘭ちゃんは工藤家の一員であると言う事を、示す事になるわ」



 工藤・毛利両家の仲人となったのは、鈴木史郎伯爵・朋子伯爵夫人である。
 鈴木夫妻は、工藤家からの結納品を預かり、毛利家への使者となり、毛利家で饗応を受け、毛利家からの結納返しを預かって、再び工藤家へと赴く。

「鈴木伯爵様達に、お仲人をお願いする事になるとは……」

 使者としてやって来た鈴木史郎伯爵に対して、小五郎は、身を縮めるようにして言った。

「いやいや、そんなにかしこまらんで下さい。我が娘と毛利男爵のご息女は、仲の良い学友だそうで。これも何かの縁だと思いますのでね」

 鈴木史郎伯爵は、人の良い笑顔を小五郎に向けた。小五郎は、ますます恐縮した。


 結納の儀式自体は、当人達は表に出て来ない。
 しかし、工藤家では別の騒ぎが起こっていた。


「蘭っ!!」
「そ、園子?」

 鈴木伯爵家の次女である園子が、工藤邸に乱入して来たのである。
 目を白黒されている新一の目の前で、園子が蘭に飛びつき、二人はひしと抱き合ったのであった。


「蘭!良かった……元気そうで……」
「園子……ごめん……心配掛けて……」

 二人抱き合って涙する図を、新一は呆然と見ているしかなかった。そこへ、明るい女性の声がかかった。

「園子様、お紅茶の支度が整いましたわ。どうぞ、あちらで」

 声をかけたのは、新一の母であり、蘭の姑になる予定の工藤有希子伯爵夫人である。

「工藤の小母様」
「園子さんは、蘭ちゃんの大の親友だと伺ってますわ。これから、工藤の若奥様になる蘭ちゃんの事を、これから先もどうぞ宜しくね」

 園子の表情が緩んだ。

「小母様が、そう仰って下さるのなら、心強いです。蘭の事、宜しくお願いします!」

 女三人が楽しそうに歓談している側で、新一は居心地悪げに紅茶をすすっていたが。園子が新一に矛先を向けて来た。

「それにしても、子爵殿?あなた、蘭の事をどうこうする積りはないって、言ってなかったっけ?」
「!あ、あの時はその!まだそこまでの積りはなかったっつーか、蘭の気持ちを知らなかったし……」

 新一は顔を赤くして、歯切れ悪く言った。そう言えば、蘭がふっつりと姿を見せなくなった時に、蘭の親友の園子に蘭の行方を尋ねたんだったと、今更ながらに思い出して慌てる新一であった。

「ふふん。まあ、いいわ。悔しいけど、暫くぶりに見る蘭が、綺麗になってるから。婚約者からも、工藤家からも、大切にして貰ってるって事は、分かるしね」
「何で、君が悔しがるんだよ」
「だって、蘭ってば、この私にも、意中の人が誰なのか、言ってくれなかったんですもの」
「そ、園子!ごめんなさい……だって……身分違いだし、わたしの気持ちなんか、きっと、新一様の迷惑になるって思ってたから……」
「そんな事、ある訳ないじゃない。蘭は、女のわたしの目から見ても、とても素敵だもの。好かれて悪い気がする殿方は、居ないと思うわ」
「それは、買い被り過ぎよ」
「それに蘭は、むしろわたしよりお嬢様っぽいし、和装も洋装も似合うしとやか美人だから、将来の伯爵夫人として充分やってけると思うよ」
「蘭ちゃん、園子さんの言う通りだわ。んふふふ、私は最初から、蘭ちゃんを新ちゃんの花嫁候補として考えていたのですもの」

 有希子の発言に、思わず三人とも飲みかけの紅茶を吹きそうになった。

「かかか母さん!?」
「お、お母様!?」
「小母様!?」

「何しろ、年頃になっても、別に衆道趣味(いわゆる男色の事)という訳でもなさそうなのに、新ちゃんって全然女性に興味を示さないし。でも多分、蘭ちゃんだったらきっと、新一のハートを掴むだろうなって、思ってたのよ。
 英理の話では、意外と新ちゃんは蘭ちゃんの好みに合うかも知れないって事だったし。だから、ものは試しと、英理と共謀して、新ちゃんと蘭ちゃんを強引に同じ日の舞踏会に参加させてみたのよ。そしたら、案の定、お互いに気に入ってくれたようで」

 新一も蘭も、真っ赤になって俯いてしまった。親にはしっかり、異性の好みも見抜かれていたという事なのだろう。けれど、お互いを愛したのは、自分自身の意思である事も、ちゃんと分かっていたから、その事で親にどうこう言う気はなかった。
 園子が、息をついて言った。

「まあ、わたしとしてはね。子爵が蘭の事を、きちんと正夫人として扱ってくれるのが、何よりと思った訳よ。側室扱いするんだったら、絶対、許せないところだったけどね。後は、お父上に似て、他に通いどころを作らない事を祈るわ」
「そ、園子!!」
「……他に通いどころを作る位なら、最初から、蘭を妻に迎えようと思う訳ねーだろうが。オレは、蘭以外の女性と契る気は、全くねえから」

 新一のあけすけな言葉に、蘭も園子も赤くなった。

「でも、もし、蘭に子供が出来なかったらどうする気?」
「……その時は、養子を迎える。他の女にオレの子を産ませようとは思わない」
「その言葉、忘れないでね」

 新一がキッパリと言ったので。園子も、心からの笑顔を見せた。


 その日は、和やかに時間が過ぎたのだが。
 夜、いつも通り、二人の寝室に引き上げた時。新一の機嫌が悪そうな事に、蘭は気付いた。
 新一は別に、声や態度を荒げている訳ではないのであるが、どことなく、よそよそしい感じがしたのである。





(拾壱)に続く

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<後書き>


 新ちゃんの、機嫌が悪い理由。
 下らない事です。とっても。
 蘭ちゃんを巡って新一君と園子ちゃんが争う図は微妙だと思っている筈の私ですが、よく考えると、結構「新一vs園子」の図を書いてますね。特に、パラレルでは。

 さて。
 どうやって、風戸京介を追い込んだら良いんでしょう?(←今から考えるんかい!)

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