もう一度、言って



byドミ



(7)婚約解消



蘭は、頭痛と頭重感とのダブルパンチの中で目が覚めた。
目の前に、新一の心配そうな顔があった。

「新一……」
「気分はどうだ?」
「なんか……頭が痛い……」
「そっか。……飲み過ぎたんだな」
「えっ!?」

蘭は、一所懸命、何があったか思い出そうとする。
しかし、塚本と一緒にバーに入って、ノンアルビールを口にした後から、記憶が途絶えていた。

蘭が、今までの人生の中で「飲み過ぎた」のは2回だけ。
その2回とも、記憶はしっかり残っていた。

塚本に勧められたが、ノンアルコールビールを1杯未満しか飲んでいない。その筈だった。
なので、「飲み過ぎた」と言われても釈然としない。

蘭は混乱しながら、辺りを見回した。
蘭の部屋でも新一の家でもない。
というか、そもそも、どこかの「家」ではなかった。

蘭がいるこの部屋は、病院の個室のようだった。

そして……蘭の腕には、点滴の管が繋がっていた。

「ど、どうして……わたし……」
「オメーは、急性アルコール中毒でぶっ倒れてたんだよ」
「で、でも……っ!」
「わーってる。オメーは、ノンアルコールビールを頼んだはずだった。けど……塚本さんはちょっとした悪戯心だったみてーだが、一応、きつく言っておいたから」
「……!」

今から考えたら、確かに、塚本が持ってきたあれは、ノンアルではなかったのだろう。
けれど、それだけではしっくりこない。
蘭は1杯のビールさえ飲み干していないのに、急性アルコール中毒で倒れるとは考えられない。

蘭の心がザワザワしていた。
新一が何か隠していると思った。
けれど……それは新一の保身のためではなく、蘭を気遣っているのだろうということも、分かった。

蘭の頬を涙が伝っていく。

「ら、蘭!?大丈夫か?どっか痛えのか!?」

新一が焦った声で言った。
けれど、蘭が痛くてたまらないのは、心の方だ。

新一に迷惑をかけた、と思った。
そして……きっともう、終わりだと、感じていた。

足掻きたいけど、足掻いたら迷惑をかけるだけ、と思い込んでいた。

「し、新一……」
「ん?」
「わ、わたし……」
「どうした?」

蘭は、新一の目を真っ直ぐ見つめ、目をそらさないようにして、言った。

「新一。……婚約を、解消して」
「……蘭?」
「わたし……無理なの……こ、これ以上、頑張れない……」

涙がこぼれないように、顔に力を入れる。
新一は一瞬目を見開くと、ちょっと悲しげに微笑んで言った。

「わーった。蘭がそうしたいのなら」

新一は立ち上がると、ためらう様子もなく病室のドアを開けて去ろうとする。
蘭は、新一のアッサリした様子に胸つぶれそうになりながら、これで良かったのだと自分に言い聞かせていた。

ドアを開けた新一はちょっとだけ振り返って言った。


「おっちゃん……小五郎さんに連絡しておくから。多分すぐ、来ると思う」

そして、新一は去って行く。
蘭は、新一の姿が見えなくなると、突っ伏して、声を殺して泣いた。

もう、終わった。
いや、そもそも、始まってさえいなかった。


「だって……新一は最初から、わたしのこと……好きでも何でもなかったんだもの……」

新一は男性だから、好きでもない女でも、性欲は湧くだろう。
酔った勢いでバージンだった蘭を抱いてしまい、その責任を取ろうとしただけなのだ。
そういう風に、蘭はずっと思っていた。


少し経って、病室のドアが開いた。
そこに立っていたのは小五郎ではなく母親の英理だった。


「お母さん……?」
「どう?具合は……」
「まだ、頭が痛い……」
「そう……」

英理は、ベッドサイドにあったスツールに腰かける。
さっきまでそこに新一が居たのだと思うと、また、蘭の胸が痛んだ。

「お父さんは?」

蘭が聞くと、英理は大きな溜息をついて、言った。

「あの人は、出禁になったから、来られないわ」
「えっ!?ええっ?何でっ!?」
「だって。昨夜、この病室で、大声で新一君を詰って、殴りかかろうとしたんだもの」
「そんな……!だって新一は何も!」
「そうね。彼の所為ではないこと、小五郎も分かってて……でも、蘭がこんな目に遭ったことへの憤りを、ぶつけないではいられなかったんだわ……」
「えっ!?こ、こんな目にって……だって、自業自得、なんでしょ?」

確か蘭は「飲み過ぎて急性アルコール中毒」であったはず。
何だか釈然としないけれど。

英理がふうと息を吐く。

「蘭。飲み過ぎたの?」
「え?うん……多分……」
「自分で、そう思っていないでしょ?」
「……」

そうだ。
蘭は、飲み過ぎたはずがない。
なのに何故、こんなことになったのか。

新一が何かを隠していると思った。
けれどそれは、新一の保身のためではなく、多分……蘭のため。

「お母さんは、本当のことを知っているの?」
「……そりゃまあ。昨日は夜中に呼ばれて、医師から説明を受けたのだから」
「何が遭ったの?」

英理は再び大きな息を吐いた。

「……わたしはね。最初、蘭が新一君と婚約したと聞いた時、まあ蘭が選んだのなら仕方がないけど、あんまり賛成できなかったのよね……」

はぐらかしているような英理の言葉。
けれど、その表情から、大切な話をされているということを感じて、蘭は苛立つ気持ちを抑え、口を挟まずに待った。

「あの子は、意外と小五郎に似ていると思う。言葉より行動なのよ。新一君なんて、口から生まれたんじゃないかと思うくらいに語る男なのにね。女が欲しがる言葉を与えるよりも、黙って惚れた女を守ろうとする、それがあの人たちの愛のカタチ」

蘭の頭の中を多くのクエスチョンが渦巻く。

「蘭。どうやら新一君は、あなたがショックを受けるんじゃないかと思って、黙っているようだけど、まあそれは、いくら何でも、女の強さを侮り過ぎだって、私は思うわ」
「……女の強さ?」

蘭がとうとうしびれを切らして、口を挟んだ。

「蘭。あなた、薬を盛られたのよ」
「……!」
「新一君は、蘭がショックを受けるだろうと思ってこのことを黙って欲しいと、私たちにも言ってきたのだけれど。私は正直、感心しないわね。蘭も小さな子供じゃないのだし、事実を知る権利がある」
「く……すり……を……盛られ……」
「蘭!シッカリしなさい!そんなことで呆然としてしまうようじゃ、結局、新一君の考える通り、あなたは守られるだけの女、腕っぷしは強くても心が弱い女と侮られるだけよ!」
「!」

一瞬、呆然としそうになった蘭は、姿勢を立て直して母親を見つめた。

「ごめんなさい、お母さん。私は……塚本さんから薬を盛られたってこと?どういうことがあったのか、教えてもらって良い?」
「……さん付けなんかする価値はないわ、あんなヤツ!」


英理の話によると。

新一と蘭が抜けた後のミステリーサークルは、ほぼ自然消滅のようになってしまっていた。
生活に張りが無くなったサークル代表の塚本は、ひょんなことから危険ドラッグにはまってしまった。
学生の身で危険ドラッグに手を出してしまったことでお金に窮するようになった塚本は、お金を手に入れるために知人の女子学生などを騙してドラッグ漬けにしたりなどの悪事に手を染めた。

そして……新一は警察の依頼を受け、東都大学生内で危険ドラッグを取り扱っているグループを摘発するために活動しており、先ごろ塚本がその内の一人であることを突き止め、証拠を集めているところだった。


「昨夜、あの男が蘭を見かけたのは、本当に偶然だったようだけど……」

塚本は、新一から目を付けられたことに気付いて、焦っていた。
一人で街中を歩いている蘭を見つけ、蘭を使って新一の動きを封じ込めようと考えたらしい。(らしいというのは、塚本がまだ捕まっていないためだ)

「わ、わたしを使って……って、どういう……?」
「それは……」

英理が言葉を濁す。
蘭は不意に身震いして、自分の身をかき抱いた。
蘭にも分かったのだ。塚本がどのようなことをしようとしていたのか。

蘭をドラッグ漬けにして簡単にドラッグから離れられないようにするとか。
眠る蘭を何人もの男に凌辱させて動画を撮りネットにばらまくと脅すとか。
あるいは、その両方とか。


「……幸い、蘭が昨夜飲まされたのは、1回飲んだくらいでは習慣性の殆どない通常の睡眠薬だった。大抵の睡眠薬は、アルコールと混ぜたら相乗効果があるの……」
「……やっぱり。わたしが飲まされたのは、ノンアルコールビールじゃ無かったのね……」

蘭は俯く。

「でも、何で新一は……わたしが飲み過ぎたって、嘘を吐いたの?」
「それは……未遂だったとはいえ、色々されるかもしれなかったなんて聞いたら、きっと蘭がショックを受けるだろうって思ったんじゃないかしら……?」

そこでようやく、蘭は、英理が最初に言ったことを理解した。
そして、父親のことを思いだす。


「昨夜、お父さんが新一に殴りかかったって?」
「蘭が病院に担ぎ込まれるのと同時位に、警察と新一君から連絡があってね。私も小五郎も急いで駆け付けたんだけど……小五郎ったら、蘭が薬盛られたって聞いたとたんに、『何でオメーは蘭を守らなかったっ!』って言って殴りかかろうとして……慌てて警官たちが止めに入ったけど、守衛さんから大目玉で、小五郎は追い出されちゃったのよ」
「でも、それは……」
「まあね。状況から、仕方がなかったって、私も思うわ……でも、あの人だって同じ状況だったら似たようなことをするだろうに、塚本が怪しいってことを蘭に伝えてなかったことに、ご立腹だったの」
「……」

確かに、あらかじめ塚本が怪しいことを知っていれば、蘭は塚本に声を掛けられても、一緒にバーに入ろうとはしなかっただろう。
でも、探偵たるもの、証拠が固まるまでは、ベラベラと捜査内容を話せないものなのではないか?

「まあ、蘭が知らない人が容疑者だったのならともかく、蘭が良く知っている人で、しかも女子学生を騙していた疑いがある男だったからねえ」
「……」


突然、蘭の目から再び涙が溢れ出た。

「ら、蘭!?どうしたの?何もなかったんだって言ったじゃない!」
「……違うの。新一とは、もう、終わってしまったから……」


別れ話をしたのは蘭の方だったが、新一はあっさりとそれを受け入れた。
新一がプロポーズしたのは、蘭を抱いた責任感からで。
昨夜から今日にかけて付き添っていたのは、偶然とはいえ蘭が巻き込まれてしまったことに対しての責任感であろう。

「や、やさしい人だから、今まで、責任感だけでわたしに付き合ってくれてただけで……もう、別れたから……」
「蘭……?」
「……っ!」

蘭から別れ話をしなければ、新一は今でも蘭の「婚約者」でいてくれて、結婚してくれただろうと、蘭は思う。
それなりに幸せな生活はできたかもしれないが、新一はこれから、本当に愛する女性と巡り合うかもしれない。
もういい加減、好きでもない女から新一を解放してあげたかった。

「……もう成人した二人のことだから、親からは何も言えないけど。蘭、本当にそれで良いの?」
「だ、だって、だって……!」

子どものように泣く蘭の頭を、英理はしばらくそっと撫でてくれた。



   ☆☆☆



大学は夏季休暇に入った。
塚本は捕まり、東都大内の危険ドラッググループは摘発されたという話が、蘭の耳にも入ってきた。

蘭はあれから新一と会うことも連絡を取ることもない。

二人が結婚するはずだった日が少しずつ近づいてくる。
蘭は、出席予定だった友人たちに連絡を取っていた。
新一側の出席予定者で、把握できなかった人たちを除いて。



昔からの親友である園子には、既にLINEで、新一との婚約解消のことは伝えていたが、夏休みでもあるし、会って話をすることにした。


「蘭は?本当にそれで良いの?」
「園子も、お母さんと同じこと、言うんだね……」
「だって、絶対工藤君は、蘭のこと好きだって思うんだよね」
「そんなことないよ。だって……わたしが婚約解消しようって言ったら、あっさり『わかった』って言ったんだもん」
「でもさ。蘭、あんた一度でも、自分の気持ちを彼に伝えた?」
「えっ!?」

蘭は目をパチクリさせた。
そういえば、蘭の方から新一に気持ちを伝えたことはない。

「でも……彼、探偵だし……わたしの気持ちなんて、お見通しだったと思うんだよね……」
「甘いよ蘭!男なんてニブチンなんだからさ、ちゃんと言わなきゃ、伝わんないって!」
「でも、伝わったらきっと、迷惑かける……」
「蘭!?何言ってんの、アンタ!?」
「だって新一は、わたしの気持ちを知ったらきっと、責任取って……」
「いやいやいや、蘭!有り得ないから!絶対、有り得ないから!」

園子が大仰に手を振って言った。

「園子!なんで、そんなこと言えるのよ!?」
「蘭。クイーンセリザベス号で、きゃあきゃあ騒がれてたのは、キッド様だけじゃないよ。奇術師の真田さんとかもだけど。探偵として来ていた工藤君、ものすごく!騒がれてたんだよ!」

新一がキッドを追いつめたクイーンセリザベス号の事件。
キッドは蘭に変装して来ていたとのことだったが、蘭は残念ながらその事件があった時、空手の合宿で居合わせなかったのである。

「彼は、わたしの好みじゃないけど、すっごくもてる人なの!そんな彼が、一々責任取ってたら、今頃花嫁が百人はいるわよ!」
「……!」

考えたこともなかったが、確かにそうかもしれない。
さすがに、新一は誰彼構わず女に手を出すような人ではないと、それは今でも信じているが、それでも、過去彼に関係した女全部に責任を取っていたら、今頃ハレム状態だろう。

新一の方も少しは、蘭のことを、好ましく思ってくれていたのだろうか?

「で、でも、じゃあなんであっさり、別れをOKしたの?」
「そりゃ、蘭に嫌われたと思ったからじゃない?だって蘭は告白してないんだから」


新一は、蘭のことをどう思っているのか?
真実はどこにあるのだろうか?

蘭は、突然、気が付いた。
蘭が自分の気持ちを伝えないまま、安全圏にいたまま、真相を知ることはできないという、ごくごく当たり前のことに。


それこそ、蘭の前に道が開けた瞬間だったのである。



(8)最終話に続く



++++++++++++++++++++++


<後書き>

さてさてさて。
実は、ここで別れを告げるのは、新一君の筈でした。
ま、オリジナル話がそういう流れ、なんですよ。

でも、私がどんなになだめすかそうと、この新ちゃんは、何があろうと、自ら蘭ちゃんを振ろうとはしてくれませんでした。
他のお話では新ちゃんから別れを告げる展開もあるんですけどね、おかしいなあ。

もちろん!どの世界の新一君であろうと、「蘭バカ」が彼のアイデンティティであることは変わりません。


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