血よりも深く



byドミ



(12)夜毎の美少女



「君、転校生?」

ぽんと肩を叩かれて、蘭は振り返った。
そこに立っているのは、少年のように見えたが、蘭と同じ、杯戸女学院の制服を着ているので、少女であろう。

「ええ。そうだけど。あなたは……?」
「ボクは世良真純。実はボクも転校生でさ。お仲間がいるのは心強いね」
「……わたしは、毛利蘭っていうの。よろしく」

初対面のボーイッシュな少女に、蘭は何となく親近感を抱いた。

「ねえねえ。こうやってせっかく知り合ったんだからさ、ラインに……」
「あ、ごめんなさい。わたし……スマホ持ってないの」
「えー!?今時、そんなんありかよ!?じゃあさ、メルアド教えて」
「ガラケーもパソコンも、お父さんから禁止されてるから……」
「ええっ!?じゃ、蘭ちゃんとは、学校内でしか連絡取れないじゃん!不便だねえ」


毛利邸に固定電話はなかった。
小五郎と英理はそれぞれ携帯電話を持っているが、それぞれロックがかかっていて、蘭が使うことはできない。

高校の登下校は、小五郎と英理が送り迎えをすることになっている。
小五郎の運転で学校まで送ってきて、蘭が校門に入るまで見送っていた。

2人は今、長年にわたる軟禁生活のケアとリハビリを行っており、まだ、普通の仕事はしていない。
ただ、そのケアとリハビリは、毛利邸に医師と療法士が通ってきており、2人は常に家にいるので、蘭はいつも必ず2人から見張られていた。
それは、2人の「親の愛情」ゆえだということが分かっているため、蘭も逆らえない。

この先、学校にいる間だけが、唯一、2人から直接見張られていない「息抜き」の時間になるだろう。
蘭の学校が始まったら、両親は蘭を学校に送り届けた後、専門機関に通うこととなっていた。


教員室に向かいながら、蘭は、真純をちらりと見た。
親しくなれそうだと思う。
けれど、携帯電話を借りて新一や工藤の両親・園子への連絡をさせてもらうとしたら、それは、信頼関係が築けた後の事だ。


『新一……どうしてる?声が聞きたい……触れて欲しいよ……』

メールすらもできない状況に、蘭は正直、かなり参っていた。



   ☆☆☆



4月も半ばとなり、校庭の桜も、すっかり葉桜になった。

杯戸女学院では、元々長い付き合いの女子生徒たちばかりなので、すっかりグループができあがっており、3年になって転校してきた蘭と真純は浮いていたが、それでも少しずつ、友人はできてきた。
でもまだまだ、表面的な付き合いの範囲だ。

真純とは同じ転校生ということで、かなり親しくなっているが、それでもまだ、心をすっかり開くには至らない。


夜の眠りの中で、蘭は新一と出会う。
夢の中では、新一に抱かれることもある。
その瞬間は、幸せで幸せで……。
けれど、目が覚めたら、毛利の両親と暮らす新しい家にいて、蘭は絶望に涙するのだ。


そんなある朝。
蘭は普通に目を覚ましたのだが、パジャマに葉がたくさん引っ付いているのに気付き、首をかしげた。

着替えて自室から出、リビングに向かうと、そこには目に青あざを作っている小五郎が珈琲を飲んでいた。

「お父さんッ!?その目、どうしたの!?」
「どうしたも何も……オメー……」

小五郎は酸っぱいような顔をして、蘭を見た。
英理が台所から顔を出す。

「蘭……あなた昨夜……」
「え?わたし?昨夜?」

蘭がきょとんとする。

「オメー……覚えてねえのか?」
「何を?」
「蘭……昨夜はよく眠れた?」
「え?う、うん……」
「夢を見たりはしなかった?」
「……別に……」

新一の夢を見ることはよくあるが、昨夜の夢の記憶はなかった。

「蘭……あなた、昨夜2時ごろ、家の玄関から靴を履いて外に出て行って、それを止めようとした小五郎を殴ったのよ」
「ええっ!?嘘よ!そんな……そんな事……!」

英理の言ったことはとても信じられず、蘭は大声を出していた。

「だってわたし……今朝目を覚ましたのは、自分のベッドの上だったし!」
「しばらく外を歩いていたけど、自分で戻ってベッドに入って寝たのよ……」

蘭は更に反論しようとして、ふと、今朝起きた時、自分のパジャマに葉がたくさんついていたことを思い出した。
もしかしたら、寝ぼけてそういうことをやってしまったのだろうか?
けれど、にわかに信じられず、蘭は頭を横に振った。

「もう、学校に遅刻しちゃう!わたし、行くからね!」
「で、でも、蘭……」
「今日は送ってくれないの?だったら、歩いて……」
「それは駄目!すぐ、送っていくから!」

小五郎と英理が慌てて準備をして、蘭と一緒に家を出た。

車の中では、3人とも無言だった。
やがて、車が学校に着く。

「蘭……あなた……」
「ん?何?おかあさん」
「……また、帰ってからゆっくり話しましょう」
「……うん……」


一体何が起こっているのか、不安に思いながら、蘭は教室に向かった。

「おはよう。顔色が冴えないようだけど、どうしたのさ?」
「うん……何だかよく分からないことがあって……」

心配そうに尋ねてきた真純に、蘭は曖昧に返事をした。

昼、学校の売店でサンドイッチと飲み物を購入し、蘭は真純と2人、教室の一角に陣取った。
真純にはまだ、蘭の事情を伝えてはいないけれど、夜の不可解な出来事だけは打ち明けてみることにした。

真純は眉を寄せて話を聞いていた。

「こんなことって、あるのかな?」
「それはもしかして、睡眠時遊行症ってヤツかもしれないね」
「睡眠時……ゆうこう症?」
「俗に、夢遊病とか呼ばれるけど。ほら、アルプスの少女ハイジがかかった、あれ」
「えっ!?で、でもわたし、夢は見てなかったんだけど!」
「夢遊病って名前だから誤解されるけど、睡眠時遊行症って、夢を見ていないノンレム睡眠時に起きるんだよ。ちなみに、夢見ている状態で動き出す「レム睡眠行動障害」って病気もあるけど、そっちは高齢の男性に多い病気だし、夢の中での行動がそのまま表れるから、覚えているし、蘭ちゃんには当てはまらないと思うな」
「そ、そうなんだ……どうしたら良いの?」
「そりゃ、まず、睡眠外来とかで専門のお医者さんの診察を受ける事だね。素人療法はよくないし」
「……」
「ただ。睡眠時遊行症って、ストレスが原因と言われてるんだよ。蘭ちゃん、何か辛いことでもあるんじゃない?」

真純の心配そうな顔に、蘭は胸が熱くなった。
思わず、蘭の事情を洗いざらい喋ってしまいたくなる。

けれど、真純を信頼していない訳ではないが、今、蘭の事情を話してしまうのは、真純に負担をかける事だと思ったので、蘭は話題を変えた。

「転校して疲れているのかも……それは、世良ちゃんも一緒なんだけど……でも、世良ちゃんってすごいね。まるで新一みたい」
「新一って、高校生探偵の工藤新一君のこと?」
「え……あ……う、うん……」
「ボクは、女子高生探偵だからね」
「ええっ!?そうだったの!?」
「そうだよ。なになに、名前聞いたことないから信じられない?」
「そ、そんなことないけど……!」
「ま、工藤君ほど有名じゃないのは確かだしね。ボクは日本に帰国したばっかだしさ」
「え?世良ちゃんって帰国子女なの?」
「うん。ちょっと前までアメリカにいたんだ」


とりあえず、話はそこで終わり、蘭は少し気持ちが軽くなったような気がした。



   ☆☆☆



しかしその後、蘭の状態が改善することはなく。
蘭は毎晩、無意識の内に歩き回り、それを阻止しようとする小五郎や英理に怪我を負わせてしまっていた。
意識はないけれど、空手技のキレは起きているときと変わらないらしい。

無意識の内に自分のベッドに戻って寝るから、ほったらかしておけばいいようにも思えるが、蘭は結構広い範囲を歩き回り、道路に出ることも少なくないため、事故の可能性もあり、そういう訳にもいかない。
内側から鍵をかけても、意識がないのに、ちゃんとその鍵を開錠して出て行くため、止めるしかないのだ。

小五郎も英理も腕に覚えがあるから、幸い、大怪我に至ることは、なかったけれど。

夜な夜な歩き回る美少女。
傍から見たらなかなか良い光景だろうが、蘭がいつか事故に遭うのではと、小五郎も英理も気が気ではない。

その状態が1週間ほど続いた後、蘭の方から2人に、「病院に行きたい」旨伝え、2人は、やや迷いながらも、結局、頷いた。


そして蘭が連れてこられたのは、堤無津(ていむづ)警察病院の睡眠外来だった。
警察病院は元々警察官の福利厚生のために開設されたものだが、今は一般の人もかかることができる。
小五郎と英理はここの関連施設でケアとリハビリを行っており、蘭を安心して連れて行ける場所だった。

一方、蘭にとってこの病院は、昨年、新一が怪我した時に担ぎ込まれ、蘭と新一がお互いに告白して恋人同士になったところである。
新一との思い出の場所である病院の建物を前に、蘭は今までの色々を思い出して、胸が痛くなった。

「初めまして。神経内科医師の新出です」
「は、はじめまして……」

蘭の診察にあたったのは、まだ若い、柔和な感じの医師だった。
蘭は、今までにあったことを話す。
蘭の意識がない間のことについては、小五郎と英理が補足説明をした。

「なるほど。症状を聞く限り、睡眠時遊行症の可能性が高いように思うけれど、断定はできない。まずは色々検査をするからね」
「はい」

何時間にも及ぶ脳波検査などで、蘭はやはり「睡眠時遊行症」の診断が下りた。


「お薬を出しておきます。上手くいけば、しばらく症状が抑えられるでしょう。ですが、合わない場合もありますので、その場合はまたご来院ください」
「は、はい……」
「睡眠剤としても使用される薬だから、昼間、眠気が残ると思います。しばらくすればある程度慣れますが……」
「はい……」
「それと。これは重要な事ですが、お薬は根本的な治療方法ではありません。あくまで、一時的に症状を抑えるだけです。なので、原因が改善されない限り、薬をやめればまた症状が出ます」
「原因の改善……ですか?」
「睡眠時遊行症については、まだ分かっていないことも多いですが、通常は思春期前の子どもの病気です。蘭さんのようにある程度の年齢になってから罹る場合は、たいてい、何か大きなストレスが原因です」
「それは!あの野郎の所為だ!」

突然、小五郎がいきり立った。

「あの新一の野郎が、蘭が断れないのをいいことに、無理やり蘭を……うう……蘭、可哀想に……」
「あ、あの……毛利さん……」
「先生!蘭は、預けていた家の男に貞操を奪われちまったんだ!その所為で……!」
「毛利さん。落ち着いてください」
「先生。うちの蘭は、本当に良い娘に育ちました。そ、その、傷物ですが、先生のような方にもらっていただけたら……」
「ちょ、ちょっと待ってください!私にはひかるという妻がおりますし、蘭さんには蘭さんの意思が……」
「お父さん。傷物なんて言い方、しないで!わたしは……新一と結ばれたこと、傷だなんて思ってない!」

蘭が、我慢できなくなって立ち上がる。

「蘭さん、大丈夫だから、座って。毛利さん、奥さんも、一旦外に出てもらえませんか?」
「え?で、でも……」
「あと、簡単に診察するだけですから」

小五郎と英理は渋々、診察室を出た。
蘭は俯いて、歯を食いしばっている。

「蘭さん。君は僕の患者だから、僕は君の味方だからね。もし良ければ、事情を話してはもらえないかい?」
「で、でも……」
「治療のために、必要な事だから。ね?」

蘭はためらったが。
やがて、今までの自分の事情について、簡単に新出医師に説明した。

「そうか。君の病気は、その新一君と引き離されたために発症したんだね」

新出の優しい言葉に、蘭の眦から堪えていた涙が溢れ落ちる。

「……預けられていた家が工藤さんで、そこの新一君っていうと……もしかして、君の恋人は、高校生探偵の工藤新一君かい?」

蘭は目を見開き、そして頷いた。

「なるほど。医師は医師法によって、患者の個人情報を漏らしてはいけない義務を負っているが。警察はある程度その例外となるし、君の治療に必要だと思うから。捜査一課の方に、君の情報を伝えても構わないかい?」
「えっ……?」
「きっと、力になってくれる」
「だ、だったら……佐藤刑事と高木刑事に……!」
「佐藤刑事と高木刑事ね。分かった」
「で、でも、お父さんとお母さんにはこのこと……」
「もちろん、内緒にする。大丈夫、悪いようにはしないから」


一筋の希望が見つかったことで、蘭は張りつめていた気持ちがようやく少し楽になったような気がした。




   ☆☆☆



4月末。
ゴールデンウィークが近づいてきた。

新一の誕生日が近いけれど、おそらくその前に新一と連絡を取ることもできないだろう。

『5月4日には、新一のお嫁さんになる筈だったのに……』

薬で睡眠時遊行症の症状は抑えられるようになったけれど、蘭の悲しみが晴れるわけではない。


「ねーねー。ゴールデンウィークにさ、遊びに行かない?」
「……行きたいのはヤマヤマだけど、多分、お父さんとお母さんの許可が出ないと思う……」

真純の誘いに、蘭はそう答えた。
そして、机に突っ伏する。
別に不貞腐れている訳ではなく、薬の所為で眠いのだ。

そこへ突然。
ドアをバーンと大きな音を立てて開け、入って来た生徒が叫んだ。

「ねえねえ、聞いて聞いて!今日、新しい転校生が来るんだって!しかも、2人!」
「えーっ!?いくらうちが私立の高校っていっても、今月、転入生率、異常に高くない!?」
「ホントホント!」
「1人は我がA組に、もう1人はB組に入るんだってさ」
「へええっ」
「A組に来る子は、茶髪のボブでカチューシャしてて、B組に入るのは、黒髪ロンゲの背が超高い子」
「名前は?」
「そこまでは……」

茶髪のボブでカチューシャという言葉に、蘭は園子を思いだし、切ない気持ちになった。
そこへ。
チャイムと同時に、教室のドアが開き、教師が連れてきた女生徒を見て、蘭は飛び上がるほど驚き眠気が吹き飛んだ。

「あー。3年A組3人目の転校生だ」
「初めましてー。鈴木園子でーす」

たった今思い起こしていた鈴木園子本人の登場に、蘭は喜びより驚きが先に立ち、思考が全く停止していた。



(13)に続く


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あやや。
新一君の出番がなかったわ。
次回までお待ちください。

夢遊病は、最初から考えていたネタだったんだけど、考えていたよりアッサリ終わってしまったような。
ムムム。

園子ちゃんは当初、ここに現れる予定ではなかったのですが、ある方のリクエストにより起用しました。
真純ちゃんにも、もちろん、役割があります。
彼女は、最初から目的を持って、蘭ちゃんと同じ学園に転校してきているのです。


2016年5月5日脱稿

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