あなたしか見えない



byドミ



  (3)蘭の危機



久し振りに登校した3年C組の家守は、教室でふんぞり返った。

「3年になって初めてのお出ましね」

クラスメートの女子、戸影美幸が声を掛けて来た。
家守の「女」の1人である。

家守は、複数の女達と関係を持ち、しかもそれを公言して憚らなかった。
美幸はその女達の中でも「家守の第一の女」と自他共に見做されている。
家守自身もそれを否定しない。

美幸は結構美人でスタイルも良い。
今迄相手にしてきた女達の中では珍しくバージンだったし、今でも他の男には体を許さない。
家守が誘えばすぐに体を開いてくれる。
美幸の方から軽く誘いをかけて来る事はあるが家守の方がそれを拒めばあっさり引く。
その割に、家守の行動に嘴を入れたり縛ろうとしたりせずに居てくれ、恨み言も言わない。
つまり美幸は家守にとって「便利な女」であり、だからこそ周囲から家守の第1の女と見做されても、それを黙認して来た。

けれど、家守は美幸にそこそこ思い入れはあるものの、それほど執着はしていない。
いや、美幸のみならず人でも物でも、家守にとって今迄執着する相手というのは存在しなかった。



昼休みの時間、家守は自分がサロンのようにしている旧部室に、早速美幸を連れ込み情事に耽っていた。



「あいつ・・・登校して来やがったのか」

新一は、帝丹高校の隅にある大きな木の上で舌打ちした。
樹齢500年以上と言われるその木は、大きな枝があり、寝っ転がるのに丁度よく、新一が昼寝したり誰にも邪魔されずに思索したりして昼休みを過ごすお気に入りの場所になっていた。

しかし、そこからすぐ近くにある旧部室の一角が、家守とその取り巻きの溜まり場になっており、それがうざったかった。
特に、家守が登校している時は最悪だった。

相手からこちらが見えるわけではないが、ご乱行の睦言がここまで聞こえてくるのである。

蘭以外の女性に全く反応する事のない新一に取って、それは不快以外の何物でもなかった。

「ったく。親が有力者だからって好き放題やりやがって」

新一は別に他の生徒が授業をサボろうがどうしようが別にどうでも良いと思っている。
しかし、仮にも学校の敷地内で好き勝手している家守とその取り巻きには正直眉を顰めていた。

けれど、今のところ別に弱い者虐めをしたり犯罪行為をしたりしている訳ではないので、新一としても家守とその仲間をどうこうしようという心算はまったくなかったのである。

勿論、家守がこの先何を仕出かすか知らないからこそ、暢気に構えていられたのだけれど。
探偵としての洞察力はあっても予知能力のない身としては、いた仕方のない事であった。



  ☆☆☆



「今日の授業では、『国破れて山河有り』の出だしがあまりにも有名でひとり歩きした感がある、杜甫の五言律詩『春望』について、学習します。唐の玄宗皇帝は元々良い政治をする賢帝でしたが、寵妃・楊貴妃にうつつを抜かし、次第に政治を顧みなくなり、国は戦乱に荒れ果てました。国都長安は荒れ果てて・・・」

綺麗なソプラノの声が、教室を流れて行く。
中国古典などいかに暗記して点数を稼ぐかしか考えていない生徒が大半だが、この新任の女教師は生徒達に少しでも文学の楽しさを感じてもらおうと一生懸命であった。

その新任の女教師・毛利蘭が3年C組の教壇に上がったとき、家守は思わず身を乗り出していた。
もう20代後半と聞いていたが、年齢よりずっと若く見える。
素晴らしい美人なのだが、派手さはなく、清楚な可愛らしさを感じさせる美貌であった。
そしてその清純さとは裏腹に、服の上からでもそのスタイルの良さは伺える。

家守が知る同級生や下級生にも、これ程に清らかなイメージの女性は居ない。
飛び切りの美貌でスタイルも抜群で、それでいて清楚な女性。

『あの女、ひいひい言わせて俺に膝間付かせたら気分いいだろうな』

家守が蘭を初めて見た時に抱いた感情は、この清らかな美貌の女性を思うさま引き裂いて穢し、蹂躙したいというどす黒い欲望であった。








「あいつ、今日も登校してんのかよ・・・ったく、ここ数日休んでねえじゃん。マジかよ・・・」

新一はいつものお気に入りの場所で溜息を吐いていた。
家守は、久し振りに登校してからというもの、ここ数日休んでいなかった。
もっともサロンに入り浸っている事が多く、授業に出ている様子は殆どない。
新一は昼休みの思索や読書の時間を邪魔されて、やや不機嫌だったが、家守が何故ここ暫く登校を続けているのかには全く気付いていなかった。



  ☆☆☆



「新一、私空手部の練習を大会まで見る約束したから、暫くここに来られないと思うわ」

ある晩、料理を作りにきた蘭がそう言った。

「空手部?ちゃんと顧問はいるだろ?」
「うん、そうだけど・・・今現在顧問の幾穴(いくあな)先生は元々空手が出来る方ではないし・・・私はまだどこの顧問にもなってないから時間あるしね。それにやっぱり、わが母校帝丹の空手部には強くなって欲しいと思うから」
「・・・・・・」

元々蘭は新一の家族でも何でもないので、こうやって来てくれるだけでも破格の好意と言わなければならない。
けれど新一にしてみれば、一緒に過ごせる時間が減るのは残念な事であった。

「・・・帰り、夜道は気を付けんだぞ」
「大丈夫よ、私強いんだから」

蘭がそう茶化すように言ったので、新一の中で何かが弾けた。

「・・・っ!何でそう自分の腕を過信すんだよっ!あの時みたいに何人もの男に押さえられたりしたら・・・っ!」

思わず怒鳴った新一に、蘭は怯えたような目になる。
新一はハッとして声のトーンを落とした。

「ごめん・・・」
「ううん。新一、私の方こそごめんなさい・・・昔それで新一に大怪我させたって言うのにね・・・」
「蘭、それは良いんだ、すぐに治ったんだからよ。その、女性が辛い体験をすっと、ずっとトラウマになっちまう事があるし・・・その、オメーも一応女性なんだからさ」

つい視線をそらし、熱くなる頬を人差し指で掻きながら、新一はぶっきら棒に言った。
こんな時素直な言葉が出ない自分自身を、時に新一は恨めしく思う。
蘭は「もう!一応だなんて酷いわね!」と可愛らしく膨れながらも、心底腹立てたのではないらしく目は笑っていたので、新一はホッとした。

蘭に迫ろうとしている危機は、「蘭の優しさを利用する」という思いがけない形で訪れる事になるのだが・・・今は新一も蘭もそれを知らない。









綺麗で優しい新任教師・毛利蘭は、空手部を中心にその人柄が知れ渡り始めるにつれ、男子生徒からだけでなく女子生徒からも人気が出た。

生徒が苦しんでいる時・悩んでいる時には力になろうとするが、そっとして置いて欲しい時に決して必要以上にでしゃばる事をしない。
生徒と話をする時も、自分はあまり喋らず相手の話を親身になって聞いてくれる。
優しいけれど気が弱いのではなく、言うべきところは毅然として言う。

相手への押し付けがましさのない真っ直ぐな一生懸命さが、好意を持って受け入れられたのである。

けれどそれを逆手に取ろうとする者も居たのであった。



  ☆☆☆



「毛利先生。先生を見込んで是非相談したい事があるんだけど・・・」

その男子生徒が、他の教師が丁度出払った職員室に入って来た時、蘭は何とも言いようのない胸騒ぎを覚えた。
見た目は悪くない、女生徒に結構もてるであろうと思われる容姿をしている。
けれど、懐こそうな笑顔の影に時折見せる目の冷たさは、鰐口以上に爬虫類めいた底の知れなさを見せていた。

「君は・・・ごめんなさい、名前覚えてないのだけれど、確か3年C組の子だったわよね」

蘭の言葉に、その男子生徒は口元を歪める。

「先生、覚えててくれてないって、悲しいなあ。俺、家守だよ」
「家守・・・?」

蘭が聞き覚えのある名前に首を傾げた。

「気付いたみたいだね。そう、帝丹学園の理事の1人で次期理事長候補の家守は俺の父だよ」

そう言えば、この前授業中の筈なのに廊下で会話をしていた声は、この声だったか、と蘭も思い出す。

「まあ、そうだったの。で?相談って言うのは?」

あっさりとそう言った蘭に、家守は意外そうな目を向けた。

「あなた結構肝が太いんだね。普通次期理事長候補の息子って言うともうちょっと態度が変わるかと思うんだけど」

蘭は強い視線で家守を見返す。
親の権威がどうとかで態度を変える事は蘭には全く考えられる事ではなかったし、それを傘に着ているらしい家守の態度も気に入らなかった。

「相談事じゃないのなら、私、次の授業の準備があるから、出て行ってくれない?」

蘭の言葉に家守はムッと顔を顰める。

「優しい先生と聞いてたけど、噂ほどでもないな」
「本気で困っていて、本当に私に相談したい子の相談になら乗るけど、どうもそんな様子じゃなさそうだから」

蘭がそう突き放すように言うと、家守は途端にしおらしい表情と態度になった。

「悪かったよ。その・・・親の事とかで、ここでは言いにくくってさ。母さんが出て行っちまったんだ。だから・・・」
「お母様が・・・?」

蘭の言葉に家守はこくんと頷く。
母親が出て行った・・・これは、蘭にとって平静で居られない言葉だった。
自分の母も長い事家を出ていて、蘭は寂しい思いをしていたから。



今の蘭は、知っている。
子供心にも本当は気付いていた。
両親は、決して仲が悪かったのではなく、むしろ結婚してからもお互いを異性として意識し過ぎていた為に、丁度良い距離が「近い場所で別々に暮らす」というものだったのだ。
だから、母親が出て行ったとしてもそれは他の所みたいに深刻なものではなかった。

けれど、「普段母親が居なくて寂しい」という思いは、どうしたって拭えるものではなかった。

だから、蘭に取って生徒から「母親が居なくて・・・」と相談される事は、トラウマを刺激され警戒心を解いてしまうキーワードだったのである。
そして蘭は、ほくそえむ家守に気付かずに、家庭訪問の約束をしてしまったのであった。



  ☆☆☆



「いらっしゃいませ。坊ちゃまからお話は伺っております」

蘭が家守の家に訪ねて行くと、メイドなどが数人で出迎え、蘭はその事に感心したり呑まれたりするよりも、この大きな家に何人も人が居ると知ってホッとした。
家守の父は休日でも付き合いで出かけている事が多いらしいし、母親は家を出ているという。
蘭に取って、たとえ生徒とは言え、男性と2人きりになるのは避けたい事だったので、使用人の存在に安心したのである。



蘭は客室に通され、メイドの1人が紅茶を運んで来た。
紅茶からの何とも言えない甘い香りに誘われて、蘭はひと口飲んでみる。
ブランデーの香りが最初から漂っていたのだが、結構たくさんのブランデーが入っているようで、蘭は強いアルコール分にひと口飲んだだけで眉を顰めた。
蘭はお酒が全く飲めない訳ではないのだが、昼間から他所の家でアルコールで酔っ払うというのは避けたい事だった。
けれど飲まずに居るのも申し訳ないような気がして、蘭はキョロキョロと辺りを見回し、窓を開けて周囲に誰も居ず何もないのを確かめると、窓の外にそっと残りの紅茶を捨てた。

「先生、お待たせ」

家守が客室に入って来た。

「家守君。私、出来れば何とかしてあげたいって思うけど・・・でも、他所様の夫婦の事には嘴入れられる訳じゃないし、力になれるかどうか分らないわよ」

蘭の言葉に、家守はちょっと顔を歪める嫌な笑い方をした。

「別に、毛利先生にお袋を連れ戻してもらおうなんて思ってないよ。ただ、寂しいから毛利先生に慰めて欲しいだけ」

近付いて来る家守に危険なものを感じて、とっさに蘭は立ち上がり後退った。
流石に蘭にも今までの経験から、家守がどういう心算なのかは判ったのだ。

「・・・大声を出すわよ」

おそらく声を上げても何の意味もないだろうと分っていたが、蘭は敢えて言ってみる。
家守はふふんと笑った。

「わが家の召使いは躾が行き届いているからね、雇い主である俺の邪魔をしたりはしないよ」

蘭は腹が立ってむかむかして来た。
今時、家で雇っている相手の事を「召使い」呼ばわりする事に、である。

蘭の親友である鈴木園子には、そんなところは微塵もなかった。
どうかした拍子にお嬢様らしい威厳を見せる事はあったけれど、こんな風に相手を見下しているところはなかった。
だから、園子は財閥のお嬢様でありながら、蘭とは対等の友人・親友であったのだ。



いつも人を見下し、本当に愛する事が出来ない、そういう風にしかなれなかった家守が、ある意味可哀相だとは思う。
けれど、だからと言って蘭には、それにほだされて相手の歪んだ我侭を受け入れる気はなかった。
蘭は優しい娘であるが、相手の為にならないような生半可な事をしたりはしないのだ。

ふと蘭は、自分の体の異変に気付く。
妙に体中が熱く、頬に血が上ってくる。

「ふふ、先生。そろそろ我慢出来なくなってんじゃないの?清純そうな顔をしてても、その体だ。今迄何人もの男をくわえ込んだ事位あるだろう?」

家守の卑猥な物言いに、蘭はカッとなりかけるが、それを抑える。

「・・・別に家守君のような子供に相手してもらわなくても、間に合ってるわ」

蘭は男性経験など全くないが、こんな時にそんな事を言い立てる必要も感じなかったので、そう返した。

「そう?さっき先生が飲んだ紅茶に混ぜてあったのは、媚薬入りブランデーだよ。どんな女でも、理性は吹き飛んで男なしでは居られなくなる。まあ効果は数時間といったところだけどね」

蘭は身震いした。
ほんのひと口飲んだだけで、蘭の体の奥が熱くなっている。
もしもあれを全部飲んでいたらと思うと、今更ながらに体が震えたのだ。

けれど、蘭が紅茶を全部飲んだと思い込んでいる家守は、蘭の体の震えを勘違いしたのだろう、にやりと笑って近付いて来る。

蘭は、その家守の鳩尾に、鋭い一閃を叩き込んだ。

家守は、鳩尾を押さえて蹲った。
相手が素人だから、一応手加減はしている。
手加減なしなら今頃家守は昏倒している筈だった。

「な・・・んで・・・」

家守は、媚薬を飲んだ筈の蘭が自分に空手技を使った事が解せなかったのだろう。
蘭としては、ここで家守に親切に真相を教えてあげる気はなかった。
この先別の相手にあの媚薬を使われるのも嫌な話だったから、「効き目がなかった」と思わせておいた方が良い。

「家守君。私、欲望だけで女を食い物にしたり暴力を振るったりする行為は大嫌いなの。それは、愛情の交換から行われる性行為とはまったく別の事よ。それに、薬物を使うのも暴力と同じ・・・ううん、もっと酷い。あなたが私の高校の生徒だから、手加減したけれど・・・そうでなかったら容赦しないところだわ」

家守は、痛みに顔を歪め、腹部を押さえたまま蘭を見上げた。

「家守君の相談は私の手に余るようだから、私は帰るわね。さよなら」

そう言い捨てて、蘭は家守邸を後にした。



  ☆☆☆



家守邸を後にした蘭は、誰とも会わないように急いで自分のアパートに帰った。
僅かでも口にした媚薬のせいで、体中が熱い。

「んん・・・あっ・・・しん・・・いち・・・」

蘭は早々にベッドに入り、下着をずらしてあられもない格好になりながら、生まれて初めて自分で自分を慰めた。
新一の逞しい腕に抱かれ、新一に貫かれる事を夢想しながら。

やがて、薬の効果がなくなった頃。
たったひと口飲んだだけでこれ程に淫乱な自分が出現するなんて、と蘭は激しい自己嫌悪に苛まれていた。


新一にだったら、何をされても、この身を奪われても構わない。
そう思っていたけれど。

新一に抱かれひとつになる事を心のどこかで望んでいる自分に、気が付いてしまったのだ。


蘭も、そして薬を使った家守も知らない事であったが、紅茶に垂らしたブランデーに含まれていた媚薬はかなりの量で、ひと口だけでも普通ならもっと乱れる筈であった。
蘭が処女であった事と、強い貞操観念と共に新一への揺るぎない想いがあったからこそ、蘭は自身を家守の魔の手から取り敢えず守り得たのであった。



蘭は、誰にも心配を掛けたくなかったので、自分の身に起きかけた事は誰にも告げなかった
他の犠牲者が出たら・・・とも思うが、小五郎や新一が探偵をやっていて警察にも知り合いが多い関係から、今蘭が告発したとて、家守を何とか出来るとは思えない。
とにかく家守からは目を離さない方が良いと、蘭は考えていた。









蘭が家守の家を訪れてから数日後。
6時限目で、たまたま蘭が授業を持っておらず1人で職員室に居たところへ、ある女生徒が息を切らして飛び込んで来た。

「先生、助けて!友達が家守君に力尽くで・・・!」
「何ですって!?」

蘭は恐れていた事態になったと顔色を変えて立ち上がり、その女生徒に案内されて家守が根城にしている旧部室の方に向かった。
蘭を案内して走る女生徒は、実は家守の女の1人である白蛇真理であったのだが、蘭はその事実を知らなかった。



  ☆☆☆



旧部室まで走って来た蘭がドアを開けると、服が乱れ裸同然になった女生徒が横たわっていた。
蘭は息を呑んで駆け寄り、女生徒を助け起こす。
間に合わなかったのか、という絶望にも似た思いが蘭の胸に沸き起こった。

次の瞬間何が起こったのか、蘭はすぐには分からなかった。
気が付くと仰向けにされ、男女合わせて数人の生徒から、両手両足をしっかりと押さえられていたのである。

「え・・・?何・・・?」

蘭に助け起こされた筈の女生徒が、憎々しげに蘭を一瞥してゆっくりと服を身に着ける。
それは、家守の第1の女・戸影美幸であった。

「毛利先生、ごめんなさいね。せっかく私を助けに来てくれたのにねえ。私は自分の意思で家守君とエッチしてるの」

蘭を案内して来た白蛇真理は、蘭の右手を押さえながら言った。

「うざったいんだよ、たかだか高校教師のくせして。自分だけはお綺麗で正しいって思う奴の押し付けがましさには、正直うんざりしてんだ」

蘭は頭が真っ白になった。
蘭とて、たとえこちらに悪意がなくとも全ての人に好意的に受け入れられる訳ではない事位知っている。
生徒にも色々居て、中にはどうしても馬が合わない相手も、敵意を抱いてくる相手もいる。

そして、高校生ともなれば、中には欲望の目で自分を見る男子生徒が居る事も知っている。

しかし流石に、生徒を心配する気持ちを逆手に取ってこのような罠に掛けられる事は初めてであった。



「良い格好だねえ、毛利先生」

家守がそう言って近付いて来るのを、蘭はキッと睨み付けた。

「いくらあんたが空手の名手でも、この体制からは何とも出来ないだろう?」

蘭は流石に蒼褪めていた。
これから何をされようとしているのか、わかったからである。

最後まで諦める気はないが、逃げられそうになかった。

家守が蘭の顎を捉える。

「流石に、震えてるね。けどすぐに、その純真そうな顔を快楽に歪めてよがり声を上げるようになるさ。俺、結構上手いんだぜ。今迄の男達以上に気持ち良くさせてやるよ」

「・・・好きなようにするが良いわ。でも、私は絶対、心まであんたのものになんかならない!」

蘭は家守を睨み付けたままそう言った。

「ほう。言ったな。けど女なんて1回やっちまえば、変わるもんなんだぜ?」

家守は面白そうな顔をして蘭の顎を捉えていた手を放す。

もしも口付けて来ようとしたならば、その時は舌を噛み切ってやるつもりだったが、愛情ではなく欲望で蘭を踏み躙るつもりだろう男は、そんな事はしなかった。

「なあ家守、俺達も後で味見しても良いか?」

家守の腰巾着である亀田が、蘭の右足を押え、目に欲望の色を浮かべてそう訊いた。

「お前も好きだなあ。良いぜ、俺が先に存分にこの女を味わった後ならな」



蘭は唇を噛み締め、目を閉じた。
脳裏に浮かぶ、愛しい人の端正な顔。
けれど声に出して彼の名を呼びはしない。
胸の奥底に秘めた想いを、決してこの男達に知られたくはないから。

たとえこの身が穢されても、心には露ほども入り込ませない。
どういう形であれ心に残す事はこの男達の思うつぼだから。
蘭の心に居るのは唯1人。
恐怖という形でも嫌悪という形でも、決して他の男には入らせない。

今からこの身を襲う痛みにも嫌悪感にも、決して乱されまい、声を上げまいと蘭は固く心に誓っていた。




蘭の両足が力尽くで広げられようとする。
蘭は必死で足を開くまいと力を入れるが、男2人がかりで両足を持って広げられようとする為、どうにもならない。

蘭がとうとう力尽きようとした時、大きな音と苦痛の声が響き、蘭を拘束している力が突然緩んだ。

蘭は思わず目を開けた。
飛んで来たサッカーボールが家守の鳩尾に食い込み、家守は泡を吹いて昏倒した。
亀田達他の男は既に昏倒していて、壁際にサッカーボールが転がっていた。

蘭は、入り口に目を転じる。
そこに、滅多に見られない険しい顔をした新一が立っていた。



蘭には一瞬よく状況が分らなかった。
新一が助けてくれたのはわかったが、実感が伴わなかったのだ。

新一が怒りに燃える目で更にボールを蹴ろうとしたが、その時蘭は、残っているのが美幸と真理の2人だけだと気付き、慌てて駆けて行って新一に飛び付いた。

「新一、駄目ぇ!!」
「ら、蘭!?」

新一が信じ難いと言いた気に蘭を見る。

「相手は女の子よ、そんな事しちゃ駄目!!」
「蘭!?こいつらが何しようとしたか、わかってんのか!?女だからって容赦出来るような事か!?」

叫ぶようにして怒鳴る新一に、蘭はしっかりしがみ付いて言った。

「それでも、駄目!!力尽くで女の子を痛め付けたりしたら駄目なの!」

蘭のその言葉に、新一の体から力が抜ける。

「ああ・・・そうか・・・そうだったな、蘭。ごめんよ・・・」

蘭は顔を上げてまじまじと新一を見詰めた。
新一がさっきとは打って変わった優しい眼差しで蘭を見ている。
蘭が自己の体験から、どんな形であっても男性が女性に暴力を振るう事が許容出来ないのだと・・・新一はこの一瞬で解ってくれたのだった。


「蘭、大丈夫か?」
「う、うん・・・」

蘭は新一にしがみ付いたまま、今度は全身が震え出した。
新一が髪を撫でてくれるのを感じて、蘭は緊張感が解け、全身から力が抜けて行った。



いつもいつも、蘭が本当に危ない時は必ず新一が助けてくれる。

どうして新一に蘭の危機がわかったのか、疑問に思うどころではなかった。

今度こそ駄目だと思ったのに、またも新一に救われた。
蘭は安堵の思いと幸福感でいっぱいだったのである。



(4)に続く




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<後書き>

1番苦しかった「蘭ちゃん危機!」の部分は終わりました。
書いてる立場としては、新一くんが助けに来てくれる事がわかっているものの、それでも苦しいですねえ。

次回は・・・ある意味、皆様待望の場面になる、かな?
2人にとっては、新たな苦しみの始まりでもありますが。

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