あなたしか見えない・おまけ




byドミ



5月3日。
新一は軽井沢の鈴木家別荘に、再びやって来た。

新一と蘭は、婚姻届出用紙に、署名捺印をした。
既に証人の欄には、工藤優作と工藤有希子の署名捺印がしてある。
新一は未成年なので、結婚する場合には両親の同意書が必要なのだが、証人の欄に署名捺印がある事で、同意書は省略出来るのだ。
2人の戸籍謄本と併せ、新一の誕生日を迎えると同時に役所に届けるだけの状態に、書類は調えた。


「今夜、12時に。オレは18歳になる」
「新一、毎年自分の誕生日、忘れてたのにね。今年は、覚えてるんだ?」

蘭がくすりと笑う。
新一はちょっと拗ねたような顔になった。

「今年は、特別だからに決まってんだろ?」
「特別?」
「そ。特別。ずっと夢見ていたその瞬間が、訪れるんだからよ」
「夢見ていた?」
「蘭を、嫁さんに出来る日」

あまりにもあっさりと新一が言うもので、蘭は頬が熱くなるのを感じていた。
ここ最近、新一の真直ぐな愛情表現には、随分驚かされている。
今迄、素直に表に出せなかったのが嘘のように、てらいもなくしれしれと、新一は愛の言葉を口にするようになった。

「ねえ、新一。誕生日プレゼント、何か欲しいものある?」
「へ?だって、プレゼントはでっかいのがあんだろ?」
「・・・え?」
「蘭がオレの嫁さんになんだから」
「・・・新一?それは、プレゼントとは違います!!」
「違うのか?」
「だってそれじゃ、私まるで、新一への人身御供みたいじゃないの!」
「そんな意味じゃ、なかったんだけどな。でも本当にオレ、蘭以外、何も欲しくねえもん」

嬉しいような、何か違うような。
蘭は頭が混乱して、何とも言えなかった。

そしてふと、ある事に気付く。

『そっか。新一、私相手に背伸びするのを止めたんだ・・・』

新一が年相応の素顔を見せてくれるようになったのだという事に、今更ながらに気付いた蘭であった。

一応、新一への誕生日プレゼントは準備している。
今夜12時になったら渡す積りでいる。

そして、明日の朝は、2人で。
役所の窓口が開く時間に、婚姻届を出しに行く予定だ。

5月4日は国民の休日で役所の窓口も基本的には休みだが、婚姻届・出生届などは日祭日関係なく受け付けてくれる。


「蘭。式、挙げてえよな」

夕ご飯を食べた後、ふたりで寄り添って過ごしている時に。
新一がぽつんと言った。

「そうだね。でも・・・」
「・・・明日、あの教会で。誓いの言葉を述べて、2人だけの結婚式、やんねえか?」
「ええ!?だって・・・勝手に入っていいの?」
「教会って、基本的には24時間開かれている筈なんだよな。だからまあ、他に結婚式とか何らかの行事がされてなければ、だけど。こっそり入って。祭壇の前で、2人だけで、神様に誓いの言葉を述べ合おう」
「でも・・・、新一ってクリスチャンって訳じゃ、ないんでしょう?」
「ああ、まあ。大多数の日本人と同じく、宗教に寛容な無宗教、ってとこだろうけど。・・・蘭は、そういったの、嫌か?」
「ううん。嫌じゃ、ないよ」
「じゃあ、決まり」

蘭はドキドキし始めた。
新一と2人だけの結婚式に対してもだけれど。
何となく、誰も居ない教会にこっそり入り込むのが、幼い頃の冒険のような気がしたからである。

「ごめんな・・・ドレスもベールも、何にもねえんだけどよ・・・」
「ううん、そんな事・・・」
「・・・いつか改めて、きちんとした式を挙げような」

純白のウェディングドレスに憧れてないといえば嘘になるが、蘭としては、そもそもずっと諦めていた新一の花嫁になれるだけで、すごく幸せで。
だから、新一にそう言って貰えるだけで、その気持ちだけで、嬉しいと思っていた。



0時を回った時点で、2人で乾杯をし。(新一は正直お酒が飲めない事はないが、一応未成年である事と、蘭が身重である事で、ジュースでの乾杯となった)
蘭が新一に渡したプレゼントは、電子手帳だった。

「新一は探偵だからメモ道具は必要だし、これからはスケジュール管理とかも重要でしょ?」
「あ・・・ありがとな」

蘭は、新一が司法試験に合格したと知ったその時から、誕生日プレゼントには実用的なものをと考え、準備していた。
手渡せるとは思っていなくて、郵送する積りであったのだが。

そのプレゼントを手渡し出来た事も、嬉しい。
蘭はあまりに幸福で、もしや全て夢ではないかとふと不安になる事すらある位だった。


そして2人は寝室へと移動し、肌を合わせる。
新一は蘭の体を気遣って、無理させないようにと優しく蘭の体を開いて行く。

「あ・・・はあっ・・・しんいち・・・」
「蘭・・・オメーをぜってー離さねえからな・・・」
「新一・・・ずっと傍に居て・・・離さないで・・・」
「ああ。・・・くっ・・・蘭っ・・・!」

2人共に、分かっていた。
今夜は、神聖な儀式の夜であるのだと。


2人は既に1年間、夫婦同然の生活を続けて来た。
お互いに、相手への愛はいっぱいにあったけれど、お互いにその気持ちを押し隠し、セフレのような関係だったのだ。

だから、この前の晩が、2人の「恋人同士」として初めての夜で。
今夜は、生涯を共にするという誓いの儀式としての、夜だった。


   ☆☆☆


朝目覚めた2人は、身支度を整え。
役所に向かう為に、タクシーを呼んだ。

思いの外早くにやって来たタクシーに、新一と蘭が乗り込んで、行き先を告げる。
タクシーは静かに、町役場に向かって走って行った。


休日なので、当直窓口に届けを出して。
呆気ない位簡単に、手続きは終わってしまう。


「私、これで新一の奥さんなの?」
「ああ、法的にはな。じゃあこれから、2人だけの結婚式に向かうとしますか、奥さん?」

新一に「奥さん?」と声を掛けられ、蘭は何となくくすぐったく感じ、頬を染めた。

2人が役場を出ると、先ほど2人を乗せてきたタクシーが、まだ駐車場に止まっており。
運転手はドアの前に立って煙草をふかしていたが、2人の姿を認めると、煙草を揉み消した。

「お客さん。乗って行かれますか?」
「ああ、頼みます」

2人は再び同じタクシーに乗り込む。

「元の別荘まで?」
「ああ、いや・・・あの近くにある、○○教会まで」
「教会?」
「・・・どうかしたんですか?」
「あ、いや。○○教会ですね」

タクシーは再び元の道を逆向きに辿り始める。
タクシーの運転手は、無線で会社に連絡を取り始めた。

「こちら910号車。○○教会まで、お客様をお連れします」
『・・・了解。910号車はその後、教会の駐車場にて、待機して下さい』
「了解」


タクシーは、別荘に向かう道の途中で、横道に入り込むと、教会の前で停車した。

新一・蘭2人とも、この教会に実際に来たのは初めてである。
遠目に何度も見ていた尖塔を、今は間近で見上げていた。

新一と蘭は扉に近付き、開けた。
中には誰も居ない様子で、シンと静まり返っている。

蘭がこわごわ先に中に入ると、いきなりドアが閉まった。


新一は振り返り、ちょっと離れて立つタクシーの運転手に声を掛けた。

「父さん。一体、何の積りだよ?」
「おやおや。やはりばれてたか」

そう言ってタクシーの運転手は、帽子を取りゴム製の変装マスクを取り、素顔を現した。

「私は、単に言いつけられただけだからね。自分から買って出た訳ではない。私が有希子に敵わないのは、君も良く分かっている事だと思うが?」
「・・・ナロ・・・」
「でもまあ、君達が考えていたのは、誰も居ない教会で、2人きりでこっそり誓いを立てる、そういった事だろう?」

言い当てられて、何も言い返せず、苦虫を噛み潰したような顔になる新一であった。

「多分、蘭君は衣装や形には拘るまい。けど、きちんとドレスを着て、皆に祝福されて式を挙げていた方が、後々良い思い出になると思うが、どうかね?」
「ああ、そうだな。父さんの言う通りだよ。いずれはきちんと・・・とも考えていたけど。やっぱ、今日この日の方が、良いよな」

新一は息を吐き出して、そう言った。

「何もかも、全部自分の力だけでとは、気負わない事だよ。なんでも親を頼るのも問題だが、少し位は甘えても良いんじゃないかね?今は時代が変わってきているが、元々は結婚式も、親が主催するものだったのだからね」

優作の諭しを、新一は理解は出来ていたが、やはりどこかで悔しくも思っていた。
蘭を喜ばせるのは常に自分でありたいという我儘な独占欲を、新一は自覚していた。

ともあれ新一は、優作に連れられて、男性用の着替え室へと向かったのであった。



   ☆☆☆



蘭はいきなり扉を閉められ、慌てたが。
そこに居る面々を見て、驚くと共に安堵した。

「さあ、蘭。こっちに来て。準備万端、整ってるんだから」

親友の園子に言われ、手を引かれて連れて行かれる。
それをニコニコ笑って見ているのは、有希子と英理だった。

「あ、あの・・・一体これは?」

通された部屋で、あるものを目にして、蘭は思わず誰にともなく問いかけていた。
見れば一目瞭然、純白のウェディングドレスである。

「ささやかでもやっぱり式は挙げさせたいって思ってね〜。優作からの連絡で、2人がこの教会に向かっていると聞いた時には、ビックリしたけど」

有希子がニコニコしながらそう言った。

「あ、あの・・・小父様からの連絡って・・・?」
「ふっふっふ、タクシー会社とは話をつけて、2人がタクシーを呼んだら工藤の小父様が出動する事になっていたのよ」
「2人にばれないように、私が念入りに変装させたしね〜」

園子と有希子の言葉に、蘭は目が点になった。
あまりの事に、理解力がついて行かない。

「新一君は有名人だし、色々な意味で大々的に式を行うのは憚られるでしょ?で、あの別荘の近くに教会があった事を思い出してね。近いから蘭の体に負担も掛からないだろうし、小ぢんまりとひっそりと式を挙げるには丁度良い場所かと思って。でもまさか、2人がこっちに向かうとは思わなかったわ」

園子の言葉に、蘭はようやく言葉を出した。

「うん、実は。誰も居なかったらこっそり入り込んで、誓いの言葉を述べて2人だけの結婚式をしようねって言ってたの。まさか園子達が、その教会で待っててくれるなんて、夢にも思わなかった・・・」

それまで黙っていた英理が口を開いた。

「蘭。きっとあなたは、衣装や形式などなくても充分幸せだと考えているでしょうね。それはそれで良い事だと思うけれど。やっぱり親の気持ちとしては、何かしてあげたいものなのよ。園子さんから話を持ちかけられて、とてもありがたいと一口乗せて貰う事にしたの」
「お母さん・・・」
「参列は、双方の親と、園子さん真さん夫婦だけというささやかなものだけど。私達が2人の幸せを祈る気持ちを、どうぞ、受け取って」


ウェディングドレスは、英理が。
ベールは、有希子が。
ティアラは、園子が。

それぞれに蘭の為に準備していた。

「良かった、サイズが合って。本当はオーダーしたかったのだけれど、時間的に無理だったからね。でも、蘭の花嫁衣裳は絶対に、私が準備したかったから・・・」

英理が準備したドレスは、プレタポルテ(高級既製服)ではあるが、まるで蘭の為にあつらえたような素晴らしいものだった。
柔らかいレース生地が幾重にも重なり、ふわりと広がったスカート部分は、僅かだが膨らみ始めた蘭の腹部をカバーしており、蘭の清楚な美しさをより引き立てていた。
蘭は妊娠5ヶ月に入っており、ぱっと見にはさほど目立たないが、少しばかりサイズが変わっている。
英理はここひと月ほど蘭と会っていなかったが、大体のサイズ変化を予測して、ドレスを購入したのであった。

「良かったわ。このベールがドレスとよくマッチして」

有希子が蘭の為に用意したベールは、スカート部分の生地と同じように見える薄手のレース地で、ドレスと対で作られたかのようにしっくり合っていた。

「そりゃあ、そうよ。有希子がベールを持って来るって言ったから、それと合うドレスを選んだのだもの」
「あらまあまあ。記憶力の良さだけは流石と言うべきかしら?私の結婚式の時の格好を、覚えていてくれたのねvv」
「そりゃあ、あれだけド派手な結婚披露宴だったのだから、忘れられる筈などなくってよ」

有希子と英理は、傍で聞くものが毒舌の応酬かと冷や冷やするような会話をしながら、どこか楽しそうである。
高校時代からの親友という2人だが、蘭と園子の間柄とはまた、随分異なった雰囲気であった。

「園子、これって・・・」
「あ、覚えててくれた?そうよ、これは私が結婚式の時着けてたティアラ。これで、サムシングフォーの内、三つが揃うでしょう?」
「あ、そうか。新しいドレス、古いベール、そしてこのティアラが、借りたものね」

サムシングフォーの残ったもうひとつは、青いもの。
オーソドックスだが、準備してあるブーケのリボンが青で、花にも青いものがあしらってあった。
この短期間に、3人がそこまで考えて準備してくれた事が、蘭にはとても嬉しかった。

メイクは、かつて女優だった有希子が担当した。
派手過ぎず、程よく華やかなメイクが、蘭の清楚な美しさを引き立てる。
髪を結って、ベールをかけ、ティアラをつけ。

そして出来上がった蘭の花嫁姿に、3人とも見とれてほうと息を吐き出した。

「うっ・・・綺麗よ、蘭ちゃん」

いきなり泣き出した有希子を、英理が不思議そうに見やった。

「有希子。花婿の母親のあなたが、何で花嫁を見て泣いてるのよ?」
「だ、だってだって・・・嬉しいんですもん。ずっとずっと、新ちゃんが蘭ちゃんを見詰めている姿を、母親である私がどんな思いで見てきたと思うの?蘭ちゃんがお嫁さんになってくれなかったら、きっと新ちゃんは生涯独身で、私達は孫を見る事も諦めないといけなかったんだから!」

そう言ってさめざめと泣く有希子を、蘭も、園子も英理も、呆然として見ていた。

「あ、あの・・・おば・・・おかあ様・・・?」

蘭がおずおずと声をかけると、有希子が顔を上げ、パアッと笑顔を見せた。

「蘭ちゃん!今、何て言ったの?」
「え?あ、あ、あの・・・おかあさま・・・」
「いや〜ん!もっと言って、もっと言って!おかあさま・・・く〜〜〜っ、何て良い響きなの!」

有希子が身をくねらせて言い、蘭は呆然とし、園子と英理は呆れたような半目で有希子を見やった。
ふと有希子は、真面目な顔になって言った。

「蘭ちゃん。新一のお嫁さんになってくれて、ありがとう。本当に、ありがとう・・・」
「おかあ様・・・」

有希子の目から再び涙が流れ落ち、蘭の瞳も潤む。

「あ〜〜〜っ!!蘭、泣いちゃ駄目!せっかくのメイクが崩れる!」

園子が叫び、蘭は慌てて瞬きをして涙を堪え、苦笑した英理が蘭の頬を自分のハンカチでそっと押さえる様にして涙を拭った。



   ☆☆☆



さて、どこの挙式カップルでもそうだろうが、花婿の方は花嫁に比べ、支度にさして時間がかかる訳ではない。
新一はタキシードを着せられたものの、蘭の支度が出来、挙式が開始されるまで、控え室で待つしかなかった。

「父さん。タクシーの運転手に化けたのって、電波法とか、諸々引っ掛かるんじゃねえか?」
「はっはっは。何なら私を告発するかい?」
「・・・あいにく。父さんと、鈴木財閥と、法曹界のクイーンを相手に、訴訟を起こす程馬鹿じゃねえよ」
「まあまあ新一。きっと蘭君の花嫁姿を見たら、君の不機嫌も吹っ飛ぶさ」

新一は顔を赤らめながら、憮然として、頬杖をついた。
とにかく優作には新一が何をどう感じているのか、先の事まで含めて見抜かれている。
新一は、いつかこの親父を追い抜いてやると大いなる野望を抱いているが、同時に、追い越したいと思うほどの目標になって立ちはだかってくれている父親の存在に、感謝もしているのだった。

「ところで新一君?指輪はこちらでは準備していないが、大丈夫だろうね」
「ああ。ったく、見抜かれてんな〜」



   ☆☆☆



そして、参列者の控え室では。
女性陣が皆花嫁の所に行き、優作は花婿のところに行き。
残されたのは小五郎と真、そして真と園子の娘である茉里花だった。

真は、空手をやっている時の姿からは信じられない程に、甘く優しい顔をして、娘をあやしている。
小五郎は、その光景をぼんやりと見ていた。

「蘭も、あんな風に小さくて、オレの後ばかり付いて来てたのに・・・いつの間にかあんな小生意気な探偵小僧に現を抜かしやがって」

ちょっとばかり花嫁の父の感傷に浸ってぶつくさ言う小五郎であった。
娘が既に20代後半になっており、どんなに素晴らしい自慢の娘であろうと後数年もすれば世間の感覚では「嫁き遅れ」になってしまう、そのような論理思考が出来る小五郎ではなかったのである。


「私もいずれは、毛利探偵の気持ちが分かってしまう日が来るのでしょうか?」

小五郎が誰にともなく呟いた声が聞こえていたらしい。
茉里花を抱き上げた真が、小五郎の方を真剣な目で見てそう言った。

「ああ、きっとな。ったく、娘なんて持つもんじゃないぜ。いずれ攫われて行くものなんだからよ・・・」
「そうですか・・・辛いものなのですね」

妙に意気投合してしまった小五郎と真であったが。
後年、茉里花を攫って行く相手の男が、今現在蘭のお腹に宿っている小さな命だとは、この時点で2人とも・・・いや他の誰も、予想すらもしていなかったのである。



   ☆☆☆


優作の予言通り(と言うか、優作でなくとも新一を含め皆に読めていた事であるが)、新一は蘭の花嫁姿を目にした途端に、呆然と見惚れて固まってしまっていた。
初々しく清楚で、それでいて華やかで。
花嫁となる喜びを全身に溢れさせた蘭は、とても美しかった。

小五郎が、蘭をエスコートして新一に引き渡す時、真摯な顔つきで新一に言った。

「新一。蘭を頼む。そして・・・2人で幸せになれ」

新一は頭を下げて短く答えた。

「はい」

小五郎は、1度腹を決めたら潔い。
蘭を手放すに当たって、葛藤がなかった筈はないが、新一に嫁がせると一旦決心を固めたら、つい独り言のように愚痴はこぼしても、蘭や新一に対してはもう四の五の言わなかった。
新一は小五郎の事を、大した能力もないヘボ探偵と馬鹿にしていた時期もあったけれど。
今は素直に、小五郎の男らしさ、人間としての器の大きさを感じ取っていた。
何と言っても、一時期は男手ひとつで蘭を育てた父親だ。
蘭が真直ぐな心優しい娘に育ったのは、父親の影響も大きいと、今の新一には分かっていたのである。


新一と蘭は、祭壇の前に進む。
牧師が2人に型通りの問いをして、2人は型通りに誓いの言葉を述べる。

形としては、神に誓いながら。
2人はお互いに、そして2人を見守り愛してくれた全ての人達に、これからの2人の決意を誓ったのであった。

そして、指輪の交換。
この日の為に新一は、司法修習生としての最初の給与をはたいて、準備していたのだ。
蘭の手を取り、ほっそりした左手の薬指に、シンプルなプラチナの指輪をはめる。
そして、蘭も新一の指に同じデザインの指輪をはめた。

新一は蘭の顔を上げさせ、ベールをゆっくりとまくり上げる。
蘭の目は潤み、頬は紅潮し、新一はまた暫し蘭の顔に見惚れていた。

そして新一は、そっと蘭の唇に、触れるだけのキスを落とす。
蘭の閉じた瞳から、涙が零れ落ちて行った。



2人が教会の扉を開けて外に出ると、雲ひとつないさわやかな青空が広がっていた。
新一が蘭の手を握り締める。

「どこまでも、2人で、歩いて行こうな」
「うん。ずっと、一緒だよ」


永遠の誓いなど、脆いものだという事は、2人共に解っている。
けれど、長い苦しみを潜り抜けてきた2人は、楽観視している訳でもなく、この誓いが永遠のものであると信じる事が出来た。

病める時も健やかなる時も、貧しい時も富める時も、・・・そして、いずれ来るべき時が来たとしても、2人は決して離れない。
生まれ変わっても、きっと相手を見つけ出す。
ずっとずっと共に居ようと、2人は誓い合った。

教会の鐘の音が、2人の門出を祝福するように、鳴り響いていた。









月日が流れ、秋。
新一は現在、東京にある弁護士事務所で、司法修習生としての修業をしていた。

司法修習生は研修所での3ヶ月を終えると、弁護士事務所・検察庁・裁判所で、1年間研修を行い、そして最後に再び研修所で3ヶ月の研修を行い、最終試験を受け合格したら、晴れて弁護士・検事・裁判官の資格を得るのである。

研修先の弁護士事務所は、本人の希望にある程度基いて決定される。
幸い新一は、希望通りに、英理と親しい弁護士の事務所で研修させて貰う事になったのだった。


そして・・・蘭が産気づいたのは、予定日通り、10月8日に日付が変わって間もなくだった。


熊のように分娩室前の廊下をウロウロとしているのは、18歳にして父親になろうとしている工藤新一である。
蘭が連れて行かれた分娩室のドアを、何度もちらちらと見ては、溜息をつく。

蘭は今、扉の向こうで頑張っている。
愛しい女性が、自分の子供を産み落とす為に痛みに耐えている、そう思うと新一は居ても立っても居られない。
こればかりは、新一がどんなに代わってあげたいと願おうとも、決して叶わぬ事なのだ。


工藤優作・有希子夫妻、毛利小五郎・英理夫妻も駆けつけている。
優作は(内心はともかく)見た目は落ち着いて座っている。
有希子は、祈るように手を胸の前で組み合わせていた。
英理は落ち着いた風情で座っているが、小五郎は座ってはいるものの落ちつかなげだ。
無意識に煙草を取り出そうとして、英理に耳をギュ〜ッとつままれていた。


長いような短いような数時間が過ぎ、そして明け方近く。

「オホギャー、ホギャー、ホギャー・・・」

聞こえてきた声に、一同は、顔を上げた。


「蘭!」

新一が、今は自分の妻となっている最愛の女性の名を思わず呼ぶ。

「おめでとうございます、工藤さん。元気な男の子ですよ」

助産師の声に、一同思わず歓声を上げかけて、時間と場所柄まずい事に気付き、慌ててお互い「しっ」と指を口に当てて牽制し合った。



   ☆☆☆



「工藤さん、頑張りましたね〜。ほら、元気な赤ちゃんよ」

「・・・こんにちは。ママよ」

初めて我が子と対面した蘭は、涙ぐみながら抱いた。
これ迄蘭のお腹の中に居て、今、この世界に出て来たばかりの、何ものにも代えられない、新しい命。
最愛の男性の命を受け継いだ、子供。
大仕事の疲れも何もかも吹き飛ばすほどの大きな喜びと感動が、蘭を満たしていた。



お産がひと段落して、蘭は病室へと移された。
待ちかねたように新一が訪室して来る。

「蘭・・・」

蘭は、大仕事を終えた疲れはあったものの、母となった喜びに満ち溢れ、気持ちは高揚し、自然と笑顔になっていた。

「赤ちゃん、見てきた?」
「ああ。ガラス越しだけどな」
「もうちょっと経ったら、直に会えるよ」
「うん・・・」

新一は、蘭の顔を眩しそうに見て、ベッドサイドに腰掛けると、そっと蘭の頬を撫でた。

「新一?」
「蘭。オレ、すっげー嬉しい。ホントに・・・ありがとな」
「新一・・・お礼を言いたいのは、私の方だよ。新一の子供を授かっただけでも嬉しいのに、新一がこうやって、傍に居てくれる。こんなに幸せで良いのかって・・・」
「蘭・・・オレの方こそ、蘭がこうやって傍に居て、オレの子供を産んでくれて。本当に幸せだって思うよ」
「新一・・・」
「昨夜は全く眠れなかっただろ?大事業の後だし、少し寝たら良い。オレが傍についててやっからよ」

新一が蘭の頬に軽く優しいキスを落とす。
蘭は微笑んで、新一の手を握ると、そのまま眠りに落ちて行った。

祖父母となった4人は、流石に蘭の休息を妨げる気にはなれず、そっとその場を離れ、ガラス越しに初孫を暫く眺めた後、一旦帰宅したのであった。



   ☆☆☆



「茉里花、ホラ、赤ちゃんよ〜」

園子が、茉里花を連れて見舞いに来た。

「それにしても。赤ちゃんの名前、純然たる日本人のクセに、コナンだって?推理馬鹿もここまで来るか、って思ったけど」
「まあでも、今は色々な名前があるからね。意外に、お父さん達もその名前で反対しなかったのよ」

そう言って蘭は笑った。

「コナン?」

茉里花が、赤ちゃんを指してそう言った。

「そう、コナン。茉里花ちゃん、もう覚えたの?」
「茉里花は、どうやらコナン君の事、気に入ったみたいだわねえ。将来、お嫁さんになる?」
「もう。園子ったら」
「姉さん女房になるけど、2歳も違わないし、蘭達ほど苦労はしないんじゃない?私としては、姑が蘭、ってのが安心材料なんだけどなあ」

園子の言葉に蘭が苦笑する。

「そうねえ。そうなったらなったで、嬉しいけど。あくまで、当人達次第という事で」
「まあ、もしそうなった時は、宜しくねえ」

冗談交じりの2人の会話が、後年実現する事を、2人は知らない。


「蘭。・・・あ、園子さん、こんにちは」
「おや。旦那のご登場ね。新一君、仕事は大丈夫なの?」
「一応、今日の仕事は終えて来てますよ。司法修習生の務めはきちんと果たさなければ、洒落になりませんからね」

そう言いながら、新一は蘭の頬に軽くキスを落とすと、コナンを抱き上げる。

「コナン〜」

茉里花が、新一に抱き上げられたコナンの方へ、手を伸ばした。

「んん?茉里花ちゃん。コナンが気に入ったか?」
「う〜ん。蘭が姑は良いけど、舅が新一君じゃ、やっぱ考え直した方が良いかな〜?」
「どういう意味ですか、園子さん」
「別に、な〜んにも」
「もう、2人とも」

蘭が苦笑するが、新一と園子は本当の意味で仲が悪い訳ではない。
軽口の応酬をしながら、お互い目は笑っていた。

「それにしてもコナンは、日に日に蘭に似てくるよな〜。ホラ、口元なんかそっくりだぞ」
「そうお?この眉と言い、つむじの形と言い、新一に似てると思うけど?」
「そうか〜?」
「・・・あんた達。親馬鹿にプラスして、妻馬鹿、夫馬鹿なわけ?」

園子が呆れて茶々を入れたが。
新一と蘭が、ずっとずっと、お互いしか見ていなかった、見えていなかった事が、分かっていたので。
妻馬鹿・夫馬鹿になっても仕方がない事だろうとも思っていた。




ともあれ、細かい紆余曲折はあれども、新一も蘭も、その子供達も、回りを取り巻く人々も。
ずっとずっと、幸せに、手を取り合ってこの先の生涯を過ごした事は、確かな事実である。


Fin.


++++++++++++++++++++++++++++++++


<後書き>

おまけの筈なのに、何この長さは?
連載1回目より、断然長いじゃん。
と、自分に突っ込みを入れつつ。
これで本当に、「あなたしか見えない」は、終わりです。

最初は、結婚式のみで、出産後のお話は書く積もりなかったんですが、蛇足かと思いつつ、書いてみました。
ただ、どうしても似たパターンになっちゃうんですね〜。

次世代のカップリングは、最初から考えていた訳ではありません。
でもまあ、せっかく真園の子供出したんだしねえという事で、まあ、あのような形になりました。
流石にもう、この世界での子供世代のお話を書く気はありません。


連載開始の時点では、最終回で2人が結婚するのは勿論決まっていたのですが。

「たった10歳違いで巡り会えた幸せ」
それこそが、ずっとずっと書きたかった部分でした。

蘭ちゃんと新一君とのやり取りは、本当にもう色々と考えこねくり回したのですが、ようやく納得行く形になってくれて、最終回を書き上げる事が出来ました。

足掛け2年近い連載で、長らくお待たせしてしまった事、お詫び致します。
ここまで読み続けてくださった皆様、本当に本当にありがとうございました。



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