期限付きの恋人



byドミ



(5)DATE TIME DAYS



「デートって、どこに行くの?」

新一に手を引かれて歩きながら、蘭は尋ねた。

「トロピカルランド」
「えっ!?」
「定番だろ?」
「う、うん・・・」

確かに、遊園地でデートは、定番なのかも知れないが。
蘭は、そもそもデートらしいものをした事がなかったし、男性と2人でトロピカルランドは、勿論初めてである。

ただ、新一だったら、もっと大人のデートをするのかと、漠然と考えていたから。
遊園地というのが、意外だった。


「以前、蘭が・・・」

新一がボソリと言った事が良く聞こえなくて、蘭は訊き返す。

「えっ!?」
「あ、いや、何でもない」

人気の遊園地・トロピカルランドだが、今日は平日という事もあり、比較的空いている。

新一と一緒に、アトラクションを楽しんでいる内に、少しずつ、蘭の緊張もほぐれて来た。

そして蘭は、新一の意外な・・・と言うより、ある意味当然とも言える一面を知る。


「で、その時、ホームズが・・・」
「・・・(こ、この!ホームズオタク!)」

新一はひっきりなしに、ホームズ談議を繰り広げていたのである。

「ねえ。まさか、今までデートした女の人達全部に、ホームズの話ばっかしてたんじゃないでしょうね?」

蘭はジト目で新一を見て言った。
新一は、思わず虚を突かれたような表情になった。

「あ・・・いや・・・一応、相手は選んでるけどよ・・・」

そう言って目を逸らした新一の顔は、まだ20歳を過ぎたばかりの青年の素顔だと、思わせた。
蘭はようやく、ホストの新一は、新一が演じている一つの顔なのだと、思い当たった。

『そっか。今の新一が、素に近いって事なのかな?ううん、そう思い込むのだって、危険よ。どちらの顔も、きっと、工藤新一の別の側面に過ぎないだけ、なんだから』


次のアトラクションに向かうとき、新一は自然に蘭の手を引いて、連れて行く。
蘭は、ずっと新一とこうしていたかのような錯覚を感じる。

蘭の心の奥底で、警報が鳴っているが。
蘭はそれに、気付かない振りをしていた。


「お、そろそろ、時間だ」

新一が、腕時計を見て言うと、また、蘭の手を引っ張って、駆けだした。

『え・・・?一体何?』

パレードは、夜にならないとないし。
この時間に何があったろうと、思う間もなく、地面にタイルで円形の模様が描かれた、広場のような場所に出た。


「ここ・・・?何があるの?」
「まあ、見てなって。スリー・・・ツー・・・ワン・・・」

次の瞬間。

広場のあちこちから、水が噴き出した。

「え、ええっ!?」
「ここ、定時になると、噴水が吹きあがるようになってんだ」
「わあ・・・綺麗・・・」

噴水の水の壁に囲まれて。
頭上を見ると、日の光を受けて、小さな虹がかかっている。

「気に入ったか?」
「うん、とっても!」
「・・・良かった」

そう言って笑った新一の顔が、滅多に見られない満面の笑顔で。
蘭は、また、ドキリとした。

『あ・・・』

蘭は不意に、講義室での口付けを思い出し、顔が熱くなるのを感じて、慌てて目を逸らした。

『私には、初めての特別なキスでも・・・きっと、新一には何て事ないんだわ・・・』

蘭は再び悲しくなった。


夕暮れの中で、大観覧車に乗りながら、蘭は美しい景色を堪能する心の余裕が全くなかった。
新一の「恋人」である期間は、およそ3か月。
その間、まさか毎回「デートが遊園地」と言う事はあるまい。


蘭の肩に新一の手が乗せられ、抱き寄せられて、蘭は思わず身を固くした。

「蘭」
「は、はいっ!」

思わず、声が裏返る。

「キス・・・しても、良い?」

新一が蘭の耳にそう囁いて、蘭は思わず目を丸くして新一を見た。


「な・・・だ・・・だってさっきは、そんな事聞かないでいきなり・・・!」
「あれは、お芝居の為の、キスだったから。今は・・・蘭の恋人として、訊いてる」

蘭は、息を呑んだ。
新一が蘭を真っ直ぐ見詰める眼差しに、心臓が壊れそうなほどに音を立てる。

「あ・・・し・・・新一は・・・恋人って・・・そういう事を、その、望んで・・・いるの?」

口の中がカラカラに乾き、言いたい事が上手く言えない。

「望んでいるよ。キスも、その先も」

新一の言葉に、蘭は再び息を呑む。

「けど、恋人同士であっても、そういう事は、お互いの合意が前提、だろ?オレは、蘭が望まねえ事を、無理強いする気は、ない」

蘭は、大きく喘いだ。

「キスしても良い?」

もう一度問われて、蘭は・・・震えながらかすかに頷いた。
新一の片手が腰を抱き込み、もう片方の手が蘭の頭の後ろに添えられ。
そっと目を閉じた蘭の唇が、新一のそれで覆われる。

「んっ!」

新一の舌が、僅かに開いた蘭の唇の隙間から侵入して、蘭の舌を絡めとった。
甘い痺れが、蘭の全身を駆け巡る。


『わたし・・・きっと、この人に求められたら、逆らえない・・・』


おそらく、3ヶ月の期限が来る前に。
蘭は、新一に抱かれる事になるだろう。
甘い切なさの中で、蘭は絶望的にそう予感していた。


   ☆☆☆


それからの、蘭と新一はと言えば。

余程でない限り、毎日会っていた。
とは言っても、二人とも学生で、大学での講義はあったし、蘭は空手部に身を置いていたし、新一は夜の「仕事」と、不定期な「探偵活動」があったから。
せいぜい、お茶を飲んだり、軽い食事をしたりする程度で、蘭が危惧したように、新一が蘭とキス以上の関係を求めるというような事もなかった。
いや、キスすらも、新一がデートの帰り、蘭を家まで送って行った帰り際に、たまに物陰で軽く口付けられる程度だった。

蘭は、その事態にガッカリしているのか、ホッとしているのか、自分でもよく分からなかった。


世間は、広いようで狭い。
と言うか、時間があまりない二人の「デート行動範囲」が限られているからとも言えるのだが。
蘭は、何人ものクラスメート達から、新一との「デート現場」を目撃される事になる。
もっとも、既に、青木助教授の公開セミナーでの、新一とのキスは、多くの学友達に目撃されていたから、今更であった。

ただ、新一の夜の顔を知らないクラスメート達にとっての認識は、「毛利蘭が、キレ者で青木助教授をやり込めた東都大生の工藤新一と、お付き合いをしている」という事だった。

そして蘭は、新一の夜の顔を知っている親友には、事の次第を言う事が出来ないままで居た。
幸いと言うか、園子は、蘭とは別の大学に進学していた。
蘭は、新一の事を園子に言えないまま、ずるずると日を重ねていた。

そして。


「ら、蘭!?」

新一と入った喫茶店で、蘭は偶然、園子と鉢合わせしてしまうという事態に遭遇したのである。

園子は、目を丸くして、蘭と新一とを見比べていた。

「蘭、いつの間に!?」
「え、えっと園子、これには訳があって・・・」
「へえ、わたしの好みとは違うけど、結構イケメンじゃない!蘭ったら、教えてくれないなんて、水臭いなあ、もう」
「へっ!?」

蘭は目が点になった。
京極真と知り合ってから、園子の「男の好み」はスッカリ変わってしまったが、昔の園子なら新一の顔は好みの範囲内であった筈である。
という事実はとりあえず置いといて。

『そ、園子ってば、ナイトバロンで新一と会った事、覚えてないのかしら?』

蘭は、どう答えたら良いものか、考えあぐねていた。
すると、蘭の隣に居た新一が、笑顔で園子に向って手を差し出した。

「初めまして、工藤新一です」

園子の目が見開かれ、ぱちくりと瞬きをした。
新一を穴のあくほど見つめ、蘭に視線を移し、そしてまた新一を見る。


「えええっ!?ウソォ!」
「え?園子、何が?」
「だっだっだって!蘭、あのナイトバロンのコナンが、工藤新一だって言ったでしょ!?」
「??う、うん・・・」
「顔が、違うじゃないのよ!」

園子は、新一をまともに指さしながら、叫んだ。

「あ、やっぱりな。普通は、気付かねえもんだよな」

新一が、どこか面白そうな表情になって、言った。

「へ!?」
「別に、変装してる訳じゃねえけど。やっぱ、水商売だし?一応、メイクをしたり髪を整えたりは、してる訳。で、たったそれだけでも、結構、オレだって気付かれないもんなんだよなあ。だから、蘭に気付かれてたって分かった時は、ちと焦っちまったぜ」

新一は、漂漂として言った。

「女は化けるってよく聞くけど、男だって意外と化けるもんなのね。蘭、よくあのコナンが、高校生探偵の工藤新一と同一人物だって、分かったわよね」

蘭は、2人の言葉に奇異な感じを抱いた。
別に、見抜いた訳でもなく、見分けた訳でもなく、店で一目見た途端に、蘭には分かった。
ただそれだけの事だったから。


「でさ、蘭!あんた、わたしが忠告したのに、この女たらしと、まさか!?」
「新一は、女たらしなんかじゃないよ。ホストの新一は、仕事だもん」
「仕事でも、女を弄べるって事は、元々そういう資質があるって事よ!工藤君、あんたね!一体どうやって蘭を誑かしたのよ!」

園子は、新一に向って掴みかからんばかりになった。

「別に、誑かしても騙しても居ねえ。蘭は、オレの夜の商売について、ちゃんと分かってて。オレの交際申し込みに応えてくれた。それだけだ」
「でも!」
「園子。心配してくれて、ありがとう。でも、わたしが新一と付き合うって決めたのは、わたし自身の意思、だから」

蘭はキッパリと言った。
期限付きだろうと何だろうと、新一が「交際申し込み」をして、蘭がそれを受けたのは、紛れもない事実。
蘭は、開き直る事にした。

「蘭・・・」

園子は、少しばかり傷付いたような顔をした。
蘭は、蘭の事を心の底から案じてくれているこの親友に、隠し事をしている事も、心配をかけてしまっている事も、心苦しかった。
しかし、それでも蘭は、新一と共に居たいという気持ちが強かったのだ。

「園子。黙っててごめんね。でも、新一がホストだって事を知ってる園子だったら、きっと、反対するって思って、言えなかったの・・・」

その部分は、紛れもない事実だった。

園子は、唇を噛んで、新一にもう一度向き直ると、強い視線で新一を睨むように見て、言った。

「あんたの商売については、仕方ないけど。でも、店の中だけにしてくれる?蘭を、絶対泣かせないで!」
「・・・ぜってー泣かせねえ自信はねえが、蘭の恋人で居る間は、蘭以外の女性と、店の外で会ったり、関係を持ったり、ぜってーしねえよ」
「ま、信じるしかないわね。何をどう言ったって、蘭が選んだ男だもん。蘭、わたしはもう、何も言わないわ。ごめんね・・・」

園子は、蘭の方に向き直って言った。

「園子。謝らないで。こちらこそ、ごめん・・・」

園子の気遣いが嬉しいと同時に、その親友を多少なりとも傷付けたと思い、蘭の胸は痛んだ。
もはや、蘭の気持ちは止められない。
新一に向ってしまう思慕は、大きくなるばかりで、止める術はない。

蘭は、去って行く親友に向かって、心の底で何度も謝っていた。



そして夜。
園子から電話があった。


『で?蘭、工藤君って、今、仕事中なんでしょ』
「う、うん・・・」
『辛くないの?』
「そりゃ、辛くないって言えば、嘘になるけど・・・」
『まったくもう。あの時は、大丈夫だなんて言ってたクセに』
「園子、前に話した、助教授の事、覚えてる?」
『ああ、蘭にちょっかい出そうとしてるって、あいつの事?え?蘭が断っても、まだ手を出して来ようとしてるの!?』
「そうだったんだけどね・・・」

そして蘭は、青木助教授と新一との顛末を、話した。
但し、新一が申し出た事が「3ヶ月の期限付き」だという部分だけを、伏せて。

『何よそれ、結局工藤君が助教授の代わりになっただけじゃん!』
「全然違うよ。だって、新一は、成功報酬で良いって言ってくれたし。わたしには、断る自由もあったんだから」
『でも!蘭、他に居なかったの!?頼めそうな人!』
「だって・・・引き受けてくれそうな人って、みんな下心つきなのは、一緒じゃないの。それに、あの青木助教授に対抗出来そうな男の人って、そうそう居ないよ」
『う〜、まあ、確かに・・・だけど・・・』
「それに。わたし、青木先生とか、他にわたしに告白して来た男の人達には、手を握られるのも嫌だけど。新一にだったら・・・抱かれても良い、ううん、抱かれたいって、思うもん」

蘭の、ある意味究極とも言える、新一への気持ちの吐露に、園子が受話器の向こうで息を呑む気配がした。
蘭自身も、大胆な事を言ってしまったと、焦る。けれどそれが、蘭の気持ちだった。

『蘭。やっぱり、そこまで工藤君の事、好きだったんだね。だから、一目であのコナンが、工藤君だって分かった訳でしょ』
「そ、それは・・・うん・・・そうだったのかも、知れない・・・」

あの薄暗い店の中で、髪を綺麗に撫でつけ、メイクをした新一は。
蘭の目にはすぐに分かったけれど、他の女性にとっては、全くの別人に見えてしまうものなのかも知れない。

『でも蘭、そういう言い方をするって事は、工藤君とは、まだだよね』
「え?あ・・・うん・・・」
『そういう事になる前に、処女だって事、ちゃんと言いなよ?そしたらきっと、大事にしてくれるからさ』
「そ、そうかな・・・」
『そうよ!あの時はわたしも頭に血が昇ってたけど。どうやら、工藤君が本気で蘭の事好きなのは、確かみたいだしね』

そういう事はないだろうと、蘭は思う。
園子にはいまだにその部分は隠しているが、新一が提起して来たのは、3ヶ月という期限付きでの、恋人付き合いだったから。
新一の気持ちはゲーム感覚で、「本気の好き」ではなかろうと、蘭は思っていた。

新一に処女だと知られれば、新一は蘭の事を大事にしてくれるだろうか。
それとも・・・重い、うざいと思われるだろうか?


蘭は怖くて、新一には何も言えないでいるのだった。


   ☆☆☆


ある日、新一と蘭は、いつものように喫茶店でお茶を飲んでいた。

「蘭。来週の土曜は、週末だけど店の休みが取れたし、昼もこれと言って予定が入ってねえ。だから、結構ゆったりと、デートの時間が取れるぜ」
「ホント?」
「ああ。蘭はどこか、行きたい所があっか?」
「う〜ん・・・そうねえ・・・遊園地は、もう、トロピカルランドに行ったし」

蘭は考え込む。
本当は、新一とゆっくり過ごせるのなら、どこでも良いのだが。
せっかくだから、少し遠出をしてみたいとかも、考える。

「○○高原なんて、どうだ?」
「えっ!?」

そこは、以前、蘭が「行きたい」と考えたところだったので、思わず驚いて声を上げた。

「何、驚いてんだよ?」
「ううん、何でも・・・でも、新一、そこは車じゃないと、無理なんじゃない?」
「ああ。まあ、車は持ってっけど、小回りが利いて諸経費かからねえように、軽なんだよ。あれでドライブはきついから、レンタカーって事になるな・・・帰り、遅くなっても、大丈夫か?」
「う、うん・・・」
「じゃあ、決まり。まだ梅雨の真っ最中だけど・・・晴れると良いな」
「うん」
「当日、朝9時に、迎えに来っからよ」


蘭の心は、湧き立った。
新一と丸1日、ドライブデートと考えると、ふわふわとした気持ちになり、当日を心待ちにする蘭であった。



(6)に続く




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