血よりも深く



byドミ



(3)歪み



中庭での、女子達の会話を聞いた後も。
蘭に追い打ちをかけるような噂話を、聞く事になった。


中学時代の友達と久し振りに会って、園子と三人でお茶した時の事である。


「ねえねえ、わたし達が1年の時さ、生徒会長だった内田先輩が、1年坊主に告白されて振ったって噂、あったじゃない?」
「そういえば、そんな噂、あったわねえ」
「え?そうだったの?」

したり顔で頷く園子と、キョトンとする蘭。
蘭は、園子に比べたら、噂話の類には疎いのだ。

「実はさ。最近聞いた話じゃ、それ、工藤君だったっていうんだよねー」
「えっ!?」

蘭は、驚きのあまり、飲み物を吹き出しそうになった。

「えー!?新一君があ?有り得ないでしょ、だって彼、全然、女に興味ナッシングなんだしさあ」
「でも、それって、内田先輩に振られたって苦い体験があったからかも、しれないじゃない?」

蘭の顔から血の気が引く。
一緒に住んでいるのに、全然、気付かなかった。
新一が誰かに、恋をしていたなんて。

「うーん。まあ確かに、ヤツも今では高校生探偵とかでもてはやされるし。やめちゃったサッカーも、超高校級とか、言われてたけど。中坊でまだ1年の頃なら、子供だし、サッカーだってまだまだだったろうし、高嶺の花の内田先輩から振られても、そりゃ、仕方なかったかもねえ」

園子は、そういう風に言ったけれど。
蘭は、「もしかしたら、内田先輩は、新一がわたしのような大きなコブつきだから、そんなシスコンは嫌って、振ったんじゃないかしら」と、勘繰ってしまっていた。

「蘭?どうしたの?固まっちゃって」
「あ……ううん……新一が恋してたなんて、全然、気付かなかったなあって思って……」
「うんまあ……兄弟の恋愛事情なんて、気付かなくて当たり前だって思うよ。うちだって、姉貴が恋人連れて来た時はビックリしたし〜」

蘭は必死で笑顔を取りつくろったが。
その後、何の話をしたかすら、覚えていない。



そんな風に。
少しずつ、色々な事が積み重なって。


蘭はこの先もずっと、新一への秘められた想いに殉ずる積りでいた筈なのだけれど。
少しずつ、少しずつ、「わたしが新一から離れなければ、迷惑をかける」と、思い込むようになって来た。

もし、新一にそういう話をしたら、笑って(あるいは怒って)否定するだろう。
「蘭はオレの大事な妹だ、工藤の大切な家族だ、変な遠慮なんかすんな!」
そう言うに決まっている。

園子にしても、基本的に蘭の味方だから、蘭が相談しても、
「蘭が迷惑なんて、そんな事、あるワケないじゃない!新一君の恋が上手くいかないとしたら、それは新一君の甲斐性がないだけだって!」
と、バッサリ切って捨てるだろう。


だからこそ蘭は、新一にも園子にも、何も言えず、相談出来ず。
自分の中だけで、悲壮な決意を固めていた。


「新一の事、死ぬ気で、諦めなきゃ……他の人と、お付き合いしなきゃ……」

新一でなければ、相手が誰であろうと同じ事。
性格が良い人の方がとすら、思えない。
だったら、次に交際申し込みして来た相手が誰であれ、受けよう。

蘭の決意は、そこまで至っていた。



「蘭?最近、顔色悪いぞ。大丈夫なのか?」
「う、うん……ちょっと寝不足かも。気をつける」
「蘭……」

朝食の席で新一が心配そうに蘭の顔を覗き込んで言ったけれど。
蘭は、新一から目を反らして、そう言った。



そして。
蘭が、決心した事を実行する日が、やって来た。

体育館の裏で、蘭に告白して来たのは、C組の男子・高梨だった。
蘭は、1回大きく息を吸った後、「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。



   ☆☆☆



数日後。
夕食の席で、新一が切り出した。


「蘭。C組の高梨と、付き合い始めたんだって?」

いずれ、話す積りだったのに、こんなに早く知られているとは。
蘭は驚きながら頷く。

実際は、高梨が新一に「お前の妹と付き合い始めたから、よろしく、お兄さん」と告げたからなのであるが。
蘭は、その事は知らない。

「あ……う、うん……」
「あいつの事が、好きなのか?」

新一が真直ぐに蘭の目を見詰めて尋ねて来た。
蘭は、新一に全て見透かされそうで、いたたまれない気持ちになる。

「まだ、良く分からない。……でも、好きになれるんじゃないかって……」
「そうか……。自分の気持ちが曖昧なうちは、一線を引いた付き合いをしろよ」
「え……?」

溜息をつきながら吐き出された新一の言葉が思いがけなくて、蘭は目を見開く。

「蘭は女だから分かんねえだろうけど。オレ達の年頃の男は、煩悩がすさまじい。油断すんじゃねえぞ」
「え……?煩悩?油断……?」
「イイ女を見ると、頭の中で、服を脱がしてたりする」
「ウソっ!そんな事……!」
「ホントだって。付き合うとなったら、エッチが出来るって期待してるヤツが殆どだよ」
「新一……でも、高梨君はそんな人じゃないよ」
「蘭。同年代の男の事は、蘭よりもオレの方が、よく分かってる。オメーに何かあったらオレは、留守を預かる身として親父達に顔向け出来ねえからよ」

蘭は目を伏せた。
新一は、同年代の男として高梨の事が分かると言いながら。
蘭が本当は、自分の血を分けた妹ではないと分かっているのに。
この家の中で2人きりで過ごしていても、蘭相手に微塵も「煩悩」がある様子を見せた事がなかった。

新一にとって自分はどこまでも、妹でしかない。
大切な守るべき存在と考えてくれてはいるものの、それはあくまで「家族として」のもの。


やっぱり、新一にとって蘭は、「女」ではないのだ。
新一の事を諦めよう、死ぬ気で諦めよう。
蘭はそう思った。

その決意と行動が、どれ程に、新一と自分自身とを傷つける事になるものか。
蘭には分かっていなかったのである。


とは言え。
蘭は、新一の「忠告」がなくても、今すぐ、高梨とどうこうなる積りはなかった。
いくら、新一を諦める為とは言え、まだ今は、他の男子と身体的接触を持つなど、我慢出来ない事は、自分でも分かっている。

告白して来た高梨は、さわやか好青年風で、蘭が嫌がるのに無理にという事はしないだろうと、蘭は踏んでいた。


高校生の今、お付き合いをするのは、新一から離れる為。
新一を、蘭から自由にする為。

蘭が、男の人とのお付き合いに慣れて、もっと大人になったら、いつか、その時お付き合いしている相手と、体の関係に踏み込む決心がつくかもしれない。
もっとも、そういう決心がつく日が来るかなんて、全く、想像はつかなかったけれど。


『頑張らなきゃ。新一の為にも』

何故だか蘭は、新一以外の男性と、ホントの恋人同士になれる事が、新一の為だと、思いこんでしまっていた。



   ☆☆☆


一方。
昼の弁当を食べている時。
蘭の親友である園子から、「言ってくれなかった」とむくれられた。

「ごめん。わたしからちゃんと言う積りだったんだけど」
「高梨君ってば、自慢げに振れ回ってたわよ」
「えっ!?やだ!そんなんじゃないのに!」
「……そんなんじゃないって?付き合ってんでしょ?」
「だ、だから……わたし、まだ、高梨君の事よく知らないから。お互いをもっとよく知るって所から、始めようって……」
「ふうん?彼は随分舞い上がっているようだけど、温度差、ありそうねえ」

園子は、妙に真面目な顔で言った。

「ねえ、蘭。好きになれそうかなとか、軽いノリで、お付き合いするってのは、ありだって、わたしは思ってるよ。でもさ。蘭に、それ、無理なんじゃないかって気がするんだけど」
「え?」

蘭は、真面目に蘭を見詰める園子の視線がどこか痛くて、思わず目を泳がせてしまう。

「だってさー。蘭、全然、楽しそうじゃないし。何と言うか……悲愴感漂わせて、無理してる、って感じ?」
「そ、そうかなあ」
「ねえ、蘭。前から思ってたんだけどさ……蘭って……」
「え?何、園子?」

蘭が聞き返すと、園子が突然、蘭の弁当箱から、卵焼きをひょいと摘み、パクっと口の中に入れた。

「あー!何すんのよ、園子!」
「……蘭。いつも料理上手な蘭だけどさあ。これはさすがに、分量間違えたんじゃない?」
「え……?」

卵焼きを口に入れた園子が、口をキュッとすぼませて言って。
蘭は慌てて、自分も卵焼きを口に入れる。

「しょっぱい……」
「やっぱ、心ここにあらずって感じじゃない?」
「た、たまたま、失敗しただけよ!」
「ふうん。まあ良いけど。高梨君にも、お弁当って、作ってあげてるの?」
「え……?そんな事、する筈ないでしょ……あ……!」

蘭が口を押さえる。

「新一……!」
「ああ。新一君はいつも、蘭と同じお弁当、食べてるんだもんね」
「どうしよう……新一の今日のお弁当、失敗作の卵焼き、沢山入ってるの!」

蘭は、弁当箱を慌ててしまい込むと、立ち上がり、教室を出て行った。

そして蘭は、屋上に向かった。
新一が時々、そこでご飯を食べている事を知っているからだ。

通常、高校生男子が、あまり他の生徒と「一緒に」ご飯を食べる事は多くない。
新一は、屋上や中庭やどこかで、1人でご飯を食べる事が殆どで。
ごくたまに、蘭と園子が押し掛けて、新一と一緒に弁当を広げる。


屋上には、それなりに生徒達がいたが、新一の姿は見えない。
蘭は、階段の屋根の上に、目を向けた。
下からは分からないが、新一がそこにいるような気がする。

その屋根の上は、本来、生徒達の立ち入りが出来ない。
作業などで昇る為の梯子段も、少し高い場所からついており、普通だったら昇れない。
しかし、新一は身軽なので、そういう場所に取り付いて上に昇る位、朝飯前なのである。


「新一!いる?」

蘭が声をかけると、はたして、屋上から新一が顔をのぞかせた。

「おう。蘭、どうしたんだよ?」
「お、お弁当は?」
「ああ。ごっそさん」
「た、食べちゃったの……?」
「全部、食ったぜ。何?」
「だ、だって……卵焼き……失敗してたでしょ?」
「あー。あれ……そっか、失敗だったのか」

新一はそこまで言うと、屋根の上から蘭の隣に、身軽にとび下りた。
そして蘭に、弁当箱を渡す。
蘭が開けてみると、それは空っぽだった。

「てっきり、そういう味付けなんだって思ってたよ」
「な……バカ!あんな失敗作、全部食べたりしちゃ、ダメじゃない!お腹壊しちゃうでしょ!」
「バーロ。蘭が作ってくれたものを残すなんて、んなバチ当たりな事、出来っかよ」

涙ぐむ蘭を、新一が抱き寄せる。

「……っ!ごめん……ごめんね……」
「泣くなよ、蘭。いっつも、オメーにばっか家事を押し付けるオレが、わりいんだから」
「この次は、埋め合わせに、うんと美味しいお弁当作るから!」
「ああ。楽しみにしてる」

そう言って、新一は蘭の頬に口付けた。



さて。
帝丹高校の屋上には、それなりの数の生徒達がたむろっており。
新一と蘭のやり取りは、多くの者が耳をダンボにして聞いていた。

そのほとんどは、2人が醸し出すラブラブな雰囲気に、妙にドギマギしてしまい、兄妹としてはいささか「仲が良過ぎ」「お互いへの気持ちが強過ぎ」なのではないかという感想を抱くに至った。
そして、その中に、実は、蘭の「交際相手」である高梨もいて、兄妹にしては仲が良過ぎる2人の様子を、苦々しげに見やっていた。


蘭の後を追って来た園子も、屋上への出入り口付近で、このやり取りを耳にしていて。
腕を組んで、じっと考え込んでいた。



   ☆☆☆



「工藤。今の映画、つまんなかった?」
(注:このお話では、男子は皆、蘭の事を、工藤と呼びます)
「え……?」

喫茶店で、ついつい、考え込んでいた蘭に、向かい側から声が掛かった。
蘭の向かいに座っているのは、高梨。
お付き合いを始めて1ヶ月が過ぎようというのに、蘭はいまだに、高梨と一緒の空間に馴染まない。


けれど、高梨はいつも紳士的で、蘭の事を思いやってくれているようで。
必要以上に接近しては来ないし、蘭は、段々と、肩の力が抜けるようにはなって来た。


それでも、高梨とのデートで、心は弾まない。
苦痛ではなくなって来たような気がするだけで、楽しみには出来ない。

そしてそれが、高梨に申し訳なくて、心苦しい。

「あ……ごめんね……気を遣わせて……映画、ちょっと、思っていたのとは違ってたみたい……」

蘭はやっと、それだけを言った。
実際に、詰まらないのは、高梨の向かい合わせでお茶をしている今の状況なのだが、さすがに蘭は、それを正直に言葉に出すほど、子どもではない。

新一と一緒だったら、大抵の映画は楽しめるし、その後、お茶をしている間、話は弾むのに。
けれど、高梨と付き合う事を決めたのは、蘭自身。
蘭は、強いて笑顔を作った。
それがまた、苦痛だった。



そして蘭は、高梨とデートをした日は、殊更に新一に甘えてしまう。
そういう事ではいけない、早く「兄離れ」しなければと思いながら、どうしても、新一の部屋へ足が向いてしまうのだ。

今日も蘭は、枕を持って新一の部屋に向かった。

「新一。今日、一緒に寝ても良い?」
「良いけど。……何?高梨と何かあったのか?」
「もお!何もないですよーだ!」

口をとがらせながら、蘭は新一のベッドに潜り込む。
新一は苦笑しながらも、いつも優しく受け止めてくれる。

軽く口付けられ、抱き締められて、優しく髪を撫でられる。


やっぱり、新一が好きだなと、蘭は思う。
けれど、いつまでも甘えていられないとも、同時に思う。


「わたしがいたら……新一、お嫁さん、もらえないよね……」
「ん?蘭?何か言ったか?」
「ううん。何でも。お休みなさい」
「ああ。おやすみ」


新一は、物ごころついた時からずっと一緒にいるけれど、いまだにドキドキする存在で。
けれど、同時に、心から安心して安らげる存在で。
蘭は、いつしか新一の腕の中で眠りにつく。


蘭が眠りに着いた後、新一が煩悩の深い溜息をついている事など、今の蘭には窺いしれない事だった。




(4)に続く



++++++++++++++++++++



蘭ちゃんが、新一君以外の男性とお付き合いするってパラレル、他でも書いた事がありますが、そちらは、「新一君と知り合う前」。
このお話では、蘭ちゃんは新一君と既に知り合い、恋心を抱きながらも、他の男性と付き合うという、私の中ではかなりタブーに近いお話です。

まあ、それには、蘭ちゃんなりの事情があるんですけども。

そして、園子ちゃんはどんな時でも、蘭ちゃんの味方です。


蘭ちゃんと「お付き合い」するオリキャラは、別パラレル話と同じ「高梨」君ですが、単に名前を考えるのが面倒くさかった……い、いや、思いつかなかっただけで、同一人物でもないし、多分、性格も違います。
基本的に、オリキャラは、あまり作り込まないようにしてます。……例外は、これまた別パラレルの鰐口氏くらいかな。そいつも、蘭ちゃんに心を寄せる男でしたが。


2人を苦しめて、本当に申し訳ないと思います。
が、苦しみの後には、2人の、より一層大きな幸せが来るので。
どうぞ宜しくお願いします。


ただ、このお話の場合、2人に襲い掛かる試練は、1つじゃないんですよね。
それでも決して揺らぐ事のない2人の絆を、感じ取っていただければ、幸いです。

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