もう一度、言って



byドミ



(4)ルパンよりホームズ



新一が蘭の「婚約者」となって、2か月。
夏期休暇中に行われる「結婚式披露宴」が、少しずつ具体的になって来た。

とは言え、お互いに学生の身。
新一は、高校を卒業してから探偵活動の報酬を貰うようになり、それなりに収入があるらしい。
蘭は、自宅から通いながら、アルバイトをしている。
しかし、まだまだ2人とも、貯蓄額がさほど多い訳ではない。

だから、結婚式披露宴は、東都大学の学生会館を利用し、手作りで行う計画を立てていたが、その分、自分達でやらなければいけない事も多く、かなり多忙な毎日となった。
衣装は、貸衣装を予定していたのだが。
新一の家で夕食をしている時に、新一が言った。

「ドレスは、ヴェール小物込みで、母さんが贈ってくれるってさ」
「ええっ!?」
「母さんが昔着たヤツなんだけど……古着でも構わねえか?」
「勿論よ。貸衣装だって、古着には違いないんだし。でも、お母様が結婚式の時に使われたものなら、大事なものでしょ?本当に、甘えちゃって良いの?」
「ああ。タンスの肥やしになってるより、蘭に着てもらった方が、衣装も本望だろうぜ」


蘭は、新一の母親に会った事はないが、どういう女性であるかは、知っていた。
いや、知っているのは、あくまで「偶像」の部分に過ぎないけれど。

工藤新一の母親は、かつて一世を風靡した、実力ある美人女優・藤峰有希子だった。
作家の工藤優作と恋に落ち電撃結婚引退した藤峰有希子が活躍していたのは、蘭が生まれる前の事だが、リバイバル放送などで何度も見た事がある。
蘭が好きな女優の一人だった。

そんな女性が、蘭の義理の母になり、結婚衣装を借りる事になるなんて。
あまりにも夢のようで、怖くなった。

「あ、あの……新一のご両親は、わたしの事……」
「ん?ああ……蘭は大丈夫だよ。オレには勿体ないイイ子だって言うだろうから、心配すんな」

何で新一には、蘭が抱える不安が分かってしまったのだろうと、蘭は思った。
新一には全てお見通しのような気がしてしまう。
そう……蘭がずっと抱えていた新一への想いすらも。

そして、正直、新一の「蘭なら大丈夫」も、安請け合いとしか思えなかった。
何しろ新一の両親は、世界的推理作家である工藤優作と、一世を風靡した女優である藤峰有希子。
蘭から見たら雲の上のような存在だった。

新一とて、高校生探偵から学生探偵と、脚光を浴び続け、遠い存在と言えば言えたが、「大学の同期生」である事が、お互いの隔てを低くしていた。


両親は有名人でお金があり、自身も高名な探偵であり、頭脳明晰スポーツ万能おまけに見目も良い工藤新一は、その気になれば女には不自由しない立場であろう。
なのに、蘭との「一夜の過ち」の責任を取って、まだ学生である今、蘭と結婚しようとしている。

『わたしは、この人の足を引っ張る存在』

その思いが、蘭の胸に突き刺さる。
けれども蘭は、自分から新一の元を離れる事は出来なかった。

『ずるいわ、わたし……』

蘭はまた、落ち込みかける。


「蘭?どうした?疲れたのか?」

新一の気遣わしげな声がふって来る。

「あ……ううん、大丈夫」
「明日も講義があるんだろ?今日はこの位にしようぜ」

新一が、立ちあがる。
これから、蘭を送って行こうという合図だ。


夜道を歩いて、工藤邸から毛利邸へと向かう。
新一は蘭の手を握るでもなく、つかず離れずの距離で歩いて行く。


そして、毛利探偵事務所のあるビルの前まで来た。
階段の下の暗がりで、新一が蘭の肩に手を掛けて、顔を近づけて来た。

『来る!』

このところ、別れ際にはいつも、新一の軽い口付けがあった。
けれど、何度繰り返されても、蘭はそれに慣れない。

新一から触れられるのは嬉しくて、待ち望む気持ちはあるけれど。
いつも緊張して、目をギュッとつむり、身が強張ってしまうのだ。

しかし今日は、いつまでも蘭の唇に触れるものはなく。
新一がかすかな溜息をついたのを、蘭は確かに聞いた。

そして、蘭の待ち望む温もりは、唇ではなく額に降りて来た。

『えっ?』

蘭は、目を開いた。
新一が、何となく哀しげに微笑んで、蘭を見ている。

「蘭。あのさ。蘭はオレの妻になる事に、異存はねえんだよな?」
「えっ……?」

新一の問いの意味が掴めず、蘭は戸惑う。

「結婚後。子作りしても、良いのか?」
「……え?うん、わたし、子供好きだし。早く子供が欲しいなって思うから……新一が子供作りたいなら、わたし、大学休学しても良いよ?」

蘭の答は、新一の問いとはずれていたらしい。
新一は、ガックリとうなだれると、蘭の肩に頭を乗せた。

「新一……?」
「や、まあ、いい。オメーがオレの妻になってオレの子を産む積りがあるってんなら、それで良いんだ」

首を傾げる蘭に、新一はもう一度、今度は頬に口付けて。

「じゃあ、お休み」

踵を返し、去って行った。
蘭は、口付けられた頬を押さえ。
新一が今迄蘭に口付けてくれていたのは、ただの「婚約者の義務感」からで、触れたい訳ではなかったのだろうと、悲しく思っていた。



   ☆☆☆



「蘭!ここよ、ここ」

蘭が、目的の喫茶店に着いてきょろきょろしていると、明るい色のボブで前髪をあげた女性が、手をあげた。
急ぎ足で、その女性のいるテーブルまで行き、向かい側に腰かける。

「お待たせ、園子」
「ホント、いつも遅れて来るんだから」

蘭と待ち合わせていたのは、蘭の幼馴染みで親友の、鈴木園子だった。
高校まではいつも一緒だったけれど、大学は別の所に進学したため、滅多に会えなくなっている。

「ごめ〜ん、色々忙しくて」
「でも。婚約者殿との待ち合わせには、頑張って時間までに行ってんでしょ?」
「う、うん……」
「蘭がそこまで変わるとはねえ。男って偉大だわ」
「へ、変な言い方しないでよ、園子!」
「はいはい。で?工藤新一って確か、その昔、高校生探偵だった……」
「うん。園子、何で知ってるの?」
「何でって……高校時代、クイーンセリザベス号で、鈴木家の家宝ブラックスターを、キッド様から守ったのが、彼だったんだもん」
「あっ!そう言えば……」

蘭は園子から誘いを受けていたものの、空手部の合宿で都合がつかず、行かなかったのだ。

「まあ、イイ男だと思うわよ。わたしの好みじゃないけどね」
「……園子。もしかして、新一が、憧れのキッドを追い詰めたから嫌いだなんて、言わないわよね」
「ああ。キッド様と接近遭遇出来る、千回一遇のチャンスだったのにさ」
「園子。それを言うなら、千載一遇、でしょ?」
「うっさいわねー!あの時、キッド様は蘭に化けて来たのよ!」
「えっ!?それ、初耳……」
「都合がついたから、ってやって来た蘭は、どこからどう見てもニセモノには見えなかったのに、あの男はそれを見抜いたのよ」
「へ、へえ……そんな事が……」
「公衆の面前で思いっきりヤツの正体をばらしたわね。まあ、それでも逃げられちゃったんだけどさ。ふふん、イイ気味」
「イイ気味って……だって新一は、鈴木家の家宝を守ったんでしょ!?」
「わたしには、キッド様の方がずっと大切だもん」
「……園子。京極さんにチクるわよ」
「もう!蘭は昔から、キッド様嫌いなんだからあ。良いじゃない、憧れる位」
「えっ?キッド嫌い?そうかなあ。そりゃ、好きじゃないけど……」
「蘭は昔っから、怪盗紳士よりも探偵の方が、好きだったもんね。その意味では、工藤君は蘭に似合っているかも」
「……」

蘭の親友である園子は、チャラチャラしている外見に反して、意外と鋭い所もあったりする。
特に蘭に関しては、よく把握していた。
ただ、ミーハーで面食いで、ハッキリ言って男を見る目はなかったけれど。
園子を一途に愛してくれる京極真との出会いで、男運のなさは、一気に流れが変わったようである。

蘭は確かに、昔から、怪盗よりは探偵を、ルパンよりはホームズを、好きになる傾向があった。


「でも、良かったじゃない。蘭の好きな探偵に、惚れられて」

園子の言葉に、ストローを弄んでいた蘭の手が、止まった。
思わず、目からじわりと滲むものがあった。

「らら蘭!?どうしたの!?」
「……惚れられたんじゃないもん。新一は、仕方なくわたしと……」

そこまで言葉に出すと、こらえ切れずに、蘭の目から雫が落ちた。

「どういう事なの、蘭?」

あの夜の事は、今迄、誰にも話した事がない。
長年の親友である園子にも、ただ、大学のサークルで知り合った工藤新一と婚約したと告げただけだった。

蘭は、そもそもの潮田の事件から、園子に打ち明けた。
蘭の長い話を聞いていた園子は、最初、難しい顔をしていたが。
最後の辺りになると、眉をあげて何とも言えない酸っぱいような顔になった。


「あのさ。蘭。わたしゃ真剣に、蘭が悩んでるんじゃないかと思ってたんだけど」
「えっ?」
「結局、ノロケられてる訳?」
「の、ノロケって……どこがノロケって言うのよ!?」
「全部」

蘭がいきり立って言った事に、園子はストローをくわえてアイスティを飲みながらアッサリと返した。


「蘭。アンタ、この園子様にもずっと隠してたけど、つまるところ、ずっと工藤君の事が好きだった訳でしょ?」
「え?う……うん……でも……」
「工藤君も、蘭の事が好きなんだと思うよ。いつからかは、分からないけど」
「ええっ!?」
「あのさ、蘭。今時、酔った勢いでベッドインしたからって、責任取ろうなんて男はいないよ?まして、まだ学生なのに、いきなり結婚だなんて、有り得ないでしょ」
「そ……そうかな……でも、新一は責任感が強いから……」
「いやいや、いくら責任感強いって言っても、彼のようにもてるだろう男が、一々、ひと晩の過ちの責任取ってるんじゃ、体がいくつあっても足りないと思うよ。彼は、蘭の事が好きだから、喜んで責任取ろうとしたんじゃないの?」
「そんな事……ないと思う……だって……」
「やれやれ。蘭の頑固なとこ、今に始まった訳じゃないけど。何でそこまで頑なに、否定するのよ?」
「……」

新一が、蘭の事を好きでいてくれるのなら、それ以上幸せな事はない。
けれど、蘭は園子に言われても、「そんな筈はない」と、頭から決めてかかっていた。

蘭は自分であまり自覚していなかったけれど。
新一が蘭の事を好きだろうと期待して、もしも、それが違っていた場合、奈落に落とされる位ショックを受けるだろうと分かっていた為、決して期待はするまいと自分でブレーキをかけていたのである。

「ひと晩の過ちって言うけどさ。案外、工藤君が蘭を自分のものにする為に、周到に計画していたんだったりして」
「まさかあ。だってあの晩の事は、本当に偶然の成り行きだもん」

潮田が酔って蘭に絡まなかったら。
蘭が新一を飲みに誘わなかったら。

色々な偶然が重なって、あの晩の出来事が起こったのだった。


蘭が新一を受け入れたのは、偶然ではなく、酔っていたからでもなく、蘭の新一への深い想いだった。

けれど。
新一が蘭に手を出したのは、もしかしたら新一の気持ちが背景にあったからかもしれないと、ポジティブに考える事が出来ない、臆病な蘭なのであった。


バッグの中で、蘭の携帯が震える。
マナーモードにしてあるそれは、メール着信などでよく震えているが。
どちらかと言えば、迷惑メールが多く、またそういう類かと思って蘭は携帯を開いてみた。

すると、ミステリーサークルの代表塚本からのメールで、蘭は驚く。
内容は、久し振りの飲み会の誘いだった。


「蘭?ミステリーサークル、まだ続けてたの?」
「う……うん……でも、あれ以来、ご無沙汰しちゃってるんだけどね」


新一も蘭も、「あの夜」以来、ミステリーサークルの活動には、全く顔を出していなかった。
別に、正式に止めた訳ではないけれど。
足は遠のいていた。


「もう、いっそ止めちゃったら?」
「そう簡単には行かないもの。それに……」

蘭が困惑しているのは、今回誘われた飲み会が「新一と蘭の婚約を祝う為のもの」であったから、だった。




(5)に続く


++++++++++++++++++++++++


<後書き>

さてさてさて。
ここは、オリジナルストーリーとは大分違っています。

園子ちゃんは、原作準拠でもパラレルでも結構活躍してくれますね。

で、この世界にも、怪盗キッドがいるようです……原作と違い、蘭ちゃんはキッドに邂逅しないまま終わっていますが。


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