久遠の一族
byドミ
第2章 永遠の始まり
十七世紀初頭、欧州にある、帝丹国。
工藤伯爵は、帝丹国の中でも森の恵み豊かな米花地方に領土を持つ、大貴族だった。
そして新一は、工藤優作伯爵と有希子夫人との間に生まれた、ひとり息子だった。
善良で色々な事に気を配る伯爵は、領民から慕われていたし。
その後継ぎたるべき新一は、多少変わったところはあっても、有能で勤勉な上に、高潔で公正な人柄で、周囲の期待も厚かった。
そのままに日々が過ぎていれば、新一はいずれ、身分に見合った娘を妻とし、工藤伯爵として良き領主としての穏やかな人生を、全うしただろう。
☆☆☆
新一が、初めて「ヴィンヤード伯爵夫人」ベルモットと出会ったのは、新一が十六歳の時、町で行われた舞踏会であった。
そこに、亡きヴィンヤード伯爵の妻であったベルモットが、参加していたのだ。
青い瞳、シミもしわも一つもない白い肌、赤い唇。
素晴らしい美貌と、見事な体のライン。
輝く金髪は、高く結いあげ、肩が大きく開いたドレスで、うなじから肩にかけての綺麗な線があらわになっていた。
後添いでもあり、年の差があった夫婦だとは聞いているが、それでも、ベルモットはそれなりの年齢になっている筈なのに、とてもそうは見えない。
妖艶な美しさを誇るベルモットの周りには、多くの男性が群がっていた。
新一にしても、ベルモットの美しさは認めたものの、特に惹かれることもなく、むしろ何となく禍々しいものを感じて、目を逸らしてしまった。
踊りは教師から叩き込まれたので一通り踊れるし。女性と踊るのは特に嫌でもないが。
と言って、特に楽しいものでもないので、新一は舞踏会では、お義理程度に二〜三人誘って踊った後は、いつもバルコニーで暇を潰していた。
新一は、他の人から「変わり者」とよく言われるけれど、実際、変わっているのだろうなと、自分でも思う。
およその男性が年頃になったら、女性への興味を示し始めるものらしいけれど、新一はいまだに、そういう事がなかった。
女性に触れたいという欲望も、あまり起こらない。
むしろ、友人達と馬で遠乗りしたり、狩りをしたり、本を読んだりする方が、ずっと好きだった。
母の有希子などは、そういう新一を心配したりしていたが、父親の工藤伯爵は「新一は、まだ若い。いずれ、好きになれる女性との出会いがあれば、変わるだろう」位に構えているようだった。
開場を抜け出し、ベランダで月を見上げて、ふうと息をつく。
すると、声が掛かった。
「工藤伯爵の若様は、女嫌いなの?」
振り返ると、妖しい笑みをたたえたベルモットが、そこに立っていた。
新一の胸が、ざわざわとし始める。
しかし、速くなる動悸は、「恋」の為ではなく「不安」の為である事を、新一は正確に洞察していた。
「別に、嫌っている訳では、ありません」
「でも、好きでもない?」
新一は、ぐっと言葉に詰まる。
初めて会ったばかりのこの女に、かなり深く見抜かれているのが、何とも言えない気持ちだった。
沢山の取り巻きを引き連れていながら、同時に、抜かりなく情報を集めている様子のこの女、油断がならないと新一は思う。
不意に、ベルモットが動いた。
近付かれて、新一は何となく、身構えてしまう。
ベルモットは、新一の懐に入り込むように抱きついてくると、首筋に唇を寄せて来た。
「なっ……!?」
一瞬、首筋に痛みを感じた後。
新一の意識は、遠くなっていた。
新一が気がついた時には、見知らぬ部屋のベッドの中で。
一糸まとわぬ新一の隣には、やはり一糸まとわぬ姿のベルモットが、横たわっていた。
『姦(や)られた!』
その状況で、何があったか分からない新一ではない。
媚薬か何かで惑わされてベルモットを抱いたのだろうと、見当がついた。
女性ではないから、意に沿わぬ初体験をしたからとて、さして打撃を受けた訳ではないが。
このような形で女を知った事で、何となく不快な気持ちに、なっていた。
「あら。怖い顔。さっきはあんなに情熱的に、抱いてくれたのに」
媚を売るような眼差しで、ベルモットは新一を見た。
「……あんた。一体、何が目的なんだよ?」
「あら。目的だなんて。私はただ、あなたが気に入っただけよ」
「気に入った男と、簡単に寝るのか?」
「未婚の乙女ならともかく、未亡人に貞操観念を求められても、困るわね。私からしてみれば、気に入った男と寝るのは、あなたが馬で遠乗りするのと同じようなもの。石女(うまずめ)だから、誰と寝ても、子供の父親が不明で困る事もないし」
新一にはよく分からない観念で、思わず新一は溜息をついた。
「チェリーボーイとの体験は、初めてだったけどね。無垢な花嫁とちゃんとした結婚生活を送りたいなら、経験を積んで、少しテクニックに磨きをかけておいた方が良いと思うわよ」
「……余計なお世話だ」
「ふふふ。あなたって本当に、面白いわ。本気で気に入った。あなたが二十歳になったら、その時は、我が一族に……」
「一族?」
「後四年。待っててね」
そう言って、ベルモットが新一の唇におのが唇を重ねる。
不意打ちのキスは、すぐに離れて行った。
不快……とまでは行かないが。
これほどの美女にキスされても、全然、気持ちイイと感じる事もなかった。
ヴィンヤード家の馬車に乗せられて、新一は、工藤伯爵が所有する町中の屋敷に帰って来たが。
翌朝、有希子からは散々、心配しただの何だの言って、詰られた。
おまけに、新一の体に残されたベルモットのキスマークを見つけられてしまい、新一は更にお小言を覚悟したのだが。
意に反して、有希子は赤くなりながらも上機嫌になった。
「新ちゃんは伯爵家の跡取り。女遊びは構わないけど、変な女に捕まってしまわないように、それだけは気をつけてね!」
母に、そう釘を刺される。
ベルモットに恋愛感情は持っていない。
だが、百戦錬磨のあの魔女に目を付けられたのは、かなりの不覚と言えるのではないか、ある意味「変な女に捕まった」と言えるのではないかと、新一は不安だった。
『二十歳になったら、我が一族に』
ベルモットの言葉が、不気味に頭の中でリフレインしていた。
☆☆☆
貴族達は、自分の領内にある城と、都にある屋敷とを行き来する生活をする者が、多い。
十七歳になった新一は、一年以上過ごした都を離れ、工藤伯爵家の領内に帰っていた。
新一は、色々な意味でホッとしていた。
都での生活は、社交界が中心で、気疲れするばかりだった。
唯一、良かったのは、書物を沢山仕入れられた事、位だ。
いずれ伯爵位を拝命する身としては、社交界が必要不可欠なものである事は分かっているし、それなりに面白い部分もあった。
優作から多くの事を教わっている新一は、まずまず如才なく振舞ってもいた。
ただ、女性達の相手をするのは、窮屈なものでしかなかった。
恋や愛を語るのは、正直、うんざりする。
傍目からは、新一の女あしらいは非常に上手で、むしろプレイボーイであるかのように見なされていたけれど、新一は女性を弄んだ事はない。
父親辺りからは、「むしろ関心がないから上手にあしらえる」事を、見抜かれていた。
領内での生活は退屈なものだが、社交界に比べれば、まだずっとマシだ。
未来の伯爵位を継ぐ立場で、領内を視察して回ったり、馬での遠乗りや狩りを行ったり、集めた書物を読んだりしていれば、退屈する暇もないだろう。
新一がもう一つ、ホッとしたのは。
ベルモットと離れた事だ。
ベルモットにとっては、男と寝るのは趣味の一つ程度の事らしいし、相手は複数いる様子でもあったので、新一は罪悪感を抱いている訳でもないが。
誘われると何故か逆らえず、ベルモットと褥を共にしてしまう自分自身に、嫌気がさしていたのも、また事実だった。
新一は、ベルモットが嫌いなわけでもなかったが、彼女が普通でない事には気づいていたし、操られているとは、感じていた。
おそらくいつも、特別な媚薬を使われているのだろうと、考えていた。
ベルモット以外の女性は、抱いた事がない。
けれど、それは別に、ベルモットに操を立てている訳ではなく、そもそもベルモットも含めて「女性を抱きたい」と思う事が、ないからだった。
ベルモットはあれ以来、「二十歳になったら」云々の言葉を出す事はなかったけれど。
何となく、蜘蛛の糸に絡め取られている獲物だという感覚があったので、離れられたのは正直、ホッとした。
父母はまだ、都にいる。
一足早く、領内の城に戻った新一にもたらされたのは、一つの報告だった。
工藤伯爵の城の近くに、鬱蒼と広がる森があるが。
その森の中の館に、最近、居を構えた一家がいるという事だった。
それ自体、特に変わった報告とも言えない。
ただ、新一の心に、何となく引っかかりがあった。
強いて言えば、一種の「勘」であったと言うべきか。
いずれ改めて、その一家についての情報を得なければなるまいと、新一は思った。
☆☆☆
ある日、新一は、領内を見て回った。
収穫の時期であるが、今年は天候にも恵まれ、まずまず順調な出来栄えそうで、新一はホッとする。
城に戻ろうとする頃には、既に日は傾きかけていた。
夕暮れの中、一台の馬車が、森の中の道に入って行ったのを、新一は見かけた。
それだけなら、「森の館に住む住人か、その客人が、馬車で向かっているのだろう」と考えるだけだが。
馬車の中に見えた女性の横顔が、知っているものだったので、新一は馬を止めた。
『あれは、確か……最近結婚したばかりの、ヨハン男爵の奥方アメリーじゃねえか?そして、隣に座っていたのは、見た事がない男だ。こんな夜になろうとする時刻に、一体……?』
「若様?」
供の者が、訝しげに声をかける。
「わりぃ。オレはちょっと気になる事があっから。オメーは先に、屋敷に戻っていてくれ」
「若様!おひとりでは、危のうございます!」
「調べたら、すぐ、戻って来っからよ!」
言い捨てて、新一は馬を走らせた。
供の者が諦めて帰るのは、分かっていた。
何故なら、新一が馬を速駆けさせた場合、供の者はとても追いつけないからである。
新一は後になって、その時の事をどれだけ後悔したか、分からない。
しかし、既にベルモットに目をつけられていたのだから、早いか遅いかの違いだけで、いずれは同じ運命に向かっていたのだろうと、思ったりもする。
新一は馬車の後を追った。
やがて、夕闇が濃くなってきた頃、前方には森の中の館が、見えて来た。
新一は、館の敷地近くの木に、馬を繋いだ。
館の離れ、聖堂のような建物に、灯りがともっていた。
足音を忍ばせて、そこに近づく。
「やっと……二人になれたわね、マルクス」
「ああ。愛しているよ、アメリー」
窓から覗き込むと、そこでは、男女がしっかりと抱き合っていた。
その二人は、先程馬車の中にいた男女で。
『げっ。新婚早々、浮気かよ……えらいとこを、見ちまったぜ……』
政略結婚が多い良家の人達は、男女共に、婚姻後、乱れた生活を送る者がいる事を、知ってはいたけれど。
新一は、今夜、そのような光景を見る羽目になった事に、げんなりしていた。
ヨハン男爵には気の毒だと思うが、夫婦の問題は、新一のあずかり知らぬところである。
新一は、そっとその場から離れようとした。
が、二人だけだと思っていたら、いつの間にか、周りを取り囲むように黒衣の人々がいる事に気付いて、足が止まった。
一同の中から、壮年の男性が進み出る。
「お前が一族に加えたいと言うのは、その女か?」
「ハイ……」
馬車で見た男の方が、答えて頭を下げる。
一方、アメリーの方は、何となく落ちつかなげに、ソワソワし始めた。
「あ、あの。これは、一体?」
「これから、君を、我が花嫁とし、我々の一族に加える為の儀式を、行うんだ」
「そんなっ!私は……!」
「ふふふ、娘よ。家同士の婚姻で好きになれない男と添う事を厭い、このマルクスと、ただ火遊びの積りでいたようだが。我々の一族に是非とも迎え入れたいとの、マルクスの意向でな……」
「わ、私は!神の御前で、誓いを立てたのだから!離婚は出来ない」
壮年の男が、じわじわと近付き、アメリーは後退る。
「安心したまえ。我々の一族は、神の思し召しとは無縁、神の祝福を受ける事が叶わぬ一族だから。離婚の罪に問われる事など、ないのだよ」
「い、一体、何なの、あなた達!?ま、まさか、悪魔信仰者!?」
「当たらずとも遠からず、というところかな。ベルモット、このご婦人を頼む」
息を詰めて見守っていた新一は、ベルモットの名に、思わず反応してしまっていた。
「やれやれ。わざわざ怖がらせなくても、気絶させて置けば良いのに」
そう言ってその場に現れたのは、新一が良く知るベルモットだった。
しかし、いつもとは、まとう空気が違う。
いや、その場の空気自体が、おかしかった。
異世界であるかのような、ひんやりと重い空気が、漂っていた。
「この婦人を、我が一族とするに当たり。一族の最も濃い血を持つ、このベルモットが、一族の血を分け与える」
アメリーは、本能的な恐怖にガタガタ震え、足が動かないようだった。
ベルモットはゆっくりと近付き、その首筋に唇を寄せる。
「ひ、ひいっ!」
アメリーが悲鳴をあげ、見ている新一は戦慄した。
ベルモットの口元から、まるで牙のような長い犬歯が現れて、首筋に突き立てたのだ。
「あ……ああっ……」
アメリーの瞳が、上転する。
そして、そのまま、くたりと崩れ落ちる。
その首筋に残った傷跡から、僅かに血が流れ出していた。
一部始終を見ていた新一は、蒼褪めながら、悟る。
『こいつらは……伝説に聞く、ヴァンパイア……!』
それなりの年齢になっている筈のベルモットが、何故、いつまでも若いのか。
新一が禍々しいものを感じながら、何故、操られるようにベルモットの意のままになっていたのか。
それは、相手が不老不死で不思議な力を持つ化け物だったから。
『彼女を救い出さなければ……!』
一旦、ヴァンパイアに加える儀式を終えた人を、救い出せるものかどうか、それすらも分からない事ではあるけれど。
新一は、とにかくその場を離れようと、後ろを向いた。
「ひっ!」
かなり豪胆な新一でも、思わず喉から声が出てしまった。
音も立てず気配もさせずに、新一の背後に立っていた者があったのだ。
「儀式を、見たな」
長身の男が、目を赤く光らせて言った。
「見た者は、死か、もしくは一族に迎えるか。二つの道しかない」
そして、男が近付いてくる。
新一は、護身用に常に身に着けていた短剣を素早く目の前の相手に突き立てると、そのまま駆け出した。
運動神経に優れている新一だから、普通の人間相手であれば、相手を楽々かわす事が出来るだろうが。
この場合は、おそらく、相手が怯む隙を作る程度の事しか出来ないだろう事を、新一は重々分かっていた。
それでも、馬がいる所まで辿り着けば、勝機はある。
様々な超常能力を持つヴァンパイアも、さすがに、火には弱い筈だった。
しかし。
森の木に繋いでいた馬のところまで辿り着くと、そこには、金髪の女……ベルモットが立っていた。
いつもは青い目をした彼女だが、今は真っ赤な目をしている。
「残念だったわねえ、坊や。人間としてはかなり良い線行ってたけど、我々の一族には、叶う筈もないわ」
「一族?人の生き血をすする化け物が!?」
「私としては、あと三年待って、あなたがもっと大人の姿になってから、仲間に迎え入れたかったのだけれど。仕方がない」
「たとえ死んでも、あんた達の仲間になんかならない!」
「一族になれば、その気持ちも変わるわ」
新一は、身動きが取れなかった。
恐怖で足がすくんでいるのではなく、ベルモットに操られているからだと、どこかで認識しながら、どうにもならなかった。
ベルモットが近付き、新一の首筋に牙を立てる。
新一の意識は、そのまま遠のいて行った。
☆☆☆
こうして新一は、ヴァンパイア「久遠の一族」の一員となった。
久遠の一族には、「真祖」と呼ばれるひとりのヴァンパイアがいて、かなり昔にこの世に現れたのだが、いつもは一族の隠れ里で眠りに就いているとの事だった。
一族は全て、直接間接に、真祖からヴァンパイアの血を受け継いでいるのである。
そして、ベルモットは、真祖から直接血を分け与えられた内の一人、一族で最も濃い血を持つ者だった。
普段、人の血と生気を糧とする一族だが、仲間を増やす際は、相手の血を吸いながら、同時にヴァンパイアの血を相手の中に流し込む。
充分な量のヴァンパイアの血を流し込む事が必要で。
伝説にあるように、ただ、血を吸われるだけでヴァンパイアになってしまう訳では、なかったのだ。
あまりにも血が薄い者は、新しい仲間を迎え入れる事が出来ない。
だから、儀式の時は、ベルモットなど血が濃い者を招く。
ベルモットから血を分けられ、真祖から数えて三代目の新一は、一族の中では羨ましがられる程、かなり血が濃い方だった。
仲間を増やす力は充分あるとの事だったけれども、それをしようと思う事もなかった。
ベルモットも首を傾げた事に、新一は一族となっても、人としての感情と感覚を失う事がなかった。
一族の本能に目覚めながらも、心はいつまでも人間のままだったのだ。
新一は、実の親に殺される事を覚悟の上で、両親である優作と有希子に会って、自分の身に起きた事を語った。
両親は、深く悲しんだが、新一が生きる事、生き続ける事を、望んだ。
やがて、新一の両親は、天寿を全うして世を去ったが、工藤伯爵の財産は、宝石や金などの様々な形で、新一に残された。
それから新一は、ただ、生きる為に生きているだけの日々を、送っていた。
魂の片割れ、蘭と出会うまでは。
第3章に続く
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