契約結婚



By ドミ



(7)初恋の人



予定日になっても、月のものが来ない。
時々、胸がむかつくことがある。
食べ物のにおいが、ダメになってきた。

子どもが、できたの?


嬉しい。
新一さんとの確かな絆が、ここに育っているんだ……!
嬉しい。嬉しい。


でも。
いつ、新一さんに言おう?
その前に、診察受けなきゃだけど、どうやって診察受けたら良いのかしら?


色々考えながら、でも、何をどうやったらいいかもよく分からないまま、日々が過ぎて行く。


そして……瑛佑君の一件以来、わたしを貪欲に求めていた新一さんだけど、ここ最近、あまり求めなくなった。
っていうか、布団の中で抱きしめて眠るだけで、何もして来ようとしない。

どうして?
わたしの体調が悪そうだと気遣って?
それとも、まさか……。


今夜も軽い口づけだけで解放しようとする新一さんに、わたしの方からアクションを起こした。
起き上がって、寝間着を脱いでいく。

「ら、蘭!?」
「新一さん……お願い……」

そして、思い切って、わたしの方から口付けた。

「蘭?大丈夫なのか?体調が悪いんじゃ……」

新一さんの言葉に、少し安堵する。
他に好きな人が出来て、わたしを抱くのが嫌になった訳じゃ、ないんだ。

「大丈夫ですから……抱いて……」
「蘭……」

新一さんが、優しくわたしの全身に触れて行く。
でも何故か、いつもだったら散々手で触れたり口に含んだりする胸の頂に、触れようとしない。

新一さんがわたしの中に入ってくる。
膜越しでなく直に触れ合う。
それが、幸せ。

愛する人とひとつになる、この瞬間がとても幸せ。
たとえ、彼の気持ちがそこになかったとしても。
彼の快楽の対象になれているのなら、それでいい……。

「あ……ああっ……新一さん……」
「蘭……蘭……っ!!」

最初はゆっくり動いていた新一さんだったけど、段々動きが激しくなる。
そして、彼の熱がわたしの奥深くに放たれた。

新一さんはしばらく余韻を楽しんだ後、ゆっくりわたしの中から出る。
わたしの中から、彼に注がれたモノが溢れ出た。

新一さんがわたしの頬をそっと撫でた。

「蘭。ごめん……加減する積りだったけど、途中から無理だった……」
「新一さん?加減って……」
「だってオメー……子ども、できたんじゃねえか?」
「えっ!?分かるの?」
「月のものが、まだ来てねえし……」
「……」

そっか。
そうだよね。
わたし、月のものが来たときは、いつも新一さんに告げていたから……。
周期が安定していることも、新一さんには分かっていた筈。

「ま、まだ……調べてみないと、分からないけど……」
「じゃあ、今度、産婦人科に、一緒に行こう」
「う、うん……」

新一さんは微笑み、わたしに優しく口付けてきた。

「妊娠中にセックス禁忌という訳ではねえけど、無理を掛けるのは良くねえみたいだから……なるべく我慢するよ」
「新一さん……」

最近、新一さんがわたしに触れてこない理由がそれだったのかと、わたしは納得が行った。

新一さんの気持ちがわたしになくても、子どもが出来たら、確かな家族の絆になる。
きっと新一さんは、子どもには人一倍愛情を注ぐだろう。

学校は……続けられないかもしれない。
でもその時は、通信制でも再入学でも、色々な方法がある。
大検受けて、大学受験するという手もある。

子どもが生まれた後の幸せな生活を思い浮かべながら、わたしは眠りに就いた。



   ☆☆☆



新一さんと一緒に、産婦人科を受診することになった。
新一さんの古くからの知り合いが、産婦人科医をやっているそうだ。

その前日。
わたしは、空手の練習試合に出ていた。

部活自体を辞める必要があるんじゃないかと思い悩みながらも、診察が終わってからにしようと、考えていて。
この試合までは頑張ろうと、思っていた。

今のところ、空手の練習で具合が悪くなることはない。
集中しているためか、むしろ、吐き気も起こらず、調子いい。

試合では調子よく、いい結果を残せた。

「蘭、行くよ」
「あ、う、うん……」

着替えた後、部活仲間から言われて、小走りにそちらに行こうとして。
突然、お腹がすごく痛くなって、わたしは立ち止まって前かがみになった。

あそこから、ぬるりとしたものが溢れ出る。
そして、鉄さびのような臭い。

「えッ!?ま、まさか!?」

「蘭!?」
「毛利さん!?」

皆の声を聞きながら、わたしは意識が遠ざかって行った。

『新一さん……』

意識が暗黒に呑まれる前、浮かんだのは、ただ1人愛した人の面影。



そして、目が覚めたのは、病院のベッドの上だった。
新一さんが、心配そうな目で覗き込んでいた。

腕には点滴の管が繋がっている。

「……気が付いたか。大丈夫か?」

新一さんの優しい声。
わたしの頭を優しく撫でてくれる。

仕事が忙しいのに、飛んできてくれたのね。


ドアが開いて、白衣を着た女性が入って来た。
茶髪のボブで、すごく綺麗な女性だ。


「蘭さん、気が付いたみたいね」
「宮野」
「……私の名前は阿笠。いつまでも旧姓で呼ばないでくれる?」
「あ、ああ。わりぃ。どうも阿笠と呼び捨てにするのは抵抗があってよ」

新一さんと、その女性とを包む、親しげな独特な雰囲気が居たたまれない。

「で?あなたの可愛い人に、私のこと紹介してくれないの?」
「あ、ああ。オレの妻、蘭だ。蘭、こっちは、オレの旧友で産婦人科医師の、阿笠志保」
「え……?お医者様?」
「ごめんなさいね。結婚式には参加できなくて」
「仕方ねえよ。あん時、オメー達はアメリカにいたからな……」
「阿笠の義父からもよろしく伝えておいてくれって言われたわ」
「ああ。オレこそ、博士たちの結婚式に出られなくて、悪かったな……」
「ま、お互い様ね」


何だか、胸がザワザワする。

突然、お腹が痛み、ハッとした。
赤ちゃん……!!


「あ、あの、あの……あ、赤ちゃん……赤ちゃんは……!!」

わたしが必死で言い募ると。

「赤ちゃんなんて、いなかったわ……」
「えっ……?」

わたしは血の気が引くのを感じた。
空手の試合なんかに出たから、赤ちゃんは……!!

「ああ。違う違う。勘違いしないで。流産したんじゃなくて、最初から、いなかったの」
「え?」
「あなたは、妊娠してなかったってこと」

でも、じゃあ、あの悪阻のような症状は?
そして、このお腹の痛みは……?

「色々ストレスとかが重なって、生理がしばらく来なくて、前の生理からの期間が長かった分、生理がすごく重くなって、痛みと多量出血があって貧血を起こした……ってところね」
「そ、そうだったんですか……」

赤ちゃんが死んだわけじゃないと分かって、ホッとしたけど。
でも、ずっとお腹にいると信じていた赤ちゃんが、最初からいなかったと知って、すごく寂しくて複雑な気持ちだった。

「工藤君。いくら夫婦とはいえ、高校生相手に子作りやってたわけ?蘭さんが可哀想じゃないの。もうちょっと大事にしてあげたらどう?」
「……面目ない……」
「あら。言い返すかと思ったのに、素直ね」


また、胸がザワザワし始めた。
阿笠先生の毒舌も、親しさの表れのようで、何だか居たたまれない。


そして、気付く。
阿笠先生は、旧姓が宮野。
そして、結婚式がどうのと言っていたということは、最近、結婚されたってこと?

もしかして。
もしかしたら。

新一さんは、阿笠先生のことが好きだったんじゃないかしら?
もしかして、新一さんの初恋の女性かも。
でも、阿笠先生は、他の男性と結婚してしまった。
だから……好きな人と結ばれないなら、結婚相手は誰でも良いと思ってて、そこにちょうどよくわたしが現れたのかも……。


最初から、片思いだった。
それでも、わたしを妻として大切にしてくれるのだから、それ以上望んではいけないと、思っていた。

でも、今、目の前に、新一さんの好きな女性がいると……本当に辛い。
とても美しく聡明な女性。
敵わない。とても敵わない。


「どうした?蘭、気分が悪いのか?」

突然、新一さんの声がふって来た。
心配そうにわたしを覗き込んでいる。

目の前に愛した女性がいても、わたしを気遣ってくれる、優しい人。
わたしの心に渦巻く嫉妬を、嵐を、この人には知られたくない。

「だ、大丈夫です……」
「点滴が終わったら帰って良いわよ。でも、2〜3日は家でゆっくり休ませてあげてね」

阿笠先生の言葉の後半は、新一さんに向けて言われたもので、新一さんは神妙に頷いていた。



   ☆☆☆



「ごめんなさい……」

帰りの車の中で、わたしは低い声で言った。

「ん?蘭、何を謝るんだ?」
「だって……早とちり、しちゃって……」
「早とちりは、オレもだし。っていうか、診察受けなきゃハッキリしねえもんだしよ」
「新一さん……」
「ま、ちょっとガッカリはしたが……流産とかじゃなくて良かった……」

新一さんはわたしを抱き寄せ、そっと頭を撫でた。

「なあ、蘭。やっぱり、高校を卒業するまでは、子作りはやめておこうか?そしたら部活も心置きなくできるし」
「……」

新一さんが、わたしを気遣って言ってくれてるのは、分かってる。
でも、引っ掛かるのは、それが「阿笠先生の助言」であったことだ。

「蘭?」
「は、はい……」
「どうした?」
「……新一さんの、お望みのままに……」
「オレは、蘭がどうしたいか、聞きたいんだが」
「だってわたしは、新一さんにお金で買われた身ですから」

新一さんがひゅっと息を呑むのが聞こえた。

……言ってはいけないことを、言ってしまった。
新一さんはわたしを救ってくれたのに。
これ以上望めない幸せを、わたしにくれたのに……。

それから、家に着くまで、新一さんもわたしも、黙っていた。


それから数日は、特に変わりなく過ぎた。
2〜3日は新一さんも阿笠先生の「ゆっくり休ませてあげてね」の言葉に従って(多分)、わたしをただ抱きしめて眠るだけだったが、その後は「夫婦生活」が復活した。
でも、また避妊具を使うようになったし、求め方もずいぶん淡泊になった。
愛する女性・阿笠先生と会ったことで、わたしを抱きたいと思わなくなったのかもしれない。

別に、激しく求められる方が気持ちいい訳ではないけれど。
淡泊な求められ方だと、そこに気持ちがないのが、より強調されるような気がして。
抱かれる歓びは、以前ほど感じられなくなってしまった。



   ☆☆☆



更に、日々が過ぎ。
わたしは、高校最後の年度を迎えた。

新一さんの26歳のお誕生日を、ささやかにお祝いし。
(新一さんは素で自分の誕生日を忘れていたので、誰も呼ばず、わたしだけがサプライズでささやかにお祝いすることになった)

結婚記念日が近づいてきた夏のある日。


新一さんが、改まってわたしに向かい合って、言った。


「蘭。別れよう」




(8)に続く



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7話をブログにアップしてから3年以上の月日が過ぎ。
さすがにこのお話も収束したいと考え、久しぶりに書き書きしました。

当初はもっと痛い展開を考えていたのですが(蘭ちゃんが暫く流産したと勘違いしているとか)、やめました。
志保さんが絡んでくるのは、当初、考えていなかったのですが、まあやっぱり、使いやすいんですね。
蘭ちゃんが「新一君の好きな女性」と「勘違い」する存在として。


2018年9月17日脱稿



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