期限付きの恋人



byドミ



(6)初めての旅行



土曜日は、幸い、晴れていた。

蘭は、何日も前から、衣装を広げ、ああでもないこうでもないと、思案して。
おそらく、まさか、その必要はないだろうと思いながらも、下着までも含めて、「大人っぽく、なおかつ可愛いものを」と、吟味した。

そうして選んだピンクのワンピースは、翻る裾のラインが美しい、蘭お気に入りの一着だった。
それに、夏用の大きな白い帽子をかぶった。


「じゃ、お父さん、行って来ます。帰り、もし遅くなるようだったら、園子んちに泊まるかも知れない」
「ああ。俺も、徹夜マージャンになるかも知れねえし。そっちの方が良いだろう」

小五郎は、「園子と日帰り旅行」という蘭の言葉を、特に疑う様子もなく、そう言った。
蘭は、高校生の頃から、親友の園子としばしば旅行に出かけていたし、今まで男の影は全くなかったから、小五郎からは信頼されている。
蘭の良心は少なからず痛んだが、それでも蘭は、自分を止める事が出来なかった。


蘭が待ち合わせ場所に着いたのは、約束の9時より、少しだけ早かったが。
新一は既に、その場に車を止めていた。

レンタカーは、かなり大きなクラスで、座席もゆったりしている。新一が、助手席側のドアを開けてくれた。

「ごめんなさい、待った?」
「いや、オレも今来たとこ。まだ、時間前だし」

そう言って新一は、車をスタートさせた。
持っているのは軽自動車と言う割に、運転は危なげなく上手だと、蘭は感じた。

「ねえ、新一」
「ん?」
「昨夜・・・と言うか、今朝まで仕事だったんでしょ?あんまり寝てないんじゃないの?」
「3時間は寝たから、大丈夫だよ」
「さ、3時間!?」
「色々とあっから、睡眠不足には、慣れてる。ま、居眠りしねえように、蘭が相手してくれれば、大丈夫だろ」

蘭は思わず、新一の横顔を盗み見るが、今のところ眠そうな様子はなかった。

『でも・・・適当に休憩させなきゃね』


蘭は、景色を見て新一にあれこれ話しかけたり、新一のホームズの話を辛抱強く聞いたりして、新一が眠気に襲われないようにと気を配った。

やがて、高速道路を下りた車は、高原の気持ちの良い風の中を走り始める。
新一は、いくつかの絶景ポイントに車を止めてくれ、蘭はその度に感嘆の声を上げた。

「ねえねえ、新一、お腹空かない?そろそろお昼にしましょうよ」
「・・・食事をしようと思っている店は、もうちょっと先にあっから、もう少しの辛抱な」
「ええ!?わざわざ外食しなくても、わたし、お弁当作って来たよ!」
「え?」
「どこか、景色のいい所で、お弁当広げましょうよ!」
「蘭の手料理か。それは嬉しいな。じゃあ、この先のビューポイントで」

そして、新一が車を止めたところは、緩やかな傾斜の草地になっていて。
その先は崖になっているらしく、視界が開けて素晴らしい景色だった。

「うわあ・・・」

日差しは強いが、高原のさわやかな風が吹き抜ける。

新一は、車の脇にシートを敷き、車の屋根からシートを垂らして固定させ、簡単な日除けを作った。
蘭が弁当包みを広げる。

サンドイッチ、おにぎり、唐揚、卵焼き、温野菜サラダといった、定番だが、食べ易いものが並ぶ。

「へえ・・・これ全部、蘭の手作り?すげえな・・・」

そう言って新一は、おにぎりに手を伸ばし、齧った。

「うん、うめーよ!蘭は料理上手だな」
「そんな事。いつもやってるから、慣れてるだけよ」
「ああ。蘭は、毛利家の主婦代わりだからな」

言った後に、新一は「しまった」という顔をするが、蘭はそれを見逃さなかった。

「・・・何で知ってるの?」
「何でって・・・ただ、覚えてただけ。オメー、毛利探偵にひっついて、よく事件現場に来てただろうが」
「わたしの事なんか、忘れてたんだと思ってた」
「忘れる訳、ねーだろ」
「だって!ナイトバロンで会った時、初めて会ったような事、言ってたじゃないの!」
「だから!あん時は、蘭にオレだって気付かれてるとは、思ってなかったんだよ!ほら、蘭も食わなきゃ、オレ、全部食っちまうぞ!」

新一はやけになったように、食べ物を口に運びながら言った。

「ちょ、ちょっと待って!その唐揚は、わたしの自信作なんだから、わたしの分も残してて!」

新一が早くも最後のひとつをつまんでいるのを見て、蘭は叫んだ。
すると新一は、手につまんだその唐揚を、蘭の口に放り込んで来た。
蘭は慌てて、口をむぐむぐと動かす。

「確かに、とびきり美味かったよ、それ」

新一がにっこり笑って、そう言った。
蘭は、新一のその顔に一瞬見とれ、照れ隠しに「もう!」と悪態をつく。


和やかに、楽しく、食事時間が終わり。
お腹も膨れ、満ち足りた気分で、空と目の前に広がる光景を見詰めながら、風に吹かれて腰かけていた。

蘭が視線を感じ隣を見ると、真剣な瞳で蘭を見詰めている新一と、目が合った。

「あ・・・」

蘭の体の奥が、ざわめく。

「蘭・・・」

新一は囁くように蘭を呼ぶと、抱き締めて来た。
蘭はおずおずと新一の背中に手を回す。
新一の顔が近付いて来て、蘭は自然に目を閉じた。
そのまま、蘭の唇が奪われる。

新一の、蘭を抱き締める腕の力が強くなり、新一の舌が蘭の口腔内に侵入し、蘭の舌を絡め取る。

「ん・・・ふっ・・・」

甘く激しい口付けに、蘭の頭はクラクラと痺れ、蘭の体の中心部は、疼くような感覚があった。

僅かな時間だったのか、それとも長い時間だったのか。
ようやく蘭の唇を解放した新一は、蘭の肩にこつんと額を乗せて、掠れた声で言った。

「蘭・・・ずっと前から、オレは・・・」

けれど、その続きは告げられる事なく、蘭は解放された。

「さすがに、腹がいっぱいなって、眠気が出たみたいだ・・・ちょっと横になる」

何事もなかったかのような、新一の表情と言葉に、蘭は戸惑いながら返した。

「うん、分かった。わたしちょっと、そこら辺歩いて来るね」
「足元には気をつけろよ」

蘭は、火照った顔を見られたくなくて、足早にその場を離れた。


雄大な景色を眺めても、さわやかな風を受けても、蘭の頬は火照ったままで、動悸は治まらない。


新一に、もっと抱き締めて欲しい、キスして欲しい。
・・・その先を、求めて欲しい・・・。

『わ、わたしってば!・・・すっごく、イヤらしい事、考えてる!?』

何だか、自分がすごくスケベな女になってしまったようで、蘭は自己嫌悪に陥っていた。


ようやく、気持ちを落ち着けて車の傍に戻ってみると。
新一は、シートの上に横になり、寝息を立てていた。

時に凶悪な犯人と渡り合い、時に甘い表情で女性を夢の世界にいざなう、新一だけれど。
その無防備な寝顔は、むしろあどけない感じである。

新一は、ハッキリとは言わないが、仕事柄もあるし、もてるだろうから、今迄に女性体験が豊富であろうと、蘭は思っている。
この寝顔も、他の女性が見たかも知れないと思うと、胸が痛む。


『でも、今は、この寝顔、わたしだけのもの、よね・・・』

今は、今だけは。
蘭が新一の「恋人」である間だけは、この寝顔も、熱い口付けも、蘭だけのもの。

新一の寝顔を見ている内に、眠気が襲ってきた。
蘭も、昨夜は遅くまで衣装選びをやっていたし、今朝は早起きして弁当作りをしていたので、新一ほどではないが、睡眠不足なのである。
蘭もシートの上に横になり、そのまま寝入ってしまった。


   ☆☆☆


息苦しい。
唇が塞がれていて、思うように息が出来ない。
何かが、のしかかって、身動きが出来ない。
服の上から、胸をまさぐられている。

蘭の体を襲う感触がリアルで、蘭は夢の底から急速に浮上した。
そして、自分の今の状態を知る。


「ううんっ・・・!」

蘭が出そうとした声は、くぐもって、新一の口の中に消えて行った。

蘭の上に新一がのしかかり、口付けしながら、蘭の胸を揉みしだいていたのである。
あまりの事態に、蘭の頭はパニックになっており、冷静に現状の把握が出来ない。


「し、新一!」

ようやく蘭の唇が解放された時、蘭は悲鳴のように新一の名を呼んだ。
新一が蘭を見詰める眼差しは、いつもと全く異なり、獲物を追い詰める肉食獣めいていて、蘭は戦慄する。

新一の手が背中に回され、かすかな音がして、ジッパーが下げられる。
ワンピースの襟元が広げられ、蘭の胸の下着が露になった。

蘭は大きく喘ぐ。
新一が、蘭の胸の谷間に唇を寄せ、蘭の体はピクリと跳ねた。

「蘭が欲しい・・・!」
「あ、や!駄目、新一!」

蘭が抗おうとするが、その両手首を新一が信じられない程の力で掴み、抵抗を封じる。

「オメーが、誘ったんだぜ」

新一が蘭の目を覗き込み、薄く笑ってそう言った。

「さそ・・・?ち、違う!」
「オレの我慢も、もう限界だ」

新一が再び蘭の胸に顔を埋める。


「やめて!いやあああああっ!!」

蘭が叫んで、首を左右に振った。
すると、蘭の手首を拘束していた新一の力が、急に緩んだ。
蘭は反射的に、思い切り手を動かしていた。


「え・・・?」

蘭の手は、顔を上げた新一の頬を掠め、引っ掻き傷を作る。
新一の眼差しは、傷付いたような切なげなものに変わっていた。


「ごめん・・・」
「新一・・・?」

新一が、振り絞るような声で謝罪の言葉を口にすると。蘭の上から体をどけて、背中を向けた。

「悪かった」


蘭は、はだけた胸もとをかき合わせながら、新一の背中を見詰めていた。



蘭が、服を整えている間に。
新一は、シート類を片付け、蘭の方を殆ど見ないままに、車に乗るよう促した。

険しい顔で、前を見据えている新一の横顔を、蘭はおどおどと見詰める。
以前、園子達と話をした事を、思い出していた。


『男性に、無防備な寝姿を晒すのは、誘うのと同じ事』

前に、そう聞いた事があったような気がする。

『新一は・・・わたしの方が誘ったクセに、いざとなったら拒絶した勝手な女だって、怒っているかな?』

蘭は、そのような事を考えながら、ちらちらと新一を盗み見た。

蘭も、自分で分かっている部分はあって。
そういった知識があってもなくても、新一や身内以外の男性の前で、こうやって無防備に眠りこむ事など有り得ないし。
そもそも、新一とじゃなかったら、男性と2人きりでのドライブも、有り得ないのだ。


そして、何よりも。
蘭は、新一にだったら、抱かれても良い、抱かれたいと、思っていた。
先ほど拒絶してしまったのは、場所が場所だった事と、突然の事で気持ちの準備が出来ていなかったからだ。
決して、新一に抱かれるのが嫌だった訳ではない。


「蘭」
「はははいっ!」

新一に呼ばれ、蘭は素っ頓狂な声を上げた。

「・・・どこか、行きてえとこ、あっか?」

新一が硬い表情のまま、言った。

「え?あ・・・」

蘭は、最近出来たという、複合施設のような「道の駅」の名を告げた。
新一は、黙って頷くと、車を走らせた。

やがて、道の駅が見え始めた。
そこは、高台にあり、見晴らしも良い上に、ログハウス仕立ての地元特産品店や食堂・案内所の他、温泉施設やミニ工芸品館、ミニ緑地公園などまである。
ちょっとした手軽なレジャー施設として、家族連れなどの人気も高いところである。

新一は、駐車場に車を停めた。
蘭が、助手席を開けて降りても、新一は動こうとしない。

「新一・・・?」
「行って来いよ。オレは、ここで、休憩してっからよ」
「で、でも!」
「少しばかり、疲れた」

新一にそう言われると、蘭としては、何も言えずに、1人車から降りて、施設内に向かった。

特産品を見て歩いても、ミニ工芸品館を覗いても、展望所から良い景色を眺めても、少しも心弾まない。


『新一の馬鹿・・・こんな・・・デートなんて、言えないじゃない・・・』

蘭の目に、涙が滲んでくる。
行きたかったところに来ても、見たいものを見ても、食べたい物を食べても、それが1人では意味がない。
いや・・・以前の蘭だったら、それが寂しいとは感じなかったかも知れない。
でも今は、隣に新一が居ないと、何もかもが色褪せてしまう。


『バカだな、わたし・・・どっちみち、8月の終わりまでの関係なのに・・・』

気持ちはどんどん、大きくなって行く。

新一の申し出を受ければ、気持ちがますます傾く事は目に見えていたし。
もし、新一と肌を重ねれば、とても離れられなくなってしまう事も、想像に難くない。


『それでも、わたしは・・・』

木製のラセン階段を昇り、小さな展望台から、かなり下方にある谷川を眺める。
蘭の頬を、再び涙が伝った。


その時、下卑た声が、かかった。

「か〜のじょ。独り寂しく、どうしたのお?」

蘭は無視する。
どこにも、このような輩は居るのだなと思う。

せっかく目にしている清らかな流れすらも、汚されてしまうような気がして、不快だった。

蘭の無視にめげず、近寄って来る気配がしたので、蘭は身構えた。
声から想像出来る範囲の、下卑た雰囲気の若い男2人だった。

「お♪ヒットじゃん」
「ホントホント、想像以上にかわいこちゃんだね。チチもでかいし」
「今迄は、後姿はヒットでも、前から見ると今一ってのが多かったもんなあ」

蘭は後退る。
空手技で男達をのすのは簡単だが、下手をして展望台から落ちる羽目になると、大怪我は必至だ。
とにかく、この場から退散するのが先と、蘭は慎重に間合いを取る。

「あれえ?逃げる事ねえじゃん。ドライブしようよ」
「俺達、男だけだから、寂しくってさあ」

「・・・せっかくだけど、連れが居るので」

無駄だろうとか思いながら、蘭は一応言ってみる。

「うそだろお。さっきからずっと1人で、回ってんじゃん」

「嘘じゃねえよ。オレが、コイツの連れ」

蘭は、背後から聞こえた涼やかな声に、体の緊張が解けるのを感じていた。
背後を振り向き、ホッと息をつく。

「こいつ、オレのだから。近付かないでくれる?」

蘭の肩を抱きよせ、穏やかな声でそう言いながら、新一の目は、剣呑な光を湛えていた。

2人連れの男は、下卑た感じではあったが、腕に覚えがある訳ではなかったらしい。
それ以上しつこくしようとはせずに、その場から退散して行った。
多分、何事も面倒臭い事は嫌いなのだろう。

蘭は、ホッと息をついたが、同時に、新一の手が肩に乗せられている事に気付いて、身を強張らせた。

「あ・・・ごめん・・・」

新一は、蘭からパッと離れた。
そして、ラセン階段を駆け降りて行く。

「あ!待って、新一!」

蘭は、新一の後を追って、階段を駆け下りようとして、足を踏み外した。


「きゃあああっ!」
「蘭!」

新一が振り向きざま、落ちかけた蘭の体を力強く支えた。
そしてそのまま、柔らかく抱き締められる。

「蘭・・・もう、あんな事はしねえから。だから・・・そんなに、怯えないでくれ・・・」
「し、新一?」
「オレが・・・さっきの男達と同じ穴のムジナだって事は、自分で分かってる。だけど」
「違うよっ!新一は、あいつらとは違う!」

蘭は、新一に強くしがみついて、叫ぶように言った。

「酷いよ、新一、わたしを1人にして!これじゃ、デートの意味、ないじゃない!」
「ら、蘭・・・だけど・・・」
「わたしは、わたしは!さっきはいきなりだったから・・・それに・・・あんな場所だったから・・・嫌だっただけだもん・・・」

新一が息を呑む気配がした。

「今夜・・・一緒に居たい・・・」

蘭の口から、自然に言葉がこぼれ出てしまい、蘭は恥ずかしさに一瞬慌てたが、後悔はしなかった。

「蘭。それが、どういう意味なのか、分かってて言ってんのか?」
「わ・・・分かってるに、決まってるでしょ!」

蘭は、新一に顔を見られたくなくて、新一の胸板にギュッと顔を押し付けて答えた。
新一の心臓が早鐘を打っているのに気付き、蘭は何だか、安心して来た。

「けど・・・蘭・・・その、オメーさ・・・その、バージンなんじゃねえのか?」

やっぱり、経験豊富な新一には、分かってしまうのかと、蘭は更に恥ずかしくなった。
けれど、どうせ、肌を合わせれば、気付かれてしまう事である。

「うん・・・」
「本当に、良いのか?」

新一が、蘭の顎に手をかけて、上を向かせた。
新一の瞳の色がすごく優しくて深い色で、蘭は吸い込まれそうな錯覚を覚える。

蘭は、こくりと頷いた。
新一の顔が近付いて来て、蘭の唇は優しく激しく塞がれた。


(7)に続く




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