血よりも深く



byドミ



(2)秘密の口付け



新一と蘭は、成田空港まで、両親を見送りに行った。
蘭は、有希子に抱きつき、涙ながらの別れだった。


2人が自宅に帰ると、広い工藤邸がますます広く感じてしまう。

「蘭……」

寂しげな横顔の蘭に、新一は何と声を掛けて良いか、戸惑ってしまった。
しかし、やがて蘭が振り返り、微笑んだ。

「ごめんね、新一。寂しくて心細いのは新一も一緒の筈なのに……」
「あ、や……オレは平気。男だしよ」

もしかしたら。
蘭には本当は、どこか無意識の領域で、実の親と離れてしまった時の感覚が残っていて、それで余計に、寂しさと心細さが強いのかもしれないと、新一は思った。

蘭が、新一に歩み寄り、甘えるように抱きついて来て、新一はしっかりと蘭を抱きしめ返した。

「オレが、ついてっから。何があっても、ずっとオメーの傍にいっから」
「うん……うん……」

新一は、蘭の顔をあげさせ、その唇にそっと、触れるだけの口付けをした。
そしてその晩、新一の部屋で、蘭は新一に抱き締められながら眠った。



   ☆☆☆



新一と蘭が小学低学年までは、2人の部屋は一緒だった。
一応、ベッドは2つあったが、1つのベッドで2人寄り添って眠る事が多かった。

「お父さん……お母さん……」

蘭が寝言で、親を呼んで涙を流す姿を、新一はよく見ていた。
蘭自身、目を覚ました時に、夢の記憶はなく、一体何故蘭が泣いているのか、新一には見当もつかなかった。


ずっと後になって、蘭には記憶にない筈の、蘭の実の両親が夢に現れていたのかもしれないと、新一は気付いたのであるが。



そして蘭は、時折、訳の分からない寂しさに胸締めつけられて泣き始め、なかなか寝付けない事があった。
新一は、いつも蘭をぎゅっと抱きしめて慰めていたけれど。
ある時、そっと蘭の唇に自分の唇を重ねて、蘭が安心してすうっと眠りについた事があり……それから、2人の口付けは、習慣になった。
蘭が辛い時寂しい時、何かが遭った時、新一が蘭に軽く口付けて慰めるのが、当たり前になった。


2人とも勿論、両親と、唇同士の口付けなどした事はない。

ただ。
2人ともそれを他の誰にも言わなかったし。
長じて来ると、「兄弟姉妹同士で唇同士のキスはしない」のが普通だと、分かって来たので。
なおさらに、それは「2人の秘め事」になっていた。


小学高学年になった時、広かった子ども部屋は区切られて、蘭と新一の部屋は別になった。
どこの家でも、ある程度の年頃になれば、男女で部屋は分かれるのが当たり前だったので、これについて新一と蘭は特別何も思わなかった。
ただ、さすがに、新一と蘭が一緒のベッドで眠る事は、この日を境に、減って行った。

そして、中学生ともなると、2人の間で、唇同士のキスが交わされる事は滅多になくなっていた。


けれど、優作と有希子とが渡米したその日から、2人の間では再び、ごく自然にキスが交わされるようになり。
特に、「お休みとおはようのキス」は、毎日欠かさず、行われるようになった。
そして、滅多な事ではなくなっていた筈の「同衾」も、復活した。
蘭は週に一度位は、新一の部屋で、新一に抱き締められながら眠るようになった。

勿論、ただ「抱き締められて眠る」だけで、それ以上の何がある訳でも、なかったけれど。
これもまた、「2人の秘め事」になっていたのであった。


新一は、ごく幼い頃から、自身の蘭への気持ちは「恋心」である自覚があった。
蘭をお嫁さんにしたいと思っていたが、兄妹では結婚できない事も、段々と分かって来た。
新一と蘭が「大人になったら結婚する〜」と言っても、今はまだ、周りの大人たちは、「あらあら、まだまだ子どもなのね、微笑ましい♪」と見てくれるけれど、いずれそうでなくなる事にも、気付いて行った。

だからこそ、早い内に、蘭が実の妹ではないと気付いたともいえる。
何しろ、「蘭が妹ではない」証拠を、必死に探していたのだから。


新一が両親に問い質した時、両親はあっさりと新一に、「蘭は実の娘ではなく、友人から預かった子ども」である事を認めた。
そして、新一と蘭の部屋が分けられたのは、その直後だった。


蘭の方は、新一に比べて、「自覚」は遅かった。
けれど、中学に上がった時に、工藤の両親から、実の娘ではないと聞かされて。

ショック以上に、新一の実の妹ではない事を喜んでいる自分自身に気付き、そこから、新一への恋心を自覚するに至った。
けれど同時に、新一から
「オメーは何があっても、オレの大事な妹だから」
と告げられて。

新一にとってはどこまでも、妹でしかないのだから、諦めなければと思うようにも、なったのだった。



   ☆☆☆



新一と蘭の、「兄妹」2人暮らしが、始まった。
友人達は皆、2人が実の兄妹と信じているので、「大変だね」「寂しいね」と声をかけて来る者はあったけれど、変に勘ぐられる事はなかった。

新一は、日々綺麗になって行く蘭と同じ屋根の下で過ごし、青年期の煩悩が大きくなる中で、段々膨れ上がる欲望に苦しめられるようになって来ていたけれど、蘭と一緒にいる時には、鋼の自制心でそれを隠し通した。

そして2人は、高校へ進学した。
私立帝丹学園は、中高一貫教育なので、他校からの転入や他校への転出はあるが、殆どの者はそのまま進学する。
2人とも、行こうと思えば大抵の高校に行けるだけの成績は、維持していたけれど、敢えて冒険はせず、帝丹高校へとそのまま進学をした。

その為、クラスメート達は皆、新一と蘭の昔からの馴染みなので、改めての状況説明はしなくても理解して貰えるのが、ありがたかった。


けれど。
新一はあくまで「蘭の兄」と、周りから認識されているから。
成長するにつれ綺麗になって行く蘭に、コナかける男も多くなってくる。

新一は、蘭の兄として、父親代わりの立場として、蘭に近付く男達を牽制し続けていた。

「なあ、新一。お前、このまま工藤を一生、いき遅れのままにさせちまう積りかよ?」
「あ?」
「頑固で分からず屋の兄の所為で、勿体ないと思わないか?」
「バーロ。何がいき遅れだ。オレたちゃまだ高校生だろうが、10年早いっての!」
「おーい。お前まさか今時、嫁入りまでは処女を守らせるなんて、考えてんじゃないよなあ?」
「いけないか?蘭には最高のお婿さんを見つけて、最高に幸せな嫁さんになって貰うんだ。そこらの男に、蘭の純潔を汚させる気はねえから」

新一の目が滅茶苦茶マジだったので、周りの者は黙らざるを得ない。
それでも、なおも食い下がる、諦めの悪い者も、たまにはいる。

「お前さあ。自分の事は棚に上げて、妹の幸せを妨害する積りか?」
「あん?一時の快楽や欲望に身を任せる事の、どこが幸せってんだよ?それにオレ、自分の事は棚に上げてねえ。オレも結婚までは童貞を守る積りだからな」

新一の言葉に、さすがに男子同級生は全員、ザザザッと引いた。

「お前、マジで言ってんのか!?」
「大マジだぜ」

新一は真面目くさった顔で頷き。
同級生達は化け物でも見るかのような目で、新一を見た。

正直、今時の高校生と言っても、男子クラスメートに童貞の者はそれなりに多くいる。
ただ、殆どは「機会がないから」童貞なのであって、新一のように、「その気になれば相手がいるだろうに、童貞を守っている」というような者は、滅多にいるものではなかった。


新一としては、蘭以外の女性にそういう面での興味も欲望も持てなかったし。
蘭に対して欲望があっても、それを鋼の自制心で抑えていたので、「結婚するまで童貞でいる」のが、さほど難しい事とも思われなかった。
というか。
新一は、蘭以外の女性と結婚する気になる日が来るなどとは、微塵も思っていなかったので。
もしも、蘭と結婚出来ないのであれば、生涯、清く過ごす事になるだろうと、思っていた。



   ☆☆☆



『蘭ちゃん。そっちはどう?新ちゃんも蘭ちゃんも、元気にしてる?』
「お母さん!うん、大丈夫。新一は時々、寝不足の事があるけど……」
『まあ、若い男の子は、不摂生でも仕方ないわよねえ。蘭ちゃんがいるから食生活の面では心配要らないのが救いだけど。ちょっと、新ちゃんに代わってくれる?』

有希子から工藤邸に国際電話がかかって来た。
これはしょっちゅうなので、特別な事ではない。
2人の健康と生活を心配するのも、いつもの事である。

新一も、「またいつものヤツか」と思いながら、電話に出た。

『新ちゃん、元気?』
「おう。変わりなくやってるぜ。父さんと母さんは?」
『こっちも変わりはないわ。ところで……蘭ちゃんは?』
「はあ?蘭とはたった今、電話で話したばっかだろうが」
『そういう意味じゃないわ、蘭ちゃんは傍にいるのかって聞いてるのよ』
「ああ……飯作りに台所に行ってるぜ?何?蘭のご両親の事か?」

新一は、蘭に聞かれたらまずい話なのだろうと判断して、声を小さくした。

『そっちは、まあボチボチなんだけど。新ちゃん。蘭ちゃんとはまだ、清い仲なのね?』
「はあっ!?」

新一は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「ななな、何て事言うんだよ、母さん!?オレ達は血が繋がってないと言っても、兄妹だぜ!?」
『養子縁組なんかで、一旦義理でも親子関係が出来たら、結婚は出来ないけど。もし、私達と蘭ちゃんとが養子縁組をしても、新ちゃんと蘭ちゃんの結婚には何の差し障りもないわよ?』
「いや、理屈ではそうなんだろうけど……!」
『お邪魔虫がいなくなったら関係が進むだろうと思って、せっかく、新ちゃんと蘭ちゃんが2人暮らし出来るようにしてあげたのに〜』
「か、母さん!!」
『そもそも、養子縁組を急がなかったのは、別の形で蘭ちゃんと親子になれるんじゃないかって、期待してたからなのに』
「…………いやその……ほら、オレ達、まだ17だし。蘭はオレの事、本当の兄のように思ってくれてるしよ」
『ま、いいわ。新一が蘭ちゃんの事、大切で、おいそれと手が出せないって言うんなら、それでもね。ただ、蘭ちゃんに変な虫がつかないように、それだけは絶対、頼むわよ』
「わーってるよ……」
『んふふ〜。もし何か、困るような事になったら。私のドレッサーの引き出しを開けてみて。じゃあね』

新一はどっと疲れを感じながら、有希子との電話を切った。
どうやら、新一がずっと秘めている想いなど、母親にはお見通しらしかった。


『もし困るような事になったら』

と、有希子は言ったけれども。
新一は、一体何があるのか、気になったし、有希子も見て構わないと思ったから話をしたのだろうと思い。有希子の部屋に行き、ドレッサーの引き出しを開けてみた。
そこには、封がなく宛名も書いていない封筒が入っていて。
封筒の中には、かなり古びた紙が入っていた。

「ん?何だこれ?」

入っていたのは、一通の、婚姻届用紙。
届け人の欄は空白なのに、何故か保証人の欄に署名捺印がしてある。
その名を見て、新一は息を呑んだ。

「毛利小五郎」「毛利英理」。
今、行方不明の、蘭の両親の名前ではないか。

「な、何を考えてんだ、母さん!?」

新一は思わず叫んでしまっていた。

蘭も新一も、未成年なので。
新一が18歳になっても、婚姻届を出すには、双方の両親の署名捺印が必要である。

「まさか、蘭をあずかる際に、将来の事を考えてこれを書かせてた?まさかな……第一、蘭をうちの親に預けに来た蘭のお母さんはともかく、お父さんは既に行方不明だったんだしよ。……こういった届の場合、筆跡鑑定まではやらないだろうから……別人の署名を使っての偽造か……?そもそも、婚姻届用紙、基本的には変わらねえんだろうけど、今もこの用紙、有効なのか?」

新一は、思わず頭痛とめまいを覚え。
その用紙と封筒を、再びドレッサーの引き出しにしまい込んだ。



   ☆☆☆



新一がどれ程、虫退治に力を注ごうと。
あくまで「兄」であり、恋人ではないのだから。
どんどん綺麗になって行く蘭の周りから、虫を完全に追い払う事は、出来ない。

「工藤さん。好きです。付き合って下さい」
「ごめんなさい。わたしは今、誰とも、お付き合いする気はないんです」

結果、何度も、このような会話が繰り返される事になる。

新一は、今も体育館裏で目撃してしまった光景に、目を険しくさせていた。
探偵として忙しい新一は、いつでも、蘭の傍にいる事も出来ないから。
新一の知らない所では、このような事は、もっと多いだろうと思う。


「蘭」

新一が声をかけると、蘭はぱあっと顔をほころばせた。

「新一。待っててくれたの?」
「ああ。帰ろうぜ」
「うん!」

新一は、先に立って歩き出した。
二人を目撃する者たちの多くは、「仲の良い兄妹」として、好意的な視線を寄越すのだが。
中には、忌々しそうに見やる者達も、いる。

「高校生にもなって、兄妹ベッタリなんて、気持ち悪い」
「どうかしてんじゃないの?」

そういう陰口を叩く者の多くは、新一に懸想する女子か、蘭に片思いする男子だ。
かと思えば、何とか渡りをつけてもらおうと、男子なら新一に、女子なら蘭に、媚びる者もあったりする。


「あ、そうそう。新一、これ」
「は?何、また預かったのかよ。オレは誰とも付き合う気ねえって言ってんだろ?そう言って突っ返せよ」
「だって……せっかく、新一に好意を持ってくれているのに……無碍には出来ないもん」
「女って、どうしてそういう下らねえ事考えるかね?オレは、オメーにラブレター寄越そうなんてヤツの手紙は、そいつの目の前で破って、ゴミ箱行きだ」
「……!酷い!新一ったら、そんな事してたの!?」
「そいつの見てないとこでコッソリやらないだけ、マシだと思え」
「何で、そんな事、するのよ!?」
「オレは、オメーに直接アプローチしようって甲斐性のないヤツのとこに、オメーを嫁に出す気はねえぜ」

蘭が俯いて立ち止まったので、新一は振り返る。

「蘭?どうした?」
「わたし……いずれは、お嫁に行かなくちゃいけないよね……」
「は?」
「だって……いつまでも、工藤の家に甘えている訳には、行かないでしょ?」

新一は、無言で、蘭の手を引くと、ずんずんと歩きだした。

「し、新一!待って!」

新一が強引に早足で歩くもので、蘭はつんのめりそうになる。
すると、新一の歩調が少しだけ緩んだけれど。
やはり、何も言わず、蘭の方を見ようとせず、強引に歩いて行く。


やがて、家に帰り着くと、新一は、玄関で蘭の手を離した。
そして、振り返る。
その眼差しは、蘭が想像していたような怖いものではなく、むしろ、傷付いたようなものだったので、蘭は胸を突かれた。

「新一……?」
「蘭。ここは、蘭の家だ。そうだろ?」
「し、新一……」
「オメーは、オレの……オレ達の大切な家族なのに。どうして……どうして、あんな事、言うんだよ!?」
「ご、ごめんなさい!わたし……」

蘭は、涙を溢れさせて、新一に抱きついた。
新一が、蘭を優しく抱き締める。

「オメーは、この家の娘なんだから。義務で嫁に行くこた、ねえんだからな」
「うん……ごめんなさい、新一……ありがとう……」

蘭は、新一の温かさに包まれて、一方で幸せに浸りながら。
もう一方で、自分の本音には、蓋をした。


『だって……新一がいずれ結婚する時……こんな小姑が家に居座ってたんじゃ、花嫁さんは絶対に、嫌だって思うの……』


蘭は、新一以外の男性に目が向かないから。
正直、誰から告白されても、全く心が動く事はない。
ラブレターなんか貰っても、困るだけだ。


新一に妹として甘えられる今の状態は、切なくもあるが、幸せでもある。
けれど。
今日の昼間、偶然耳に入った会話が、蘭の心をえぐった。

教室でお弁当を広げていると、中庭の会話が、風に乗って聞こえて来たのだった。


『工藤君?』
『イイよねえ。頭脳明晰・スポーツ万能・顔も良くて、紳士的で!』
『ああ、私は、ごめんだわね、あんな男』
『へえ、珍しい事言うわね』
『だって。小姑付きじゃない。あんなシスコン、絶対苦労するって』
『ああ、何かそれは、分かるような気がする。初デートもコブつきだったりして』
『結婚してからも、奥さんが作ったモノは食べず、妹の料理ばっかり食べたりとか』
『そうねえ。それ考えたら、やっぱ、止めた方が良いかもねえ』


蘭は、真っ青になった。
新一に好きな女性が出来た時、もしかしたら自分が新一の足枷になるのかもしれない。
新一が将来結婚を考えた時、もしかしたら、自分の存在が、縁談をぶち壊してしまうのかもしれない。

そんな風に考えてしまったのである。


『ずっと、新一と一緒にいられたらって……そんなの、無理だよね……だって、血の繋がった兄弟でも、いずれは別々になるんだもの』

蘭の親友園子には、綾子という姉がいる。
姉妹の仲は良いようだが、いずれは、それぞれに連れ合いを持ち、離れて暮らすようになるだろう。


「妹」としての特権が続くのは、新一に恋人が出来るまでの間なのだと、蘭は悲しく思っていた。



(3)に続く



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ふたりの、秘密のキス。

実は、第1話を書いていた時点では、そのような事をさせる気はなかった筈なんですが、第2話の部分を書いている時、筆が……いや、キーボードが滑り、自然とそうなってしまったんですよね。
幼い頃から、無意識の内に、男女として引き合っていた2人。なのに、口付けの意味をずっと誤魔化し続けている。兄妹で、唇同士の口付けなど、有り得ないのに。

新一君はともかく、蘭ちゃんは、原作よりずっと、恋心の自覚は早いです。それでも、中学生になってから、ですが(苦笑)。


2013年1月9日脱稿



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