血よりも深く



byドミ



(5)決着



蘭は、高梨に別れを告げる決意を、固めていた。

申し訳ないとは、思っている。
新一への想いを断ちきる為に利用しようとして、結局、自分の想いが変わる事がない上に、「新一の為に」誰かと付き合おうとしたのが間違いだったと理解して、今、別れを告げようというのだ。

ワガママで自分勝手だとは思った。
けれど、どうしようもない。
誠意を尽くして、謝るしかないと、蘭は考えていた。


ただ。
いつ、どういう風に切り出したものか。
蘭は、迷っていた。


明日は、授業が休み(ただし、部活はある)という、金曜の夕方。
何もなければ新一はいつも、図書室などで過ごし、蘭の部活が終わるのを待っていてくれるのだが。

「事件で呼ばれたから。行って来る」
「うん。行ってらっしゃい」
「今夜は、遅くなりそうな気がする。しっかり戸締りして置けよ?」
「もー。新一、わたし、子供じゃないんだから」
「子供じゃねえから、心配なんだよ」
「え……?」
「いや。行って来る。留守を頼むな」


蘭は、笑顔で新一を見送る。
今夜、疲れて帰ってくるだろう新一の為に、腕を奮おう、そう思いながら。


蘭が部活を終えて外に出ると、そこには、高梨が待っていた。

「やあ」
「高梨君?どうしたの?」
「そろそろ、部活が終わる頃だろうと思って、待ってた。一緒に帰ろう」
「う、うん……」

蘭はまだ、高梨に「別れ」を告げていない。
一緒に帰るのを断る口実もなく、蘭はしぶしぶと頷く。

「明日は、学校休みだし。帰り、どこか寄って行かないか?」
「……ごめんなさい。わたし、早く帰ってご飯作らないと」
「工藤さ。兄貴と2人暮らしなんだろ?それに、今日、お前の兄貴、事件で呼ばれて、遅くなるらしいじゃん?あんま甘やかさないでさ、たまには外食なりコンビニ弁当なり、させたら良いんだよ」
「ダメ。だって、探偵は体が資本なんだもん。それに、遅くなりそうって言ったけど、事件が早く解決したら、早く帰ってくるかもしれないもん」

高梨は、蘭をちらりと見ると、忌々しそうに溜息をついた。
蘭は高梨にどういう風に「別れ」を言い出したものか、逡巡する。
そうこうしている内に、工藤邸に着いた。


「送ってくれて、ありがとう……それじゃ」

玄関先で「恋人終結宣言」を行う訳にも行かず。
蘭は、高梨に頭を下げて、家に入ろうとした。

すると、高梨に腕を掴まれる。

「せっかく送って来たのに、お茶の一杯も出してくれないワケ?」
「え……あの……」
「オレんち、工藤の家とは反対方向だから……これからまた、長い道を帰らなきゃならないんだよねえ」
「高梨君?」
「喉、乾いちまったなあ」

蘭は、逡巡する。
新一がいない時に、高梨を家にあげて2人きりになるのは、何となく嫌だった。

「それとも、警戒してる?取って食いやしないよ。今迄だって、工藤が嫌がる事、無理強いした事、ないだろ?」
「……そうね。わたしも、話したい事があるし。ちょっと上がって?」

蘭はそう言って、高梨を招き入れた。
高梨がほくそ笑んでいる事に、全く気付かないまま。


高梨をリビングに通した蘭は、キッチンに引っ込んだ。
まず、お米を研いで炊飯器をセットした。
そして、コーヒーを淹れてリビングに運んで行った。

いつも新一が飲んでいるものと同じコーヒーだが、淹れ方がいつもよりおざなりだったのは、仕方あるまい。


高梨の前にコーヒーを置き、高梨が口をつけた所で、蘭はおもむろに、頭を下げた。


「ごめんなさい!」
「工藤?」
「わたし……高梨君の事、いずれ好きになるかもしれないって、頑張ってみたけど。無理でした。だから、お別れしましょう」
「な……何だって……?」
「ごめんなさい!本当に悪かったと思うけど。もう、これ以上は無理だから……」
「勝手な事、言うなよ!」

高梨がテーブルをバンと叩いて立ち上がった。

蘭は、高梨が怒っても仕方がないと思っていたので、ただただ、頭を下げる。

「勝手なのはわかってる。ワガママなのは、わかってるの。でも、ごめんなさい……」


ソファーから立ちあがった高梨は、蘭の前までやって来た。
怒りの為か、握った拳がブルブル震えている。
高梨の手が伸ばされ、蘭は一瞬、殴られる事を覚悟して、身をこわばらせ、目をつぶった。

しかし、高梨の手は、蘭を強い力で抱きすくめて来た。
蘭は全身が嫌悪感で震えた。

「や!離して!」
「離さない!工藤が……蘭が好きだ、好きなんだ!」

高梨が蘭に顔を寄せてくるのを、必死で拒む。
頬に手を当ててこちらを振り向かせようとする、その手の感触が気持ち悪い。
背中と腰を這い回る手の感触が気持ち悪い。
新一以外の男から、「蘭」と呼ばれるのが気持ち悪い。

「やめて!イヤッ!」

蘭が暴れて叫んでも、高梨の動きは止まるどころか、ますます強い力で蘭を押さえつけようとしてくる。
蘭は本格的に恐怖感を覚え始めた。

こうやって服越しに触れられるだけでも気持ち悪い。
高梨は大丈夫だと、信頼出来ると踏んで、部屋に入れた筈だったのに、こんな事になるなんて。
蘭は激しく後悔していた。

「イヤ〜ッ!!新一、新一ぃ!!」

蘭は、今家に居ない筈の、最愛の人の名を呼んだ。
高梨が激昂して蘭をソファーに押し倒す。

「何、他の男の名を呼んでんだよ?誰も来やしないよ。ここに入れたのは、お前だろ!?男を家にあげるのがどういう意味か、解ってない訳じゃないだろう?何、今更、カマトトぶってんだよ!!」

逃げ場がない状態で。
高梨の顔が近づいて来て。
蘭は、素人相手だという事も頭から消えて、思わず、思いっきり蹴り技をかけてしまっていた。


「ぐあ……っ!」


高梨が足を押さえてうずくまった。
蘭はソファーに抑え込まれるような形だった為、反動がつけられず、全力での技が掛けられなかったのは、むしろ幸いだったと言えるかもしれない。

「た、高梨君……!」
「工藤……お前、よくも……!」

顔を上げた高梨の唇の端から血が滲み、恨みのこもった目で蘭を睨みつける。
そして、じりじりと近付いて来ようとした。

「お願い、来ないで!わたし、今、手加減出来ない!」

蘭は思わず叫んでしまっていた。
体が震える。
触れられたくない、生理的嫌悪感は、どうしようもない。

「どこまで、勝手なヤツなんだよ……」
「嫌あ、来ないで!」

蘭が叫び、構えを取る。
高梨は、唇の端を上げて、蘭に近付いて来る。
蘭は空手の有段者、素人相手に技をかけるのがためらわれる事は、彼も、分かっているのだ。

蘭は拳が震えたが。
それでも、高梨が無理強いをして来るなら、技をかけるしかないと覚悟を決める。


次の瞬間、リビングのドアが開き、飛んで来たモノが高梨の頭に当たって、高梨は吹っ飛んだ。
高梨に当たった後、床に転がったのは、サッカーボールだった。

「人んちで、勝手な事やってんじゃねえ!」

ここには居ない筈の人物の、怒りに燃えた声を聞き。
蘭はドアの所に立っている人影を見つけ、涙腺が緩んだ。

「新一ぃ……」

出かけている筈の新一が、そこに立っていたのだった。
新一が蘭を守るように、床に転がった高梨と蘭の間に立ちはだかり。
蘭はその背中を見ると、すごく安心でき、思わず取り縋ってしまった。
新一は、自分に取り縋った蘭の手を、安心させるように軽くポンポンと叩いた後、握り締めて来た。


高梨は起き上がると、憎々しげに新一を睨みつけて言った。

「何なんだよ!新一、お前、留守だったんじゃないのか!?」
「……事件が早く解決したから、帰って来たんだよ。まさか帰宅してからまで、妹が男に襲われている現場に遭遇するとは思わなかったぜ」
「あのな!工藤がオレを家に入れてくれたんだ。受け容れてくれたんだって思うだろうが。それに、オレたちは付き合ってんだ、エッチ位当たり前だろ!?」
「何が、当たり前だ。蘭は嫌がって拒んでただろうが。オレが居ない家に蘭がオメーを入れたからって、OKサインだと思うのはオメーの勝手な勘違いだし。高校生の付き合いだからってエッチありが当たり前というのは、オメーの勝手な言い分だ。欲望を愛情と混同するんじゃねえよ」

新一の表情は蘭からは見えなかったが。
言葉と声がとても冷静なのに、その中に大きな怒りが含まれている事に、蘭は気付いていた。

「オレのこのケガ、見てみろよ。工藤にやられたんだぜ。空手の有段者が素人を襲ったら、正当防衛取られない事位、知ってるよな?まして、新一、アンタがオレにボールをぶつけたのは、完全に傷害罪だろう!」
「蘭は、高梨、お前の事を、紳士的な男だと評していた。家に入れたら襲われるなんて、まさか想像もしてなかっただろう。貞操を守る為に思わず手を出したのを、過剰防衛とは言わせねえぜ。訴えたいんなら訴えたら良い。オレは全力で蘭を守る」

新一が、蘭を背後に庇いながら、言った。

「お前ら、おかしいぜ!兄妹のクセに、ホントは出来てんじゃないのか!?」

高梨のやけになったような物言いに、蘭は息を呑む。
高梨の指摘は、ある意味正しい。
蘭が新一へ、ずっとずっと想いを寄せていた事は、確かなのだから。

新一は全く動じる様子なく、冷静に答えた。

「兄が妹を守る事の、どこがおかしい?蘭が切羽詰った時に、兄であるオレを呼ぶ事の、どこがおかしい?オレは今、父さんから留守を預かっている身で、工藤家の家長の立場にある。オレは蘭の兄であり、同時に父親でもあんだよ。危急の時に、蘭がオレを呼ぶのは当然だし、オレが助けに入るのも、当たり前だろうが」

新一が高梨に近付き、ゆっくりと屈み込む。

「もしオメーが、蘭に関する事で、学校ででもどこででも、下らねえ話を誰かにしようと思うんなら。オレも、容赦しねえ。そん時は徹底的に、オメーを追い詰めてやっから、覚悟しとけ!」

それまでふてぶてしく挑戦的な態度だった高梨だが、殺人犯さえも怯ませる新一の強い眼差しを受けてか、その目に怯えた色が浮かび。
立ち上がると、ドアを開けて駆け出して行った。


新一は、一旦玄関まで行き、鍵をかけ。
そして、蘭の居るリビングまで戻って来た。

新一が蘭に近寄る。
もうさっきのようなピリピリした空気はまとっておらず、いつものような優しい眼差しで、蘭を見ている。

新一がソファーに腰掛けて、そっと蘭の頬を撫でた。

「蘭、大丈夫か?」
「う、うん……」

新一に撫でられた頬が熱い。

新一に触れられるのは、安心出来るし心地良い。
これ程気持ちのベクトルが新一にしか向いていないのに、他の男性と付き合う事で新一を忘れようなんて、いずれは本当の恋人同士になろうなんて、土台無理な話だったのだ。

「前に、言ったろ?オレらの年齢の男は、密室で女と2人きりになるとどうなっちまうのか。この次は、蘭に覚悟が決まるまで、家に上げるんじゃねえぞ」
「うん……ごめん……男の人が本当に怖いなんて思ってなかった。見くびってた」

蘭は、新一の忠告を聞かなかった自分に対して、自己嫌悪に陥っていた。

蘭が新一に縋りつくと、新一が優しく抱き締めてくれる。
頬擦りして、髪を撫でてくれる、その優しい感触が嬉しくて……切ない。

「新一……」
「ん?何だ?」
「わたしね……誰か男の人と、お付き合いするなんて、無理かも」

蘭の髪をゆっくり優しく撫でていた新一の手の動きが止まる。

「蘭?」
「男の人って苦手で。触られるなんて我慢出来なくて。でも、このままじゃいけないって思って……だから、高梨君が告白して来た時、お付き合いしてみようって思ったんだけど……やっぱり、触られたら気持ち悪いだけで……」
「だからさ。蘭、何でそう……焦るんだよ?本気で好きなヤツが出来るまで、無理してお付き合いなんか、しなきゃ良いじゃんか」
「だって……」
「オレ達は、もう高校生だ。付き合ったら絶対、体の関係を求めて来る。それに耐えられるような相手じゃなきゃ、最初から付き合ったりするなよ!」
「…………」
「オメーが何を考えているのか、何を悩んでいるのか、オレには分からない。けど。蘭を傷付けるヤツに、オレは容赦しねえ!たとえ……たとえそれが、蘭自身であったとしても!」
「えっ……?」

蘭が驚いて顔を上げる。
新一が、今迄見た事がないような険しい眼差しで、真っ直ぐ蘭を見ていた。

「そんな事、ぜってー許さねえから!」
「…………!」


そうか。
高梨との事は、自分で自分を粗末にするような事、だったんだ。
蘭は、ようやくその事に気付く。

何をバカな事を考えていたのだろう。
蘭が、自分を粗末にする事、自分自身を傷付ける事、それは新一も、工藤の両親も、絶対に望んでいる事ではないのに。


蘭は新一の胸に顔を埋めて、言った。


「ごめん……ごめんなさい……わたし、わたしね……わたしがいる所為で、新一に恋人が出来ないんじゃないか、お嫁さんの来てがないんじゃないかって……それにいつかは、結婚して工藤邸を出て行かなきゃって……」
「蘭。オメー、どうしてそんな……下らねえ事、考えるんだよ!?」
「下らない事って……だって……!」

蘭は、また顔を上げ、言葉に詰まって、涙がボロボロと零れ落ちた。

「いや、その、だから!蘭が、本当に好きな男が出来てってんなら、オレも何も言わねえけど!好きでもないヤツと恋人同士になるってのが、どうして、オレの為だなんて、そんな事を考えんだよ!?」
「うん……ごめん……それは、わたしが間違ってたって、分かったから……」

蘭は、再び新一の胸に顔を埋めて、シャツをきゅうっと握った。

「蘭が、嫁に行きたい相手が出来なければ、ずっとうちに居ればイイ。オレの事は、恋人が出来ようが出来まいが、それがオレの甲斐性なんだから、蘭が気に病む事は何もない。前にも言っただろ、蘭はうちの娘なんだから、変な遠慮はするなって」
「そうじゃないの。そういう事じゃないの……」

蘭の言葉に、新一は戸惑っているようだったが。
蘭にはどうしても、新一にも他の誰にも、言えないのだ。
自分が「兄」である新一に、恋をしているなんて。
その想いをどうにか、吹っ切ろうとしていたなんて。


けれど。

『わたしは、新一が好き。その気持ちに、これから先、嘘はつかない。何度も、死ぬほど辛い想いをするかもしれないけど、それでもわたし……』

生涯、お嫁には行かなくたっていい。
もし、新一の生活に邪魔になる事があったら、その時は1人暮らしをしよう。

その為にも、頑張って就職しなきゃ。
蘭は、秘かに心に誓った。


でも、今は。
新一が拒まないのなら、精一杯、新一の腕の中で甘えていよう。
いつか、新一に恋人が出来る、その日まで。



(6)に続く



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この部分は、このお話を考えた最初の頃からあって、でも、なかなか納得いく形に落ち着いてくれなくて、随分難産でした。
蘭ちゃんが、「男性とお付き合いするとは、どういう事なのか」ってことと、向き合わないといけない部分です。

ここら辺、賛否両論ありましょうが……わたしは、新一君の場合、どういう場合でも他の女性と「お付き合い」する事はないと、思っています。
でも、蘭ちゃんだとね。多分、場合によっては、有り得るかなと。
他の男に心揺らぐかもとか、そういう意味では、ないですよ。ただ、「わたしさえ我慢すれば」と思い込んでしまう可能性は、あるんじゃないかなーって。

実は、サブタイトルにも、悩みました。
最初は「決別」にしようかとも思ってたんですが、それだと、蘭ちゃんとオリキャラ君との間に、逆に強い絆があるかのようになってしまい、それは違ーう!と。

新一君と蘭ちゃんの視点から見ると、高梨ってとんでもないヤツですが、実際のところは、そこまで悪いヤツって訳ではない。
まあ、惚れた相手が悪かった、お気の毒様、ってところかな?

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