あなたしか見えない



byドミ



(2)姉と弟



「あ、新一。お帰りなさい」

今日も事件を解決して遅い時間に工藤新一が帰宅すると、自宅に灯が付いており、玄関の鍵は開いていて、ドアを空けると同時に美味しそうな香りが漂っていた。
キッチンからダイニングへ料理を運んでいたのは、新一の想い人・毛利蘭である。

「・・・何でここに居んだよ、蘭」

蘭がここに居て嬉しいと感じるより訝しい思いが先に立ち、新一は思わず顔をしかめて呟いていた。

「ん?阿笠博士から鍵借りて」

蘭のあっけらかんとした言葉に、新一は溜息を吐きそうになる。

「あのなあ・・・俺が訊いてんのはそういう事じゃなくて」
「新一、1人暮らしで忙しいから、あまりまともなもの食べてないんじゃないかと思って、御飯作りに来たの。小母様にも頼まれてるしね。・・・でも、迷惑だった?」

蘭の瞳がふと翳り、新一は慌てて言う。

「いや!迷惑なんて・・・ただ、ビックリしただけだよ。蘭の手料理食えるなんて、嬉しいよ」
「そう。良かった」

蘭が極上の笑顔を浮かべ、新一はそれに見惚れそうになり、慌てて目を逸らす。

「俺、着替えて来っから」

新一はそう言って、逃げるようにダイニングを出、2階の自室へと駆け上がって行った。
ドアを閉めてそれにもたれ掛かり、ふうと息を吐く。

「1人暮らしの高校生男子の家に上がり込むなんて、何考えてんだよ?どう考えても、俺って蘭から男と思われてねえな」

毛利家や蘭のアパートで、蘭の手料理を食べた事は何回もある。
長い事毛利家の台所を預かっていただけあって腕は確かだし、何よりも自分に料理を作ってくれると言うその気持ちはとても嬉しい。

しかし、蘭が川崎に居た頃も何度か遊びに行った事があるが、蘭は屈託なく1人暮らしのアパートに新一を招き入れてくれた。
蘭の自分への信頼が嬉しい、と言うよりも、蘭が自分をあくまで弟としてしか見ていない、自分が蘭へそういった欲望を抱いているなど夢にも思っていない、そう感じて新一は暗澹たる気持ちになったものだった。

新一はといえば、蘭に恋心を抱いたのは出会ったその時からだが、中学生になった頃から、心だけではない欲望を蘭に対して抱くようになった。
そしてそれは、年々大きく膨れ上がって行く。

新一にとって蘭への欲望を押さえ込む事自体は、実はそれ程に辛い訳ではない。
問題なのは、蘭が全くそのような事を考えてもいないらしい事だ。

もっとも、下手に蘭に自分の欲望を気付かれて距離を置かれるのも困る。
痛し痒しと言ったところか。


ともあれ、姉のような気持ちであったとしても、せっかく蘭が自分の事を考え手料理を作りに来てくれたのだ。
新一は身支度を整え、顔を洗って気持ちを切り替えると、階下へと降りて行った。



  ☆☆☆



「新一、やっぱり迷惑だったのかな・・・でも・・・」

蘭は料理をダイニングテーブルに運びながら考え込んでいた。

「仕方ないか。高校生位の男の子って、母親とか姉とかをうざったく思う年頃だもん。でも新一はフェミニストな分、私に冷たく当たったりしない。これ以上望んだら、バチが当たるわよね」

蘭が初めて新一と会った時、蘭は中学生になって間もない頃で、新一はたった3歳の幼児に過ぎなかった。
最初から自分に懐いて来た新一が可愛く、蘭に兄弟はいないが弟ってこんな感じかと思ったものだった。

蘭が新一に「男性」を感じて仄かな想いを抱き始めたのは、蘭が高校2年生で新一はまだ小学校に上がったばかりの頃だった。



蘭は幼い頃から非常に愛くるしかった為、痴漢や変質者に狙われ易く、かなり危ない目にも遭って来た。
幸い、両親を始めとして、蘭の周囲の大人達には「襲われるのは襲われる方にもその素因がある」などとたわけた事を考える輩はいなかった。
蘭は家族や身近な人達から充分に愛され守られて来たので、男性相手に怖い目に遭ってもコンプレックスに陥る事なく情緒も安定して発達する事ができた。
父親である小五郎と母親である英理は、蘭を心配して早くから護身術を学ばせたし、1人で夜道を歩かせないよう充分注意を払って来た。

蘭が高校2年生になった頃は、護身の為に習い始めた空手が上達し、都大会で優勝する程の腕前になっていた。
そのせいもあり、また時刻も遅くなかった為、蘭にも父親である小五郎にも油断があった。

蘭は人気のない公園の中で、不意を突かれ、複数の他校男子生徒から繁みの中に引き込まれた。
その時気が付いて駆けつけ、蘭の危機を救ったのが、まだ小学校に上がったばかりの新一だったのである。


「な、何だこいつ!?」
「いてっ!!噛み付きやがった!!」
「餓鬼だからって調子に乗んじゃねえ!やっちまえ!」

僅か7歳の子供1人で敵う相手ではない。
それでも新一は必死に食い下がっていた。
それを大の高校生男子数人掛りで痛めつけたのである。

「止めてええええ!!」

蘭は口を塞がれ両手両足を拘束されていたが、男達が新一に気を取られた隙にそれから逃れた。
蘭が空手で男達を数人倒した頃、騒ぎと蘭の悲鳴を聞きつけた大人達が駆けつけて来た。



「新一!新一っ!!」

蘭が頭から血を流して倒れている新一を抱き起こして必死に呼びかける。
新一はうっすらと目をあけると、蘭の頬に手を伸ばした。

「らん・・・ねえちゃん・・・?怪我は・・・?」
「怪我してるのは新一の方よっ!!待ってて、すぐ救急車が来るから!」
「よか・・・った・・・無事・・・だったんだね」

蘭の顔を見て安心したように微笑む新一を、蘭は胸が抉られる思いで抱き締めた。

「どうしてっ!?どうして、私なんかの為にっ!?」
「だって・・・おんなの・・・ひとは・・・弱いから・・・守らなきゃ・・・」
「新一っ!!」
「ぼく、蘭姉ちゃんを・・・守れた・・・?」

弱々しく微笑みながら、蘭から目を離さずにそう言った新一を、蘭は抱き締めながら必死に言った。

「うん、うん!!守ってもらったわ!ありがとう新一、もう喋らないで。すぐに救急車が来るから!」


実際その時の蘭は、押さえつけられた位でそれ以上の実害はなかった。
幸い、新一の怪我は見た目の出血の割りに大した事はなく、数日で全快した。
新一自身にはその時の事が記憶にあるかどうかわからない。
だがその時、男達に押さえつけられて乱暴されかけた恐怖を遥かに超えて蘭の心に宿った感情は、まだ幼い子供である新一相手の、狂おしい程の想いであった。

まだ幼くて非力な我が身を顧みず、捨て身で助けてくれた事も勿論感動したのであるが。(実際に男達を倒したのは蘭の空手でも、その隙を作ってくれたのは紛れもなく新一であった)

駆け寄った蘭を新一が見詰めたその瞳。
その慈しむような、それでいて強い意思を秘めた真直ぐな眼差し。

その瞳に、蘭は囚われ、恋に落ちたのだった。




蘭は一時、自分がまだ子供である新一にそのような感情を抱く事が異常なのではないか、もしかしたら襲われかけた体験から自分が男性恐怖症になった為に、男性を感じない幼子に恋してしまったのではないかと恐れ、告白してきた同級生と無理に付き合ってみようとした事がある。
しかし、その相手から抱き締められ口付けられそうになった時、嫌悪感に耐えられず、相手を突き飛ばして逃げ帰ってしまった。
その時から蘭は、「無理は止めよう」と開き直ったのだ。

そして蘭は、新一が中学生になり高校生になり、声が変わり体格も変わり、紛れもなく「大人の男性」になりかけていても、自分の想いが揺るがない事に気付く。

新一に「男性の厭らしさを感じないから」好きになったのではなかった。
新一を「ひとりの男性として」好きになったのだった。



新一との仲がいずれ何とかなるなどとは思っていない。
けれど、新一を好きだという自分の気持ちには正直であろうと思った。
その気持ちがある限りは、無理に他の男性と付き合ったりなどしまいと思った。
別に、「一生涯新一だけを愛し続ける」と決意している訳ではないのだが、おそらく自分の気持ちがこの先も変わる事はないだろうと蘭は思っていた。

「ずっと独り身でも別に良いじゃない。世の中にはそういった人だってたくさん居るし」

けれど、蘭が大学生になっても社会人になっても男性と付き合おうとしないのを見て、流石に周囲の者達がやきもきし始めた。
小五郎と英理は、過去のトラウマで蘭が男性を愛する事ができないのではないかと密かに心配している節があった。
蘭は胸の奥底に新一への思いを秘めたまま、誰から何を言われても「今は誰ともお付き合いする気はないの」と笑って答えた。
親友の園子あたりには、蘭に誰か好きな人が居るのではないかと流石に感付かれているようだったが、何度問い詰めても口を割らない蘭に最近は何も言わなくなった。
蘭が結構頑固で一旦こうと決めたら決して話してくれない事は、園子には長い付き合いで理解されていたのである。


蘭が大学卒業後川崎の高校に赴任して実家を離れたのには、英理が長い別居を解消して帰って来たのを機会に親元を独立したいなど、他にも色々な事情が絡んでいたが、1番大きな理由は「新一と距離を置いた方が良いのかも知れない」と思った事であった。
新一と離れる事で自分自身の気持ちが変わるのを期待した訳ではなく、思春期に入った新一が誰か可愛い子と付き合うようになるだろう姿を見たくなかったと言うのが本音である。
けれど、新一と長い事会わずに居るのが耐えられるとも思っていなかったので、行き先は東京近郊の微妙な距離にある川崎市に落ち着いた。

結局新一は今までのところ、特定の誰かと付き合う事もなく、蘭の所にもまめに遊びに来ていた。
川崎市で仲良くなった近所の人達からは「いつ見ても仲の良い兄弟だねえ」とすっかり勘違いされていた。
新一との兄弟のような仲の良さは、園子あたりからは

「普通の兄弟でも年頃になったらそんなに仲良くないよ。あんたら怪しいんじゃない?」

などとからかわれていた。
蘭は内心でドキリとしながらもそれをきれいに押し隠して

「馬鹿ねえ園子、そんな事ある訳ないじゃない」

と答えたものだった。

新一が蘭のアパートに訪ねてきて2人きりになっても、新一は全く動揺するそぶりも見せないし、異性としては全く自分の事を意識していないのだろうと思う。
きっとどこまで行っても新一にとって自分は姉のような身内のような存在でしかないのだろう。



思春期に入ってから新一は急速に「男」らしくなって行った。
勿論蘭は、新一が子供の頃からその言動に「男性」を感じていた訳なのだが、声が変わり、肩幅がいつの間にか広がり、身長が伸び、しなやかな細身ながらも筋肉質な男の体へと変わって行く。

前は見下ろしていた新一の顔も、いつの間にか見上げるようになった。

新一がまだ幼かった頃には、蘭は新一と手を繋いだり抱き締めたりした事もあるが、今は滅多な事で身体的接触を持つ事などない。
最近蘭はそれが寂しく、時には新一と手を繋いでみたい、そして新一の力強い腕に抱き締められてみたいと思う事がある。
蘭は、そのような事を考える自分がすごくいやらしいような気がして、慌てて頭を振ってその夢想を追い出すのであるが。



2階から着替えた新一が降りて来て、蘭の物思いは中断された。

「新一、冷蔵庫にろくな物入ってなかったよ。最近はコンビニでも色々置いてあるんだから、忙しくても最低限のものは揃えてた方が良いよ」
「わーってるよ。ったく、蘭には敵わねえな。母さんの代わりに俺を見張ってんだから」

蘭の小言に新一は苦笑しながら席に着いた。
蘭は、新一にとって自分は世話焼き小母さんみたいな存在かなと考え、また胸が痛む。
けれどその感情を押し隠し、笑って言った。

「そうよ、だって小母様にも新一の事頼まれてんだもん」

新一の母・有希子に、日本に残す1人息子をくれぐれも宜しくと頼まれたのは、嘘ではない。
蘭はその時川崎に居たのだが、優作と有希子が日本を離れると知っていたなら、新一の近くを離れなかったのにと思う。

『でもこう考える私って・・・新一にとってはやっぱり世話焼き小母さんかな?』

新一は育ちが良いお坊ちゃまの筈なのに、(他の行動はスマートなのだが)食べ方は何故か下手くそで、食事時にはすぐに口の周りを汚す。

「もう、新一ったらまた口の回り汚してる!」

そう言って蘭がナプキンを手に持ち、新一の口の周りを拭こうとしかけて、その手が止まった。

「子供じゃねえんだから、その位できるよ」

新一が素早く自分でナプキンを取って口の周りを拭う。

『私、こういった事をしてしまうから、余計に新一にとっては世話焼き小母さんでしかなくなってしまうんだわ・・・』

新一は自分より10歳も年下ではあるが、子供と思った事はなく、男性として好きなのに、好きでたまらないのに、何故自分は新一に対して姉か母のような態度をとり続けるのだろう。
蘭はそう思って悲しくなってしまった。


蘭自身に母性的なところが多分にあると言うだけではなく、蘭は無意識のうちに、新一の側に長く居たいが為に「姉」を演じてしまっているところがあった。
「新一が自分を女性として見、愛してくれる筈などない」という思い込みが強かった為である。





「・・・っ・・・蘭・・・」

新一は蘭をアパート(蘭は米花町に戻ってきてからも親元には戻らずアパートを借りて1人暮らしをしている)まで送って行った後、自室で蘭を想いながら自分の欲望処理をしていた。
まだほんの子供の頃、蘭と一緒に入ったお風呂で目に焼きついた蘭の肢体を思い浮かべながら。(その頃は少しどぎまぎしたものの、流石にまだ全くそのような欲望を感じる事などなかった。けれど、息を呑むほどに美しい蘭の体は、幼かった新一の脳裏にしっかりと焼きついたのだった)

新一が蘭を想って自分を慰めるのはいつもの事だが、今夜は蘭が工藤邸にいた残り香があるような気がして、一段と猛り狂う欲望を鎮めるのが大変だった。

高校生位の年頃の男性が恋する相手に欲望を抱くのは当たり前の事と言えるが、新一はその欲望を蘭にも他の誰にも隠し通し、決して表に出すつもりはなかった。
少なくとも、蘭にはっきりとプロポーズして受け入れて貰うその時までは。









「家守(やもり)、久し振り」

帝丹高校の新学期が10日程も経った頃に、やっと登校してきた男子生徒がいた。
見かけた別の男子生徒がいそいそと駆け寄って声を掛けた。

「亀田か。・・・学校なんて、行かなくてもどうせ単位取れるし、かったりぃけどよ、家にいたって外出したって面白い事ねえし」
「美幸と真理が寂しがってたよ」
「フン、あの2人も、どうせお前と宜しくやってたんだろうが」
「ご冗談を。美幸は俺なんざ相手にもしないぜ」
「・・・まあ久し振りに可愛がってやるか。けど、俺の言うなりになる女も飽きたな・・・他に何か面白い事ないのかよ」
「またえらく贅沢な事を・・・」

職員室の前の廊下で交わされている会話に、たまたま授業がなくて職員室にいた蘭は顔を顰めた。

「今は授業時間中の筈なのに、あの生徒達は・・・?」

こちらもたまたま授業がなくて職員室にいた鰐口が答える。

「ああ。3年の家守と亀田ですな。家守は、父親がこの帝丹高校の・・・いや学園全体の有力理事ですよ。多分近々副理事長になるような話でしたかね。亀田は家守の腰巾着。好き勝手やってても許されるのは、親の力ですよ。遊び回る割りに成績も悪かないし、どの道帝丹大学にストレートに進学するのは決まっている。毛利先生も、ここに勤め続けるつもりなら、やつのやる事には見て見ぬ振りしてた方が良い」

蘭は眉を顰める。
正義感の強い蘭はその手の事が大嫌いなのだ。

「でも、鰐口先生。見て見ぬ振りと言ったって・・・」
「まあ、犯罪となる程の事はしてない。せいぜい授業をふけて遊び回るのと、体育館裏にある今は使われてない旧部室を取り巻き連中と好きに使ってる位でしてね」




この家守という生徒の存在が、蘭と新一の未来を大きく変えてしまう切っ掛けになるとは、この時点で誰も予想できてはいなかった。



(3)に続く



++++++++++++++++++++


<後書き>

ああ、筆が進まない。
話は決まっているのに文章が出てこない・・・。
えっと、青山漫画には元々基本的に「女性が男性の欲望の対象として襲われる」話は絶対ないですが。
蘭ちゃんや青子ちゃんがあんなに愛らしくて無防備なのに全然そんな目に遭った事がないのは、幼馴染の男の子がずっと側で守っていたからじゃないかなあとか、勝手に想像したりしてます。

まあ次の展開はおそらく予想がつくと思いますが・・・自分で作った話なんだけど、次回を書くのとっても嫌だな・・・。



戻る時はブラウザの「戻る」で。