期限付きの恋人




(13)催眠術の罠



byドミ



寝入ったら、目覚める事がない、蘭なのに。
微かな物音に、目が覚めた。

「新一・・・?」

隣で眠っていた「恋人」は、店に出かけたらしい。
蘭は、ふうっと大きな息をついた。

新一が、お酒を出す店で、女性を相手にしていると思うと、辛くない訳ではない。
あくまで接客業である事は理解しているけれども、他の女性に笑顔を見せ、サービスをしていると思うと、やり切れない。

本当は、「行かないで」と、言いたい。
先ほどまで情熱的に抱いていた蘭を置いて、他の女性が待つ場所に行くなんて、恨めしくて仕方がない。

けれど、蘭は新一の「仮初の」恋人、文句が言える立場ではなかった。


新一と「恋人」である契約期間は、いつの間にか残り少ない。
蘭は、契約期間が過ぎた後、新一との恋人関係を持続させる事は、諦めてしまっていた。

ただ。
その間に、少しでも、新一の役に立てたらという想いと。
新一の子どもが欲しいという想いと。
ふたつの望みが、蘭の心の中を占めるようになっていた。

子どもに関しては、もし、子どもが出来て、1人で産み育てるとなると、きっと大変であろう事は想像がついているけれど。
それでも、欲しいという想いが、強くなっている。
ただ、新一は、最初からキッチリ避妊を心掛けているし、難しいだろうという気も、していた。


あとひとつ、実現可能そうな願い事は・・・。

「新一の役に立つとしたら・・・捜査のお手伝い、よね」

蘭が参加しているゼミの指導者・青木準教授は、新一が調査中の風戸教授と、繋がっている。
なので、蘭がどうにかして探りを入れる事は出来ないかと、考えてしまう。

『バカな事を考えるな!』

新一の叱責の声が頭に浮かび、思わず首をすくめるが。

「虎穴に入らずんば虎児を得ずの例えもあるし・・・」

蘭は、自身が事件の渦中の人間である事を知らなかった為。
新一が、蘭に協力を頼まないのは、手伝いをさせないのは、危険だからという理由だけでなくて、蘭の事を信用していないからという気が、していた。
そして、信用してもらえなくても、無理がないと、自嘲的に考えていた。

「・・・今度、ゼミに行った時、探りを入れてみよう」

一応、蘭としては、危険な事には首を突っ込まない、新一の手を煩わせる事はしない、積りであるが。
元々、ゼミには行かなければならないものだし、青木準教授も最近は影が薄いし、「ついでに探る」程度であれば、さして危険はないだろうと、判断していた。


基本的には、ゼミも夏季休暇中は休みである。
ただ、蘭の加わっているゼミは、休暇中も2〜3回は、集まって勉強会をする事になっていた。

数日前、蘭の携帯に、ゼミのメーリングリストからのメールが入っていた。
この次の勉強会の日程が、予定変更になっている旨、書いてあった。

その日が、明日である。
蘭は、携帯の目覚まし機能を確認し、再び眠りに着いた。



   ☆☆☆



携帯の目覚まし音が鳴って目が覚めた時。
蘭の隣は、誰もいなかった。
新一はまだ、帰って来ていないのだろうか?

ホストクラブ「ナイトバロン」の閉店は、朝5時で、始発電車はもう動いている時刻だ。
普通だったら、泊まった蘭が朝目覚める前に、新一は帰って来ている筈なのだけれど。

「何か、用事があったのかしら?それとも・・・」

新一が、女性客と「アフター」している姿を想像し、蘭は頭を振った。
蘭と「恋人」でいる間は、蘭以外の女性と店の外では会わない、その約束を違える新一ではない筈。
きっと何か、探偵としての用事が入ったのだろうと、思い直す。

ふと気付くと、微かにコーヒーの香りが漂っている。
帰って来た新一が寝室に戻らず、そのまま台所でコーヒーを飲んでいるのかもしれない。

蘭は、身支度を整えると、階下に降りて行った。


「蘭ちゃん、おはよう。初めまして」

台所には女性がいて、挨拶をされて、蘭は面食らう。
直に会ったのは初めてだけれど、何度も見た事はある女性だ。

「あ、あの・・・」
「工藤有希子、新一の母です」

蘭は、一気に目が覚めて、血の気が引いた。
この家は、新一の家だが、持ち主は勿論、新一の両親であろう。
今は本宅をアメリカに構え、そこにいる事が多いと聞いた事はあるが、時に日本のこの家に帰って来ても、何ら不思議はないのだ。

「す、すみません!ご挨拶が遅れまして!はじめまして、毛利蘭といいます!」

きっと、1人暮らしの息子の家に泊まり込むふしだらな女と、軽蔑されているだろうと、泣きそうになりながら、蘭は慌てて頭を下げた。

「蘭ちゃん。そんなに、かしこまらないで。蘭ちゃんのお母さん・・・英理は、長年来のわたしの友達だし」
「え・・・?」

有希子の思いがけない言葉に、蘭は目を丸くした。

「小五郎君と英理は、高校時代の同級生よ。新一が蘭ちゃんとお付き合いを始めたって聞いた時は、驚いたけど嬉しかったわ〜」
「え・・・?あの、新一・・・新一さんから、小母様に、わたしとお付き合いをしていると・・・?」
「ええ。かなり真剣に、将来の事まで考えていると見たわね」

有希子が笑顔で言って、ウィンクして見せる。

蘭は、混乱していた。
そんな筈はない、新一にとって蘭は、仮初の、期限付きの恋人の筈。

けれど、もしかしたら新一は、工藤邸に泊まり込んだ蘭を、母親の有希子が見咎めた時の為に、そういう風に告げていたのかもしれない。

『9月以降に、小母様に何か訊かれたら、別れたって言えば済むだけの事だものね・・・』

蘭の前に、いつの間にか、トーストと冷製ポタージュスープと目玉焼きとサラダの朝食が並べられていた。

「よかったら、召し上がって」
「は、はい、いただきます」

ここで固辞するのはかえって失礼だろうと、蘭はありがたく朝食をいただく事にした。
考えてみれば、他の人が蘭の為に作ってくれた食事を口にするのも、久し振りの事だった。

食後には、コーヒーが出される。
有希子が淹れたコーヒーは香り高く、普段は紅茶を好んで飲む蘭にも、美味しく感じられた。
朝、頭をスッキリさせる為には、ちょうど良い。

「蘭ちゃん、新一はどうやら、帰って来そうにないし。今日はショッピングにでも出かけない?」
「あ、あの・・・とてもありがたいお話なんですけど、今日はゼミが・・・」
「あらまあ、夏休み中なのに、大変ね。でも、そういう事情なら仕方がないわ。お買い物はまた今度ね」
「は、はい。ありがとうございます」

また今度が、はたして存在するのかどうかと蘭は思ったが、そんな事を口にするのも無粋なので黙っていた。

「今夜は私が腕を振るうから、蘭ちゃんも一緒にどうぞ」
「え・・・あの・・・」
「大丈夫よ。私、夜はホテルに泊まるから」

有希子がニッコリ笑う。
蘭は、少し迷いながらも、結局頷いていた。


身支度して出かけようとする蘭を、有希子が呼びとめる。

「蘭ちゃん、襟元がちょっと・・・」

有希子のほっそりした指が蘭の首近くに触れて、くすぐったい。
その時有希子が蘭の襟元に、こっそり発信機シールを取り付けた事に、蘭は気付かないまま、工藤邸を後にした。



   ☆☆☆



キャンパスには緑が多く、その所為か、町中ではあまり聞かれない蝉の声が、大きく響き渡る。

その中を、蘭は、ゼミ仲間がいつも集まる、青木準教授の控室へと向かった。
遮光カーテンが引かれて、かなり薄暗い。
蘭は早目に来る方だが、いつも、蘭より先に1人2人はいる事が多いのに、今日は誰もいない。

蘭は首をかしげながら部屋に入り、とにかく待とうと、ソファに座った。

突然、蘭の目に、円形の光が映る。
それは、左右にゆらゆらと揺れている。

蘭は胸騒ぎを覚え、その光から目をそらした。
突然、蘭の額に当てられたものがある。
それが、人の指だと分かるのに、少し間があった。

「もう、君は、立ち上がる事が出来ない」
「・・・!!」

蘭は、息を呑む。
いつの間にか、風戸教授がそこに立って、蘭の額に人差し指1本を当てていた。

「立てない・・・だんだん、動けなくなる・・・」

蘭は、ひとつ大きく息をつくと、目の前にある風戸教授の指を振り払った。
そして、立ち上がる。

「その手には、乗らないわ!額を押さえられていると立てない。何故なら、人は前屈みにならないと立てないから!そうやって、立てなくって動揺した所を、トランス状態に導いて行く。催眠術の初歩のやり口よね!」

風戸が面白そうにくっと笑う。

「さすがは、クイーンの娘と言うべきか?大人しく術にかかっていた方がマシだったろうに。そうしたら、良い気分で過ごせたものを」
「なっ!」

風戸がハンカチで口元を覆い、蘭に向かって素早くスプレー剤をかけた。
しまったと思った時はもう遅く、蘭は薬を吸いこんでしまう。
蘭は咳き込みながら屈みこんだ。

「クロロホルムで眠らせる手もあるが、意識がないのでは面白くない。痺れ薬を使わせてもらった」
「・・・う・・・あ・・・」

蘭の手足から力が抜け、そのまま前のめりに倒れこみそうになるのを、風戸が前から乱暴に押し、蘭はソファーの上に仰向けに倒れ込んだ。

「ふふふ。君が、催眠術に簡単にかからないだろう事は想定済みだよ。ははは、何故と聞きたそうな目をしているね。君の母上は、私に楯突く者の弁護士を引きうけて、何かと邪魔なのだよ。彼女に手を引かせる為には、1人娘を辱めて、その姿をネットにばら撒くと脅すのが手っとり早いと思ってね。しかし、なかなかガードが固くて、苦労したよ」

蘭は、何をされるのか想像がついて、全身が震える。

「まあ、今時の女子大生だから、処女でもあるまい?だったら、大した苦痛もないだろう。いやむしろ、なかなかに良い気分かもしれんな」

風戸がくくくっと笑う。

「私は君の体を味わうより、君の恥ずかしい所や楽しんでいる姿を撮影させて貰う事としよう」

言って、風戸はビデオカメラを回し始めた。
蘭は、これから起こるだろう事に戦慄したが、体が動かない上に、声すらまともに出せない。

「さあ、青木君。君の愛しい女性が、待っている」

奥の扉を開けて、ゆらりと現れたのは、蘭達のゼミの指導者・青木準教授。
その眼差しが、まともではない。
今回、催眠術にかけられたのは、蘭ではなく、青木準教授の方である事を、蘭は悟った。

「ん・・・う・・・んん・・・」

かろうじて声は出せるが、言葉は発せない。
蘭は必死で動こうとするが、薬が効いていて、手の指一本、まともに動かせない。

「既に他の男に汚された身だが、君の手で清められる事を望んでいる。さあ、彼女の望みを叶えてあげたまえ」
「可哀相に。私は、君が初めてではなくても気にしないよ。私の愛で包んであげる」

青木が、蘭の上にのしかかり、蘭の腕を撫でる。
蘭は、心底ぞっとした。
青木の高ぶりが服越しに蘭の下腹部に当たっているのが、気持ち悪くて仕方がない。
おぞましさのあまり、蘭の腕に鳥肌が立つ。

「う・・・う・・・」
「おやおや、寒いのかい?大丈夫、すぐに温めてあげるからね」

ゼミの他のメンバーは、姿を現さない。
おそらく、蘭以外のメンバーには別の連絡が行っているのだろう。
メーリングリストでの一斉連絡だからと、信じてしまっていたが、既にそれが罠だった事に、蘭は気付いた。

新一以外の男性から触れられるなんて、死んでも嫌だと、蘭は思うが、自分の手足も声すらも、まともに操れない。

初めてを新一と済ませていた事が、せめてもの慰めか?
けれど、たとえ既に男性を知っている体だとて、好きでない男に触れられるおぞましさは、減るものではなかった。

「中にたっぷり注いであげると良い。青木君の子どもが宿れば、彼女も幸せだろう」

新一もまだ、蘭の中に避妊具なしで入った事がないのに、青木は直に蘭の中に入るというのだろうか。
青木の子供・・・想像したくもなかった。

蘭はきつく目を閉じた。
眼裏に浮かぶのは、蘭がただ1人愛する男性。


『新一・・・あなたにとってわたしは、8月までの仮初の恋人だけど・・・わたしにとってあなたは・・・』

涙が溢れて流れ落ちる。
汚れた身では、もう、新一に会いに行く事も出来なくなると、蘭は絶望的に思っていた。

蘭のブラウスの内側とスカートの中に青木の手が入れられ、おぞましい感触に蘭はうめき声をあげ身震いする。



と、その時、

「な、何だお前・・・ぐふっっ!!」
「ごはっっ!!」

突然、怒号と物音が響き、風戸は殴打され、蘭に圧し掛かる青木は乱暴に蹴りはずされ、優しい温もりが蘭を包んだ。

「蘭!」

その声、腕の感触、蘭のよく知る、この世で一番安心出来る存在。
蘭は、遅ればせながら催眠状態に陥ったのかと怖くて、目が開けられないでいた。

「蘭、助けに来た!もう、大丈夫だ!」

蘭は恐る恐る目を開けた。
目の前にいるのは、この世で一番愛しい相手。

「あ・・・い・・・」

その名を呼びたくても、言葉が紡げない。
蘭は、安堵の涙を流していた。

「可哀相に、薬を使われたんだね。もう、心配は要らないから」
「工藤。こっちは引き受けたで。姉ちゃんを連れてったり」
「服部、すまん」
「蘭さんの事は、まかせましたから」
「悪いな、瑛祐。みんな、後は頼んだ」


新一に横抱きに抱えあげられて、運ばれる。
知らない人と知ってる人がこの場に何人もいるという事を蘭はぼんやりと感じながら、安堵の中で意識を手放していた。



(14)に続く



++++++++++++++++++++++++++++++++



後書き


一体、いつぶりの更新だろう?

いや、今回の展開がどうしても、筆が進まなくてですねえ。
アッサリし過ぎなのは、ご容赦を。これ以上は、書けません。

催眠術の罠というタイトルですが、催眠術にかかったのは蘭ちゃんではなく・・・という展開にしました。
どちらにしろ、未遂で助けが来る事は決まっていたのですが、それでも、書くのが辛くてね。


でもまあ、辛い山場は越えた。
後は、ラストまで一直線!

次回か次々回で終わります。


ホスト新一君を書きたくて、始めた筈の話なのに。
ホストの新一君の姿は、たぶん、もうないなあ。


2012年5月24日脱稿
戻る時はブラウザの「戻る」で。