久遠の一族



byドミ



第8章 銀の弾丸



初めて会った、あの日。
新一は、蘭の馬車を襲った凶悪な賊達を気絶させたが、殺す事はなかった。

『オレは、人は殺さねえ』

人の血を、生気を奪って生きるヴァンパイアなのに。
人を殺さないと言い切った、新一。

頭を打って気を失っている乳母やの具合を見て、蘭に心配ないと説明してくれ、その後、優しく座席に横たえてくれた。
蘭の屋敷まで、馬車を操って連れ帰ってくれた。
蘭が嫌がったら、記憶を奪わないでいてくれた。

ただ、蘭を助けてくれたというだけでなく。
魔物らしからぬ優しさに満ちた人だった。

けれど、蘭が本格的に恋に落ちたのは、彼の眼差しの中にある孤独を感じ取ったから、かもしれない。
蘭は、心優しい魔物の孤独を、癒してあげられる存在に、なりたかったのだ。

蘭は必死で、愛馬ファレノプシスを駆り、米花の館へ向かっていた。

まともに考えるなら、新一と瑛祐とでは、新一の力の方が、ずっと上。
新一は、瑛祐が敵う相手ではないけれども。

『オレは、人は殺さねえ』

新一は、人の心を持ったヴァンパイア。
人を殺す事を厭う魔物。
彼は、瑛祐を殺す事は、しない……いや、出来ないだろう。
であれば、力の差はともかく、新一の方が、圧倒的に分が悪い。

新一は決して、積極的に死のうと思っている訳ではないだろう。
けれど、新一が瑛祐を殺せないなら、もしかしたらという事も、有り得る。


『たとえ、わたしの傍にいてくれなくても、いい!死なないで、新一!』

蘭を乗せたファレノプシスは、全速力で米花の館へ向かっていた。

やがて、赤い薔薇が庭を埋め尽くす館に、着いた。
初めて新一に抱かれた館を見上げて、蘭の胸が疼く。

館の前には、見覚えのある、瑛祐の栗毛の馬が繋がれていた。
蘭は、玄関のドアを開け、階段を駆け上がる。
そして、蘭が新一に純潔を捧げた、二階の部屋のドアを開けた。

目が赤く、牙が口からのぞいている、ヴァンパイアの顔をした新一がいて。
ドアのすぐ近くに、蘭に背を向けるようにして、瑛祐が新一に向かい合っていた。
その瑛祐の手には、短銃が握られていて、蘭は息を呑んだ。


   ☆☆☆


十字架、聖水、日光、にんにく、心臓に杭。
吸血鬼が苦手とされる、それらのものは、実際のところ、ものの役にも立たなかった。

ヴァンパイアは、夜行性が多いが、そちらの方が糧を得るのに都合が良いというだけの事。
実際は、昼夜の別なく動けるのである。

十字架や聖水に関しても、人間であった時に信心深かった者が、人間の意識を強く引きずっていたりすると、時に精神的打撃を与える事もある、という程度の事。
にんにくは、それを食した人間の血が、一時的に不味くなるので厭われるというだけで、それでヴァンパイアを撃退できる訳ではない。

物理的打撃には非常に強く、大抵の大怪我も、すぐに治ってしまう。
ヴァンパイアにも一応心臓があるが、心臓を貫かれても、頭をぶち抜かれても、いずれは傷が塞がり、それだけで死ぬ事はないのだった。

一応、火には弱いが、それすらも「人間以下」で、焼き討ちに遭うとか、かまどの中に放り込まれるとか、全身丸焼けの状況でない限り、再生してしまう。

それほどに超強力なヴァンパイアが、何故、いつまでもひっそりと少数派なのかと言えば、つまるところ、生殖が出来ないからであり。
仲間を増やす方法はあっても、滅多やたらとそうしないのは、糧である人間とのバランスを取る為でもあった。

実際のところ、ヴァンパイアハンターも、本当の意味でヴァンパイアを「狩れる」程の力を持つ者は、殆どいない。
ただ、人間達が一致団結して、大がかりに焼き討ちされたりすると、さすがにやばい為、ヴァンパイアハンターが動いた場合は、一族の者は適当な所で巧妙に逃げ出す事にしている。
だから、ヴァンパイアハンターが動く事で、「ヴァンパイアに魅入られた人間」を救うケースも、ままある。
けれど、それは一族の者が全面対決を厭う故で、本当の意味でヴァンパイアハンターを恐れている訳では、ないのだ。


新一は、瑛祐相手に殺される気は、なかった。

けれど。
この時代の人間には珍しい事だが、瑛祐は、純潔を失ったと分かっている蘭でも、愛している、幸せにすると言い切った。
瑛祐の手で、工藤新一を打ち滅ぼし、ヴァンパイアから蘭を解放したという形を取った方が、蘭はきっと幸せになれるだろう。
そういう風に新一は思っていた。

朝、コロー卿の館を出た瑛祐は、一旦、本堂伯爵邸に戻っていた。
ヴァンパイアを打ち砕く為の準備を整えて、米花の館へと向かって来た。
瑛祐は、道に迷いながらも、ようやく辿りついた。
そして、新一に向かって、銃を突きつけたのである。

『銀の弾丸……シルバーブレットか。人間達が、魔を打ち砕く力があると信じている……』

残念ながら、実際のところ、銀の弾丸ごときでは、ヴァンパイアを打ち砕く事は不可能だ。

『本当に、あのようなものでオレが打ち砕かれるのなら……これ以上苦しまずに済むんだがな』

新一は、自分自身のものであっても、命を奪うのは罪だと思っているし、生前の両親にも、叶う限り生き続けて幸せになる事を約束したから、自ら進んで死のうとは思っていない。
しかし、たまに、生き続ける事が苦痛になる事も、ある。
銀の弾丸が魔物である自分を滅ぼせるなら、全てが楽になれるのにと、埒もない事を考えてしまう。

ふと、新一は、近くに、愛しい少女の気配を感じた。
愛馬を駆って、こちらに向かっている。

蘭への記憶操作が、いつまでも保つとは思っていなかったけれど、こうまで早いとは。
おまけに、蘭の愛馬・ファレノプシスは、以前誘導した事があるから、この館への道を覚えている。
新一は、舌打ちしそうになった。

けれど。
蘭には残酷な仕打ちだろうが、新一が打ち砕かれたと蘭に思わせる方が、蘭の為かも知れないと、思い直す。

蘭が、玄関を開け、階段を駆け上って来る気配を感じながら、新一は瑛祐に向かって挑発する。

「どうした。腕が震えているじゃないか。お前、実践で銃を使った事なんか、なさそうだな。そんな事で、蘭をオレから解放するなんて、出来るのか?」
「お……お前は、人間じゃない!人の形をした、亡霊だ!」

瑛祐は、真っ青な顔で言った。
どう見ても、人の形をしている相手を、撃つ勇気が持てないのだ。

新一は、敢えて、ヴァンパイアとしての姿を現す。
目が赤く光り、牙を覗かせた。
これで、相手が「人ならぬモノ」だと実感出来る筈だ。

「亡霊!消えろ!お前はここにいてはいけないモノだ。消えてしまえ!」

新一は、瑛祐が銃を撃つタイミングをはかっていた。
よける為にではなく、タイミングを合わせて、「砕かれたように」消える為に、である。

マントで目くらましをしながら、新一自身は背後の窓から飛び出す。
ヴァンパイアは死ぬ時塵になると信じられているから、実際、それで何とか誤魔化せる筈だ。


「う……うわあああああっ!」


瑛祐が叫び。


次の瞬間。




ズガアアアアアアアア……ンンン





銃声が、響いた。



そして。

神速を持つ新一でも、間に合わないタイミングで。


瑛祐の銃の前に飛び出し、銃弾をまともに受け、新一の方に吹き飛んで来たのは。


新一が何よりも愛した、少女の姿だった。


新一が伸ばした腕の中に、少女は崩れ落ちる。


「し……ん……い……」


少女が微笑み、口を動かすが。
何を言っているのか、もう聞き取れない。


菫色がかった黒曜石の瞳が、瞼の裏に隠されて行く。

銃弾は正確に少女の胸を貫き、もはや手の施しようがないのは、明白だった。


「らあああああああああん!!」



新一は、腕の中の少女を抱き締め、悲痛な声で呼んだ。



蘭が、新一を守ろうとして、咄嗟に銃弾に身をさらしたのだ。



こんな筈では、ない。
こんな筈では、なかった。

新一が蘭を手放そうとしたのは、こんな結末を迎える為ではない。


蘭に、光の中にいて欲しい。
人間的な幸福を掴んで欲しい。
誰よりも、幸せになって欲しい。


そう、願っていたから、だったのに。

新一がそういう事を考えたのは、ほんの一瞬にも満たぬ間の事。


「蘭!逝くな!そんな事には、ぜってー、させねえっ!」

たった今、永遠に蘭の存在を失うか、蘭にヴァンパイアとしての命を与えるか。
選択肢がその二つしかないのだったら、新一の選ぶ道は、一つしかなかった。

腕の中に崩れ落ちた蘭の首筋に、新一は躊躇う事なく、牙を立てた。

蘭の血を吸い、同時に、新一が持つヴァンパイアの血を、蘭の中に注入して行く。
初めて行う事だったけれど、ヴァンパイアの本能に従って動いた。
今は、蘭の血の甘さを味わう余裕などもなく、ただたた、命を分け与える事しか考えられない。

新一が全てを終えた時。
その腕の中で、蘭は息をしておらず、心臓の拍動も、止まっていた。

見た目は、亡骸と、何ら変わらなかった。
けれど。

「大丈夫。間に合った筈だ……」


新一は、自分に言い聞かせるように言って、蘭の体を抱き締めた。


暫く置いて、新一は、瑛祐の声に気がついた。

「う……あ……ああ……こ、こんな……ぼ、僕が……僕がこの手で……蘭さんを……」

涙を流して床にうずくまり、瑛祐が泣いていた。

「本堂瑛祐」

新一の声に、瑛祐はビクリとする。

「お前の所為じゃない。オレの見通しが甘かった。蘭の事を……何でも分かっている積りで、本当には分かっていなかった……」

瑛祐は、涙ぐちゃぐちゃの顔をあげた。

「だけど!僕が、お前を撃とうとしたから!だから……!」
「お前が自責の念を持っていたら、自分の所為でと蘭が嘆く。あいつは、人の痛みに涙する女なんだよ。だから、自分を責めるな」
「工藤……新一……あなたは……」

瑛祐は、今、不思議なものでも見るかのように、新一を見ていた。

「……蘭に、人間の女性として、母親として良き家庭人としての、幸せを掴んで欲しかった……だから、オレがいなくなれば蘭も諦めざるを得ないと、思ったんだがな」
「お前は、ヴァンパイアのクセに、そんな事を考えるのか?」
「オレは、なり損ないでね。人間に戻りたいと、ずっと思っていたよ。蘭に出会うまではな」
「……」
「長く生きたから、蘭に出会う事が出来た。けれど……愛しているから、オレと同じ呪われた存在にする事は出来ないと、ずっと、思っていた」
「あなたも、本気で、蘭さんを愛していた。そういう事なのか……」
「蘭は、もう、オレ達の一族だ。連れて行く」

そう言って、新一は蘭を抱えて、立ちあがった。


「ま、待って!待って下さい!」
「……愛しい女性でも、別の存在は許せないか?その銃で、もう一度、蘭を撃つか?もっとも、オレが、ぜってー二度と、そんな事にはさせないがな」
「違う!違います!蘭さんは、生き返るんですよね?」
「別の存在になって、生きて行く。オレと一緒に」
「きっと、幸せにしてあげて下さい。お願いします!」


新一は、頭を下げる瑛祐を、少し目を見開いて見詰めた。

「……ああ。オレの精一杯で、幸せにするよ」

蘭と共に、これからの長い長い時を、生きて行く。
今迄、自分自身に望む事を禁じていた未来が、新一の前に広がっていた。

子供は望めないにしても。
その分、沢山沢山、蘭に愛を与えよう。
いつまでも、どこまでも、寄り添って生きて行こう。

新一からは、全ての迷いが消えていた。


「それじゃ。もう会う事もねえだろうけど」

新一が、そう言って去ろうとすると、瑛祐が縋りついた。

「ま、待って!待って下さい!」
「……まだ何か、あんのかよ?」
「あの!蘭さんが目覚めるまで、どの位かかるんですか!?」
「さあ。個人差大きいからなあ。最短で丸一日、最長で一週間、というところか」
「丸一日あれば、何とか。どうか、ご両親に、最期のお別れをさせてあげて下さい!行方不明では、悲し過ぎます!」
「……要するに、蘭の『遺体』と会わせて、葬式を挙げさせろって事か?」
「はい!お願いします!」

新一は、蘭をじっと見詰めた。
不意に、とっくの昔に死んでしまった両親の事が、頭に浮かぶ。

「わーった。けど、蘭の両親を納得させるシナリオは、オメーが作れよ?」
「はい。任せて下さい!」


蘭をめぐっては恋のライバルの筈で、切れ者なのかドジっ子なのか、今ひとつよく分からないこの男に。
新一は、奇妙な友情めいた気持ちを、感じ始めていたのだった。



第8章に続く




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