もう一度、言って



byドミ



(3)ぎごちない付き合い



「わりぃ!遅くなった!」

新一が、息を切らせながら、待ち合わせの米花駅前時計塔まで駆けて来た。

「新一……」

蘭は、ホッと笑顔を見せる。
今日はデートの待ち合わせ。
新一の遅刻はほんの数分程度、別に大して遅れた訳ではない。

「ごめんな。蘭」
「ううん。わたしも今来たところだから……」

蘭の言葉は、ウソだった。
待ち合わせの際、蘭はかなり早くから待っている。

園子とその話をした時には、仰け反って驚かれてしまった。

『ええ!?いっつも待ち合わせに遅れて来る蘭が、デートの時は時間より早く行ってるの!?ウソでしょ!?』

そして。

『はああ。やっぱ、男が女を変えるって、本当ねえ』

溜息交じりに、そう言われてしまったのだった。
かくいう園子だって、京極真との出会いで、丸っきり変わってしまったのを、蘭は知っている。

蘭がいつも新一とのデートの時に、早目に行くのは、不安だからだ。
新一と蘭とは、新一が「一晩の過ち」の責任を取って、始まった仲だから。
とても危うい土台に乗った関係だから。



あの一夜の後、新一はすぐに、毛利家に結婚の挨拶にきた。
蘭の両親は、あまり歓迎しておらず、特に父親である小五郎は、苦虫を噛み潰したような顔になったけれど。
蘭ももう、20歳を過ぎているし、小五郎と英理だって20歳になってすぐの結婚だったから、表だっての反対までは、しなかった。

新一の両親である優作と有希子は、新一の話によると歓迎してくれているという。
今はアメリカにいるが、いずれ帰国した際に蘭に挨拶をするとの事だった。

蘭の昔からの友人達は、驚きながらも大喜びしてくれたし。
大学の同期や先輩後輩達は、やはり驚きながらも祝福してくれた。

色々な事が、拍子抜けする位にスムーズに運んで行く。
あれよあれよという間に、次の夏季休暇に式を挙げる段取りまで、話は進んでいた。



そして。
新一は、いつでも優しい。
連絡は密にあるし、忙しい中でも、出来る限り蘭との時間を作ろうとしてくれる。
デートの時は、蘭の行きたい所を最優先して、コースを考えてくれる。

蘭は、幸せだけれど、同時に辛かった。


2人が「婚約者」となってから、間もなくひと月が経とうとしている。
そして季節は、そろそろ初夏に移り変わろうとしていた。

今日は、蘭が見たいと言っていた映画を見に行く事になっている。

「じゃ。行こうか」

新一が蘭を促す。
蘭の肩に、一瞬新一の手が触れるが、すぐに離れた。


あの晩以降、新一は蘭に触れて来ようとしない。
キスも、2人が結婚の約束をしたあの朝に交わした切りで、それ以降、新一が蘭の唇を求める事もなかった。


『新一は、わたしの事、欲しがってなんかいない……決して、好きな訳じゃないんだわ』

やはり、あの晩の事はアルコールが入った為の過ちに過ぎなくて。
新一は今、婚約者として、蘭に優しく、とても大切にしてくれるけれど。
決して、愛してくれている訳ではないのだと、蘭は悲しく思っていた。

でも、それが何だと言うのだろう?

蘭がずっと、片思いをしていた新一が、たとえ酔った勢いであっても蘭を抱いてくれて。
蘭を婚約者としてくれたのだから。
それだけでも、充分過ぎる程の幸せな事ではないか。

蘭は、そう自分自身に言い聞かせる。


「蘭?」
「えっ?何?」

物思いにふけっていた蘭は、新一にじっと見つめられている事に気付いていなかった。
呼びかけられて我に返り、新一の眼差しに気付いて赤くなる。

「映画、あんま良くなかったのか?」
「え?ううん、面白かったよ」
「そっか。なら良いけど……オメー、結構上の空だったからさ」
「あ、ちょっと、考え事してただけ。大丈夫だよ。今日見た映画は、ずっと見たいと思ってたんだもん……」

新一こそ、映画はつまらなかっただろうと蘭は思う。
男性があまり興味なさそうな、ラブロマンスだったのだから。
蘭の隣で、映画上映が始まるなり、新一が眠り込んでいたのを、蘭は知っている。

映画は、面白かった。
けれど、別の意味で胸が痛かった。

色々な事があったけれど、深く愛し合う2人は、最後には難関を乗り越えて結ばれるのだ。
しかし、現実の蘭は。
大好きな人と結ばれたけれど、そして、結婚する事になっているけれど、あんな風に運命的なロマンチックなものではないと、考えてしまう。


『わたしは、この人の為に、何が出来るだろう?』

蘭は、新一を見ながら、考えた。

『新一が、責任を考えて、結婚してくれるのなら。わたしに出来る事は、新一の良き妻となる努力をする事じゃ、ないかしら?』

「……今日の晩飯は、どうする?オメー何か、食べたいもんあっか?」
「ねえ!新一の好きなもの、何?わたし今日は、新一の家で、ご飯作ってあげるよ!」

蘭は、勢い込んで言った。

「へっ?オメーが作ってくれんの?」
「何?不安だって言うの?」
「あ、いや別に、不安だって訳じゃ……」
「これでも、長い事、主婦代わりやってたんですからね!」
「……知ってる」
「えっ!?」
「あ、いやまあ……以前、そういう話してた事あったろ?」

そう言えば、そういう事もあったかなと、蘭は思った。

「そ、そりゃまあ……オメーが作ってくれるってんなら、ありがてえけど。良いのか?」
「うん!じゃあ新一。買い物付き合って!」
「へっ?」
「どうせ、一人暮らしの新一の家には、何もないんでしょ?」

新一の両親が海外にいる事は知っていたし、蘭と一線を越えた朝の家の中の様子から、新一が1人暮らしである事は明らかだった。
さすがにその時の蘭は、冷蔵庫を開けて見る事もしなかったけれど、たぶん、ロクなものは入ってないだろうと思う。


2人連れ立ってスーパーに行き、蘭が選んだものを新一が押しているカートに入れて、買い物をする。
時々、新一の方を見ると、思いがけず、すごく優しい眼差しで蘭を見詰め返して来るので、蘭はドキドキした。

『これって……何だか新婚さんみたい』

ふと、そう考えた蘭は、もうすぐ、本当に「新婚さん」になるのだという事に突然思い至った。
赤くなる顔を見られたくなくて、俯いて新一から目を逸らす。

『わたしって、バカみたい。何を浮かれてるんだろう?新一は、ただ……義務で、わたしと結婚するだけなのに……』

新一が蘭を、女として求めていないのなら。
せめて、妻らしく義務を果たし、新一の健康管理に気をつけ、新一が居心地の良い家を作ろう。
蘭の発想は、そういうとんでもない方向に流れ始めていた。


そして、工藤邸を訪れた。
ひと月前、思いがけず、新一に抱かれる事になったその場所を前にして、蘭の胸はキュンとなった。
あの晩は、確かに幸せだったと、蘭は思う。

「蘭?どうした?」

玄関前で屋敷を見上げて入ろうとしない蘭に、新一がいぶかしむように声をかけて来た。

「ううん、何でもない……」

蘭は、物思いを振り切って、工藤邸に足を踏み入れた。


そして。
新一にも手伝って貰いながら、夕御飯を作る。

一応新一は、独り暮らしも長くそれなりに料理をして来たようだけど、手際が良いとは言い難かった。
おそらく、簡単な料理法しかやって来なかったのだろう。

出来あがった料理を見て、新一は口笛を吹く。

「結構本格的じゃん」

蘭の料理はごく普通の家庭料理で、見た目が綺麗とか素晴らしいとかではないので、新一の言葉はちょっとくすぐったい。
けれど、味にはそれなりに自信がある。

「どうぞ、召し上がれ」
「頂きます」

新一は、神妙に手を合わせると、食べ始めた。

「……すっげー、うめえ」

新一が満面の笑顔で言ったので、蘭は嬉しくなる。

「もうじき、毎日、蘭のこの手料理が食べられるようになんだな。すっげー楽しみ」

新一の言葉は、蘭が望んでいたもので、嬉しくはあったのだけれど。
蘭の心の中に、チクリと刺すものがある。
新一が望んでいるのは、蘭というひとりの女性ではなく、家を守り整えてくれる妻としての役割を果たせる女性なのだと、感じてしまう。

それでも、良いと思いながら。
新一が蘭を妻として大事にしようと考えてくれるのなら幸せだと自分に言い聞かせながら。
どうしても、寂しさが拭えない。

新一と向かい合わせで食べるご飯は、父親不在の時1人で食べるご飯よりは、ずっと美味しかったし。
新一の話はホームズの事ばかりだったけれど、楽しく過ごせた。

けれど、愛されている訳ではないという思い込みが、蘭の胸をチクチクと刺す。

食事が終わった後、蘭は、片付けをしようと席を立った。
食器を運ぼうとする蘭を、新一が制する。

「蘭。片付けは良いよ。オレが後でやって置くから」
「で、でも……」
「ごちそうさん。美味かった。ご飯作って貰っただけでもありがてえんだから、片付け位はオレにやらせてくれ」
「う……うん……」
「送って行くよ」
「……」

もしかしたら、泊って行けと言ってくれないかなと思っていたのに。
新一は、そういう積りは全くなかったらしい。

促されて蘭は、玄関に出る。
新一は車も免許も持っているが、車を出すほどの距離ではないという事で、2人歩いて蘭の家まで向かった。

蘭の家は、小さな3階建てのビルの中にある。
そこは、蘭の父親である毛利小五郎の持ちビルであり、3階が住居、2階が毛利探偵事務所、1階は貸し出していて、喫茶店「ポアロ」になっていた。

新一は、住居へ昇る階段の下まで、蘭を送ってくれた。

「送ってくれて、ありがとう」

蘭が新一を見上げると。
新一は、蘭の両肩に手を置いた。
そして、新一の顔が近付いて来る。

蘭は緊張のあまり、全身を強張らせていた。
目を閉じて待つが、震えているのが自分でもわかる。
心臓が、新一に聞こえるのではないかと思う程に、すさまじい音を立てている。


あの朝以来初めての新一の口付けは、軽く触れるだけで、すぐに離れて行った。


蘭が目を開けると、新一は、優しい切なげな眼差しで、蘭を見詰めていた。

「新一……?」
「お休み。またな」
「お、お休みなさい」

軽く触れられただけの唇が、異様に熱い。
もう既に、深い仲になった2人なのに、触れるだけの軽いキスひとつで、どうしてこうもぎごちないのだろう。

でも、新一の方から触れて来た事で、蘭は嬉しかった。
ほんのりと幸せな気持ちを抱えながら、蘭は、自宅への階段を登って行った。




(4)に続く


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<後書き>

この第3話は、ほぼ、オリジナルストーリーのまんまです。
こういう初々しい関係は、新蘭によく似合うと、思っています。


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