期限付きの恋人



(14)契約の終わり



byドミ


「蘭・・・!」
「蘭!気がついたか?」

蘭が目覚めた時、すぐ傍にあったのは、蘭の両親の顔だった。

「あ・・・」

蘭は、身を起こそうとする。
腕に、点滴の管が繋がれていて、ここが病室である事が分かった。

蘭は、ここに姿がない新一の名を呼ぼうとして、声を飲み込む。
両親の前で新一を呼ぶのは、新一に迷惑が掛かりそうな気がして。

「ああ、まだ、無理しないで。蘭は変な薬を使われたんだから」
「お前が変な事件に関わったりするから、蘭がこんな目に!」

父親が母親に食って掛かる様子を見て、蘭は思わず飛び起きた。

「お父さん!そんな事言わないで!お父さんらしくない!お父さんだって、一旦、お仕事として引き受けた事に、いい加減に対応出来ない筈よ!」
「蘭。私の仕事にあなたを巻き込んだのは事実だわ。間違った事をしていたとは思わないけど、蘭を守るのがおろそかになっていた。ごめんなさい」
「でも・・・!」
「・・・すまん。蘭の言う通りだ。蘭がこんな目に遭った事にイライラしちまって、八つ当たりした。卑怯なのは風戸の方なのに、ヤツの犯罪を暴くのは当然の事なのに、つい・・・」

蘭は、父親と母親の間には、きちんと信頼関係がある事に気づいて、ホッと息をついた。

「まあでも、無体な事をされる前に、助け出せて、良かったわ」
「蘭を助けたのが、あの探偵小僧って事が気に食わんが・・・」
「そんな風に言わないで。新一君は、蘭を守る事を頼んだ、私の正式な依頼人よ」
「えっ!?」

そのような事とは露知らなかった蘭は、目を大きく見開いた。

新一は、蘭を守る依頼を受け、蘭に計算づくで近付いたのか?
でも、だったらどうして、蘭に手を出して来たのだろう?

頭が混乱して来る。

ただ、今、英理に問いを投げかけるのは、得策ではないように思えた。

「まあ、風戸は今、留置所に入っているし、取りあえず蘭の危険は去った。無事、ミッション終了ってところね。彼に成功報酬を払わなければ」
「それは、今回の事件の依頼人から払ってもらえるのか?」
「そんな筈ないでしょう?私の個人的な依頼だから、私が支払うわよ。蘭が無事だった事を考えれば、安いものだわ」


蘭は、涙が零れ落ちそうになり、俯いた。
新一への不信感が募りそうになる。

けれど。
新一は最初から、「契約」だと言っていた。
蘭を騙していたかもしれないが、「好きだから付き合って欲しい」なんて嘘をついた訳では、ない。
愛のないキスも、愛のないセックスも、蘭は最初から納得した上で受け容れていた筈だ。

最初から偽りの関係だったのだから、それは承知の上での関係なのだから、今更、隠し事が増えたからといって、何て事はない筈だ。


ただ、今は。
新一に会って、新一の口から、全てを聞きたい。
そして、玉砕するだろうが、蘭の気持ちを伝えたい。

蘭は、拳を握りしめた。



   ☆☆☆



蘭は、次の日には退院出来た。
昼過ぎ、さっそく出かけようとする蘭に、小五郎が声をかけて来た。

「おい!蘭、どこ行くんだ!?」
「園子と待ち合わせ」
「今日はまだ、家で休んでた方が良いんじゃないのか?」
「大丈夫だよ。薬はスッカリ抜けたし」

小五郎に対して、何となく後ろめたい気持ちはあったが、蘭はシッカリ嘘をついて、真っ直ぐに新一の家へ向かった。

工藤邸の門の所までやって来た時、新一が、年上と思われる綺麗な女性と一緒に、玄関ドアから出て来たのが見えた。
蘭の頭に、カッと血が上る。

その女性が門から出て来た時、蘭の姿を認めて、ニッコリ笑い、会釈した。
蘭も慌てて頭を下げたが、笑顔が引き攣っているのが自分でも分かった。

そのまま、女性は去っていく。
蘭は、その女性の顔を、どこかで見た事があるような気がしたけれども、思い出せなかった。

「蘭。もう大丈夫なのか?」

新一が蘭を見て、気遣わしげに言った。
蘭は、ダダダッと新一に駆け寄ると、怒りにまかせて回し蹴りをかける。
新一は、信じられない反射神経でそれを避けた。

「うわっ!おい、危ない女だな!」
「避けないでよ!」
「冗談じゃねえ!オメーの技をまともに食らったら大怪我するだろうが!大体、オレが何したってんだ!」
「け、契約違反じゃないの!許せない!」

蘭は、顔をグシャグシャにして、ポロポロと涙を溢れさせた。

「・・・ここじゃ何だから。とにかく、中に入れよ」

蘭を家に招き入れ、ソファーに座らせて、新一はキッチンへと姿を消す。
蘭は、ボロボロと涙を零しながら、ズンと自己嫌悪に陥っていた。

『わたしには、何の権利もないんだって、自分に言い聞かせたばかりなのに。わたしったら、あんな事して・・・』

どうせ愛されていないのなら、徹底的に嫌われてしまえと、自暴自棄になっていたのかもしれないとも、思う。
新一は呆れ果て、期限が来る前に、契約恋人関係すら、終わってしまうかもしれない。
もう、新一が蘭を守る必要もないのだから。

落ち込んでいる蘭の目の前に、湯気が立った紅茶が出された。

「・・・心を落ち着けるには、あったかい方が良いだろ?」
「新一・・・?」

こんな時にも優しい新一に、蘭の胸は痛む。

「母さんなら、もっと上手に淹れられるんだろうけどな。今日は出かけちまったし。オレがティーバックで淹れたヤツだから、味の保証は出来ねえけど」
「・・・しくしないで・・・」
「ん?何だ、蘭?」
「何でもない・・・」

蘭は、かぶりを振った。
蘭の事を好きじゃないなら、優しくしないでと言いたかった。
でも、期限付きだが恋人という契約と、英理の依頼による「蘭を守る」という契約と、二つの契約に縛られた新一は、蘭に優しくしない訳にはいかないのだろう。

「なあ、蘭。契約違反って、何の話だ?」
「さっきの女の人・・・」
「・・・ひでみさんが、どうして?」

新一が、さっきの女性を、姓ではなく名の方で呼んでいる事に、蘭はまた涙を溢れさせた。

「だって!他の女の人と・・・!」
「もしかして・・・蘭と恋人でいる間は、他の女性に指一本触れないって、あれか?」

蘭は、また溢れだした涙で、言葉が出せずに、新一を睨みつける。

「だったら、オレは契約違反はしていない」
「・・・だって・・・あの女性・・・ひでみさんは・・・?」
「彼女は、催眠術の勉強中だから、風戸の被害者達の後催眠とかの後遺症を治療してもらうよう、お願いしたんだ。彼女1人だけじゃなく、何人もに協力を得る事になるだろうけどね」

そうか、催眠術にはそういう面もあるのかと、蘭は今更ながら身震いする。

「でも、じゃあ、何で、苗字じゃなくて、下の名前で呼ぶの?」
「同じ苗字の知り合いが複数いる時って、呼び方変えて区別しねえか?」
「え・・・同じ苗字の知り合いって・・・」
「気付いてねえのか?あんなにソックリなのに・・・オメーの学友に、いるだろ?」
「あ・・・瑛祐君!」

蘭はようやく得心がいった。
先ほどの女性は、瑛祐にそっくりだったのだ。

「じゃあ、あの人は、瑛祐君のお姉さん?・・・新一、どうかした?」

今度は、新一の方が、みるみる機嫌を悪くする番だった。

「オメーな。オレには、他の女性を下の名で呼ぶ事を責めたクセに、自分は何だよ!?」
「え・・・?え・・・?」

蘭は、首を傾げ、そして、本堂瑛祐を「英祐君」と呼んでいた事をようやく思い出した。

「あ、あの、だって、瑛祐君は・・・」
「英祐君?」
「あの!本堂君!!は、あんまり、異性を感じさせないというか、女友達のような感じがするというか・・・」

新一は、目を点にさせた後、前屈みになってはあっと息をついた。

「あいつも、れっきとした男なのに、気の毒に・・・」
「新一。あなたは、仮初だけれど、一応、わたしの恋人でしょ?」
「あ、ああ・・・」
「なのに!何で・・・病院に来てくれなかったの?わたし・・・」
「オレは、病院までついてって、付き添ってたんだよ。けどさ、毛利探偵と妃弁護士がやって来て、『お前の役目は終わった、帰った帰った』みてえな態度取られて、それでも居座れるほど、オレも図々しくねえし。なんで、今日は瑛美(ひでみ)さんが帰った後に、病院まで見舞いに行こうって思ってたんだよ!おっちゃん達には、蘭が退院したら連絡下さいって頼んでたのに、一向に連絡は来ねえし」

蘭は、赤面して俯く。
蘭が目覚めた時、両親が蘭を覗きこんでいた。
正式に恋人として紹介した事もない、「蘭の用心棒」だった新一が、両親が来た時点で追い出されても、仕方がなかっただろうと思う。


蘭はまた、涙が溢れ落ちるのを感じていた。
元々、蘭の恋愛成就は、望みが薄いと思っていたけれど。
散々な事を言ったりしたから、余計にダメだろうと思う。

「ら、蘭!どうしたんだよ?」

新一がオロオロしている気配を感じる。

「や、優しくしないでよっ!余計、辛くなるから!」
「はあ?」
「き、期待してしまうじゃない!」
「何、訳の分かんない事言ってんだよ?少し落ち着け」
「わたしは、落ち着いてるわよっ!」

新一が蘭の肩に手をかけて来ようとするが、蘭はそれをバシッとはねのけた。

「新一は、わ、わたしの心なんかお見通しで、わたしの事、バカな女だって、思ってるんでしょう!」
「蘭!いい加減にしろ!」
「大っ・・・!」

蘭は、つい、反射的に「大っ嫌い!」と言いそうになって、その言葉を飲み込む。
たとえ嘘でも、嫌いだなんて言えなかった。
蘭は、顔を覆って、涙声で言葉を出す。

「分かっているの、新一が、こんな愚かなわたしの事なんか、絶対、好きにならなくても仕方がないって!だ、だけどわたしは・・・っ」

蘭がしゃくりあげていると、突然、新一から、強い力で抱き締められた。

「バーロ。自分で自分を苛めるな。たとえ蘭だって、許さない」
「し、新一?」
「オレの好きな女を貶めて苛めるのは、たとえ本人だって許さないぜ」

蘭は目を見開いて、息を呑んだ。
涙がピタリと止まる。
新一が言っている事が、よく分からない。

「蘭。オレはお前を、愛している」
「・・・・・・!嘘っ!」
「オメーな!人が勇気振り絞って告白したってのに、反応がそれかよっ!」
「だっ・・・だってっ!」

新一が、蘭の体を少し離すと、蘭の目を真っ直ぐ見て、言った。

「蘭、好きだ。ずっと前から・・・お前だけが好きだった・・・」

蘭は何か言おうとして、言葉が出ず、喉がヒクッと鳴った。

「う・・・う・・・う・・・」

喉が詰まって上手く声が出ない。
涙が後から後から溢れて来る。

もう一度新一が蘭を抱き締めた時、蘭も新一の背中に手を回した。

「蘭。返事はOKと自惚れても良いか?」

蘭は、コクコクと頷いた。



   ☆☆☆



ふたり、暫くそのまま抱きあっていたが。
ようやく落ち着いた蘭が、新一を見上げて、言った。

「新一。昨日のが、まだ気持ち悪いの」
「蘭?」
「全部、消毒してくれる?」
「・・・了解」

そう言って、新一は蘭を抱き締めた。
蘭に見せる顔は、どこまでも優しかったけれど。
蘭を抱き締めた一瞬、新一の目に宿った暗い炎を、蘭は知らない。

蘭に気持ち悪い思いをさせた青木と風戸への怒りを、新一は、蘭の前では綺麗に押し隠していた。


新一は、蘭を横抱きに抱えあげると、2階の寝室へ向かった。
そして優しく蘭をベッドに横たえる。

今迄、幾度となく交わった2人だが。
お互いの気持ちを確認して初めての情事だ。
自然、2人とも、気持ちが高まって行く。

新一が、蘭の後頭部を抱え込み、顔中に口付けの雨を降らせる。
最後に唇を重ねると、舌を蘭の口腔内に侵入させ、貪るように蘭の舌に絡めてきた。
蘭はそれだけで、体の奥深くが甘く疼くのを感じていた。

今日の蘭の格好は、シンプルなワンピース。
その下は、胸と大切な所を覆う下着だけだ。

新一が慣れた手つきで、蘭の背中のファスナーを下ろす。


蘭は、不意に気付く。
初めての時、新一が随分手慣れているように思っていたけれど、今の新一の手慣れた様子は、その時と格段に違う。
案外、新一は蘭が思っていたほど、女性経験豊富ではなかったのかもしれない。

けれど、次の瞬間、首筋に新一の唇が這うのを感じて、甘い痺れが体を突き抜け、蘭の思考力は飛んでしまった。
新一の掌が、蘭の胸の下着を押しやり、胸の膨らみを包み込む。

「あ・・・!」

胸の頂を指の腹でこすられて、電流のように快感が走る。

「蘭・・・蘭・・・」

新一が、荒い息の合間に、蘭の名を呼ぶ。
いつの間にか、蘭は生まれたままの姿にされ、新一の指と唇が、蘭の全身を這いまわる。

「あ・・・ん・・・んんっ!」

蘭の全身が、ビクビクと痙攣しているように動く。
昨日、青木の感触に気持ち悪かった部分が、新一の愛撫で綺麗に雪がれて行った。

「蘭・・・愛してる・・・愛してる・・・」
「し、新一・・・わたしも・・・」

蘭の気持ち悪さを除く為だろう、新一はいつにも増して丁寧に蘭の全身を愛撫したが。
それが焦れったくて待てなくなったのは、蘭の方である。

「新一・・・お願い・・・早く中に来て・・・っ!」

新一の頭を抱きよせ髪に指をからめながら、蘭は思わず叫んでいた。
蘭の秘められた場所からは、甘い蜜が際限なく滴り落ちている。

「ああ、わーった。待ってろ」

新一は体を起こし、自身の衣服を脱ぎ棄てる。
その後、屹立している新一自身に、避妊具を装着しようとしているのを見て、蘭は新一の手を押さえた。

「蘭?」
「お願い、新一・・・そのまま来て・・・」
「けど、蘭・・・」
「膜越しは、嫌!直接触れて欲しい・・・」
「そりゃ、オレも、そうしてえのはヤマヤマだけど・・・」
「大丈夫だよ、新一」
「だ、大丈夫って・・・安全日なんて当てにならね・・・」

蘭は首を横に振る。

「新一の子どもだったら、わたし、1人でも育てるから。だから・・・」

新一は目を見開き、そして蘭の上に圧し掛かる。

「バーロ。蘭とオレの子だったら、オレにも子育てさせろよ、独り占めすんな!」

そう言って新一は、蘭の足をグイッと左右に開く。
蘭の赤い花は、蜜を滴らせながら、淫靡に光っていた。

新一は、蘭の入り口に自身をあてがい、滴り落ちる蜜を先端に絡ませると、一気に蘭の中を貫いた。

「はうっ!」
「・・・っ!すげ・・・たまんねえ・・・!」

新一は一気に奥まで入ると、蘭をギュッと抱きしめた。

「あ・・・ああっ・・・!!」

蘭は、全身が歓びに震える。
愛し愛されている事を知った今、セックスはただの肉欲だけの事ではなくなっていた。

「蘭・・・オレ達は、ずっと一緒だ・・・」
「・・・うん・・・」
「愛してるよ・・・」
「新一・・・愛してる・・・」

2人は、繋がったまま、口付けを交わす。
お互いにお互いの舌を絡め合い、混じり合った唾液をお互いに飲み下し、なおも溢れた滴が喉元から溢れ落ちた。

新一はゆるゆると腰を動かし始め、やがて激しい動きになる。
体がぶつかり合う音と、粘着性のある隠微な水音、ベッドが激しくきしむ音が響き渡る。


心と体の大きな快楽の波が2人を何度も襲い、蘭が絶叫を上げて果てると、新一は蘭の腰に自分の腰をグッと押し付け、蘭の奥に自身の熱を直接放った。

「ああっ・・・熱い・・・っ!」
「くはああっ!蘭・・・っ!」

蘭は全身を痙攣させて、新一にしがみつく。
2人の繋がり合った所から、2人の体液が混じったものが、溢れて流れ落ちて行った。

2人、荒い息を吐いていたが、やがて落ち着き、新一は弛緩して、蘭の上にそっと崩れ落ちた。
まだ、ふたりは繋がったままである。

お互いの顔を見て、微笑み合い。
そして、どちらからともなく、唇を寄せた。


新一は、蘭に口付け舌を絡ませたまま、蘭の腰を取り、少し腰を揺らす。
新一の萎えていたモノが、蘭の中で再び力を取り戻した。

「あ・・・」
「蘭・・・」

新一が腰を動かし始めると、蘭の口からまた甘い悲鳴が漏れ始める。


2人の愛と快楽の饗宴は、いつ果てるともなく、続いた。



   ☆☆☆



幾度も交わった後。

2人は、快い疲れに身を任せ、裸のまま身を寄せ合い、横たわっていた。
新一は蘭の肩を抱きよせ、その髪を撫でていた。

新一が蘭に触れる時は、いつも愛に溢れていたと、今更ながら蘭は思う。
抱かれる度に、愛されていると感じていたのは、錯覚などではなかったのだ。


「ねえ、新一・・・」
「ん?」
「期限付きの恋人の契約って、お母さんとの契約を遂行する為の手段・・・だったんでしょ?」
「ああ・・・まあ、いつも傍にいて、蘭の動きを把握していた方が、守り易いと思ったから」
「・・・・・・そっか・・・でも、守る為の契約なのに、何でキスとか・・・それに・・・」
「ああ。キスとエッチは、オレ自身の、蘭に触れたいって欲望だな」
「えっ!?」
「惚れた女を目の前にして、オレも恋人ごっこだけでは抑えられなかったって事」
「ななな・・・っ!」
「でもな、最初のキスの時、オレは、蘭がぜってー避けるだろうって、思ってたんだぜ」
「え・・・?何よ、それっ!?」
「きっと、『何すんのよ!』って、引っぱたこうとするだろうってな。で、オレは『人前だからって、照れるなよ〜』とからかい口調で言って、青木の面前で痴話喧嘩を繰り広げて見せて・・・って段取りを考えてたんだ。なのに、オメーは避けねえし。オレも、オメーの唇の感触に理性が吹っ飛びそうになって、段取りも何も忘れそうになるし」
「だ、だってっ!新一、あの時、『逆らうなよ』って言ったじゃない!」
「そりゃ、言ったけどよ。まさか本当に避けないなんて、夢にも思わなかったし。あの後も、それで怒る様子もなかったし。蘭は恋人が出来た事はねえ筈だけど、実はオレが知らねえとこで、結構、男を経験してんじゃねえかとか勘繰って、あの後オレは、随分、悶々としてたんだよ!」
「だって・・・!好き・・・だったから・・・」
「ん?」
「新一の事が、好きだったからだよ・・・他の男の人だったら、空手技かけてるよ!」
「蘭・・・」
「ひどいよ、新一・・・。わたしの事、そんな風に・・・だって、わたし、キス、初めてだったのに・・・」
「そりゃ奇遇だなあ。実はオレも、あれがファーストキスだった」
「え・・・?ウソぉ!」

蘭は思わず身を起して、新一をマジマジと見た。
今日、蘭が思っていた程、新一は女性経験豊富ではなかったのかもしれないとは、思ったけれど。
まさか、あの時が新一にも初めてのキスだったとは。

新一は優しい目で蘭を見詰めている。

「高校の頃から、オメーの事だけが好きだったんだから、他の女に触れる気になる筈、ねえだろう?キスも、エッチも、オメーが初めてだよ」
「新一・・・」

新一は、蘭の上に圧し掛かると、唇を奪った。
触れるだけのそれは、すぐに離れ、新一は蘭の額に自分の額をこつんと当てる。

「ずっと、蘭に触れたかった。キスして、抱いて・・・夢の中や想像の中で、何回、お前を犯したか、しれない」
「ええっ!?」
「お前のバージンを貰った時は、夢のようだった。それまではずっと、お前がいつか、他の男に攫われるんじゃねえかって、気が気じゃなかった」
「じゃあ、何で?わたしの事、そこまで思ってくれてたなら、何で、2年以上もほったらかしてたの?」
「そりゃ、オメーが言ったんだろうが。『お父さんみたいに、仕事として責任を持って、事務所でも立ち上げるって言うんなら、考えても良いけどね!』って」
「!!」

不意に、蘭の頭の中で繋がった事があった。

「・・・も、もしかして、新一・・・、まさか、その為に・・・探偵事務所を・・・?」
「ああ。元々は、学生の間に事務所立ち上げまでやろうって思ってた訳じゃなかったけど、あの言葉を聞いてから方向転換した。オメーに考えて貰う為に、頑張ったんだぜ?1人じゃ無理だから信頼できるスタッフを募って・・・高校時代からライバルで友人だった服部は、いずれ大阪で探偵事務所を開く予行演習になると、協力してくれる事になったし」
「う・・・っ!」

蘭は、思わず顔を手で覆って泣き始めた。

「ら、蘭!?何で泣くんだよ!?」
「だって・・・わたし・・・わたし・・・あの頃から新一の事が好きで・・・でも、からかわれて恥ずかしくて、心にもない事を言って・・・新一があの言葉を聞いたって知った時、きっと傷付けただろう、怒ってるだろう、わたしの事なんか嫌いになっただろうって、すごく辛くて・・・」

新一が、その時の言葉を真に受けて、蘭の為に、蘭の恋人候補になる為に、探偵事務所立ちあげを急いでいたのだと知って。
蘭は、とても嬉しく、同時に申し訳なく思っていた。

「・・・何だ、そうだったのか。じゃあ、我慢する必要、なかったんだな、オレ」
「ごめん、ごめんね、新一・・・」
「や、オメーが謝る事じゃねえさ。オレが、オメーに、期限付きの恋人契約を持ちかけたのはな。妃弁護士の依頼の件もあるけど、まともに告白して付き合って下さいと言っても、今はまだ、けんもほろろに断られるだろうって・・・結局、臆病で、オメーときちんと向き合おうとしなかったオレが、悪いんだよ」

新一が苦笑する。
蘭は、新一に縋りついて泣いた。
あの時の蘭の言葉が、2年以上も2人に遠回りさせる原因になったとは、今の今まで知らなかった。

「蘭。でも、今は、こうして2人で一緒にいるんだから。オレ達はまだ若いし、これからの人生を共に生きて行ける、それで良いじゃねえか」
「うん・・・」

蘭が微笑み、新一は唇で優しく蘭の涙を拭った。

突然、2人の腹の虫が鳴った。
ほぼ同時で、2人は目を丸くした後、笑い出した。

「そういや、腹減ったな」
「新一、わたし、何か作ろうか?」
「いや、確か、母さんが冷蔵庫に何か作りおいてた筈だから、それをいただこうぜ」

蘭は起き上がり、服を身につけようとした拍子に時計が見えた。
もう既に時刻は夜9時を回っていて、蘭は青くなった。

「新一!お仕事!遅刻じゃない!?」
「あ?仕事?って・・・?ああ・・・あっちの方か。暫く店は休みだし、オレはもう多分、あそこのホストの仕事はしねえ」
「え・・・?」
「ホストクラブ『ナイトバロン』のオーナーは、風戸の協力者で、今迄色々な事に手を染めてるんだ。蘭があの日、ナイトバロンに行く事になったのも、風戸の息のかかったホストに誘惑させて骨抜きにさせる為に、周到に誘いこまれたんだよ」
「ええっ!?」
「オレは、風戸の犯罪を暴く証拠を集める為に、あそこに潜り込んでたんだ」
「・・・そっか・・・わたしは、また・・・」
「うん?」
「探偵事務所の資金作りの為に、ホストをやってたのかと・・・」

新一は、ガクリとうなだれる。

「まあ・・・女好きだからあの仕事をしてたのかと言われるより、ずっとマシか?」
「それは、違うの?」
「ぜってー、違う!」
「うん・・・何となく、分かるような気がする」
「は?」
「新一は、女の人には優しいと思うけど、それって、騎士道精神の優しさで、下心の優しさじゃないもんね」
「・・・嬉しいと、言いたいところだけど。そこまで分かってくれてんなら、何で、瑛美さんにヤキモチやいたりすんだよ!」
「あ、あの時は!新一がわたしの事、好きでいてくれるなんて、知らなかったから!」

蘭が真っ赤になって言った。
新しい事実を知ったら、見えて来るものがある。
新一の気持ちを知らなかった時は見えなかった事が、今は、色々見えて来ていた。

新一のやっている探偵という仕事も、そうなのかもしれない、事実を積み上げる事で真実に近付く目を持つのかもしれないと、思う。


2人、服を着て、台所へ向かった。
冷蔵庫に用意してあった食事は2人分で、いささか赤面しながら、温めていただく事にした。

「蘭。妃弁護士からは、調査の費用や報酬は受け取るけど、蘭を守る依頼に関しては、報酬は受け取らない」
「・・・新一・・・?」
「オレに取って、蘭を守る事は、仕事じゃなかったからな」
「・・・ありがとう。でも、ホストの仕事もなくなって、探偵事務所の資金作り、困るんじゃないの?」
「まあ、急ぐ理由はなくなったし、ボチボチやるさ。大学卒業頃に、形になれば良いかって思う」
「わたしも、協力する!」
「は?」
「わたし、推理は出来ないけど・・・事務員とか、接客とか、人手はいるでしょ?」
「そうだな、スタッフは欲しいし。けど、暫く給料はロクに出せないぜ?」
「早く、事務所を構えて、スタッフの給料もまともに出せるように、頑張りましょう、ね?」
「ああ・・・ありがとう。いずれ近い内に、服部と、服部の彼女と、他のスタッフも紹介するよ」


まだ、恋人の「契約期間」が終わらない内に。
2人はいつの間にか、将来の話をしていた。



   ☆☆☆



「催眠術とは、れっきとした科学です。心理学を応用し、暗示の力で、相手を動かし、犯罪を犯す事も可能なのです。ここに集めた証拠を、どうぞご覧下さい」


8月31日。

風戸京介を被告とした、第1回の公判が行われた。


原告側の弁護士は、妃英理。
揺るぎない弁舌で、風戸を追い詰めていた。
新一達の協力の甲斐もあり、この種類の犯罪としては充分と言えるだけの証拠が、集まっている。

予断は許せないが、先の見通しは充分明るいと言えた。



その夜、蘭は新一の家に泊まった。
小五郎も英理も、渋々とだが、今は、蘭と新一の仲を認めてくれている。

もうすぐ、夏季休暇は明ける。
蘭の参加していたゼミは、中途で指導者がいなくなってしまったが、そこは大学側がその威信にかけて、何とか対応してくれるらしい。

夕食後、2人は、リビングでお茶を飲んでくつろいでいた。
蘭はこのところ、工藤邸に泊まる事が多かったけれど、夏季休暇が終わって忙しくなったら、通う頻度は少なくなるかもと、少し考えていた。

「そう言えば。最初の話では、恋人としての契約期間は、今日までって事だったわよね・・・」
「オメー、その話はもう、とっくに終わったんじゃねえのか?しつけーぞ」
「ううん。ただ、あの期間の意味は、公判が始まって、わたしを守る必要がなくなるまでって事だったのかなって、ちょっと思っただけ」
「・・・確かに、期限を決める時に、それは、考えてたかな」

突然、新一は立って奥の部屋に行き、手に何か書類を持って現れた。

「なあ。蘭、恋人契約の期間を自動更新して行くってのも良いと思うけどさ。この際だから、全く新しい契約に移行してみねえか?」

新一がテーブルに差し出した書類を見て、蘭は息を呑んだ。
そこにあったのは、婚姻届用紙だった。




(エピローグ)に続く



++++++++++++++++++++++++++++++++



後書き


ようやく、ここまで来ました。
残す所、後1話。

プロローグがなかったのに、最後はなぜか、エピローグで締めます。
というのは、このお話、ここがある意味、ラストだからです。

だって、「期限付きの恋人」の「期限」が、終わったんだもん。


2012年5月30日脱稿
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