あなたしか見えない




byドミ



(6)軽井沢の教会



「一体、何しに来たの?」

戸影美幸は、蘭を一瞥するなり、目を逸らしてそう言った。
頬がげっそりとこけ、若くエネルギーに溢れていた筈の美貌は見る影もない。

「お見舞いよ。それ以上でも、それ以下でもないわ」

蘭はあっさりとした口調で答えた。

「本当は花かお菓子でも持って来たかったけど・・・ここでは差し入れが禁じられてるからそうも行かなくて」

麻薬中毒患者の治療は、並大抵ではない。
禁断症状が出たら、どんな手を使ってでも麻薬を手に入れようとするので、面会など簡単にはさせられないのだ。
蘭は、教師という立場で、美幸への面会が許されたのだった。

昨日は真理に面会してきた。
真理の方はまだ意識も朦朧としていて、蘭を詰る事すら出来ない様子だった。





『実は家守自身はヤクをやってないんですよ』

数日前に鰐口がポツリと話した事を蘭は思い出す。

『麻薬の売人でも格が上の奴は、自分がヤクをやるなんて愚かな事はしない。あいつはそこら辺妙に狡賢く頭が切れる奴でね。今迄暴行はした事ない事になってるが、明るみに出とらんだけなんですよ。本当に悪い奴は、なかなか尻尾を掴ませない。いつも捕まるのは下っ端ばかりだ。だが今回ばかりは、奴も年貢の納め時だな。こんな考えは不健康だって解っちゃいるが、俺は胸がスッとしましたよ』

美幸と真理は、中毒患者にされていた。
つまり家守は、二人の「女」をどちらも大切になど思っていなかったという事だ。

蘭は、家守に踏み躙られた美幸と真理の事を思うと、憎むよりも可哀想でならない。



美幸はちらりと蘭を見て、再び目を逸らした。

「教師ってのも大変ね。あんな目に遭わせた私にもお見舞いに来なくちゃいけなくて。・・・それとも、本当は嫌じゃなかったんじゃない?建前で教師と生徒はタブーってなってるけど、本当は若い男の味を知りたかったんじゃない?」

美幸の言葉を、蘭は痛ましい思いで聞いていた。

「・・・私は好きな人以外とそんな事するのは嫌よ。年とか立場とか、そんな事は関係ない。私に取って家守君はその対象じゃなかった」

蘭の言葉に美幸は顔を歪め、蘭から顔を背けて吐き出すように言った。

「みんな言ったわ、あんな男は止めろって。でも、止められなかった。だって、どうしたらあの人を忘れて他の人に気持ちを向けられるって言うの?あたしは・・・ちょっとでも家守君のやっている事に口挟んだら、捨てられるって分かってたから、言う事聞くしかなかった。ちょっとでも焼き餅妬いたりしたら、見向きもしなくなるって分かってたから、ものわかりの良い女で居るしかなかった」

美幸の言葉は、愛されたくて、けれど愛されなかった女の苦渋に満ちていた。

「なのに!誰にも執着しない筈のあの男が!あんたをモノにしたいって聞いた時、あたしがどれだけあんたを憎んだか。いつも面倒臭がりのあの男が、力尽くでやりたい位にあんたに執着してんだって思ったら、殺しても足りない位にあんたが憎かった。でも、協力しないとあたしは捨てられる。だからっ!!」
「・・・戸影さんはまだ若いわ。いつか、別の大切な人が現れて幸せになれるから」
「気休めは言わないで!!」

激昂して泣き伏した美幸を、蘭はただ呆然として見詰めていた。

そう、確かに安易な気休めを口にした、と蘭は思った。

「ごめんなさい。確かに、無責任な事言った・・・」

項垂れた蘭を、振り向いた美幸がジッと見詰めた。

「あんたも、本当に何と言うか・・・苦労知らずの甘ちゃんだからそんな風なのか、誰にも優しく出来るのかって思ってたけど。そうでもないんだね。この前さ、まさかと思ってた奴が面会に来たんだ。鰐口が来るなんて思っても居なかったから、驚いたよ。鰐口から聞いたんだけど、あんたも子供の頃から男に襲われたりして結構酷い目に遭って来たんだってね。なのにあんたは清らかで強い。

あたしはあんたが憎かったけど・・・本当はあんたみたいになりたかった」

蘭は少なからず驚いていた。
鰐口が美幸を見舞いに来た事もだが、蘭の過去を知っていたとは、全く予想外だったのである。



  ☆☆☆



蘭は、苦い思いで病院を後にした。
美幸が蘭を陥れる片棒を担いだのは、身勝手とは言え「愛」故。

早くあんな下らない男の事は忘れて幸せを掴んで欲しい、と切に願う。
けれど同時に。
簡単に気持ちが変えられるものなら苦労はしない事も、蘭には分かっていた。




いつか、忘れる?気持ちが変わる?
青春時代の恋は、いつか終焉を迎える?

多くの人がそうかも知れない。
でも。



『私は新一への想いが揺らぐ事はない』
『私は青春時代の気持ちがその後も変わる事はなかった』

蘭は、自分が美幸に言った事が、全て欺瞞のような気がして、心苦しくてならなかった。


それでも。
美幸が別れ際に蘭に告げた「ありがとう」という言葉には、真実味が篭っていた。
蘭は、美幸が今の苦しみを乗り越えていつか幸せを掴む日が来る事を、祈らずには居られなかった。

いつか、美幸を愛し大切にしてくれる人と巡り会って、家守への思慕を捨てて、幸せになって欲しい。
蘭は、たとえ欺瞞と言われようとも、そう祈らずには居られなかったのである。









新一は、夏休みが始まる前位から書斎に篭っている事が多くなった。
勿論、探偵としての依頼があれば飛んで行くが、最低限体を動かす他は、ずっと書斎に篭りきりである。

夏休み期間中は夏期講習があるが、新一は半強制的なそれにも参加しようとしなかった。
優秀な成績は維持しているので、学校側も何も言わない。

まだ高校2年だし、どの大学でも余裕で合格出来そうな新一が、一体何の勉強をしているのか、それとも何か調べものか。
蘭には分からなかった。

新一は毎日、御飯の時にはダイニングに出て来て食べるし、夜は自室で蘭を抱く。
それだけは、余程の事がない限り実行していた。

けれど時には情事の後に眠る蘭を置いて、書斎に戻る事もあるようだった。
最初の頃は蘭を朝まで離す事がなかったのに、最近は蘭が朝目覚めると隣に新一が居ない事も多い。


けれど新一はどんなに寝不足の時でも、朝は必ずきちんと起きて学校へ行く。





新一が何の為に書斎に篭って何をしているのか、蘭は知らない。
でも、新一には何か大きな目的があるのだろうと蘭は信頼していた。

ただ蘭は、新一が体を壊さないか、それだけが心配だった。









8月も終わりに近付いたある日。
新一が夕食の時に口を開いた。

「蘭。今度の週末、軽井沢に行かねえか?」
「え?軽井沢?夏休みの軽井沢なんて、人がいっぱいで泊まる所なんかないんじゃない?増してや週末なんて」
「いや、実は・・・オレに依頼が来て。普通だったらまだ個人の依頼ってのは断るけど、今回は目暮警部の口添えがあったから」
「!じゃあ、仕事じゃない。私を連れてったりして良い訳?」

蘭が驚いて尋ねる。

「ああ。旅行がてら、身内と一緒で良いかって訊いて承諾は得てるから。一応別荘の敷地内だけど、オレ達が泊まるのは別棟になってっから気兼ねは要らない。・・・変に思われるといけねえから、一応蘭の泊まるのはオレとは別の離れになってるぜ」

新一の気遣いに、蘭は逆に胸が痛む思いだった。

確かに、高校生男子が10も年上の女性と一つ所に泊まれば、世間にどう見られるか、蘭にも解る。
だから、「部屋が別」は当然の事なのであるが。

改めて、決して越えられない深い川が、新一との間に横たわっていると痛感してしまっていた。


ともあれ、せっかくの新一の誘いである。蘭は有給を取って、軽井沢に行く事にした。









軽井沢では、迎えの車――黒塗りのクラウンが駅まで来ていた。
依頼人は別荘で待つとの事で、蘭と新一は後部座席に乗り込んだ。

さわやかな風が吹き抜ける高原を、二人を乗せた車が走っていく。

高原には、いくつもの建物が点在している。
別荘やホテル、ペンション、そして教会。


ある教会では、結婚式が行われていた。
蘭は、通り過ぎる一瞬に垣間見ただけの、花婿花嫁の晴れやかな笑顔が目にやき付いていた。

自分には決してあのような日は来ない、と蘭は少し悲しく思う。

花嫁になりたいのではない。
新一の花嫁に、なりたかった。

けれど、そのような日は決して来ないと、蘭は思っていたのだ。




暫く高原の道を走った後、黒塗りのクラウンは大きな洒落た別荘へ到着した。

二人を迎えたのは、恰幅の良い、温厚そうな中年の紳士で、蛙原(かわずはら)と名乗った。
目暮警部とは高校時代の同級生だという事だった。

「工藤君、よく来てくれた。目暮警部から、いつも君の噂は聞いておるよ。ところで、同行者が居る事は聞いとったが・・・そちらのお嬢さんは?」
「こんにちは、初めまして。工藤新一です。こっちは知人の毛利探偵の娘さんで、毛利蘭さん。普段は高校教師ですが、今回はオレの手伝いをして貰います」

新一は蘭の事をそう紹介し、蘭はいささか面映い思いをした。

「ほほう。高校生探偵と、高校教師探偵助手の組み合わせか。それもまた面白い」

蛙原氏はそう言って笑った。


依頼の詳細は明日蛙原氏の経営するホテルに行ってからという事で、食事の後二人はそれぞれに離れの部屋に通された。



  ☆☆☆



夜の帳が下り、都会では見られない満天の星が空に瞬く中で。

蛙原氏の別荘の離れの一つでは、若い男女の睦言が繰り広げられていた。


「あ・・・あ・・・ん・・・しん・・いち・・・だめよ・・・ここの・・・人に・・・気付かれ・・・たら・・・ああん!」
「蘭・・・母屋とは離れてっし、防音も完璧だ。ゲスト部屋を覗くような無粋なやつも居ねえ。誰にも・・・わかりゃしねえさ」

新一は暗闇の中、蘭の泊まる棟を訪れ、そのまま情事に及んだのである。

新一に身を任せながら、蘭の脳裏に浮かぶのは、今日偶然に見かけた花婿と花嫁。
幸せそうな笑顔の二人は、蘭の脳裏でいつしか新一と蘭の顔に変わっていた。



現実では絶対有り得ないだろうそのビジョンに、蘭は切なくなり、新一に貫かれて嬌声を上げながら、涙を一筋流していた。







(7)に続く



++++++++++++++++++++


<後書き>


ああ。
予定の半分も進まなかった。どうしても時間的に間に合わなくて、ごめんなさい。
次回は、軽井沢を舞台に、犯人との攻防が・・・という事はなく、蘭ちゃんが思いがけない人物と会って思いがけない話を聞く事になります。(いや本当は、今回そこまで書きたかったんだけど)

う〜ん。
これは後2、3回では終わらないな。

名前は爬虫類シリーズに行き詰まり、とうとう両生類に手を出しました(爆)。
この次は、名前に行き詰らないよう、種類が多いものにします。

さて、この話、コ蘭と同じ10歳年の差の新蘭ですが。
私が何故この話に力を入れるか、この二人に肩入れするかと言えば。

今だから言いますが、年の離れた二人の姿に、会長さんと私との姿をこの二人に重ね合わせてます。
そりゃもう完璧に。(え?会長さんと私の年の差はいくつかって?それは、ヒ・ミ・ツ)

元々、新蘭は絶対ハッピーエンドが原則のドミですが、この二人にはそりゃあもう、幸せになって貰おうと力瘤入ってますとも。

その割には苛めてる?
いや、辛い思いを経てこそ、その後の幸せも大きいと言う事で。


戻る時はブラウザの「戻る」で。