久遠の一族



byドミ



第4章 約束の日



そして。
蘭の十七歳の誕生日が、来た。

『そう言えば。あの人には、わたしの誕生日なんて、教えてないよね?』

蘭はそう思ったけれど、最近ずっと気配を感じるから、知っているかもしれない、いやきっと知っているだろうと、思い直す。
彼はきっと、今日、米花の館で、蘭を待っているだろう。

蘭は、身支度を整えると、食堂へと向かった。

「おはようございます、お父様、お母様」
「おお、おはよう、蘭」
「蘭。誕生日、おめでとう。今日から十七歳ね」
「ありがとうございます、お母様」
「蘭。今夜は、お前の誕生日を祝っての晩餐会を開催するから、その積りでな」
「……はい。お父様」
「ご招待した中には、蘭に会わせたい人もいるのよ」

会わせたい人。
それは、おそらく、蘭との縁談が持ちあがっている相手だろうと。
蘭も、察しがついていた。

貴族の子女は、火遊びはともかく、本気の恋愛はご法度。
結婚は、親や、家長たる兄が決めた相手とするのが、当り前だった。

両親と共に朝食を取った後、蘭は自室に戻り、乗馬服に着替えた。
そして、厩へ行く。
そこには、毛利家の馬を世話している厩番ハンスがいた。

「おはようございます、蘭お嬢様」
「おはよう、ハンス。ファレノプシスの準備は、出来てる?」

ファレノプシスは、全身が白い雌馬で、蘭の持ち馬である。

「はあ。ですが、お嬢様。今日、今から馬に乗られるんで?」
「ええ。ちょっと遠乗りしようと思って。いけない?」
「もう、十七歳になられるのに、お一人で馬乗りして遠出とは……」
「毛利子爵の一人娘は、見かけによらぬジャジャ馬だ。ってのは、すっかり噂になってるわ。今更よ」

蘭は、学校でも、礼儀作法などよりは、体を動かす馬術やダンスなどの方が、ずっと得意だった。

そして蘭は、馬上の人になる。
町外れの、広野の方に向かって、馬を進めた。

今迄、広野で馬駆けした事は、何度もあるが。
蘭は、今迄踏み込んだ事のない、米花の森へ、馬を進めた。

方向音痴の蘭は、森の中で迷わないか、心配だったけれど。
馬は、迷う事なく、進んで行く。

『もしかしたら、彼が馬を先導してくれているのかも』

何の根拠もないのに、蘭はそう思った。

もしかしたら、全て、蘭の勘違いかもしれない。
あの人は、待ってなんかいないかも、しれない。

時々、そういう想いが起こったりもするけれど。

『今夜、紹介したい人が』

母の言葉を思い出して、蘭は首を横に振った。
たとえこの先どうなろうと、初めての相手は、純潔を捧げる相手は、あの人が良い。


森に入って暫く行くと、木々の間に、大きな館が見え隠れし始めた。
やがて、馬は、館の前庭に着いた。
庭には赤い薔薇が沢山咲き誇り、むせ返るような香りが漂っていた。
蘭は馬を降り、木に繋いだ。

「よしよし、ファレノプシス、ここで暫く待っていてね」

館の周囲はしんと静まり返り、人気はない。
けれど、荒れ果てた感じはなかった。
確実に、誰かが居て、館の手入れをしているのだ。

玄関の扉に、鍵はかかっていないようだ。
蘭は、おそるおそる扉に手をかけた。
大きく軋む音を立てて、扉は開いた。

中に入る。大きなホールがあり、天井からはシャンデリアがぶら下がっているが、勿論、昼の今、明りは灯っていない。

人の気配を、感じない。
それでも蘭は、勇気を奮い起して、呼んでみた。

「新一お兄さん!」
「……来たのか」

蘭の呼びかけに、思いがけず、応えの声が聞こえて、蘭はビクリと身を震わせた。
先程までは確かに誰もいなかった筈の、ホール上部に張り出した二階の回廊に、ひっそりと、彼は立っていた。

新一は、ふわりと飛び上がり、トンっと軽く、蘭の目の前に着地した。
相変わらず、信じられない身の軽さだ。

そして。

「新一……お兄さん?」

十年前に出会った時は、蘭よりずっと大人だったのに。
目の前にいる相手は、蘭とさほど変わらない、まだ若い青年の姿をしていた。
蘭は目を見開いたが、自分でも意外な事に、そこまで驚いていなかった。

「蘭。ここに来るっていう事が、オレの花嫁になるって事が、どういう意味なのか、分かってるよな?」
「う、うん……」

蘭の目の前にいるこの青年が、普通の人間ではない事は、蘭はとっくに、心のどこかで分かっていたのだった。
あの頃と変わらぬ、端正な顔。
その眼差しは、冷たく蒼い。

「自ら進んで、人ならぬ存在に抱かれるか?」
「わ、わたしは……!」
「引き返すなら、今だぜ?今ならまだ、間に合う」

新一が、少しずつ、近付いてくる。
蘭は、身震いした。
だが、動かなかった。

とっくに覚悟は、決めている。
というより、蘭自身が望んでいる。

新一の手が伸びてきて、その腕に包みこまれた。
力強い抱擁。
蘭の体を、甘やかな感覚が走り抜ける。

蘭の胸は、早鐘を打っていた。
そして、気付く。
新一の動悸を、感じない。
ゆっくりだとか、落ち着いているだとか、そういう事ではなくて。
新一の体は、全く脈打っていないのだ。

新一は、人間ではない。
それは、蘭にとって悲しい認識だったけれど。

『でも、わたしを助けてくれた。いつもいつも……今だって、わたしの意思を尊重してくれている……』


『オレは、人は殺さねえ』

新一が昔言った事が、蘭の脳裏によみがえる。

心優しい魔物。
ずっと傍にいたいと、蘭は思った。

新一の顔が近付いて来て、蘭は自然と眼を閉じた。
唇を、柔らかな感触が覆う。
少し、ひんやりとしているそれは、新一の唇。
蘭の唇を味わうように動き、蘭の背をゾクゾクした感覚が走り抜ける。

初めての口付けの甘さに、蘭は改めて、この男性の事が好きだと感じていた。
他の男性相手では、気持ち悪いだけだろう事が、新一相手だと痺れるような快感を伴っている。

蘭の唇の隙間から、ぬめぬめしたものが入り込んで、蘭の舌を絡め取った。
甘い感覚に、蘭の足から力が抜け、崩れ落ちそうになる。
それを、新一の力強い腕が支えた。

蘭の体が、ふわりと浮きあがる。
新一に抱きあげられたのだ。
そして新一は、蘭を抱えたまま、二階まで跳躍した。

「きゃっ!」

蘭は驚いて、新一にしがみつく。
新一はそのまま、目の前にあるドアを開けて、室内に入った。
天蓋付きのベッドがある、寝室のようだった。

蘭は、そっとベッドの上に降ろされた。

新一は、蘭の上からのしかかるように覗き込んで、言った。

「これで、訊くのは最後だ。本当に、良いのか?」

蘭は、新一を見上げて、頷いた。
新一が、優しく微笑むと、再び、蘭の唇に唇を重ねて来た。
そして、至近距離で囁く。

「出来るだけ、優しくする積りだけど……辛かったら、言うんだぞ?」
「新一お兄さん……」

蘭の言葉に、新一は苦笑した。

「『お兄さん』は、余計だろ?」

新一の手が、蘭の服にかかった。
少しずつ、服が取り払われて。
蘭は、緊張と恥ずかしさとで、大きく喘いだ。

そして、蘭は生まれたままの姿になる。
全身が細かく震えるのを、止められない。
蘭はギュッと目を閉じていたが、新一が蘭の全身を見ている視線を、痛い程に感じていた。

「すごく綺麗だよ……蘭……」
「あ……」
「この時を、ずっと待ってた……。ずっと夢見てた……」

新一はいつの間に、自分の衣服を脱いだものか。
逞しい体躯が、蘭の柔らかな体を抱きしめた。

新一の、ややひんやりしている手が、唇と舌先が、蘭の全身をくまなく辿り、まさぐって行く。
触れられる度に体を貫く電流のような快感に、蘭は甘い声をあげた。

胸の頂きの片方を新一の口に含まれ吸われ、もう片方は指でこねくり回される。
蘭のその場所は固く勃ちあがり、強い快感の波が押し寄せる。

「あっ!あああん!」
「……へえ。ここって、そんなに感じ易いんだ……。」
「やっ!何でそんな……意地悪言うの?」
「ごめん。オメーがオレに感じてくれるのが、嬉しくて」
「な……あんっ!」
「蘭。オメー、すげえ可愛い……」

新一の愛撫に、蘭の中心部からは、とろりと溢れ出すものがあった。
全てが初めての感覚で、蘭は戸惑いながらも、思わず声をあげ、身をくねらせる。

そして。蘭の足が大きく広げられ、蘭の秘められた中心部が新一の眼前にさらされた。
そこも、新一の指と唇と舌で丁寧にほぐされ、蘭の中から溢れ出すものは量を増し、蘭の羞恥心をあおる。

「あ……あ……し、新一……っ!」
「蘭。挿れるよ」
「えっ!?」

そして蘭の中に、圧倒的な質量を持つものが、容赦のない力で突き入れられた。

「あ……つぅっ!……あぁあっ!」

身を切り裂く痛みに、蘭は、新一にしがみついて耐えた。

「蘭。ごめん……もうちょっと、我慢してくれ」
「んう……く……うっ……あ……」
「蘭……蘭っ!」


やがて、新一の動きが止まった。
新一のものは根元まで蘭の中に入ったらしく、新一の下腹部が蘭の下腹部に当たっていた。
蘭は、痛みに意識が遠くなりそうになりながら、新一と結ばれた事を知る。

「これで……お前はオレのものだ……蘭……」
「し、新一……」
「誰にも、渡さねえっ……!」
「あ……う……んあっ!」

新一が激しく動き始めた。
蘭の体をまた新たな痛みの波が襲う。
しかし、痛みが少しずつ落ち着いて来ると、違う感覚が湧きおこって来た。
緩やかな快感と、愛する相手とひとつになれた歓び。
蘭は、幸福感で涙を流す。

「くっ……蘭……蘭っ!」
「ああ……んあああっ!」

激烈な初めての体験の中で、やがて蘭は、意識を失ってしまっていた。


   ☆☆☆


目が覚めると、蘭はひとり、きちんと衣服を着こんでいた。
天蓋付きのベッドに横たわりながら、蘭は、先程の事は夢だったのかと思う。

けれど。

「いたっ……!」

蘭の下腹部には、違和感と痛みが残っており。
初めての体験をした事を、物語っていた。

「し、新一……?」

蘭は思わず、辺りを見回す。
日は既に大きく傾いていた。

「新一っ!」

蘭はベッドから飛び降りて、ドアに駆け寄ろうとした。
しかし。足に力が入らず、座り込んでしまう。

突然、ドアが開いた。
新一が、目を丸くして立っていた。

「蘭?どうした?」
「し、新一がいないから……」

蘭は、半ベソをかきながら言った。

「ああ。蘭の馬を、先に帰していた」
「えっ?」
「オメー、今日は誕生祝いの晩餐会があるだろ?」
「う、ウン……」
「それまでに、オメーが帰ってねえと、騒ぎになる。だから」
「で、でも。ファレノプシスを先に帰しちゃって、わたしはどうやって帰ったら……」
「心配すんな。オレが連れてってやっからよ」
「えっ?」
「言っておくが、馬より早いからな」

蘭は、目を丸くした。
確かに、先程、蘭を抱えて跳躍した事といい、新一には、人間だったら考えられない能力があるものらしい。

「厩番は、もうお前が帰ったものと思っている。行くぞ」

新一は、蘭を抱えて、館の窓からそのまま、空を滑るように飛んで行った。
蘭は必死で、新一にしがみつく。

「し、新一って、空も、飛べるの?」
「ああ。結構生気を消耗するんで、いつもって訳には行かねえけどよ」

そう言って、新一は笑った。

そして、蘭は、あっという間に、毛利邸に着いた。
新一は、蘭の部屋の窓から入り、蘭を降ろした。

「蘭。もう、あの館には、来るな」
「えっ……!?し、新一!?」
「森の道は危険だ。それに、オメーは子爵令嬢、そうそう簡単に、表を出歩く訳には行かねえだろ?」
「で、でも……っ!」
「オレも、あの家には、滅多に帰る訳じゃねえ。今日は、オメーの十七歳の誕生日だったから、特別だ」
「わ、わたしとは、こ、これっ切りって事?」

蘭が涙をこらえながら、震える声で言うと。
新一は一瞬、目を点にした後、ふっと笑って言った。

「バーロ。十年待って、ようやくオメーを手に入れたのに、一回切りなんて、んな勿体ねー事、出来っかよ。これからは、オレが会いに来っから、大人しく待ってろって事だよ」

そう言って、新一は、蘭を抱きしめると、その唇にキスを落とした。

「じゃあ、また」
「新一っ!」

蘭が呼んだ時には、新一の姿はもうかき消えていた。


   ☆☆☆


蘭は、乗馬服を脱いで、メイドの手を借りて晩餐会用のドレスに着替える。
そして、化粧をし、髪を結ってもらう。

鏡の中の自分は、今朝と何も変わっていないように見えるけれど。
もう、蘭は純潔の乙女ではない。

「蘭お嬢様、今日は、一段とお綺麗ですわ。きっと今夜、多くの殿方の心を掴みましてよ」
「あ、ありがとう……でも、舞踏会なんかでは、もっと綺麗な方が、沢山いらっしゃるのよ」
「何をおっしゃいます。他の皆様は、化粧美人なだけです。蘭様は、素顔が可愛くて美しくていらっしゃるから」

蘭は、何となく、くすぐったい。
けれど、今夜の自分は、もしかしたら本当に綺麗かもしれないと思う。
ずっと想い続けていた彼に、愛されたから……。

晩餐会には、毛利子爵と親交のある貴族や上流階級の人々が招待されていた。
蘭も優雅に、お礼を交えた挨拶をする。

そして。

「初めまして。本堂伯爵の長男・瑛祐と申します」

蘭と同じ年頃で、服が男服でなければ一見女の子と見間違いそうな風貌の男性が、自己紹介をして来た。
目が大きく、丸い眼鏡をかけている。
蘭は慌てて、ドレスの裾をつまんでお辞儀をした。

「は、初めまして。毛利子爵長女の蘭です」

瑛祐とは、今迄舞踏会などで会った事はない。
おそらく、都か、親の所領地にでも滞在していたのだろう。

「本堂伯爵は、オレが尊敬する上官だ。蘭、瑛祐殿の事、よしなにな」
「は、ハイ……」

目の前にいる本堂瑛祐は、背が低目でなで肩という事もあり、女顔でニコニコしているので、あんまり男性という感じがしなくて、嫌悪感はない、むしろ好感が持てる相手だった。
しかし多分、その好感は、女友達に寄せるのと似たようなものなのだろうと、蘭は思う。

『いけない、いけない。いくら女の子っぽいからって、れっきとした殿方にこんな感覚を抱くなんて』

それに……父も母も、この場でハッキリとは言わないが、おそらくこれは、お見合いに近いものなのだろうと思う。

蘭は、子爵令嬢としての自分の役目を弁えている積りだ。
いずれは、父が決めた誰かのところに、嫁いで行かねばならない。

「瑛祐殿の姉上は、瑛祐殿に似て、すこぶる美人だったように記憶しているが」
「あなた!」

小五郎の言葉に、後ろから英理のつねりが入る。

「あたたっ!おい、相手は伯爵令嬢だぞ!どうこうしようとか思う訳じゃねえって!」
「……そうかしら?」
「姉が、どうかしましたか?」
「いや、どちらにも嫁がず、修道院に入られたと聞いて、勿体ないなと……あたたっ!だから英理、そういう意味じゃなくてだなあ!」
「姉は、女として生きるのではなく、特殊能力を生かして生きる道を選んだんです」
「特殊能力?」
「あんまり大きな声では言えないんですが。ヴァンパイアハンター、ですよ」
「ヴァンパイアハンター?」

それまで、話に無関心だった蘭の意識が、にわかに瑛祐の方に向いた。

「ヴァンパイアって……この、科学の時代に、ですか?」

小五郎が困惑した表情で言った。
産業革命が進み、世の中が激変している時代、魔物の類は、既に過去の遺物となりつつあったのだ。

「科学が進歩しても、分からない事の方がずっと多いですよ。ヴァンパイアや、魔物と呼ばれる存在は、確かにいます」
「ははー。そういうもんですかねえ」

以後、話題が移り変わり、情勢の事や経済の事などになる。
蘭は溜息をついた。

「……と。ご婦人がたには、このような話、退屈でしょう?」
「そうですわね。今から、若き音楽家達の演奏が行われますから。そろそろサロンの方に移動しません事?」

英理がにっこりと笑い、皆をサロンの方に誘導する。

実際のところ、女性陣が本当の意味で社会情勢や経済に無関心である訳でもないけれど。
こういう場で男性に議論を吹き掛けないのが、女性の知恵であるとも言えた。

サロンには、ピアノも置いてあり。
ピアノと弦楽器の演奏が行われる。

「お母様……わたし、すこし気分が……」
「あら。それはいけないわ。じゃあ、下がって、部屋でお休みなさい」

晩餐会や舞踏会は、夜を徹して行われる事が多いけれど。
夜も更けて来ると、それぞれに、疲れた者は部屋で休息したりする。

蘭は、自室に引き上げると、ふうと息をついた。
本当の意味で気分が悪い訳ではなかったけれど、あれ以上、あの場所にいたくなかった。

新一は、人ならぬ存在だ。
そして、それを狩る人々が、今の世にも確かに存在する。

蘭は、ベッドの上に突っ伏した。
不安で、胸騒ぎがする。
色々と超常的な力を持っている新一だけれど、その存在が知れたら、狩られる対象となってしまうのではないだろうか?

そんな事は、絶対に嫌だと、蘭は思う。
蘭は、無意識の内に、愛しい相手の名前を口に出していた。

「新一……」

すると。

「呼んだか?」

声が聞こえた。



第5章に続く




戻る時はブラウザの「戻る」で。