恋の風林火山



byドミ



(5)山・揺るぎないもの、譲れないもの



義父の虎田直信は、こちらを見ようとしなかった。
私は、その背中に向かって手をつき、頭を下げた。


「では、これでお暇申し上げます」
「・・・ああ」
「お義父様も、お元気で」
「父などと、呼ぶな。お前はもはや、虎田家とは何の関係もないのだ」


ゴタゴタしていた虎田家と龍尾家も、ようやく平穏な日々を取り戻した頃。
私は、旧姓に戻り、虎田家を離れる事になった。

息子2人を相次いで失い、その実行犯が妻の達栄さんであったと知った、直信義父は、一回り小さくなってしまったように見えた。
私は、それを見捨てて、この家を離れる。
だから、義父から「虎田家とは何の関係もない」と言われてしまっても、仕方のない事だ。


長い夫婦生活の果て、いつかは、義郎と愛し合えるようになると思っていた。
そしていつか、義郎の子を産み、虎田家の嫁として、骨を埋める筈だった。

けれど、亡くなった義郎への想いや虎田家への想いを遙かに超えて、私の心は今も、彼の元にある。


突然、義父がこちらを振り返った。
その表情が、慈愛に満ちたものだったので、私は驚く。


「由衣さん。義郎は、幼い頃から、叶わぬ想いと知りながら、アンタの事をずっと好いていた。あの子の人生の終わりに、幸せを与えてくれたのは、アンタだよ。アンタが、どういう積りで義郎に嫁いで来たのであれ、ワシはアンタに感謝しとる」
「お、お義父様・・・」

私の目から、涙が溢れた。
まさか、そう言う風に言って貰えるとは、思わなかった。

「義郎は、竜巻という天災で命を落としたにしても。繁次、甲斐巡査、龍尾家の康司君と景君の妻の綾華さんが、命を落としたのは。ワシが、あの姦婦の正体を見抜けず、後添いになどしたからだ!」
「お、お義父様。善良な人は、悪意の人の裏を見抜く事など、出来はしません。だから・・・」
「慰めてくれるのは、分かるが。ワシは、自分で自分が許せんのじゃよ!」
「お義父様・・・」
「アンタには、本当に感謝しとる。義郎の最期の時期に幸せを与えてくれた事もだが。あの子達の無実と無念を晴らしてくれた事、どれだけ感謝しても足りない」

義父の目にも、涙が光っていた。
私は、短期間でも、この人を義父と呼べて、幸せだったと、思った。

「これからは。アンタ自身の幸せを考えてくれ。きっと、義郎もそれを願っとるよ」
「はい!短い間ですが、お世話になりました。ありがとうございます」
「こちらこそ、世話になった。本当にありがとう」


直信義父は、当たり前だが、とっくに達栄さんとは離婚をした。
この先、たった1人で、どうするのだろう?

けれど、それは既に、私には「心配する資格もない」事だった。


   ☆☆☆


「うーむ、相変わらず不味いコーヒーだ」

そう言って、デカ長は、私が淹れたコーヒーを嬉しそうに啜る。
私は、長野県警に復職し、何事もなかったかのように、昔と変わらず仕事をしている。

皆も、あえて歓迎してくれるでもなく、まるで私がずっとそこに居たかのように接してくれる。
忙しく飛び回る中で、感傷にふけっている暇もない。


でも、全く昔と同じでは、ない。
敢助は、同僚としての私には、前と全く変わりなく過ごしてくれるけれど。

プライベートで私と一緒に過ごそうとは、しなかった。


理由や事情がどうであれ、私は、一旦嫁いで、この身を他の男に任せた女。
もう、女性として彼の傍に居たいと望むのは、許されない事なのだろうか?


日々は流れて行く。
私は、自分の決意が、段々萎みそうになるのを、感じていた。



空が高くなり、ふと風に涼しさを感じ始めた、お彼岸の中日に。
私は、1人で、甲斐さんの墓参りに行った。

敢助を誘ったら、勿論一緒に行ってくれただろうが、私は今回、1人で向き合いたかったのだ。
墓には、すでに花束がいくつも手向けられていた。
きっと、敢助も、私より先にここに来たのだろう。



「甲斐さん。事件は解決したよ。残念ながら、連続殺人の完全阻止は出来なかったけど・・・」

私の目から涙が零れ落ちた。

とにかく私は、生きている。
ここ数年間は、甲斐さんの事件を解決する事が目標みたいになってしまったけど、一応その目的を果たしてもなお、今ここにこうして生きている。
これからも、警察官として、弱者と正義を守る為に、精一杯、生きて行こう。


ただ。
人生の目標は、今からまだいくらでもやり直しが利くが。
女としての私は、どうやって行けば良いのだろう?


『こら、由衣、泣くな。きちんと敢助にぶつかって見ろ。泣くのは、本気で失恋した時で、遅くないぞ』

ふっと、甲斐さんの声が聞こえたような気がした。

「うん。私、頑張るね」


次いで私は、虎田家の墓に向かった。
そこにも既に、花が添えられ、線香が燃えていた。

近寄ろうとした私は、先客がいるのに気付いて目を見張った。

『敢助?何故、ここに?』

彼も、甲斐さんの墓参りの後、こちらに寄ったのだろうか?
でも、何故?

彼が、気配を感じてか、振り向いた。
隠れる余裕もなかった。


「上原」
「は、はい!」
「旦那の墓参りに来たんだろ?何を遠慮してる?」

私は仕方なく、敢助に並んで、お墓に参る。
墓石に手を合わせながら、私の胸は罪悪感でいっぱいだ。

だって。
今の私の心には、義郎の事が殆どないのだもの。

『あなた。ごめんなさい、ごめんなさい』

まだ、義郎が死んで間もないと言うのに。
私の心は、既に敢助で占められている。

どれだけ心の内で謝っても、義郎は、何も答えてはくれない。


私が立ちあがると。

「じゃあ、行こうか、上原」

敢助に声を掛けられた。
今はプライベートな時間なのに、もう、由衣とは呼んでくれないのね。

私の胸は、締め付けられるように痛んだ。

バカね。
他の男に一旦嫁入った身で、今更何を。
私は、ちょっとでもムシの良い事を考えてしまった自分を恥じていた。

『甲斐さん。私、やっぱり、無理みたい・・・』


「・・・え原」
「えっ!?」

ふと気付くと、敢助がこちらをじっと見詰めていた。

「聞いてなかったのか?さっきから何度も読んだのに」
「あ・・・ご、ごめんなさい・・・」
「お前、明日も非番だったな」
「え、ええ・・・」

多分、色々あった私に配慮してくれたのだろう。
お墓参りにも行きやすいようにと、今日と明日連続して、休みを貰っていた。
そう言えば、敢助も確か今日と明日が非番だった筈。

敢助が、私を真剣な眼差しで見詰めて、言った。


「今夜、ここの近くに、宿を予約してある」
「え・・・?」


私は、敢助の言った意味が、暫く分からなかった。


(6)に続く


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<後書き>

名探偵コナン原作において。

新蘭はまだ高校生だから、まだしも分かるけど。
お互いイイ歳で、長い付き合いで、それでも「キチンと恋人同士になってない」、「女をどれだけ待たせりゃ気が済むんだ」な「恋人未満」な2人が、最近やたらと目につきます。

御大も歳とったなあと、思ってしまうのは、こういうゲストキャラで感じます。
コナンは10年を超えて、まだまだ終わりそうもないですものね。
御大も歳とる筈だ。読者である私達もですが(苦笑)。


原作では、由衣さんが長野県警に戻るという部分だけがハッキリしていて、2人の長い恋に関しては、まだこれから。って感じだったんですけど。
やっぱりねえ。大和刑事に、男を見せてほしいなあと、思っちゃう訳なんですね。


この第5話の前半部分、これも捏造ですけど。
全てを失った虎田氏と、虎田家を離れる由衣さんとの間に、こんな風な会話が交わされてたら良いなという、願望です。

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