恋の風林火山



byドミ



(2)林・静かに少しずつ、愛を育む



「由衣・・・初めてだったんだね・・・」

義郎が、私を優しく抱き締めて、そう言った。

「・・・こんな年にもなって、経験なしなんて、引いたかしら?」
「とんでもない!君は魅力的だし、ただ、身持ちを固くしていただけだって、よく分かるよ。俺は嬉しいんだ。君を妻に出来ただけでも、とても幸せだけど。君の過去は、全て受け入れる積りだったけど。まさか、純潔までも貰えるとは思わなかった」
「義郎・・・」

私は、奇異な思いを抱いて、義郎を見詰めた。
彼からは、何度もアプローチされ、プロポーズも受けていたけれど。
正直言って眼中になかったから、彼の気持ちの事など、考えた事もなかった。

「君は、身も心も、大和刑事のものだと思っていた。でも、諦めきれなかった。今でも、君の心は、彼にあるだろう?」
「よ、義郎!私は!」
「すぐに忘れろとは、言わないよ。時間をかけて、少しずつ、思い出にして行けば良い。君の気持ちが、俺に向くように、俺も頑張るから」

義郎の優しい眼差しに、私は、今更ながら、彼が本当に私を愛してくれているのだと、感じていた。

私は、甲斐さんの事件の真相を暴く為に、この人の妻になったのだけれど。
一応、夫婦になるという事がどういう事なのか、考えてなかった訳ではないけれど。
そうよね、敢助はもういないし、私はこの人の妻になった。
もし、この人が、あの事件の「犯人」でなければ、私はずっと、この人と生きて行くんだわ・・・。


義郎の唇が、私の唇を覆った。
その感覚にも、まだ慣れなくて戸惑う。

義郎が再び私を求めて来る。
彼の熱さに比べ、私は冷めていたけれど。
それでも、さっきよりは少しだけ、彼のぬくもりを感じたような、気がした。


   ☆☆☆


義郎の妻として、虎田家に入り込んだ事で、警察官としてでは分からなかった色々な事が、見えて来るようになった。
その1つが、虎田家龍尾家の関係である。

両家は、何となく、いがみ合ったままなのだが。
若い世代の者達は、むしろ、仲が良い。
養子である者もそうじゃない者も含めて、4人で結束しているという感じだ。
そして、その輪の中に、景さんの妻である綾華さんも入っている。

いや・・・輪ではない。
龍尾家の景さんを頂点として、それに心酔している4人といった感じか?

私の夫となった義郎も、景さんの事は本当に大好きで、尊敬しているようだった。

見ている内に段々と、4人にとっての景さんは、私と敢助にとっての甲斐さんみたいな存在らしいと、分かって来た。


義郎が、舅である直信さんの甥(姉の子)であった事は、知っていたが。
お義父さんの血を分けた息子である、繁次さんは、前妻の子で。
お義母さんの達栄さんは、お義父さんの後添えである事も、分かった。


龍尾家の景さんは、色々な意味で、文句なく素晴らしい人だ。
亡き甲斐さんと肩を並べられる、流鏑馬の腕前もだが。
人格的にも、両家の人達から慕われるのが、よく分かる。

そして、甲斐さんは、その景さんからも、崇められ慕われる、素晴らしい人だったのだ。


私が景さんを褒めると、義郎も嬉しそうな顔をした。
ただ、「でも、景さんは妻持ちだし、君は俺の妻だからね」と付け加えるのを忘れなかったが。

虎田家の義郎も、繁次さんも。
龍尾家のもう1人の息子康司さんも、景さんの妻である綾華さんも。
皆、景さんを慕っている。

彼らは善良で、「意志を持って」人殺しをするような人達ではない。
ただ、「不覚にも、殺す結果となってしまい、罪の意識に震えている」可能性はあると思っていたし。
夫の義郎を見ていて、最初は「やはりそうだったか」と思っていたけれど。


少しずつ、事件の真相は違うところにあるのではないかという気が、して来た。


   ☆☆☆


「ん・・・あっ・・・ああっ・・・!」
「由衣・・・由衣!」

義郎と、肌を重ねる夜を幾度も過ごして。
私の体も、快楽とは程遠いが、それなりの反応を示すようになって来た。

最初の時のような、厭わしさや苦痛は、なくなって。
少しずつ、肌の温もりと優しさを感じるようになって来た。


事件の真相を知るという目的を、忘れてはいない。
でも、全てが終わったその後は。

私は、少しずつ敢助への想いを、思い出に変えて。
この人との間に、夫婦としての愛情を育んで行って。
穏やかに生きて行けるだろう。


義郎に抱かれながら、私の閉じた瞼の裏に浮かぶのは、やっぱりまだ、敢助の面影だけれど。
いつか、いつの日か、私は多分、義郎を愛せるようになるだろう。




「音が・・・光が・・・逃げろ!」

「あなた?」

夜半、私は、義郎の声に目覚めた。
また、あの寝言だ。

夫は夜中、時々うなされて、同じ寝言を繰り返している。


夫の心に、何か強く引っ掛かっているものが、あるのだろう。
それは、甲斐さんの事件と関係ある事なのではないかと、私は考えるようになっていた。



敢助が居なくなってから半年。
私が、義郎に嫁いでから、5か月。

私にとって、大きな歓びと深い絶望とをもたらす知らせが、届いた。
そしてそれは、忌まわしい連続殺人事件の、前兆でもあったのだ。


(3)に続く


+++++++++++++++++++


<後書き>

理由はどうあれ、一旦嫁いだからには。
義郎さんと向き合おう、夫婦として寄り添って生きて行こう、この人を愛して行こう、由衣さんはそう考えただろうと、思うのですよ。

運命の悪戯が、それを許しませんでしたが。

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