契約結婚



By ドミ



(5)不義未遂



「蘭さん!」
「え、瑛佑君?どうしたの、一体……?」
「蘭さんのことが心配で、僕……」


ある日わたしが帰宅すると、玄関先で何だか揉めていて、よく見ると工藤邸の執事さんが、瑛佑君と言い合いをしていたのだった。

「奥様、こちらの方は?」
「わたしのクラスメートの、本堂瑛佑君」
「そうですか……女性であれば奥様の学校の方は通して良いが、男性であればあらかじめ旦那様が許可をした人しか通してはならないと、固く言いつけられておりまして……」
「そうなの?でも、瑛佑君は怪しい人じゃないし、通してあげて欲しいな」
「そう仰られても……」
「瑛佑君のことはわたしが保証します。信頼できるクラスメートです」
「奥様がそう仰るのでしたら……」

執事さんが渋々といった体で、瑛佑君を通してくれた。
わたしは……瑛佑君は友達だから、信頼できる友達だから、と思い込んでいたんだけど。
仮にも人妻の身で、男子を自分の部屋に入れて2人きりになるなんて、後から考えると、すごくバカな行動だったって思う。

その時のわたしは、何も知らない子どもだった。
新一さんの立場も、瑛佑君の気持ちも、何もかも。


わたしには、わたし専用の部屋があった。
わたしが昔から使っていたデスクと本棚・そしてベッドが置いてある。
1人になりたい時もあるだろうからという新一さんの心尽くしだった。

そして、夫婦の居間は、そこから続きになっている。
友達を入れるのなら、本来、わたし専用の部屋に入れるべきかもしれないけれど。
何となく、新一さんさえも滅多に入らない「わたし専用の部屋」に瑛佑君を入れるのがはばかられて、「夫婦の居間」に通した。

瑛佑君を居間に入れてから気づいた。
居間と寝室との仕切りを開け放したままだった。

どうしよう。
新一さんにいつも抱かれるベッドが目の前にあるのは、何となく恥ずかしい。
でも、今更仕切りをするのも、何か妙に意識しているみたいで……。
結局、そのままにしてしまった。


ドアがノックされる。
立って行ってあけると、ドアの向こうに立っているのは、メイドさんだった。

「お茶をお持ちしました」
「わあ!ありがとうございます!」

わたしは、メイドさんから、紅茶とケーキのセットを受け取った。
どちらも、すごく上等なものだ。

「瑛佑君!ケーキいただこうよ!」
「あ……う、うん……」

瑛佑君は、何となくそわそわした様子だった。

「ねえ。瑛佑君。何か用事があったんじゃないの?」
「用事っていうか……蘭さんが、辛い生活しているんじゃないかって……」
「えっ?」

瑛佑君の言葉は、本当に思いがけなくて。
わたしは、ケーキを口に運びかけたまま、固まってしまっていた。

ややあって、わたしはケーキを口に入れると、紅茶を飲んで流し込む。

「どうして?そんなこと……」
「そ、それは……工藤新一さんって、女性に対して紳士的で優しいように見えるけど、近づこうとする女性にはすごく冷たいって聞くから……」
「……」

そういえば。
以前、そういう噂を聞いたことは、確かに、あった。
お父さんとお母さんも、最初はそれをすごく心配して、反対していたのだ。

でも……。

「わたしは新一さんから、とても優しく大切にされてるわ。辛いなんて、そんなこと……」

たとえ、それが「愛」ではないにしろ。
新一さんは、わたしをとても大切にしてくれる。
これ以上のことなんて、望める筈もない。

それに、どう考えたって、関内さんの愛人になって体を任せたことを思えば、何万倍もマシ……ううん、幸せだった。

「蘭さん!」

突然、瑛佑君がわたしの両手を握りしめた。

「え、瑛佑君?」
「僕は……僕がいつか必ず、蘭さんのお父さんの借金を全部返して、そして……蘭さんを……」

嫌だとまでは思わなかったけれど、嬉しいわけでもない。
新一さんにだったら、指先がほんの少し触れるだけでも、すごくドキドキして……それ以上に、幸福感に包まれるのに。

そういうことを考えていると、ハッと気づいた時には、目の前に瑛佑君の顔があった。
グッと引き寄せられる。

「!やっ!」

わたしは本能的に手で瑛佑君の胸を押しやった。
いつの間にか瑛佑君がわたしの両肩を思いがけない力で掴んでいて、引き寄せようとしている。
触れそうになることはかろうじて押しとどめたものの、距離が開かず、わたしは焦った。


すると突然、ドアが開いた。
わたしはそこに、愛しい人の姿をみとめ、ホッと息をついた。

「新一さん!」
「……何をしてるんだ、お前たち」

わたしは瑛佑君の胸を押しているけど、瑛佑君がわたしを抱き寄せる力は緩まず……わたし達は、新一さんの目の前で抱き合うような格好のままだった。

新一さんがツカツカと歩み寄ると、瑛佑君の肩を蹴り上げた。

「ぐわっ!」
「え、瑛佑君!」

肩を抑えてうずくまる瑛佑君を思わず抱き起そうとしてしまったけど、それより早く、新一さんがわたしを背後から抱きすくめた。

「契約違反だ、蘭」
「……!」

新一さんの冷たい声が、耳元で響く。

「まさか、オレの留守中に、男を銜え込もうとするとは」
「し、新一さん!わたしは……」

事、ここに至って、ようやくわたしは、まずい事態になっていることに気付いた。

「オレは言った筈だ。オレの妻でいる間、他の男には指一本触れさせるなと」
「新一さん……わたしは!」


わたしは、新一さんを裏切るようなことはしていない!
でも、大声でそう言う資格は、たぶん、ない。


だって……曲がりなりにも男の子である瑛佑君を招き入れて、二人きりで部屋にこもったのは、わたし。
そして、抱きしめられ……未遂だとしても、キスされそうな状況に陥ったのは、わたしのミス。

「ら、蘭さんは悪くない!」
「あん?」

瑛佑君が肩を抑えながら、こちらを見て言った。
それに対しての新一さんの声は、冷たく恐ろしかった。
新一さんはわたしの背後にいるため、新一さんの表情は分からない。

「ぼ、僕が一方的に……悪いのは僕で、蘭さんは無実です!」
「……」
「そ、それに……未遂です!まだ、何もしてません!」
「未遂?そんなことは、わかってるよ」

新一さんが、背後からわたしの顎を掴み、無理やり顔を横向きにさせた。
目の前に、新一さんの顔がある。
その眼差しに暗い炎が見え、わたしは思わず息を呑んだ。

わたしの唇が新一さんの唇で覆われ、舌がわたしの口腔内に入り込んで蠢く。
わたしは状況も忘れ、激しい口づけに体中の力が抜けて膝が崩れそうになった。

唇を話した新一さんは、わたしの顔を覗き込んだ。
その目に薄く笑いが浮かぶ。

そして、わたしの顔は強引に、瑛佑君の方に向けられた。
瑛佑君が顔を赤くして目を見開いている。


「ほら、わかるだろう?未遂じゃなかったら、蘭がさっきのような顔をしている筈、ねえんだよ」

新一さんの言葉の意味が、わたしには全く分からない。
瑛佑君がとても奇妙な表情をして、こちらを見ている。

わたしは、瑛佑君の表情より、新一さんの考えていることの方が気になって仕方がなかった。

「だけどな。未遂だってのは何の免罪符にもならねえ。普通だったら仕事中で、オレはまだ帰ってこない。執事から、蘭が家に男を入れたと連絡を受けて飛んできたんだよ。もし、オレがこの扉を開けるのがもう少し遅かったら、お前は確実に蘭の唇を奪っていた。30分もあったら、蘭はお前のモノを銜え込んで良い声で泣いてたかもしれんな」
「そ、そんな……!わたし……新一さん以外の人とそんなこと、しません!」

思わず、わたしは声を上げていた。
そんな風に新一さんから思われてしまったなんて、悲しくて仕方がない。

「ああ。わかってるよ。蘭、オメーが最初からオレを裏切る積りだったわけではないこと位はな。父親の借金の件に片が付くまで、お前はオレとの契約を違えようとは思わないだろう」

新一さんが妙にやさしい声で耳元でささやく。
わたしはゾクゾクとした。

新一さんの手が、服の上から、わたしの胸をまさぐる。
快感が、わたしの体を電流のように貫いた。

「あ……っ!」
「蘭。オメーの体は、男と肌を合わせる快楽をおぼえた。だから、最初は抵抗したとしても、流されて相手を受け入れるようになっちまってるんだよ。関内のような毛嫌いしている相手となると、話は別だろうけどな」
「そ、そんなこと!」

わたしの体が反応するのは、新一さんだけなのに……わたしが乱れるのは、新一さんだけなのに……わたしの想いを知らない新一さんは、相手が誰であっても反応し乱れる淫乱な女だと……わたしの事を思っているんだ……。

不意に、わたしの体が浮いた。
新一さんに抱え上げられたのだ。

すぐ傍にある寝台の上に、わたしは下される。
そして、新一さんが圧し掛かってきた。

「し、新一さん!待って!」
「待たない。お前はオレのモノだってことを、思い知らせてやる!」

だって、瑛佑君がすぐそこにいるのに……!
寝台を覆うカーテンがわたし達の姿を隠しているから、見られる心配はないけど、声や音が聞かれるのは、嫌だ……!

新一さんは、いつも丁寧にわたしの全身を愛撫するのだけれど、今日はわたしの服を脱がせるとすぐにわたしの中に入って来た。

「……つっ……!」

まだ十分に濡れていないわたしのあそこに、新一さんのモノが強引に入ってきて、わたしは痛みをおぼえた。
けれど、すぐに馴染んで痛みはおさまる。

粘着性のある水音・体がぶつかる音・ベッドがきしむ音が響く。

「どうした、蘭?いつもみたいに、声を出せよ」
「新一さん……お願い……やめ……っ!」
「蘭。オレを拒むな!」
「……っ!」

新一さんを拒んでるんじゃない。
ただ、新一さん以外の人に、声を聞かれたくないだけ。

けれど、それを説明する余裕は、わたしにはなかった。
高まる快楽の波の中、わたしは必死に声をこらえ続ける。

新一さんの動きが一段と激しくなった。
やがて、新一さんのモノが大きく脈うち、わたしの奥に熱が放たれた。
必死で声が出るのを我慢していたわたしは、耐え切れずに意識を失ってしまっていた。



   ☆☆☆



わたしが気を失っていたのは、ほんの僅かだったようだ。

気が付くと、わたしの体には寝具がかけられていて……わたしの中から、新一さんに注がれたものが溢れて流れていた。
新一さんと瑛佑君の声が聞こえたので、わたしは思わず耳をそばだてていた。


「なんだお前、まだいたのか。惚れた女が他の男に抱かれる現場にいて、嬉しいか?」
「そりゃ、そんなの嫌に決まってるでしょう!でも、僕、どうしても言わなきゃいけないことがあって……」
「……なんだよ?」
「ぼ、僕の片思いで!蘭さんは僕の事なんか、何とも思っていません!」
「そんなこと位、お前に言われなくても、わかってるさ……」
「なら、何で!」
「蘭が一番愛していて大切なのは、蘭の父親だ!」

新一さんが言い切った一言に、わたしは息が止まった。
そんな風に思われていたとは、知らなかった。

「……別に蘭がファザコンだって言ってるんじゃない。おそらく蘭は、まだ恋をしたことがない」
「なんでそんな事、あなたにわかるんですか!」
「結婚式の夜、蘭を抱いたとき。蘭は正真正銘、バージンだった」
「は、はあ……それで?」
「蘭は、父親の借金を返すために、関内の愛人になる決意を固めていた。だけど、さすがにあのジジイ相手にバージンを捧げる気にはなれなかったらしい。オレのとこに、バージンを買ってくれって言いに来た。もし、蘭に誰か好きな相手がいたのなら、蘭はそいつの所に行ってバージンを捧げたはずだ」

……新一さんの推測は、殆ど当たっている。
なのに……どうして、新一さんの所に行ったのが、新一さんを好きだからって……わかってくれないんだろう?

そこまで考えて、はたと思い当った。
もしわたしが、単純に「バージンをもらってください」と言っていたのなら、新一さんはわたしの想いに気づいてくれただろう。
あの時のわたしは、そこまで無意識にわかっていて……新一さんに重荷を背負わせたくなくて、「買ってください」って言ったのだった。


「あの、ちょっと待ってください!話が見えないんですけど!」
「あん?」
「関内の愛人って……何の話なんですか!?」
「おや。その部分は知らなかったのか。無理もないが……関内は、毛利さんに借金の返済を迫らない条件として、蘭に自分の愛人になるようにと迫ったんだよ」
「で、蘭さんが、工藤さんのとこに、バージンを買ってくれと?」
「ああ。事情を聞いたオレは、だったらオレが借金を肩代わりするからオレの嫁に来いと、蘭に言ったのさ」

突然、瑛佑君が笑い出した。
わたしは、呆然としていた。
多分、新一さんも呆然としていただろうと思う。

「これで、全て納得できました。僕、蘭さんを完全に諦められます」
「は?」
「工藤さんが、借金を肩代わりする代わりに蘭さんと結婚したことは、わかっていました。お金のための愛のない結婚で、蘭さんがあまりにも気の毒だと、僕、ずっと思ってたんですよ。でも、そうじゃないってわかりましたから」
「本堂瑛佑?」
「どうぞ、お幸せに」


ドアが開いて閉まる音がした。
瑛佑君が帰って行ったみたい。

ややあって、新一さんが寝台に近づいてくる気配がしたので、わたしは慌ててまだ気を失っているフリをした。




(6)に続く



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タイトルは「不義未遂」にしましたが、まあ新一君が乗りこまなくても、蘭ちゃんが瑛佑君を空手技で気絶させてアッサリ終わり、だった筈です。
新一君にしてみれば、蘭ちゃんが新婚時代にあまりにあっさりと快楽を覚えたのが、嬉しくも心配の種である訳です。


初稿:2014年6月15日
改稿:2018年9月17日




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