久遠の一族



byドミ



第10章 新たな旅立ち



「……それにしても。結婚式だなんて、驚いた」
「あら。全く前例がない訳じゃ、ないのよ。私達の一族にも、時々は、決まったパートナーと夫婦になる者もいるわ。まあ、私から見れば、同じ顔と何百年も連れ添うなんて、発狂しそうでごめんだけど」

新一の言葉に、ベルモットが笑って突っ込んだ。

儀式が終わり、人間の血が混ざったブラッディワインでの乾杯が行われ、ひとしきり交流があった後。
ヴァンパイアの久遠の一族は、それぞれ、どこへともなく去って行った。

新一と蘭は、二人、取り残される。
明日には、この家を引き払い、遠くに行く予定だ。

「ねえ、新一」
「ん?」
「この館は、元々、新一のお父様のものだったの?」
「……ああ。領内にいくつか持っている館のひとつだった」
「じゃあ。いつかまた、戻って来る?」
「そうだな。そういう日が来るかも、しれない」


新一が、蘭を抱き締める。

蘭も、新一に身を預けながら。
故郷を、両親の元を、遠く離れて行く事に、寂しさを覚えていた。
新一と共にある事を選び、それを後悔などしていないけれど。
父母への思慕が、なくなる訳ではないのだ。

「蘭」
「なあに、新一」
「ご両親に、会っておいで」
「えっ!?」

蘭は、驚いて、顔をあげた。
新一が、優しい眼差しで、蘭を見る。

「遠くに行く前に、一目、会っておきたいだろう?」
「そりゃ、会いたいわ!で、でも!わたし……きっと、行方不明になっているのよね?わたしはもう、人間ではなくなって、遠くに行くんだって、どう説明したら……」
「いや。本堂瑛祐の協力で、オメーは目覚めの前に一旦、ご両親の元に帰って、葬式が終わっている。だから……行方不明ではなく、お前は死んだ事になってるんだ」
「でも!じゃあ……」
「たとえ、別の存在になっていても。ご両親はきっと、蘭がこの世の中に生きている事を、喜んでくれて、幸せを祈ってくれるだろう」
「……ねえ。もしかしたら、新一の、ご両親も……?」
「ああ。母の最期の言葉は、『新ちゃん、幸せに……』だったよ。あれから百年、オメーに会って、ようやく、母さんの遺言を果たせたな」
「新一……わたし……」
「行っておいで、蘭」
「うん!」



   ☆☆☆



夜も、かなり更けた毛利邸。

毛利子爵の一人娘・蘭が死んでから。この屋敷は、夜会も晩餐会も行われる事はなく、火が消えたようになっている。
小五郎と英理は、いまだ、喪服を脱ぐ事もない。

夜も更けているが、二人は今夜も、蘭の私室だった部屋で、眠れない夜を過ごしていた。


突然、窓が開き。
そこから、入って来た者があった。

小五郎と英理は、そちらを向き……そして、目を見開く。


「こ、これは、夢なの……?」
「蘭……!幻なのか?だとしたら、何と残酷な……」


花嫁姿の、今迄見た中で一番美しい娘の姿。

けれど、蘭は死んだ。
棺の中に納め、慟哭したあの時を、忘れる筈もない。


「お父さん、お母さん……」

蘭の声に、二人は目を見開いて、動けない。

蘭が、二人に飛びついて行った。
幻だろうと何だろうと、愛しい娘を拒絶できる筈がなく、英理は蘭を抱き締めた。

「冷たい手……蘭……」
「うん……わたしは……一度、死んだのだもの……」
「オメー、一体……?」
「今のわたしは、死霊。人の血を糧として生きる、ヴァンパイア」
「そ、そんな!蘭!?」
「ヴァンパイアだと!?そのようなモノに……!」
「ごめんなさい……お父様とお母様の娘の蘭は、銃で撃たれて……あのままだと死ぬしかなかった……ヴァンパイアの血を分けて貰って、わたしは蘇ったの……」
「いいえいいえ!あなたは、人間の娘!私の産んだ、蘭よ!」
「お母様……」

蘭を抱き締めて、英理は泣いた。
小五郎も、両腕を広げ、二人を抱き寄せる。

「ごめんなさい……人間の蘭は、もうこの世にいない……わたしは……わたしを仲間に加えた一族の男性の花嫁となって、遠くに行くの」
「駄目よ、行かせない!」
「そうだ、ここにいろ!お前は、俺達の娘だ!」

蘭は、涙ぐんで、首を横に振った。

「わたしが死んだ事は、町中の人が知っているし。それに、わたしはこれから、歳を取らない。永遠に若いまま……人の血を吸って生きる存在だから……そんなわたしがお父様達と一緒にいると、お父様達まで、狩られてしまう……」

なおも、何かを言い募ろうとした英理は、顔をあげて、目を見開いた。
小五郎も、そちらを見る。

二人の目に見えているのは、ガラス窓。
そこには、小五郎と英理だけが映り、蘭の姿を映してはいなかった。

「う……ううううっ!」

英理が泣き崩れる。
小五郎が、拳を握り締めた。

「蘭。お前は……それで良いのか?」
「ええ。お父様とお母様の事だけが、心残りだけれど。わたしは今、新しい命を貰って、愛する男性と共にいて、幸せです」
「蘭……蘭……!」
「だったら!遠くに行け!」
「あ、あなた!何て事を!」
「本堂伯爵家の長女は、ヴァンパイアハンター。蘭がここにいたら、遠からず、狩られるだけだ!遠くに行け!絶対見つからない、遠くに!」

小五郎の言葉に、英理は息を呑んだ。

「蘭!お前がこの世のどこかで、生きていて、幸せになってくれているなら、それでいい!」

英理も、涙を拭きながら、頷いた。

「蘭……いつも、あなたの事を祈ってるわ……元気でね……」
「お父様……お母様……」
「蘭!絶対に、絶対に、捕まらないで!そして、幸せになるのよ!」


蘭は、もう一度、両親に抱き締められる。
その時、窓が開いて、正装をした若い男性が入って来た。


「蘭……そろそろ、行かねえと……夜が明ける」
「新一!」
「……お前が、蘭を攫って行く、ヴァンパイアの男か!」
「はい。初めまして、工藤新一といいます」
「色々な意味で気に食わねえが……オメーが蘭を仲間にしなきゃ、蘭はあのまま、死んでいたんだよな……」

小五郎が、拳を握り締めて、言った。
その悔しさと悲しみは、計り知れない。
けれど、悔しさよりも悲しみよりも、もっと大きいのが、娘を想う・娘の幸せを願う・親心だった。

「……お父様……」
「幸せにしねえと、承知しねえぞ!もし、蘭が不幸になったら、その時は……世界中探してでもオメーを追い詰めて、必ずや、その心臓に杭を突き立ててやる!」
「必ず……必ず、幸せにします!」
「蘭……元気で……!」
「お父様、お母様!愛してるわ!」

涙ながらに見守る二人の前で。
新一は、蘭を抱えて、窓から飛び出して行った。

ごく僅か、白み始めた空の彼方に、消えて行く二人の姿を、小五郎と英理は、いつまでも見送っていた。


   ☆☆☆


米花の館に戻った二人は、目立つ花婿花嫁の衣装を脱いで、旅行用の軽装になる。

いつの間にか、馬車の準備が整っていた。
御者台にいるのは、久遠の一族の一人であるらしい。

「蘭。長旅になる。もし、眠いのなら、眠ったら良い」
「うん……」

人であった時のように、夜、眠る訳ではないけれど。
疲れた時に眠るのは、ヴァンパイアも同じであるようだ。

蘭は、新一に寄り添うようにして、いつの間にか眠りに落ちていた。



蘭が目覚めた時。

光溢れる昼間で、わずかだが、外の喧騒が聞こえて来た。
見慣れぬ部屋の風景。
おそらく、引っ越し先の部屋の中なのだろうけれど。

隣に眠る新一を見て、蘭は大きな感動を覚えていた。
蘭が人間だった時、新一はいつも、夜が明ける前に去っていたから。
こうして、明るい日差しの中で、新一が隣に寝ている姿を見た事なんて、なかったのだ。

蘭が身を起こすと、新一も目を開けた。

「おはよう、蘭」
「おはよう……新一……」

きっと、ヴァンパイアにとっては、目が覚めた時の挨拶が「おはよう」なのだろうなと、蘭は思う。

新一は、身を起こすと、そのまま蘭をベッドの上に押し倒した。
そして、その唇が、蘭の喉元に降りて来る。

「え……?新一……?」

新一の唇が触れたところから、蘭の中に生気が流れ込んでくるのを、蘭は感じていた。
蘭の渇きが癒えて行く。
身を起こした新一が、静かに言った。

「蘭。オメーはオレより血が薄い。耐久力も低い。なのに、生気の補充を怠ってると、もたねえぞ」
「う、うん……だけど……」
「飢餓状態に陥ると、自分で自分をコントロール出来なくなる事もある。だから、あんま我慢すんな」

蘭は、目を伏せた。

「蘭。狩をするのは、嫌だろう?オメーさ、ブラッディワインにも、口をつけてなかったし」
「し、新一……」

蘭の目に涙が溢れる。

不老不死のヴァンパイア。
人の血を糧としてしか生きられない存在。

でも、それでも良いと、それでも新一と共にありたいと、蘭は願っていた筈なのだけれど。

「人間だって、鳥や獣や魚や……他の命を奪って生きている。だ、だから、ヴァンパイアの糧がそれしかないのなら、仕方がないと、分かっているの。だけど……」
「うん。蘭、オレも、人を殺したくないし。今迄、殺さねえ程度の狩しか、行って来なかった。オメーが直接手を下す事はない。オレがオメーの分まで、狩をする。ちゃんと、殺さない程度にな」
「でも。それじゃ、あまりにも新一に負担が……」
「蘭。オメーは、女性や若年者から生気を奪うなんて事、出来るか?」

新一の言葉に、蘭は眼を見張った。
そして、首を横に振る。

「だろ?だとしたら、狩りの相手は精力旺盛な男になる。オレには、それが嫌なんだよ」
「えっ?」
「蘭が、他の男の首筋に手を触れたりするの、ぜってー、やだ」
「そ、そんな!だって、新一は?」
「オレも、女は襲わない。生気を奪うのは、生命力が有り余ってそうな男達から、少しずつだけだ」
「……」

新一は、妬いてもいるのだろうけれど。
おそらくは、蘭の気持ちの負担を軽くしようとも、考えてくれているのだろうと、蘭は思った。

「遠慮せずいつでも、オレの血を飲め。もたなくなる前に」
「……うん……」

新一の重荷になりたくないという想いはあるけれど。
心優しい蘭は、たとえ殺さなくても、人の生気を奪う「狩り」は、躊躇われる事だった。

「新一」
「うん?」
「自分から、連れて行ってなんて言ったクセに。覚悟が決まってなくて、ごめんね……」
「謝るな、蘭。オレは……蘭を伴侶に出来て、この上なく幸せなんだからよ」

新一が優しく笑った。
新一が蘭の左手を取り、口付ける。
そして、その薬指に手を滑らせた。

「えっ?これ……」

蘭の左手に輝くのは、黄金の指輪だった。

「マリッジリングだよ」
「えっ?」
「もっと早くに渡したかったんだけど、余裕がなくて。先日、ようやく手に入れた」
「新一……」
「オメーは永遠にオレの伴侶だ。忘れるな」

そして新一は、そのまま、蘭の上にのしかかって来た。

蘭の唇に新一の唇が重なり。
蘭の服は、手慣れた動作で、はぎ取られて行く。

「ん……あ……新一……」
「蘭……蘭……」

愛する人と一つになっている充足感と快楽に、二人ともに酔い痴れる。
蘭は背をのけぞらせて、歓喜の声をあげた。

新一と蘭は、一つに繋がりながら、お互いの手を握り締めていた。

と、突然、新一の指先から、新一の熱い血潮が、蘭の中に流れ込んで行き、そして、蘭の指先から新一の中に、同時に熱い血潮が流れ込んで行った。

「あ……はあっ……新一……」
「くううっ……蘭……っ!」

突然訪れたそれは、不思議な感覚だった。

お互いにお互いの血を流し込み、与え合う。
交わりとは別の快感が訪れ、ヴァンパイアの血を求める本能が充足されて行く。

『この感覚は、一体……?』

大きな快楽に支配されながら、新一の頭のどこかで、その疑問が起こった。
しかし、それに対する答は得られないまま、二人は飽く事無く、お互いの体を求め、お互いに血を分け与え続けた。


一体、どの位の時間が経ったのか。
新一と蘭は、大きな満足感を得て、お互いを抱き締め合っていた。

ヴァンパイアの場合、セックスで体力を消耗する事は殆どないけれど。
今回の不思議な交わりで、お互いに生気が増しているように感じる。

ふと、新一が身を起こした。

「新一……?」
「ベルモットだ」

訝しげな声をかけた蘭も、すぐにベルモットの気配に気付く。
ヴァンパイアになると、人間や仲間の気配には、敏感になるのだ。

新一が不承不承といった体で、身を起して、服を身に付けた。
蘭も、起き上がり服を着る。
そして、寝室を出てホールへと向かった。
ちょうど、ベルモットが、出入り口のドアを開けたところだった。

「こんにちは、クール・ガイに、エンジェル」
「こ、こんにちは」
「……何か、用があるのか?」
「一応、一族の長老である私に向かって、何て言い草よ。この町と、仲間達との情報を伝えに来たっていうのに」

新一の不機嫌そうな対応に、顔をしかめていたベルモットだったが。
ふと、その表情が変わった。

「……あなた達。もう、交流を覚えたのね」
「……交流?」
「お互いに、血を流し込み合ったでしょ?」
「あ……」

新一と蘭は、顔を見合わせた。

「それが出来るのは、一族の中でも、お互いに深く信頼し合い愛し合う男女なのよね。私も、出来た事はないわ……にしても、エンジェルは仲間に加わって間もないのに、すごいじゃない」
「……それが出来ると、何か良い事があるのか?」
「あなた自身、体で感じている筈よ。あなた、生気の補充を暫くしてなかった筈なのに、今、飢えを、殆ど感じてないでしょ」
「……そう言われれば、確かに」
「私にも、一族の他の者にも……真祖様にも、それが何故なのか、実は分かっていないのだけれど。交流を行う事で、古い血が消化され、より新しくなるものらしいの。お互いに血を分け合い、交流が出来る夫婦は、必要とする血の量が、ずっと減るのよね。クール・ガイ、たとえ二人分の糧を得る為でも、今迄よりむしろ、狩りの回数を減らせる筈よ」
「!!」

新一が蘭を伴侶として得た事で、そのような副産物までがあったとは。
元々、人を襲う事に抵抗があり、狩りを厭う二人にとっては、まさに朗報であった。

「私が今日来たのは、これを届ける為も、あったのだけれど」

そう言ってベルモットが取り出したのは、香水瓶のようなものだった。

「赤い薔薇から取ったエッセンスが、入っているわ」
「赤い薔薇の、エッセンス?」
「そう。エンジェル、あなたももう、知っていると思うけれど。我々の一族は、赤い薔薇からも、多少の生気を得る事が可能。一族の隠れ里は、赤い薔薇が沢山咲いていて、そこでは一族の為のエッセンス作りも、行われている。どうしても、暫く狩りが出来ない環境に置かれる一族には、とてもありがたいものなの」

ベルモットが蘭にエッセンスの瓶を渡す。

「お茶に入れて飲むと良いわ」
「じゃあ、早速、淹れてきます」

蘭は、キッチンへと消えて行った。
人間のような食事は必要としないヴァンパイアだが、お茶やお酒を楽しんだりする事は出来る。
必要ではないだけで、食べ物を口にすることも可能である上に、いくら食べても太らないので、ケーキなどを好んで食べる仲間も、いたりするのだ。

キッチンへと消えた蘭を見送って、ベルモットが言った。

「……良かったわね。あのエッセンスがあると、あなた達は本当に、全く狩りの必要がなくなるかも」
「そりゃ、正直、ありがたい話だけど。何でまた?」
「だって、あの子、乾杯に使ったブラッディワイン、飲まなかったでしょ?多分、クール・ガイが、あの子の分まで狩りをする事になるだろうけど、クール・ガイだって、狩りが好きな訳じゃないでしょ?」
「……ベルモット……」
「勘違いしないで欲しいんだけど。我らの一族は、人の生気を糧として生きているけど、だからと言って、人間を憎んでいる訳でも嫌っている訳でもないの。元々は、私達も皆、人間だったのだし。仲間は全て、人間から加えられるのだしね」
「ベルモット。その……色々と、ありがとな……」
「あなたからお礼を言われると、むず痒いわ。何と言うか……私はまだこんなに若いのに、いきなり、こんなでかい息子と娘が出来てしまった、母のような感じ?」
「……若いなんて言うな。一体、何百年生きてんだよ?」
「女性に年齢を聞くなんて、失礼極まりないわね、クール・ガイ」

そこへ、薔薇の香りが漂ってきたので、二人の会話は中断した。
蘭が、お茶を淹れて持って来たのだ。

良い香りのお茶は、ヴァンパイアにも、精神的満足を与えるが。
赤い薔薇のエッセンスが入ったお茶は、三人に生気の補充もしてくれた。

「蘭ちゃん。これからは、薔薇を育てる事を覚えたら良いわ。私も時々、エッセンスを届けてあげるけど。これ、作るのに手間がかかるのだし、他にも必要としている仲間はいるのだし」
「はい」


   ☆☆☆


新一と蘭は、一つ所に長くいられない為、三〜四年を限度として、各地を転々として暮らした。
どこに住んでも、蘭が丹精込めた赤い薔薇が、庭を埋め尽くしていた。


蘭は、新一の計らいで、時々、両親に会いに行った。
小五郎と英理は、人ではなくなりいつまでも変わらない娘だけれど、幸せそうである事を、いつも喜んでくれた。

そして、二人がそれぞれ、天寿を全うする時。
蘭は、傍に付き添う事も出来た。


本堂瑛祐は、他の女性を妻とし、愛妻家として知られていたが。
毛利夫妻の事はいつも気に掛けて、本当の親のように大切にしてくれていた。

その瑛祐も、やがて年老いて、穏やかに人生を閉じた。


時が過ぎ、世の中が移り変わっても。
出会った人々が、やがて年老いて、別れが訪れても。

新一と蘭はずっと、寄り添って生きていた。
何十年・何百年と連れ添っても、いつも仲の良い「夫婦」だった。




第11章に続く



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