久遠の一族



byドミ



第7章 別れ



蘭が、新一に「仲間にして、連れて行って」と迫ってから、数日が過ぎた。

あれ以来、二人とも、その事には触れず。
今迄と同じように、夜は新一が蘭の部屋を訪れ、同衾する生活が続いている。
今のところは、蘭が危惧したような、新一に一方的に「記憶を消される」事も、なかった。

新一は、「蘭と出会えた事には感謝している」と言ったけれど。それ以外の部分では、吸血鬼である自身を疎ましく思っているのだろう、人間でありたかったと思っているのだろうと、蘭は思う。
でなければ、蘭の「人間的幸福」を尊重して、蘭をエサにする事も仲間にする事も厭うなど、有り得ない。

新一の深い想いが嬉しいと同時に切なくて。
敢えて蘭を手放そうとするのが悲しくて。
ずっと傍にいたいと、彼の孤独を癒せる存在になりたいと、蘭は願い。
どうにかして、蘭を連れて行く気にならないだろうかと、蘭は考える。


蘭は、久し振りに舞踏会に参加した。
気が重かったけれど、母親である英理に、絶対に出席するようにと、かなりきつく言われたのだ。

「お相手、願えますか?」

瑛祐がダンスを誘って来て。蘭は、瑛祐の変わらぬ笑顔に、ホッとすると同時に、少しばかり罪悪感を抱いた。
誘われるままに、踊る。
今迄、何人もの男性と、ダンスをして来たけれど。
一度も、それを楽しめた事はなかった。

『学校に行ってた頃は、ダンスのレッスン、とても楽しかったのに……』

女ばかりの学校だから、男女の役を交替しながら、練習をしたものだった。
数少ない「体を動かす」授業だったから、蘭は結構好きだった。

けれど、社交界に出て、実際に男性とダンスを踊ってみると。
相手から肩や腰に手を当てられるのが、苦痛以外の何ものでもない。
それは、比較的好意を持っている瑛祐相手でも、同じだった。

『どうせなら、新一と、踊りたかったな……』

曲が終わり、蘭が瑛祐から離れたところで、広間の反対側の一角で、ざわめきが起こった。
蘭は、そちらに目を向けて、驚く。
工藤新一が、そこに立っていたのである。

「今日、都からおいでになった、工藤伯爵様の御子息だとかで」
「ああ、杯戸地方に領地を持っていらっしゃるという?」
「姿も物腰も、優雅で、素敵ですわねえ」

女性達の囁きが、新一を指している事は分かったけれど。
蘭は、目が点になっていた。
ヴァンパイアである筈の新一が、ここまで堂々と、人前に姿を現すなんて、考えもしなかったのである。

新一のフォーマルな服装の着こなし方は、なかなか堂に入っており、歩き方や仕草も洗練されている。
元々、伯爵になる筈だったというのも、本当の事なのかもしれない。

新一が人間のままであったのなら、身分的にも、蘭との縁談にはちょうど釣り合いが取れていた。
けれど……新一が人間のままであったのなら、とっくの昔に鬼籍に入っていた。

同じ時代の人間として生まれていたのなら。
蘭は、そういう埒もない事を考える。

蘭は、新一から目が離せなかった。
新一は、滑るような優雅な足取りで、蘭の前までやって来て、手を差し伸べた。

「一曲、お相手願えますか?」

蘭は、胸が苦しくなるのを覚えながら、新一の手を取った。
回りのざわめきが大きくなる。

新一の手の動きや足さばきは見事で、すごく、踊り易い。
そして、何よりも。
大好きな新一に手を取られ、腰を支えられて踊るというのが、胸が苦しくなる程ドキドキしながら、幸せだった。

曲が途切れる頃。新一はさり気なく、出入り口近くに移動しており。
そのまま、目立たぬようにごく自然な動きで、新一は蘭を広間から連れ出し、手近な無人の客間に連れ込んだ。

「新一!」

毎晩、会っているのに。
毎晩、抱かれているのに。
まるで、ずっと会っていない恋人に会うかのように、蘭は新一に縋りついた。

「今日は、どうしたの?ビックリしたよ」
「ん?何で?」
「だって……」
「オレ達の一族は、別に、常に隠れ住んでいる訳でも、ない」
「えっ?」
「生きる糧を得る為に、人間達の近くにいる必要はあるし。それにまあ、ヴァンパイアだって、着る物や他の何やかやが入り用だったりするからさ。一族の多くは、協力し合って、町や社交界に紛れ込んで暮らしていたりする」
「……」
「ただ。歳を取らねえから、一つ所に長くはいられない。古くからの血縁が多いような地方の小さな町では、無理だ。都とか、大きな都市で、人の記憶や記録を操作しながら、巧妙に入り込む。オレを仲間にした女は、ちゃっかり、年老いた伯爵の正妻に収まっていたよ。……今迄オレは、面倒がって、そういう事もやらなかったんだけどな」
「じゃあ、今夜は、何で?」
「そりゃ。蘭とダンスをしたかったからに、決まってるだろ?」
「ホント?」

蘭は、頬を染めて、新一を上目遣いで見上げる。

「オメーが、他の男とばかり踊るのを、ただ指をくわえて見ているのも、悔しかったしな。……人間だった頃は、社交界もダンスも、面倒なものでしかなかったんだが」

新一は、優しく笑って、蘭を見詰める。
蘭は、嬉しかったけれども。
もしかして、新一は「思い出づくり」をしているのではないかと、気になった。


新一は蘭を抱きしめ、唇を重ねると、服に手を掛けた。
いつもの動作。
だが、ここは、毛利邸ではなく、森の中の館でもなく、この舞踏会を開催した、コロー卿の館。

「だ、ダメ!誰かに、見られたら……」
「男女が睦み合っているところを、わざわざ邪魔する無粋な者はいないさ。それに、オレが結界を張っているから、この部屋を覗こうと思う者も、いない」
「えっ?あっ!」

新一の指と唇が、蘭の肌に触れると、蘭は脆くも陥落する。
その部屋のソファーに横たえられ、蘭の衣服がすっかり取り払われ。
新一の手と唇が蘭の全身を這いまわり、蘭の準備がスッカリ出来て。
新一が蘭の中に入って、一つになった後。

突然、新一が、動きを止め、ソファーに掛けてあったマントで、自身と蘭とを覆った。
蘭が訝りの声をあげる前に、ドアが開き。
本堂瑛祐が、そこに立っていた。

「きゃあっ!」

新一のマントですっぽり覆われていて、二人の体は瑛祐からは見えないが。
蘭は、恥ずかしさのあまり、新一の胸に顔を隠した。

「無粋な坊やだな。他人の情事を覗くとは」
「……!彼女は、僕の婚約者だ!手を出すな!」
「残念だったな。蘭の純潔は、もうオレが頂いた。勿体ないからお前には見せねえが、蘭は今、オレ以外の男には見せた事のない、女の顔をしているぜ」

瑛祐の怒りの波動が、伝わって来る。
蘭は、新一と繋がり抱き締められたまま、全身が冷えていくのを感じていた。
自分ひとりだけの事であるなら全然構わないが、父と母の事、毛利家の事を考えると、このような事態は非常にまずいと、心のどこかで思う。

「工藤……新一……百年以上前に、この一帯の領主だった、工藤伯爵の一人息子。十七歳の時に亡くなったと、記録にある」
「ほう。この前記憶を奪った筈だったが……そうか、お前、ヴァンパイアハンターの血を受け継いでいるんだったな。だから、ここに入って来る事も出来たって訳か」
「お前が、人間のままだったら!蘭さんの幸せの為に、僕は、身を引いた。けど、お前は既に死んで、この世にいない筈の存在!そんなモノに……蘭さんは渡さない!」
「蘭はオレに純潔を捧げ、こうやって、オレと何度も情を交わしている。それでも、良いと言うのか?」
「関係ない!ヴァンパイアは人を操る力がある!姉さんも力の強いヴァンパイアに、心ならずも純潔を奪われた……だから、誰にも嫁がず、ヴァンパイアハンターとして生きる決意をしたんだ!僕は……蘭さんを愛している!お前に付けられた傷を包んで癒して……きっと幸せにする!」
「……本気だって事か」

新一は、蘭の中から己を引き抜いた。
蘭は、喪失感に、ブルリと身を震わせる。
新一は、蘭の姿を瑛祐に見せないよう、器用にマントを掛け直しながら、蘭の傍を離れ、身に何も付けないままに、瑛祐の前まで歩いて行った。
さすがに、瑛祐はドギマギしているようだ。

「蘭をぜってー裏切らない、幸せにすると、誓えるか?」
「お前なんかに、言われなくても!」

蘭は、瑛祐の言葉を聞きながら、瑛祐の「本気」に驚いていた。
彼の好意は感じていたけれど、あくまで、家同士で決めた婚約者に向けるものだとしか、思っていなかったから。
けれど、瑛祐の本気は、正直、嬉しいよりも、申し訳ないとしか思えない。
蘭は新一に「操られて」身を捧げたのではない。
自ら望んで、新一の女になったのだ。

「蘭を、オレから解放したいのなら。明日、米花の森にある米花の館まで、来い」
「……自ら、オレに滅ぼされようと言うのか!?ヴァンパイアの言う事など、信じられない」
「オレだって、ただ滅ぼされる気はないぜ?お前の力が及ばなければ、オレがお前を消すだけだ。応援を得ようなんて思うなよ?そんなもの、オレにはバレバレだからな。正直、お前が消される可能性の方がずっと高いと思うが?」
「……!」

新一は、不意に瑛祐の額に指を当てた。
この前の時と同じように、瑛祐はその場に倒れる。
新一はその瑛祐を、廊下に放り出すと、ドアを閉めて鍵をかけた。

「新一……」

蘭が、マントを羽織ったまま、身を起こす。

「……あいつの記憶は、消せない。だから、今回は気絶させただけ」

新一は、優しく微笑むと、屈みこんで蘭に触れるだけの口付けをした。
そして、マントごと、蘭を抱き締める。

「新一は、わたし以外の女の人、抱いた事、あるんだよね?」
「……蘭。昔の事だって、言っただろう?」
「別に、責めてるんじゃないの。ただ、その時新一、気は進まなかったかも知れないけど、別に嫌だったとか、苦痛だったとか、そういう事はないんでしょ?」
「……蘭?」
「だって、新一は男の人だから。でもね……女は違う。好きじゃない人から触られるの、苦痛なの。抱かれるなんて、想像したくもないの。わたし……結婚なんて、出来ないよ。新一以外の人と、幸せになんか、なれないよ……」
「蘭。だが、女は強い。お前は、オレを失っても……その悲しみを癒して、幸せになれる、きっと……」
「そんなの、嘘よ!嫌よ、嫌よ新一!わたしから、離れないで……お願い……」

新一は優しく微笑むと、マントを取り去り、蘭を横たえた。
そして、蘭の唇を塞ぎながら、蘭の体をまさぐる。
先程、挿入まで至った体は、すぐに再び火がついた。

新一のものが、再び蘭の中に入って来る。
そしてすぐに、新一は激しく動き始めた。

「あ……あああん!」
「蘭……蘭……!」
「しん……いち……っ!あああっ!」
「愛してる……愛してる……蘭……」
「ああん……はああっ!」
「オレのワガママで……お前を奪って……すまない……」
「しんい……ち……?……んあん」
「オレは……オメーに会えて……すげー幸せだったよ……ありがとう……お前も、幸せにおなり……」
「あ……や……はああああん!」

蘭は、意味をなさない嬌声をあげ、意識が朦朧となりながらも、これが「別れの儀式」である事が、分かってしまっていた。

『行かないで!』

蘭は、願いを込めて、必死で新一にしがみついた。

「さよなら」

新一の言葉が、聞こえる。
蘭の首筋に新一の唇が当てられた。
牙を立てられる事はなかったが。

涙が眦から零れ落ちる。
蘭は叫ぼうとしたが、声にならず。蘭の意思に反して、意識が暗転して行った。


   ☆☆☆


目が覚めた時は、もう辺りは明るくて。
蘭は、夜会用のドレスを、キチンと身にまとっていた。


すごく悲しい事があったような気がするのに。
ものすごい喪失感があるのに。

一体、何があったのか、思い出せない。


突然、ドアがドンドンと叩かれた。蘭はびっくりして跳ね起きる。

ドアには内側から鍵が掛けられており、蘭は訝しく思いながら、鍵を開けた。
ドアが開いた途端に、瑛祐が飛び込んで来て、蘭は驚く。

「蘭さん!ヤツは!?」
「え?ヤツって……?」

蘭は、目を見開いた。

「昨夜……蘭さんは……」
「昨夜は……疲れてこの部屋のソファーでいつの間にか眠ってしまったようだけど……瑛祐さん、どうかしたの?」

瑛祐は、目を見開いていたが、大きく息をついた。

「いや、良いんです。何でもないです。蘭さん、また」

瑛祐は、何か言いたそうだったが呑みこんで、その場を離れて行った。

「変な人」

蘭は首をかしげる。
昨夜の事……何かあったのかしらと考えようとしても、どうもハッキリしない。
けれど、突然、目から涙が零れ落ちた。

「えっ?」

脳裏に何故か、マントを羽織った見知らぬ男性の後姿が、思い浮かび。
強烈な喪失感が、蘭を襲った。


   ☆☆☆


馬車で、毛利邸に帰った蘭は、一休みする前にドレスを脱いで化粧を落とそうと、鏡を見た。
鏡に映っている胸元に、エメラルドのペンダントが光っている。

『母さんの形見だ』

ペンダントを見た途端に、しっとりとした男性の声が耳にこだました。途端に、記憶が溢れだす。

「新一っ!」


行ってしまった。
行ってしまった。

蘭は、声をあげて泣き伏す。
新一は蘭の記憶を消して行ったらしいが、この十年間の想いは、そんなに簡単に消えるものではなかった。

「いや、新一、新一ぃ!」

蘭が呼んでも、新一は現れない。
今迄、そういう事はなかった。
新一は本当に行ってしまったのだ。


絶望に駆られかけた蘭だったが、ふと、昨夜の、新一と瑛祐との会話を思い出した。

『蘭を、オレから解放したいのなら。明日、米花の森にある米花の館まで、来い』

瑛祐は、今、米花の館に向かっているのかもしれない。


蘭は大急ぎで乗馬服を身につけると、厩に向かって駆け出して行った。



第8章に続く




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