Better Development
byドミ
(5)
蛍を見た帰り。
2人とも、眠気はなかったが、言葉少なになっていた。
山道を長く走った後、高速道路のインターに入る。
その時、わたしは、忘れていたある事を思い出した。
「あ、あの・・・新一」
「ん?何だ、蘭?」
「あ・・・あのね・・・言いにくい事なんだけど・・・」
「言いたい事があったら、ちゃんと言葉にしろよ。言わなきゃ、オレも、分からねえからよ」
「わたし・・・お腹空いた・・・」
わたしは、恥ずかしくて、消え入りそうな声で訴えた。
新一が、前は向いたままだが、虚を突かれたような顔になった。
「わりぃ。あのまま、飯食うの、忘れてたな」
食事をする筈だった店では殺人が起きていて。
その後は、捜査と推理。
そして、蛍を見に走って。
興奮していたのもあり、空腹なんか忘れていたのだが。
今になって、お腹が空いて来た。
「・・・次のサービスエリアで、腹ごしらえしよう」
「うん」
サービスエリアでの食事というのは、普段は味気ないものだと思うけど。
新一と2人で向かい合って座り、食事をしているというそれだけで、ほのぼのと、温かい気持ちになれるものだ。
「ねえ、新一。明日は何か、予定があるの?」
「あ?いや、別に・・・そりゃまあ、事件で呼ばれる可能性は、あっけどな」
「そう・・・」
じゃあ、どうして、わたしに「泊まって行け」って、言わないの?
それを聞きたくて、でも聞けなかった。
新一が何故、今日は泊まれと言わないのか、そして、触れて来ないのか。
さすがにわたしにも、分かるような気がしていたから。
『わたしってまるで、新一のセフレみたいだね』
この前、わたしが言ってしまった事が、新一を縛っているのだ。
思い返してみれば、新一は、わたしが「嫌だ」と言う事は決してやらなかったし、わたしが「して欲しい」と頼んだ事は、出来る限り応じてくれようとしてきた。
わたしを抱く時の新一も、強引なようでいて、決してそうじゃない。
いつも気遣ってくれるし、わたしが本気で嫌だって言った事は、無理強いしない。
「どうした、蘭?」
「え・・・?」
わたしが考え事をしていると、新一が心配そうにわたしを見やって、言った。
「具合でも悪いのか?それとも、疲れたか?」
「あ、ううん・・・少し、眠くなったかな?」
「もう、後は帰るだけだから。車ん中で、寝てて良いし」
「うん・・・」
何となく・・・何となくだけど、冷静になって考えている内に、分かって来た事がある。
新一は、元々、人として優しいのだけれど。
わたし相手に、何だか妙に気を使っていると言うか、わたしのご機嫌を損ねまいとオドオドしている部分があると言うか。
それに、気付いてしまった。
それは、わたしにも共通している事で。
わたしは新一に嫌われまいと、無意識に「言葉に出すのをためらってしまっている」のだけれど。
新一の場合は、わたしに嫌われまいと、出来る限りわたしの要望に添おうとしているフシがある。
新一が、会う度にわたしの体を求めていたのは、勿論新一が「そうしたかった」からだろうけれど、わたしが一切「拒まなかった」「嫌がる素振りを示さなかった」からだったのに。
わたしが、新一に嫌われるのが嫌で、新一の求めを全て受け入れていたから、新一は、わたしがそれで虚しい思いをしているなんて、きっと露ほども思わなかったんだ。
「新一・・・ごめんね・・・」
眠りに落ちそうな中で、無意識に呟いてしまった言葉を、新一はどういう風に受け止めたのか。
新一の言葉に甘える形で、眠ってしまったわたしだけれど、本当に完全に、眠りこけていた。
気がついた時には、もう、毛利探偵事務所の前に、車が止まっていた。
「へっ!?」
「お。やっと起きたか。オメー、一旦寝入ると、なかなか起きねーからなあ」
新一が面白そうに言った。けれど、目が笑ってなくてちょっと寂しげだったので、わたしの胸は痛んだ。
「ご、ごめんなさい・・・」
絶対に居眠りしちゃいけない運転手の隣で、グースカピーと眠り込むなんて、うう、わたしのバカバカバカ!
「別に、謝る必要ねえさ。腹減ってる筈なのに眠れるなんて、よほど疲れてたんだろ?」
そう言えば。
お腹空いたって新一に訴えたんだっけ。
「ホラ。これ、持ってけよ」
「え?」
車のロックを外しながら、新一がわたしに、包みを渡す。
まだほんのり温かい中華まんと、おにぎりだった。
わたしが眠りこけている間に、サービスエリアに寄って買ってくれたのだろう。
そして・・・新一自身はおそらく、何も食べていない。
「じゃあ。また、近い内に、連絡すっからよ。おやすみ」
「あ・・・お、おやすみなさい・・・」
わたしは促されて車を降り。
新一はちょっと手を振ると、車を発進させて帰って行った。
わたしは、力ない足取りで、階段を上がって行く。
訳もなく涙が出た。
新一は、優しかった。
今夜は、キス一つ、なかったけれど。
それはきっと・・・。
「わたしが、あんな事、言ったからだよね・・・?」
新一に、抱き締めて欲しい。
キスして欲しい。
わたしの何もかもを奪って、わたしの一番奥深くに来てほしい。
「う・・・ふえっ・・・」
バカだ、わたし、バカだ!
新一が、ではなくて、わたしが。
こんなに、新一とひとつになる事を、求めているって言うのに。
心が新一を求める分、体も新一を強く求めているのに。
世間で言う「男と女の違い」ってのに、目が曇らされていたけれど。
新一だって、きっとそうなんだよね?
わたしの体を求めるのは、わたしの心を求めているからだって、分かっていた筈だったのに。
何で、新一が体目当てだなんて、ちらりとでも思っちゃったんだろう?
何で、新一にあんな事を言っちゃったんだろう!?
階段を登りきって、玄関のドアを開けると。
「きゃっ!」
ぬぼーっとそこに立っている父の姿に、思わず悲鳴を上げてしまった。
「よう、お帰り」
「た、ただいま・・・」
「・・・律儀に帰って来たのか。今日は遅くなったから泊まるとか、言いだすと思ったが」
「だ、だって・・・帰る約束だったじゃない・・・」
「ふん。ま、今日は大変だったな」
「人が死んでるのって、何度見ても、嫌だね」
「そりゃ、そうだ。何度場数を踏んでも、それが面白え訳じゃねえ。オレも、あの坊主も、警察も探偵も、皆、そうだ」
「うん・・・」
「明日は休みだろうが、いい加減遅い。風呂入って早く寝ろ」
「はーい」
「俺は、ちょっくら出かけてくっからよ」
「ええ!?お父さん、こんな時間にどこへ!?」
「麻雀に誘われてたんだよ、けど、オメーが帰って来るっつーから」
「お父さん!」
「戸締りは、きちんとやって置けよ」
そう言い捨てて、父は出て行った。
一人取り残されたわたしは、新一が買ってくれた食べ物をお腹に入れて、お風呂に入って。
侘しい気持ちで布団に入り、とにかく寝ようと試みたけれど、寝過ぎたせいか、目が冴えてどうしようもない。
ううん、寝過ぎたせいじゃない。
車の中で眠ってしまったのは、新一が隣に居たからだ。
その存在を感じて、安心し切ってしまったから、だから、眠れたんだ。
時計を見たら、時刻はとっくに午前3時を回っていた。
彼は、もう、眠っているかもしれない。
わたしと違い、運転手だったから全然寝てない筈だし。
すごく、ワガママだって思うけれど、わたしは自分を止められなくなって、携帯のボタンを押した。
彼は、すぐに出た。
『蘭!?』
「し、新一、新一ぃ!」
『一体、どうした?』
「い、家に1人だし・・・眠れないの・・・」
『1人って・・・おっちゃんは?』
「わたしが帰って来たら、徹マンに出かけちゃった・・・」
『蘭・・・』
こんな時間に電話をかけたって言うのに、新一は愚痴一つ言わずに、わたしを気遣ってくれる。
「今から、新一の家に行って、良い?」
『駄目だ、来るな!』
新一の拒絶に、わたしは涙が溢れた。
わたし、どこまで甘えてんだろう?
何を勘違いしてたんだろう?
『オレが、そっち行くから!』
「え・・・!?」
『すぐに、そっちに向かうから、待ってろ!』
わたしが意味を把握するより前に、携帯の通話が切れた。
通話が切れた携帯電話を見詰めながら。
『新一が、来てくれる』
わたしは無性に嬉しくなった。
こんな夜中なのに。
疲れているだろうに。
わたしが、会いたいって望んだら、新一は飛んで来てくれる。
ここ数日、色々考えていたのだけれど。
新一って、結構わたしを甘やかしているよね。
本当に、よっぽどの事でもない限り、怒らないし。
わたし、新一に甘やかされて甘やかされて。
そんなんじゃ、どんどん、駄目な女になってしまうよ。
『でも、じゃあ、駄目な女にならない為に、新一と別れる?新一から離れる?そんな事、出来やしないでしょ?』
わたしの中で、わたし自身を嘲笑う声が聞こえる。
『あんまりワガママしてると、本当に新一が離れて行くかもよ。そしたら、どうするの?』
「うっ・・・」
自分の心の中の声に、自分で泣いてしまう。
新一に甘やかされて、どんどん駄目な女になって。
そして、新一に呆れられて見放されたら、わたし、どうしたら良いの?
微かに、階段を駆け上がる音が聞こえ、玄関先で止まる。
呼び鈴が鳴るのと、わたしが玄関に飛んで行って扉を開けるのとが、ほぼ同時だった。
「蘭!」
「新一ぃ!」
わたしが飛びつくと、新一はしっかりと抱きとめ、抱きしめてくれた。
最近、わたしの胸に巣食っている、胸につかえた塊が、新一の腕の中にいると溶けて流れて行くような気がする。
けれど、新一は、一瞬わたしを抱きしめた手をすぐに離し、玄関ドアを閉めるとわたしを中に促した。
新一は茶の間に入り、ちゃぶ台の前に腰かける。
「わ、わたし、お茶淹れるね?」
「蘭、別に、んなの・・・」
新一が言いかけるのを振り切るように、わたしはキッチンへと向かった。
やっぱり今日の新一は、わたしにあんまり触れようとしない。
蛍を見に連れて行ってくれて、今も夜中だっていうのに飛んで来てくれた新一が、わたしへの気持ちを薄れさせているとは思えないけれど。
どうして?どうしてなの?
新一は、Tシャツにジーンズという、ラフな格好だった。
慌ててジーンズに履き替えて家を出て来たんだろうな。
一方のわたしは、室内着にしている簡素なワンピース。
その気になれば、寝巻にも出来るような格好だ。
「今夜、泊まって行ってね?」
「蘭が、そう望むなら」
新一は、歯切れの悪い言い方をする。
わたしはちゃぶ台の前に座った新一の目の前にコーヒーを置き、向かい側に腰かけた。
「ごめんね・・・新一、明日は予定があるんじゃないの?」
「あ、いや。急な呼び出しでもねえ限り、予定は別に・・・」
「じゃあ・・・」
何故、泊まって行けって言わなかったの?
わたしの問いは、喉もとで止まった。
だって、さすがに、鈍いと言われるわたしでも、その答は分かっているような気がしていたから。
新一は俯いて、わたしをあまり見ようとはしてくれない。
「何だか、寂しい」
「えっ!?」
思わず、わたしの口をついて出た言葉に、新一がはじかれたように顔をあげた。
「蘭!な・・・んで・・・」
新一の顔が、苦しそうで。
わたしも、胸が詰まる。
「あ、ご、ごめん!こんな事、言いたかったんじゃないの!わたしは、ただ・・・」
新一が、言葉の続きを待つ。
でも、わたしは続けられなかった。
何をどう言ったら良いのか、自分でも分かっていないのだもの。
自分自身、何を望んでいるのか、何をどうしたいのか、分かっていないのだもの。
手を握り合わせ、必死で言葉を探す。
「わたし、ワガママなの」
「ん?」
「自分でも、どうしたら良いのか、分からないの。わ、わたし、ただ・・・」
新一は、無理に先を促そうとせず、辛抱強く待っていた。
「・・・どうして、キスしてくれないの?」
あああ。
こんな事、言いたかったんじゃないのに。
どうしてわたし、こんな事言うかな?
新一は、一瞬目を見開いた後、口を開いた。
「歯止めが効かなくなっから」
「えっ?」
今度はわたしが目を見開く番だった。
「キスしたら、オメーを抱きたくなっちまう。だから・・・」
「あの、新一。わたしは・・・」
「オメーは女だから、キスだけで満足出来んだろうけど、オレは・・・ごめん、情けねえ事に先を望んじまうんだ。オメーが傍にいてくれれば、セックスなんかしなくてもそれでイイ、って、本音で思ってっけどよ。それでも、触れたら、欲望の歯止めが利かなくなっちまうんだよ」
新一が妙に苦しそうな顔をして、言葉を続けた。
「オレさ。オレが求めるとオメーがいつも応えてくれるし、その・・・最中にはスッゲー感じて、演技じゃなくいつもイクようだから、勘違いしてた。オメーはただ、オレの望む事を断われなかっただけで。抱かれると体が生理的に反応してただけで。本当はオメーが、セックスは好きじゃねえんだって、全然気付いてなかった。ごめん・・・」
わたしは目をパチクリさせた。
新一が言っている意味が、よく分からない。
だけど、どうやら、お互いに大きな勘違いがあるようだって事は、分かった。
(6)に続く
+++++++++++++++++++++++
<後書き>
蘭ちゃんとしては、エッチ「だけ」ってのが、体だけに用があるみたいで空しい、って事だったんだけれども。
新一君は、「蘭ちゃんは本当はエッチが嫌だったんだ」と、かなりな勘違いをやっちゃってます。
まあ、ここら辺は、男女の感覚の違いが如実に表れているものですね。
新一君にとって、蘭ちゃんは、とてもとても大事で。
多分、簡単に手は出せないだろうけど、一旦、蘭ちゃんが受け入れてくれると、歯止めが利かなくなるんじゃないかな?
でも、一旦深い仲になった後でも、蘭ちゃんに拒まれたり泣かれたりしたら、そりゃもう、必死で自分を押しとどめるでしょう。
恋人同士になっても、蘭ちゃんは、新一君の想いの深さは、なかなか分からないんじゃないかなと、思います。
戻る時はブラウザの「戻る」で。