血よりも深く



byドミ



(1)兄と妹



「新一〜っ!いい加減に起きなさいよ!早く起きないと、遅刻……って、あれ?起きてたの?」
「蘭。オメーな。いくら兄妹だからって、いきなり男の部屋を開けるヤツがあるかよ!」
「ふっふ〜ん。オ・ト・コ、ねえ。どう見たってやんちゃ坊主じゃないの。今の寝ぼけ顔の新一、ファンの子達に見せてあげたいわ!」
「ったく……女らしくなったのは髪型だけで、相変わらず凶暴だよなあ。兄を叩き起こすその色気のねー姿、オメーに夢を見ている男達に見せてやりたいぜ」


帝丹高校2年生、工藤新一・工藤蘭兄妹は、いつもと同じような朝を迎えていた。

工藤新一は、頭脳明晰・容姿端麗・スポーツ万能の現役高校生探偵。
両親の良い所を受け継いで眉目秀麗、背は標準よりやや高め程度だが、一見細身の体は、しなやかな強靭さを秘めている。
サッカーは、プロから引きがあるほどの腕前だったが、探偵活動と両立しない為、止めてしまっていた。

新一の「双子の妹」工藤蘭は、容姿端麗・スポーツ万能・家事全能・気は優しくて力持ち、帝丹高校のマドンナ的存在。
長い黒髪は艶やかに流れ、大きな黒曜石の瞳、桜色のぽっちゃりした唇、細身だが胸は大きく、メリハリのあるナイスバディの美少女。
見た目はたおやかだが、空手の腕は、都大会で優勝するほどである。

父親は推理作家の工藤優作、母親は元天才女優の工藤(旧姓藤峰)有希子。
だが、その両親は、優作の仕事の都合で、3年前にアメリカのロスに子供達を残して転居してしまっていた。

つまり、今はこのだだっ広い屋敷に、新一と蘭は2人暮らしなのである。


新一が着替えて1階のダイニングまで降りて来ると、既にトーストとコーヒー、ハムエッグ、ミニサラダといった朝食の準備が整っていた。

「いつもわりぃな、蘭」
「悪いって思うんだったら、もうちょっと手伝ってよね!」
「んな事言われても、オレとしちゃ、朝はトーストとコーヒー程度で充分だしよ……」
「駄目よ!朝はきちんと食べて、栄養つけなきゃ!」
「へえへえ……うん、うめえ!蘭、オメーいつでも嫁に行けるぜ」
「あら。わたしは『色気のねー凶暴女』じゃなかったっけ?」
「オメー、根に持つなあ」
「ふーんだ。文句を言うなら、今夜から新一はご飯抜きね」
「わーっ、たっ、タンマ!蘭様、それは勘弁!」
「……ほら、早くしないと、遅れるわよ!」
「へえへえ。ったく、母さんより口うるさくなっちまったな」
「新一!ご飯抜き!」
「わーっ、蘭、ごめん!愛してるよ!」
「……ったく、調子良いんだから!」


工藤邸の朝は、いつもこういった兄妹の心温まる(?)やり取りが交わされる。
2人、身支度を整えると、肩を並べて家を出た。


通学途中、明るい女性の声が背後からかかった。

「おはよう、蘭……と新一君」
「おはよう、園子」
「……はよ。園子、オメー、いかにもついでに挨拶しましたと言わんばかりの付け加え方だな」
「あら〜、だって仕方ないじゃん。新一君は蘭の『オマケ』なんですもん」

蘭と新一に声をかけて来たのは、蘭の親友である鈴木園子だ。
茶髪で、上げた前髪をカチューシャで留め、色白で勝気な目をした、スタイルも良いなかなかの美少女である。

3人共、帝丹高校2年B組に所属する。
長い腐れ縁の3人は、驚異の高確率で同クラスになる事が多かった。
普通、兄弟を同じクラスに入れる事はないが、帝丹学園では、そこら辺は寛容であるらしい。


教室に入った3人は、自然と男子生徒と女子生徒のグループに分かれて行く。



「新一、お前、良いなあ」
「何がだよ?」
「あの工藤と、いつも一緒。あーオレも、あの可愛い声で、名前を呼んで貰いてえ」

新一と蘭は同じクラスで、両方とも工藤なので、男子生徒は新一を「新一」、蘭を「工藤」と呼んで区別している。
妹を溺愛している新一の前で、蘭を下の名前で呼べる度胸のある男子生徒は、さすがに居ないのである。

「はあ?あんな凶暴で色気のねー女に名前を呼んで貰うのの、どこが良いんだよ?毎朝、寝込みを叩き起こしにくるし」
「何!?って言う事は、まさかアレ……見られたりとか?」
「アレ?」
「ホラ、男の朝の生理現象だよ!布団をはぎ取られたら、息子が勃ってたとか?」
「やーん、お兄ちゃんたら、フ・ケ・ツ〜!」
「きしょい声で、勝手に想像のアフレコやるな!」
「けどマジで、朝勃ちを見られて、気まずい事はなかったのか!?」
「……バーロ。見せた事ある訳、ねえだろうが!今は、あいつが起こしにくるより先に起きてるよ!お陰で早起きのクセがついてしまったぜ」
「あー、工藤は、男の生理現象も知らない、純情可憐な乙女なんだよなあ」
「あいつは単に、まだまだガキなだけの、凶暴女だっつーの!」
「新一、お前って贅沢だよな。あーオレも、寝間着姿の工藤の色っぺー姿拝んでみてえ」
「あのな。妹の寝間着姿見て、どうしろってんだよ?」
「オレだったら、たとえ実の妹でも、あんな美人だったら押し倒して……」

それまで、渋面を作っていた新一の目に、剣呑な光が宿る。

「おい!オメーまさか、蘭をオカズにとか、やってねーだろうな!?」

新一の周囲に吹き荒れる局所的ブリザードに、皆ひるむ。


『おい。お前、帝丹高校2年B組の掟、忘れたのかよ?』
『新一は、何のかんの言っても、妹を溺愛してんだぜ。死にたくなかったら、言動は慎め!』

男子達の間で、こそこそと囁きが交わされた。


「し、新一、工藤は帝丹2年B組のマドンナだから、遠目に見ているだけだからな!んな不心得者は居ないって!」
「……ま、あいつが女らしいのは、見てくれと料理上手なとこだけだからな。勘違いして惚れると、火傷するぜ」

新一は笑顔で言ったが、その目は笑っていない。
火傷をさせるのは本人ではなく、その兄であろうと、誰もが思っていたが、口には出さなかった。



新一は心中こっそり溜息をつく。
蘭は、新一の実の妹ではない。
戸籍上でも、兄妹ではなく、蘭の本当の姓は工藤ではない。

新一が蘭に向ける想いは、幼い頃から既に「兄として」のものではなかったのだが。
周囲にも蘭にも、それを隠し通し、「妹を溺愛する兄」としての立場を取っている。

蘭は美しい娘に育ち、周囲の男どもがひっきりなしにコナかけようとしているのを、兄としての立場で阻止し続けているが。


『いつまで耐えられっかな、オレ』

新一は、女子のグループでお喋りをしている「妹」へ、目を向けた。



「蘭、ブラコンもほどほどにして、早く卒業しないと。いつまでも独り身だよ」
「べ、別に、ブラコンなんかじゃないわよ!それに、今、恋人が欲しいだなんて、別に思ってないし」
「勿体ないなあ、せっかくもてるのに」
「でもさあ、双子のお兄さんがあれじゃ、目が肥えちゃって、他の男に目が向かないのも、無理ないよね〜」
「ええ!?何で目が肥えるのよ!?」
「綺麗な顔でカッコ良くて、頭脳明晰の名探偵、サッカーの腕は超高校級!こんな男の人が身近にいたら、確かにねえ」
「新一なんて、ただの気障なカッコつけで、推理馬鹿のオタクなだけじゃない!サッカーだって、もう止めちゃってるし」
「そんな風にあしざまに言う割には、蘭って、工藤君べったりじゃない」
「そ、それは!お父さんとお母さんが外国に行ってるから、今は2人だけの家族だし!」
「でも、蘭がそんなんじゃ、工藤君、恋人も作れないんじゃないの?」

ある女子の言葉に、その場に居た皆、ギョッとなった。
園子が、いきり立つ。

「ちょっと!新一君に恋人が出来ないのは、新一君がその気になってないからで、別に蘭が妨害してる訳じゃ!勝手な事言わないでよね!」
「そ、園子……」
「蘭も、言ってやりなよ!兄妹仲が良いのの、どこが悪いってのよ!新一君は、自分が嫌なら、自分でどうにかする人なんだから!蘭は堂々と、ブラコンやってりゃ良いのよ!」
「あ、あの……だから、わたし別に、ブラコンって訳じゃ……」
「わたしは蘭の味方だからね!この帝丹高校2年B組で、新一君と蘭の仲をやっかんでどうこう言う人がいたら、わたしが許さないわ!」

園子のエキサイトぶりに、皆、目が点になり、それ以上何かを言える者は居なかった。


蘭は、園子に感謝しつつも、内心で溜息をつく。

『ごめん、園子……わたし、本当は新一の事……』

親友の園子にさえ打ち明けていないけれど、蘭は自分が新一の実の妹ではない事を知っていた。
新一に妹として甘えながらも、とっくの昔に、気持ちは「兄妹を越えたもの」となっている。

けれど、新一に向ける思慕は、蘭を実の家族以上に愛しんでくれる工藤の両親と新一への裏切り行為になるような気がして。
蘭は、胸の奥深くに、その気持ちを押しこめていたのである。


   ☆☆☆


工藤優作・有希子夫妻が、アメリカのロサンゼルスに居を移したのは、今から3年前の事だった。
出発に先立ち、新一は父親の優作に呼ばれ、書斎で長い事話をした。

「新一君。この家と、蘭君を頼むよ」
「ったく。仕事の為とは言え、好き勝手しやがって。出来るだけ頑張るけど、どうなっても知らねえからな」
「……ロスに移住するのは、仕事の為だけではないよ」
「へっ!?」
「これは、蘭君には絶対に内緒にして欲しいのだが。私達がロスに行くのは、行方不明になっている蘭君のご両親を探す為でもあるのだ」
「!!」

新一は、蘭が実の妹でない事は、既に聞かされていたのだが。
蘭の両親について聞かされたのは、初めての事であった。

「蘭君のご両親、毛利小五郎君と英理さんは、有希子の高校時代の同級生で、英理さんと有希子は大の親友だった」
「ああ……それは前に、母さんに聞いた事がある」
「警察官だった小五郎君は、インターポールに出向研修中、アメリカのFBIとの合同捜査中に、事件に巻き込まれ、失踪した。そして、英理さんは、赤ん坊だった蘭君を有希子に託し、小五郎君を探しにアメリカに行き、そして……行方を絶った」
「父さん……」

優作が語る、蘭の両親の話に。
新一は息を呑んだ。

「私達は、2人がきっと生きていると信じて、彼らを探し続けたが。ようやく、手がかりが見つかりそうなのだ。今であれば、新一君に留守を託す事も、可能だと判断して、あちらに行く事にしたのだよ」

当時14歳だった新一は、自身に託されたものの大きさ以上に、両親の信頼が嬉しくて。
大きく頷いたのだった。

「今回、一家4人で移住という事を考えなかったのは……他にもいろいろ理由はあるが、毛利君達の娘である蘭君が、あちらに行った時に起きる危険性の事を、考えてという事もある。旅行程度なら良いが、あちらに住むとなると、どんな事態が起きるか、予測がつかない」
「わーった。……父さん、きっと、蘭のご両親を連れて、無事帰って来てくれよな」
「ああ。たとえ時間がかかっても、必ず。新一、後は頼んだよ」


   ☆☆☆


新一が優作と話をしている頃、蘭は有希子と一緒にご飯作りをしながら、話をしていた。

「新一はしっかりしているけど、ご飯に関してはちょっと心配なところがあるのよ。蘭ちゃん、頼むわね」
「はい」

蘭は、そう返事をしながら、少し俯く。

「蘭ちゃん?新ちゃんと2人で生活するのが、不安?」
「え?そんな事は……新一は、頼りになるし、意地悪だけど優しいし。でも、お母さん達と離れ離れになるのが、寂しくて」
「そうね、私も蘭ちゃんと離れ離れになるのは、寂しいわ。一家4人でアメリカ、ってのも、考えなかった訳でもないのよ。新ちゃんも蘭ちゃんも、あちらで学べる事も沢山あるだろうし。
優作とも話し合ったんだけど……やっぱりね、私達が帰ってくる場所を、新ちゃんと蘭ちゃんに守っていて欲しいなあって」
「お母さん……」

有希子は手を伸ばし、愛しそうに蘭の頬を撫でた。

「蘭ちゃん。忘れないで。何があっても、あなたは、私達の大切な娘なのよ」
「……お母さん?」
「蘭ちゃんが、私達と法的に親子関係を望むなら、いずれ、蘭ちゃんが成人したあかつきには、正式に養子縁組をって、考えているけれど。今でも、これからも、私達の関係がどういう形になっても、気持ちの上では、蘭ちゃんは大切な娘なの」
「ありがとう……お母さん……わたし、お父さんとお母さんに大切に育てて貰って、本当に幸せだし。わたしも、大切なお父さんとお母さんだって、思ってるよ……」

有希子は、蘭を抱き締めた。
優作と有希子が、蘭を正式な養女にしていないのは、現在行方不明とは言え、蘭には実の両親が居るからである。
蘭が15歳を過ぎれば、蘭が望めば、家庭裁判所の許可を得て、蘭を養女にする事は可能であるが、優作も有希子も、急いでそうしようとまでは、思っていなかった。
蘭を可愛くは思っているけれど、もし叶うなら、小五郎と英理を探し出し、蘭と親子3人水入らずで暮らせるようにしてあげたい。
その想いが、優作と有希子には、あったのだ。

しかし、蘭に下手に希望を持たせてそれを打ち砕くのも酷だから。
小五郎と英理が生きているかも知れない、その可能性は、蘭には伏せられていた。



新一が、蘭が自分の実の妹ではないと知ったのは、卓越した観察力で気付いた事を、両親に突きつけたからである。
それは、新一と蘭が満10歳になったばかりの時であった。

蘭がそれを知ったのは、中学校に上がる時。
優作と有希子が、新一も同席の上、蘭に直に話をした。
海外旅行の為のパスポートを作る関係で、打ち明けざるを得なかったのだ。


対外的には「双子の兄妹」として育てられてきた、新一と蘭。
けれど、実際の誕生日は、数日違う。

2人の誕生日は、5月4日に盛大に祝われていたけれども、実は、蘭の本当の誕生日に、有希子はいつも、適当な理由をつけては、ケーキとご馳走を作っていた。
それ以降、工藤家では、蘭の誕生日は当日に、お祝いをするようになった。


その時、蘭は、自分の戸籍上の姓が「毛利」である事を知った。
そして、蘭の両親が「死亡」とは、なっていないという事も。

優作と有希子は、蘭の両親が有希子の友人であった事、事件に巻き込まれて行方不明となり、死亡届はいまだ出されていないが、希望は限りなく低いという事を、率直に話した。
そして、有希子は、ずっと自分の部屋に取って置いた、蘭の母親・英理のアルバムを持って来て、蘭に手渡した。
蘭の両親・毛利小五郎と毛利英理。
赤ちゃんだった蘭を抱く、英理の愛しそうな笑みと、小五郎の照れたような顔。

蘭は、記憶にない実の両親への愛しさが、胸に湧き上がって来たのを感じた。

実の娘のように可愛がってくれて、何の疑念も抱かせなかった、工藤の両親への想いは、変わる事がないけれど。
工藤の両親に対するのに劣る事はない、毛利の両親への慕わしい想いが、愛しさが、溢れて来る。

これが、血の繋がりというものかと、蘭は思った。


だから、新一と蘭は、お互いに、自分達が血を分けた兄妹ではない事を「相手が知っている事」も、知っている。
両親の話を聞いた後、新一は蘭に言った。

「蘭。オメーは何があっても、オレの大事な妹だから」

新一は、蘭がこの先工藤家で変な遠慮をしないように、安心させる為に、そう言ったのであるが。
それが、2人を長い事縛る鎖になってしまうとは、新一の予想外の事であった。



(2)に続く



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<後書き>

下書きブログで連載していたものです。
若干、手直ししています。

兄妹として育てられた新蘭って、書いてみたかったんですよね。
私の倫理観はどうも世間と若干の隔たりがあるようで、実の兄妹でもタブーじゃなかったりするんですが、それではやっぱり2人とも苦しめ過ぎるので、やりません。


最初に書き始めたのは随分前ですが、脱稿日は最終の原稿仕上げ日にしています。


2012年12月24日脱稿

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