久遠の一族



byドミ



第6章 連れて行って



ヴァンパイアも、眠る事はある。
しかし、人のように、一日の内で、眠る時間が決まっている訳ではなく。
生気の補給さえ充分に出来ていれば、殆ど眠らない日々が続いても、どうという事もない。

町中にいると、幸いに、何やかやで多くの人から少しずつ生気を賄えるから。
新一は、時々狩りをしては、それ以外の殆どの時間を、愛しい少女の近くで過ごしていた。

蘭を初めて抱いた日以降、毎晩、蘭の部屋で蘭を抱き、事が終わって眠る少女を抱きしめ、飽かず眺める夜を過ごしている。

一族の男性には、若い女性の血はまろやかで良い味だと、好んで若い女性を襲う者も多かったけれど。
新一は、正直、命永らえる為の生気の補給さえ出来ればよく、味のえり好みはしなかった。

愛しい少女の首筋に牙を突き立てる事も、その生気を奪い取る事も、とても考えられなくて。
本能としては、蘭の首筋に淀む生気を、甘いだろう血液を、欲しているけれども。
食欲の対象とする事は、なかったのである。

しかし、その新一も、一度だけ、蘭の血をすすった事があった。
蘭が初めて新一を受け入れた時、純潔を失って滴り落ちた血を、その場所に口を寄せて、一滴も零すまいと受け止めたのである。

確かに、それは、今迄味わった事のない、極上の味だった。
けれど、それはそれ、二度と蘭の血を飲む気はなかった。


ある晩の事。
蘭が、新一の胸に頭を寄せながら、言いにくそうに口を開いた。

「……新一……わたし……」
「ん?」
「月のものが……遅れているの……」

言われて新一は、そう言えば前の時からひと月以上経っていたかと、思い至った。
でも、それがどうかしたのかと、首をかしげた。

「ねえ。子供は、どっちの性質を受け継ぐの?」
「は?」

蘭が何を言っているのか分からず、新一は一瞬呆けてしまった。
そして、蘭が泣きそうな目で新一を見ているのに気付き、必死で頭を巡らせて、やっと、思い当たる。

「蘭。もしかして、身籠ったと思ってるのか?」
「えっ?だって……」
「オレ達の間に、子供は出来ない」

蘭は、目を見開いた。

「わ……わたしが人間で、新一と種族が違うから?」
「そうじゃない、そうじゃなくて。オレ達ヴァンパイアは、生殖能力がねえんだ」

新一は、出来る限り優しく穏やかに言った。
蘭がおそらくは、ショックを受けるだろう事が、分かっていたので。

「でも、新一には、お母様が……」
「オレは、昔、人間だった。百年以上も前の事だけどな」
「え……?」
「オレ達の一族は、不老不死と引き換えに、子供を作る事が出来なくなる」
「……じゃあ、新一はどうやって、ヴァンパイアに……?」
「……一族の長老格の者には、人間を仲間にする力がある者が、いる。オレは昔……その儀式を見てしまって、殺されるのを免れる代わりに、仲間にされた……」

蘭が、目を見開いて、新一を見詰めた。

「じゃあ、わたしは……」
「オレもそこら辺はよく分からねえけど。人間の女性の体は、デリケートだからな。しばしば、月のものも遅れたりするらしいから……」
「新一の子供が、出来たんじゃないのね……」

蘭が、心底、がっかりしたような声で言った。
新一は、手を伸ばし、蘭を抱き寄せ、しっかりと抱きしめた。

蘭が望んでいるだろう、子供を産み育て、穏やかで温かな家庭を作る事。
そういう人間的な幸せを、新一は蘭に与えてあげられない。
なのに、新一は、蘭を求め、蘭の純潔を奪った。

「もしかしたら、新一は、ヴァンパイアである事が、辛いの……?」

蘭が、新一の耳元で言った。
新一は、蘭の洞察力に驚く。

「オレは……一族の変わり者なんだ……皆、人間だった頃の記憶はあっても、感情や感覚は、残っていない。でも、オレは……」
「人の気持ちを、持ったまま、百年以上、一人でいたの?」

蘭の、労わりに満ちた声。
新一の胸が、キュンとなる。

幼い蘭に、初めて会った時。
蘭は、賊に襲われながら、自分の事より、周りの者の心配をしていた。
人間にも、ヴァンパイアにも、蘭のような者は、いなかった。

新一を見詰めた、真っ直ぐな、澄んだ瞳。
たった七歳なのに、女神のような慈愛に満ちた、その眼差し。
あの瞬間から、新一は蘭に、囚われてしまったのだった。

「……悪い事ばかりじゃ、なかった。ヒトではない者になって、長い事生きたお陰で、お前に会えたからな」

突然、嗚咽が聞こえ、新一の肩が濡れる。
蘭が、新一の為に涙を零しているのだろう。

「……蘭。なにも、オメーが泣くこた、ねえだろ?」
「だ、だって……!」

新一が、そっと蘭の体を離すと、蘭の目から清らかな滴が零れ落ちている。
ヴァンパイアである新一でも、心臓に悪い。

新一は、そっと蘭の唇に自分のそれを重ねた。
先程、散々味わいつくした筈の体に、再び手を這わせる。

「あ……ん……っ!新一……」
「蘭……蘭……」

いずれ、遠くない未来に、蘭を手放さなければならない。

蘭が、新一の事を、新一との約束を覚えていて、慕ってくれている事を知った時。
新一は天にも昇る程嬉しく、同時に辛かった。
蘭の十七歳の誕生日を心待ちにしつつ、恐れてもいた。
蘭を手に入れられると同時に、別れの日が近付く事も、分かっていたからだ。

蘭の姿を声を感触を、新一の目に耳に指に体全体に、魂に刻み込んで。
蘭と別れを迎えた後の、長い長い時を、生きて行こうと、新一は思っていた。

きっとこの先、蘭を想って、慟哭する夜や、蘭を手放した事を、身が張り裂けそうに後悔する時が、訪れるだろう。

『それでも、それでも!オレのこの手で、幸せにしてあげられねえなら、オレは……!』

蘭には、光の中にいて欲しい。
子供を産み育て、穏やかに年老いて、人生を閉じる、そういう幸せを手に入れて欲しい。

『オレの、ワガママだ。分かってる……!けど、今は、今だけは……オレのものでいてくれ……蘭!』

新一は、貪るように蘭を求めた。
ヴァンパイアである新一は、蘭の中に精を放つ事も出来なかったが。
人間であった時の名残のように、その感覚だけは、存在している。
蘭が絶頂を迎えるのと同時に、新一も達する。

「あん……はあっ……はああんっ!」
「くうっ……蘭っ!」

蘭が、ひとしずく、涙を流した。
そして、余韻の中で意識を手放す。

「蘭?蘭!」

蘭が行為の最中に気を失ったのは、初めての時以来だった。

新一は、そっと蘭の涙を拭い、蘭を抱き寄せ、蘭の体に寝具をかけた。
ヴァンパイアは、人間より体温も低い。
悔しいが、自分の体だけで、蘭を温める事も出来ない。

願わくば。別れの時が、少しでも先であるようにと。
もう、神への信仰を持たない新一だったけれど、祈らずにはいられなかった。


   ☆☆☆


「最近、人間の女の子と、遊んでるんですって?」

数年ぶりに会うベルモットの言葉に、新一は顔をしかめた。

「仲間に入れるのなら、出来る限り、二十歳を超えていた方が都合が良いけれど。あなたが十七歳で時が止まっているのだから、その女の子が十七歳なら、そろそろ仲間に入れると、ちょうど良いんじゃない?」
「……彼女を仲間にする気は、ない」

新一の言葉に、ベルモットは目を見開く。

「エサにするでもなく、かと言って、仲間に入れるでもなく、ただ、抱いているだけなんて、とても、我ら一族の所業とは思えないわね。まあもっとも、あなたの場合、一族の変わり者だから仕方がないのかもしれないけれど」
「オレの事は、良いだろ?ほっといてくれ!」
「良くないわ。あなたは、この私が仲間に入れた、かなり血が濃い、貴重な一族。好き勝手しても良いけど、せめて仲間を増やすとか、もうちょっと協力的であって欲しいわ」
「……」
「そうだ、あなたが自分で仲間に入れるのが不安だというのなら、私が代わりに……」

突然。
新一の周りに、青白いオーラが立ち上り、さしものベルモットも目を見開いて口をつぐんだ。

「蘭には、手を出すな!」
「クール・ガイ……」
「もし……手を出したら、ぜってー許さねえ!ベルモット!」

新一が、ベルモットに対して初めて見せた激情に、ベルモットは黙るしかなかった。

「あなたは、いつも冷静なクール・ガイだと思っていたけど、私の見立て違いだったのかしら」
「お前の見立てなど、どうだってイイ!蘭には、蘭にだけは、手を出すな!もしそうなったら、オレは一族全てを敵に回しても、お前を……!」

新一は、ベルモットに背を向けた。
その背から、まだ青白いオーラが立ち上っている。

「ベルモット。オレは……一族に加えられた事、今では感謝してる」

新一の声のトーンは、先程よりかなり落ち着いていた。

「クール・ガイ?」
「人間のまま、生きて死んでいたら……蘭と出会う事すら、なかった。けれど、ヴァンパイアとなって長く生きて……蘭に出会えた。オレは、その事には、深く感謝しているんだ……」

再びベルモットに向き直った新一は、先程の青白いオーラが、すっかり影を潜めていた。

「あなた、その女の子の事、そんなにも……」
「蘭と、出会えた奇蹟に感謝して。オレはこの先も、生きて行ける」
「そこまで思い入れているのに、どうして連れて行こうと思わないの?」
「蘭には……暖かな家庭を作って子供を産み育てる、人間的な幸せを、掴んで欲しいんだ……」

ベルモットは、呆れたように手を広げた。

「その子は、操られているのでもなく、あなたに全てを捧げたのよね。私達一族の女は、男と寝る事など、何とも思ってない者が多いけれど。人間の女性にとって、純潔を捧げるという事が、どういう意味を持つ事なのか、あなたには分かってない」
「……それは!」
「なのに、仲間に入れない方が、残酷な仕打ちだと思うわよ、私は。人間としての幸せを掴んで欲しいのだったら、最初から全く、手を出さなければ良いのに。あなたのやってる事って、残酷でちぐはぐよ」
「だけど!蘭を連れて行っても、彼女が望む幸福は、与えてやれない!」
「あの子の幸福は、あなたが決める事じゃないでしょ。ま、でも、私は彼女に、手は出さないわ。あなたの思う通りにすれば良い」

そう言い捨てて、ベルモットは出て行った。

新一はホッと息をつく。

ベルモットが「手を出さない」と言った場合、一族の他の者も、あらゆる意味で、手を出す事はない。
ベルモットは一族の中でも高位にあるからだ。
これで少なくとも、一族の魔の手からは、蘭を守れる。

「蘭……!」

新一は、愛しい女性の名を切なげに呼ぶと、拳を握りしめた。


   ☆☆☆


「……さん。蘭さん……!」
「え……あ……」

ぼんやりとしていた蘭は、意識を引き戻された。
心配そうな表情で蘭を除きこんでいるのは、本堂瑛祐だ。

「どうなさいました?気分でも……?」
「え……あ……大丈夫です、ごめんなさい」
「ごめんなさい。僕の話が、退屈だったんでしょう?」
「いえ、そんな事は」

今夜は、毛利子爵邸で晩餐会が開催され、そこに、本堂瑛祐伯爵令息も招待されていた。
蘭の両親は、他の客への接待に忙しく。
というか、体よく「若い二人だけ」にされてしまったのであった。

庭をそぞろ歩きながら、話をしていた筈なのだが。蘭は、上の空で、灯りのついていない自分の部屋を見上げながら、溜息ばかりついていた。
新一は、蘭の部屋で待っているのか。
それとも、どこかで見守っているのだろうか?

「瑛祐さんこそ。こんな面白味のない女を相手にして、退屈でしょう?」
「とんでもない!僕、蘭さんの事……」
「親同士が婚約を決めようとしているからって、あんまり気を使わないで下さいね」

蘭が笑顔を向けると、突然、瑛祐は蘭の両手を握りしめた。

「え……?」
「こんなに素敵で可愛い女性が、僕の結婚相手だと聞いて、僕は本当に、すごく嬉しかった」
「あの……」
「蘭さん!」

瑛祐に抱き寄せられそうになって、蘭は思わず、振り払った。

「あ……」
「すみません、いきなり無礼な事をして」

瑛祐は、恐縮したように頭を下げたが。
蘭は、身を翻して、駆けて行った。

「しんいち……新一!」

不意に、蘭の目の前に、求めた姿が現れて、蘭はためらわずにその懐に飛び込んだ。

「蘭?どうした?」
「……っ!」
「泣いてちゃ、分からないだろう?」
「だって!」
「お、お前は……誰だ!?」

蘭を追って来たらしい瑛祐が、新一の姿を見咎めて言った。

「その女性は、毛利子爵の令嬢、お前なんかが手を触れて良い相手じゃない!」

実際には、蘭が新一にしがみついているのだけれど。
瑛祐は、冷静に判断出来ないのか、そう叫んだ。

「工藤新一……伯爵になる筈だった」
「えっ?」

瑛祐だけではなく蘭も、新一の言葉に驚いて、見上げる。

「ま、昔の事だけどな」

新一は、蘭を抱きしめたまま、ふわりと浮き上がり、瑛祐の前にとんと降りると、その額に指をあてる。

「な……!」

そのまま、瑛祐はふっとその場に倒れた。

「新一!?」
「……生気を奪った訳じゃない。ただ、ちょっと記憶をいじった」
「新一……新一……お願い……部屋に連れてって……」
「蘭?」
「新一と二人きりになりたい……お願い……」
「……わーった。けど、このままだとまじぃだろうから」

新一は、蘭を抱き締めたまま、器用に瑛祐も担ぎあげ、瑛祐を客室のひとつに押し込めると、蘭を抱えて蘭の自室に入った。
蘭は泣きじゃくり、新一はあやすように、蘭を抱きしめながら頭を撫でる。

『わたし、バカだ……本当に、バカだ……』

瑛祐に対しては、他の男性のような嫌悪感がないと、蘭は思っていたけれど。
それも、相手が触れて来なければの話で。
抱き寄せられそうになっただけで、蘭は拒絶してしまっていた。

『ダメ……わたしには、無理……お父様とお母様の為に、毛利子爵家の為に、嫁ぐのは当然って思っていたけど……無理!新一以外の男の人と、結婚なんて、出来ない!』

新一の腕の中では、こんなにも安心出来、全てを委ねる事が出来る。
でも、他の男の人では絶対に駄目なのだと、触れられるのすら嫌なのに、抱かれるなんて不可能だと、蘭には分かってしまったのだった。

「蘭……どうしたんだ……?」
「お願い、抱いて!」
「蘭!?」
「何も考えられない位……わたしを、無茶苦茶にして!」

新一は、蘭の体を少し離すと、その唇にそっと触れるだけのキスをした。
そして、蘭の服に手をかける。

蘭は「無茶苦茶にして」と言ったけれど、新一はいつにも増して、優しく慈しむように蘭を抱いた。
新一のものが蘭の中に入って来た時、蘭の眦から、涙が零れ落ちた。

人同士なら、愛と快楽の行為である前に、元々は子作りの為の行為である。
しかし、子をなせない存在だからこそ、逆に、純粋に、男女が愛し合う行為として存在しているのかもしれないと、蘭は思った。

「新一……愛してる……」
「蘭?」
「愛してるわ……新一……」
「オレもだよ、蘭」

新一は、分かっているのだろうか?
蘭が初めて、愛の言葉を口に出したという事を。


事が終わって、新一がいつものように、蘭を抱き締めて横たわる。
蘭が、身を起して、新一に訴えた。

「新一……わたしを、連れて行って……!」
「蘭?」
「わたしを、新一の仲間にして!」
「なにっ!?」
「出来るんでしょ?」
「蘭……!」

新一も、体を起して、蘭をマジマジと見た。
そして、首を横に振った。

「駄目だ。それは、出来ない」
「どうしてっ!?」
「オメーは、人間としての幸せを掴むべきだ。潮時だな。オレ達の仲を終わらせる……」
「イヤっ!どうして、どうして、そんな事を言うの!?」

蘭は、悲しくて、新一の胸を叩く。

「蘭は女だから。子供を産み育てるという幸せを、諦める事は出来ないだろう?」
「だって!家同士の結婚なんて、愛し合ってもいないのに!」
「大丈夫。どんな男でも、必ず、蘭の虜になる。蘭を抱いて、蘭の魅力に夢中にならない男なんか、いないから。オメーは旦那から愛されて、可愛い子供に恵まれて……人間の女としての幸せを掴める。オレの事は、じき、忘れるさ」
「ばかっ!新一は、何にも、分かっていない!新一だから、なのに!」

感情が激した蘭は、言いたい事を上手く伝えられなかった。

抱かれて乱れるのも妖艶になるのも、相手が新一だからなのに。
新一以外の男性の子供なんか、産める筈もないというのに。
どうして、この人は分かってくれないのだろうと、蘭は悲しかった。

不意に、新一の雰囲気が変わった。
蘭が初めて見る、ヴァンパイアの赤い眼。
新一の口元には、牙が覗いている。

「しん……いち……?」

新一が牙をむいて大きく口を開け、蘭の喉元に、噛みついてこようとした。

「イヤっ!」

蘭は思わず、新一を押しのける。
新一は、ふっと笑った。

「蘭。オレは、こういう化け物なんだよ。分かっただろ?」
「違う……新一、今、わたしの記憶を消そうとしたでしょ!?」

蘭が叫ぶと、新一は、赤い眼のまま、目を見開いた。

「蘭。お前……気付いてたのか……」
「その姿を見せたのも、わたしが新一から離れる気になるよう、仕向ける為でしょ?新一は……、わたしの気持ちが、そんなものだって、その程度だって、思ってたの!?」
「蘭……」
「新一を忘れるの、嫌!絶対に、イヤ!」

蘭の涙ながらの叫びに、新一は困ったような顔をした。

「……忘れた方が良い。オレは……とっくに、死んでいるんだから……」
「ダメ!忘れるのだけは、嫌……新一ぃ!」

泣きじゃくる蘭を、新一は黙って、抱きしめていた。



第7章に続く




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