契約結婚
By ドミ
(番外編)契約を終えて
階段から落ちそうになった女性を助けた時、オレは、その女性が見せてくれた輝くような笑顔の虜になった。
生まれて初めての恋だった。
そしてその子は、まだ高校生、オレより8歳も下の少女だった……。
☆☆☆
オレは、探偵の工藤新一。
高校生の時に「高校生探偵」としてデビューしたが、今は自分で探偵事務所を立ち上げ、それが軌道に乗り、会社組織となった。
社長としての会社運営は順調で、それなりに収入もある。
そんなオレの遅い初恋。
その相手が、オレの前で涙を溢れさせながら腰かけている。
「わ……わたしのバージン、買って貰えませんか?」
目の前にいる少女の唇から、その言葉が出て来たとき、オレは、しばらく思考が止まっていた。
ようやく頭が回り始めた時、最初に頭に浮かんだのは、
「この子、まだバージンだったのか……」
ということだった。
蘭の清楚な雰囲気は、伊達ではなかった。
まだ男を知らない、汚れのない乙女だった。
彼女が、イーサン本堂の長男・本堂瑛佑の婚約者であることは、知っていた。
だが、親同士の決めた婚約、2人は深い仲ではなかったようだ。
彼女は泣きながら、何故そのようなことを言い出したのか、話をした。
毛利探偵事務所の抱える債権を、関内が買い取り、一括返却か、毛利蘭を関内の愛人として差し出すか、どちらかにしろと迫ったという、唾棄すべき話だった。
オレは考え込んだ。
もちろん、「蘭を関内から助ける」ということだけは即座に決まったが、問題は方法だ。
債権を買い取った者が、一括返済を要求することは合法なので、そちらの方で関内を追い込むことはできない。
もちろん、借金返済を分割にする代わりに高校生を愛人にと迫るのは違法だ。
けれど、それを立証する手立てがない。
蘭は既に、関内の愛人になる悲壮な決意を固めており、順序立てて関内を追い込んでいたのでは、間に合わないだろう。
取り敢えず、蘭の父親・毛利小五郎にお金を貸して、関内に一括返済させるのが一番早い解決法であるが。
毛利小五郎は、オレの申し出を怪しむだろうし、簡単にお金を受け取るとは思えない。
オレは、必死で考えた。
蘭の笑顔を守るために、どうしたら良いのか。
そこで辿り着いたのが、蘭へのプロポーズだった。
婚約者の親を助けるという名目での融資の申し出なら、怪しいことはないだろう。
ただ、その時点でオレは、「蘭が20歳になったら結婚、それまでは婚約者」という形を取り、蘭が20歳になるまでの3年の内には毛利さんからオレへの返済が終わるか関内の件を何とかするかできるだろうから、それから蘭を解放し、好きな道を選ばせる積り、だった。
蘭を守りたい、その一心だったのは、間違いない。
蘭に対して、オレ側のメリットとして並べ立てたのは殆どウソだったが、蘭にオレの想いを告げて困らせたくなかったのだ。
当初、当然のことながら、小五郎さんも英理さんも、蘭とオレの婚約には、大反対していた。
随分後になって聞いた話だが、蘭は結局、関内の申し出の件を両親に話し、オレとの婚約か関内との愛人かと、迫ったのだそうだ。
蘭が頑固なことをご両親は知っているから、ご両親がどこまでもオレとの婚約に反対したら、蘭が関内に身を任せる決意を固めているのだと、両親も理解して折れたらしい。
英理さんは「関内を訴える」と息巻いていたが、その時点で訴えられる状況ではないことも分かっていたため、結局、「オレとの婚約」を選んだ。
オレは、「婚約時代」に蘭に手を出す気は毛頭なかったのだが……。
「婚約したからと散々蘭の体を弄んだ挙句、いざ、蘭が二十歳になった時に、婚約解消でもされたら、たまらん」
という小五郎さんの言葉で、蘭がまだ高校2年生・17歳の夏に、結婚することが決まった。
「君は、それでいいの?」
オレが問うと、蘭は頬を染めて頷いた。
「いずれ、どなたかと結婚するとしたら、それが少し早まっただけですから」
蘭は多分、恋をしたことがなく、婚約者として紹介された本堂瑛佑とオレとは、蘭の中で同等の存在なのだろうと、オレは思った。
親の認めた婚約者と、結婚後、「夫婦生活」を送ることは、蘭にとって受け入れられる話のようだ。
当初は、「蘭を守りたい」という純粋な気持ちだった筈だったのに、結婚が具体的になったことで、オレの欲望が少しずつ頭をもたげ始めた。
蘭の全てを、身も心も、自分のモノにしたいと、思い始めた。
蘭は、愛情深い娘だ。
おそらく、結婚生活の中で、夫婦としての情愛を育んでいくことはできるだろう。
子どもが出来たら、人一倍愛情を注ぐだろう。
ただ問題は、恋を知らなかった蘭が、結婚後、他の男に恋をしてしまった場合だ。
夫婦としての情愛より、他の男への恋情の方が勝った時、蘭はどうするだろう?
借金の件にケリがついていたら、蘭を縛るものは無くなる。
その時、オレは耐えられるだろうか。
まったく自信がなかった。
☆☆☆
男を知らない蘭は、初夜が苦痛なのではないかと危惧したが、案に相違して、蘭は触れられるのが嫌ではないようだった。
それどころか、馴染むのが早く、とても良い反応を返してくる。
女を知らないオレと男を知らない蘭とで、上手く行くのか、いささか心配だったが、何とかなった。
さすがに最初は痛がっていたが、次の朝二度目に抱いた時にはもう、絶頂に達した。
オレの腕の中で蘭は、天使のあどけなさから、妖艶な女の顔に変わる。
この蘭の顔を知っているのは、オレだけ。
蘭を金で買ったことも忘れ、オレは有頂天になっていた。
蘭の体はどこに触れても気持ち良く、蘭の中の締め付けは最高で、オレにだけ見せてくれる媚態を見たくて、オレは飽かず蘭を求めた。
惚れた女を抱くのがこんなに気持ちのイイことだとは。
蘭が早くに抱かれる歓びを知ったことは、嬉しかったと同時に、不安の種にもなった。
蘭は特に嫌いな相手でなければ、オレの腕の中と同じく花開いてしまうのではないか、そんな危惧が生まれていた。
親の借金という足枷があるから、簡単に他の男と関係を持つようなことはしないだろうが。
蘭の心も体も、蘭の全てを、独り占めしたい。
結婚し、蘭を抱くようになってから、オレの独占欲は、ますます強くなって行った。
少なくとも、蘭には誰か他に好きな男がいたということは、ないだろう。
そもそもそういうことがあれば、関内から話を持ちかけられたとき、蘭は好きな男にバージンを捧げに行ったことだろう。
オレのところに来たってことは、少なくとも、オレがバージンを捧げる相手として関内よりかなりマシな相手だとは、思ってくれていたのだろう。
初夜の後のはにかんだような表情、新婚旅行の間の少し恥ずかしそうな笑顔、オレに対して結構好意を持つようになってくれているかもしれないと、オレは期待していた。
けれど、蘭の表情に時々陰りが見えるのは、何だろう?
その理由が分からなくて、オレはもどかしかった。
もしかして、父親のことを案じているのだろうか?
もう何の心配もないというのに。
蘭がそこまで想いを寄せている毛利小五郎に対して、親なのだから仕方がないと分かっていても、オレは嫉妬することがあった。
そんなある日、オレは、仕事中に、執事から連絡を受けた。
蘭が元婚約者の本堂瑛佑を家に入れて、2人きりになっているというのだ。
オレは胸が騒いだ。
蘭が「その積りで」本堂瑛佑を引きこんだのではないということは、分かっている。
蘭はそんな節操のない女ではない。
けれど、瑛佑の方は、蘭をにくからず思っていた筈だ。
オレは、居ても立ってもいられず、急遽仕事を整理すると、自宅へ急いだ。
オレたち2人のリビングを開けた時、目にした光景は、瑛佑が蘭を抱き寄せ顔を近づけ、蘭は困ったような顔で瑛佑の胸を押している状況だった。
ドアが開いた途端に、蘭はオレの方を見て、ホッとしたような表情になった。
そのことにオレは安堵する。
「新一さん!」
けれど、瑛佑は手を緩めようとしなかった。
オレの目の前で、更に蘭を強く抱き寄せようとしている。
「……何をしてるんだ、お前たち」
オレは2人に近寄ると、思いっ切り瑛佑の肩を蹴り上げた。
「ぐわっ!」
「え、瑛佑君!」
肩を抑えてうずくまる瑛佑を蘭が抱き起そうとする。
たった今まで無礼を働こうとしていた男を心配してしまうのは、蘭の良いところでもあるが、弱点でもある。
オレは蘭が瑛佑を抱き起そうとするのを素早く背後から抱きすくめて止めた。
「契約違反だ、蘭」
「……!」
蘭の耳元で囁く。
「まさか、オレの留守中に、男を銜え込もうとするとは」
「し、新一さん!わたしは……」
「オレは言った筈だ。オレの妻でいる間、他の男には指一本触れさせるなと」
「新一さん……わたしは!」
蘭がその積りではなかったことは、分かっている。
けれど、言い訳もできない状況だと思っているのだろう、その先の言葉は続かなかった。
代わりに声を上げたのは、蹲っていた瑛佑だ。
「ら、蘭さんは悪くない!」
「あん?」
瑛佑が肩を抑えながら、こちらを見て言った。
「ぼ、僕が一方的に……悪いのは僕で、蘭さんは無実です!」
「……」
「そ、それに……未遂です!まだ、何もしてません!」
「未遂?そんなことは、わかってるよ」
当たり前だ。
未遂でなければ、今頃、こんなもんで済んでねえよ。
オレは、背後から蘭の顎を掴み、無理やり顔を横向きにさせた。
蘭は……少し戸惑ったり怯えたりしているものの、「いつもの顔」だ。
あの妖艶な顔は片鱗も見せていない。
オレは衝動のままに動いた。
蘭の唇を塞ぎ、舌を蘭の口腔内に侵入させて蹂躙する。
蘭の体から力が抜け、膝が崩れそうになった。
オレは唇を離し、蘭の顔を覗き込んだ。
目が潤み、とろんとして、半開きの唇に頬が上気している。
オレとのキスだけで蘭は「女の顔」になる。
オレは、蘭の顔を強引に瑛佑の方に向けた。
もちろん「あの最中の妖艶な顔」を見せる気は毛頭ない。
けれど、キスだけでこれだけ変わる蘭の表情を、こいつに見せつけたかった。
瑛佑が顔を赤くして目を見開いている。
「ほら、わかるだろう?未遂じゃなかったら、蘭がさっきのような顔をしている筈、ねえんだよ」
ヤツも、意味が分かったのだ。
とても奇妙な表情をして、こちらを見ている。
「だけどな。未遂だってのは何の免罪符にもならねえ。普通だったら仕事中で、オレはまだ帰ってこない。執事から、蘭が家に男を入れたと連絡を受けて飛んできたんだよ。もし、オレがこの扉を開けるのがもう少し遅かったら、お前は確実に蘭の唇を奪っていた。30分もあったら、蘭はお前のモノを銜え込んで良い声で泣いてたかもしれんな」
「そ、そんな……!わたし……新一さん以外の人とそんなこと、しません!」
蘭が声を上げていた。
「ああ。わかってるよ。蘭、オメーが最初からオレを裏切る積りだったわけではないこと位はな。父親の借金の件に片が付くまで、お前はオレとの契約を違えようとは思わないだろう」
オレは蘭の耳元でささやく。
そして、服の上から蘭の胸をまさぐった。
蘭の表情が更に変わる。
快楽を待ち望む表情だ。
「あ……っ!」
「蘭。オメーの体は、男と肌を合わせる快楽をおぼえた。だから、最初は抵抗したとしても、流されて相手を受け入れるようになっちまってるんだよ。関内のような毛嫌いしている相手となると、話は別だろうけどな」
「そ、そんなこと!」
オレは蘭を抱えあげ、すぐ傍にある寝台の上に蘭を下ろし、カーテンを閉めた。
そして蘭に圧し掛かる。
「し、新一さん!待って!」
「待たない。お前はオレのモノだってことを、思い知らせてやる!」
オレは愛撫もそこそこに、蘭の服を脱がせると強引に蘭の中に入った。
「……つっ……!」
まだ十分に濡れていない蘭の中に強引に入ったことで、蘭は一瞬、苦痛の声を上げた。
しかしすぐに、蘭の中はトロトロになってオレのものをじわりと包み込んでいく。
久しぶりに避妊具なしで入った蘭の中はとても気持ちよくて、オレは夢中で腰を動かした。
粘着性のある水音・体がぶつかる音・ベッドがきしむ音が響く。
けれど……蘭は妖艶な顔をしながらも、声をこらえて出そうとしない。
「どうした、蘭?いつもみたいに、声を出せよ」
「新一さん……お願い……やめ……っ!」
「蘭。オレを拒むな!」
「……っ!」
オレは蘭を責め立てるように一段と激しく動いた。
やがて、限界がきて、オレは蘭の奥に熱を放った。
すると……オレの腕の中で蘭は、意識を失ってしまっていた。
オレは……何をやっているんだ?
蘭のことが誰よりも大切なのに。
誰よりも、愛しているのに……。
蘭に幸せになって欲しい。
蘭には笑顔でいて欲しい。
なのに、何でオレはこんな……。
オレは、気を失った蘭に布団を掛けると、ベッドから出た。
するとそこには、顔を真っ赤にした瑛佑が立っていて、オレはようやく彼の存在を思い出した。
最初は、蘭がオレのものだと見せつけるために敢えて彼のいるこの場所で蘭を無理やり抱いたのに、そんなことはスッカリ忘れていた。
オレには……蘭を抱き寄せようとした本藤瑛佑を責める資格はない。
オレは蘭を金で買っただけの存在。
目の前の、純粋に蘭に好意を寄せるこの男に、何も勝ってはいない。
そんな暗い想いを振り切るように、オレは殊更に勝ち誇った表情を作って瑛佑に声をかけた。
「なんだお前、まだいたのか。惚れた女が他の男に抱かれる現場にいて、嬉しいか?」
「そりゃ、そんなの嫌に決まってるでしょう!でも、僕、どうしても言わなきゃいけないことがあって……」
「……なんだよ?」
「ぼ、僕の片思いで!蘭さんは僕の事なんか、何とも思っていません!」
「そんなこと位、お前に言われなくても、わかってるさ……」
「なら、何で!」
「蘭が一番愛していて大切なのは、蘭の父親だ!」
オレが思わず声に出した事実に、瑛佑は目を丸くしていた。
「……別に蘭がファザコンだって言ってるんじゃない。おそらく蘭は、まだ恋をしたことがない」
「なんでそんな事、あなたにわかるんですか!」
「結婚式の夜、蘭を抱いたとき。蘭は正真正銘、バージンだった」
「は、はあ……それで?」
「蘭は、父親の借金を返すために、関内の愛人になる決意を固めていた。だけど、さすがにあのジジイ相手にバージンを捧げる気にはなれなかったらしい。オレのとこに、バージンを買ってくれって言いに来た。もし、蘭に誰か好きな相手がいたのなら、蘭はそいつの所に行ってバージンを捧げたはずだ」
そうだ。
だから、この男に蘭が恋をしていたなんてことはない。
だが、オレに対して恋愛感情を持っていたとも、思えない。
「あの、ちょっと待ってください!話が見えないんですけど!」
瑛佑はワケが分からないという顔をしていた。
「あん?」
「関内の愛人って……何の話なんですか!?」
こいつ……その話も教えてもらっていなかったのか。
そういう事情でもなかったら、蘭の両親が借金のために蘭を誰かに差し出すはずもないのだが、それも理解していなかったのか。
……まあそれはそうかもしれない、何しろ蘭の両親は蘭をこいつと婚約させたのだから、こいつは「毛利の両親は借金返済のために蘭の政略結婚の相手を替えただけ」程度の認識だったのだろう。
「おや。その部分は知らなかったのか。無理もないが……関内は、毛利さんに借金の返済を迫らない条件として、蘭に自分の愛人になるようにと迫ったんだよ」
「で、蘭さんが、工藤さんのとこに、バージンを買ってくれと?」
「ああ。事情を聞いたオレは、だったらオレが借金を肩代わりするからオレの嫁に来いと、蘭に言ったのさ」
突然、瑛佑が笑い出した。
オレは、呆然とした。
笑いを収めた瑛佑は、何故か勝ち誇ったような表情をしている。
「これで、全て納得できました。僕、蘭さんを完全に諦められます」
「は?」
「工藤さんが、借金を肩代わりする代わりに蘭さんと結婚したことは、わかっていました。お金のための愛のない結婚で、蘭さんがあまりにも気の毒だと、僕、ずっと思ってたんですよ。でも、そうじゃないってわかりましたから」
「本堂瑛佑?」
「どうぞ、お幸せに」
そう言って去って行った瑛佑相手に、オレは敗北感でいっぱいだった。
☆☆☆
その日を境に。
蘭は、オレに抱かれるとき、快楽におぼれながらも、その眼差しの奥に暗い諦め・哀しみの色をたたえるようになった。
蘭が何故そうなってしまったのか。
原因はオレとしか考えられない。
今更、「あの時ああしていなければ」と後悔しても、遅い。
これから先、蘭が幸せであるために、どうしたら良いのか、考えるしかない。
蘭が身ごもったと思った時、これから先は子どもの親同士として絆を作っていけるかと、蘭に「母親としての喜びと幸せ」をあげることが出来るのではないかと、再び蘭の輝くような笑顔が見られるのではないかと、期待した。
隣人だった阿笠博士の養女になったばかりの宮野志保が、確か産婦人科の医師になっていたはず。
ちなみに、阿笠博士は、初恋の女性と数十年ぶりに巡り会い、アメリカで新婚生活を送っている。
しかし、産婦人科外来の予約を入れていた前日、蘭が部活中に倒れ、オレは飛んで行った。
不正出血に、流産したのではないかと青くなり、宮野に無理を言って診察を頼んだ。
その結果、流産ではなく、生理の間隔が空いたために重くなったのと、おそらく心身の疲れが重なっての意識消失だろうと言われた。
「彼女、結構、貧血になってたわよ。まさかダイエットなんかしてないでしょうね?運動不足中年メタボならともかく、まだ10代の運動している子がそんなことやっちゃダメよ。タンパク質と鉄分もしっかり摂らなきゃ」
確かに最近、蘭は食が細くなっていた。
しかし貧血を起こすほどだったとは。
そんな状態でもし本当に妊娠していたら、蘭の体にどれだけ負担がかかったことか。
蘭を連れて帰るとき、蘭は随分と落ち込んでいた。
オレがどうであろうと、子どものことは楽しみにしていたのだろう。
「ごめんなさい……」
帰りの車の中で、蘭は低い声で言った。
「ん?蘭、何を謝るんだ?」
「だって……早とちり、しちゃって……」
「早とちりは、オレもだし。っていうか、診察受けなきゃハッキリしねえもんだしよ」
「新一さん……」
「ま、ちょっとガッカリはしたが……流産とかじゃなくて良かった……」
オレは蘭を抱き寄せ、そっと頭を撫でた。
蘭の表情は硬く、目は昏い。
どうしたら良いんだろう?
「なあ、蘭。やっぱり、高校を卒業するまでは、子作りはやめておこうか?そしたら部活も心置きなくできるし」
「……」
蘭は返事をしない。
「蘭?」
「は、はい……」
「どうした?」
「……新一さんの、お望みのままに……」
「オレは、蘭がどうしたいか、聞きたいんだが」
「だってわたしは、新一さんにお金で買われた身ですから」
オレは息を呑んだ。
蘭は……オレに仕えなければいけないと思っていたのか。
通常の対等な婚姻とは違うのだから、オレの思い通りに生きなければならないと思っていたのか。
自分が何かを望むことは、封印していたのか。
だからなのか。
ずっと辛そうだったのは。
どうしたら、良いんだ……。
それから、家に着くまで、蘭もオレも、黙っていた。
それからのオレは……さすがに蘭を「抱かない」でいることは出来なかったけれど、蘭に負担を掛けまいと、避妊も再開したし、できる限り優しくがっつかないように細心の注意を払って蘭を抱くようになった。
けれど、どのようにしても、蘭の眼差しの奥にある昏い色を拭うことは出来ない。
再び蘭の輝く笑顔を見るためには、蘭をオレから解放するより他にないのではないかと、オレは思うようになっていた。
蘭が進級した。
オレの誕生日を蘭は心を尽くして祝ってくれた。
そして、結婚1周年の記念日を迎えた。
オレはこの一年、色々あったが、蘭と共に居られて幸せだった。
もう、蘭を解放しよう。
そう思って、蘭に「別れよう」と伝えた。
すると。
オレの予想では、蘭は戸惑うだろうけど、ホッとしたような顔をするかと思ったのに。
「嫌です!」
ほぼ反射的に、否やの言葉が蘭の口から飛び出していた。
「ら、蘭……?」
「嫌です!だ、だって……」
蘭は必死で我慢したようだが、嗚咽が漏れ、涙が零れ落ちて行く。
オレは呆然とした。
蘭は、オレと別れたくないと。
そう思って涙する程度には、オレに対しての家族愛が育っていたようだ。
だったら。
本当に蘭の方からオレと別れたいと言い出すまでは、傍にいてもらおう。
そう思ったが……。
その夜、オレの腕の中で、蘭は涙を流した。
「泣かないでくれ……頼むから……」
オレは懇願する。
蘭。
お前を愛している。
お前の笑顔を見るためなら、何だってする。
だから、教えてくれないか。
オレはどうすれば良いのか。
実は答えはすぐそこにあったのだが、オレは愚かにも気づかなかったのだ。
☆☆☆
仕事中、スマホが震えた。
見ると宮野からの電話だった。
「宮野?仕事中だが、何の用だ?」
『何の用じゃないわよ!あなた、蘭さんに何勘違いさせてんの!?』
電話越しに宮野の怒鳴り声。
しかし、その由々しき内容に、オレはスマホを耳に押し付けた。
「蘭が、どうかしたのか?」
『あら、さすがに真剣に話を聞く気になったみたいね』
「教えろ」
『そんな怖い声出さなくても教えるわよ。彼女、学校さぼって私のところに来たわ。ピルを処方してって言ってね』
「な、何だって!?」
ピル?
経口避妊薬?
そんなもの使わなくても今はきちんと避妊を……まあそりゃ、100%でないことは知ってるが。
『でもね、彼女、避妊のためにピルを欲しがったんじゃないの。あなたに、避妊を止めさせるために……子どもが欲しいから、ピルを処方してって言ってきたのよ!高校卒業まで待てないのって聞いたら、どうしてもあなたの子どもが欲しいんですって!』
「えっ……!?」
いったい、蘭は、何を望んでいるのだろう?
子どもが欲しい……にしても、まだ蘭は高校生、焦る必要なんてないのに。
『あの子ね。よりにもよって、私のことを、あなたが好きな女性なんじゃないかって……』
「はあっ!?」
オレは、素っ頓狂な声を上げてしまった。
それくらい、宮野が言ったことはオレにとって予想もしない内容だったからだ。
『まあ、勘違いさせちゃうようなことがあったのは事実だわね。あの時、私の苗字の話をしてたでしょ?私の姓が変わったのは、結婚したためで。あなたが……その、こともあろうに、あなたが想いを寄せている私が結婚するから諦めるために!目の前に現れたあの子と結婚を決めたのかと、スッカリ勘違いしてたのよ!』
オレがこともあろうに宮野に片想いだって!?
あまりの勘違いに、オレは頭がクラクラとなった。
『あなた、あの診察の後、蘭さんへの態度を変えなかった?』
「……変えた積りはないが……」
変えたといえば、蘭の抱き方が……。
「まさかあれも、宮野に再会した所為だと勘違いしたのか……?」
『あれって何よ?』
「あ、いやその……」
『まさかと思うけど、あなた、ベッドの中での態度を変えた?』
「……」
電話の向こうで、宮野が溜息を吐く。
『何やってるの?』
「あ、いや、その……負担を掛けないようになるべく優しくするように……」
『やさしく、ね。男の考えるベッドの中の優しさって、女から見たら勘違いもいいところだったりするんだけどね。あ、もちろん、欲望のままにガンガン行けばいいってもんではないわよ。乱暴なのは論外』
まさか宮野とセックス談義をする日が来るなんて思わなかった……。
にしても、色々と引っ掛かり腹が立つ部分もあるが、蘭のためには感謝しなければならないのだろう。
「オレはどうしたら良いと思う?」
『はあ!?そんなこと、自分で考えたら!?って言いたいところだけど……あなたたち二人とも、自分の本当の気持ちを押し隠したままで上手く行くはずないでしょう?』
「……オレの気持ちは、蘭の負担にならないだろうか……?」
『それを決めるのは、あの子でしょう?』
途端に。
文字通り、目からウロコが落ちた。
自分の気持ちを真摯に率直に伝える。
全てはそこからしか、始まらない。
そんな当たり前のことを、何故オレは思いつかなかったのだろう?
それは、経験があるからとかないからとかいうことではない。
生まれて初めて、心の底から、愛おしいと思う女性が出来た。
なのに、歳の差や立場を言い訳に、何も動こうとしなかった。
それは……彼女に愛を乞うて断られるのが怖かったからだ。
ただただ、臆病なだけだった。
そこに思いがけず転がり込んできた、彼女の婚約者・夫という立場。
彼女を抱いたことで、破瓜の血を流させたことで、独占欲が強くなり、おのれの欲望が暴走し始めたのだ。
蘭が帰ってきたら、すぐさま、改めて求愛をしよう。
最初から、やり直して始めるんだ。
と、決意したは良いが、彼女はいつまでも帰ってこない。
学校に行ったことにしていた……にしても、遅過ぎる。
嫌な予感に、まず携帯のGPS機能で蘭の居場所を探そうとしたが、それはとんでもないところに落ちていた。
今度は、彼女にあげたペンダントに付けている追跡機能を使って居場所を探した。
☆☆☆
オレがその場所に着いた時、蘭は倉庫のような建物から駆け出していた。
その先の地形を知っていたオレは、肝を冷やす。
自分でも、間に合ったのは奇跡だと思う。
崖から落ちかけた蘭の上着の襟首を捕まえたのだ。
普通だったら、上着だけがオレの手に残って蘭は落ちて行ったかもしれない。
けれど、蘭が後ろ手に縛られていたことが幸いした。
「蘭!大丈夫だから!今、引き上げてやっからな!待ってろ!」
そして、オレは慎重に蘭を引き上げ……ホッとして力いっぱい蘭を抱き締めた。
蘭は一応、病院に連れて行ったが、ちょっとした擦り傷位だったため、すぐに家に連れ帰ることが出来た。
病院でオレは各方面に連絡を入れた。
帰って来たときには、蘭の両親とイーサン本堂が家で待っていたが、蘭の無事を確認すると、すぐに帰った。
毛利のおっちゃんは何やらブツブツ言っていたが、妃先生が「邪魔しないのよ」と引っ張って帰って行った。
あのお義母さんには、生涯、頭が上がりそうにない。
二人きりになったところで、オレは蘭をそっと抱きしめた。
蘭は嫌がるそぶりを見せなかった。
「間に合って、良かった……」
「新一さん。ごめんなさい。迷惑かけて……」
こんな時にも、謝ってくる彼女がいじらしく愛しい。
「いや、オレの所為でオメーがこんな目に遭ったんだろ?」
「でも。元はと言えば、わたしのことで、関内さんを調べたんですよね?」
「いやまあ、そうだけど。それを恨みに思ったヤツがどんな行動を取るか、予想はついた筈なのに、甘かった……。オレの所為だ……」
「新一さん……」
オレが顔を近づけると、蘭は少し頬を染めて目を閉じた。
オレはそっとその唇に自分の唇を重ねる。
「宮野……いや、阿笠からも随分怒られた……」
「新一さん……?」
「オメー、オレの初恋の相手が、アイツだと思ってたんだって?」
「え……はあ……まあ……」
オレは大きく息をついた。
ここは……照れくさいが、正直に言うしかあるまい。
「あのな。その……引かずに聞いて欲しいんだけどよ……」
「新一さん……?」
オレはつい蘭から目を逸らしてしまったが、ちゃんと目を見て言わねばと、改めて蘭を真っ直ぐに見て、言った。
「オレの初恋は、蘭、オメーだよ」
「え!?えええええッ!?」
蘭は文字通り、目を丸くして叫んだ。
「引くなっつっただろ?」
「ひ、引いたわけじゃありません。驚いただけです!」
「……だよなあ。イイ歳したおっさんが、女子高生に初恋だなんて、驚くよなあ」
オレは蘭を正視できなくて、目を逸らした。
「奇遇ですね。わたしも、新一さんが初恋です」
「は!?」
今度は、オレが驚く番だった。
蘭はまだ恋をしたことがないと、今の今まで、思い込んでいたから。
「だから……嬉しかったんです、わたし。新一さんと結婚できて、キスも、その……エッチも、新一さんとで……」
蘭は恥ずかしそうに頬を染め、だんだん声が小さくなり、オレの胸に顔を埋めた。
マジか!?
なんてこった!
本当に、何て回り道をしてたんだろう?
オレはそっと蘭に口づけ……そしてもう一度、今度は深く口づけた。
「蘭。愛しているよ」
「新一さん。わたしも……」
蘭は幸せそうに微笑み、その目から涙が零れ落ちる。
「でも、じゃあなんで、離婚を切り出したりしたんですか?」
「いや……オレも、金で蘭を買ったって負い目があったし……」
「で、でも、それは……」
「オレは、蘭に笑顔でいて欲しかったのに……蘭は、結婚してすぐの頃は、いつも笑顔だったのに……いつからか、辛そうな顔ばかりになっちまってよ……」
「新一さん?」
「オレが一番望んでいたのは、蘭が幸せそうに笑っていることだったんだ……だから……オレから解放した方が良いのかと……」
「バカ!辛かったのは……新一さんの気持ちが、分からなかったから……」
「蘭……?」
「愛されてないんだって、思い込んでたから……」
「……悪かった……」
最初に、自分の思いを正直に告げてさえいれば、蘭に辛い思いをさせずに済んだのに、本当に大馬鹿野郎だ、オレは。
蘭が微笑みながら首を横に振る。
最初につまずいてしまったが、それは今からいくらでも取り返せる。
オレは万感の思いを込めて蘭に口づけ、蘭もそれに応えてくれた。
☆☆☆
生まれたままの姿になった蘭の、あまりの美しさに息を呑む。
蘭は、はにかんだ微笑みを浮かべる。
蘭の眼差しには、単なる情欲ではなく、確かに愛の彩があった。
「蘭……」
彼女の体のいたるところに、口づけて行く。
「ア……ん……新一さん……」
蘭の口から洩れる声が甘くて……それを耳にすると更にオレの官能が呼び覚まされる。
その声にも、快楽だけではなく、確かにオレへの気持ちが含まれているのだと、今更ながらにオレは知る。
充分準備をして蘭の中に入った時、快楽よりもずっと大きな幸福感がオレを包んだ。
愛する女と今、これ以上ない位近くにいて、繋がって一つになっているんだ……。
「蘭……幸せだ……」
「新一さん……わたしも……」
「ずっと一緒だ……ぜってー、離さない」
「……!」
蘭は何か言いたそうにしたが声が出せず、蘭の頬を涙が伝い落ちて行く。
「蘭!?」
蘭は慌てて、自分の顔を両手で覆って隠した。
「……もう、絶対、離婚なんて言わないで!」
「蘭!悪かった!もう二度と、言わない!」
「わたし……わたし……たとえ愛されてなくても、傍に居られるならって……」
蘭の嗚咽が収まるまで、オレは蘭と繋がったままに律動はせず、ただ蘭を抱きしめていた。
「愛している。誰よりも何よりもお前が大切なんだ……」
「だからって……わたしのために別れるなんて言われても、わたし……嬉しくなんかない!」
「蘭……顔を見せて……」
「嫌!こんな顔、見られたくない……!」
「蘭は笑顔が一番だけど、どんな表情しててもオレは好きだよ……」
「だって……だって……」
やや強引に蘭の手を掴んで横にどけると、蘭は逆らわなかった。
オレは蘭の涙を唇で拭い、最後に唇を重ねた。
ようやく蘭が目を開ける。
泣いた後で目が赤くなっていたが、もうあの昏い色は見えない。
オレはゆるゆると腰を動かし始めた。
身も心も結ばれた相手の中で動くのは、ものすごく気持ち良い。
蘭の中も、今までになく、オレのものを温かく優しく包み込み、締め付けてくる。
気持ちが通じ合ったことで、体にもこんなに変化が訪れるものなのか。
オレの律動はだんだん速く激しくなる。
「蘭……蘭……!」
「ああ……新一さん……新一さん……」
うわごとのようにお互いの名を呼びながら、オレたちは同時に果てた。
膜越しにだが、蘭の中に熱を吐き出した後、ややあってオレは蘭から出て、避妊具を処理した。
そして蘭を抱き込み、横になる。
蘭は愛と信頼に溢れた眼差しでこちらを見る。
ほんのり上気した顔はすごく色っぽくて、またもやオレのものは勃ちあがっていた。
蘭の唇に自らの唇を重ねる。
「蘭……」
「新一さん……」
「あのさ、蘭。新一って呼んでくれないか?」
「えっ!?」
蘭は目を見開いた。
そして……ちょっと逡巡した後。
案に相違して、頷いた。
「分かったわ、新一」
ああ。
説明をしなくても、蘭には通じたようだ。
オレたちは、どちらが上とか下とか、主と従とか、そういうものがない、愛し合う男と女、夫と妻だ。
「でも……ついクセで今まで通り呼んじゃうかも、だけど」
「それくらいは良いさ」
すると蘭は、オレの頬に手を当て、自ら唇を重ねてきた。
滅多にない蘭からの行動に、オレは嬉しくなってしまう。
「わたしね。昔、瑛佑君と婚約してたの」
「……ああ。そうらしいな」
「婚約が決まったのは、新一さん……新一と出会う前だったから、特に嫌でもなかった。嬉しかったわけでもないけど……」
「ああ……」
「でも。新一と出会った後……新一と恋人同士なれるとかなんて期待してはなかったけど……その婚約が疎ましいものになったの……」
「蘭……?」
「だから。お父さんの借金のことで、婚約破棄になった時、実はホッとしたの。これでわたしは、新一以外の人に、触れられずに済むって思って……」
オレは、ようやく悟った。
蘭は別に貞淑なわけではない。
ただ、惚れた男以外の男から触れられるのが嫌なだけ、だったのだ。
「お父さんは借金抱えて、お母さんと本当に離婚して家族を守ろうとか考えてて……なのにわたしは……ああこれで自由なんだって……誰とも結婚しなくて良いんだって……思ったの……」
「そっか」
蘭がオレにすり寄り、オレは蘭の頭を撫でた。
「せ、関内さんに、愛人の申し出を受けた時……これは、自分のことしか考えてなかったわたしへの罰だったんじゃないかって……」
「そんなことは!今の自由恋愛の世の中で、好きでもない男と結婚したくない、触れられたくないってのは、当然の気持ちじゃないか」
「でも、わたし……」
「オメーがオレのとこに来てくれて、助けを求めてくれて、本当に良かったと思うよ……オレは……こんなオジサンが、まだ高校生の蘭を求めてはいけないって、ブレーキが掛かっていたから……」
「……せめても、初体験は新一に捧げたいって思ってたけど、結婚しようって言ってもらって、怖い位、嬉しくて、幸せだった……」
「それは、オレの方もだ……だけどあの時、素直に自分の気持ちを伝えられなくて、ごめん……あの時蘭に対して並べたメリットは全部嘘だった……まあ、一つだけホントだったのは、オレの周りには、利権がらみでオレと縁続きになろうとする輩が多くて、ウンザリしていた、ってところかな?」
「新一さ……新一……」
「オレはさ。その……蘭に会うまでは女が欲しいって気持ちは全くなくて、結婚なんか絶対したくなかった」
「えっ!?」
「やろうと思えばできなくはなかったかもしれねえが……特に好きな相手が居ないときの男の性欲なんて排泄欲求みてえなもんだから、自己処理すれば済むし。好きでもない女を抱くとか、同じ寝床で寝るとか、一緒に暮らすとか……ぜってー無理だって思ってた……」
「あの……新一……まさか?」
「オメーに会って初めて、オレは『女を欲する』ってのがどういうことなのかを知った。夢や想像の中で、何度もお前を抱いた。けれど、実際にこの手に抱ける日が来るとは、思ってなかった……」
「そ、それは……わたしもだけど……」
「蘭。すまない。オレは……蘭と結婚できて、この腕に抱けて、蘭の初めてをもらって……そしたら独占欲が強まっちまって……辛い思いをさせた……」
「ううん。わたしが辛かったのは、新一さんの……新一の独占欲じゃない。わたしも、同じだよ。妻になれただけで、抱いてもらえるだけで、幸せと思っていたはずなのに、新一さんの気持ちが欲しくなってしまって……」
「……オレ達ってそこも似た者同士だったのかもな……」
オレは体を起こすと、蘭の首筋に唇を寄せた。
もちろん、服に隠れないところに印をつける気はない。
「あ……ん……新一……」
「蘭……蘭……」
お互いの気持ちが通じ合った今、蘭も、多少の恥じらいは残っているようだが、感じていることを隠そうともせず、声を上げる。
その妖艶な顔の中には、確かに幸せそうな表情が混じっている。
その晩は、お互いに飽くことなく何度も求め合い、最高に幸せな夜を過ごした。
契約としての結婚は終わり、本当の意味での二人の初夜だった。
☆☆☆
「らーん。遊びに来たわよん」
「園子!いらっしゃい」
蘭の親友が遊びに来た。
オレは今日は休暇を取って家にいる。
二人とも、お腹が大きい。
ほぼ同時期に妊娠したのだった。
ただし、蘭の妊娠は二度目で、オレとの最初の子が蘭の足元をちょろちょろしている。
蘭は昨年大学を卒業した。
大学3年の時に出産したため、1年休学しての卒業となった。
蘭は、オレが最初に予想していた通り、愛情深い母親になった。
そしてオレは……自分でも意外なことに子煩悩パパになった。
蘭への愛情は更に深くなっていて、蘭の方もオレをこよなく愛してくれているが、子どもへの愛はまた別なんだなと感じている。
園子嬢は、京極真という空手家の青年と結婚し、今は、鈴木財閥の跡取りとしての修行中だ。
蘭の友人としての彼女は、とても得難い人材だと思っている。
「蘭のとこの次の子は、女の子なんだって?」
「うん、まあ。確定じゃないけどね」
「そうなんだー。うちも女の子みたいなんだよね」
オレも蘭も一人っ子なので想像しかできないが、きっと息子は、生まれてくる妹をこよなく可愛がってくれるだろうと思う。
園子嬢や、大阪の探偵・服部平次の子どもたちと、良い交流が出来れば良いと思っている。
蘭は幼いころから園子嬢との交流があったが、オレには幼馴染といえる存在がなかった。
まあ、幼馴染が居なくても何とかなるものだが、幼い頃からの交流が長じても続くのもきっと良いものなのだろうと、蘭を見ていて思う。
蘭との結婚が契約から始まったこと、いつか子どもたちに語る日は来るだろうか?
という風なことをポロっと言ったら、園子嬢から
「子どもたち相手にのろける気?」
と呆れられてしまったが。
そ、そういう風な話ものろけになるものなのだろうか?
「きっと、子どもたちからは、お互いの気持ちがダダモレのくせに気付かなかったなんてアホだなあと思われるのがオチよ」
「へっ!?」
「そ、園子!?」
「だってさー。結婚式の時も、その後遊びに来た時も。ラブラブ熱々オーラで、目も当てられなかったわよ。蘭は自分が片想いだって言い張ってたけど、新一さんの熱いラブラブ視線に何で肝心の本人だけは気づかないかなーってカンジ?」
は、傍からはそう見られていたのか……。
「そ、それは、だって……」
蘭が頬を染めて目を泳がせる。
「ま、気づかぬは本人ばかりなり、ってね。契約結婚なんて思ってたのは、蘭と新一さんだけだったのよ」
そっか。
契約結婚だなんて思っていたのは、自分たちだけ……そうかもしれない。
瑛佑が蘭にけしからぬ振る舞いをしようとしたあの時、「分かった」と言ったのは、蘭とオレがお互いを想い合っていたことに遅ればせながら気が付いた、ということだったのか。
あの時期のことは、今も二人の傷として残っているが、傷はやがて癒えるだろう。
それに、悪いことばかりではなかった。
あの時期にお互いの想いは更に育ったのは確かだから。
オレは、ますます美しくなり母親としての慈愛に溢れた蘭の顔に見惚れる。
園子嬢が呆れた笑いを浮かべているのに気づかぬままに。
Fin.
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<後書き>
連載が終わり、契約も終わった後の、二人の「幸せな夜」を書きたくて書き始めた番外編。
で、今回は新一君サイドで書こうと思い。
で、せっかくなら、蘭ちゃんが知らなかった裏事情を書こうとしたら。
話が妙に長くなりました。
で、本編では敢えて触れなかったのですが、このお話でも新一君は蘭ちゃんを抱く前は童貞です。
まあ、そこは私の趣味嗜好なので、ご理解ください。
2020年11月22日脱稿
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